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そうか、それで悪くはなかったのか・・・

 かつて、数年に及んで忠実に精根尽くして従事していた仕事があった。多分、自分に結構合っていた仕事だったろうし、そして、今思えばその仕事を愛していたと言うこともできる感じの仕事。だから、かなり精通したとも言えよう。

 いくら愛しても部署が変われば仕事も変わるのが勤め人の常である。だから、僕はその仕事を離れたわけだ。近くの部署に移ったため、その後任者・・・そして後任者の後任者からもアドバイスを求められれば協力していたりしたので、たまにその仕事に触れられたのだが、今はまったく遠く離れた部署に移ったため、その仕事に触れる機会はほとんどない。
 今や、あの仕事もまったく他人のものなんだなと思うと、一抹のさびしさは否めない時もある。もちろん、希望もあって部署を変遷してきているのだから文句は言えないのだが。

 「大津さんっ!!」・・・昼休みの後・・さて午後も仕事かぁと机に向かっていると後ろから声がかかった。振り向くと・・・むむ??・・・そう、その仕事の後任の後任者として僕も何度か協力したかつての年若の同僚であった。

 その同僚も異動で、どちらかと言えば今私がいる部署に関連したところに来たため、あいさつにきてくれたとのこと。

 「大津さんにはお世話になりましたから・・・」

 お世辞かもしれない。でも協力したのはまる2年前くらい、ここ1年間はほとんど音信もなかったわけであるから・・・覚えていて訪ねてきてくれるっていうのは意想外に感激だった。だからこそ、知らせに来てくれたのは感激だったし、とても、びっくりだったんだ。

 今もそういう傾向はあるが、昔の私は「おれはこれだけやっているんだ」という自己効力感を誇示したいところがあった。それを見ていた先輩から「仕事ってのはな・・自分が評価するものじゃなくて他人が評価するもんだからな」と諫められたことがある。

 愛した仕事を伝えた相手に、ひとつ義理を立ててもらった・・・その点で・・・そっか僕もあながち間違っていなかったかと思えてね。

 ありがとう、わざわざ来てくれて・・・と思えたんだ。

 2年も前の義理を覚えていてもらった・・・。愛するほど仕事に入れ込まなくったって給料はもらえるよね(実際「仕事は仕事」という言葉もあるよね・・・今時の若者にはそういう傾向が強いように思えていた)。愛してやってみて、でもお給金は同額だったしその仕事は今やひとの物。そんなものだよなぁという無常観もなきにしもあらずだったので・・・そっか・・仕事を愛してみたのも悪くなかったなと思い返せたんだ。

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