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団塊の期待が団塊ジュニアの心をつぶすという状況

 市橋容疑者:「医者になれなかった」 死体遺棄は黙秘 - 毎日jp(毎日新聞) を読んで心が痛んだ。

 テレビでは連日、この事件の容疑者逮捕のニュースで持ちきりであるし、2年以上にもわたって逃亡生活を送った容疑者の生い立ちが微に入り細に入り報道されている。

 その中で、私が興味を持たざるを得ないのはその生い立ちの部分でいろいろその生い立ちを追っていたのだが、リンクの記事を見てはっとしたのだ。容疑者の父は医師、母は歯科医師であり、職業について「(医者に)なれませんでした」と供述しているという部分。

 あぁ、これこそ団塊ジュニアの葛藤の現われだなぁという・・・思い。

 容疑者が容疑をかけられている死体遺棄容疑に関してはとうてい容認できるものではないし、その後の逃亡生活も容認できるものではない。

 しかしながら、容疑者が受けてきた団塊ジュニアとしての圧迫感は共感してあまりあるものがあるからだ。

 医者家系で、容疑者本人も高校までは優秀だったと聞く。でも、医学部というのは確かに入るのは難しい。受験戦争が最も厳しい世代である団塊ジュニア世代にとって、医学部に落ちてもなんら不思議ではないのだが、このような供述が出るということは容疑者にとってよほどトラウマであったに違いない。テレビで報道されている生い立ちを見ても、どうやら大学受験浪人をし、医学部に受かれず、私立大学の2部(夜間)に行くも中退、22歳で千葉大学園芸学部に入学という学歴らしい。

 私も団塊ジュニア世代ではあるのだが、この学歴遍歴はすごくよく分かるのである。

 団塊の方々は右肩上がりの経済成長期に社会人になってきたので、労働力が金の卵として尊重されてきた時代であったわけで、例えば、高卒でも管理職にもなれる場合も少なくなかったろうし、大卒であればもっとエリートコースに乗れた、大卒の中でもいい大学であればもっと上が狙えたというように、比較的学歴が自分のキャリアや収入に直結してきた世代である。その子らにはより高い学歴を求めさせる傾向にあるように思われる。少なくとも自分より上をいってほしいと明示的にも暗示的にも子に求めてくるのは自然なこととも言える。

 さて、そのような明示的・暗示的な期待を抱かれて育った団塊ジュニアたちは、素直にがんばる場合が多いのである。

 期待に応えられればいいのだろうが、今では高校卒業はかなり当然となっていて、大学に行くのもかなり一般的になっていて、ベビーブームも重なり受験戦争が激化している。その中で、団塊の親たちの期待はふくらむ一方で、よりいい大学を、よりいい学部をとエスカレートしてきてしまう。その期待に応えるにはものすごく大変なのである。特に医者家系ともなれば、医学部に入ることが期待されてしまうから大変である。

 私も、ものすごい受験戦争に巻き込まれた世代であるから分かるわけであるが、団塊の親たちの期待に応えるには本当に大変であるのは実感で分かる。

 その思いをここで・・・例えば、センター試験の受験生がんばれと語ったりしたこともあるが、その際に、「大津さんにとっていい思い出なんですね」というコメントをいただいたりしたことも覚えているが・・・決していい思い出ではないのである。それなりに世間的に評価される大学に入ったかもしれないが、それは、親の期待に応えるためであって、自分が望んだかと言われれば確たる確信はない。少なくともスポンサーである親の意向を尊重しなければ親の金で大学に行くことは許されないのではないか。また、単純に、親に愛されたいが為の行為であったかもしれない。どちらにしても、そうしなければ私は生きていけなかったであろうから、がんばったんだろうと思う。

 でもね、決して、気持ちのいいものじゃなかった。落ちたら自分の立ち位置がなくなるという切迫感のもと圧迫されながらとにかく受からんがために勉強するというのは。

 ただ、団塊の親世代は、「あなたのために」という大義名分を旗印に、いい大学にいくことを強いてくるものである。その圧迫感たるや大変なものである。

 それをクリアしたとて 今日の一語り: 団塊世代に複雑な思い で語ったように、団塊ジュニアたちは、今、決していい思いをしている人たちは多くはない。かなりの人がボーナスさえ下がるし、賃金をカットされているところだって多いわけだ。

 容疑者は千葉大学という国立大学に行ったからいいではないかという思いも世間的にはあるかもしれない。しかし、医学部を目指していた(医者家系であるから、暗示的にも目指させられていた可能性も大きいが)容疑者にとっては満足はいかなかったに違いない。自分にとっての満足という観点よりは、親の期待に応えられなかったという思いから。

 それが、冒頭の「(医者に)なれませんでした」という供述になるのは想像に難くないところに思えるのだ。

 上記のような考え方から、そう、団塊の期待が団塊ジュニアの心をつぶすという状況は大いにあると思うのである。

 もちろん、そのようなトラウマを負ったからとて犯罪をしていいということではない。決して犯してはいけない行為はある。

 ただ、団塊の期待に応えられず心をつぶしてしまう団塊ジュニアがいるということ。また、その団塊たちは、 今日の一語り: 団塊世代に複雑な思い で語ったように、高尾山を我が物顔で平日昼間からお散歩しているとなれば、なにか複雑な思いにとらわれるのである。

 また、団塊の期待に応えられたとして、調子のいいほんの一握り以外は、右肩下がりの世の中、団塊の方々が期待したようには学歴を活かせず世間並みの憂き目にあっているとなればなおさら複雑な思いを抱かざるを得ないわけだよね。

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