1. 広島へいこう
そうだ、広島に行こう・・そう思ったんだ。そう、前々からいきたかったんだ・・通ったことはあるけど、巡ったことのない街。
旅欲求の高まっていた今・・・行ってみようと思った昨日、残業帰りによったみどりの窓口のお姉さんと、「広島行きのバスに空きってあります?」「1席だけ」「じゃあ、それいただきます」「はあ?」「あ、予約お願いします」みたいなやりとりをして、僕らしくぎりぎり滑り込みセーフで手に入れたチケットを持って、今バスを待っている。
今日も仕事に行ったのだが、スクリーンセーバーに「8時ちょうどの♪夜行バスにて♪わたしはわたしは貴女か〜ら〜♪旅立ち〜ます〜♪」と流していたら、傷心旅行と思われつつそれもあながちうそではない感じで・・・広島行きのバスを待っています。
そう、本当に8時ちょうどのバスなのさ(^-^)
2002年3月20日(水) 19:40 東京駅地下にて
2. 広島を踏みっ
やっと着いたよ。広島。
やっぱ遠いもので、昨日の夜8時ちょうどのバスに乗って、着いたのがだいたい朝8時くらいだから、まるまる12時間乗っていたわけだね。そういえば、以前ニューヨークに行った時も、成田-ニューヨーク間の直行便の飛行機には14時間も乗ったのだが、そのときは時差ぼけもあってかなりつらかったのだが(語り「成田離婚」参照)・・・今回は仕事帰りに8時ちょうどのバスに直行したので、そもそも、その前の日が残業、その前の前の日が飲み会ということで疲れがたまっていたのであろう・・・12時間まるまる眠り込んでいたので、楽であったと言えば楽であった。
だいたい、バスなんて寝る以外にやることもないので、昏々と眠れればそれはそれでとても幸せである。
そうそう、バス旅とかに出る前によく職場の同僚から食べ物の差し入れを受けるわけ(カロリーメイトとかシリアル系の食べ物とか)だが、今回は、ワニのスティックというユニークなものをもらった。なかなか面白い(^-^)喜んでいただこうと思っている(^-^)
ということで、今、広島の大地を踏みしめている。
こういう風に突然旅に出ると、どうして広島に行くの?とか聞かれることが多いのだが・・・あまり明確な理由がない。
行ったことがないから行ってみたい・・・その好奇心がメインな理由なのだが・・もう少し各論にわたる理由としては・・・
原爆に関して学んでみたいと思ったことがある。そう、よく小学校における社会科の授業において平和教育の一環として原爆のことを習うわけであるが、その現場を見に行きたいということがあった。かの原爆ドームも見たことがなかったわけで、29歳になった今初めて訪れるという意味では遅すぎる広島訪問とも言えるのかもしれないのだが。
では、これから行ってみようかと思うよ。
2002年3月21日(水) 9:18 広島駅新幹線口の喫茶店でモーニングを食しながら
ということで、原爆の爆心地の方面に向かうことになった。バスに乗るのか、路面電車に乗るのかという選択肢があったわけだが、広島では路面電車やろという意識のもと、路面電車に乗ることにした・・・それにしても、広島は路面電車が大きな役割を果たしているものと思われる(札幌とかと比しても全然、路線が充実していて距離的にも長い)。だから、路面電車もすっごく近代的な車両が目立つ。路面電車という古典的な乗り物に、サイバーさえ感じさせる近未来的な車体というアンバランスさが、路面電車といえば、札幌の路面電車、東京なら東急世田谷線、そして神奈川県鎌倉の江ノ電とかに慣れた僕にとっては新鮮に思えたのだ。
そんな路面電車に乗って、とことこと原爆ドーム前まで来る。
今朝は、雨がざーざーと降る天気であった。その中で眺める原爆ドーム・・・
これが原爆ドームかあと、迫力を感じる。ただ、単体で見るとそれなりに大きく思えるが、現代のビルとかに比べるとそんなに大きくは感じられない。しかし、これだけの建物をこれだけ破壊してしまう原爆の威力というものはひしひしと伝わってくるものだ。しかも、柵の中にはがれきがそのまま散らばっているのだ。
そこから公園の中をとことこと歩いていくと、広島平和記念資料館に着く。50円というとても安い入館料を払って入るわけだが、そこからがかなり勉強になった。
