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広島市長平和宣言を読んで

 今日は職場に着いたら、8時15分は過ぎていた。

 そうか・・・今日は原爆投下の日、そして、原爆投下の時間、8:15は通勤途上で過ぎたんだなと感じながらも、今日の仕事の奔流に巻き込まれていったわけだ。そう、結構忙しかったかもしれない。

 帰ってきて、妻が、朝の広島平和記念式典の中継を見た話をしていた。平和宣言の話も出た。

 それで、夕刊を開きつつ、秋葉広島市長の平和宣言の全文を読んだ。

 すばらしい主張であった。ここまで明確に反戦を唱え、憲法9条のすばらしさを主張する公人は他に類を見ないのではないだろうか。

 昨年の8月10日の一語り「広島・長崎を素直に分かろう」、一昨年の8月7日の一語り「原爆の日に実感する平和の尊さ、現憲法の尊さ」で語ってきたような考えを持っている私にとって、その平和宣言は実に心打たれるものであったのだ。

 平和の尊さ、戦争の愚かしさ・・・その当たり前のことを素直に分かっていけば、軍を持とうとか、核の威力を欲しいとか思わないし、思えないと思うんだが。そのことを、平和宣言は素直に分かられてくれる。

 私にとって、夏の暑い日、この時期は、平和を考えざるを得ない時期だ。

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コメント

私もサラリーマン時代は通勤途中に8:15が過ぎていたのを覚えています。お互いこの時期になると色々と平和について、考えますね。秋葉市長の平和宣言はすばらしかったですね。

私のブログへのコメントありがとうございました。嬉しかったです。

残念ながら、戦後の日本の平和は
憲法9条によるものではありません。

言うまでもなく自衛隊及び、
何よりも日米同盟を破棄にした
米軍の抑止力による物です。

『とにかく、軍隊は持ちたくい、
僕達は例え、国民が何人殺されようとも、好き勝手に侵略されようとも、武力で抵抗はしない。』
もしくは、
『相手から武力攻撃を
受けそうになったら、
徹底譲歩で、どんな不当な要求でも受け入れる。』
と言うなら、そう言う思想を
持つのは自由ですが、
それは『和主義』では全然ないはずです。

イラク戦争などに対しての反戦運動が、日本では諸外国に比べて少なかったのは、日本の自称平和主義者達が、軍隊の存在その物が悪かの如き、主張をして来たため
反戦運動自体に胡散臭さが伴ってしまう為でしょう。

ヨーロッパ等で反戦活動をしている人間は、けっして自国の軍隊その物を廃止しろとは言いません。

当たり前です。『平和維持』の為には『軍隊の存在』は必要不可欠なのですから。

日本の自称平和主義者の方は、
仮に自衛隊を廃止して、米軍も
日本から出て行っても、本当に
平和が維持できると信じているんでしょうか?
まさかそんな事はないでしょう。。

「アメリカに向かって打たれたミサイルを日本が打ち落としたら行かん!」とか言う人が平和主義者とされているこの国・・・
何処か間違っているとは思いませんか?

(すいません。
誤字脱字が多すぎたので
打ち直しです。
上の書き込みは良ければ削除してしまってください。)

--------------------------
残念ながら、
戦後の日本の平和は
憲法9条によるものでは,
ありません。

言うまでもなく自衛隊及び、
何よりも日米同盟を背景にした
米軍の抑止力による物です。

『とにかく軍隊は持ちたくい、
我々は、例え国民が何人殺されようとも、
好き勝手に侵略されようとも、
決して武力で抵抗はしない。』
もしくは、
『相手から武力攻撃を受けそう
になったら、
徹底譲歩で、
どんな不当な要求でも受け入れる事で戦争は避ける。』
と言うなら、そう言う思想を
持つのは個人の自由ですが、
それは『平和主義』では、
全然ないはずです。


イラク戦争などに対しての
反戦運動が、日本では諸外国に
比べて小規模だったのは、
日本の自称平和主義者達が、
「軍隊の存在その物が悪」
かの如き主張をして来た為に、
反戦運動その物に、
なんとも言えない胡散臭さが
伴ってしまう為でしょう。

ヨーロッパ等で、
反戦活動をしている人間は、
けっして自国の軍隊その物を
廃止しろなどとは言いません。
当たり前です。
『平和維持』の為には『軍隊の存在』は必要不可欠なのですから。

日本の自称平和主義者の方は、
仮に自衛隊を廃止して、
そして米軍が日本から出て行っても、本当に平和が維持できると信じているんでしょうか?

まさかそんな事はないでしう。。
この国の平和主義者の言う『平和』とは一体なんなんでしょう?

「アメリカに向かって打たれたミサイルを日本が打ち落としらアカン!!」とか言う人が、
平和主義者であるとされているこの国・・・
何処か間違っているとは思いませんか?

