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2010年02月25日

リアル本屋の楽しみ

 インターネットで本も気軽に手に入るようになってきた。検索して見つけたい本がダイレクトに。あれこれ足を棒にして探すこともなく、署名さえ分かれば一発でわかるし、注文までできてしまう便利さは他に変えられない。

 それはそれで便利なのだが、本屋で眺めながら・・・そう、視線でスキャニングしながら、あ、これ面白いかも・・っていう発見がなくなってきたような気もする。

 やはり、本屋で眺めながらっていうのが必要だと思うんだよね。特に僕みたいなデジタルネイティブ世代とは言えない旧世代にとっては。

 だからね・・最近の読書熱もあって、いろいろな本屋を巡っていたりする。

 やはり、いろいろ楽しい発見もある。もともとリアルなそういうところで慣れ親しんできたからだと思う。

 まぁ、それでも陳列されていない本も多いので、限界もあろうが、やはりリアル本屋は楽しいってことで。

2010年02月23日

最近、本読んでいますか?

 最近本を読んでいますか?という問いにどう答えるだろう。

 もちろん。という方も多いかもしれない。

 そりゃ、仕事の関係とか自分の研究のための本を読む人は多いだろう。それは実学の本である。

 それ以外の、小説なり教養本なりの直接的には役に立たない、端的に言えばノイズ的な読書はしているか?と問われれば、最近はあまり・・・という方も少なくないだろう。

 かく言う私もそうだ。

 昨日ね、妻に「本読んでる?」と聞かれてはっとしたのだ。

 以前はとってもそういうノイジーな本をがんがん読んでいた。ここでも重松清さんの小説などをよく読んでいたことを語っていると思う。

 今はね、まだ頭の元気なうちに世の中の仕組みを知っておかねばという思いがあり、年中間断なく資格試験のチャレンジを繰り返している。まさしく実学の本はよく読んでいることになるのだが、正直働きながら、資格試験のチャレンジなどの実学の本を読み込んでいると、ほかにノイジーな本を読む気力が残っていないのも事実だが・・・

 ちょっと反省した。

 私も妻もどちらかといえばノイジーな学問というのかな・・・それで食っていくって感じの学問を修めたわけじゃないし、どちらもノイジーな興味があって、そのへんでお互いに興味深くつきあえてきたという部分がある。

 妻は西洋の歴史が好きみたいで、例えば、中世のヨーロッパの街場では、上から尿が降ってくることもあったそうだ・・・だから、西洋人は帽子をかぶる習慣ができ、かかとの高い靴を履いたりするのだとかいうことを教えてくれたりして、いたく興味深かったのだが、そんな風なノイジーな本をよく読んでいるし、私もノイジーな本をよく読んできたので、そのへんでお互い・・・ね。

 それが最近私が実学本ばかり読んでいるから、妻は心配になったようだ。

 だから、ノイジーな本も読んでいこうかな・・・そう「本」を読んでいこうかなって思った次第。

 近年は、大学はそこそこに予備校に行って食える資格・・・司法試験なりの難関資格を狙ったりするダブルスクールも流行らしい。不景気の世知辛き世の中では合理的な生き方とも言えようが・・・その合理性の中にノイジーなものが入る余地は少ないような気がして、それって面白みが欠けるんじゃないか?って思うんだがね、正直。

 ま、言ってみれば私なんかはノイジーなことばかり若かりしころやってきた部分があって、面白いっちゃーそうだけど、どうにも世渡り的には回り道多しって感じなのかな。ま、それもよしってことかなぁ。

2009年12月29日

松本清張さんの迫力

 今、NHK「松本清張ドラマ 顔」を見ている。そろそろラストだが、本当に迫力がある。

 松本清張さんの小説は、学生時代、思い立って代表作を読んでみようと「点と線」、「ゼロの焦点」を読んだことがある。そして、とてもとても迫力を感じた思い出がある。

 学生時代は日本各地を旅したものだが、それらの小説の迫力に押されたのだろう。それらの小説の舞台となっている金沢や能登、福岡を旅する地として旅したことを思い出す。

 小説一本で、そこに行ってみたいと思わされる作家は多くはない。この松本清張さんはその一人だ。あとは、井上ひさしさんかなぁ・・・井上ひさしさんゆかりの仙台にいられたこともいい思い出だ。

 それだけ、松本清張さんの小説には人を実際にその地に赴かせるくらいに迫力のある小説を書く方だ。 

 この「顔」も、映像化されたものを見ても本当に迫力がある。谷原章介さんや大地康雄さんという名優たちの質の高い演技もさることながら、ストーリーの秀逸さからどう映像化しても迫力のあるものになったんじゃないかと思わされるくらいである。

 松本清張さんの小説の迫力って・・・すごいなぁと改めて実感したわけで。

 これだけべた褒めながら、実は、「点と線」、「ゼロの焦点」以外にはさほど松本清張作品を読んではいない。そのうち、暇ができたら読んでみようかなとも思いつつ、多分、映像化されたものを見る方に走るような気もする。

2009年10月22日

夫婦で宮部みゆきさん

 私は従来宮部みゆきさんの著作が大好きであったが、妻も最近はまり始めた。

 別に僕が紹介したわけではなく、妻が自発的に古本屋(うちは貧乏だから・・・)で宮部みゆきさんの著作を買ってきたからだ。

 まぁ、そんなこともあるんだねぇ、ちょっと奇遇。

2009年09月13日

しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書、香山リカ 著) 読了

 香山リカさんの「しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)」 (-amazon)を読了した。

 最近話題の新書のようなので平積みされている書店も多いかもしれない。

 まぁ、家も手狭で本もいい加減増やせないので、話題の新書系はかなり待つこと覚悟で図書館で予約を入れて見ることが多い私だが、この本は買ってしまった。700円ちょっとの出費でもあったが、そこまでして買いたくなったのはわけがある。

