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2010年03月24日

中年の疲れた二人が驚いたこと

 あーっと叫んでしまった・・・テレビを見ながら。

 人生に疲れきってきている中年男の私が、そんな驚きを表するのはめったに無いことだ。

 そして、妻においおい見ろよと言いつつ、二人であーって感じ。

 先日観た映画映画「ゴールデンスランバー」で殺人鬼を演じていた強烈な雰囲気を出していた俳優さんがアフラックのCMに出ていたから。

 おいおい、彼だよって・・・二人で驚きつつ。それくらい、強烈な印象を残した人であったわけで。

 「まねきねこダック 新入社員」篇で、ほのぼのした感じの演技をしていたから、どうにもつながらなくて、えー違くない?とかひとしきり驚きあったわけで。

 確かに、映画に出ていた、濱田岳さんであった。とてもいい俳優さんだと思う、ほかにない迫力がある。

 人生にも疲れて、日々にも疲れて、少々の刺激には鈍感になってきている年代であるが、たまに、そういう刺激があるといいかなってわけで

2010年03月15日

人生上のルールを変えた衝撃

   私にとって、食は人生の一大要素であるわけだ。

 人生つまんなくなれば、なにかおいしいもの食べようという事で、うまいものを食べていればなんとなく、ま、がんばろうってことになるし、それで乗り切ってきたわけだ。その意味では食は人生なりと言える部分がある。

 また、私にとって食事というのは米飯であるということがある。やはり、よく食べる私にとっては、腹もちいいのは大きな要素であり、その意味ではパン食より米飯でないとメシを食べた気にならないという人生上の大きなルールがあるわけだ。

 しかし、その人生上のルールをひっくり返す出来事が。

 最近乗っていなかった体重計に今朝乗ったら・・・ちょっと太ってしまったわけで・・・かなりの衝撃。

 多少太っても、米飯食は欠かしてこなかった私だが・・・今日の昼は・・・

ミックスサンド

 ミックスサンドとかにしてしまったのだ(^-^)米飯当たり前、できれば大盛りみたいな生活を続けてきた私にとってはとっても異例の出来事。

 でもね・・・米飯でないとお腹がもたんと思っていたのが、実は、結構もってしまった・・・もう年なんだなとか感じつつ、人生上のルールも加齢に伴い改訂の必要が出てきたかと思うわけで。

2010年03月14日

トイレのつまりとりに思う、独り暮らしはしてみるものだということ

 まぁ、私は独り暮らしはしてみるものだという主義を持っている。まぁ、その方が楽だし経済的にもよいということを盾に実家を離れない苦労したがらない若者層が多いとも聞くが、甘ったれているなぁという思いを隠せない。

 独り暮らしでは苦労する。親のありがたみも分かる。学生での独り暮らしであれば、まず、食事が自動的には出てこないし洗濯物もたまるという事態に直面したりするし、社会人であればノリのきいたワイシャツは自分でアイロン技術を会得するか、お金を払ってクリーニングを頼まなければ出てこないものだ。私などはアイロンも少しやったし、アイロンも買ったりしたのだが、おおむねクリーニング屋に頼んだりしていたが、クリーニング屋に頼んだりすれば楽かといえばそうでもなく、出して引き取ってというところが手間で、そのころは若かったから週末は遊んでしまうなりなんなりで、平日にずれ込むと大変だった。朝に出して、夕に受け取るということができる店を見つけておいたのは最高に便利だったのだが、残業シーズンで夕に受け取るというのがなかなかできないシーズンであったが、残業していると明日着ていくものがないというせっぱ詰まった事態になり、とうとう「すみません、クリーニング屋行くので今日は帰らせてください」などと職場の先輩に正直に言ってしまったこともある(^-^)まぁ、職場では笑い話になって、さぁ帰れ帰れと言ってくれたのはいい思い出であるが、これも独り暮らしをしなければ学べない教訓である。

 そうやって、生きる力がつくのが独り暮らしだと思うから、独り暮らしはすべきだ派なわけだが、先のクリーニング屋の件も結構せっぱ詰まっているのだが、初めてトイレが詰まってしまった時にもかなりせっぱ詰まった。家で用が足せない。普通の時なら、外に行ってすればいい部分もあるが、体調を崩して下痢とかになれないではないか・・・などと考えると、うーん・・・と思ってしまったものだ。トイレのつまりとりなんて学校とかにあったのは覚えているんだけど、その頃はホームセンターなどが近くになかったものだから、どうしよう・・・と。しかも、たまにしか起こらないつまりのために買うのももったいないと貧乏ゆえの考え方もあった。

 そこで、私は科学的に考えた。トイレットペーパーは水に溶解しやすく作られていると聞いたことがあるので、そのうち水に溶けるに違いないと考え、そこで用は足さず、そのころは学生だったから用はすべて学校なり外で足して、長時間かけて流れるのを待ったのだ。一日以上はかけたかなぁ。よく覚えていないが。結構がんこなつまりであったが、しばらくしたら通ったのでよしよしと。

 さて、結婚した今は二人で暮らしているが、たまーに詰まらしてしまう。そして、このころの教訓で時間をかければ流れるものさと放っておいて通じさせてきた、まぁ、1時間もすれば通じる感じだったのでそれでよかったのだが。今日、また詰まってしまった。トイレの掃除をしていてペーパーを多めに使ってしまったのが原因のようだ。また、最近のトイレはエコを考えてか節水のためなのか水の流れに勢いがないので詰まりやすいのだ。今回はちょっとがんこそうだ。2時間くらい待っても通じる気配なし。私だけなら、外に行って用を足すわというのもいいのだが、妻にそれを強いるのはかわいそうだということで、生まれて初めてトイレのつまりとりを買ってみた次第。

 いや、けっこうあっけなく取れましたわ。こういうものはあわてないためにも常備しておいても良いかも。すくなくとも、結婚したら、こういうものがあるのが大人の余裕な気がしてきた。

トイレのつまりとり

 しかも、あの学校にあったような無骨なものではなくて、カバーもあって結構かっこいいね、最近のものは(^-^)

トイレを詰まらせて怒られるの図 

 

2010年03月11日

たった一回しかない人生、修正なんかなかなか効かないんだ

 ほら、ゲームなんかしていてもさ・・・ファミコンでもいいんだけど、なんかうまくいかなくなって、リセットボタンを押してやり直しちゃうことってよくあることだと思うんだ。

 人生ってたった一回しかないし、現実の人生はリセットボタンがないから、やり直しがきかない。

 だから、どこかで路線を間違えると思うようにいかなくなるし、思うように修正が効かない。ゲームでだって、いい結果を出そうと最善の努力をしたって、どうにも手詰まりでリセットしたくなる。

 努力でなんとかなるんなら修正もできようが、それが簡単にできないから、やけになってしまうことだってある。

 例えば、今流行の勝間氏のようにすべての人生の結果を自分の努力に原因帰属し、がんばろうがんばろうって・・・苦しくない?

 人生の路線をいったん間違えてしまえば、そして、それは人間だから絶対あるし、間違えるもなにも世間がよいとしている価値観に沿った正しさを絶対としているのだから、そうでない価値観を持てばそれが間違いでないかもしれないにもかかわらず、お金を持つのが善、結婚するのが善、その上で子どもを持つのが善、社会的に偉くなるのが善、出世するのが善みたいに硬直化するから苦しくなる。

 ゲームやっていたって、ほとんどが手詰まり、たまにうまくいく。それが、人生でだってあるんだから、あまり努力努力言わない方がいいと思うんだ。

 最大限の努力をして、それでうまくいけばいいし、いかなくても価値観の転換をしてぼやーっと暮らしていけばいい。努力努力言われると、ぼやーっとできなくて苦しいからさ。

 たった一回しかない人生、修正なんかなかなか効かないんだ。だったら、言い訳といわれたっていい、価値観を転換してやけにならずにぼやーっとやっていけばいいんだよね。

2010年03月10日

夜中、起きる数を数える不幸せと幸せ

 妻によく寝れた?とか聞くと、何回起きたとか返ってくる。今朝もそうだ。

 私も夜中に、何回か起きる。これはとても不快なものだ。

 もっと若かりし頃、かなりの激務についていて、寝られない日が続いた時もあった。そんなときは中途断眠など起こりようもなかったのだが、今は結構ある。

 老いたと言えばそうなのだ。私も休日であっても、ずーっとなんて寝ておられず、7時前に、それこそ平日よりも早く起きてしまって、なんだか充足した睡眠感が得られず、不満足さが残り悲しいことがしばしばだ。

 まぁ、老いたのは否めないが、ある意味中途断民の数を妻と言い合えているのは幸せなことだ。そこまでの激務に就いていないということだから。人間的に寝られているということだから。

 それを幸せと思いたい。

2010年02月23日

最近、本読んでいますか?

 最近本を読んでいますか?という問いにどう答えるだろう。

 もちろん。という方も多いかもしれない。

 そりゃ、仕事の関係とか自分の研究のための本を読む人は多いだろう。それは実学の本である。

 それ以外の、小説なり教養本なりの直接的には役に立たない、端的に言えばノイズ的な読書はしているか?と問われれば、最近はあまり・・・という方も少なくないだろう。

 かく言う私もそうだ。

 昨日ね、妻に「本読んでる?」と聞かれてはっとしたのだ。

 以前はとってもそういうノイジーな本をがんがん読んでいた。ここでも重松清さんの小説などをよく読んでいたことを語っていると思う。

 今はね、まだ頭の元気なうちに世の中の仕組みを知っておかねばという思いがあり、年中間断なく資格試験のチャレンジを繰り返している。まさしく実学の本はよく読んでいることになるのだが、正直働きながら、資格試験のチャレンジなどの実学の本を読み込んでいると、ほかにノイジーな本を読む気力が残っていないのも事実だが・・・

 ちょっと反省した。

 私も妻もどちらかといえばノイジーな学問というのかな・・・それで食っていくって感じの学問を修めたわけじゃないし、どちらもノイジーな興味があって、そのへんでお互いに興味深くつきあえてきたという部分がある。

 妻は西洋の歴史が好きみたいで、例えば、中世のヨーロッパの街場では、上から尿が降ってくることもあったそうだ・・・だから、西洋人は帽子をかぶる習慣ができ、かかとの高い靴を履いたりするのだとかいうことを教えてくれたりして、いたく興味深かったのだが、そんな風なノイジーな本をよく読んでいるし、私もノイジーな本をよく読んできたので、そのへんでお互い・・・ね。

 それが最近私が実学本ばかり読んでいるから、妻は心配になったようだ。

 だから、ノイジーな本も読んでいこうかな・・・そう「本」を読んでいこうかなって思った次第。

 近年は、大学はそこそこに予備校に行って食える資格・・・司法試験なりの難関資格を狙ったりするダブルスクールも流行らしい。不景気の世知辛き世の中では合理的な生き方とも言えようが・・・その合理性の中にノイジーなものが入る余地は少ないような気がして、それって面白みが欠けるんじゃないか?って思うんだがね、正直。

 ま、言ってみれば私なんかはノイジーなことばかり若かりしころやってきた部分があって、面白いっちゃーそうだけど、どうにも世渡り的には回り道多しって感じなのかな。ま、それもよしってことかなぁ。

2010年02月16日

大いなるあこがれ

 いやー、朝活ってやってみたいよね。

 僕の理解では、早朝早起きして、勉強なり自己啓発なり趣味なりに精を出すことを朝活って言うんだと思うんだけどね。

 でも、朝が弱い僕にとっては全然夢のまた夢。

 一時期、朝早起きして、映画を見るとかやって優雅気分を持ったものだが、結婚してしまったらだめだよね。要はひとりのほうが時間があったからそういうことができた。

 資格の勉強とか、この年になっても色々勉強しなければならないこと多いわけだが、早朝にやる方が効率がいいことが生理学上も分かっていることなので、朝活がどれだけいいかって・・・言われなくったって分かっている。

 わかっちゃいるけど、できないって、それが人間じゃん、人間らしさじゃん・・・人間たる所以だよって・・・まったく勝ち組じゃない私なんかは思うわけなんだけどね。

2010年02月13日

On と Off の対称性

 日経おとなのOFF という雑誌を背伸びして買ったことが独身時代何度かあった。

 この雑誌の性質を端的に私が要約すると、要はお金のかかる遊び=おとなの遊び という位置付けにおいて特集なりを組んでいく、おとな=金銭的余裕 というくくりでまとめられた雑誌だったような気がするが、まぁ、独身時代でお金に多少の余裕があったのでそんな雑誌も買ってみたが、30代のいっぱしの大人になったつもりだが、ぜんぜんそのターゲットに目されているような「おとな」にはなり得ず、また、結婚もしてお金に余裕もなくなり、ま、今ではほとんど読んでいない。

 さて、それはともあれ、今回は「OFF」という言葉に着目したい。この雑誌でも当然のように「OFF」というのは、仕事のある日を「ON」、そうでない休日を「OFF」と定義付けているわけだが、ONとOFFという英語の語感からは明らかに対称的な意味合いも含まれる。

 あくまでONが主役で、とてもポジティブな語感であるのに比し、OFFはその裏役的に、ONを充実させるためのOFFというネガティブイメージがあるわけである。

 確かに金銭的な意味では、OFFは何も生み出さないのに比して、ONは給料なりの経済的価値を生み出す点では、ONがポジティブイメージであることには異論はない。

 でもね、みなさん。

 心理的にはいかがですか?

 ONの時って楽しいですか?仕事楽しいですか?日曜日の午後は明日からの仕事を思ってウキウキですか?

 そう考えると、ONの時間はつらかったり、ストレスたまったり、ポジティブとばかりは言えず、どちらかと言えばその語感とは反対にネガティブな感覚になっていたりしませんか?

 だから、私なんかも、仕事に行く時は結構決まりきった服で、別におしゃれなんかしないんだけど、休日になるとちょっとお洒落をしてみようかなんてなってしまうんだよね。

 そんなわけで、ONとOFFって、経済的視点から見るのと、心理的視点から見るのとまったく対称的なものだよなぁとか感じてみた今日。

2010年02月05日

新しいものへの不安

 その昔、私は新しいものへの適応は早そうだねということを言われたことがある。まぁ、パソコンなりへの順応がよかったことがそういう反応になったのだろうが・・・

 最近、そのパソコンなどのITでもいろいろな新しきことへの対応に挑戦している。

 まぁ、VISTA搭載のパソコンを買ったので、長らくXPであった私もVISTAの慣れない部分にチャレンジしたり、スマートフォンも新しくしたので、その使い方に習熟したり。

 三十路も半ばを大幅に過ぎてくるとエネルギーのなさを感じる。昔は、面白がって新規事項にチャレンジして、それが私のパソコンの習熟に大いに寄与したのだが、その好きなパソコンネタでもちょっと疲れを感じる。

 新しいものへのチャレンジは得意としてきたはずの私も寄る年波か。

 大好きなITだってこれからどんどんインターフェイスが変わっていくだろう。新しいことを、次々に追わねばならないだろう。

 その時にエネルギーがあるか・・・なんとなく新しいものへの不安もあったりするわけだよね、長い人生。

 ま、なんとかやっていこうと思っているが。

2010年01月25日

働けば自由になるって・・・ないよね・・・

 さて、今日も自由の希求について語ってみたい。

 昨日は、脱サララーメン店主のテレビを見ながら、その無限のリスクと引き替えの自由に飛び立てないなぁということを語ったわけだが・・・勤め人にとって自営って永遠の夢かもしれない。

 でも、組織の論理に逆らってまでやりたいほど好きなことがなかったり、仮にあったとしても、食っていけなくなるというリスクをおかす勇気が出なかったりして、組織に居続けるということが往々にしてあるんじゃないかな。

 私だってそうかもしれない。

 さて、そこで出てくるのが働けば自由を得られるのかなぁ?労働は私たちに自由をもたらすか?という問いである。

 確かに、働けば、経済的には余裕が出る。それを元手に自営に行けば自由をもたらしてくれるだろう。しかし、現実・・・今まで語ってきたようにそれは難しい部分がある。失敗すれば一気に滑り台のように奈落に落ちるとなればそんな簡単に自由求めて羽ばたけない。

 だから、結局、組織に居続けることが多かったりするだろう。

 要は、今の時代も労働というのが与えてくれるのは制限付きの自由に過ぎないのじゃないかなぁということ。

 仕事にからめとられた人、それがすなわち勤め人じゃないかなぁと。

 それでも、仕事ではストレスがたまる。絡め取られた拘禁症状のようなものに近いのかもしれない。

 仕事にイヤになると休暇を取って旅行に出かけたりするわけだよね。

 僕も、休暇を取って、山形の奥の温泉に出かけたことがある。10年位前になろうか。独身だったから比較的お金もあったから、ぱっと山形新幹線で、思い立ってという感じで。

 最寄りの駅から車で1時間くらいだったわけだけど、宿の送迎を頼んだよね。僕だけのために来てくれた。

 1時間もあるわけだから、その宿の若旦那と語り合ったけれども・・・まぁ、勤め人より自営も自由でいいですよねぇと語りかけると、それはそうですが、休みが決まっている勤め人もいいですよ、雪が降れば雪かきが待ったなしでありますし・・・と言われて、納得せざるを得なかった思い出がある。

 そう、わざわざ僕のために1時間の道のりを迎えに来る。それは、僕の都合に振り回されているのであって、宿の若旦那には自由がない。

 自営をしたって、自由じゃない。だったら、働けば自由になる・・・なんかそれは追ってもつかめない青い鳥。幻想に思えてくるのである。

2010年01月24日

自由を求めたいが・・・

 飲食業を開業する様を追ったテレビ番組を見入ってしまったのだが、なかなかに面白かった。

  ラーメン屋さんとトンカツ屋さんだったかな。

  ラーメン屋さんのほうは、ぼちぼちの売り上げであったが、トンカツ屋さんの方はランチはともあれ夜がだめで居酒屋さん的なものへの変貌を迫られていた。  要はすごくうまく行っているというわけでもないという結果。