 国際法上、国連憲章第51条に定められている集団的自衛権は日本も持つものの、憲法上その行使は許されないというのが、ほかならぬ政府の公式見解なわけですから、なんの間違いもないでしょう。

 抑止力という幻想から軍拡、核軍拡競争で東西両スーパーパワーが疲弊して、軍縮の道に至っている歴史は周知の事実。軍が抑止力になったと言い切れる根拠がありましょうや。

 人殺しの手段たる軍隊を持つことを声高に叫んでもなんらの正当性は認められないでしょう。

???・・・。
それは、『アメリカに向かって打たれたミサイルを、日本が打ち落とす事は、集団的自衛権の行使にあたる。』と言う事が「なんの間違いもない」と言うだけの話ではありませんか??

僕が、問うているのは
『アメリカがミサイル被弾しても、俺等は知らんわ。と言う態度の何処が平和主義なのですか?』
と言う事ですよ。
言われなくても、お分かりでしょうが・・

北朝鮮などが、日本に向けてミサイル発射準備を始めた際に、
そのミサイル基地を叩く事を否定する様な人間が平和主義者と言われる事も全く意味不明です。

それはつまり、ミサイル打ち込まれて国民が死んでもしょうがない
・・と言う理屈なのですから。

それとも、ミサイル打ち込まれそうになったら、どんな不当な要求でも受け入れるのですか?

それとも我々が憲法9条を順守してれば、北朝鮮も中国も何処も
攻撃なんてしてこないお考えですか?

もしそうなら、
そういう方が、人は力を持てば暴走する物だ・・言うのもおかしな話ですが・・

こう言った質問に論理的回答を示す自称平和主義者を、
僕は見た事がありません。

冷戦期の過剰な軍拡競争に疲弊しての軍縮の流れが、軍の抑止力の幻想の証明になると言う理屈も
失礼ながら意味が分りません。

寧ろ、非武装中立など叶うはずも
無いと言う事こそ、人類の歴史は証明しているでしょう。

まあ、あんまり場を汚しても
失礼なので、これ以上の書き込みは自重しますが、無防備でも平和は維持できるなどと言うのは、
完全なる幻想だと言う、
当たり前の事ぐらいは理解して頂きたいです。

シークレットコード入力忘れを
二度に渡ってしてしまいました。
失礼しました。

僕が言いたいのは、
『「平和」主義者』
を名乗るならば、
「自衛戦争ではない不当な(侵略)戦争には断固反対」
であり、そして、
「不当な侵略には『平和維持』の為に、必要な措置は取りまよ。」と言う立場であるのが、当然でしょう?と言う事だけです。

かずさんにとっては気分の良くない書き込みなのかもしれませんが、是非真剣に考えていただきたい物です。

それでは。。失礼しました。

 自衛のための戦争という区分けですが・・・先の大戦で、日本が、大東亜共栄圏防衛という、言ってみれば「自衛」という大義名分のもとに、組織が個人を侵害し、公然と人殺しをしてしまった反省を素直に省みれば、戦争というものを絶対的に容認できるはずもないでしょう。その意味で、人の殺し合いたる戦争に自衛うんぬんの区分けは意味がないと思われるのですが。

 非武装中立という崇高な理念は、尊く当然の理と信じていますよ。

 ミサイル攻撃をされたらという恐怖をあおり、軍備拡張をあおる論法も、あたかもデマゴーグ的扇動を感じます。
 軍ができて得するのはどこですか?決して個々人が温になることはないでしょう。個々人の福祉の予算を削り、そのゆな扇動のもと、軍備のために経費を割くとしたら、それは容認できかねる扇動の結果となりましょう。

 激化している格差社会で貧しさのもとに死んでいく人も多々いる中、ミサイルの脅威という扇動のもとますます軍備に社会的費用をつぎ込むとしたら、個々人の幸福をないがしろにする行為にほかならないでしょう。

 第二次大戦においてその矛盾を身をもって知らされた先人の守ってきた非武装中立という考え方は大事にしていきます。

質問を含むお返事を頂いたので、
一応お返事返します。
もし迷惑であれば、その旨伝えて頂ければ、以後如何なる場合も
コメントは控える事をお約束します。

『どんな戦争も自衛の名の下に行われて来た。』と言う側面は、
確かに無くは無いでしょう。

しかしだからと言って「自衛戦争」と言う区分に意味がない事にはならないでしょう。

もう一度言いますが、北朝鮮が日本に対してミサイル発射の準備を始めた時、それを叩く事すらも
『自衛』ではないのですか?

台湾がもし本気で独立を考えた時、侵攻してきた中国軍と戦った場合でも『自衛戦争』では
ないのですか?

もしくはそんな区分には意味がないのですか?

であれば、こう言う場合一体どう言う措置を取れと言うのでしょう?
どんな要求も受け入れるのですか?
座して死を待つのですか?

こう言う事態を想定しておく事が
『恐怖を煽って、軍事拡張を狙う
デゴマーク的煽動』なのですか?

