最近のお気に入り
![Moblog Photo](http://www.motenai.net/mt7/images/blog-photo-1264931443.18-0.jpg)
ドトールにて。
コーヒー店だからと言って、コーヒーにとらわれることなく、野菜ジュースをば。これが結構美味しい。
コンビニでパックのものを買って、ちゅーちゅーするのとは雰囲気が違って良いのだ。
まぁ、身体にも良さそうというわけで。
コーヒー店ではコーヒーをというステレオタイプから解放される、あえての野菜ジュースオーダーはなんか気持ちがよいものだ。俺って自由人って感じかなぁ(^-^)
ま、要は野菜ジュースは結構好きって話題で。
« 2009年12月 | メイン | 2010年02月 »
ドトールにて。
コーヒー店だからと言って、コーヒーにとらわれることなく、野菜ジュースをば。これが結構美味しい。
コンビニでパックのものを買って、ちゅーちゅーするのとは雰囲気が違って良いのだ。
まぁ、身体にも良さそうというわけで。
コーヒー店ではコーヒーをというステレオタイプから解放される、あえての野菜ジュースオーダーはなんか気持ちがよいものだ。俺って自由人って感じかなぁ(^-^)
ま、要は野菜ジュースは結構好きって話題で。
今日は本当に出ずっぱりの一日。
朝から夕まで都内某所でかんづめ状態で、その後、帰りがてら妻と合流し、ショッピング・・・ってたいしたものを買ったわけではないんだけどね。
我ながらがんばった一日だと思うよ。
新しいPHS、HYBRID W-ZERO3で撮った画像。思いのほかきれいに撮れるので大満足。
でも、限りなくPCに近づいているせいか、処理速度を求めるせいか、動作の軽快さがもうほとんど携帯電話とは言えないほど重めに感じるのがちょっとね。ぱっと出してぱっと撮るみたいな感じには使えそうになし。
まぁ、妻を待ちながら喫茶店でお茶とかしてみたわけで、出ずっぱりな一日なればこそのいとまの時間。普段は家に帰っちゃうからこういう喫茶店待ちとかないわけで、ちょっとイレギュラーといえばイレギュラーな一日。
また、明日も出ずっぱりな一日の予定。
年末のテキスト庵オフにて、次世代スマートフォンとしての代表格、AppleのiPhoneを使いこなしている方々に啓発されて、次世代スマートフォンへの興味が高まっていたわけであるが・・・
順当に行けば、実質無料キャンペーンもしているiPhoneを買うところであるが・・・
私は実は、携帯電話というものを持ったことがない。そう、PHSユーザーのままで来てしまったわけで。そうウィルコムユーザーなわけである。
ウィルコムはスマートフォンブームの火付け役、W-ZERO3を打ち出した点でも先進的なところであったし、私もW-ZERO3を愛用してきたわけだが・・・
そのウィルコムが満を持して出した、次世代スマートフォンたるこのHYBRID W-ZERO3買ってみた。なかなかとんがった作りのようで、まだまだ使いこなせていない。
私にしては珍しく、予約して、発売当日の1月28日受け取りという飛び付き方で買ってしまった。
結局、妻と通話無料のホットラインをウィルコムでしているから、本当は、iPhoneの方がメジャーなんだろうけど、こちらを選んだ部分はあるわけで。
ウィルコムという企業自体、企業再生支援を受けんとしているほど業況が悪いところが不安ではあるが、がんばって欲しいものだ。キャリア自身がつぶれてしまうという最悪のことは怒らないで欲しいと切に願うところである。
それにしても、なんだか次世代スマートフォン・・・ちょっと楽しみで、ちょこちょこいじって楽しんでいる。まだ、なんだか慣れない。
昨日も外食をしてしまったのだが、今日も外食。
妻も私もラーメンが大好き。私は北海道に住んでいた時代に寒さからの必要に迫られてか、ラーメンに目覚めてきたわけだが、妻も大好きなようである。
となると、ちょっとお出かけした今日の日のようなときは、ラーメンでも食べて帰るかということになりがち。
ラーメンが夫婦のコミュニケーションツールになっていたりするわけで。
まぁ、そんなほほえましい話だけではなく、私が主にナビゲーターとしてラーメン屋のセレクトをするわけだが、そこがあまり期待にそぐわないと、妻の評価は厳しい。せっかく案内しても喜んでもらえないと悲しいものである。
その意味で、ラーメンでコミュニケーションは取れるのだが、そこにはある種の勝負の厳しさがあるわけである。
さて、この「今日の一語り」・・・ブログ形式になったより数年も以前からずーっと続けていた日記をブログ化したものである。また、それ以前から「もてない男」として文章をネットに公開する(HP「もてない男の心の語り(現 その後の語り)」)ことをライフワークにしてきた私にとってブログというコミュニケーションツールも内在した日記システムの出現は飛びつくべきものであったとも言える。
まぁ、ブログ化以前から、毎日何でもいいから書き連ねるということを自分に課してきた部分がある。
冬至少し人気が出ていたホームページの読者に、毎日何でもいいから文章を提供するというサービス精神から出てきたものであるが、今では、なにか書くことに意義があるみたいな、そこに山があるから・・・みたいな感覚になっている部分がある。
でもね・・・毎日毎日語るのも容易じゃないのだ。何年も毎日更新をしてきたが・・・たまーに、本当にごく稀にとぎれることがある。
かなり心の痛手を負った時とかだ。
今ではかなり見てくれる方も少なくなったが、それでも、途切れると心配して・・・連絡をくれたりする方もいたりしたり・・・そういう支えもあって毎日書いてこれている。
今日はかなり心身ともに疲れているし、妻にもそれを指摘されていて、早く寝なよと言われてはいる。
でも・・・今日は気晴らしに妻と中華料理の外食をし、ちょっとだけぶらぶら散歩したりしてね・・・それでなんとかブログを書けている。このように。