  ラーメン屋さんは脱サラだったと思うが、飲食自営というのはやはり自由を求めたということなんだと思う。

  組織の論理に縛られて働くよりも、自分の自由に働きたいとい、好きなものを作りたいという自由への希求。

 組織の中で好きを仕事にしてしまうほどの悲劇はないかもしれない。というのも、組織の論理で自分のしたいことができないことが往々にしてある中で、それが好きなことであったら悲しくて悔しいことこの上ないわけだ。

  その意味で、自営で自分の好きなように働くというのは限りなく魅力的であるが、同時に限りなくリスクを負うということで・・・自由の代償は高くつくかもしれないなぁとか・・・和むべきお茶の間のテレビ鑑賞で考え込んでしまったり。

  私が見ていたから一緒に見ていた妻が、パソコンのゲームをする方に熱中していたのは正解かもしれない。団らんテレビでちょっと暗くなっているのは損といえば損だから。

2010年01月13日

寒さと「水曜どうでしょう」と人生回顧

 今日はとても寒い。比較的温暖な関東地方にしても寒い。

 そして思う、北海道で過ごした日々を。

 水曜どうでしょうの企画 - Wikipedia を見ながら・・・そして、今や関東でも見られるようになったテレビ番組「水曜どうでしょう」の再放送を見ながら思いだすのだ、北海道での日々を。

 なんか、胸いっぱいになるのだ。

 まぁ、今は、なにかいろいろ満たされない思いで、でも、一種の諦観を持って生きている部分がある。なにか必死にあがいてはいるものの、どうにもうまくいかない部分が多い。

 で、北海道にいた若かりし頃はよかったかというと・・・別にそうでもない。いろいろ満たされぬ思いを抱えていたようには思う。それは今も昔も同じなんだろう。多分、ずーっと満たされることもないんだと思うよ。

 確かに、流れるように過ぎていくのが人生だろう。こっちに流れたかった、あっちに流れたかったという思いもあるのだが、思うにまかせず結果として流れたものが人生なわけだよね。

 寒さってなんか人生を考えさせるものがある。北海道にいた時はかなり考えたものだ。多分、寒さのあまりインドアにいることを余儀なくされる部分も多かったかもしれない。

 そんなわけで、なんかひたってしまった冬の寒い日であったわけで。

2010年01月12日

優雅なバスタイム・・・かも

 まぁ、一人暮らしを経ないで結婚する人っているよね。これって、あまり回り道をせずに結婚した人に多いんだろうけど・・・それはそれで安定した人生ルートと言うことは言わずもがなだが・・・

 私は学生時代から一人暮らしをしたりしていたわけだが・・・「もてない」なぁとか思いながら、「もてない男の心の語り(現 その後の語り)」というページとかを作っていた時代も長かったりすると、どうにもどうにも回り道をしている感じが否めなかったわけだが・・・

 そんな状態で一人暮らしをしていると、なんかそれでも優雅にしたいものだという負けん気みたいなものが生まれてくるわけで。

 そんな中でし始めたのが、風呂の中で雑誌なり新聞なりを読んでみるということ。これは思い立ってやり始めるといいのだよね。

 これが実家であれば、みんなの新聞をどうしたの?という迷惑がかかり実質的に不可能になりがちだし、結婚しても同じようなことで難しい。

 でも、一人であれば、そのうち捨てる雑誌に新聞なら、惜しげなく風呂の中でも読めるわけだし、ちょっと優雅な気分にひたれるわけだ。長い間回り道をした人ならではの、常識破りの技というわけだ。

 まぁ、今日は久々それを思い出して、風呂の中で新聞を読んでみた。実際、新聞をゆっくりよむという時間もないし、いつもそのまま捨てることになってしまう(妻は読んでいる)わけで、風呂の中でくらい読んでみようかと。妻はなにするのかな?と怪訝そうであったけれども。

 独身時代を思い出して、風呂の中で新聞を読んでみて、それはそれでよかったのだけれども、独身時代は気張って優雅な気分でいたが、まぁ、まんざらでもないかもしれない。どうせ読まないで捨ててしまうくらいなら、こうやって使っていくのもいいではないか。回り道で体得した技である。

2009年12月02日

宅建試験合格

 今日は宅建試験の合格発表日であった。宅地建物取引主任者の試験です。

 私は今年もいくつか人生を賭けたと言っても過言ではないチャレンジをしているわけで、既に挫折したものもあるわけでひっそりとがっくり来ている部分もあるわけですが、これもそれらのうちの一つであったわけです。

 この宅建試験は合格していました。本当にほっとしました。これで年が越せると。

 人生を賭けたチャレンジというのは、背水の陣を敷くわけですが、負ければ後ろにある水に落ちるしかないわけですよね。寒いですよね。イタイですよね。そんな思いをしたくないから、できれば人生を賭けたチャレンジなんかしない方がいい・・・傷つきたくない草食系の方ならそう思うかな。私もそんな時代も長かったのですが、ただ、老いていくのも悲しい・・・なにか足跡を残したいということで、ここ数年チャレンジを繰り返しているのですが、うまくいかない方が多くてそのたびに妻や周囲に心配をかけたりしてきましたが・・・。

 今回も合格すれすれのボーダーラインだったので、最後まで分からず。

 受かってほっとしたというのが実情。人生を賭けたチャレンジで今年既に挫折しているものもあるので、今年最後に救いがあった感じですね。

 支えてくれた妻に感謝です。

 今日は平日だけど、祝杯を挙げてしまいました。

2009年11月30日

中年の月曜日は結構元気

 まぁ、連休後の月曜日はマンデーブルーとか言うように、今日から仕事かぁという形で気分的には元気でないことも多いのだが・・・特に若者時代はそうだよね。土日めいっぱい遊んで、ますますブルーに拍車がかかったりするものだ。

 でも、中年にさしかかるとちょっと事情が異なってくる。土日は遊ぶと言うよりは、体を休めるという形に移行することも多いので、身体的に月曜日はまだ元気ということも多いわけで。

 だから、身体的にはまだ動くなぁと思いつつ、月曜日、なにやかにやしていたら、23時を過ぎる。

 寝なきゃ(^-^)

 このまま調子に乗ってがんがん飛ばすと、週終わりで痛い目を見る。

 これも中年になって気づいたことだ。

2009年11月26日

上がりゃぁいいてもんじゃない・・・

 いやいや、円高で円が急騰とか言っている今日この頃ではありますがね・・・

 いろいろ物欲を喚起しつつ、価格比較サイトとかで、値動きをじーっとにらんでいたりしたわけなんですよ。

 結婚してから、物欲は抑えてきたし、我ながら抑えきれているところで、枯れてきたなぁ、大人になったなぁとか思っていたわけですが、例えば、ノートPCなんかも6年以上も使っているので必要性もあって、人生少しは楽しもうとね。

 いろいろめげることもあってね・・・多少なりとも物を買って張りが出るんならいいんじゃないと妻も言ってくれているわけで・・・ありがたく・・・

 なんて言いつつ、最安値を探って、じーっと待っていたら、急激な値上がりをしたりしてめげる。

 なんかさ・・・株価のチャートみたいなんだよね、値動きが。ある時点で急激に上がったり。 

 だから、昨日買っておけばよかったぁとか後悔してみたりさ。買っていいよって言ってもらえているわけだから、買えば良かったのにぃとかね・・・。

 株価だったら上がればいいんだろうけど、これっぱかりは上がりゃぁいいてもんじゃないよねぇ(^-^;

2009年11月17日

思うようにはいかぬ

 どっか行こうと思ってもうまく手配できず、何か買おうと思ってもなぜ今になって値上がり?と・・・物事思うようにはいかぬ。

 思うようにはいかないのが世の常、その昔、マーフィーの法則なんていうのも流行ったが、自分の身に重ねて起こると、なんだかいやだねぇ。

 ま、疲れているんだな。寝ようっと。

2009年11月13日

団塊の期待が団塊ジュニアの心をつぶすという状況

 市橋容疑者:「医者になれなかった」 死体遺棄は黙秘 - 毎日jp(毎日新聞) を読んで心が痛んだ。

 テレビでは連日、この事件の容疑者逮捕のニュースで持ちきりであるし、2年以上にもわたって逃亡生活を送った容疑者の生い立ちが微に入り細に入り報道されている。

 その中で、私が興味を持たざるを得ないのはその生い立ちの部分でいろいろその生い立ちを追っていたのだが、リンクの記事を見てはっとしたのだ。容疑者の父は医師、母は歯科医師であり、職業について「(医者に)なれませんでした」と供述しているという部分。

 あぁ、これこそ団塊ジュニアの葛藤の現われだなぁという・・・思い。

 容疑者が容疑をかけられている死体遺棄容疑に関してはとうてい容認できるものではないし、その後の逃亡生活も容認できるものではない。

 しかしながら、容疑者が受けてきた団塊ジュニアとしての圧迫感は共感してあまりあるものがあるからだ。

 医者家系で、容疑者本人も高校までは優秀だったと聞く。でも、医学部というのは確かに入るのは難しい。受験戦争が最も厳しい世代である団塊ジュニア世代にとって、医学部に落ちてもなんら不思議ではないのだが、このような供述が出るということは容疑者にとってよほどトラウマであったに違いない。テレビで報道されている生い立ちを見ても、どうやら大学受験浪人をし、医学部に受かれず、私立大学の2部(夜間)に行くも中退、22歳で千葉大学園芸学部に入学という学歴らしい。

 私も団塊ジュニア世代ではあるのだが、この学歴遍歴はすごくよく分かるのである。

 団塊の方々は右肩上がりの経済成長期に社会人になってきたので、労働力が金の卵として尊重されてきた時代であったわけで、例えば、高卒でも管理職にもなれる場合も少なくなかったろうし、大卒であればもっとエリートコースに乗れた、大卒の中でもいい大学であればもっと上が狙えたというように、比較的学歴が自分のキャリアや収入に直結してきた世代である。その子らにはより高い学歴を求めさせる傾向にあるように思われる。少なくとも自分より上をいってほしいと明示的にも暗示的にも子に求めてくるのは自然なこととも言える。

 さて、そのような明示的・暗示的な期待を抱かれて育った団塊ジュニアたちは、素直にがんばる場合が多いのである。

 期待に応えられればいいのだろうが、今では高校卒業はかなり当然となっていて、大学に行くのもかなり一般的になっていて、ベビーブームも重なり受験戦争が激化している。その中で、団塊の親たちの期待はふくらむ一方で、よりいい大学を、よりいい学部をとエスカレートしてきてしまう。その期待に応えるにはものすごく大変なのである。特に医者家系ともなれば、医学部に入ることが期待されてしまうから大変である。

 私も、ものすごい受験戦争に巻き込まれた世代であるから分かるわけであるが、団塊の親たちの期待に応えるには本当に大変であるのは実感で分かる。

 その思いをここで・・・例えば、センター試験の受験生がんばれと語ったりしたこともあるが、その際に、「大津さんにとっていい思い出なんですね」というコメントをいただいたりしたことも覚えているが・・・決していい思い出ではないのである。それなりに世間的に評価される大学に入ったかもしれないが、それは、親の期待に応えるためであって、自分が望んだかと言われれば確たる確信はない。少なくともスポンサーである親の意向を尊重しなければ親の金で大学に行くことは許されないのではないか。また、単純に、親に愛されたいが為の行為であったかもしれない。どちらにしても、そうしなければ私は生きていけなかったであろうから、がんばったんだろうと思う。

 でもね、決して、気持ちのいいものじゃなかった。落ちたら自分の立ち位置がなくなるという切迫感のもと圧迫されながらとにかく受からんがために勉強するというのは。

 ただ、団塊の親世代は、「あなたのために」という大義名分を旗印に、いい大学にいくことを強いてくるものである。その圧迫感たるや大変なものである。

 それをクリアしたとて 今日の一語り: 団塊世代に複雑な思い で語ったように、団塊ジュニアたちは、今、決していい思いをしている人たちは多くはない。かなりの人がボーナスさえ下がるし、賃金をカットされているところだって多いわけだ。

 容疑者は千葉大学という国立大学に行ったからいいではないかという思いも世間的にはあるかもしれない。しかし、医学部を目指していた(医者家系であるから、暗示的にも目指させられていた可能性も大きいが)容疑者にとっては満足はいかなかったに違いない。自分にとっての満足という観点よりは、親の期待に応えられなかったという思いから。

 それが、冒頭の「(医者に)なれませんでした」という供述になるのは想像に難くないところに思えるのだ。

 上記のような考え方から、そう、団塊の期待が団塊ジュニアの心をつぶすという状況は大いにあると思うのである。

 もちろん、そのようなトラウマを負ったからとて犯罪をしていいということではない。決して犯してはいけない行為はある。

 ただ、団塊の期待に応えられず心をつぶしてしまう団塊ジュニアがいるということ。また、その団塊たちは、 今日の一語り: 団塊世代に複雑な思い で語ったように、高尾山を我が物顔で平日昼間からお散歩しているとなれば、なにか複雑な思いにとらわれるのである。

 また、団塊の期待に応えられたとして、調子のいいほんの一握り以外は、右肩下がりの世の中、団塊の方々が期待したようには学歴を活かせず世間並みの憂き目にあっているとなればなおさら複雑な思いを抱かざるを得ないわけだよね。

2009年11月11日

団塊世代に複雑な思い

 さて、昨日はミシュラン紹介で一気に有名になり混み合うようになった東京の手軽な山登りスポット、高尾山に行ったことを語った。

 平日でも混んでいるということを聞いていたが、東京生まれの東京育ちで高尾山はよく行っていた私にとって、にわかには信じがたかったが、なるほど、平日でも十分に混んでいた。

 外国人の方もいたが、多くは、団塊世代と思しき60代程度の男性、女性たち。

 うーん・・・

 私も妻も、ようよう休みを取って、疲れた身体を引きずって、それでも夕方に紅葉の一瞥をと高尾山に来たところで、団塊と思しき方々は元気いっぱい下山してきていて、大きな声で集合をかけて電車に乗ったりして、まぁ、高尾山を我が物顔で歩いていたように感じられた。

 さて、今年のボーナスは、ずいぶん下がる人も多いようだ。

 この出来事一つとっても、今の団塊ジュニアたちはあまりいい目をみていない。

 にもかかわらず、団塊たちは、高尾山のハイキングを、そこのけ状態で闊歩しているのは・・・ちょっと複雑な思いだ。

 JALも、企業年金の支払いが過重な負担になってつぶれかけているという。

 国民年金(1階部分)、厚生年金(2階部分)の上に立つ企業年金は・・・主に大企業に勤めていた人が特権的にもらえる3階部分の年金であるわけだから、そう、3階部分までもらえる人は少ない。多くの人たちは2階部分まで。自営業者の方などは、1階部分だけだったりする。

 いわば企業年金の受給者たる団塊の重みに耐えかね、天下のJALさえつぶれんとしているわけだが・・・

 そんなことを考えるに・・・その団塊の方々が、平日に山をハイキングして、混雑を醸し出してさえいる状況は・・・お疲れ様、余生をゆっくり過ごしてくださいねという余裕に至れるほど恵まれていない団塊ジュニア世代の私にとっては、複雑な思いにとらわれざるを得ない。

 私たち団塊ジュニアたちは、なにか追い立てられてきた。受験戦争に、いい大学には入れとかね。で、それをクリアしたところで、かなりの人がボーナスさえ下がるし、賃金をカットされているところだって多いだろう。

 うーむ・・・

2009年10月08日

マクドナルドから卒業できるのはいつの日か

Moblog Photo

 ゲームセンターには、例えばネットワーク麻雀などの一部例外をのぞいて中年以降の大人がいる姿はあまり見ない。

 まぁ、ゲームセンターたるもの、すなわち青少年から若者までの遊び場のように思える。 かくいうわたしもゲームセンターは大好きでゲームセンターが近くにないと生きていけないなぁという感じだった頃がある。 悩んだらゲーセン、悩みと全く関係ない機械への対話において、悩みは霧消していくことも多かった。おおかた時間が解決してくれることも多かったのだろう。

 そんな私も三十半ばくらいで、ぱたっとゲームセンターに行かなくなり、また、世代的にもこの遊び場は合わないなという思いを持つに至った。

 実際DDRなんて踊らせればまだまだ若いものにはそうそう負けないのだが、中年おやじが華麗なステップを踏んでいても少しキモいではないか。

 まぁ、一つの卒業だろう。

 今、マクドナルドにいる。

 マクドナルドもその低価格さゆえに中高生がたむろっていたりして、今は時期が時期だけにうがいをしていたりするとけたけた笑ってきたりする。何がおかしいのだろう・・インフルエンザの苦しみを知っている私は思う。こんな雰囲気が悪い低価格ゆえにモラルハザードが起こっているチェーン店は、ゲーセンのように卒業したいものだし、そりゃスタバに毎日行ければいいんだろうが・・・年だけはいい中年になったわりには収入は大人な収入になるでもなく、セレブとはほど遠く、経済的理由からマクドナルドは雰囲気の悪さを含めて考えても魅力的な選択肢であり続けている。

 周りを見ても、私よりも全然年上の人がいつもそこで本を読んでいるし、やはり私より年上の女性が資格試験の勉強のために隅に陣取っている。私と同じくらいの私なんかよりもいけいけの感じのビジネスマンタイプの男性もパソコンを開いてかたかたやっている。

 そう、ゲーセンと違い、誰しもマクドナルドは卒業しにくいところのようだ。

2009年09月21日

青春に戻っちまったシルバーウィーク

 いやー、このシルバーウィークっていいよねぇ。カレンダー通りだと5連休。そう、5連休ともなると、余裕が出る。

 この夏は、千葉に行ったり栃木に行ったり、出不精がちな家好きの妻にしては珍しく出ることが好きな私と一緒にいろいろなところに行ったので、この連休中は妻のペースに合わせる意味もありつつ在宅中心で、散歩に出る程度でゆったり過ごしている。

