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東大への道を歩く

 昨日の日曜日の散歩の続きを語ろう。

 麹町の東京グリーンパレスでたらふく食べた後、その後はいわゆる東大への道とでも言うべき道を歩いてみた。

 東大への道なんてものがあるのか?そういう道がかつてあったのだ。

 そういえば、雑誌「AERA」最新号(3/17号)で「東大卒「人生格差」」という見出しがあるようなのだが・・・

 世の方々は東大に入ればすべて安泰という考えをお持ちなんだろうか?多分そうなんだろう。
 であるからこそ、そう、東大信奉とでも言うべき社会通念を頑迷にお持ちだからこそ、こんな見出しが成り立つわけだ。

 なるほど、東大に入れば世間一般で言うところのエリートコースの世界には入りやすいだろう。しかし、エリートコースに入ればそれで左うちわで生きていけると思われているのがおかしいところで、そういう道に入ったら入ったで例えば眠れない日々が待っているというわけで。それを乗り越えるのは自分自身なわけで決して東大が力を貸してくれるわけではないからね。

 だから、私から見れば東大信奉などは若干現実性に薄いと思うのだが・・・

 ということを語るするのも、麹町で食事を力一杯しながら思い浮かんだフレーズが「番町・麹町・日比谷・東大」というフレーズだったから、その道を歩いてみようかと第一の散歩ルートを定めたため。

 そう「番町・麹町・日比谷・東大」というのはいにしえの東大信仰を表す言葉であり、まぁ、番町小学校、麹町中学校、都立日比谷高校を経て東京大学に合格するというのが、今で言う受験キッズやお受験ママの夢のコースだったから。そのために越境入学をさせることが流行ったなんて聞くんだけどね。高校の偏差値と受験: かつてのエスカレーターコースは今?という記事は実際にそのコースを目指してこのコースに乗ったひとの体験談である。
まぁ、都立日比谷高校が東京府立一中だった頃の威光が残っていた頃の話だから、もう何十年も前の話になるんだが。調べてみると1950~60年代での東京大学合格の全国一位が都立日比谷高校だったらしい。その後、あまり評判のよくない学校群制度を取り入れた都立高校が進学成績において凋落の一途をたどって、日比谷高校も学区のトップ校ではあるものの東大合格者が激減してからはそういう話もなくなったようだが、まぁ東大信奉というと先の「番町・麹町・日比谷・東大」という言葉が思い出され、せっかく近くまで来たんだから行ってみようかと歩き始めた次第で。

 番町小学校にまず行ってみる。千代田区立である。千代田区といえば私が小学校で習ったときからもそうだったように昼間人口に比して夜間人口が極めて少ない土地柄。校庭を眺めてもそこに土はない。狭く囲われた固いグラウンドの空間である。セキュリティ面では優れているのだろうがここまで囲われていては、ちょっと刑務所内の運動場のようにさえ連想させてしまうが、このへんの地価を考えれば仕方ないことはわかる。その分、校舎は非常に新しい感じで外に掲示されているし、掲示されていた校内活動報告も立派で、やはり周りの富裕層が通っているのがよくわかる感じに感じられた。調べてみると、麹町ウぉーカーNo100(番町小学校)に詳しいが、とても歴史のある名門校らしい。なるほど。また、このへんの地名が二番町とか四番町など、~番町という地名で・・・なるほど、そこから番町という地名になったのかなという推測がついた。

 次に麹町中学に行ってみる。こちらは番町小学校よりも広い感じ。周りにはホテルなどが多く、私が行った日曜日は就職活動帰りなのかなぁという感じのスーツ姿が目立ったりした。校舎は古い感じである。番長小学校から麹町中学に行く途中の麹町界隈には参院議員宿舎があったり、どうにも、政治色が強く感じられる。こういうところで小中学校時代を過ごせば、どうしてもゆくゆくは政治家を目指してしまうかもしれない。そのためには政治家を実際的に補佐する行政官僚を目指すのが近道であることは今も昔も異ならない、となると東大に入ろうという志向に直結するのは疑いないのかもしれない。


 お次はかつてはその東大への直結校的意味合いのあった都立日比谷高校である。府立一中という府立高校ナンバースクールの正当的流れをくむ日比谷高校は、今で言う開成高校や灘高校などに比肩するような圧倒的な東大合格率を誇っていたわけで、そのような威光は、例えば、井上ひさし氏の小説「青葉繁れる」などを読むとよくわかる。番町小学校ここにいたると場所的にはもう国会議事堂のすぐ裏ともいうべきところにあった。自民党本部なんかも見えちゃいそうだし、ぐるっと回っていくと料亭なんかが並んでいる道に出ちゃったりして、そして私は国会議事堂前の地下鉄駅に着いてしまったりしていた。こうなると、前述のような政治志向もあいまって、いやがおうでも日比谷高生は東大を目指してしまってしまったのではないだろうか。最近は学校群制度も廃止されてきており、日比谷の復活の線も出てきているようである。

 まぁ、こんな感じで実際に東大への道を歩いてしまったわけだが、なかなかに興味深いものがあった。実際に歩いていみると、なるほど、そんなものかなぁと肌で感じられるようなところもあったりもした。昔の受験生たちの息吹を肌で感じられるような気もしてね。 その道を歩ききった者が幸せになったかどうかは定かではないが、多くの者がこの道を歩きたがったということも事実であろう。

 それから、国会議事堂前から電車に乗ってもう一つの散歩スポットに足をのばしたわけだが、それはまたのお話。

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