「憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言」(岩波ブックレットNo.657)読了
今日は、長崎に原爆が落ちた日である。11時2分~3分。
長崎に旅した時・・そう、もちろん平和について考えたのであるが・・・やはり、平和の貴重さを再確認できた想い出を思い返します(「もてない男の心の語り 番外編 もてない男、長崎に行く 第3章 平和について」 参照)。
先頃の、私としてはとても容認できないと思う自民党改憲草案が出たあと、普段はあまり意識化することなく来ていた平和意識の目覚めのもと、一冊のブックレットを読了した。
「憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言」(岩波ブックレットNo.657)
とてもよい本である。当たり前のことが当たり前のように書かれている。
どうして、平和を語ることが声を潜めなければならなくなったのだろうか・・・その方が当たり前ではないのではないか・・・。なるほど、平和は金にならないのかもしれない・・・アメリカなどでは軍需産業という金づるをつぶさないためにも軍は必要かもしれない。しかし、日本では軍はなくてよいし、建前上はないのだ。不況だから平和は語れないのか、金にならないことは語るのがはばかられるのか?・・・そんなせちがらい世の中で、平和の貴重さという当たり前のことを当たり前のように語った貴重な本である。公私ともに忙しい私であるが、一気に読み終わった。
そう、現在30代である私が、教育を受けた時代は至極当たり前のこととして受け入れられていた、平和・反戦。現在は、その当たり前さが、当たり前でなくなり、それを唱えること自体はばかられる感がでてきてしまった。そんな中で、このブックレットはその当たり前のことを、当たり前のこととして主張した本である。平易な表現で、18人の論者が自らの体験を元に実感を持って語りかける口調にとても共感できる。すぐにでも手に取り読めば、目が開ける思いに至るのではないだろうか、と思っている。
コメント
コメントありがとうございます☆
タイトル直しました!!!
にしても「戦争」を「船倉」に変換してしまうって。。。
この本は軽いし、安いし、読みやすい。
いい本です。
投稿者: chihana | 2005年08月11日 08:52
ええ、いい本ですよね。chihanaさんはあの本をどこでお知りになりました?
私も同時期に読んだのでとても親近感がわきました♪
投稿者: 大津和行 | 2005年08月12日 00:52
ワタシもその本、探して読みます。
ワタシが思うに、軍隊を「是」としてしまった瞬間に、
憎しみと悲しみの「連鎖」が始まってしまうのでは無いでしょうか。
そしてその連鎖はなかなか断ち切る事が出来なくなってしまう。
もしかしたら、片方が滅びるまで。
正義という大義名分ではじめた戦争という大河は
テロなどの支流をどんどん増やしていくだけと思っています。
家族や仕事場を失い、全てを失った人がテロリストとなる場合だってあるのです。
目には目を、ではありませんが。
なんの罪も無い自分の身内が犠牲になったときに
「戦争を認めたのだから仕方が無い」と静かに受け止める事はできるでしょうか?
少なくともワタシにはムリです。
そして、やはり憎むと思います。
投稿者: ゆーや | 2005年08月12日 18:39
ゆーやさん、ぜひその本を読まれてみてください。私もなにげに入った本屋さんで前面で積まれていましたからすぐに分かるかと思いますよ♪ワンコインで買えますから♪
憎しみと悲しみの連鎖・・・まさしくその通りですよね。泥沼化し未だ解決が見えない、パレスチナ情勢、ユーゴ情勢を見るに、おっしゃる通りの憎しみと悲しみの連鎖がまざまざと見て取れますよね。どちらも、軍隊という人殺しの手段を発動して限りない連鎖に陥っているのですよね。
だからこそ、既成事実としての軍隊は持ってしまっているにしろ、憲法9条で最後の歯止めをかけている日本は、憲法9条ゆえその連鎖に陥らず今まで平和に暮らして来れたんだと今こそ実感します。
私も「もてない」・・・という高度に平和状況が前提の個人の幸福追求マターで頭を悩ますことが出来てきて、このサイトの作成に至ったのですが・・その裏には、大きく憲法9条に守られてきたことがあるのでしょうね。
だって、軍隊ができて、学生時代から徴兵されて、明日の命だってどうかという世の中でしたら、「もてない」どころの騒ぎじゃないですから・・・。
投稿者: 大津和行 | 2005年08月13日 09:17