 そうなると、家で本を読んでいたりすると、ついつい夜更かししてしまってね。生活リズムがどんどん後ろへ。

 そういえば、大学生時代、昼夜逆転的な生活をしていたなぁと、青春時代に戻った気分。

 いや、午前中授業に出なくて、昼から学校行っていたさとか大口叩きたいわけじゃない。

 大学1年の頃なんかは月曜日から金曜日まで、全時間入れていて皆勤だったから朝寝坊する暇もなかったし、その頃から今時の大学生なんてレジャーランドに行っているようなものだという揶揄があったけれど、私はその1年間で取った授業の単位はすべて取得したから、とてもレジャーランドに行っている感覚じゃなかった。

 それでも、土日が休みとなると、なんかうれしくてね、金曜日なんかは夜更かししてしまったもので、朝5時くらいまで起きていて空が白み始めたりしてからあわてて寝てたりしたこともあったわけでね。それでも、月曜日の1限に間に合わせてこれたのは、若さのなせるところだったんだろうね。

 今では、とても5時まで起きているなんてこわくてできないわけだけど・・・このようにぽっと来たシルバーウィークのような連休で出かける予定もなければ、必然、翌日の心配ないためついつい夜更かし。

 社会人になってから、ついぞなかったわけで。

 社会人が休める、長期休みというと、盆暮れ正月ということになろうが、夏休みの盆はせっかくだからと旅行に行くし、暮れには妻の実家なりに行くなど、なにかしら予定が入っていてそれらを考えるに明日のことを考えずに夜更かしなんてできないわけだ。

 ただ、今回はそれを考えずに家にいることだけに専心したら、青春に戻っちまったてなわけで。

 5連休という気安さから、土曜日は午前3時くらいまで起きていたり。その割には日曜日には午後8時半くらいに起きてしまったりしているものだから、昼間ちょっと散歩に行っただけで、夕方6時からちょっと一眠りのつもりが、夜11時まで寝てしまった。

 そしたら、昨日から今日にかけては朝5時まで起きてしまったんだよね(^-^)夜が明け始めてからあわてて寝る、まさに学生時代の青春時代を彷彿とすというところでね(^-^)

 青春に戻っちまったシルバーウィークで、まさに今日は敬老の日であるが、自分も青春を一瞬取り戻しちまったってな次第で。

2009年07月24日

「ふつう」になんて生きられるはずないじゃないか

 昨日の一語りにて「「ふつう」に生きるのは難しいのではないか」と問題提起したが、より進めて語ろう。

 今までの歴史として、確かに、高度成長期という名の下に、何十年も、若くして身を固め家を持ち子孫を残すという堅固にも思えるレールが敷かれてきたように思えた。

  だから、私は30代後半であるがその親世代(高度成長期世代とでも呼ぼうか)がそれを「ふつう」としてその子世代に期待してくるのも無理はないかもしれない。

  また、マスコミなども初婚年齢が上がっている状況、未婚率の増大状況などを取り上げるに、昔、そう、高度成長期を基準に比較するから、我々の世代はあたかも「ふつう」でないように見えてくる。高度成長期世代の親たちが私たちを、どうして「ふつう」に生きれないのかと言ってしまうのも理解できなくはない。

  ただね、たぶん我々世代は、高度成長期世代と同じかそれ以上は努力をしなければならない境遇に置かれてきた。ただでさえ子どもが多かったので、受験は苛烈をきわめた時代だ。大学なりを卒業してみれば就職だって厳しい時代である。努力をしなければ生き残れなかったとも言える。

  それだけ努力をしても、それくらいの努力をすれば、多くは家庭を持ってマイホームも夢ではなく、私たちを育て得た高度成長期世代に及びもしない現実が今ここにある。 好き好んで晩婚化しているわけではない。派遣労働をしていたら経済的にも家庭を持つのは無理が出てくるのは自明であったりするわけだ。男だからとて正社員でバリバリ家庭を支えるに至るほどの潤沢な年収を得ている人は多くはなく、女性も一緒に働くには保育制度の整備の遅れが目に付きすぎるくらいだ。その上、家を買えったって、そこまで将来への不安がある中で安心して買えようか。

  だからね、高度成長期世代の「ふつう」をもって、なぜ子がいない、なぜ家を持たないと迫られたとて、無理っちゅー感じなのである。  「ふつう」になんて生きられるはずないじゃないか・・と訴えたいところなのである。

  高度経済成長期世代は、いわゆる団塊の世代と称せられることが多い。団塊の世代の特徴として今の日本を作ってきたのは自分たちだという自負が強く、主張が強いことでも知られる。 それに反して、我々団塊ジュニア世代はどうにも主張が弱い。 どうして「ふつう」に生きられないのか!と迫られてシュンとしてしまうことも多かろう。

  しかし、堂々と主張していいと思うんだ、あなたたちの言う「ふつう」になんて生きられるはずないじゃないか!と。そしてその「ふつう」に縛られる必要もないと思う。

  われわれは我々なりの「ふつう」を決めて、それを達成できれば良しとしたらいいんじゃないか。

2009年07月23日

ふつうに生きるって難しいんじゃないかな

 今の世の中はだんだん厳しくなっているのは、ニート、派遣村、金融危機などの社会事象を大上段に振りかぶらなくても、身近に実感できるのではないだろうか。

 昔のようにね・・・結婚相手がすぐに見つかったか?家が買えるか?といった2、3例を引くだけで世相の厳しさがよく分かるのだが。

  私は今30代であるが、その親世代にはその厳しさが実感できない場合も多いのではないだろうか。

 自分たちが普通にやってきた、20代なりで結婚、子づくりしたら家を持ち、自分のリタイア前に成人させる・・・そういう人生が多数派を占めていた高度経済成長期における、それが「ふつう」だという見方が抜けきらず、どうして「ふつう」に生きられないのかと今の30代なりの親世代が言ってくる場合も多いのではないだろうか。

 でもね、今や、その親世代の基準で、「ふつう」に生きるってとても難しいんじゃないかなぁとかね・・・思ってしまうんだよなぁ。

 最近の厳しき世相を、振り返るにね。

2009年07月21日

旅の効用

 本格的な旅はゴールデンウィーク2ヶ月ぶりくらいであったが、非常に爽快感があったわけで。

 確かに、旅をするということは肉体的には疲れるわけだが、精神的には高揚感が残るし、また、なんか生きているなって感じでもある。その充足感が旅の効用の最たるものなんだろう。

 ということで、たまには旅に出ないとなぁとか感じつつ、旅行後の今日の出勤を迎えたわけだがね(^-^)

2009年07月04日

素の自分をさらけ出すのも爽快なものである

 NHK朝ドラ つばさ は、もう毎回欠かさず見ている。なんというか、1週間で1テーマというきっちりした区切りのテンポがとても好ましいからだ。

 今回は、ヒロインとその母と祖母が、言葉に出せないそれぞれの人生をかけた思いを芝居に出して行くという話。

 その設定がかなり私に響いてきた。

 そう、芝居なり演劇って自分をのめりこませていくことが可能で、それを自分自身が体験したことがあるから。

 僕は学生時代文化祭で「遺産相続ゲーム」というミヒャエル・エンデの脚本で、臆病な公証人の役を演じたことがあるわけで。

 臆病・・・だからねぇ。その公証人の役の大きなテーマは臆病。まぁ、この脚本はどの役もあまりいい役なんてなくてさ・・・遺産を巡る人間のドロドロさをえぐった台本だったと記憶しているから、必然的にそうなるわけだけどね。

 立候補して役についたわけでもないし、別にかっこいい役でもないしそんなに乗り気でなかったわけなんだkが・・・本番当日まで練習していくうちに、なんか演じるってのが面白くなってきたんだよね。

 そして、ある女の子の助言で、いっきに本番に、マジに臆病な演技ができたわけだった。別に難しいことじゃなかったんだよね、そもそも臆病な一面を持っている素顔の自分をそのまま出せばよかったわけで・・・その女の子にも「すごくよくなったね」と言ってくれた演技だったのだよね。

 そこで分かったんだよね、自分の素顔を役に投影できる演劇のすばらしさを。臆病者を見事に演じきったのだけど、何せ臆病者だから、決してかっこいいわけじゃない。でもね、不思議とすっきりした爽快感があったのが心に残った。無理のない素の自分をさらけ出すって実は気持ちよいことなんだなぁと実感したわけで。

 まぁ、文化祭だから素人演劇だったわけだけど、それなりに自分の人生を役に投影できるんだなぁと若き日に実感した次第。

 そして、今週の つばさ では自分の生き様を演劇に投影して訴えかけるという設定だったものだから、それはあるよなぁとストーリーのすばらしさとは別にまた感激した次第。あるよねぇ・・ってね。

2009年05月20日

川越のすてきな絵本カフェ

 さて、先日、川越を散歩したことは今まで語ったとおりだが・・・初めに蔵造りの通りの大混雑にもまれて疲れ切ってしまって・・・その後、喜多院に行って、川越駅まで歩いて帰ってきたんだけど、その道すがらとてもすてきなカフェを見つけた。

 なんか、その壁一面をつたう見事なバラの花に惹かれて見とれてしまった家がカフェであった。

 混雑で疲れ切ってどこかで一服したいなと思っていたところで、渡りに船というわけで、よさせてもらった。

 中にはいると、絵本がたくさんあるカフェであった。絵本カフェであるとのこと。

 今はいろいろなカフェスタイルがあるよね。猫カフェなんていうのもはやりのようだ。

 それにしても絵本カフェというのは珍しいと思いつつ、ホットコーヒーをいただく。

 ミルで豆からひいている音がしたので、本格派だなぁと思いつつ、しばし待ち、おいてある絵本を眺めたり。 

 川越駅からそれほど離れている場所ではないが、住宅街の真ん中であり、お客は私たちだけ。混雑で疲れた体にほっとさせていただきました。

 そのお店のホームページはこちら

 Ehon Cafe - English Bluebell -

 このページを見ると、図書館員を退職されて始められたカフェとのこと。

 とってもいい人生だなぁと思わせていただいた次第。

 

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2009年04月17日

新人たちにオブジェクション

 不況で内定取消という深刻な若者情勢がクローズアップされる最中であるが、街を歩くと初々しい真新しいスーツに身を包んだ新人さん、すなわち、社会人1年生たちににも多く出会う今日この頃でもある。

 新人さんたちを見ると、初々しくて、新年度だなぁという新鮮な思いももたらしてくれることもあるが、そんないい感じなことだけではない。

 どうしても若いっていうのはお気楽というのかね・・この不況の中でたまたま運良く会社組織に吊る下がれただけにも関わらず、いい気になって若さを謳歌している感じに見えてしまって、なんだかなぁという思いに至ることもしばしばだ。

 そんないい気になっている新人さんたちにこの前出会ってしまった。 

 マクドナルドに入った時ね、初々しいスーツの4人組がいてね、男性3人、女性1人。まぁありがちな光景だが新人さんなのは明らか。時間帯は働き盛りのリーマンであればたぶん残業もあったりして帰れていないような時間帯に4人で群れられるのは、新人が新人扱いで仕事も十分にできないから帰ることが許されているこの時期ならではの光景だ。

 でも、それだけならことさらここで語るまでもない。たとえば、4人がやっていたのが談笑とか新入社員ならではの会社のトークとかならわかるんだがね。
 4人でやっていたのが、PSPなんだよね。ポータブルゲーム機。ほら今のポータブルゲーム機はネットワーク通信で共同して戦っているようで「あのモンスター倒して」とかなんとか言った言葉であった。

 ここまでなら学生気分が抜けていないなというくらいで済むのだが、ひとりがこういう旨を言ったのが耳に入ったんだ。"このゲームをやっているとエンドレスだからこういうところで1~2時間に時間を区切るとリズムがとれていい、研究室にいたときにそう思った"という旨を。聞きかじりと記憶によるので多少の誤謬は許されたい。

 これを聞いたとたん、なにをいい気なことをと思ってしまったんだ。

 研究室という言葉が出てくるところを見ると、理系出身のエンジニアだろうか。それにしても、君たちが今の時間に帰れているのは、いまだ戦力にならないからであるわけで、マクドナルドで1時間も2時間もゲームをやっていられるのはそういうわけなのだから、そんなのを当たり前にしてはいけないと思ったものだ。そのうち、帰れなくなって大変な思いをするだろうしその真新しいスーツもくたびれてくるだろう。ゲームだってしたくったってできなくなるだろう。

 彼らからすれば私だってその時間にマクドナルドにいるではないかという意見があるかもしれない。しかしながら、私はそういう時間を持つために人生を変えたわけだから、その視点からするとどうしても彼らのそのいい気に思える生き方がどうしても気になってしまうわけだ。

 新人たちへの、くたびれた中年からのかすかなオブジェクションである。

 不況における内定取消や就職戦線の厳しさがある今日この頃、うまく、会社組織に入れた新人はもうちょっと身を正してもいいのではないかと思ってしまうのである。

2009年04月15日

外食は幸せか?

 新社会人の初々しい姿見られる今日この頃である。新人さんたちでランチなんていう光景も街場では見かけられるのではないだろうか。
 私なんかは学生時代から、独り暮らしだったので外食は珍しくもなかったし、実際、外食には飽きているくらいであったが・・・実家暮らしが新人さんが多いだろうから、外食にはわくわくする人も多いのはないかと思う。
 
 さて、外食について語ってみよう。
 
海鮮丼

 先日食べた外食の一つ。かなりおいしい海鮮丼であった。それはそれで幸せである。

 最近は妻も私も忙しいということで、充実した家食を作ることが難しくなってきた。

 とはいえ、今までオール自炊生活をしてきたわけで、充実とまではいかないものの通常モードの自炊は当然継続中である。8~9割は家で食べている。

 だから、ほぼ家で食べるわけだが、疲れているとき夕食が外食になったり、妻が弁当を妻が作り得なかったときに昼が外食になったりする。

 たまの外食は確かにおいしい。たまだからこそ、おいしいところをねらっていくわけだし。 ただ、たとえばこの海鮮丼にしても、これ単体では野菜・繊維分が不足なのは明らかだ。醤油をたっぷりかけるので、塩分方にもなろう。

 だから、外食というのは一口で幸せまで持っていってくれるパンチ力がある。しかし、継続して食べていればその幸せも薄れてくる感じである。

 外食が続くと・・・たとえば海外旅行に行ったときなんかはそうなるわけだが、家の食事が恋しくなる。

 だから、一時の幸せとしては外食は有効だが、いちばんの幸せは家の食事が充実することなんだろうな。

  外食は幸せだけど、次善の幸せということか。

2009年03月03日

疲れたらゲーセン

 肉体的な疲れであれば、寝るなりした方がいいわけだが、世の中生きていくと肉体的な疲ればかりではなく、いろいろ気晴らしをしたくなることがある。そんな時は必ずしも寝るというのがいいというばかりではない。気晴らし的になにかしたいということもある

 私の人生を振り返っても、なんだろうなぁ、学生時代、論文を書くのにつまったり、指導教官とのディスカッションとかって緊張感があるわけだけどね、そんな時に、その頃はゲームセンターが好きだったからねぇ、よく行ったものだ。私の論文はゲーセンと共にできあがったようなものかもしれない。もちろん、いい友達もたくさんできた学生時代だが、専攻分野も違うわけで、やはり論文などは自分との戦い。ゲームという機械的なものに向き合いながら、自分と向き合う時間みたいな感じだったのかな。

 今日は妻が気晴らししたい様子であったりしたので、私がそんな風に気張らし的にはまっていたゲーセンに誘って行ってみた。

 昔は本当に毎日のように行っていたゲーセンであるが、今じゃ全く行かない。所帯を持って貧乏人的になった私にとってはお金がもったいないという面もあるしね。

 妻は私と車のゲームなどに興じ、とても気晴らしになったようだ。

 ま、たいしてお金のかからない遊びとして、ゲームセンターはそこそこ利用できるツールかもしれないと再認識した次第で。

2009年02月04日

年齢による達成度なんてのは学生まででいいよね

 さて、2月1日に始まった中学受験シーズンと共に入試の話がマスコミをにぎわせてきている。中学の次は高校。また、国公立大の倍率なんかも出てきていた。

 まぁ、入試というのは、なかなかにきついもので、ある年齢で、ある達成度に行っていないといけないという強迫的な圧迫感があるので苦しいところだろう。

 中学受験、高校受験、大学受験、就職とある年齢を切って、ある達成度を達成することが求められる世の中なのは、今も昔も変わらずなわけであるが、高校まではだいたい横並びで入っていく現在の状況では、そこまではみんなと一緒に上がりたいという圧迫感はつきものだ。

 それで、みな、ある程度ある年齢において例えば、高校を卒業する、大学を卒業するなどの関門をくぐり抜けていくわけだが・・。

 まぁ、高校・大学を過ぎたあたりからは、生き方も多様化してきて、ある年齢になったらここまで達成していなければという目標めいたものが拡散するので、いろいろな生き方をする、もしくは、その生き方になってしまうという感じに拡散してくる。

 しかしながら、世間はそういう多様化した個人の生き方を簡単には認めてくれない。

 このくらいの年齢なら結婚してて当然だし、子どもがいてもいい、これくらいの年齢なら貸家じゃなくて家なりマンションを所有してなくちゃ・・・などと、あたかも、その年齢で達成しなければならないような生涯にわたる年齢を区切った目標、達成度が設定されているかのごときプレッシャーがかかる場合が多い。

 しかしね・・・親なりからご飯を食べさせてもらっている学生時代まではともあれ、そこから先は、目標が拡散していいと思うんだよね。人生は人それぞれ。そして、抱える事情もそれぞれで、ある年齢で達成していなければならない理由なんてあまりないと思うんだよね。

