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人生はピンボールのようなもの

 最近、まぁ、仕事は忙しい、終わる気配がない・・・。そんな時に、家に帰ってゆっくりしたいなぁと切に思いつつそんな時は何をしたいかなあと考えるのである。
 なぜか最近は「ピンボール」がしたいと思うのである。妙なことだが、エスプレッソでも片手にピンボールをチョコチョコやりたいと切に思うのである。

 まぁ、実物ではなく、Windows付属のゲームのだけどね。
 
 「ピンボール」といっても最近は実物はあまり見かけない。私が幼かった頃はは温泉場のゲームセンターなどで見かけたり、デパートの上のゲームセンターにあったりしたものだが、最近は見かけない。しかし、Windowsの付属ゲームとしては健在。ソリティアやマインスウィーパーといった静的ゲームに比べてかなり動的である分、人気も高いのではないだろうか。とにかく僕は好きである。
 でも、別にずーっとやり続けていては飽きるもので、つい最近まで放っておいたのだが、つい最近からまた始めてみた。面白い。

 なんか、人生の無常みたいなものを感じるんだよね・・・ピンボールやっていると。

 ピンボールって、まぁ、ある程度狙って打つ。でも、打ってしまったあとは玉の転がる運任せな一面が強い。また落ちてきて返す時にある程度の操作可能性が生まれる。その繰り返し。
 ピンボールで高得点を狙うには、まぁ、ターゲットが決められるのでそこに向かって狙って打ち返すのだがなかなかうまくいくものではない。ほとんどは運と言ってもよいかもしれない。しかし、10%くらいはうまく行く。だから狙いを定めることをやめることはできない。
 まったく狙わずに打ち返すよりは少しでも確率を上げるべく狙っていく方が高得点につながる可能性は高まる。しかし、どんな名人でも、どんなに練習を繰り返しても、100%うまくターゲットを射止める技など身につけられない。それがピンボール。

 すごく人生の過程に似ていると思わない?

 人が人生を生きる時・・・まぁ勉強をするのでもいいし、練習に励むのでもいい、ある目的に向かってがんばる。でも、うまく行く時もあるが、たいていうまく行かない。だから挫折するか妥協するかである。でも、ある程度うまく行く可能性も保留されているのである。だから、目的に向かって狙いを付けてがんばるしかないのである。それが資格を目指すことでもいいし、学校を出ることでもいいし、劇団でアクター目指してがんばるのでもいいし、スポーツの分野でがんばるのだっていい。みんな人生において目的を定めて狙っていっている。でも、たいていはうまくいかない・・・。

 まさにピンボールは人生の過程そのものと見えてこないだろうか。

 もし、この語りを読んでいるみなさんのPCがWindowsであるならば、ピンボールを開いてやってみるといい。なんかそんな風に思えてくるんじゃないかな(^-^)

 以前、この「ピンボール」が大好きな人がいた。かなり年配者だったのだが、とても熱中してやっていたのを見ながら・・・まぁ、私も好きは好きなんだけど、そんなにひきつけるものはなにか理解し得なかったのだが、もしかしたら「人生の無常を感じる」というひそやかな魅力に惹きつけられていたのかもしれない。

たかがピンボールされどピンボール、いろいろ解釈次第では奥が深いものにも映ってくる。

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