昔の日記を読んでいると、だいぶん参っているなというのも分かったりする。その意味でブログはバロメータだなぁとも思う。
今日は元気じゃないけど、妻のおかげでなんとか語れている。
今日も元気だ、ブログが書ける・・・そんな風に回復していきたいものだ。
週の始まりから二日目だが、疲れ気味。
ヨーグルトを食べて寝よう。
まぁ、なにかするっていうのはあまり続かないことが多いが、ヨーグルトを食べて寝るというのはかなり続いている習慣。
最近は、ダノン・ビオとかLG21とかの健康機能性のあるヨーグルトが出てきたので、その機能性に惹かれている部分もあろうかね。
お休み。
さて、今日も自由の希求について語ってみたい。
昨日は、脱サララーメン店主のテレビを見ながら、その無限のリスクと引き替えの自由に飛び立てないなぁということを語ったわけだが・・・勤め人にとって自営って永遠の夢かもしれない。
でも、組織の論理に逆らってまでやりたいほど好きなことがなかったり、仮にあったとしても、食っていけなくなるというリスクをおかす勇気が出なかったりして、組織に居続けるということが往々にしてあるんじゃないかな。
私だってそうかもしれない。
さて、そこで出てくるのが働けば自由を得られるのかなぁ?労働は私たちに自由をもたらすか?という問いである。
確かに、働けば、経済的には余裕が出る。それを元手に自営に行けば自由をもたらしてくれるだろう。しかし、現実・・・今まで語ってきたようにそれは難しい部分がある。失敗すれば一気に滑り台のように奈落に落ちるとなればそんな簡単に自由求めて羽ばたけない。
だから、結局、組織に居続けることが多かったりするだろう。
要は、今の時代も労働というのが与えてくれるのは制限付きの自由に過ぎないのじゃないかなぁということ。
仕事にからめとられた人、それがすなわち勤め人じゃないかなぁと。
それでも、仕事ではストレスがたまる。絡め取られた拘禁症状のようなものに近いのかもしれない。
仕事にイヤになると休暇を取って旅行に出かけたりするわけだよね。
僕も、休暇を取って、山形の奥の温泉に出かけたことがある。10年位前になろうか。独身だったから比較的お金もあったから、ぱっと山形新幹線で、思い立ってという感じで。
最寄りの駅から車で1時間くらいだったわけだけど、宿の送迎を頼んだよね。僕だけのために来てくれた。
1時間もあるわけだから、その宿の若旦那と語り合ったけれども・・・まぁ、勤め人より自営も自由でいいですよねぇと語りかけると、それはそうですが、休みが決まっている勤め人もいいですよ、雪が降れば雪かきが待ったなしでありますし・・・と言われて、納得せざるを得なかった思い出がある。
そう、わざわざ僕のために1時間の道のりを迎えに来る。それは、僕の都合に振り回されているのであって、宿の若旦那には自由がない。
自営をしたって、自由じゃない。だったら、働けば自由になる・・・なんかそれは追ってもつかめない青い鳥。幻想に思えてくるのである。
飲食業を開業する様を追ったテレビ番組を見入ってしまったのだが、なかなかに面白かった。
ラーメン屋さんとトンカツ屋さんだったかな。
ラーメン屋さんのほうは、ぼちぼちの売り上げであったが、トンカツ屋さんの方はランチはともあれ夜がだめで居酒屋さん的なものへの変貌を迫られていた。 要はすごくうまく行っているというわけでもないという結果。
ラーメン屋さんは脱サラだったと思うが、飲食自営というのはやはり自由を求めたということなんだと思う。
組織の論理に縛られて働くよりも、自分の自由に働きたいとい、好きなものを作りたいという自由への希求。
組織の中で好きを仕事にしてしまうほどの悲劇はないかもしれない。というのも、組織の論理で自分のしたいことができないことが往々にしてある中で、それが好きなことであったら悲しくて悔しいことこの上ないわけだ。
その意味で、自営で自分の好きなように働くというのは限りなく魅力的であるが、同時に限りなくリスクを負うということで・・・自由の代償は高くつくかもしれないなぁとか・・・和むべきお茶の間のテレビ鑑賞で考え込んでしまったり。
私が見ていたから一緒に見ていた妻が、パソコンのゲームをする方に熱中していたのは正解かもしれない。団らんテレビでちょっと暗くなっているのは損といえば損だから。
さて、昨日はアニバーサリーをテーマに語ろうかと思いつつも、なんとなく、サムゲタン食べましたというテーマになってしまった気がするが、予約をしてまでのディナーにしたのは、とりもなおさず、5年前の昨日に、妻と私がつきあい始めた記念日だから。
アニバーサリーというのは往々にして女性の方が意識しがちだが、わが家では私もそれを共有している。
2005年の1月22日の語りは
見るからに緊張感漂ってきそうそうですね(^-^)
その一年後の2006年の一語りでは・・・
今日の一語り: アニバーサリー
なかなかうれしそうです。
それから、毎年のように1月22日は花を買ってきたりしているわけですので・・・
今回もサムゲタンの前にバラを一輪、妻に買ってきていた次第。
そして・・・
この日に届くとは狙ってはいなかったものも、アマゾンから届く。これも妻のための買い物だったので、うまい具合に届いてくれて、アニバーサリーに華やかさを添えることになってなにより(^-^)
なんだろう・・・「もてない」期間が長かったからかなぁ。照れることなく、こうやって贈り物をする相手がいることが普通にうれしいと思えるんだよね。
そんな感じで、結構アニバーサリー好きだったりするんだよね。
サムゲタンの残りのスープを雑炊にしていただき締める。本当にうまい。食べきれるかなぁと思ったけれども、入ってしまった。すごい料理だと思う。
鳥を丸ごと煮てくれるのだから荒々しさとともに、うれしいほど肉々しいともいえるのがサムゲタンだがそれを感じさせないやさしさがあるんだよね。