 だから、一生独身だってかまわないだろうし、家を所有しなければならないということもないと思う。

 当たり前なことなんだけど、なかなか、世間的な呪縛めいた、年齢による達成度という概念から離れられない場合も多いように感じるんだよね。

 そこから離れて、結婚などは自分がしたいからする、そういう動機付けになって初めて幸せな結婚となるんだと思う。

 今回の受験、結果がよくても悪くても、それが終わりじゃないんだよね。そして、そこから先は、自分で試行錯誤して、つかまえていく人生。その人生に年齢による区切りなんてなくていいと思うし、そういうプレッシャーは感じなくていいんだと、自戒を込めて思うわけで。

2009年01月25日

幸せは、ほら、そこにある

大きくて安い鯛焼き

 大きくて、その割に安い鯛焼きを購入。うまいよ。

 幸せって意外にそこにあるんだと思える瞬間。

 鯛焼きは以前は庶民派のおやつの代表であったが、最近は、チェーン店なども出てきて見かけはするが、けっこう高い。レトロおやつとしてのプレミアだろうか、決して安いとは言えない値段で売られていたりすると、それを買って、懐かしいねぇと食べていたのでは、そりゃ美味しいかもしれないけど幸せを感じるまでは至らないのではないだろうか。

 これも、値段的にはチェーンより大幅に安いというわけではないものの、少し安い上に、チェーン店のものより明らかにそれと見て分かるくらいでかいのだ。そこに抜群のコストパフォーマンスを感じて幸せなのは庶民の幸せだ。

 そういえば、以前、寿司屋で大トロのマグロ握りを食べて幸せってお金を出せば手に入るなぁとか感じたものだが、これはお金をたくさんださなくても、ほら幸せ感じちゃえるじゃない(^-^)そう、ほら幸せはそこにある。

 庶民は庶民なりの幸せの感じ方というのはあるものだ。

 要は心の持ち方でもあろうが。

2009年01月12日

成人式でも格差

 さて、この3連休は成人の日の休日がらみの3連休なわけで、各地で成人式が行われているようですね。

 特に、今朝のニュースでは必ず千葉県は浦安市の映像が流れまして、そう、浦安市は東京ディズニーランドで成人式をするとのことでテレビ的に画(え)になる光景ということでしょうか、テレビをかけているといやというほど目に入ってくる光景ですね。

 映っていた新成人へのインタビューでは浦安に生まれてよかったという声も散見しましたが、それはその通りでしょう。私なんかも何度かはディズニーランドに行ってはいますが、そこで遊ぶのも一人5千円単位のお金が必要になるわけで、1万円の半額なわけだし、そういえば、かのマイケル・ジャクソンが借り切ったというセレブな話があったのも東京ディズニーランドですな。

 それにしても、昨年の成人式では破綻した北海道の夕張市では市による成人式が財政的に行なえず、新成人たちの手作り成人式を新成人たちボランティア努力で行っていたことを鑑みるに、生まれた場所の違いだけで、かたや黙っていても招待される日本を代表する高級リゾートパークでの成人式、かたや手作りで自ら動かねばできない成人式。

 成人式にも格差が生まれてきているなぁと感じた次第で。成人式のようなものは、ひとつの世間一般的に広く認められているイベントにおいても、格差が出てきているのは、地方の衰退の象徴的出来事のような気もしてしまうところ。

 もちろん、例年多く報道されるような荒れた成人式で、成人式の存在自体に物議を醸すような状態もよいとは言えないし、それよりかは、みんなディズニーランドに入れてニコニコという方がいいのかもしれないけれども、格差が顕著になってきている昨今、目に見えて自治体ごとの力の差が如実に出るような、ディズニーランドでの成人式などは・・・うーん、いかがなもんでしょうかねぇと思わないでもない。

2008年12月31日

貧乏生活を締めてみた

 さて、今日は今年最後の日、大晦日である。まぁ、その日にもっともふさわしい作業と言おうか、今年のわが家会計を締めてみた。

 まぁ、今日にふさわしいと言えばそうなんだろうが、3ヶ月分位までもレシート等をため込んでしまったのはちょっとためすぎで今日の作業がかなり大変だった次第。

 来年に回してもよかったのだが、年も締まるというところでにわかにやる気を出して、なんだかにわか会計事務所みたいなもので、妻と私でパソコンににらめっこしてレシート打ち込み作業をしておおむね完成。

 わが家の財政状況がくっきり出るもので、それを指標に、ま、がんばろうと妻と語り合ったりしたのは大晦日の過ごし方としてはなかなか有意義とは言えまいか。

 どちらかと言えば決して裕福であるわけではないことを如実に白日の下に表わしてしまうのも数字の怖さであるが、それと面と向かって対峙していくのが生きていくってことなんだから。

2008年12月21日

私的忘年会は重要である

 さて、職場の忘年会なが公私の区別で言えば公的な忘年会とすると、私的な友人と年末に呑みつつ語り合うのは私的忘年会と言えよう。

 最近は私的忘年会の予定を入れること多く、ここでも語ってきているが、今日も私的忘年会にて友人と呑み語らう。

私的忘年会の時の飲み物

 山崎のハイボールとか呑みつつ。

 近況報告は私的な友人とはいつしてもいいし、年末にこだわる必要もないのだろうが、ひとつ年の瀬にその年の近況を語り合うことで自分的の気持ちも整理がつくということもあり、けっこう私的忘年会を開催することが多いわけで。

 私的忘年会は自分の中での年越し準備として重要なイベントとなりつつある近年。

 今日おつきあい頂きありがとう!!

2008年12月15日

ダウンジャケットは何か哀しい

 寒くなりましたよね。私の起居する関東地方でも朝晩の冷え込みきつく、窓際に置くついたてを買ったりしてしのいでいる今日この頃です。

 寒さと言えば私はいろいろ感慨があります。東京で生まれ育ち、冬は寒いは寒いけれど青春時代を過ごした東北地方に比べればよほど暖かいところではありましたので、寒いながらもダウンジャケットのようなものはなかった・・・というか買ってもらえなかったというのが庶民だったゆえです。

  ただ、東北で一冬か二冬越したところで、これはダウンジャケットを買いたいなと、正月初売りで買ったんですよ。一万五千円くらいのが一万円になるとかで、モコモコがすごく厚くて暖かそうでね。色が青かったのがちょっと派手かなとは思ったし、雪山に行かんばかりのモコモコはあまりおしゃれとはいえなかったけれども、これで寒さから解放されるとばかりに飛びついた。学生だったからお金もあまりないわけでそのころの私としては大枚をはたいたわけです。

 これで富裕層のように寒さからは解放されるんだ。ぬくぬくなんだと思った次第で。

  確かに寒さからは解放されたし、周りからはあまり好評ではなかった青色でいやというほどモコモコしたダウンジャケットは、その後北海道にも住むことになった時には大活躍ではあったのですが・・・決して富裕層のようになれたわけではなかった・・・  さて、今、周りを見てみてください。そう言ういわゆる思いっきりダウンなダウンジャケットは流行っていませんよね?おしゃれな薄目のダウンジャケットでファーが付いていたりするのは女性でも着こなしているのは見ますし、男性でも、ほらちょっと前のドラマになりますがHEROでキムタクが着ていたようなのも、ダウンの中でもちょっとおしゃれだったなと。  

 私の青モコは、はっきり言って誰からの評価も受けず、かつ、今の妻からも捨てたら勧告を受けるくらいで、しかしあそこまで思いっきり暖かい服もほかにないので未だ物置の奥に眠らせてもらっているわけで、今はエディーバウアーの福袋に入っていた薄手のダウンを常用しているわけですが・・・

  思いっきり暖かいのに、都会では評価されないモコモコダウン・・・何かかなしさを禁じ得ない。

  富裕層を目指して買ったモコモコは帰って自分の庶民性を浮き彫りにしてしまったかなしさもあるわけです。

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2008年12月11日

朝のレバレッジ

 レバレッジなどという言葉が流行っている。

 まぁ、もともとの原義は「テコ」であり、少額の投資で大きなリターンを目指す投資などの金融商品からメジャーになった言葉のようだが・・・まぁ、転じて、なんか効率よく生きようみたいなレバレッジ本みたいなものが出回ってきている。

 まぁ、あまり効率よく生きなくてもいいし、人生寄り道や無駄道、失敗あってこそ味が出てくるものだと思っている失敗の多い人生の私からすればあまり共感はしないものの、レバレッジが効く一場面を知っている。

 そう、朝5分早く出よう。すると、本当にレバレッジ的に物理的にもその数倍の時間の節約ができたりするものだ。精神的にはもっと余裕が出る。

 朝のレバレッジは大人の余裕として身につけていきたいものだ。

2008年11月26日

落ち着きどころのない社会

 3丁目の夕日に描かれるような昭和30年代のようには多くの人が衣食住が直接的に欠乏しなくなった今、働く意義が変化してきているように思う。
 昭和30年代は総じて食べるために働くという大義名分が無条件に成立したのに比して、今はそれは当たり前で、より自己実現という得体の知れないものに向かって上昇していかねばならないという強迫的なプレッシャーを感じるようになってきている。
 そんな中で、バリバリがんばる人が出てくるのは当然だが、自己実現を目指したってある程度以上は限界が出てくる。
 議員になる、開業医になる、地主になる、社長になる、俳優になる・・・これらは一代にして成り上がるのが難しく結局は親の力が必要になるわけで、食べるだけでは満足できなくなった現代人たちは行き場を失うことになる。
 となると自己実現はもういいから落ち着きたいと思う人が出てくるのもまた当然である。
 しかして、社会は企業を中心になかなか落ち着けるような感じにはしてくれないのも古来からである。
 ある一定の競争をあおっていかねば社会全体の生産性が活性化しないからだ。
 となると、上昇志向を捨て落ち着きたいと思い始めた現代人はやはり落ち着きどころがなくなる。

 落ち着きどころを探し始めた頃には、落ち着ける場所がないのが現代か。

2008年11月21日

貧乏を経て泣けるわけで

  つい先日、今日の一語り: すさんだ心に効く映画 で言及した「Always 続 三丁目の夕日」( - goo 映画 )が今日テレビ放映されていたのでまた見てしまった。

 おいおい、わざわざレンタルしてまで見たのに、2週間とおかずにテレビ放映されてしまうのは皮肉だが、泣けたよ。ホント。何度見ても泣ける。

 妻と話したのだが、1作目より、この2作目の方がよく感じるのはなぜかってこと。

 妻の分析では、ハッピーエンドだからだそう。

(以下ネタばれあり)

 

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2008年11月10日

すさんだ心に効く映画

 もう、ずいぶん前になるけどね、若かりし頃、とてもすさんだ気分になっていた時に、気晴らしにと映画館に入ったことがある。

 その時、ちょうどオンエアの時間だったので入った映画がかの過激な殺戮シーンが話題になった問題作「バトル・ロワイヤル」( - goo 映画)だったので、まぁ、すさんだ気分にはお似合いかなと思い、入ってみたものの、よけいすさんだ感じになってしまって難渋した思い出がある。

 まぁ、すさんだ時にすさんだストーリーをという逆療法的な荒療治の失敗と言ったところか。

 今日は、すさんだ気分ではあった感じなのだが「Always 続 三丁目の夕日」( - goo 映画 )を見たのだがこれは本当によかった。すさんだ気分にとても心地よい春風を通してくれたような温かさに包まれた。

 そう、泣けたよ。

 お金じゃない大事なことがあるんだと訴えるこのドラマ、ありだと思うよ。うん、そうでなくちゃ。

 この映画とってもいいと思う。

2008年11月09日

今日は充足感の一杯ということで!?

Moblog Photo

今日は充足感の一杯かな。あるインプットのもとに結果としてのアウトプットがあるのはことわりだが、若い頃はそのアウトプットが良いものであったときに祝杯をあげていたが、最近は加齢と共に思うようなアウトプットが出ず、必然インプットしただけでへとへとで、お疲れ一杯をしたくなる

 中年にもなるとそのへんは甘めにみていいのではないか。成功したアウトプットが伴わなくても、インプットする努力だけだって大儀なのだから。お疲れ一杯。

2008年11月07日

眠くて拒絶反応

 いい加減、眠い。なんかいろいろ疲れてきているのだが。

 寝てしまおうかな、こういう時は。

 金曜日はテレビドラマ「ぎらぎら」・・・中年ホストの物語だが、こういう悪質系の香りのするドラマは好きだったりするので、見たいなとか思っているのだが、今テレビに映っているのを見て・・・今の疲れた気分では見るに耐えられないなと拒絶反応。 

 悪質系のストーリー好きの私だが、今みたいなすさんだ心持ちの時にはそれが受け入れられないことを実感。

 重松清氏の小説みたいにおもーいのも今は勘弁という感じだしね。

 「水曜どうでしょう」みたいなばかばかしいテレビが見たく・・・それも、関東圏では23時からMXテレビで放映されるも、これまた眠くて拒絶ってしまうのだろう。

2008年11月06日

なんだかな

 年に何回か、なんだかなという気分になる日がある。

 そんな時には、ま、飲むかということになる。

 これは私にとっては異例なことである。

 私のポリシーは、飲むのは週末、そして週一回を自分に課しているからである。

 たまにそのポリシーが破られるのは、例えば職場のはずせない飲み会の時とかだけであるが、それ以外にこのようにやるせなき思いを酒で紛らす必要がある時というのが年に何回かというところか。

 外で飲むのはもったいないとか健康にもよくないと主張しがちな妻もそういう時は黙って付き合ってくれるもので、そういうのが年に何回かというのが多いのか少ないのかは人によりけりだが、私はいろいろ首を突っ込みがちであり多い方なんだろうかね。

 そば屋に行って一杯。ホッピーと、焼酎のそば湯割り。焼酎のそば湯割りはとてもうまい。普段はさほど好きではないが、その温かさがなんかいい。

 ホッピージョッキ一杯とそば湯割り一杯でいい加減に酔っぱらってみた次第。

2008年10月29日

寝不足とビデオの使い方

諸事情により寝不足気味。若い頃ならこれくらいの寝不足はなんのそのという部分もあったし、実際、学生の頃などは、日中もそれなりに寝る時間の確保もできたものだが・・・今はそうもいかない。朝はまた来る。そして通勤ラッシュに突っ込んで行かねばならない。

だから今夜は9時から大好きなテレビドラマ「相棒」があるがそこまでもたず、ビデオ予約したら寝入ってしまっていた。

昔はビデオは遊びに出かける時の見たいテレビ番組確保のためのツールの意味合いが強かったが、今は睡眠時間確保という意義あいが強くなりやや時の変遷を感じずにはいられない次第で。

2008年10月16日

失敗続きの二人が好むジブリ映画

 今日の一語り: 失敗から始めているから強いんだ で語ったように、私と妻はどうにもさえない失敗が多い二人という共通項がある。転じて失敗から始まっているから強いんだと語った。

 それ以外にも、なぜか二人とも違った観点からではあるがジブリアニメ好きという共通項がある。

 つきあい始めの頃にも、ジブリ美術館に足を運んだくらいだ。

 中でも、二人とも好きだったのが「耳をすませば」である。 

 この映画はくやしいほどポテンシャルにあふれた中学3年生の二人の物語。

(いかネタばれもあり)

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2008年10月11日

ノーベル賞受賞者の言葉を拝聴する際の構えについて

 最近、話題になっていることでポジティブなものとしては、日本人のノーベル賞受賞ラッシュだろう。物理学賞で3人受賞。化学賞で1人受賞。とても見事である。

 喜ばしいことには違いないし、すごいなぁと感じる。

 ノーベル賞の物理賞にしろ化学賞にしろ、医学生理学賞にしろ、サイエンス系のノーベル賞は、おおむね基礎科学の研究成果が評価されるところであろう。

 だから、基礎科学が重要だと言われる所以であるが・・・一方で基礎科学を専攻して行くに際しては、よほどの覚悟が必要なのである。要は、「食えない」から。

 大学に行った人はみなお分かりだろう。基礎科学を専攻して院まで行ってもなかなか就職に就けないことを。また、博士号を取ったとしても、それが飯の種にもなりにくいことを。

 Amazon.co.jp: 高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書): 水月 昭道: 本 を読んだが、そのへんが詳しく出ている。博士号は足の裏の米粒のようなもので、取っても食えないが、取らないと気持ち悪いというくらいものもだということが様々な例に従って伸べられている。

 また、足の裏の米粒-生理研を去るにあたって - 教授エッセイ - 大阪大学大学院 認知脳科学研究室:藤田研究室 の記事を読んでも、そのへんがよく分かる感じだ。

 要は、基礎科学の研究者としての成功はとても難しく、ごく一部の限られた、卓越した能力と運に恵まれた一部分の人が飯の種にできるということ。

 物理学賞を取った3人の先生の専門は素粒子論とのことだが・・・これは基礎科学のうちでも難解なものの代表で、とても才能がないとついていけない分野のようであり医学部に入るのと同じくらいの知識レベルのようだ。ただ、医学部はその後の医者としての社会的身分が保障されるのに比して、素粒子論ではなかなか食べていけない違いがあるらしい。

 そして、どうしても研究生活と就職という点で思い出してしまうのが、広島大学教授殺人事件(事件史探求)である。この事件の詳細はリンク先記事を参照頂きたいが、この犯人として逮捕された助手の専攻も素粒子論であったことがどうしても思い起こされる。

 大学の準教授(助教授)にまで登れれば、一定の成功であろうが、そこに至るまではよほどの才能と努力と、あと、運が必要なようである。そこまで登った上でよほどのすぐれた研究業績を残して初めてノーベル賞という高みに登れる。それはすごいと思う。

 ただ、かなりの才能があっても、食べることさえ難しい人も多いことを忘れてはならないと思う。成功者のポスト数が限られている現実において、才能があってもどれだけ努力して、運悪く思うようにいけない状況があるということを。

 ノーベル賞受賞者たちの言葉は成功者の極みとしての自信にあふれている。そして、それは多分に我々に勇気を与えてくれるものだが・・・

 ただ・・・

 今回ノーベル化学賞に輝いた下村氏の言葉が2008/10/9(木)朝日新聞夕刊の見出しを引用すると

 「子どもには興味あることをやらせなさい」

 とのこと。

 かなりの違和感を感じた。やりたいことをやらせて、それが研究でもいいわけだが、必ずしも成功するとは限らない中で、より食べれる方へ誘導したってそれはそれでいいのではないかと。