広島が日清戦争から始まって、どんどん軍都として(同時に学都としてもだが)発展していったことなどはここに来て初めて知ったことであるし、また、原爆の投下地点の決定過程というのも興味深かった。戦時中の耐乏生活のことも展示品を通してひしひしと伝わってきた。
ただ、その前半の展示はまだまだ原爆の周辺的知識ということがほどなくわかることになる。後半の展示こそ本番なのである。
そう、原爆の被災者の遺物や遺構が展示されているのである。ケロイドの標本、抜け落ちた髪の毛()折れ曲がった橋桁、ガラスの突き刺さった壁、原爆症の出た患者の写真などなど・・・そして、小学生の時習って記憶のまざまざと残っている、爆心地で腰掛けていた人の影が残っている石段もあった。
ぼくがこの石段の存在を知ったのが、小学校高学年の頃だから、10歳くらいであったろうか・・29歳の今、実物にであったわけだ。とても感慨深かった。
実にショッキングであった。そう、頭で覚える・考える知識以上に、訴えかけるものがあった。そして、切に平和の大切さ・必要さを感じ取れた。
原爆は悲惨なものである。
平和ボランティアの方が解説をしてくれるのだが、実際に被爆し、ガラス片を首に受けた方などの話を聞くと、やはり、生な意味で原爆の罪深さを感じられるものがある。
私は、大学時代、国際政治学の単位を取ったことがあり、その際に、原爆を作ったマンハッタン計画の詳細から、原爆の仕組み、そして、その後の冷戦における核の役割など・・・かなりまじめに勉強したことがある。かなり専門的なものであったが、その授業のひとつの結論としても、核抑止力(ようはどちらかが核を持つことにより相手を威圧できるという力)は幻想であり、核をどんどん増やし続けていく結果になっていくというものであったと思う。
そう、だからこそ、世界に核があってはいけない・・・これは当然の答えであるが、世界に核は現存している。
唯一の被爆国の被爆地として、その悲惨さんを訴え、世界の核をなくさねばならない・・・このシンプルなことを訴えかけてきているこの資料館はとても貴重なものに思えた。
平和の大切さ・・・本当に実感できた。
p.s. そういえば、今日、3月21日、この平和記念資料館・・改装で新展示オープン当日だったとのことで本当にタイムリーな時に偶然訪れてしまったようです。
2002年3月22日(木) 0:40 広島県宮島のホテルにて
4. お好み焼きを食べる
まあ、原爆を学び、気分的にはお腹いっぱいという感じではあるのだが、やはり現実お腹はすいてくる。
ということで、広島といえば、お好み焼きということで・・・繁華街にある
お好み村
というところに行った。
ビルの2〜4階がすべてお好み焼きの屋台然としたならびである。昔はやった屋台村のお好み焼きバージョンという感じである。
一足はいるとすごいのである。もういらっしゃいいらっしゃい空いてますよのかけ声でさ(^-^)まるで、市場みたいなもんである。
なんか、迫力あるおばさんの呼び声に引き寄せられるようにあるお好み屋さんに入ったが、もう注文聞く前から焼き始めちゃってたりして・・・「あの〜お好み焼き、そば入りで」って注文する頃には半分できているの(^-^)まあ、トッピング系はあとから入れればよいので、それでも十分間に合うのだが・・・それにしても手慣れた手さばきで迫力あるおばさんやったなあ(^-^)
広島風はこんな感じで、皮は薄くて、具がたっぷりという感じよね(^-^)おいしかったよ♪
2002年3月22日(金) 0:52 広島県宮島のホテルにて
5. 景色を愛でる〜宮島・錦帯橋〜
広島に来た大きな目的の一つが原爆であるが、もう一つは、宮島の厳島神社の大鳥居をみたいと言うことであった。
原爆が1945年であるのに対して、厳島神社は平安時代の平清盛の時代に隆盛を極め、その後、戦国時代の毛利元就が合戦をした場所としても有名であり・・・時代的には結構さかのぼることになるが・・・
有名な鳥居だと思われる。日本三景の一つである・・・そういえば、日本三景は、この厳島神社と天橋立、そして、仙台の松島の光景であると言われているから、僕は、今回、ここ厳島神社を訪れたことにより3つすべてを制覇したことになる。松島は仙台に住んでいた9年前にすでに行っていたし、天橋立は去年の夏に行った。そして、ここである。
海の中の鳥居・・・天気はよくなかったが、それはやっぱり迫力のあるものであった。
