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朝ドラに見る格差社会、でも、私はB子的なる人が好き

 連続テレビ小説「ちりとてちん」を妻がよく見ているらしい。

 まぁ、私は、仕事に行っている時間帯だからいわゆる朝ドラは通常見れないわけだが。

 以前の「どんど晴れ」は録画して夫婦共々楽しみで見ていたのだが、今回のは特に興味は出ていないのが私。

 しかし、妻がよくあらすじを聞かせてくれるわけだが・・・いわゆる、格差社会だなぁと感じさせられた。

 要は、主人公はちょっといけてない貧乏な家柄の女の子の設定。同姓同名の同級生がいて、そっちが金銭的にも、容姿的にも、家柄的にも格上で、いわゆる「もてる」存在なんだけど、そっちを「A子」を主人公を「B子」とあだ名される設定にしているのが、非常にドラスティックな描き方。

 まぁ、A子は小さいながらも工場の社長令嬢であり、母親もステキ母設定。主人公たるB子はどうも貧乏さが目立つ伝統工芸職人の娘。A子設定のキャストにはきれい目の女優を使い、B子設定の主人公には、演技力には定評あれど、グラドルというわけでは決してない子を使っている。

 今日の一語り: ドラマ「女帝」を見た~ひさびさにはまりそうなドラマ、そこに感じた格差社会への憤り~ で語ったように、以前見てはまっていたドラマ「女帝」も非常にえげつなく家柄的格差を見せつけて、視聴者の不快感をあおっていたが、この、ドラマの中のドラマで模範的たるべきN|HK朝ドラでも、かくもA子、B子と格差設定をしてきたかと驚きを感じた次第。

 連続テレビ小説「ちりとてちん」登場人物を見ても、なるhど、A子演じる佐藤めぐみさんは、いい感じであり、いかにもいかにもお嬢様である。そしてドラマの流れでも、主人公B子の幸せをどんどん吸い取っていくような、それも無邪気に奪い取っていくようなストーリー流れだそうだ。B子はそこに引け目を感じて大阪に出るも、そこでまた、A子に再会、自分が好きになった男性がA子に一目惚れみたいな設定だったりしてね。

 なんかこう格差をえぐく描いてくるところが、最近の、世知辛い世相を反映しているようで、なんか複雑な心境だ。

 まぁ、でも、私はA子的なる人は実はあまり好きではない。

 A子たる和田清美なる登場人物の説明を 連続テレビ小説「ちりとてちん」登場人物 から引用すると「性格も優しく誰にでも好かれるが、喜代美(主人公B子)が自分に劣等感を感じていることには気づかず、大親友だと思っている。」となっているが、やはり好きになれない。

 私は、個人的に「もてない男の心の語り(現 もてない男のその後の語り)」というページを長年書き続けてきている男だ。要はコンプレックスには非常に共感でき、そして、あまりに完璧すぎると、なんだかなぁという思いを持つたちだ。

 だから、A子的なる者は好きになれない。B子的なるものは非常に共感ができるし好ましいと思うのだ。

 私の妻はやっぱり、B子的なる感じなんだよね。じゃないと、私のコンプレックスを包容してくれるはずもなく、そして、私は妻のコンプレックスを包容できる。

 A子的なる者同士のカップルもあってもいい。お互いの優秀性を切磋琢磨しもっと高めていく。教科書的な夫婦像であろう。

 でも、私みたいな者から見ると、なんだかうさんくさささえ感じる。そんな教科書通りのことがあるんだろうか?世の中そんなにまっすぐじゃない、いろいろ挫折があったり、

 私と妻、大いなる挫折ばかりの人生のような気がするんだよね。一番初めの結婚式のキャンセルだって非常にドラスティックなことだが、大いなる挫折だった。妻の入院だってしかりである。しかし、そういう挫折を乗り越えてなんとかやってきているのはお互いB子的なる者同士、あんな時よりまだましだよねというコンプレックスの共有があってこそだったのではないか。

 まぁ、そんなわけで、私はB子に非常に共感しているわけだし、妻はB子的なる者だから私は好きになったんだろう。

 落ちとしてはね・・・妻はB子的なる者なんだが、私にとってだけはA子である、あくまで私にとってだけはね。

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