 例えば、子どもが素粒子論をやりたいと言っても、それよりも、就職につながる工学をしなさいと言う親だって多いだろう。

 食える学部は概して倍率が高い。文系なら法学部とか経済学部。理系なら工学部か。そう、食えるからこそ人気が高いのである。

 本当に子どもに興味のあることだけをやらせていたら、ほとんどの子どもはゲーム漬けか、ネット漬けとかになってしまわないだろうか。

 僕だって本当に興味のあることだけをやらせていたら、学生時代はガリ勉タイプだったのだが、そんなに勉強する人にはならなかっただろう。今は勉強なり研究の習慣がついているのはそれなりのしつけがあったゆえである。

 もし本当に子どもに興味のあることだけをやらせていたら、引きこもりな感じの成人が多く生まれるのだろう。

 惜しいほどの能力に恵まれた子どもには下村氏の言葉は重要かもしれない。その芽をつぶすようなことがあってはならないだろう。ただ、多くの平均的な子どもにはある程度生存の確率の高い方向への示唆はしてはいけないとは思わないのである。だから、子どもがいくら音楽で食っていきたいと言っていても、大学だけは出ておけとか、法学部を出ろとか言う親は多いだろうし、それがただちに否定されることでもないんだろう。

 ノーベル賞受賞者の言葉は、ピカイチの才能と運に恵まれた人の言葉であって、それが誰にでも通用する金科玉条ではないんだろうなと思うのだ。

 だから、そういう構えでノーベル賞受賞者たちの言葉を拝聴することが必要なのではないかと思うのである。

2008年09月22日

弱いからこそ、情けないからこそ、いとおしいという感情

 さて、昨日、一昨日と天王山と言われた優勝をかけた伝統の阪神-巨人戦で阪神が巨人に三連敗して、とうとう追いつかれてしまっていた。

 そう、私は実は阪神ファンなのである。今日の一語り: 阪神タイガース アーカイブにまとめられているように時折阪神タイガースへの愛情をここでも垣間見せているわけだが、本当に垣間見せる程度である。

 そう、あまりプロ野球は熱心に見る方ではないのだ。野球自身そこれほど観るのは好きでもない部分がある。昔、娯楽のない時代、それこそ夕食後のテレビが最高の娯楽という時はビール片手にプロ野球というスタイルがザ・オヤジスタイルとも言うべき中年男性の典型的娯楽だった頃はプロ野球の人気はもっとあったし、わたしもはまったんだろうが、幼い頃にくらべ娯楽が増え、インターネットなどで家にいながらにしていろいろ楽しめる時代になった今、プロ野球にかじりつく必要がなくなった部分もある。そう、野球観戦で2時間も3時間も費やす暇がなくなった面もあってね。勉強したりさ、本を読んだり、そして、このようにブログを書いたり。映画を見るのも好きだしね。となると、プロ野球は結果が分かればいいかと。

 ただ、昨日一昨日の土日は、試合中継に注目してみた。そう、首位を独走していた阪神が巨人に追いつかれそうで、連敗したら追いつかれてしまうという大一番だったため。

 まぁ、試合前からかじりつくことはなかったのだけど、夜に、あ、やっているなと見たらさ・・・土曜日なんてもう大差で負けていて、これでは逆転できないなというくらいの差で一編に見る気を失い案の定負け。昨日の日曜日は序盤2点勝っていたと思ったら、ちょっと目を離したすきに逆転されて大差をつけられてしまってね、こりゃ負けだと見る気が失せる。案の定負け。これで、阪神は巨人に追いつかれてしまったわけで。

 普通ならさ、ここまで弱いと愛想つかしたり、弱くなったチームだと嫌いになったりっていうことになるよね。ひいきのチームが勝ってこそ、すかっとするわけだし、それを求めてスポーツ観戦ってしたりするものだよね。

 でもね・・・意外に、私のような昔からの阪神ファンはそういうのには慣れている。というか、逆にそこまで情けないからこそいとおしささえ感じてしまう。

 だって、僕が阪神ファン全盛だった幼き頃、そう25年前とかなわけだけど、5位や6位を低迷していたわけだよね。もちろん、周りは巨人ファンだらけだよね。東京出身の僕だもの。何を好きこのんで阪神なの?という感じだよね。でも、それこそ小学校時代はずーっと阪神帽をかぶって過ごしたわけよ。巨人が何で人気があるかって?そりゃ強いからだよね。その昔、私が生まれる前だけど、子どもたちの好きなものの代表として、「巨人・大鵬・卵焼き」なんて言われてたわけだよね。卵焼きはいざ知らず、プロ野球の巨人とお相撲の大鵬はなぜ好かれたかって、そりゃ強いからだよね、これは明らか。だけど、僕はどうも巨人は好きではないし、阪神ファンはどうも巨人を好きになれない部分があるのは一般的だ。阪神ファン=アンチ巨人という構図は今でも健在だろう。ついでに私は卵焼きも大して好きではない、いや、今日の妻の作ってくれた弁当には入っていたけれど。そして、それは美味しく頂いたけれども、大好きというものではない。

 ちなみに、妻は野球はそんなに好きな方ではないが、応援するとすれば巨人ファンで、私が家で阪神戦を見るのが難しいのもそのへんの関係もなきにしもあらず。日曜日も、阪神が逆転されているのを見てがっかりしている私の横で妻は「やった」という感じにつぶやいていた(^-^;

 巨人は大企業バックでお金があるよね。一局テレビ局を独占して持っているから地方在住者はプロ野球と言えば巨人戦しか見られない、だから、地方の人たちはみな巨人ファンだったりする。また、選手の集め方も非常にお金がある集め方をしてきた。かの巨人の大投手、江川卓の事件は記憶に残っている人も多かろう。江川事件 - Wikipediaとしてまとめられているが・・・最後のドラフトでは阪神が指名を勝ち取ったにもかかわらず、巨人の強い要望で交換トレードにより巨人へ。江川本人たっての希望であったにしろ強引に巨人が大投手江川を持ち去った感があり、巨人と阪神の因縁がここにもある。

 まぁ、大阪に行って阪神電鉄に乗ってみるといい。なんかね・・・どうもお金がありそうな感じではないから。阪神電車はその名の通り、大阪と神戸を結んでいるわけであるが、海岸沿いを走るんだよね。

 首都圏でもそうだが、海岸沿いはやはり庶民的になってしまう。京浜工業地帯のあたりを走る海岸沿いの京浜急行も、一駅一駅なんかえもいわれぬ下町風情がある(私はそういうのがとても好きだが)。それが大阪の阪神電車沿線にあると思えばいい。ほら、同じ東京中心部と横浜を結ぶ線でも、東急東横線なんかは、屈指の高級住宅街たる田園調布を抱えて上品なイメージがあるのにくらべてということ。大阪だったら阪神電鉄に比して、内陸を走る阪急電鉄は大阪屈指の高級住宅街の芦屋を抱えていたりして上品な感がある。

 そんな阪神電鉄が母体の阪神タイガースと、テレビも新聞も持つ大メディアたる読売グループとを比すれば、イメージ的には勝敗明らかであるわけだが。

 だからね・・・そう、弱いからこそ、そして、こんな風に情けなく追いつかれてしまうからこそ、応援してあげたくなる心境が私にはあるんだ。

 人生、うまくばかりいかない。負けたって明日があるからと歯を食いしばってみたり、やけになりながらも、何となく言い訳してみたり。そんな人生を送ってきたからこそ、本当にいとおしく思える。そう、追いつかれてしまった阪神がね。

 いやね、阪神がものすごく好きだった幼少時はこんなに紆余曲折のある人生を送るとは思っていなかったよ。阪神が好きだったからこんな人生になってしまったのかもわからないけど。

 1985年、私が中学生だった頃、阪神は21年ぶりに優勝した。それからまた長い低迷期に入ったが、一瞬のスパーク。そして、最近はまた強い。それでも独走態勢から巨人に追いつかれるなんていう情けなさを発揮している今、なんかそれだからこそ、阪神がいとおしい。

 負けたっていい・・・がんばったよ、がんばっているよ、うんうん。

 今は本当にそう言えるだろう。あと10試合ちょっと。リーグ優勝できるかどうかは微妙だ。がんばって欲しいけど、これほどいとおしく阪神を感じたのは久々だ。そして、阪神の動きはほんとうに励ましを与えてくれるものだなとも思う。

2008年09月13日

失敗から始めているから強いんだ

 さて、今日は土曜日。NHK朝ドラは月~土の5話で一話を終える感じなので連続テレビ小説「瞳」第24週「家族とは・・・」が今日で締まるわけだ。だから土曜日はそれが楽しみだったりするわけだが、今日のストーリーは、飯島直子さん演じる瞳の母が、別れた勝村政信さん演じる瞳の父と会う場面があった。ばりばりイケイケのビジネスマンであった瞳の父に惚れた瞳の母という設定だったわけが、その瞳の父が借金をこさえてしまって、瞳の母の実家に金を無心したことが理由で別れることになったわけだが、今日は「どうして借金の存在を言ってくれなかったの?(実家に)金を無心するまで知らなかったのよ」という旨を瞳の母が聞く場面があったのだ。それに対して、瞳の父は「だって、君は成功した僕が好きだったんだろう?言えなかったよ、恥ずかしくて・・・」という旨の返答をするシーンに胸が詰まった。思うところ多々あったからだ。

 そう、確かに成功者同士のカップルというのは誰から見ても祝福できる。お互いが成功し続けている時はお互いいいわけだが、どちらかバランスを崩す・・・このドラマの場合は男の方がビジネスで失敗するというわけだが・・・と案外もろいものであることもあろう。プライドがじゃまをして相手に頼れない結果、信頼を損なってしまうこともある。

 私と妻は・・・どうやら失敗から始めている部分が多い。私自身「もてない男の心の語り」(現 もてない男のその後の語り)というページをしてきた感じから、どうしても成功者ではないわけで・・・32歳で妻と出会うものの、33歳という遅咲きの結婚においてもなお結婚式を間近に控えて妻が大病をしたため、結婚式をキャンセルせざるを得なかったという挫折から始まっている(ここでも語ったようにその後結婚式を挙げることができたが・・・)。そんな失敗から始まっている二人。だから強い部分がある。

 妻が私の弱いところをさらけ出して失敗続きをさらけ出して受け入れてくれる女性だったから結婚に踏み切った私。だからこそ、その後の紆余曲折を乗り切れたし、多分これからもうまくいかないことも多かろうし、それを妻に愚痴るだろう。そして、妻もそういったことを私に愚痴るだろう。不遇を嘆くだろう。

 それでも、失敗から始まっている二人はそれらを笑い飛ばせる。笑い飛ばせないまでも共感しあえる。だから、強い。雑草の強さにたとえてもいい。

 果たして成功者同士にその強さがあるだろうか。私は失敗から始めている者のみが持つ強さだと思う。

 今日の朝日新聞土曜版be on Saturday の e1面で阪神タイガースの藤川球児投手の入場テーマ曲がリンドバーグ「every little thing every precious thing」でありその逸話を特集している。これも失敗者の視点に関連して非常に共感できるのだ。

 藤川球児投手は今や阪神タイガースの押しも押されもせぬ守護神(抑えのエース)であるが、泣かず飛ばずの二軍の時代にこの曲を入場テーマ曲にしたとのこと。奥さんのカラオケでの愛唱歌であったことで、妻への感謝と彼女の思いを背にマウンドに立ちたかったのが、きっかけとのこと。

 ええ話やないか。そう、失敗から始まっている夫婦であるから、強いのであろう。その思いを背負って今の藤川投手の成功がある。ええ話や。

 ちなみに私は子どもの頃から阪神タイガースファンなのである。どうして阪神タイガースなのか。今期はマジックがもう点灯し、優勝候補一番手だが、私の幼少期。どうにも強くなかったのが阪神だったのだ。だいたい、5位とか6位(最下位)とかさ・・・その失敗している阪神がどうにもいとおしく今に至っても阪神ファンだ。近年はプロ野球はそれほど見ないのだが、やはり阪神が勝っているとうれしい。最近は阪神が強いのはうれしいし、失敗から始まっている阪神だからこそ、雑草のように強いのだろうと思っている。

 リンドバーグ「every little thing every precious thing」を聞いてみた。いい歌や。

 私も失敗ばかりしてきている。失敗してめげている人だっていよう。でもね、順調ばかりがいいわけじゃない。失敗しているからこそ強いんだ。そういうことだってある。そう思おう。

2008年09月08日

幸せは自分で作るもの

 さて、例えば朝に焼きたてのメロンパンが出てきたら幸せじゃないかな。そう、幸せなんてそういうところにある。

 お金で幸せは買えるのか?ある意味その答えはYesであろう。

 一昨日から昨日にかけて二夜連続で放映されたサスペンスドラマ、氷の華なんかでは、まぁ、米倉涼子さん演じる悪女は、莫大な遺産を引き継いだピアニストという令嬢役で、お手伝いさんがご飯は温めるだけになっていますので・・・なんちゅーことを言われていたりしたのだが、なるほど、お金があれば、朝に焼きたてのメロンパンをルームサービスでお願いするなんていうことも毎日のようにできるだろう・・・お手伝いさんに焼いてもらってもいい。

 そう、朝の焼きたてのメロンパンに幸せを感じていられるうちは、確かにお金で幸せは買えるのだろう。

 でも、そうなると往々にして朝の焼きたてのメロンパンくらいでは幸せを感じられなくなってきて・・・もっともっとと欲望を募らせていったりするわけで・・・そういうところにお金持ちが舞台のこういったサスペンスドラマが生まれる土壌があるのだろう。

 ともあれ、朝に焼きたてのメロンパンがあればうれしいよね?幸せだよね?そういう人は多いよね。

 だったら自分で作ろうよ・・・

 妻におねだりされて、土曜出勤だった先週の一日だけの休みの昨日にメロンパン作った次第。妻のためというのもあるが、自分自身も幸せになるため。

 ほら♪

焼きたてメロンパン

 これを幸せと言えないで何を言おう。これを冷凍しておけば、今週の朝はいつも朝はトースター2分で焼きたてメロンパンが楽しめるのだ。

 そんなの幸せと言えないという人はよほど恵まれている裕福なところの方なのだろう。

 そう力説するのは、これは非常に手間がかかるからだ。

メロンパン作成途中

 しかし、作れないわけではない。なんだかんだで半日がかりくらいではあるが、一週間分のメロンパンを作ることは素人でも可能だ。私でさえ作れているのだから。

 朝の焼きたてメロンパンに幸せを感じられる人は、一度作ってみるといいかもしれない。

 そこに幸せができあがるのだから。

2008年09月03日

思い出が次々となくなっていく

 さて、気候不順もあいかわらずですが、今日は関東地方は久々に日が出て暑くなったりしましたが、それでも夕方などはずいぶんしのぎやすくなったような気がします。

 こうやって夏が過ぎていき、夏の思い出も思い出になっていくのでしょうか。

 さて、昨日、私が好きだったテレビ番組「学校へ行こう」が11年間の長きに及んだ放映に幕がおり最終回を迎えてしまいました。

 そうかぁ・・・11年間かぁと懐かしく思いますし、実際、この番組を見たさに早く帰ろうとがんばっていたりしたこともあり、勤め人になってからかなり熱心に見ていた番組でした。

 最近はちょっと縁遠くなってしまっていましたが、さすがに、最終回となるとさびしい。いい番組だったなぁと思い出がひとつなくなった気がして寂しかった次第。

 そういえば、青春時代を過ごした仙台でよく行っていた食事所が今夏閉じられていくところがいくつか出ました。

 仙台での独り暮らし・・・独り暮らしと食事というのは密接につながっているものですし、そういうところで青春の一ページを思い出として持っていったものも事実なんです。

 友人と食事しながら語り合った場所だったりもするわけで。

 そういうところがなくなってしまうのは悲しいですね。

 思い出が次々となくなっていくのは寂しい。

 ただね、また、これからもも思い出を作っていこう、作っていっているさ、それでいいんだ。そう思った次第。

2008年08月05日

80年代から90年代にかけてのヒット曲

80年代から90年代にかけてのヒット曲を特集している番組を見ていた。とても面白く引き込まれて見ていた。
カラオケで歌った曲が多くあり、歌える曲も多かったからだ。
いい番組の狙いだなとも感じた。ベビーブーマーたる世代への訴えとして効果的だ。
しかしそれ以降歌える曲が増えていないことにも気づいた。
年をとったな・・・そんな気がした。青春は今や終わったよね・・・
昔あんなに好きだったゲーセンにも今やほとんど行かない。カラオケもほとんど行かなくなった。どちらも若者が好むものだ。
時の移ろいを感じる。

2008年07月20日

がんばれば夢が叶うというのは幻想

 昨日、「ハチワンダイバー -フジテレビ」にいたく感動していた私だ。まぁ、人生あきらめなければ未来があるさという明るい希望を挫折者の立場から描いた点が非常に気に入ったわけだが。

 まぁ、言ってみれば私も挫折の連続だからさ。

 ただ、このドラマもファンタジーとして架空のものとして見なければだめである。

 今日、反貧困―「すべり台社会」からの脱出 湯浅 誠 著 岩波新書 を読了した。要は、スタートラインの初めから差が付いてしまっている機会さえ不平等な現代における貧困の諸相の根深さを描いた論説で、非常に迫力があった。

 そう、がんばれば希望が叶うというのはすなわち「機会の平等」の概念で、非常にアメリカ的な思想であるが、おうおうにしても現代ではうそっぱちである。

 例えば、東大生の親の多くは管理職である。そう、豊かでなければなかなか教育にお金がさけないからである。

 現代の議員においては二世・三世議員が非常に目立つ。どうしてか・・・それは、その親世代が築いた地盤がなければなかなか議員になれないという事情があるからなのは容易に想像できるところだ。