 私は1972年生まれだが、私の属する世代は、ベビーブーム世代で受験にしろ就職にしろ競争が熾烈で、ほら、最近なんかは婚活なんて言葉も出てきているけれども、私自身が本格的にウェブの世界に身を投じるきっかけとなったHP「もてない男の心の語り(現 もてない男のその後の語り)」を作っていきながら恋愛面での困難さを語ってきていたのだが、恋愛・結婚にさえ明示的に困難が叫ばれてきていて、格差社会をもろにかぶってきているのも私たちの世代、要するにいろいろな意味でなんだかあまりついていない世代だと常々考えてきていたところで手に取ったのが次の本だったからなんだよね。

 貧乏クジ世代―この時代に生まれて損をした!? (PHP新書 香山リカ著)

 アルファブロガーの小飼氏が 404 Blog Not Found:香山リカの処方箋、いや紹介状 というエントリーにて詳しく書評されている本であるが、私の方はたまたま図書館で書棚を眺めていて目に入ったので読んだ本であった。

 この本がとても共感できるものであったので、香山リカ氏の著作に興味があったので、この新作は最近の私にしてはとても例外的であるが、購入に至ったものであった。

 特にね、最終章が「〈勝間和代〉を目指さない」というタイトルであったので、とても興味が引かれたんだよね。

 買って数日で読了。一気に読めてしまう共感を持てる文章であった。要は現状で満足しようという訴えであるが、いろいろな意味でついておらず、従来の基準における人並み以上にがんばってそれでも普通でようやっという私くらいの世代にとっては、いい加減がんばってきたんだからそれでいいんだよと言ってくれる感じのこの本の主張には本当に救われる思いがするのである。

 実は香山リカさんは、これらの本を読むまではあまりいい印象がなかったんだよね。精神科医ということも知っていたし、リカちゃん人形からその名前が由来し、メガネは意図しての伊達メガネということも知っていた。いろいろなテレビでも出演姿を見ていたが、そのスタイルがなんかユニークに過ぎて、うわべからの印象だけなんだけど、信用に足るのか?という思いがなきにしもあらずというところでね、第一印象って結構大事で、そこでこけちゃうとなかなか修正されないものなんだよね。

 でもね、この2冊を読んで、よーくわかっているなぁという思いと、自分が今まで思考したり苦労したりしてきたことを見事に代弁していて、とても共感できた次第でね。

 要は弱者や苦労している人たちの気持ちをきちんとわかっているなぁと感じた次第で、いい本を読んだなと感じたわけでね。

2008年12月12日

久々に本の虫

 まぁ、貧乏人な私は、本を買うということはあまりしない。

 図書館で予約取り寄せで読むことが多かったりもする。必然、狙いすました一冊なり少数の本を手に取ることになるが、今日は久々に手当たり次第に借りてみた。

 なんだか多くの教養を欲してしまったためだ。

 社会人になると効率重視だったりもするが、そのへんは私の性に合わないのだろう・・・本質的にね。

 多読の中で雑多な教養を積み重ねていく・・・あまり効率のよくない生き方であるが。

 そんな感じで、多読にいそしもうかと思ってみた今日。

2008年07月20日

がんばれば夢が叶うというのは幻想

 昨日、「ハチワンダイバー -フジテレビ」にいたく感動していた私だ。まぁ、人生あきらめなければ未来があるさという明るい希望を挫折者の立場から描いた点が非常に気に入ったわけだが。

 まぁ、言ってみれば私も挫折の連続だからさ。

 ただ、このドラマもファンタジーとして架空のものとして見なければだめである。

 今日、反貧困―「すべり台社会」からの脱出 湯浅 誠 著 岩波新書 を読了した。要は、スタートラインの初めから差が付いてしまっている機会さえ不平等な現代における貧困の諸相の根深さを描いた論説で、非常に迫力があった。

 そう、がんばれば希望が叶うというのはすなわち「機会の平等」の概念で、非常にアメリカ的な思想であるが、おうおうにしても現代ではうそっぱちである。

 例えば、東大生の親の多くは管理職である。そう、豊かでなければなかなか教育にお金がさけないからである。

 現代の議員においては二世・三世議員が非常に目立つ。どうしてか・・・それは、その親世代が築いた地盤がなければなかなか議員になれないという事情があるからなのは容易に想像できるところだ。

 また、さきの大分の教員採用試験の不祥事に至っては、親に力があるとかコネがあるとかでないと教員になれない感じであったりする。

 こうなると、がんばればなんとかなるというわけではない。そう、現代では機会の平等でさえ保たれておらずスタートラインが違う機会の不平等があからさまに目立つ。

 そんな現代において、がんばればなんとかなるのだという、かのドラマのような展開は甘く耳に響くが・・・そんなのを素直に信じてしまっていては、なんというか自分が苦しくなるだろう。いや、若いうちはいいかもしれない。今となってはそんなのを信じるほど子どもでいては生きてはいけない。

 それはそれで幻想として・・・それでもフィクションの上では幻想もまた楽しからずやという姿勢を持っていく必要があろうね。

 それが大人の幻想の楽しみ方ということであろう。

2008年06月08日

張ってメシが食えるのならいくらでも張るけどさ

 最近、春口裕子さんの小説にはまっている。「イジ女(め)」という小説本のネーミングが座布団3枚ものだなぁと思いながら読んだらはまった次第。

 女性のイジメ、見栄張りなど女性的陰湿ダークサイドの悪質系ストーリーが満載で、この作者、もともとは損保会社で勤めていたようで、そのへんの陰湿話がかなりえぐく描かれていて非常にインプレッシブなストーリーになっているから、はまりこんでいる。

 その後、「女優」「ホームシックシアター」などのこの作者の小説本をはしごしていっているのだが、その中でも「女優」はなかなかにすごくインプレッシブである。なんというか、女性はこんなにも見栄っ張りなのかと思わされる部分が特にえぐい。いや、普通のOLなんだけど、これでもかっていうほど見栄を張っている描写が出てきて、だからこそ、タイトルが「女優」なのだろうけど、すごい描写なのだ。