脂を感じさせない肉がたくさんとれるんだよね。
なんか、そのやさしさがうれしい限りで。
サムゲタンはお皿に取り分けて食べます。スープにいい出汁がでています。コラーゲンたっぷりなのが見るからに分かる感じで。
マッコリがあるということは韓国料理店に来ているわけで、サムゲタンを予約しておいたのです。
韓国に行ったときも食べていたく感動した一品ですが、日本でも本格的な韓国料理店に行くと食べられたりします。
でも、調理に時間がかかるので事前に予約をする方が良かったりして。
本当は妻を韓国に連れて旅したかったのですが、なかなかにそうも行かず、とりあえず記念日のディナーにということで。
記念日の今日。
妻と一緒にちょっと飲む。マッコリである。
お酒はあまり強くない妻であるが、このマッコリは意外に好き。
マッコリを仕入れて家で飲んでいたこともあるくらいで。
5年前の今日、妻と私は付き合い始めたわけで。そういう記念日。
まぁ、我が家は狭いので、パソコンデスクこそ大きめなのをあるがそれでも平面は少ない。しかも、妻の家事の導線とぶつかるので落ち着けず。
一部屋でいいから書斎をと願うも、それがかなわぬのが都会での庶民の暮らしとも言うべきところ。
悲しいが、ここ一番でがんばりたいときは喫茶店である。
いわばモバイル書斎みたいなもの? ドトールコーヒーにて。
コーヒー店で敢えてコーヒーを頼まず野菜ジュースで身体もリフレッシュし集中。
260円で手に入れる平面である。
まぁ、私は自分を文章屋・・・西洋風に言えばテキストクリエイターと思っているんだよね。
たまには数式屋へのあこがれみたいなものもあるし、実際少しは使えるし、思考方法は結構サイエンティフィックだったりもしようが、終局的に文章屋だなぁと思っている。
でもね・・・多分ご存じない方も多いかもしれない。私はあまり字を書くのは得意じゃないんだよね。
今みたいに、パソコンが普及していなかったから、学生時代の勉強はすべて手書きだし、ノートも書いてきたんだけど・・・どうにもあまりきれいじゃない。ほら、成績とかだけで見ると悪くなかったから、ノート貸してとか言われがちなんだけど、ちょっと困ってしまってねぇ。一番困ったのが、自分の指導教官から、出張講義をしに来た先生の授業を聴講したいのだが所用があって出られないので授業のノートを貸して欲しいと言われた時かなぁ、大学時代。
「あの・・・多分読めませんので」と丁重にお断りした思い出がある。
だから、手帳とかってほとんど活用したことがないんだよね。活用しようとしたりもしたんだけど・・・途中で挫折することたびたび。
まぁ、文章屋って・・・パソコンのキーボードによる文章屋だよね。手書きの圧力から解放されたことにより、よほど文章屋らしく文章を大量生産できるようになってきたしね。
だから、パソコンが一般化してからは、軽くメモっておいて、もしくは記憶に入れておいて、パソコンの方で予定管理してきたり、それに派生してPDAとかでの電子的管理でやってきてしまったから手書きってほとんどしないで来てしまったかなぁ。
手書きをしない文章屋ってのも、なんか、文字を書けない文章屋ってのもうまくないなぁと最近は思い返している。
また、近年、いろいろな資格の勉強なりをするのに、やはり手書きの重要性を再認識してきてね・・・。やっぱり手で書いて頭に入れることが重要ってね。
また、文書屋としての手書きへのあこがれの現われとして万年筆を手に入れてみた次第。、
妻に、クリスマスプレゼントでリーガルのシューズを買ったら、サービスでリーガルの皮の手帳ももらえたので、それと一緒に使うつもり。
文字がかけない文章屋ってちょっとあれだから、読める字を書いていこうよと、デジタル文章屋からアナログ文章屋へのポーズも取ってみたり。
ま、私にゃ、原稿用紙に万年筆で書き殴った文章を取りに来てくれる編集者はついていないから、相変わらず自分でキーボードで文章をつづり、こうやって、アップロードしてブログ公開するしかないわけだけど、あこがれだけは持ってもいいじゃない?(^-^)
今日は私が食事を作ったりした。簡単にできるものだが、スタミナつけたしということで、うなとろ丼を。
今日の一語り: 男だって料理ができて当たり前 で、昨夏、妻が具合が悪くなった時に、するする食べられるものをということで同じうなとろ丼を作ったのが記録に残っているが、その時は、妻がめっぽう病状悪く、妻はあまり食べられなかったのだ。
週の二日目であるが、お互い疲れている妻と私。うなとろ丼なりで力つけたしというところであったが・・・
妻も今回はもりもりと食べてくれた。とろろは私の好物だし、ウナギは二人とも好きだ。
ウナギは3枚入りのを買ったが、一枚を二人で食べた。
妻の感想としては、道理でウナギが少なかったとのこと。
夏の具合の悪い時は、あまり食べられなかったのに、今はこれでも足りないとの言葉に、やっぱり、うなとろ丼をもりもり食べられるって幸せだよね。健康は重要だよねって思った次第で。
まぁ、私は暗黙にも明示的にも家電系・IT系大好き人間のようだ。少なくともそう思われている部分はあるようだが。言わずもがなで、電気関係のことを聞かれたりするし、今流行の家電量販店はヤマダかなぁ?とか意見を求められたりするのも、まぁ、別に積極的に表明していないまでも家電好きオーラみたいなものが出ているのかもしれない。
それは否定しないし、最近だと家電芸人的に、芸能人たちの家電好きを自慢しているけれども、そういう方々は、家電好きに見えないのに家電に詳しいというギャップで売れているのであって、私みたいなのが、家電に詳しくったって別にさもありなんということで珍しがられもしないところである。
でもまぁ・・・最近はね・・・意外に思われるかもしれないが、さほど電気屋に行かない。ネットで情報を集めネットで買えば足りるということもあるし、家電量販店に行くと妻が退屈してしまうということもあり、まぁ、一人で行くのもなんだなぁということで、おおむね家電系の情報なりは家で雑誌なり、ネットの情報なりで満足していたのだが・・・