 また、さきの大分の教員採用試験の不祥事に至っては、親に力があるとかコネがあるとかでないと教員になれない感じであったりする。

 こうなると、がんばればなんとかなるというわけではない。そう、現代では機会の平等でさえ保たれておらずスタートラインが違う機会の不平等があからさまに目立つ。

 そんな現代において、がんばればなんとかなるのだという、かのドラマのような展開は甘く耳に響くが・・・そんなのを素直に信じてしまっていては、なんというか自分が苦しくなるだろう。いや、若いうちはいいかもしれない。今となってはそんなのを信じるほど子どもでいては生きてはいけない。

 それはそれで幻想として・・・それでもフィクションの上では幻想もまた楽しからずやという姿勢を持っていく必要があろうね。

 それが大人の幻想の楽しみ方ということであろう。

2008年07月12日

人生は平等ではないってことさ

 まったくついていないことには自信があるような私と妻が・・・異口同音に合致する人生訓は「人生は平等ではないってことさ」ということ。

 そう、戦後民主主義において、人は生まれながらに平等であるという幻想に近い理想が流布してきた。日本国憲法第14条第3項でも「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と高らかにうたわれている。

 しかしながら、まぁ、実際的には生まれながらにして平等ってことはありえないわけで・・・生まれながらの容姿であったり、親の経済力であったり、家柄だったり、コネなりで・・・得する人損する人が出てくるのが世の常で・・・その意味であまり得してきているとは決して実感できない二人の心の奥に積年わだかまってきたわだかまりから吹き出た思いが「人生は平等ではないってことさ」というわけだが。

 大分県の教員採用試験で、コネが横行していて刑事事件になったことが話題になっている。

 ある程度の人生の不平等さはやっぱりしょうがないということで世間には受け入れられてきたんだろう。社長の息子はやっぱり得だし、議員の息子は議員になりやすい・・・これを否定する人は少ないだろう。実際、東大生の多くは経済的に豊かな家庭から出ていることは統計的にも明らかだ。これらは甘受しうる不平等なのかもしれない。

 しかし、庶民の暮らしがひどく圧迫されてきている、ここまで世知辛い世の中になってきて、世間もあまりにもひどいコネ得は許せなくなってきたのが大分の教員採用における不平等が事件にまで発展するひとつの要因にになったんじゃないかな。

 まぁ、ある程度の不平等は人のやる気を引き出すための起爆剤になるものだが・・・あまりにひどいとうまくない。また、もうちょっと世の中に余裕がでないと不平等への寛容さは生まれてこないものなんだろうね。

 勝ち組な経済界の人たちが「ウィンウィンの関係」でなんて言うと非常に空々しく聞こえてしまうが、まぁ、お互いひがみあわないで済むくらいそれなりにみんな笑って暮らせる世の中になってはくれないかなぁ。

 そのためにはある程度社会が豊かにならなければならないのだろうが。

2008年07月08日

修正不能なエラー

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よくコンピューターでは「修正不能なエラー」という表示が出てきて、じゃぁどないせぇっちゅーねん!!とディスプレイに突っ込みを入れたくなるものだが。

私は牛肉をほぼ食べない。BSE問題が気になるからだ。それはポリシーとして貫いてきている。そしてどうしても食べるとしたらBSEリスクが少ないと言われるオーストラリア産だ。

ただ、牛タンに関しては別だ。以前仙台人であったこともある私が妻を仙台につれて行った時にもそのお店がオーストラリア産を使用していることを確認して食べた。仙台の名産の牛タンには郷愁があるからだ。

今日久々に牛タンのお店に入った。仙台風の本格的なランチを千円そこそこでいただけるところなので愛用していたのだ。しかし、諸事情から遠くなってしまったので行けていなかったので久しぶりに行ったのだが・・・

いつもはランチ時には混んでいたのに今日はがらがらだ。席に坐ってしまってから気づいた。牛タンのランチが今はない。牛タン1皿とご飯をつけると1800円を超える。とても庶民の私に手の届く金額ではない。なんだか、アメリカ産牛肉が生後20ヶ月以内のものしか入ってこなくなったことが原因だとしきりに言い訳を聞かされる。韓国では生後30ヶ月ものまでいいのでそっちの方ならいいのにという話をしていたが、韓国ではその制限さえなくそうとして大きなデモが巻き起こっていることを知っているし、生後20ヶ月以下であったとしてもいささか気になるのでアメリカ産牛肉を避けていたのだけど・・・だけど、ここはだからこそ値上げせざるを得なかったとのこと。

やむなくランチにあったリブロース定食をば。なぜに牛タン屋で普通の肉を食べねばいけないのかとむなしさにもかられつつ、千円もするのにということにも落胆しながら、聞いてみるとこの肉もアメリカ産とのこと。

 がくっときてしまった。

 あんなに気をつけてきたのにこんなことでアメリカ産の牛肉を食べることになるとは。

 炭焼きでのお肉は美味しかったけど・・・私のポリシーに修正不能なエラーが残ったのが心残りではある。

2008年07月07日

モスに入るというぜいたく

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 最近は格差の語り部としての自覚を深めている私であるが、モスバーガーに入るというのは結構ぜいたくなんだと思っている。
 注文を受けてからつくるから時間はかかるし、おいしいけど何よりその分値段は高め。
 だから庶民な私には少し縁遠いわけだが、今日は落ち着いた雰囲気で待ち合わせをしたく、また、近くにもっと安いお茶どころもなくいを決して入った次第。
 アイスコーヒーSで200円は予想通りの高価さだが、確かに、高いだけに客層も落ち着きがあり、ここでも語ってきたようなマクドナルドなどでの女子高生たちの騒ぎ声もなければ子供の騒ぎ声もない。快適である。また、さすが炭焼をうたうだけにアイスコーヒーも美味しい。

 お金を払えば快適さを味わえる。そんなのは分かっている。ただ、庶民としてはそれでは満足できないのだ。

 アイスコーヒーSが100円で飲めるのはマクドナルドである。だがそこには環境がいいとは言えない場所も多いのだ。

 安いから仕方がない?

 否である。

 環境のいいマクドナルドを求めるのである。星の数ほどあるマクドナルドの中にはそういうところもあろう。

 それが庶民の格差との戦い方である。

 モスに入るという贅沢をしてしまった今日は妥協をしてしまったということになるのかもしれない。

2008年07月05日

ドラマ「ハチワンダイバー」は実はとてもよい

 一語り「土曜日の深夜の気になる番組」にて、よく見ていると語ったハチワンダイバー -フジテレビ という番組。

  実はマジに面白いことがわかってきた。

 前の語りでは「明らかにB級テイストのストーリー」と定義したが、いやいや、それどころではない、本格派の様相を呈してきているのがよい。

  要は夢をあきらめきれない人間の心情を、原則的には年齢という一点でタイムリミットが来る将棋の奨励会制度を舞台に、ドラスティックに描いたドラマなことが判明してきたのだ。

  あきらめきれない夢ってあると思うんだよね。でも、それをあきらめ、ごまかしながら生きていくのが人生。

 このドラマの主人公たちはそれをあきらめずに泥くさくも向かっていっているのが気持ちよい。  今日なんかは食い入るように見てしまったよ。それくらい迫力が出てきている。

 まぁ、悪役の親玉がかのダースベイダー的に出てきたりところどころ笑いをとろうとしている気配は感じられるが、笑うより以前にストーリーが悲哀に満ちているので、感動の方が先に来てしまうわけで。

  夢をあきらめ、日々を維持することに努めてしまうのが勤め人や社会人のさがなわけだが、週末の夜くらい、こういう夢をあきらめない泥くささを見るのは心地よいのだ。

2008年06月08日

にくにくしい日

牛タン

 そう、にくにくしい日だったわけである。肉々しい日。

 今日はよきにつけあしきにつけ私がお疲れ様だった日だったので、肉でも食いに行くべぇと妻といったお店で、これが一人前の牛タン塩だというから驚き。

 煙がもくもくであるお店であったが、もりもりと肉を食べてきた次第。

焼肉屋

 これだけ頼んで、もりもり食べたら、お腹いっぱいである。

 日頃貧乏をネタに語っているが、ビール大瓶一本付けて1人頭2500円行かなかったのはコストパフォーマンスあふれる証拠で、うれしい限り。

 たまにはいいのだ。貧乏人だってこれくらいの楽しみがなきゃぁ、やってられないからねぇ(^-^)今日は、なんにしろお疲れ様な日だったのだから。

 要は人生メリハリだよね・・・Hunger is the best sauce・・空腹こそ最大の調味料、という格言のごとく、こういう焼肉にしろ毎日食べていれば大して楽しみでもない、かえって痛風になってしまうのが落ちであろうが、日々貧乏しているからこそ、たまの焼肉が珠玉の味に思えてくる。貧乏するのもわるくないわい・・・かな、やせがまん?(^-^)

張ってメシが食えるのならいくらでも張るけどさ

 最近、春口裕子さんの小説にはまっている。「イジ女(め)」という小説本のネーミングが座布団3枚ものだなぁと思いながら読んだらはまった次第。

 女性のイジメ、見栄張りなど女性的陰湿ダークサイドの悪質系ストーリーが満載で、この作者、もともとは損保会社で勤めていたようで、そのへんの陰湿話がかなりえぐく描かれていて非常にインプレッシブなストーリーになっているから、はまりこんでいる。

 その後、「女優」「ホームシックシアター」などのこの作者の小説本をはしごしていっているのだが、その中でも「女優」はなかなかにすごくインプレッシブである。なんというか、女性はこんなにも見栄っ張りなのかと思わされる部分が特にえぐい。いや、普通のOLなんだけど、これでもかっていうほど見栄を張っている描写が出てきて、だからこそ、タイトルが「女優」なのだろうけど、すごい描写なのだ。

 私自身は見栄なんて張って得するものでもなければ、メシが食べられるものでもないから、あまり重視していない分野なわけだ。だからこそ、おしゃれとかかっこつけとか・・興味があまりないわけで。

 でも、そういえば、ゴミ捨ては私の仕事になっている。というのも妻がちょっとそこまでという時も、やはり、すっぴんでは出にくいからだそうだ。そう、女性は化粧なしで外に出るのはタブーなわけなんだろう。まぎれもなくそれは見栄だろう。

 もちろん、妻は化粧にお金をたくさんついやすでもなく、そのへんでは最低限の見栄張りであり、そういう質素なところが私の価値観にも合うのだが、それでも、見栄はある。

 見栄を張ってメシが食えるのならばいくらでも張るのだが、あまり、見栄に価値を置きたくない私にとって、この「女優」という小説本では見栄のむなしさを訴えているストーリーであり、非常に私の価値観に合致する。

 見栄って、ほどほどでいいと思うんだよなぁ。

2008年06月07日

またまたクモ襲来

今日の一語り: 新居でもクモにインベイドされる などで語ってきたように、大きなクモが家に入ってきてびびることが過去には結構あった。しばらくなかったわけだが・・・。

妻が、どうしようという声をあげていたから、どうしたのかと聞くと、大きなクモがいるとのこと。

慣れてはいないが、何かで捕獲しなければ・・・ということで、思案しながら見つけたのが、DVDケースの蓋。

大きなクモ捕獲

無事に捕獲し、外に二がしてやった次第。

これだけの大きさだとやっぱりびびるが、大騒ぎしたわけではなかったりもする。慣れと言えば慣れなのだ。結構落ち着いてツールを探せたような気がする。

人生は経験だよね(^-^)ふぅ。

2008年05月08日

連休明けの「やられ」に感じる、労働の義務性

 昨日は完全にノックアウト状態でした。4連休明けのの仕事・・・疲れます。昨日の一語り: よろよろ・・・で明らかなように。

 この思い、多分私だけではないんでしょうね。
 その思いは勤め人の皆さんは共感いただけるところと思います。
 要するに、仕事というのは一つの義務であり、義務は心地よいものではないでしょう・・・拘束されているようなものですから。
 ただ社会にとって仕事というのは必要な活動なわけで個人にとって心地よいかどうかは問題ではなく、人々にはしてもらわなければならない活動なわけで。
 憲法において納税、教育と並んで国民の三大義務として課している理由が体で実感されるのが、そう、連休明けですよね。

 そう、明文で規定しなければ誰もしたくないもの・・・それが、義務なわけで・・・その中に仕事もあるわけだから。 

 まぁ、こういうことを言っていると、仕事は楽しくやるべきものだとか、仕事はクリエイトしていくべきだという主張も出てくるかもしれない。

 ただ、そういう主張には

 創造的労働者の悲哀 (内田樹の研究室)

 を論を引きたい。

 「働きたいのになかなか仕事に就けない若者は「自分に向いた仕事、自分の適性や能力を発揮できる、クリエイティブで、見栄えがよくて、できれば賃金の高い仕事で」働きたいという条件に呪縛されているからである。」

 とそこには語られており・・・

 「しかし、残念ながら、労働は自己表現でもないし、芸術的創造でもない。   とりあえず労働は義務である」

 としている。

 よって、東大生などのような高学歴エリートは、その呪縛により、創造的労働を求めてさまよってしまうというというテーマの論であるが、大いに賛同したいところです。

 そう、労働は義務である・・・だからこそ、連休明けは「やられる」のですよ。創造的な仕事で楽しくて楽しくてたまらず休み明けが待ち遠しい・・・って人はいるのかなぁ・・・現実の世界で。

2008年05月06日

年収300万円時代の男の戦い方

 おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に・・・「桃太郎」の有名な冒頭であるがここからわかるのは古代の生活が推測される。男と女の役割的に観点で見れば、男は比較的遠くに生活の糧を得る仕事に行き、女は家を守るために比較的家の近くで動いているという生活形態が推測される。芝刈りがどれくらい生計を支えるのに役に立ったのかは、貨幣経済だったのか現物経済だったのかを問わず、芝刈りにどれほどの経済的意義があったかはちょっと疑問であるが、男が遠くに行き、女が家の近くにいるという生活スタイルはそうだったんだろうなとは思うのだ。

 近代に目を向けると・・・私はちょっと前、2006年にはNHKの大河ドラマ「功名が辻」をはまって見ていたものだが、その主人公は山内一豊という大名になる武士の話であったわけだが、その主人公がなにかというと、その妻に「手柄をたてて出世する」という旨をしつこいほど繰り返していたが、そこか、らは近代武家の、男は戦い、女は家を守るという生活スタイルがしつこいほど強調されている。「手柄を立てる」などと言えば聞こえはいいが、自らの君主というあるひとつのイデオロギーに対立する敵を殺すという非人間的行為の結果なわけであるわけで、平和論的には皮肉なことなわけだが、まさに男は外で戦い女は内を守るという生活形態だったんだろう。

 その後も、その基本構造が変わらず、武家政治が終わり明治時代になっても家父長制に象徴されるように男が外で戦い女が内を守る構造は変わらず、戦後も高度経済成長時代においては、経済的に稼ぐことが至上命題となり、男は企業戦士として朝から晩まで働いて、女は家で育児・家事というスタイルが定着してきたのは、私は今30代半ばであるが、私たちの親世代のことであるからよく分かるところになってくるわけだ。

 ここまで終始一貫して、男は遠くで戦い(ここでの戦いは殺戮のみならず、積極的に経済的なアドバンテージを取ろうとする立場も含む)、女は家や内を守る方向に動くという生活力学が見えてきている。

 しかし、高度経済成長時代が終わり、団塊ジュニア世代の私たちの時代は・・・様相は異なってきている。

 男が外で十分な戦いの成果が得にくくなってきている時代・・・そう、森永卓郎が名付けた年収300万円時代である。2006年の流行語大賞のトップテンにも入ったインパクトのあるワードであるから知っている方も多いだろう。

 男が外で十分な戦いの成果・・・そう、稼ぎが得られなければ、女が外で戦うという路線も出てきているし同時並行的に進展している男女同権意識の進展もそれを後押ししている、近年流行のワークライフバランスの識者が語るところでは昔は男一人働けば子どもを2人くらいは育て得たが、現在では子ども一人も育て得ないという主張もあることを聞いたことがある。

 確かに、今、男は稼ぎ得なくなっているのは事実だ。

 であれば、女性も戦いに参戦せざるを得ない・・・なるほど、それはそうだろう。

 ただ、それだけで満足していいのか・・・男は戦えないから戦わなくてもいいのか。

 否であろう。年収300万円時代の男の戦い方だってあるであろう。

 こんなことを力説するのは・・・今朝の私のある動きがあったからだ。

 そう、私は起きて新聞に入っていたスーパーのチラシ広告を見ると・・・いつもは行かない遠くのスーパーでスライスチーズが安売りされているのを知ったのだ。

 少し話はそれるが、最近本当に乳製品が高い。バターなんて、品切れを起こしているしねぇ。スライスチーズだって、デフォルト10枚入りで、安売りで150円くらいだったのが、今では、安売りで8枚入りで160円台・・・それでも、朝一番に走る価値はある。

 妻に、行ってくるわと、GW休日最終日にスーパーの開店時刻目指して自転車を走らせたのだ。

 まぁ、スーパーの安売りの朝一番に行くのは大変なのである。まず、開店前に行列ができていることがある。限定数の商品であれば手に入らないことだってある。手に入っても、レジに並ぶのがずいぶん待つし、また、荷物が重く・・・一種の洗浄である。妻に買い物行って来てねと頼むのは、気が引ける。

 そう、年収300万円時代の男の戦いの場はここにあったのだ。

 確かに、安売りに走っても割引額はわずかである。でも、ちりも積もればである。この年収300万円時代は、収入を増やすより支出を抑える方が重要なのである。収入を増やしにくいからこそ年収300万円時代なわけであるから。先の武将山内一豊的に「手柄をたてよう」とばかりではこれからの男は意義がない。それはそれでさりながら、今までは内・・・そう、おばあさんは川へ洗濯へ 的な内的仕事の中にも男が腕力を生かして動けるフィールドがある。

 無事に、安いチーズを買い、トマトパックも安かったので買い、そのほかパン、うどんなど安かったので買い、休日の遅い朝食前の一仕事を終えた私は思ったのだ。 年収300万円時代の男の戦いのフィールドは、今までの内的領域にこそあるんじゃないかって。

 そうして、この語りに至ったわけで。

2008年04月17日

職場で感情的交流を持てる相手に出会うということ

職場飲みの日であった。
3月4月という年度変わり目はなんやかんやと飲み会は多くなりがちであるが・・・
その後に、後輩と差しで飲んだのだ。
この後輩君とは今日が最後で離れ離れになってしまうので、それこそ名残惜しく、二人で焼き鳥をつまみながら、ゆっくり飲んでいた。
学生の頃は、勉学とともに感情的交流を持てる相手、すなわち友を探すことがひとつ課せられた課題であるわけだが、社会人になると、職場というフィールドでは表面的交流にとどめて深入りしない付き合いばかりひろがっていくきらいがある。それはそれで、社会人の処世術として必要なわけだが・・・たまには職場においても感情的交流を持てる相手ができることがある。
 今日飲んだ後輩はそういう相手であったわけで、別れに際してもう少し飲みたいねということになったわけで。
 仕事という「公」の場で出会った相手とは「私」の部分の話はあまりしない暗黙のルールがあることが職場で感情的交流を持てる相手が少ない所以であろうが、この後輩とはその辺も話せるわけで心地よい飲みになった。
 お互いの人生論も語りつつ、今後ともがんばっていこうねと。
 うん、がんばっていってほしい。
 今日はありがとうねと伝えたい。

2008年03月30日

3月から4月にかけてのあごニキビ

 3月から4月にかけて、みなさんにとってどんな時期だろうか?