 私自身は見栄なんて張って得するものでもなければ、メシが食べられるものでもないから、あまり重視していない分野なわけだ。だからこそ、おしゃれとかかっこつけとか・・興味があまりないわけで。

 でも、そういえば、ゴミ捨ては私の仕事になっている。というのも妻がちょっとそこまでという時も、やはり、すっぴんでは出にくいからだそうだ。そう、女性は化粧なしで外に出るのはタブーなわけなんだろう。まぎれもなくそれは見栄だろう。

 もちろん、妻は化粧にお金をたくさんついやすでもなく、そのへんでは最低限の見栄張りであり、そういう質素なところが私の価値観にも合うのだが、それでも、見栄はある。

 見栄を張ってメシが食えるのならばいくらでも張るのだが、あまり、見栄に価値を置きたくない私にとって、この「女優」という小説本では見栄のむなしさを訴えているストーリーであり、非常に私の価値観に合致する。

 見栄って、ほどほどでいいと思うんだよなぁ。

2008年04月07日

上原隆さんの書き物にはまる

 朝日新聞の月曜日の夕刊に「にじんだ星をかぞえて」という、暗い感じのコラムが連載されている。

 離婚したとか、ひこもったとか・・・なんか人生上のつまづきのような、暗い感じの話が多いのだが、なんだか気になって読んでしまっている。そもそもそんな話が好きな私だ。友人からの紹介であったが、重松清さんの著作にはまっていたことがあったが、それと同じような雰囲気の話が多い。

 しかし、ただでさえ、月曜日は勤め人にとってはブルーだというのに、疲れてかえってきてこの連載が待っているのはなんか皮肉だ。もうちょっと元気な時に読みたいものなのに・・・。

 ともあれ、そのコラムの筆者が上原隆さんという人だ。

 調べてみると・・・何冊か単行本を出しているようだ。

 本屋のオバさん、今日も行く: にじんだ☆をかぞえて というブログ記事にて見つけた。

 「友がみな我よりえらく見える日は」「喜びは悲しみのあとに」という二冊を図書館で借りて読んでいる。どうにも暗い。でも、なんか引き込まれる。

 上原隆 - Wikipedia

 日本のボブ・グリーンと言われているそうだが、こうなると、ボブ・グリーンの著作も読んでみてみたくなってきている。

2008年03月09日

女性誌見出しにインスパイアされたケーキを作る ~全方位美人ケーキ~

 まぁ、私のウェブページオリジンは、「もてない男の心の語り(現、その後の語り)」という「もてない論」をウェブ上に投げかけたことに端を発するわけだが、その意味では見逃せなかった本があった。「モテたい理由」(講談社現代新書:Amazon.co.jp: モテたい理由 (講談社現代新書 1921): 赤坂 真理: 本)という新書だ。

 まぁ、お金のない私としては、図書館で予約を入れて待つこと数ヶ月、ようやっと届いたこの本を借りて読んだわけだが、特に影響を受けたのが、女性誌のヘンな見出しに関する記述。なかなかヘンであるというか大仰であるというか・・・この著者自身そのように語っている感じである。ぶらぶら..ぶろぐ: 「モテたい理由」に引用されているような感じであるが、うん、確かに大げさである気がして、女性誌などほとんど読んだことがないのだが、そんな見出しがあるのかぁとウェブ上で検索をかけていたら・・・

 @nifty:デイリーポータルZ:女性ファッション誌の謎の言葉を、男性的に解釈する という記事が出てきたわけだが、その中に、「全方位美人」なる用語の解説が。

 ま、それは参照先を見て欲しいのだが、ちょっとそれにインスパイアされてケーキを作ってみたというのが今回のお話。

 本日、妻が友人たちを招待しているということで、私はちょっとお出かけをして妻たちに家を明け渡そうかというところなのだが、まぁ、なにか私としてもしたいという思いから例の通りと言うのか(^-^)ケーキを焼いてみた。

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 今回、腐心したのが、どこから見てもきれいに見える全方位美人的なケーキデコレーションをと言うところ。

 いかがだろうか?

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 別アングルである。どうだろうか?全方位的に見られる感じになっているだろうか。

 素材的には、今回は、動物性クリームのいいものが安くてに入ったため、リッチの動物性クリームを使用。

080309cake3.jpg

 全方位美人的という観点から、上のフルーツの並びをシンメトリー(対照)になるように気をつけてやってみたが、まぁ、どうかね。

 喜んでもらえるとよいのだけれど。

 まぁ、これから、ちょっと遠くへお散歩に行ってくるつもり♪では。

2008年01月14日

休みは休むためにあるんだ

 さて、3連休も今日で最後である。

 この3連休中の一語りは、心情を語るエッセイ調よりは、日記然とした記録に近いものがあったから、その流れで今日も語ろうか。

 まぁ、今日も寒かったよねぇ。だから、基本的には閉じこもっておこうという流れではあった。

 ただ、そうなると、昨日も買い物に出る意外は閉じこもりがちであったから・・・図書館にでも行こうかと、図書館に行き本を借りてくる。

 格差論には敏感に反応する私であるが、搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た! (集英社新書): 本: 阿部 真大 (Amazon.co.jp内) という本に非常に興味があったので予約しておいたのだ。

 それを読んだりして午後を過ごす。薄い新書だと言うこともあるが、本当に面白く、そして納得のいく内容であり、共感を持って一気に読み進み読了してしまった。この本はオススメである。

 あとは、妻が作ってくれる美味しい食事を頂きつつ、さほどテレビを見るでもなく、録り貯めていたり借りていたりで見るべき映画はたくさんあるも、それらの映像的刺激を受けると疲れてしまうので見るでもなく、ゆっくりと過ごした休日。