やっぱり、たまには行きたくなるもので、妻がブーイングをしていたけれども、出かけてくるわと街場の大手家電量販店へ。
でもね・・・おっきな買い物とか興味はないの。ちっさいもの。メディアカードリーダーとか、USBハブとか、どうやったr1000円以下で買えるかとかそのへんを見にさ。あとは、いろいろな構想を練るのに実物を見たいということもあり、それはウィンドウショッピングという感じで。
でもね・・・買いたかったノートPCに増設するUSBハブのね・・・機能さえ備わっていれば格好は記にしない私にしてはちょっと珍しいのだが、色にこだわってみたのよね。
黒光りするノートPCを新しく買ったから買いたかったのは黒いのなんだけど・・・あるはずなんだけど、大手家電量販店にはシルバーのしかない。シルバーでも使えるには使えるのだろうけど、黒ではどうにも合わない。2軒回ったけど黒のがなくてさ。おいおい、そりゃないぜとちょっと・・・思っちゃったよね。
こうなると家電量販店で買うのはもうあきらめて、通販で取り寄せるよと思いつつ、せっかく街場まで出てきたから、パソコンパーツ屋でも見に行こうかと見に行くと・・・ものすごい品揃えの大手家電量販店になかった、黒のそれがまさしくあるのよね。ほかのUSBハブの種類は圧倒的に少ないにもかかわらず、求めていたそれの黒のがそこにあったわけですかさず購入。
これなんだけどね(^-^)
いやー、大手家電量販店は種類は多いし数も多いんだけど、いくら多くてもピンポイントで痒いところを掻いてくれないのではこまってしまっていたところで、そのパーツ屋はピンポイントに痒いところを掻いてくれて素晴らしいと感じた次第。
まぁ、私なんかは大手家電量販店と言うより秋葉原に多くあるパーツ屋なんかの方が性に合っているのかなぁ。どっちもいい面があるんだけどさ・・・そのへんの使い分けについて改めて考えさせられたりして。
さて、まぁ、今結構話題なのかな・・・マクドナルドで、本場アメリカンテイストのビーフバーガーが期間限定で出始めているようで。
4種類出るようだけど、第一弾が先週の金曜日からで始めたようだ。Texas Burger(テキサスバーガー)。
ここでもマクドナルドの話が出てくることも多いくらい、なんだかんだ言いながらもマクドナルド好きな私。これは食べたしと思っていたわけで。
私と同様に結構マクドナルド好きな妻を誘い、夕食にはこのテキサスバーガーをば今日の夕食にと食べに出る。
今週末にはぜひにも食べたいと金曜日から思っていたところで、土日の最後の最後になってになってしまったのがぎりぎり族なところで。
最近は中年であり、かなりアメリカンにビッグだという噂を聞いていたので、ポテトとかつけずに、このテキサスバーガーのみ・・・あとは野菜ジュースをあてに選ぶところが健康志向か。
肉の厚みはさすがなところ。
上の段にはフライドオニオンがあるはずなんですが・・・
フライドオニオン、結構楽しみにしていたのですが、そこまでの量が入っておらず・・・ちょっと期待から外れたか。
ぱくぱくと食べてみると、フライドオニオンの野菜分はあまり感じられず、がっつり肉という感じ。上の段はフライドオニオンはさりながら同じく上の段に入っているベーコンの味が先に立ったかという感じで。
あくまで、肉々しく、タンパク質、十分いただきましたという感じでした。
味付けは、バーベキューソースとマスタードレリッシュという二種類のソースが入っているとのこと。なるほど、マスタードレリッシュは面白い味でありました。
その昔、アメリカはニューヨークを旅した時、結局、一見で入れるお店が、ピザ屋とかハンバーガー屋とかばかりで、当然マクドナルドにも行ったわけだが、3日の滞在で、もうピザとかハンバーガーとかはいいや・・・肉系タンパク質はもう勘弁と思ってしまった思い出があるが、なるほど、アメリカンテイストを追求するとこういう感じなんだろうなぁと納得。分厚いビーフパテの上にベーコン・・・脂肪もきついしねぇ。
肉の厚みはさすがで、その迫力はなかなか。味付けの工夫も評価できる。
ただ、私としては、同じくらいの価格であるビックマックの方に軍配かなぁという感じ。野菜分が全く感じられない、あくまでタンパク質強調型はいまやそこまでの好みではないからだ。ビックマックは青みの野菜が入っている分まだ罪悪感が比較的薄れるし、肉の厚みもテキサスバーガーほどでなくてもいいんじゃないかという思いもある。
若い人にはいいのかもしれないね。なんか老いを感じぬでもないわけで。
そんな感じのテキサスバーガー初食記なわけで。
家に帰って、妻が作っておいてくれていた煮物とか、自分ですり下ろした山芋とか食べて、野菜分を補おうとしたことも事実である。
私は本当に好き嫌いなく雑食性とも言うべきか、ほとんどのものをバリバリ食べる。大食漢なのは言わずと知られたことであろう。
でもね、ひとつだけ、生卵ってものが苦手だったりするんだよね。
でも、自分でケーキを焼いてしまうくらいで卵は必須のアイテムとも言えるわけで、卵を三つ割って、泡立て器で泡たててスポンジを作る過程だっていやいややっているわけではない。卵焼きだって別に全然食べるし、茶碗蒸しだってOK。
でもね・・・どうも生っぽい卵は昔から好きじゃなくてね。例えば目玉焼きも片面しか焼いていないものはあまり食べたくなくて、英語で言えば、sunny-side up だね・・・・わざわざ両面に焼いてもらったりしていたくらい。要は生っぽい卵がいやみたいでね。
みなさんも子どもの頃は卵かけご飯なんてたくさん食べたかも知れないのだけれども、私はほとんど食べた思い出が無い。無理して食べなさいと言われるものでもないしね。そして、すき焼きの時も生卵を使ったことも近年までなかったわけで。