 桜の季節・・・確かにそれはそうであろう。この週末はとっても桜がきれい。ここ関東地方ではほぼ満開で絶好の花見日和だった。

 また、4月からいわゆる新生活に突入する人も多いだろう。

 4月とはそんな時期だ・・そう、日本においては。4月から社会人になる人、大学に入る人、高校に上がる人、中学に入る人、また、社会人においても、新しい部署に移る人、転職して新しい会社に入る人、それぞれだろう。

 まぁ、日本では12月から1月にかけての「年」の変わり目が、実家で年越しをする、年末年始の長期休暇にて海外で年越しをするなどのいわゆる「私」(プライベート)の部分での年の変わり目の意義あいが強いのに対し、この3月から4月にかけての年度の変わり目は、前述のような「公」(パブリック)の部分での年の変わり目の意義あいが強くなる。学校を卒業する、入学する、職場が変わる、同僚が変化する等々である。

 最近は、ガソリン税の暫定措置の期限が、今月いっぱいということで非常に政治的に緊迫していることが報じられているが、これも「公」的な年の変わり目が3月から4月にかけて設定されているという象徴的な出来事だろう。

 ともあれ、「私」の部分での年の変わり目が、まぁ、一般的に楽しいことが多いのに比して、この4月の「公」の部分での年の変わり目は必ずしも楽しいとばかりは言っておられないことが多い。新環境でやっていけるかどうかの不安があったりして、わくわく半分はあろうとも、不安半分はきっちりあるという複雑な心境で落ち着かなかったりするものではないだろうか。

 まぁ、そんなわけで、私自身も3月から4月にかけての年度変わりは落ち着かず、また、その気苦労からストレスもたまるのであるし、確かに、この時期、気疲れはあったりするわけで。

 私などは社会人生活も長いし、まぁ、いろいろ思うに任せぬことが多い人生を歩んできてしまっているため、まぁ、慣れたところかなぁと思っていたが・・・

 最近、どうも「あご」にニキビができてしまう。なかなかに治らないなぁと難渋していたので、。ちょっと調べてみたんだよね、「あご ニキビ 原因」というワードで検索をしてね。たいした結果は期待していなかったのだが、意外にもぴったりの理由が出てきた。

 あごのニキビはおとなニキビと言われるものらしい、そう、大人になってストレスなども原因となりできるものであるとのこと。

 なるほど、それならわかった。年度変わり、慣れていると思っていたことであったこの時期の気疲れがストレスとなって、あごニキビとして出てきたのか得心がいった次第。

 まぁ、なるべくゆっくりと・・・やっていこうかな。そんな風にニキビ薬を塗りながら思った次第で。

2008年03月26日

独学で簿記3級

 今日、平成19年度 第118回簿記検定試験(平成20年2月24日)の結果が出まして、3級に合格していました♪

 率直にうれしいです。

 2級も同時に受けていたのですが、こちらはだめでした。まぁ、年明けから簿記の勉強を始めたので、これはしかたなし。

 3級は大丈夫かなという思いもあったのですが、やはり、模試を経ないでぶっつけ本番でしたので、本番では、落ち着いてやれば問題ない大問に時間の焦りを感じてあわててしまい、どうにも、受かった気がしなかったため、受かってよかったぁと、よろこびひとしお。

 まぁ、ふと思い立って始めた簿記。年明けからの1ヶ月ちょっとの勉強でしたが、何とか間に合ったというところでしょうか。

 電卓も新調したりして、実際、電卓を早く打てるかどうかも合否に大きく関わってくるところでしょうか。

 ともあれよかったですわ。

 次は2級を目指してみようかな。

2008年03月10日

東大への道を歩く

 昨日の日曜日の散歩の続きを語ろう。

 麹町の東京グリーンパレスでたらふく食べた後、その後はいわゆる東大への道とでも言うべき道を歩いてみた。

 東大への道なんてものがあるのか?そういう道がかつてあったのだ。

 そういえば、雑誌「AERA」最新号(3/17号)で「東大卒「人生格差」」という見出しがあるようなのだが・・・

 世の方々は東大に入ればすべて安泰という考えをお持ちなんだろうか?多分そうなんだろう。
 であるからこそ、そう、東大信奉とでも言うべき社会通念を頑迷にお持ちだからこそ、こんな見出しが成り立つわけだ。

 なるほど、東大に入れば世間一般で言うところのエリートコースの世界には入りやすいだろう。しかし、エリートコースに入ればそれで左うちわで生きていけると思われているのがおかしいところで、そういう道に入ったら入ったで例えば眠れない日々が待っているというわけで。それを乗り越えるのは自分自身なわけで決して東大が力を貸してくれるわけではないからね。

 だから、私から見れば東大信奉などは若干現実性に薄いと思うのだが・・・

 ということを語るするのも、麹町で食事を力一杯しながら思い浮かんだフレーズが「番町・麹町・日比谷・東大」というフレーズだったから、その道を歩いてみようかと第一の散歩ルートを定めたため。

 そう「番町・麹町・日比谷・東大」というのはいにしえの東大信仰を表す言葉であり、まぁ、番町小学校、麹町中学校、都立日比谷高校を経て東京大学に合格するというのが、今で言う受験キッズやお受験ママの夢のコースだったから。そのために越境入学をさせることが流行ったなんて聞くんだけどね。高校の偏差値と受験: かつてのエスカレーターコースは今?という記事は実際にそのコースを目指してこのコースに乗ったひとの体験談である。
まぁ、都立日比谷高校が東京府立一中だった頃の威光が残っていた頃の話だから、もう何十年も前の話になるんだが。調べてみると1950~60年代での東京大学合格の全国一位が都立日比谷高校だったらしい。その後、あまり評判のよくない学校群制度を取り入れた都立高校が進学成績において凋落の一途をたどって、日比谷高校も学区のトップ校ではあるものの東大合格者が激減してからはそういう話もなくなったようだが、まぁ東大信奉というと先の「番町・麹町・日比谷・東大」という言葉が思い出され、せっかく近くまで来たんだから行ってみようかと歩き始めた次第で。

 番町小学校にまず行ってみる。千代田区立である。千代田区といえば私が小学校で習ったときからもそうだったように昼間人口に比して夜間人口が極めて少ない土地柄。校庭を眺めてもそこに土はない。狭く囲われた固いグラウンドの空間である。セキュリティ面では優れているのだろうがここまで囲われていては、ちょっと刑務所内の運動場のようにさえ連想させてしまうが、このへんの地価を考えれば仕方ないことはわかる。その分、校舎は非常に新しい感じで外に掲示されているし、掲示されていた校内活動報告も立派で、やはり周りの富裕層が通っているのがよくわかる感じに感じられた。調べてみると、麹町ウぉーカーNo100(番町小学校)に詳しいが、とても歴史のある名門校らしい。なるほど。また、このへんの地名が二番町とか四番町など、~番町という地名で・・・なるほど、そこから番町という地名になったのかなという推測がついた。

 次に麹町中学に行ってみる。こちらは番町小学校よりも広い感じ。周りにはホテルなどが多く、私が行った日曜日は就職活動帰りなのかなぁという感じのスーツ姿が目立ったりした。校舎は古い感じである。番長小学校から麹町中学に行く途中の麹町界隈には参院議員宿舎があったり、どうにも、政治色が強く感じられる。こういうところで小中学校時代を過ごせば、どうしてもゆくゆくは政治家を目指してしまうかもしれない。そのためには政治家を実際的に補佐する行政官僚を目指すのが近道であることは今も昔も異ならない、となると東大に入ろうという志向に直結するのは疑いないのかもしれない。


 お次はかつてはその東大への直結校的意味合いのあった都立日比谷高校である。府立一中という府立高校ナンバースクールの正当的流れをくむ日比谷高校は、今で言う開成高校や灘高校などに比肩するような圧倒的な東大合格率を誇っていたわけで、そのような威光は、例えば、井上ひさし氏の小説「青葉繁れる」などを読むとよくわかる。番町小学校ここにいたると場所的にはもう国会議事堂のすぐ裏ともいうべきところにあった。自民党本部なんかも見えちゃいそうだし、ぐるっと回っていくと料亭なんかが並んでいる道に出ちゃったりして、そして私は国会議事堂前の地下鉄駅に着いてしまったりしていた。こうなると、前述のような政治志向もあいまって、いやがおうでも日比谷高生は東大を目指してしまってしまったのではないだろうか。最近は学校群制度も廃止されてきており、日比谷の復活の線も出てきているようである。

 まぁ、こんな感じで実際に東大への道を歩いてしまったわけだが、なかなかに興味深いものがあった。実際に歩いていみると、なるほど、そんなものかなぁと肌で感じられるようなところもあったりもした。昔の受験生たちの息吹を肌で感じられるような気もしてね。 その道を歩ききった者が幸せになったかどうかは定かではないが、多くの者がこの道を歩きたがったということも事実であろう。

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2008年03月07日

銀座で旧友たちと会う

 今日は銀座で大学時代の旧友および後輩たちと会合。

 後輩の一人が結婚したのでそのお祝い兼ねて集おうということで。

 銀座などというしゃれた場所に行くのは本当に久しぶり。妻同伴での銀座。妻と銀座に行くなどということは本当に久しぶりだ。

 予約してもらっていたお店が、ぐるなび - 串焼き・豆冨料理 つくね十番 銀座店である。

 コース料理で予約してもらっていたが、さすがに銀座のお店、サービスがソフィスティケイテッドされており丁寧、料理も非常に美味しいものばかり。

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  お酒も、飲み放題コースだったので遠慮なくいただけたし・・・

 焼酎のそろいがよかったので、さつま美人のお湯割り、黒伊佐錦をロックで一杯という感じで、あとはビールを。

 そして、やはり、久々に会う、旧友および後輩たちとの語らいはとても楽しかった。

 結婚した後輩夫婦は本当におめでとうと思う。

 それぞれにみんないろいろ抱えながら生きている。それらがこういう瞬間にクロスして、共感するなりなんなりして、また日々の生活に戻る。それでいいんだと思う。

 明日からもがんばろうと思えるわけだ。

2008年02月26日

栄養ドリンクに感じる悲しみ

 今日は国立大の2次試験前期2日目だったりしますね。受験生の皆さんお疲れ様です。

 中学生の頃、高校受験を控えて、高い栄養ドリンク・・・ほら高いと何千円もするのもあるくらいで・・・をげん担ぎもあるんでしょうが、飲んで試験に挑むなんて話をよく聞いたりして。

 まぁ・・・私はあまりそういうのを信じてはいないし、実際、栄養ドリンク自体にそこまでの期待をする人ではないのでそういうのは無縁で来たりしていましたが。もちろん受験の時も栄養ドリンクなどは飲んできませんでしたが。

 私が思うに栄養ドリンクっていうのはカフェインの摂取による元気になった気がするという感覚的なものがの効用なのではないかと思う。その意味では、コーヒーを飲むのと有意な差が出るのか?という疑問がついてまわっていたので。

 この前までのややがんばらねばならないことで、やや寝不足もあったりして、栄養ドリンクでも買ってみようかと・・・まぁ、老いたということかな(^-^)

 ということで・・・

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 買ってみました(^-^)でもね・・・でも、すべて100円ショップ系で100円程度で買いそろえたところが、まぁ、あまり栄養ドリンクに重きを置いていない証左のようなもので。

 赤まむしとかスッポンとか、微妙に効きそうな気がしてね(^-^)でも、私の体感としては効果のほどははなはだ疑問。少なくとも元気もりもりというわけではなく。

 私としてはせいぜい疲れたらコーヒーを飲むくらいでがんばりたいかなぁというのが本音。ま、疲れたら寝ることですな、それが一番の良薬と実感。

 今日、テレビ東京系の「ガイアの夜明け」という番組で「揺れる仕事の現場」ということで、残業を減らす工夫、仕事と家庭等について特集されていた。やはり、日本の勤め人は仕事に没頭しすぎなきらいがあるようだ。栄養ドリンクを飲んでもがんばってしまうのならばそれは悲しい。栄養ドリンクを飲んでまでがんばらなければならないのであればもっと悲しい。

 栄養ドリンク業界は右肩上がりなのだろうか?もし、そうなら、そこの社員は栄養ドリンクのお世話にならずに済んでいるのだろうか・・・それとも・・・

 受験生が栄養ドリンクを飲む時、それはまだポテンシャルがあって喜ばしいが、無理してがんばるために飲む栄養ドリンクには悲しさを禁じ得ない。

 複雑な気持ちのもと、この3本は美味しく頂いたことはいただいたわけですがね。

2008年02月06日

映画「父親たちの星条旗」を見た、とってもいい映画である

 映画「父親たちの星条旗」(父親たちの星条旗 - goo 映画父親たちの星条旗 | 硫黄島からの手紙

 非常にいい映画だった。昨日見ていた映画はこれだったのだ。

 クリント・イーストウッド監督による日米双方から描いた硫黄島2部作ということであるが、今日の一語り: 映画「硫黄島からの手紙」を見たで語ったように、一つは見たのだ。

 そこで痛感したのが、やはり、戦争のむなしさである。「硫黄島からの手紙」の方は日本からの視点であるが、戦争というものがこれほど矛盾に満ちたものなのかということをまざまざ座と実感させられた。

 さて、今度はアメリカの視点からの硫黄島の戦いを描いた、本作「父親たちの星条旗」・・・これもまた、同様の感を抱かせるものであった。

 そう、勝者アメリカにしても、硫黄島の戦いは多くの傷を残したものであり、そしてこの映画で非常に特筆すべきは、勝者の中で英雄(HERO)として祭り上げられた3人の兵士も、また、必ずしも幸せになれなかったという実話に基づくプロットである。そう、戦争という殺し合いは、勝者にとっても何も生まないどころか傷を残すものなのだということ。そこが新鮮なプロット立てだ。

 いつものことながら、戦争あるまじき、そのような思いが実感される映画だ。

 まぁ、戦争によるHEROのむなしさというロジックとしては、スピルバーグ監督の「プライベートライアン」に通じるところがある。まぁ、「プライベートライアン」の方が迫力としてはあったろう。

 しかしながら、この映画も同じロジックながらも、違った状況であるのが新鮮である。

 平和を考える上でも、ひとつオススメの映画と言えるのではないだろうか。

2008年02月01日

旧友と飲みシンパシーを覚えつつ

 昨日は仙台から来た旧友と呑んだのだ。この旧友が関東に来る用事があったとのことでコンタクトを頂いたからだ。

  私が仙台に行った時にはこの旧友とお茶を飲んだ(今日の一語り: すごくうれしかった旧友との再会参照)。その際非常にシンパシーを感じ合えたものだが、今回は、夜での会合ということで、呑みながら語り合いは、アルコールも手伝い、大いにお互いシンパシーを覚え、あっという間に時間は過ぎ、楽しい時間を過ごさせてもらった。

 普段は互いに違う人生を歩んでいる。そこでいろいろな人生の事象に出会い苦心したりしながら生きてきている。そういう二人がこのような機会にクロスすると不思議な共感が生まれたりして、とても会話が盛り上がるものである。そこに得られる共感というのはかなり深いものである。

 お酒もすすんでしまったかもしれない(^-^)でも、悪酔いしないものだ。

 遠くから来てくれた友人には本当に感謝したい。ぎりぎりまで会えるかどうかの返事を保留してしまったが、快く来て頂いて、本当にうれしかった。本当にありがとう。

2007年11月30日

夜更かしペースに昔を思い出しつつ、でも空回り

 そういえば、その昔、北海道で単身暮らしていた時・・・やはり、このように深夜まで起きていたことが多かったと思う。

 まぁ、パソコンに向かったりしていて夜更かしということも多くあったのだが・・・氷の世界(北海道は雪の世界と思われがちだろうが、実は氷の世界と思って頂いた方が近いだろう)での単身生活の憂さ晴らしや寂しさ紛らわしに、パソコンはもってこいのツールで、インターネットに目覚めたりしていたのだ。いろいろ学ぶべき技術が多くあって楽しかった気がする。いくらやっても飽きなかった。

 となると、帰ってくるとひとまず眠くなって寝てこれくらいの時間に起き出して、パソコンをやっていたりしたものだ。そのころは、自分で言うのもなんだが、パソコンの腕やインターネット技術の習得具合は目を見張らんばかりであったのは周りからよく言われたことだ。まぁ、氷の世界での単身生活で、もちろんそれなりに楽しかったものだし、いろいろ旅行にも出かけたので、引きこもりというわけでは決してなかったが、若さもあり、それだけの時間もありというところか。

