もてない男、結婚式を挙げる

1.結婚式を挙げられなくて

 語り「結婚しました」で私と妻が今年の2月14日に結婚したことを語りました。

 そこに至るまでの紆余曲折は日々つけている日記的エッセーの「今日の一語り」の”結婚論”カテゴリーをご覧いただければだいたいおわかりいただけると思いますが・・・

 2004年末に出会った私たちは、二人想い合って結婚を決意、2005年10月末には式を挙げようと準備していたところ、あと2週間で式だというところで妻の病気入院で結婚式を断念せざるを得なかったのです。

 その後、その治療の甲斐あって妻の病気も快方に向かい、籍を入れようということで、2006年2月14日に入籍したのです。

 ただ、ひとつひっかかっていました・・妻にウェディングドレスを着させてあげられなかったこと・・・。やはり女性としては着たかったでしょう、男である私が思うに余りある思いです。また、一生に一回しかできない結婚式というものを挙げられなかった・・・それはしょうがないか・・・そんな風に思っていました。

2. 新聞記事をきっかけに

 そんな時に・・・妻がある新聞記事を見つけました。神奈川県の川崎駅前の地下街「アゼリア」が20周年を記念して人前結婚式イベントを行うというものでした。

 なにかの事情で式を挙げられなかったカップルまたは夫婦を3組、募集というもの。

 妻の身体も大分良くなってきたことだし、ここはいっちょ応募してみよう。もし、受かったら結婚式を挙げようね・・・と。

 そう、私たちは、こんなイベントでない限り、結婚式はできないだろうな・・・と思っていたところだったのです。

 だから、ある意味そういう公開イベントでの結婚式に抵抗感はなきにしもあらずではあったものの、これまでの紆余曲折を正直に書いて応募したところ・・なんと、受かったのです。そう、結婚式を挙げられることになったのです。37組の応募があったとのことですが。

アゼリア誕生20周年記念イベント 人前式 in Kawasaki Azalea

 

○ 2006.11.11(土) 14時〜15時

○ 川崎駅前地下街 アゼリア内 スタジオアゼリア

 

 川崎市長が立会人としての人前式であり、その他、サプライズゲストも来て頂けるイベントとのこと。

 それにしても、こうやって結婚式を挙げられることが本当にうれしかったですね。

 一生に一度、みんなに祝福される時があったっていい・・・そんな風に思っていたこともありますし、妻がウェディングドレスが着られるのがとてもうれしい。こんな幸せなことはなかったです。

 ただ、ここに至るまで、いろいろ準備等あって私も体調を崩し、私が治ったと思ったら、今度は妻が体調を崩し・・・なんとかかんとかこぎつけた・・・そんな式だったんですよ。実は(^-^) 

3. 式の当日

アゼリア誕生20周年記念イベント 人前式 in Kawasaki Azalea・・・川崎駅前の地下街であるアゼリアが20周年を記念して行ったイベントの一環の人前結婚式で結婚式を挙げたのです。

3組同時の人前結婚式。地下街ですので、始まりの時からギャラリーがたくさんという感じでなかなかに緊張の瞬間であります。

 人前式イベントの流れの一環として、誓いの言葉のあとに、指輪交換・・・いっちょまえにやってみました。まぁ、妻が退院してからずーっとはめている1年間ほどはめつづけてきた指輪ですが、やはりあらためて指輪交換をしてみると感慨深いものがあります。

 川崎市長が立会人代表として出て頂けたのも光栄でしたし、サプライズゲストとして、当日まで私たちにも秘密であったゲストが、アグネス・チャンさんで、とてもとても暖かい言葉をかけていただきとっても感激でした。

 ここに至るまで、やはり、紆余曲折があった分・・・本当に嬉しかった。

 川崎市長からも暖かいお言葉をいただけましたし、なんといっても、サプライズゲストで来て頂いたのが アグネス・チャン さん!!すばらしい言葉をいただけました!!