妻もそのへんはよくわかっていて、僕のためには目玉焼きを両面焼きにしてくれるし、生っぽい卵料理は避けてくれていた。間違ってもとろとろオムライスとか出てこない。
ただ、最近は、妻の実家ですき焼きをいただいたりするときに生卵が皆に配られたりするわけで、無下に断るのも忍びずとあまり食べ慣れないが生卵を使ってみたりする機会が出てきている。
するとあまり悪くない・・・そこまで好きじゃないけど・・・みたいな感じになってきていたんだけれども・・・
この前、健康のためにと一番健康的そうな定食を頼んだら、焼き魚と海苔と納豆と生卵が主の定食だったんだよね。こうなると、ただでさえ少ないおかずであるのに生卵を残しては、とてもお腹になるものではない。ということで生卵を卵かけごはんにして食べてみたんだよね。
ちょっと生な卵から逃げようのないシチュエーションに陥ったわけだけど、ま、それもひとつの経験か・・・30半ばを超えていつ以来かも定かに憶えていない生卵ご飯だったりするわけですよ。
したら、意外にいけた。はじめはね・・・長年の習慣からか、あまり美味しくない気がしたけど、そういう先入観を取っ払うと悪くない。
それ以来、ちょっとその新鮮な感覚に取り込まれたみたいでね。結構頻繁に生卵ご飯を食べているわけでね。
自分で割っちゃったりして・・・
お醤油を混ぜてかき混ぜたりして・・・
ご飯にかけて食べるわけですよ。
30半ばを超えて、初体験的な新鮮さでね・・・いやー、この年になるといろいろわかった気になって新鮮味がないものですが、長年の食わず嫌いをしてきたおかげで、卵割ってお醤油でまぜるだけでワクワクできるのでね。
妻は子どもの頃よく食べたわぁとあきれ顔だったりするけれども、ま、それは人それぞれの楽しみってわけで。
結構安上がりなワクワク感を楽しんでいる今日この頃だったりするわけで。
映画「プラダを着た悪魔」( - goo 映画 )がテレビで放映されていたので見たのだ。
なかなかに面白かった。ひさびさに、夢中になって見られた映画と言える。
要は、主演のメリル・ストリープさんの怪演とも言える鬼気迫る憎々しい演技が際だって、そして、ヒロインたるアン・ハサウェイさんの美しさも際だちつつ、役者陣の演技のうまさがまずはいい。
それらの演技を見るだけでも「時間返せ」的な映画とはなっていない。
でもね、演技だけで私は映画を面白いとは言わない。まぁまぁくらいにとどめるだろう。
面白いと言うからにはストーリーのプロットに心の琴線を打つものがなければならない。
なにが面白かったかって・・・
(以下ネタばれあり)
ファッション業界のトレンドリーダーたるメリル・ストリープさん演じる女性はあくまで仕事に厳しいものの絶大なる成功を収めているが・・しかしプライベートではうまくいっていない女性。ヒロインはその鬼のような上司に仕えるファッション的にはさえない若い女性なのだが、まぁ、アメリカ的と言おうかそこで才能を花開かせ、一躍ファッショナブルなできる女として花開くという展開。
まぁ、そのままのサクセスストーリーで終われば、やれやれいつものアメリカ的楽天主義だなぁと思わされるところであるが、結局そのヒロインはそのサクセスを捨てて、仕事のために切れかけたステディな彼との縁を引き戻し、本来的に目指していた地味なジャーナリストの道を歩むというどんでん返しのストーリー展開がいい。
そして、メリル・ストリープさん演じる鬼のような女(だから、プラダを着た悪魔 なんだろうね)は、その行く様をうらやましく思いながらも、自分は自分の仕事の道を行くという展開。
要は、アメリカ的な上昇志向絶対主義へのアンチテーゼとなっていてとても面白かったのだ。
この映画は2006年の作品であるが、上昇志向絶対の限界をアメリカ自身も感じてきているのじゃないかなと感じさせられたわけで。
上昇志向を持って向上するのはいい。でも、それが自分の幸せにつながらない・・・ヒロインの地味な服に戻った後のさえないながらも幸せな様子に比して、派手なバリバリなキャリアウーマンながらプライベートは決して幸せでないプラダを着た悪魔というコントラストに見事にそのことが浮き彫りにされているんじゃないかな。それを表現し得たメリル・ストリープさんの怪演もすごい。
アメリカ映画自身がアメリカの上昇志向絶対主義への疑問符を投げかけているという点で、この映画はとてもユニークな視点を持っているんじゃないかなって思うんだ。そして、それがこの映画のすばらしさと思うんだよね。
妻が専業主婦だった時は、趣向を凝らした料理が毎日出てきたものだが、お互い働いている今、なかなかにそういう料理ができようもなく、私も料理はできるがなかなか動けない。働き盛りと言われる世代ではありがちではないだろうか。
となると、やっつけの料理に走りがちだったり、外食に走ってしまいがちだたのだが・・・やはり、健康を考えるとそれではいかんと妻と二人で話し合う。
妻がそのころを思い出して何を食べたい?と聞いてくれるので、「肉じゃが」と、まぁ、男性にとってあこがれの料理としてイメージされるナンバーワン料理をあげてみておいた。実際、こういう手間のかかった料理はなかなか食べられないし、私も作れないわけではないのだろうが、あまり作る気にもならない料理だったりするので、リクエストできる時にはしておこうかと。
ということで、今日は妻がこんなに手間のかかった肉じゃがを作ってくれた。
これはやっぱり男にとって夢の料理と言って良いのじゃないかな。なかなか、食べられないよこれ。
そりゃ、お寿司とかステーキとか、自分の最も好きと思う料理はあるし、それらは自分で作ってきた。でも、こういう身体に優しい料理をつくってもらうのはやっぱり夢と言えば夢。
作ってもらってばかりか?という問いもあろう。私も折に触れて料理はする。