私は安易に平和を唱えることは思考停止に
つながり逆に危険だと思います。
前にも書いたように、日本には米軍基地があり、米国の核の傘に守られているからこそ、北朝鮮のような何をしでかすかわからない国が手出しをできない、という現実を受け止めるべきだと思います。
現実を受け止めた上で日本に何ができるかを
考えるべきだと思います。日本は軍隊をもたなくても十分やっていけるのだ、という主張は、例えは悪いですが、親(アメリカ)の庇護を十分受けている子供が、庇護の下から出ようとはせずに、自分は一人で十分、社会でやっていけるんだと空威張りしているような印象を受けます。まあニートみたいなものかな?共産党や社民党の主張が現実味を持たないのはこのためだと思います。
投稿者: スミレ | 2005年08月15日 19:57
初めましていつも楽しくかげながらロムらして
もらっている既婚者の者です。
終戦記念日につき平和を愛するものとしてたまらず書き込みさせていただきます。
スミレさんは日本が置かれてる国際情勢を
よく認識してますね。
とても現実的な平和主義者の方だと思います。
日本の領土は確かに守られてます。
戦争を知らない平和の中で育った世代が
安易に一国主義の元、平和を過大解釈するのは僕も危険だと思います。
管理人さんもかなりの平和主義者なのですね。
平和への理想論関心しました。
管理人さんが描く世界平和は誰もの望みです。
そういう世界が将来的に訪れることを僕も
願って止みません。
でも今現在の現状で丸腰論は
いかがなものかと思います。
それでは治安の9悪い街で家の鍵を閉めないで
就寝するのと同じようなものだと思います。
確かに今の国際世論では丸腰の国に
専制攻撃を仕掛けるのは世界中から
叩かれるのは確かですが、
ではその専制攻撃が運悪く自分の家族に
向けられたとしたらどうでしょう?
専制攻撃した国に対し報復攻撃などもっての他なので平和的解決から
ただの泣き寝入りになった場合はどうなのでしょうか。
一国を守る立場の方々、国民の安定した生活を維持させる立場にいる方々は危険な
丸腰論は現実的に受け入れられないと思います。
投稿者: 源さん | 2005年08月16日 03:04
源さん、はじめまして、いつも読んで頂いているとのこと、ありがとうございます。
スミレさんも終始一貫して軍隊肯定のご主張ですね。
思うに、理想論・現実論という問題ではないかなと思いますよ。
核の傘論は、幻想だと思っています。国際政治論的にもそれは立証できましょうし、私の学んだところでは、ゲームの理論を用いて、結局は核の傘抑止論では核を持っている双方恐怖の連鎖において果てなき軍拡に邁進してしまうという結論が出ています。
そう、核がなかったらどこかから攻撃されるのか?そんなことはないでしょう。かえって、アメリカの不沈空母として日本が存在しているという誤った現実(高度に政治的に憲法の理想が歪曲された現実)にあることにより、テロの危険にさらされているということでしょう。
また、自分の家族に向けられたらという仮定で考えるのも危険かと思います。憎しみに憎しみをもって返すのは、憎しみ・悲しみの連鎖しか生みません。それはパレスチナ・ユーゴ情勢どこの紛争を見ても同様です。
戦後世代の安易な平和論というご批判も的違いでしょう。攻撃されたらどうするのだという妄想のもと、軍備論を語る方がよほど安易かと思います。誤った現実(憲法の理念から大きく外れ、政治的に歪曲された現実)にあわせた現実論などは現実論に値しない。
社民党や共産党が当たり前のことを言わずにどこが言うのでしょうか。野党が野党として動いているのでしょう。
治安の維持においては、文民である警察力で十分だと思われます(治安権力というものはそれでもやや大きすぎるきらいもあるくらいです、警察・軍という治安権力が戦前どれだけの個々人の人権・自由の侵害をしてきたか・・・戦前の悪法治安維持法を見てもあきらかです)。
それで、攻撃を受けるでしょうか。人殺しのの手段を持っていることで、人殺しはしかけられるものですよ。
終戦の日、なぜ軍備論が出てくるのか・・・ちょっと理解しかねます。
投稿者: 大津和行 | 2005年08月16日 07:41
一言に平和といってもいろんな
解釈があるのを再認識させられました。
実質日本の上空には米軍機が飛んでいますが、
管理人さんは政府の国防政策とは相対し、
米軍の日本の領土からの早期撤退と日本の完全非武装化を懇願しているのですね。
丸腰の日本の領土を攻撃する国が
あるというのは妄想で、
そして丸腰の国に対して諸外国は