 お休みとは休むためにあるんだということで、基本に立ち返ったということであろうか。そんな三連休最終日。

2007年08月19日

佐々木譲『制服捜査』を読了 ~個人の努力のすばらしさと限界を感じるストーリーテラー~

 「制服捜査」 佐々木 譲 (著) 新潮社 を読了してしまった。

 ひさびさに読んだ、佐々木譲さんの小説であるが、本当に面白かった。

 佐々木譲さんは、学生の頃から好きだった作家さんなので、かれこれ10年以上もずーっと読み続けている次第だが、この作家さんは北海道出身で現在住。学生時代に読んで、それから数年たった北海道に住まった私にとって、なんかとても親近感が湧いてしまうこともある。そして、この作品は北海道が舞台。雰囲気的になるほど・・・と感じさせられるものも大きいし、私にとって懐かしさを感じさせる雰囲気がとてもよい。

 また、この作家さん独特の、なんというか・・・個人の努力のすばらしさと限界と・・それをよく感じさせられる感じだ。

 この作品では、刑事課生活が長くすばらしい刑事としての能力を持ちながら、制服警官になった主人公が、様々な事件に関わりその解決の糸口を見つけながらも、捜査ができない制服警官の宿命のもと歯がゆい思いをしていく物語である。個人の努力のすばらしさと限界はそこに現れている。

 佐々木譲さんの出世作「ベルリン飛行指令」を読了した時も同じようなことを感じた。第二次大戦下、空を飛ぶには、軍に所属するしかなかった主人公・・・そしてベルリンまで様々な困難を乗り越えて飛ぶものの、日本含め枢軸国は配線への道をまっしぐらであるという物語であるが、日本からドイツまで飛び抜くという個人の努力のすばらしさはあるが、その限界が現れている。佐々木譲さんの、どんな作品でも、多かれ少なかれ、そういう寂しさのような感覚が貫かれているのが特徴であろう。そういえば「ワシントン封印工作」でも顕著にそういう感覚が得られたことを覚えている。

 個人の努力のすばらしさとその限界を描かせると超一流の作家さんと思っているのだが・・・。 ただ、だからこそ物語がなんかもの悲しい感じが出がちであるが。

 この「制服捜査」も、かなりおすすめの本である。こういういい小説を読み終わってしまうとやや寂しい。まぁ、前述の作風の問題でもあろうが。

2006年10月08日

新書「下流社会」が面白い

「下流社会 新たな階層集団の出現(新書)」三浦 展 (著) 光文社

 この本を、目下読みかけている。非常に面白い。

 社会の上流・下流・中流を分けるのは、実際的に物質的に豊かどうかと言うよりも、その個人の指向性・動機付けの部分だという指摘に、なるほどと思わされたりしてね。

2006年04月10日

『「東大に入る」ということ「東大を出る」ということ』を読む

『「東大に入る」ということ「東大を出る」ということ』(中島 敏, 平林 慶史 , 出雲 充 (著)、プレジデント社)を読んでいる。今日から読み始めた本だが一気に読めている。それだけ面白いということ。

 東大と聞いて、みなさんはどう思うだろうか。まぁ、いろいろだろうね。ひがみもあれば、敬意もあれば・・・そう、いろいろ。

 第二部の 「いい子」であり続けることの「意味」 にて、平林慶史氏が書いていることに非常に共感を覚えた。親の期待に応え続ける子どもを「いい子」として語っている。東大生は概して「いい子」なのだと。そして、期待に応えるというしがらみ・呪縛から逃れられずにその道を進んでいるが、それはそれで勝っても勝った気がしないということで苦しいものなのだとの論旨に受け取れた。ざっと読んだだけだから多少の誤解はご容赦願いたい。

 その気持ちはよく分かる。僕もそんな呪縛に縛られて来たから。ただ、そこからドロップアウトした点ではこの筆者達と同じようなものだ。ただ、それがよかったのかどうか・・・今でも迷いがある。

 私は もてない男の語り部である(HP「もてない男のその後の語り」)。なぜ・・・もてないという自分にとってのマイナスイメージを前面に押し出して、一個人、大津和行として語り始めたか・・・そこには「いい子」脱出へのレジスタンスが含まれていたから・・・
 「いい子」であり続けるために捨てたもの、それは、恋愛だったり友達つきあいだったりしたから。
 だから、「いい子」脱却には、この筆者達とはある種違った道ではあるが、がんばっているから(でも、まだ脱却し切れていない・・・なぁ・・)、だから、この本は私にとってすごくピントが合っていた。

 第3部では「有名進学校→東大→東京三菱銀行」のレールを降りたという出雲充氏の論が語られる。これも非常に共感ができた。氏のブログも見つけた・・・イズモノブログ

 これからどうやって生きていけばいいのか・・・悩みがつきないのだが・・・いや、あっけらかんとやっていけばいいじゃないかと思わされる本である。私にとってはすごくいい感じの本である。

2005年11月30日

「私は貝になりたい~あるBC級戦犯の叫び~」(加藤哲太郎 著、春秋社)を読む

 とても意義ある本である。
 かなり映像化されているので、この話は、そちらで知らないわけではなかったが・・・本として出ているものをひょんなことで読む機会を得た。

 戦争のむなしさ、不条理さ、残酷さがよく分かる、実感をもった叫びであった。

 平和を考える上で、とても貴重な文献だと思う。じっくり読み込むにはちょっとつらすぎる・・その不条理さが、胸に迫りすぎてしまう部分があるから。しかし、重要な本である。

 どんな話か・・・加藤哲太郎さんに関して知ると大体分かる。
 加藤哲太郎 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

2005年08月29日

人生の負け方

重松清さんの「小さき者へ」読了
いつもながら、人生の負け方を教えてくれる本だと思った。重松ものはいつもそうだ。主人公たちはいつも人生に負けてうちひしがれている。

僕が重松清さんの著作を友人に紹介されてから今までずーっと人生敗北感をかかえているからこそ、重松ものを読み続けている。

本作最後の短編で主人公が甲子園高校野球を見にいくところなんて、まるで僕そっくりだ。
僕も何か分からない報われない気持ちを抱え、暑い夏、暑い甲子園に行くという報われない行為に何かを求めて何年か行ったものだ。