私の方は、お汁粉を大量に作っておいて食べてもらったわけだが(昨日食べ終わり)、これは妻からのリクエストではないが、身体を思ってのやさしい料理と言えるのではないだろうか。
お汁粉と言えば、いかにも女性的な甘味であるが、わが家では私の大好物。妻はそこまで好きではないようなのがちょっと不思議。
女性にとっての夢の料理を作ってみたつもりが、私の方が好きだとはね(^-^)
今日はとても寒い。比較的温暖な関東地方にしても寒い。
そして思う、北海道で過ごした日々を。
水曜どうでしょうの企画 - Wikipedia を見ながら・・・そして、今や関東でも見られるようになったテレビ番組「水曜どうでしょう」の再放送を見ながら思いだすのだ、北海道での日々を。
なんか、胸いっぱいになるのだ。
まぁ、今は、なにかいろいろ満たされない思いで、でも、一種の諦観を持って生きている部分がある。なにか必死にあがいてはいるものの、どうにもうまくいかない部分が多い。
で、北海道にいた若かりし頃はよかったかというと・・・別にそうでもない。いろいろ満たされぬ思いを抱えていたようには思う。それは今も昔も同じなんだろう。多分、ずーっと満たされることもないんだと思うよ。
確かに、流れるように過ぎていくのが人生だろう。こっちに流れたかった、あっちに流れたかったという思いもあるのだが、思うにまかせず結果として流れたものが人生なわけだよね。
寒さってなんか人生を考えさせるものがある。北海道にいた時はかなり考えたものだ。多分、寒さのあまりインドアにいることを余儀なくされる部分も多かったかもしれない。
そんなわけで、なんかひたってしまった冬の寒い日であったわけで。
まぁ、一人暮らしを経ないで結婚する人っているよね。これって、あまり回り道をせずに結婚した人に多いんだろうけど・・・それはそれで安定した人生ルートと言うことは言わずもがなだが・・・
私は学生時代から一人暮らしをしたりしていたわけだが・・・「もてない」なぁとか思いながら、「もてない男の心の語り(現 その後の語り)」というページとかを作っていた時代も長かったりすると、どうにもどうにも回り道をしている感じが否めなかったわけだが・・・
そんな状態で一人暮らしをしていると、なんかそれでも優雅にしたいものだという負けん気みたいなものが生まれてくるわけで。
そんな中でし始めたのが、風呂の中で雑誌なり新聞なりを読んでみるということ。これは思い立ってやり始めるといいのだよね。
これが実家であれば、みんなの新聞をどうしたの?という迷惑がかかり実質的に不可能になりがちだし、結婚しても同じようなことで難しい。
でも、一人であれば、そのうち捨てる雑誌に新聞なら、惜しげなく風呂の中でも読めるわけだし、ちょっと優雅な気分にひたれるわけだ。長い間回り道をした人ならではの、常識破りの技というわけだ。
まぁ、今日は久々それを思い出して、風呂の中で新聞を読んでみた。実際、新聞をゆっくりよむという時間もないし、いつもそのまま捨てることになってしまう(妻は読んでいる)わけで、風呂の中でくらい読んでみようかと。妻はなにするのかな?と怪訝そうであったけれども。
独身時代を思い出して、風呂の中で新聞を読んでみて、それはそれでよかったのだけれども、独身時代は気張って優雅な気分でいたが、まぁ、まんざらでもないかもしれない。どうせ読まないで捨ててしまうくらいなら、こうやって使っていくのもいいではないか。回り道で体得した技である。
さて、今日は3連休最終日。ただでさえ、土日の連休明けの日曜日の夕方になると、サザエさんブルーという言葉さえあるくらいで明日からの仕事を思うと憂鬱なもの。これが3連休となるとそのブルーたるやいかばかりであろうか。
まぁ、社会人になる前から、学生時代も連休明け前のブルーはあったから、まぁ、生きるというのは悩みつきぬもの。
でも、今日はそこまでのブルーに至っていない。
これはいろいろな要因が交錯しているのだろうからなんとも言えないところだが、今日の午後から夕方にかけてある映画を見たことがいい結果を生んでいるのではないだろうかと思ってみたりしているのだ。
映画「ザ・マジックアワー」(-goo映画)を見ていたのだ。まぁ、テレビも面白いものがないし、借りておいたこれを見ようかという軽い感じで見たのだが・・・
この映画、言わずと知れた三谷幸喜作品である。最近ではかつてほどはもてはやされていないが、三谷作品の底抜けの明るさはやはりあった。
暗くなりがちな、連休終わり間近の頃に、このように底抜けに明るく笑えるドラマは本当にいい。
じっとしているとあまりいい考えもしない頃合だから、何を考えたか、妻と二人で溜めに溜めたレシート整理をして家計簿つけをしたりするという、ある種、ダラダラした3連休の最後になってとてもマメに動いてしまったりしていたわけだが、そこでこの映画を眺めながらやっていたらいつのまにか夕方から夜になり、最後まで見きってしまった。
底抜けに明るく、すこしはほろっとさせるが、それも笑いを絡める三谷作品の明るさに引っ張られて、うまくブルー時間帯を切り抜けられた気がする。
その意味では、この「ザ・マジックアワー」は本当に連休明け前のブルーに効く映画と思われるのだ。
三谷作品らしい明るいストーリー、そして、とにかく笑いに持っていくプロット、そして、三谷作品ならではの芸達者たちの共演。悪くない。
まぁ、すごく深いストーリーではないから名画とは言えないのかもね。でもね、こういう軽く元気にさせてくれる映画ってあってもいいと思うし、必要だと思わぬでもないなぁ。
昨日の土曜日は3連休始まりということで、本当ならワクワクドキドキしていてしかるべきなのかもしれないが、まるで一日家にいてしまった感じの一日であった。
早起きはしているんだよね7時台には起き出していたんじゃないかなぁ。その前金曜日の夜 今日の一語り: 金曜日の夜更かしの不快 を更新したのが1時33分だから、その後に寝たとなると・・・まぁ、割に早起きなんてわけで。