現状の世界情勢を考えれば、
国家の安全を考えた時、
当然想定しておくべき範囲内の事でしょう。
そう言う場合に対して、備えをしておかない事は、寧ろ『平和』に対して無責任な態度だと思いますが。

ましてやこの国は、
人権思想など全く無く他国民を平気で拉致する国や、独立を阻むために平気で軍事的圧力を掛ける様な国がお隣さんなのですよ。。

『人は力を持てば、暴走するもの。』とまで言い切るかずさんが、北朝鮮や中国の様な国は
信用なさるのですか?

僕とて、例えば中国がやっている
様な、台湾独立を阻む為の不当な軍事的圧力は最低だと思いますよ。
しかし逆に言えば、現在の台湾は
その中国の不当な圧力から自国を守る為にも、軍事力と言うの物が絶対に不可欠。
まさか、これは否定しませんよね?

立場は違えど、他国からの不当な
侵略や圧力を回避する為には
最低限の軍備は必要と言う点では
日本だって全く同じですよ。

昔、テレビタックルで森永卓郎が

『非武装中立でいい。もし攻撃されたら竹やりで戦えばいい。
もしそれでこの国が滅んでも、
「昔素晴らしい理念を信じている国があった。」と、
それでいいじゃないか。』

と言う趣旨の発言をしていた事がありました。
当然、周りは失笑に近い状態。

しかし、この発言はある意味正直ですよ。
少なくとも『非武装中立・憲法9条』≠『平和』を認めている発言なのですから。

『たとえ自国民が犠牲になろうとも、自国が侵略を受けようとも、
非武装中立と言う高貴な理念の為なら、そのリスクも受け入れる。』と言うならば、
そう言う考えを持つ事自体を、
僕は批判しませんよ。
賛成は絶対出来ませんが。

しかし日本の自称平和主義者は
『憲法9条、非武装中立』=『平和』と言う、真っ赤な嘘である事が明々白々な事を言うから、
僕は虫唾が走るのです。

ましてやこんな嘘の主張をして議員
などしてる様な人間に対しては『恥を知れ』と言いたいですね。

ココまでのコメントで僕が質問させていただいた様な事に、まともな回答を示す自称平和主義者は
日本には皆無ですよ。

僕は何も、福祉費を削って軍事費に回せなどとは、ただの一言も言ってません。
軍事費自体を、そんなに拡張する
必要は無いけども、
少なくとも自衛の為に軍隊を持つ事を憲法に明記し、
自国に向けて発射が準備されてるミサイル基地を、叩いて帰ってこれるだけの装備と法的根拠ぐらいは最低限備えよと言っているに
過ぎません。

「軍が出来て得をするのは何処か」ですか?

戦後の日本の平和は、自衛隊や日米安保の存在なくしては考えられませんよ。
とだけ言っておきましょう。

大変長くなってしまいました、
失礼しました。

 どんな大義名分を唱えようとも、人の殺し合いたる戦争は許されてはいけないですし、人殺しの手段たる軍隊は持ってはいけないでしょう。

分って頂けているとは思いますが、僕は決して荒らしや嫌がらせのつもりでなく、
誠実に意見させてもらったつもりでいます。

それだけに、僕の質問に真正面から答えず、そういう文言に逃げてしまわれた事は残念でなりません。

何度も言いますが、
僕は、かずさんが上のコメントで仰っている様な思想を持つ事自体を批判するつもりはありません。

僕は全く持って賛成出来ませんが、一つの思想のあり方ではあるでしょう。

ただし、その考えは
『イコール平和』では全然無いのです、これは自明です。

日本の自称平和主義者は、
その事を突かれると、
結局、この様に議論から逃げてしまいます。現実逃避です。

最後にもう一度だけに言いましょう、『どんな大義名分を唱えようとも・・・』は、
一つの思想の形態としては、
『あり』でしょう。
(僕は全く持って賛成出来ませんが)

しかし、その思想を貫くには
『平和を犠牲にする覚悟』が必要なのであり、そこを誤魔化して
平和主義だとうそぶいている様では、「思想のあり方」の前に、
論理的に完全に破綻しています。

8月9日の長崎原爆の日に寄せた語り「長崎原爆に思いを馳せ、戦争はあってはならぬものとの思いを新たにす」(http://www.webnikki.org/mt7/archives/001950.html)で再び語ったとおりなのですが、「どんな大義名分を唱えようとも、人の殺し合いたる戦争は許されるまじ、人殺しの手段たる軍隊は持つまじ」ですね。
 人を殺すことは許されないということは人間である以上議論の余地のない公理ですから。
 いくらその上に大義名分を乗せようとも人を殺してよい道理はないのです。

 NHKの「一期一会 キミに聞きたい!」という番組(http://www.nhk.or.jp/151a/list/list.html)の8月4日放送分の広島の大学生と予備自衛官補の語り合いを見たのですが、広島の大学生は本当にいいことを言っているなと思いました。議論は平行線で終わっていましたが。

 人の殺しあいたる戦争は許すまじ、その手段たる軍はあってはならないという思いは変わらないので、再度8月9日に語らせて頂いています。

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