重松ものは人生の負け方の類型を提示してくれる。だから読むのだ。それらが僕にとっての答えでないこともわかってはいるのだが。

2005年08月09日

「憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言」(岩波ブックレットNo.657)読了

 今日は、長崎に原爆が落ちた日である。11時2分~3分。
 長崎に旅した時・・そう、もちろん平和について考えたのであるが・・・やはり、平和の貴重さを再確認できた想い出を思い返します(「もてない男の心の語り 番外編 もてない男、長崎に行く 第3章 平和について」 参照)。

 先頃の、私としてはとても容認できないと思う自民党改憲草案が出たあと、普段はあまり意識化することなく来ていた平和意識の目覚めのもと、一冊のブックレットを読了した。

「憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言」(岩波ブックレットNo.657)

 とてもよい本である。当たり前のことが当たり前のように書かれている。
 どうして、平和を語ることが声を潜めなければならなくなったのだろうか・・・その方が当たり前ではないのではないか・・・。なるほど、平和は金にならないのかもしれない・・・アメリカなどでは軍需産業という金づるをつぶさないためにも軍は必要かもしれない。しかし、日本では軍はなくてよいし、建前上はないのだ。不況だから平和は語れないのか、金にならないことは語るのがはばかられるのか?・・・そんなせちがらい世の中で、平和の貴重さという当たり前のことを当たり前のように語った貴重な本である。公私ともに忙しい私であるが、一気に読み終わった。

 そう、現在30代である私が、教育を受けた時代は至極当たり前のこととして受け入れられていた、平和・反戦。現在は、その当たり前さが、当たり前でなくなり、それを唱えること自体はばかられる感がでてきてしまった。そんな中で、このブックレットはその当たり前のことを、当たり前のこととして主張した本である。平易な表現で、18人の論者が自らの体験を元に実感を持って語りかける口調にとても共感できる。すぐにでも手に取り読めば、目が開ける思いに至るのではないだろうか、と思っている。

2005年04月16日

重松清『ナイフ』を読了

 最近、あまり読書をせずに、ネットやらテレビやら安直な娯楽に走っていた反動か、猛烈になにか読みたくなってこの前の水曜日から重松清さんの小説だけを5冊借りてきてみている。

 その中から『ナイフ』を読んでみた。

 イジメがテーマの短編4話と大きな意味ではイジメとも言えようが学校生活の話が1話の計5話収録の本。重松ものらしく追い込み激しく、現代イジメの諸相をえぐくえぐってくる。ここまで内角をえぐってこなくてもと思えるくらいの鋭さを持っている。

 あまり明るい気分になれるものでもないが、それなりに救いのあるストーリーも多いし、短編が5話だから読みやすい。一気に読んでしまった。

 人生をとても考えさせられる。
 「逃げることは是か非か」
 そのへんを考えさせられる。

 僕は最善の努力の末には、逃げてもいいと思うんだけどね・・・

 また All About イジメ 感がある本である。

 人生を考える意味、イジメの実態を知る意味両面から一読の価値はあろう。
 

2005年04月14日

重松清『疾走』を読了~これほど追い込まれるストーリーも珍しいかも~

 私は重松清さんの小説が大好きなのだ。友人に紹介してもらって去年あたりから。
 彼の作風は、家族関係とか学校内人間関係とかの負の部分をそれこそ"えぐる"ように描き込み、ストーリー的に追い込みをかけてくるのが特徴だ。だから、こちらもコンディションのよい時に読むことが肝要で、めげている時とか落ち込んでいる時に読むと落ち込むこと必定だから注意が必要なのである。

 さて、この『疾走』は、今まで読んだ中でも比類なきほどの追い込みのかけ方なのである。読み進むほどに辛くなる。活字だけでこれだけ追い込まれ感を感じさせるところにこれを名作と呼べる所以があるかもしれない。

 正直、何度か中断期間を置いた。少し読み進めては気分的に苦しくなって、しばらくやめるみたいな・・・図書館からの2週間の借りだし期間を3回くらい更新したかもしれない。

 また、この本の表紙がすごい。なんかムンクの叫び様の絵なのだが、一瞬ぎょっとする感じだよね。実際、職場の机にぽんとこの本を置いておいたら、「おっ」とつぶやいてた人もいたくらいだから。

 追い込みをかけまくるストーリーが特徴の重松ものと言えど、今まで読んできた中では、ここまでの追い込んでくるストーリーは珍しいと思うのだ。今まで読んだものは、なるほど、いじめとか家庭内暴力とか離婚とか色々追い込みをかけてくるものの、最後には希望の光が一筋見えつつ終わるという読後感のものが多かった。そう、パンドラの箱を開けてこの世の災厄が次々と飛び出てきた最後に「希望」が顔を覗かせたという感じに。

(以下ネタばれあり)

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2005年03月29日

本を買うのに・・・

 まぁ、本当にとっておきたいと思う本とか図書館で借りれない本は買おうかと思うのだが・・・最近はまず本屋で定価で買うことはない。
 まぁ、古本屋を当たってみるのだ。だいたい、そこで見つかる。
 今、探している本は・・なかなか古本屋で見つからない・・・うむぅ。定価で買うと4000円近くもしてしまうのだ。ハードカバーの専門書だからなかなか見つからないのかも知れない。

 翻訳本なので、原作本として洋書で買おうかどうか・・・思案中。洋書だとハードカバー本ではなく、ソフトカバーのものがあるから安いわけだが・・・半額くらいにはなる。

 まぁ、僕は一応英語は読めるとは思うのだが・・・もちろん日本語より苦心するから、その半額で割に合うかどうか、微妙だねぇ。

2005年03月24日

『インターネット中毒』読了

『インターネット中毒』(キンバリー・ヤング 毎日新聞社 1998)をようやっと読了した。図書館で2週間の貸出期限を3回更新してようやっと。
なんか・・・最近忙しくてね・・・仕事で夜遅くまでなることも多いからね。