絶対に先制攻撃などしないという
確信があるのですね。
投稿者: 源さん | 2005年08月17日 01:09
私は事実関係を簡潔に整理する必要があると考えます。
憲法9条について論点になっている事実をごく大雑把にまとめると以下の4点。
①日本は現状では憲法に戦争および戦力の放棄条項を有していること。
②その憲法下にありながら、現に軍事力を保有していること。
③同様に、米国の軍隊が相当な規模で駐留していること。
④日本がこの60年の間に他国からの直接の侵攻を受けたことがないこと。
論理的に考えれば、①と②・③は相矛盾します。
①と④との間、そして②・③と④との間に因果関係があることを証明することはいずれも出来ません(相関関係ならあるかもしれませんが)。①だから④、②または③だから④とは直ちにはなりません。
それは④の事実が成立している理由が偶然も含めて非常に複雑に絡み合っているからでしょう。
軍事力を保有するのはやむないとして、では現状のそれが「戦力」に相当するのか、十分に検証がされていないこと、そもそも「戦力」の定義が曖昧であることが憲法論議に混乱を与えていることから、法律(それが無理なら憲法に附則をつける)によって何が「戦力」に当るのかを定義し、そのくびきの中で保有する軍事力を検討する。
憲法を変える変えないの前に、そういう選択肢も有りだと私は考えますが。
だからこそ政治家センセイ諸氏には給料分しっかり仕事をしていただきたいものです。別に軍事力だけが国を守る手段ではありますまいに。
投稿者: kuri | 2005年08月17日 23:40
なるほど、kuriさんの分析は、数学的論理性がありますね。
通常のことであればそれで納得したかと思います。しかし、平和論に関しては軍事力の保有をやむなしとは認めてしまってはいけないのかなと考えています。
憲法9条に明確に宣言された「戦力の不保持」を、いわば「公理」として考えることが自然だと思うのです。
数学でも「2点をつないだものが直線」、これを不変の公理としてすべての定理を演繹しますよね。その公理が崩れたら全ての定理が崩れる。
その意味で、憲法の条文を公理として考える以上、現実がどうであれ(高度に政治的にごり押しされた現実なのは事実でしょう・・・国の基本原則たる憲法に明確に反しているのですから)、軍事力の保持という事実は演繹され得ないゆがんだ現実かなと考えています。
ともあれ、kuriさんの因果・相関関係の説明はなかなか興味深かったです。
源さん、書き込みありがとうございます。
このマターに関してはナーバスになっているところもあり、上記の考え方から軍事力の保持というのを認め得ないと考えてきましたので、やや語調強く主張させて頂いてしまいました。すみません。
ええ、戦力の不保持は現実的に求むべき理想だと思っています。
甘いかもしれませんが、目には目をのハンムラビ法典的思考よりは、ガンディーの唱えた非暴力主義によってインドは独立を果たした歴史を紐解くに、完全非武装による平和追求というのは現実的にも「あり」なのかなとも考えてはいます。
投稿者: 大津和行 | 2005年08月19日 01:20
丁重なる返信ありがとうございます。
管理人さんの思想である非武装は
世界各国の民衆の願いであります。
その点は深く共感します。
戦後日本のこれまでの繁栄はアメリカの庇護の元で実現してきました。
これは否定できない実績です。
それと日本の領土は地理的に東アジア
に睨みが利く重要拠点でもあります。
今後もアメリカは強国のうちは日本から
軍を撤退させないでしょう。
そして今アメリカは日本を拠点とした東アジアの武力強化の為、関東に陸軍の主要部隊を移転しようと画策しております。
これは我が国の安全上阻止しなければ
なりません。
国防は我が国の重要な国策であり
その現状は思想を語るにも常に向かい合わせで
論じなければなりません。
僕が思うに何度か国防に関して書き込みを
してくれたスミレさんは思想でなく今の現状を語って
いたと思います。
ましてや平和を語るには相手の意見を尊重し
しながら意見のやり取りを交わさねばならないと思うのです。
苛立ったやり取りは主義の違うもの同士
すなわち各国間の武力闘争の第一の始まりだとも思うのです。
でも今回のレスで管理人さんはとても紳士的に書いて頂けたのでとても安堵しました。
一国の重要な国策を語るのですから個々
それぞれ考え方が違ってくるのも当然です。
これからもお互いの意見をよく聞いて
我が国によりよい道を話し合っていきましょうね。
投稿者: 源さん | 2005年08月19日 03:05