4. 誓いの言葉

 人前式ということで、要は立会人含めギャラリーの皆さん全員に証人になって頂くというニュアンスですので、「誓いの言葉」を話さなければなりません。

 ここが私たちの一番の正念場だったわけですが・・・私たちは次のような誓いの言葉で宣誓しました。

私たちは皆様方を証人として結婚式を挙げることができ、まことに幸せに思います。

ここで結婚式ができたということを一生の思い出に、これからはいっそう、助け合い、いつくしみあい、励まし合いながら、生きていくことを誓います 誓います

 ネットでの公開の都合上、多少編集した部分はありますが・・・おおむねこんな感じです。赤字の部分は妻も話した部分。多くは私が話しました(やはりそのへんの押し出しは私の方が慣れていますので・・・)。

 原稿を読み上げるのもちょっとなと思い、暗記しての本番でしたが・・・きちんと言えたので、ほっとしたところ。私にとっての一番の正念場でした。

 やはり、私にとっても、多分妻にとっても何ですが・・・「生きていく」・・・これが私たち夫婦の永遠のテーマなんだと思います。それを強調したくこの誓いの言葉を起草しました。

 私としては「生き抜いていく」という文言にしたかったのですが、妻に言わせるとそれではあまりにも演歌調というか・・・コミカルになってしまうとのことで、「生きていくことを誓います」という感じでとどめました。

 精神的に弱い私を妻はいつも支えてくれていると思います。その感謝の気持ちも込めて宣誓したつもりです。

5. 入場BGMについて

 入場のBGMについてもかなりこだわりました。以前、ここの読者から私たち夫婦にぴったりですよと紹介して頂いた曲を使ったのです。

 

 navy&ivoryの「指輪」(歌詞はこちら、オフィシャルサイト n&i discography で試聴出来ます)

 本当にいい曲です。私たちは「生死」という重いけれども重大なテーマに直面するところからのスタートでした。妻の入院で結婚式をちょうど1年前にキャンセルしたところなどにドラスティックに現れているのです。

 だからこそ、使いたかった。

 「約束します。君を残して、僕は死にません。」

 で始まるこの曲を。そして、入場の時にこのフレーズで始まるこの曲を使ったのです。「死ぬ」という忌み言葉が入るのが特色の曲ですが、そこがまた私たちにぴったりでした。

 とってもいい入場ができたと思います。そして、私たちでさえぐっと来た気がします。

 この曲を紹介してくれた読者さんには感謝を表したいです。

6. その後、妻が倒れる

 さて、そんな幸せな結婚式をさせて頂き、その翌日の新聞の地方版にもかなり大きく取り上げて頂いたこともあり、みなさんからその後も引き続き祝福をいただくという幸せにも囲まれていました。

 ただ、妻が倒れたんです。

 「麻しん」というやっかいな病気で。またの名を「はしか」ですが、そのやや軽めな語感からは想像もできない、なってしまうと大変な病気です。高熱が何日も続き、食事ものどが通らなくなります。感染力も強く、接触者にはかなりの確率で感染してしまう。そして、治療法がないわけです。自分の免疫で治っていくしかないわけです・・・せいぜい熱冷ましの薬を対症療法的に処方されるだけなのです。

 だから、その後1ヶ月間くらいは私が家事を主に引き受けて妻の看病につとめという感じ。

 まぁ、誓いの言葉を即実践に移さねばならないという感じで(^-^)

 結婚式からほとんど間をおかずにこの事態でしたから、まぁ、それこそぎりぎりのタイミングでの挙式で、挙げられて良かったわぁという感じではあったのです。

7. そして、今

 今は、妻も完全にとはいきませんがどうやら回復してきました。1ヶ月程度に及ぶ私の家事代行もどうやら一段落。二人でお出かけもできるようになっています。

 やはり、幸せですね。

 苦労があればこそ幸せを感じる余地がある。そんなものです。

 思えば、ジェットコースターのような人生です。病気で式キャンセルと思った翌年にはイベントでの挙式、その後、また、病気、そして回復。振幅が激しすぎる気もしますが、これもまた人生。

 一歩一歩山越え谷越えやっていこうと思っています。思い通りにいかないのが人生ですから。

(2006年12月20日)

戻る