でも、非常に示唆的な本であった。
技術の裏にある心理的問題というのはかならずついて回るものだという、きわめて当たり前のことを、よく分からせてくれる。

この本が書かれたのが2000年になるちょっと手前・・僕がよほどインターネットの圧倒的なすごさに魅惑されていた時期と時を同じくするからよく分かるんだな。

一回通読したので、もう一回味読したいなと思える教科書的な本だと思ったんだ。

一人暮らしになってから、まぁ、本を入れるキャパシティも少なくなったので、本はもっぱら図書館からの本で充足させるようにしているが、このように味読したい本はやはり買うべきなのかもしれないなぁ・・・(^-^;

2005年01月30日

重松清『流星ワゴン』を読んだ

 今日日曜日・・・朝起きて、なんかぼーっとして、でも、テレビのようなどぎつい映像メディアだけを見るのはちょっと刺激が強すぎる。もう、がちゃがちゃしたテレビ番組はいいよ・・・。

 そんな思いの今朝、静かなピアノ曲をかけながら、読みかけだった、最後の一節が残っていた重松清「流星ワゴン」を読了した。
  
 苦しい。かなり苦しい。そんな小説。どうしてここまで追い込みをかけてくるのかという不幸をたたみかけてくる展開。重松ものはいつもそういう家庭内の不幸をたたみかけてくる展開だが、これはその中でももっとも苦しいものといってよい。

 でも、とってもいい小説だと思った。苦しすぎて、途中途中で中断期間をはさみながらも読み終わるのに何週間もかかったのだけど、読み進めざるを得なかった小説であった。

(以下本編あらすじあり)

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2004年10月26日

「定年ゴジラ」(重松清著)を読了

 旧知の友人から勧められたのがきっかけで、重松清さんの小説をここ数ヶ月はまりこんで読んでいる(この一語り参照)

今回読了したのは「定年ゴジラ」。
ニュータウンに住む定年後の高齢者の男性がしょぼくれながらも自分の居場所を見つけていくと言うようなストーリー。

重松清の作品は、だいたいしょぼくれ系な主人公達が多いわけだが・・・今回は定年後という高齢者という設定であったので、まだ30代の私にはいささか自分と同化できない部分があって、乗り切れはしなかったストーリーではあった。

今まで読んできた重松のストーリーが、30代後半のしょぼくれた主人公達のストーリーが多かったので、その意味では自我関与できたという感じで・・・そう、他人事に思えなかった部分があったのだが、定年後はさすがに自我関与できる感じではないのだ。

重松自身、今現在は40代前半くらいだったと思うが、それらストーリーを書いてた頃はちょうど主人公達と同じくらいの30代後半だったんではないかと推測されるが。

ただ、今回の「定年ゴジラ」・・・いかにしょぼくれていたと言えど、主人公達はみな立派な成人した子持ちである。要するに、すくなくとも30代初旬くらいまでには結婚して定年していないと、子どもが成人してしまって家を出ていってしまって寂しいというこのストーリーの背骨はできてこない。

僕はまだまだ未婚で30代も半ばにさしかからんというところだし・・・いかにしょぼくれているように思えど、この主人公達のよりもっと悪いしょぼくれ方になる(子どももいないし、家族もいない、真の意味での孤独な60代)ポテンシャルを十分秘めているわけで・・・もしかしたら、この定年ゴジラ達をかわいそうに思うような余裕がない老人になっているかもしれないな・・・

それは、いかんせん悲しすぎる・・・なんとしてもお相手を捜さねば・・・

そんな感覚を持ってしまったものだが・・・ちょっと変かな?

うーん、とにかく重松ものは人生考えさせられるね。

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2004年08月24日

「ハイテク過食症」(デイヴィッド・シェンク 早川書房)を読む

 「ハイテク過食症」(デイヴィッド・シェンク 早川書房)を読んでいる。
 この本はとても示唆的で面白い。
 私はそもそも、ネットにどっぷり浸りきって情報の渦に巻き込まれつつ気持ちよさを感じているのだが、最近、その過剰な情報によってストレスも感じてきたりしている。
 テレビをつけながらパソコンをしていたのをテレビを切ったり、いっときはパソコンを離れて読書にいそしむ時間を持ったりし始めていた。
 ちょうどそういった時に手に取ったのが、この本。
 情報過剰状態が人間にとってとてもストレスを与え、悪影響を及ぼすことを警鐘した本である。
 自分の体験からもとてもうなづける内容であった。
 具体的な、対処法も出ているのがいい。まずは、テレビをつけづらい工夫をすることということだ・・・なるほど。
 情報はただ多いだけではそこに揉まれて終わってしまう。たとえ少なくても体系化された情報を持つことが重要なのだとこの本は説いている。
 これもうなづける話だ。

 かなりオススメ。

2004年07月07日

「熱球」(重松清著)読了

旧知の友人から、重松清の小説を勧められたので、図書館にあったこれを読んだ。

とてもよかった。本当によかった。昨日読み始めて今日読了。もちろん本ばかり読んでいるわけではなく、仕事をして、運動してその合間に読んでいたのだから、このスピードはちょっと驚異的である。それだけ興味深い本だったということだ。

「『誰かのために』っていうのは、『誰かのせいで』と根っこは同じだと思うの」 (「熱球」(重松清著、徳間書店より)

すごく考えさせられた一節。誰かのためと大義名分を掲げつつ、自分の判断に自信が持ちきれていない・・・・今までの僕がそうだった気がするのだ。
きちんと自分で判断しよう、そう、自立した人間へ、と決意させられたのだ。

2004年07月02日

「ずっと彼女がいないあなたへ」を読んでいる

「ずっと彼女がいないあなたへ」(諸富祥彦、WAVE出版)を読んでいる。

書名の軽薄さからは、浮ついたハウツー本を想像するが、そんなことはないのだ。
そもそも、この著者は千葉大の教育学部の助教授であり、心理学者。この著者のほかの著書を読んでいたので、この本を買ってみたのだ。