そして、宮島といったら・・やはり名物はカキであるので、カキを食べまくってみた・・・そう、最近僕は大変カキが好きであり、広島に来たのもそのせいもあるのかもしれないが・・・
今日食べたカキ丼
さて、次に行ったのが、錦帯橋である・・・そういえば、昔、ネスカフェのテレビCMの違いのわかる男”錦織”さんバージョンで舞台になっていたところであり・・・まあ、宮島自体が、広島から結構西なわけで・・・そこからもう少し、西に行くとその錦帯橋のある岩国である・・この岩国は山口県になる。
錦帯橋とはこんな感じの橋である・・・
アーチ状の橋の形が独特であり・・・これもまた、その存在はずいぶん昔から知っていたが、なかなか行く機会がなく、今回ようやっと来れたというものである。
まあ、宮島も錦帯橋も一度は見ておきたい・・・そういうものであったから、今回見ることができてとてもよかったなあと思う次第。天気がちょっと悪かったのが玉に瑕なのだが。
2002年3月23日(土) 1:38 広島市のホテルにて
5. 広島の街再評価
ということで、3月23日の夜から24日にかけては、再び、広島の街を歩いたわけであるが・・・
うん、とってもいい街だなと感じた。
今まで、札幌とか仙台とか地方の大都市に住まってきたが、同じように地方大都市としてのよさがぞんぶんに発揮されているところであった。そう、東京並みにいろいろそろっているところでありながら東京ほど混雑しておらず、快適であるという点が大きい。
また、交差点の歩行者はだいたいにおいて地下街を通るようにしているのもなかなか画期的なものと思えた。これにより、車の交差点での待ち時間が少なくなり、結果、路面電車がスムーズに移動できるわけで・・・見事な工夫だなと思われた。そして街並みも整然としている。
しかし、その背景には、一度、原爆によりすべてがなくなってしまってそこから再構築したためという悲しい背景があることも忘れてはいけないのである。
そういえば、仙台にすんでいた頃、広島出身の知人と、仙台と広島はどちらが大きいかという論争をしたことがあった。まあ、僕は当時広島に行ったことがないし、仙台を愛しているわけで、論争は平行線に終わったが、今回初めて来てみて、広島は仙台に負けず劣らずいい場所だと再認識したわけで。そう、規模とか、地下街の見事さなどは仙台を凌駕するものがあることもわかった(それでも私は仙台も大好きな街である)
いい街であった・・・住むんならこんなところもよいな・・そんな思いを残しつつ、この街を去る。
2002年3月23日(土) 18:52 広島発夜行バスを待ちながら(今度は7時ちょうど)
6. 旅の終わり
ということで、3月24日(日)に再び関東に戻ってきました。
うーん、旅の終わり、ほっとするとともに、何か切なさを感じますね。今日が日曜日で明日から仕事だという状況もある影響しているのでしょうか。
まあ、夜行バスで帰ってきたので、朝から今日は一日きちんと動くことが出来たので(しかも夜行バスは強制的に起きなければならないので寝坊ということもなく)・・日曜の夜帰ってくるよりも切なさは少ないと思うのですが・・・まあ、夜行バスもはっきり言って疲れるものなので、そろそろ卒業したいのですが・・まあ、お金が安いということ、そして、このように時間を有効に使えるということから、どうも独り身ですとそれから脱することは出来ないようです。
まあ、そのうち、ステディな彼女でも出来ましたらその時は、夜行バスで一緒に帰るべやというわけにも行かなかろうということで、自然と消滅するのでしょうが、そういうこともとりあえずはないわけです。
でも、広島・・・やはり、なんかまた違う文化を見ることが出来たという感じであります。そう、そんな文化の違いを感じて、そして、自分の日常から遊離する感覚・・これが旅には重要なのです。それでこそリフレッシュできるというものです。今回の広島旅・・・それは十分に果たせたと思います。
広島・・・食べ物もおいしかったとですよ。カキもおいしかったし、お好み焼きも・・関西のものほど安くはなかったけどおいしかった。
では、また、旅に出たくなる時までさようなら。
2002年3月24日(土) 23:39 自宅にて眠る前
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