まぁ、金曜日の夜更かしも不快だと語ってしまうくらいで、すごいハッピー気分で迎えたわけでもなかった三連休初日の土曜日であったが、朝のゴミ出しなんかは元気にやっていたわけで。
朝食も私が作り、結局、昼食も私が作ったりしていたわけだが、ただ起きて食べてしていても・・・もう夕方という感じでね。
3連休なのに全く出かけないのも、ちょっともったいないなぁという思いもあるが、外も寒いしなぁと思いつつ、本格的には外出しないまま一日が終了に至ってしまった1日目だった。大半をパジャマで過ごしてしまったというわけで、ガチな引きこもりだよなぁということで。
夜は、テレビ番組もさほど面白いものがなかったので、「ベルサイユの子」( - goo 映画)というフランス映画を見ていたのだが、静かな映画で引き込まれるように映画も半ばのところで22時頃眠りに落ちたようだ。結局かなり疲れがたまっていたらしい。
ガチで引きこもって、ガチで眠り込んだ一日だったのが、3連休の始まりの一日だったということで。正月長期休暇明けの仕事は思いのほか疲れてしまうものだったような気がしたわけで。
まぁ、単純に明日から連休だぁと楽しめる時もある。
ハナキンなんていうおめでたい言葉があった時代もある。それは、景気が良かった時代。
不安いっぱいの今の世では金曜日はなんかやり残したことがないかと不安になりつつも、疲れピークだというアンバランスで不快な夜であることもあるわけで。
身体の疲れはピークだから、下手な考え休むに似たりというやつで、あまりグッドアイデアが出るわけでもないのに、疲れているから寝たいのに、精神的にはフル回転の週日の勢いが慣性で残っているがごとくたかぶっていて寝られなかったりすると夜更かしになる。
次の日は休みだという気楽さもあるのだが、決して、うきうきと起きているわけでもなく、週日の仕事の惰性を引きずりながらというのは愉快なものでもないのだ。
今でも金曜日の赤提灯はにぎわっているところも多いと思うが、そんな不安をかき消すための金曜飲みであるのかもしれない。
ともあれ、もう寝よう。
大好きなテレビ番組「水曜どうでしょう」の再放送が23時台にあったりする日が多いのでその日は仕方ないなぁと0時近くまで起きてしまうこともあるのだが、本当はもう少し早く寝たいものだと思ってはいる。
でも、今はやっぱり生きにくい世の中なのかなぁ。明日のことを思うと深夜に面白い番組があるとついつい見てしまったり。ちょっとした憂さ晴らしなんだろうね。
昨日は「アメトーク」を見入ってしまったり。
23時から0時をまたぐ時間帯には結構おもしろいそこそこお金のかかった番組がくることが多いように思える。
生きにくい世の憂さ晴らしとしての効果をテレビ局も分かっているのかもしれない。
ちょっと苦しいよね、二度寝の朝。
昨日は23時の時報を待つやいなやという時点で寝入っていたらしい。22時前まで、20時頃から芸能人のカラオケ他事会のような特番をテレビで見入ってからお風呂に入ったんで別にすごい早寝というわけではないけれど日をまたぐくらいまでは起きている私としては早寝だなぁ。少し肉体仕事をしたから疲れていたのかもしれない。
ということで、朝4時に目覚めるた今朝。そのまま起きていてもいいのだが、ちょっとこなすべきよしなしごとをこなしていたら5時近くに。
私がガタゴトしていたら妻も目を覚ましたので、ちょっと話をした。だって早寝すれ違いで話ができなかったし、カラオケ特番は私の趣味で見ていたので妻もつきあってはくれたが、まぁ、それがためにあまり話せなかったということもあるので。
男の私は風呂入ってぱっと寝られるのだが、女性であると髪を乾かしたりの時間が長くかかるようで寝たのが1時近かったという。23時から二人で見ようと言っていた番組は私が寝てしまっていて一人で見たというすれ違いだったらしい。
1時寝では寝不足だろうと、つきあって二度寝することに。自分自身もこれで起きていたらまた疲れる一日になるであろうということも想像ついたことも大きかったが。
その時間から2時間とか寝ると起き出しにくいし苦しいねということで。睡眠時間は5時間+2時間=7時間と確保できたからいいんだけど、妻との早寝すれ違いもやや苦しというわけで。
昨日は妻が飲み会ということで、あまり夕食へのモチベーションが湧かず、余り物のパンとシチューですませようとしたら、妻を迎えに駅まで行ったついでに買い物をしたら、軽く夕食と買ったおかずが余りにも美味しくていっちょ前の夕食になってしまう。そのおいしいこと。 食べ過ぎだなぁと感じた今朝。 朝ご飯いらない・・・って感じだもの。
今はマクドナルドにいるわけだが・・・ポテトLについてくる福めくりが目当て。なんか100円相当のマクドナルド製品が当たるとのこと。貧乏性だなぁ。「ポテトL単品、こちらでってさ」 しかも、水つけてもらったし。それでも290円かかるんだから、貧乏人のちょっと立ち寄りには十分贅沢かも。福めくりは幸いコーラSが当たったので格好が付いたんだけどね。早速引き替えたり。
さて、最近も勉強を継続しているんだけど、不思議なもんで、家じゃ勉強できないって人も多いよね。どこに行くかって、喫茶店だったりする。ここマックでも高校生っぽいのがよくいるし、今だっているんだけど。 贅沢だよね、僕はお金がなかったから公共図書館に行ったり 、予備校の自習室だったりさ・・・なんか朝早く行かないと席が取れなかったりしたもんだけどね。そんな蛍雪時代みたいな話は今は昔かな。
昔話はともあれ、今は貧乏人ながらも可処分所得は多少なあるから、勉強部屋代わりにカフェを使うことも多い。家にいると集中できない部分もあるから・・・これは不思議なんだけどね。
今は貧乏性発揮してマックにいるけど、普段はあまり落ち着かないここはつかわない。
みなさんはどこを使うかなぁ?
スターバックスが代表するシアトル系カフェの方も多いんじゃないかな?