なかなか興味深い記述が多いし、心理学的なバックボーンがあるだけに、説得力があるところもある。・・・ただ、ひとつ気になる点がある。
「もてない男」という観点から書かれているから仕方ないといえば仕方ないが、女性がどう思うか、どう評価するかという観点からここを改善すべしという提言になっているところだ。

女性ってそんなに100%の存在でもないだろうし、同じ人間だから長所もあれば短所もあるはずなのに・・・という違和感。

まぁ、現在の日本社会恋愛市場は、圧倒的に女性にとっての買い手市場であるから、かくなる記述になるのも仕方ないのだろうが・・・・。

恋愛市場においての男女同権の日は来るのだろうか・・・いや、来ないんだろうな。

2004年06月22日

「三本の矢」上・下(榊東行著、早川書房)読了

私の中の小説を読もうムーブメントは継続していて・・・ここ2週間ほどは「三本の矢」上・下(榊東行著、早川書房)を読みふけっていたのだ。

図書館で借りられたからね。

少し前に現役官僚が書いた小説ということで話題を呼んだ本だが、なるほど、読み応えのある金融サスペンスといったところ。

読んで損はなかったし、ワクワクドキドキもさせられた。

さて、次は何を読むかな・・・

2004年06月09日

生きてるって実は一生懸命なんだよね

 いやね・・・「スナーク狩り」にしても「ユニット」にしても、なんかとても一生懸命生きている人たちを描いていた。

 これらを読む人は、なんでそんなに一生懸命なの?もっと楽に行こうよと思うかもしれない。まったりとかいうのが最近の流行だからなおさらかもしれない。

 でも、生きるって多かれ少なかれ一生懸命なものなんだと思うよ。そうだよなぁって思ってしまった。まったりなんて生きていられるものじゃない。

 そして、小説じゃないんだけど、「孤独の心理学~「ひとり」の人生に向き合う~」大原健士郎著 という本にやたら感銘を受けていたんだが・・・やっぱり、この本を読んでも、生きるって大変だし一生懸命しなければならないものなんだなって感じたわけで・・・

 種類は違えど・・・最近の読書から得られた結論は、生きるってのは一生懸命なもんなんだ。その試行錯誤の軌跡が人生なんだってことだなぁ。

もてもて主人公の小説を2つ読了

 私の小説読書強化キャンペーンはいまだ続いていて・・・

 宮部みゆき「スナーク狩り」と佐々木譲「ユニット」を読了。これで、図書館から借りていた小説が切れたので、また行かねばならない。

 この両書、別に筋を知って借りたわけでもないのだが、どちらも犯罪被害者に焦点を当てて書かれたもので、奇遇であった。
 そして、どちらもとても面白い。ただ、前者はハッピーエンディングとは言い難く、後者はハッピーエンディングという違いはあったが。
 犯罪被害者という重いテーマはとても考えさせられるものであり・・・死刑廃止論、犯罪者の人権問題、国家賠償などの議論をする際にとても大きな議論を投げかけているのではないだろうか。

 でもね・・・どっちもすばらしい小説だし、すばらしい書き手だと思うのだけど・・・どちらにしても、主人公の男性がやたら「もてもて」なのはなぜ?しかも、妙に現実に即したもて方だから、リアルであるし・・・現実にもてる人はこんな風にもてるのか?という思いにも駆られたものだ。まぁ、そんなスリリングな恋には陥ってみたいものである。

2004年05月23日

「くろふね」(佐々木譲著) 読了

 小説読書強化に努めている最近・・・今回は「くろふね」(佐々木譲 著)を読了した。

 色々考えさせられた。組織とは?個人とは?家とは?人生とは?

 佐々木譲さんの小説は、そう、その点をいつも考えさせられるし、だからこそ、僕はとても彼のファンなのだ。社会人になってからとんと小説からは遠ざかってしまっていたことは前にも語ったし、だからこそ、今また小説読書強化に努めているわけであるが・・・佐々木譲さんの小説だけは読んだりしていた。大学時代、彼の小説に出会って以来、彼の小説だけはよく読んでいる。

 佐々木譲さんのページはこちら

 くろふね・・・幕末のあのペリーの黒船のことで、幕末期の幕府側の武士の一生を描いた小説。幕府側の武士だから、結局は、やはりいい結末を迎えるわけではないのだが・・・その点も佐々木譲らしいところ。彼の小説はいつもそうだ。どちらかと言えば、歴史の日陰側の人物を掘り起こし再検証するという手法だ。

 だが、単なる読み物としてではなく、今の自分の人生に照らし合わせてもなかなか面白く読めるのがいいところである。
 この話は幕末の江戸幕府という組織の中で、生き抜いた男の人生を描写したものだが・・・今の日本社会の会社組織にしろなんの組織にしろ、根っこの部分では幕末江戸幕府と大した相違はないものだ。同じ日本社会の組織であるのだから。この本を読みながらも、出世・人付き合い・しがらみなどなど今の日本社会の組織におけるものと大いに共通するものが見受けられた。だから、自分これからどうやって生きていくべきか・・・考えるには本当にいい本だった。

 やはり小説を読むというのは、いろいろな思考をめぐらし、人生を生きていくためには必要なことなんだ・・・。コンピュータの手引き書とか解説書とか、そういうA4厚紙系の実用書・・・必要性もあってよく読んできたけど、小説も必要なんだ・・・それを再認識した。

 これからも、心の栄養として、小説を読むことは続けよう。小説読書強化月間はまだまだ続くわけである。

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2004年05月17日

「蹴りたい背中」を読了

 本当に最近、小説を読まなくなった。

 それは、やはり、こういう文章書きにしてはまずかろうし・・余裕のない証拠だということで、小説を最近努めて読むように心がけ始めたわけだ。ゴールデンウィークくらいからね。

 ということで、かの、19歳で芥川賞受賞作の「蹴りたい背中」(綿矢りさ)を仕入れてきて読んじゃったわけで。

 でも、実はこの本、読むのにとても逡巡があったのだ。

 なぜかって?

 要は、こんな若くして才能を開花させた作者のなんて読みたくないという意地もあった。

 率直に表現するなら・・・

 なるほど、19歳で芥川賞・・・すごいね。早稲田大学?ふーん、19歳ということは現役かな・・・だからなによ、早稲田なんぼのもんよという感じ。かわいい?ふーん、たしかにかわいいね、でもかわいいだけじゃ世の中渡っていけねーよ

 持てない者が持てる者をひがむ感じである。

 いや、がんばってがんばって浪人して、まぁ、これぞという大学に入って、いろいろやってきて努力もしてきたけど、いまいち焦点絞りきれずに三十路を迎えてしまって・・・まぁ、やっているとなればこのようなウェブページがライフワークという男からは、そう、率直に負の部分だけ拡大すると上記のような思いが確かにあった。どっちかといえば、今の自分の背中を蹴りたいくらいだから「蹴りたい背中」なんて悠長な本は読みたくないとも思った。

 でも、まぁ、せっかく小説を読む気になったのだから・・・読みたいのだから素直に読んでみようと買ったのが昨日。

 読み終わったのが今日。

 本当に面白かった。というか、私自身がやはり、その本の主人公たちの年代(高校時代)に煩悶していたことにかなり近似してたようだし、その意味ではとてものめりこめた。なんというのか・・・見事というほかはない。

 やはり、この 綿矢りさ かわいいだけではなかったんだねって思わされた。脱帽という感じである。

 この小説・・・若者たちにばか売れしているらしい。

 ケータイになんぼ知り合いの番号を集めて、表面的には友達が多いようでも、実はさびしい・・・そういう若者が多いからこそ、この本が共感を呼ぶのだろう。

 で、芥川賞二作のうちで、どうしてこっちを選んだかって?やっぱ、綿矢さんがかわいかったからだろうね(^-^)というのと、「蹴りたい背中」ってタイトルも気になったしね。

 オススメ。

2004年01月11日

ちょっと読んだ本で

 ちょっと読んだ本で・・・図書館行ったんだけどね・・・書名は忘れたものの。

 全てをパソコンでやろうと思うのではなく、従来の方法と併用が効率的だとの旨の記述があり・・・パソコンはあくまで手段・道具であるという論が展開されていて・・なるほどと思ったのだ。

 僕はいろいろなことをパソコンでやらせてきたし、最近ではビデオ撮りまでパソコンにやらせている。

 しかし、従来の方法の方が楽な場合も少なくはない。

 例えば、ひろく雑学を集めたければパソコンのせいぜい1024×768といった画面で見ているより、紙の新聞を広げた方がぜんぜん広く吸収できる。

 どだいパソコンは目が疲れる。

 なるほど、と思ったことで。

2003年11月18日

絵本を読む

 最近、ある絵本を読んでいる。

 「せなかが かゆいの」(浅沼とおる/鈴木出版)

2003年8月20日の一語りでも言及した本だが・・・とうとう読んでいる。

 なんかとても面白い。

 言葉を連ねて語るのはある意味簡単だ。ここでの語りもかなり言葉数は多い。
 絵本は言葉数が少なく、しかも、使える言葉はかぎられている。その点、うまさが必要なわけだ。

 この絵本はとてもうまいと思うよ。何度読んでも面白い。

2003年08月03日

ひさびさに本を読んでの感想ー「個人ホームページのカリスマ」(講談社、金田善裕)

 まぁ、いつも書き続けていることだが、やはり本を読む時間があまりない・・・本を読むより映画、テレビ・・・そんなことをしているうちに、寝る時間になってしまう。そう、この一語りも書かねばならないからね。読むとしても、自分の研究書ということになるので・・・これまた、好きで読んでいるというわけでもなくなったりしてしまう。

 好きで読み始めた本として、2003年7月18日の一語り で言及した 「個人ホームページのカリスマ」(講談社、金田善裕) がある。

 たいたい、読み終わったので、ひさびさに自分で好きで読んだ本なので小学生のっころを思い出して感想文を書いてみようと思うのだ。

 この本は非常に面白い。

 そして、前の一語りでも語ったのだが、やはり、自分はまだまだだなと痛感したのだ。

 なるほど、通算すりゃぁ、24万ヒットを超えているかもしれない、すごいねと言われることもある。実際、個人でやっているサイトとしては良く続いているとは自負しているし、毎日書いているのもまぁよーやってるわと自分でも思う。

 しかし、この本に書かれているカリスマ達のような気迫は全然すごい、比べものにならない。たとえば、このカリスマ達は睡眠時間を削っていたりする・・・僕は、寝ちゃうな・・・日記はさかのぼって書けばいいやってこともある・・・注意深くこの一語りに通ってきている方は気付かれているだろう。

 また、就職よりもホームページ運営を継続する方を選択し、遠恋ガールフレンドとホームページの二者択一を迫られた時に、ホームページを取った人もいる。すごい気迫だと思う。

 ラーメンの食べ歩きをがんばり、ほとんど毎週末をホームページに費やしているという人もいた。

 私自身を振り返るに・・・そうだな、ホームページにそこまでは費やしていないだろう。いや、立ち上げ当初はそれに似た迫力を持っていたかもしれないが、それなりに、リピーターのみなさんもついて安定したところで安定飛行に移ってしまっているのだ。だからもう少しがんばらねばとも思うし、しかし、がんばりすぎると燃え尽きてしまうことが懸念されるからこの程度で抑えているという感覚もある。どうなんだろう・・・もうすこしがんばるべきなんだろうか?とりあえず、そのようなパッションがわき起こるまでは多分現状維持なんだろうな。

 あと、カリスマ達のホームページへの意欲をこの本から読み取るにつれ、共通して感じるのが・・・ただの普通の人で終わりたくないということへの執着だ。というのも、本業はサラリーマンだったり、学生だったり、プログラマーだったりする・・・それだけみれば、ただの普通の人だが、個人ホームページを持つことによってひとかどの光を持っているわけだ。

 その気持ちは実感としてよく分かった。僕も、たんなる勤め人で終始したくないから、こうやってホームページを運営している、その点は同じだから。