確かにスタバは集中できるしいい。値段が高い分、雰囲気に気を配った構造だし客層も落ち着いていて勉強するにはもってこいだ。広い机もある場合が多い。 でもね、私はここでナンバーワン勉強カフェとしてドトールを挙げたい。 スタバだと、ある場所がまだまだ限られているが、ドトールはけっこうどこにでもあるというのが大きい、こと関東地方においては。 そして、大きな机がある場合が多いのだ。そしてこーひおは最低で200円からと貧乏な私にも対応してくれている。 まぁ、今日はマクドナルドで勉強だけど、明日はドトールかなぁ。それくらいお気に入りなのだ。
マクドナルドもそれには気づいてきているようでマックカフェというのも限定店舗で始まっているようだしね。 安かろうの大量消費では勉強族なり落ち着きを求めて喫茶に入る人たちを引き留められないということが分かってきたらしい。
ま、そういうことで、好きでもないけど今日もカフェ勉強に励むわけで。
昨日いきなり・・・
で語ったように、お汁粉を作らんとして小豆の戻し方が足りず、また、塩を入れすぎて、固いししょっぱいしというお汁粉を作ってしまい今年初めての失敗と相成ったわけだが・・・
早速、そのリベンジにと、小豆を買って再度チャレンジした今日。
今回は圧力鍋にて。そういえば圧力鍋を持っていたんだと気づいたわけで。私がお汁粉を自作していた頃は、圧力鍋なんて便利なものはなかったからなぁ。でも、小豆が固くて分かった。こういうのこそ圧力鍋でと。圧力鍋についてきた落としぶたなんかも使った。なるほど、こういうものにはいいかもしれないと思わされつつ。
参考にさせて頂いたレシピサイトは 30分で出来る料理レシピ お汁粉(ぜんざい) とてもわかりやすかったわけで。
やり直しのお汁粉、ほぼ完成。今度は美味しそうにできました。今度は、塩はほんの少しにして調整済。
ここまで作ってわかったこと。
要は料理は愛情であると言うこと。
今回は圧力鍋を使って手間をわずかに省いたが、基本的には、一回煮出して、再度よく煮て、砂糖・塩の分量間違えずという手間を惜しまないことが重要だと言うこと。砂糖・塩で味付けしてしまった後にいくら煮ても小豆は柔らかくならないとのことで、そのへんを怠って、疲れていたこともあり、いろいろ省略して失敗したのが前回であったことがよく分かった。
それくらいの手間を惜しまずかけるというのは、まぁ、確かに食べる人を思っての愛情がなければできないことで・・・
料理は愛情って・・・確かにそうだなぁと思った次第。
まぁ、今回は小豆を250gも使って大量に作ったところだが、作った今日はあまり食べられないと思うので、明日以降のお楽しみかな。少し時間をおいてから温め直して食べると味がしみて美味しいようなので、まぁ、楽しみだなぁということで。
正月ということでたくさんお餅があったりするわけで、私は大好きなので昔はよく小豆から戻して作って食べたりしていたことを思い出し、小豆を買ってきて豆から小豆を炊いてみる。かなり久々。
かなり美味しそうにできあがったわけだが・・・これは見かけ倒し。
小豆の戻し方が足りなかったようで、かなり硬い。また、砂糖の量は適正ながら、塩を入れすぎな感じでしょっぱさが先に立つ。
新年いきなりの失敗。
昔よく作っていた頃は、頻繁に作っていたからレシピも頭に入っていたのだろうが、今はだめということ。
新年早々の失敗ということでややめげるが、失敗の上に成功はあり。まぁ、失敗は慣れたことよということで、今年初めての失敗話ってことで。
さ、がんばろ。
正月3が日の初売りは、さながら戦線とも言うべき混み方をするもので・・・例えば、プランタン銀座の福袋争奪などは毎年ニュースねたにさえなったりするものですよね。
以前はとんと興味がなかったものの、私もかつては妻とデートをする必要に迫られた時、よく分からないから、とりあえず着ていたブランドたるエディーバウアーの福袋をゲットし急場をしのいだという経験以来、福袋はよく選べば、そしてこだわりがない分野であれば、売れ残りの詰め合わせであったとしても、お得であることが多いことに気づき、正月初売戦線への参戦をここ数年来続けているのだ。
毎年のようにエディーバウアーの福袋を買ってきたが、エディーバウアーの福袋はコートなりダウンジャケットなりのアウターが必ず入っていて、それらは充足してきたので、今年は、無印良品の福袋に絞ってみた。
無印良品の福袋もかなりよくて、以前は、紳士服の袋や、ステーショナリーの袋を買ってきたが、いずれもお得感が高かったので、今回はそれのみ。
正月、1月1日元旦に、休日の朝にしては早く起き出し、無印が入っているお店に走り開店時間前に列に並びつつ・・・
いつもながら、前日に紅白を見てから寝るわけで、その日をまたいで寝る中での早起きは・・・年末年始連休中だというのに勤勉たることだと思いつつ・・・今年の元旦は特に寒いですな。
さて・・・その結果は・・・
無事に買うことが出来ました。最前線はなかなかに混戦の様相を呈していまして、みな袋に殺到し、ある程度中が見られるものですから2個もってどっちにするかためつすがめつする人などがいたのは前年通り。
私のためにはこの1,050円のステーショナリー袋をば。
また、妻のために婦人服の袋(3,150円)を買って帰ったわけですが、どちらも大幅にお得感があるので満足感大だったわけで。ただし、いろいろこだわりを持っている場合は、要らないものも多いなぁという思いも出てくるかもしれない。
今年も、初売戦線に参戦したわけだが・・・今回のようにMUJI一本で絞るとかにすれば・・・疲れは少ないかなぁという感じで。いつもはへとへとであるのでね。初売参戦は絞り込みが必要ということだろう。
参戦後はなぜか喫茶店で一杯お茶するのが常であるが(多分それくらい疲れているわけだろう)、ミッションを遂行して飲むこのココアもうまかったわけで。
明けましておめでとうございます。
この「今日の一語り」も主に自分の近況やその時々の思いを語りつづけてかなりの年数が経ちました。ここまで続けてこられたのも読者の皆様のおかげと思います。
その意味でも、今年一年も昨年同様の変わらずのご贔屓をと切にお願いする次第です。
昨年はいろいろなことがありました。人生をかけたチャレンジでの挫折もあり、部分的ではありますが成功もありました。今年もチャレンジが続いていくと思います。そのへんも語らせていただくこともあると思います。
また、昨年は、このウェブ日記を続ける上で大きな原動力となっている手動日記更新報告サイトであるテキスト庵の10周年オフ会に参加させていただいたことも、この今日の一語りでの1年を振り返る上で大きなイベントでした。みな様々な思いを持ちながら書き連ねているということがわかった気がします。一作者としてコミットし続けてきたウェブ日記という分野への思いが深まった気がしました。そして、私もウェブ日記作者として、気持ちも新たに日常よしなごとを書き綴っていくんだろうなって思います。ぜひぜひ御寛容にお見守りいただければと思います。
昨年一年を振り返ってみても、正直、たとえばテキスト庵のオフでウェブ日記作しゃの大家の方々にお会いできるとは思っていませんでしたし、まぁ、挫折はしたくないけれどもしてしまいましたし、以外なところでの成功もありました。
その意味では新鮮な一年だったと思います。
今年一年どんな年になるんだろう。人生をかけたチャレンジは継続しますが、ほかに何があるのかはまったくの未知数。そりゃ楽しいこともありゃ、そうじゃないこともあるのが世の常でしょうが、含めてその新鮮さを楽しんでいければいいな、そんな余裕を持ちたいななんて思いながら今年を始めたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。