 最近もその夜更かしペースになってしまっているのだ。

 でも、なんか空回りの感が強い。

 ぼーっとパソコンをしたりしながら、夜更かしになってしまうことが多かったりする、その分、夕食後寝てしまったりしているのは昔同様。

 ただ、北海道時代みたいにエンドユーザーレベルで学ぶことがたくさんあるわけではない。エンドユーザーレベルでやれることはかなりやってしまったし、それ以上を目指しても・・・なんだかなぁと・・・なんだか空回りなのだ。

 事実、この一語りも続けてはいるものの、続けているだけというところ。読者も減少傾向にある。昔はもてない男としてならしたものだが(^-^)ま・・・。

 まぁ、ぼーっとやっていこうかと思うが、夜更かしペースは是正したいところ。昔を思い出すのもいいけど、これからが問題だから。

2007年09月29日

いわゆる大団円的なるストーリーは必要であるが、それは虚構であることも分かっておこう

 今日の一語り: NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」は結構いいかな で語ったが、実はここ数ヶ月、NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」を見続けている。今日がその最終回。

 今日の一語り: NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」は結構いいかな で語ったとおり、本当に大団円的なる終わり方。みんなが幸せになっておしまいという感じでね。

 妻と一緒に見続けていたわけだけど、まぁ、二人とも感じたのが、どうもご都合主義的なハッピーエンドへ向けてのやや強引とも言える流れを作り上げていたなぁと感じたことは確か。

 まぁ、大団円とはかくあるべしと言えるドラマで・・・この厳しい世の中、こういうドラマがあってもいいなと思った次第。

 ほら、最近のドラマは、あまりいい終わり方をしないことが多い・・・シニカルな終わり方というかね・・・厳しい世相を反映してあまり大団円的なる終わり方であると、あまりに空々しすぎるからだろうか。しかし、今の若い人たちが、いわゆる大団円的な結末を知らな過ぎると、ハッピーな未来を思い浮かべることができないじゃない?だから、こういうドラマも必要。そんな風に思う。

 救いの少ないこの世に、虚構の世界だけもハッピーを。それは間違っていない。ただ、見る方も、それは虚構なのだときちんと分かっておく必要があるわけでね。そして、虚構は虚構として明日からの厳しい毎日を耐え抜いて行かねばならないわけだよね。

2007年09月20日

そしてゲームをやらなくなったわけで

 東京ゲームショウが千葉幕張メッセで始まったというニュースが今日大々的に報道されているようである。

 要は、過去最高の参加社数ということもあるようだし、任天堂Wiiのひとり勝ち市場をソニーPS3、マイクロソフトのXbox360らが追っているということらしいが・・・。

 若い頃、そう、学生の頃や、社会人になってから10年近くは、本当にゲーム好きだったんだよね、私。

 家庭用ゲームは、買ってもらえる家庭ではなかったから、独り暮らしを初めてからお金を貯めて買ったりもしたものだが・・・やはり、ゲームセンターが好きでねぇ。それは、学生時代の私を知る人であれば納得いただけるところだろう。

 あとは、ダンスダンスレボリューションにはまっていたのも、あったわけで・・・ゲーセンで踊りまくっていた頃もあった。

 この一語りのカテゴリーにもなっている、クイズマジックアカデミーというゲームにはまっていた頃もあった。もう3年以上前になるのかな。

 それから、なんかぱたっと終わってしまったのだよね。私のゲーム熱が。そう、3年以上にになるかな。

 たまーに、ごくまれーに、妻と気晴らしにゲームセンターに行ったりするも、気晴らし程度でしかない。

 以前の、ゲーセンがなければ生きていけないくらいのパッションは今はない。

 そして、家庭用ゲーム機も今は家に全くない。

 妻とつきあい始めたあたりからかなぁ、ゲーム熱がさめたのは。

 妻という存在ができたからか、人生が忙しくなったからか、はたまた、このようにインターネット上での表現で充足されているからか(といっても、インターネット上の表現はゲーム熱と併存していた時期もあるわけが)・・・

 ま、そんなもんなんだろう。ゲーム・・・その仮想世界は逃避には良いが、現実と向き合うトレーニングにはならない・・・そんなことに気づいたからかもしれない。

2007年09月07日

自然の力を実感

 今回の台風を通じて、自然の力のすごさというものを実感した。

 昨日の一語り「台風雑感」にて、自然の猛威に比しての人工物の弱さを感じると語ったが、一夜明けての報道で、酒匂川に架かる橋がおれてしまっていたり、道が削り取られているのを見るに、なるほど、昨日感じた直感はその通りだったんだなとさえ感じる。

 自然の猛威というものは実は幼き頃の原体験として強烈に感じた瞬間がある。

 私が・・・小学生の頃ね、習い事のために出かけた先からの帰り道、強い雨の降る中、暗いバス停でバスを待っていたんだけれども・・・バスの終着点で、ほかに待っている客もなく、私ひとりだったんだよね。その時、突然、どっかーんという、それこそ飛び上がるような音と共に、目の前が瞬時にストロボをたいたように明るくなったんだよね。その時目の前に見えたんだよね、火の玉みたいなものが道を転がるのを。

 そう、後で考えてみると、雷が目の前に落ちたんだよね。ほんの数メートル前に。

 私は、雷は避雷針のような高いところの金属に落ちるものと、素直に思っていたから、周りに高い建物がたくさんあったしアンテナも立っていたから、そういうところに落ちるものだろうと思ってたんだけど、そうではなかったようなのだ。

 あと数メートルずれていたら私に直撃していたんだろう。そして、私はいまここで語っていなかったかもしれない。ある種の運であろう。

 自然の力の前に人間のできることは限られているのかな・・・そんな思いを原体験として持った気がする。

 だからこそ、今回の台風という事態でも、必要以上に緊張もしなかったのかもしれない。

 自然の猛威を避けるべく努力はしても、それでもなお避け得ない自然の猛威にさらされたら、あとは運でしかないのかなという思いもあるから。

 そんな、自然の力を実感させられた今回の台風。

2007年08月26日

ゆっくりと過ごした日曜日にオヤジになったことを感じるわけで

 昨日は本当に夫婦共々具合を悪くした感じのことを語ったわけであるが、どうやら、昨日よく眠ったおかげで今日はかなり快復したようである。

 二人ともそれなりに朝から元気。元気に昨日焼いた自家製パンを食べたりしていた(本当は昨日食べきる予定だったのだが、妻もなかなか食欲がでずにおかゆに走ってしまったわけで・・・余っていた)。

 妻は、ひさびさに友人達と会う約束があるということで、昼前には出かけていったわけで、疲れは未だ残っているようではあったが前々からの約束にて出かけていくのをちょっと心配しながらも見送ると、ひとりになった日曜日。

 ひとりの日曜日なんて、久方ぶりなわけだが・・・まぁ、私自身も元気もりもり全開というわけでもないから、テレビを見たり読書をしたりとゆっくり過ごす。

 昼も自炊してもよかったが、やっぱそれも疲れるので、近所の中華料理屋へ外食に行くというゆっくりペースで。そこに置いてあった雑誌AERAを熟読したりしながらゆっくり食事をしたわけで。そういう雑誌って自分で買うほど読みたくもないけど、そういうところにあるのを読むのはなかなかいい感じ。2007年8月27日号であるが。

 なかなかに面白い記事もたくさん。特に興味を持ったのが・・・「確執 妻の実家は超理不尽 もう「ムコ殿」ではいられない」という記事とか・・・なんだか大変に理不尽な話がわんさか出ていて、大変なところは大変なのかと感じてみたり。まぁ、極端な事例を挙げるのがこういう雑誌の手なわけで、その点はまぁ、ワイドショーを見る感じで見ていればいいわけであるが。

 あとは、「社会 写真ルポ「富と幸福」2007年 格差の夏を歩く 三浦展が語り下ろす格差新局面」とかも面白かった。格差論は非常に興味のある分野だし、この記事を書いている三浦展さんは2006/10/8一語り「新書「下流社会」が面白い」で語った新書の作者だったりすることから。写真でミリオネアと底辺の方々との格差をドラスティックに描き出すとこれほどまでか・・・と極端な事例を挙げるのが手とはいえ、やや悲しくなってみたりもしたり。

 昼食の私のひとり外食は、貧乏な我が家にとってちょっと痛かったけど、こうやって雑誌拝読料という考え方をすれば、高くはないのかもしれない。

 中華料理屋を出てからは、家に帰ってまたクーラーをつけるのも電気代がかかるかぁとファーストフードのお店まで散歩。読書を続ける。最近のファーストフードハンバーガーチェーンは100円で楽しめるから、貧乏人としては助かる。しかも、クーラーはがんがんに効いている。まぁ、ファミリーやキッズが駆け回っているのを我慢できれば、それはそれで憩える場所だ。少なくとも、自宅にこもっているよりは気分転換になる。

 読書が終わって家に帰る。うたたねなどしていたら、妻が帰ってくるとのこと。迎えに行ったりしながら、買い物をして帰る。

 妻も、友人達と楽しいひとときをすごして体調が完調に戻ったようで、よかったよかったと。私も、ゆっくりしたおかげで完調に戻っている様子。

 独身の頃は、ひとりで家でゆっくりという週末はほとんどなかったと思う。なんかしなければもったいないという意識と、独り身をかこいながら家に引きこもってしまっていたら、なんだかだめかもという意識のもと、例えばプールに行くとかスポーツセンターに行くとかしていた。

 でも、今は・・・そう、こんな風にゆっくり過ごしてしまった。

 まぁ、実際に体調を崩していた昨日があったので、今日は本当にゆっくり過ごしてしまったわけだけれども、まぁ、オヤジになったなぁと感じてみたりする。そのうち、ファーストフード店での一服が蕎麦屋で焼酎を一杯とかなってしまったらまじでオヤジだね(^-^)

2007年08月02日

妻がお葬式に行った日

 今日は妻を送り出すために朝5時半起き。一語り「新婚旅行に出かける」で語ったように、妻の田舎が新潟にあるのだが、妻の祖父がお亡くなりになったとのことで、妻がお葬式に参加するためである。

 昨年夏の新婚旅行で、私たちを招いてくださり、歓待してくれた祖父母。その祖父がお亡くなりになったとのことで、私としても衝撃は禁じ得ず、その死が悼まれてならない。

 ということで、昨日から妻らの切符を手配したり、送り出したりということでばたばたしていたわけで、昨日の一語りのような状態になった次第。

 今朝は妻を送り出して、また、日帰りの遠路の旅を経て疲れて帰ってくる妻を迎えるために、久々の自炊。ただ、やはり夜遅くなるので、やや時間があったので、このいとまを逃さず少しは鍛えようと、スポーツクラブのプールに行き125mほど泳いだりして帰ってきて、夕食を作ってみたりしていたら・・・妻が帰ってきてしまった。

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 ピザはホームベーカリーで生地を作ったりしながら、ぶりの照り焼きに挑戦したり、カツオのたたきは簡単だけど。まぁ、自炊して夕食に。

 妻が働いていた頃は、帰りがよほど遅かったから、私が運動した後に、こうやって食事を作っていたことを思い出したり。

 今日はそんな日であった・・・早起きもしたしね。

 妻の祖父、安らかにと願っている。

2007年06月25日

水曜どうでしょう2006新作を見られた♪そして、振り返るものものもある

 北海道ローカルのバラエティ番組「水曜どうでしょう」・・・ここでも何度か語ってきたし、私が10年以上前に北海道に住んでいた頃はまってしまって忘れ得ずにいたローカル番組である。最近は再放送を地方UHF局が放映しているので、関東圏でもテレビ神奈川などで見ることができるのであるが・・・。

 どうやら2006年の新作が作られたらしい。しかし、関東圏ではなかなか見られなかったのが・・・

 昨日から今日の、深夜・早朝時間帯において関東圏で初めて、テレビ朝日で放映されたのだ。ヨーロッパを回っているこの最新作が。

 うれしいのである。ばっちり録画してある。妻も「どうでしょう」フリークになってしまっているので、もちろん心待ちにしながらである。

 中身はなかなか面白い。まだ全部は見終わってはいないけれども。

 なんだか、ミスターは口数が少なくなってしまった。大泉と藤村Dの掛け合い漫才的様相を呈している。

 それを見ながら・・・なんか、年の流れを感じてしまうものがある。みんな年を取ったんだなぁと。

 私も北海道に行った頃はひとりで結構寂しかったものだ。もちろん楽しいこともいっぱいあったし、知人・友人だっていた。でも、寒い北海道での本土からわたってきての独り暮らしは別にいいことばかりじゃない。ホームページ作成というものを始めたのもそのころだ。そんなとき、水曜日の夜・・というか深夜だけれども、珍妙な音楽と友に始まるのがこの番組だった。そのころは私も若かったなぁと。そんな時からホームページ作成に心血を注いで今ここにある。

 まぁ、「どうでしょう」とともに私は歩いてきたようなものかなとさえ思えてしまうわけだ。

 たまには過去を懐かしむのも悪くない。

2007年06月21日

その道一筋ってすばらしいと思うな

 昨日放映された「バンビ~ノ!」を録っておいたので、今日見た。

 とうとう、主人公がパスタを作れた回。パスタを作るために、1年以上も修行をしてきた末であったため、そのうれしさが伝わってきてなんか感動的であった。

 ただ、その回の展開として、そんなに料理一筋でいいのか?という思いが主人公をとまどわせるのだが・・・

 やっぱすごいと思うんだよね。料理一筋なんてなかなかできないわけでさ。そこまで一筋になれるんであればほかに趣味がなくったっていいじゃないかと思うのだ。

 私は、そこまで熱中できることがあるのかと振り返るに・・・そうだなぁと迷ってしまう。

 仕事はいろいろまじめにやってきたつもりだけど、その道一筋ってほどの専門性はないんだろうなって思ってしまうと、この主人公のすごさがわかる。そこまで好きになれるのはうらやましよね。

 まぁ、私にとって一筋って言えば・・・ホームページ作成かな・・

 その一環としてのブログ作成に至っているわけだけど・・・要は、このページが私の一筋ってことかな(^-^;

2007年06月12日

うーん、世の中結局は金なんだけど

 最近、なにかにつけてとみに思うのが、世の中結局は「金」だなぁということ。

 なにをいまさらという意見もあろうが・・・やはりねぇ。

 今日見ていたテレビ番組「ビューティーコロシアム」でも、結局、コストが高いであろう美容術を施せば美しくなれるという典型だと思われたしね、昨日NHKのクローズアップ現代で特集された「セカンドライフ」というウェブ上の仮想世界がクローズアップされるのも結局そこで流通するリンデンドルという仮想通貨が現実の通貨に換金できることからビジネスチャンス・・・すなわち金儲けのチャンスがあるからこそ注目されフィーバーしているわけだし、ライブドア事件・村上ファンド事件は金を追い求めた結果の事件だったし、最近話題のコムスンの介護事業の話題にしても介護というもっともヒューマンな分野で金儲けをしようとしたことへの反発ということが起因しているだろう。

 そうなんだよね・・・単に生きるのも厳しい世の中になってきたところでね・・・金を儲けたものがすべて勝ちというような、直線的な単純な弱肉強食論理が復活してきているように感じるのだ。

 少し前までは・・・まぁ、お金お金言っていると拝金主義として、そう、拝金主義という言葉にやや軽蔑の念が感じられるように・・・あまり好ましく思われていなかったものだが。

 まぁ、私も、そもそも、あまり裕福な生まれではないから、お金にはかなりうるさい。どっちかといえばケチである。そして今、結婚しても、やはり贅沢はできないし、させてもあげられない。

 まぁ、金を得ることそんなに執着がないからだろうか。拝金主義というのがあまり好ましく思えていなかったからね。だから、学生時代学問として学んだものもあまり金にならない分野であるし、職も金儲け主義では選んでいない。そして、結婚も、妻の収入とかなにかとか全然考慮したわけじゃなかったんだよね。

 でもね・・・まぁ、世の中がこんなに金金という感じになってくると、ちょっと複雑な気分だ。要は、私の考え方が甘かったのか・・・と。

 僕はそうは思いたくはないんだよなぁ、実はね。

 妻と映画「ティファニーで朝食を」を見た。金のために金持ち男性を追っかける女性をオードリー・ヘップバーンが演じているが、最後には、金のない貧乏作家であるジョージ・ペパード演じる男に恋に落ちるというハッピーエンドである。この映画には拝金主義の否定がある。

 何十年も前の映画でそういう結論があるではないか。

 経済学という学問は結構興味があるし、人間を分析するツールとして金の面に着目する点はとても面白いのだが、人間は自分にとっての効用関数を極大化する存在だと無条件に仮定してしまっているのが、うーんとうなるところだ。要するに、端的に言えば人間は自分の金儲けに一番有利な道を目指すと仮定してしまっていることだからね。

 人間、そんなに経済的に合理的じゃないと思うんだよなぁ・・・もっと不合理な存在だからこそ、「ティファニーで朝食を」のような映画ができるんじゃないかなぁ。

 そう願いたいものだ。そう、不合理な部分が人間らしいところだと。

 まぁ、貧乏人のはかない願いなのかもしれないが。

2007年06月06日

料理はひとのために作るもの・・かな

 妻は、本当に料理とか家事とかよくやってくれているわけで・・・ほんと、最近では、家に帰ればご飯があるというのを当たり前にさえしてしまっている部分があるが・・・全く当たり前ではないのである。妻には感謝しているのである。

 独り身の独り暮らしの時代が長かった私はそのことはよく分かっているはずだ。

 妻が今日、料理は食べてくれるひとがいるから作る動機付けができるのだ、作る気になるのだ・・・と語っていた。

 なるほど・・・と思ったりした。当たり前のことなんだけどね。

 私も、ここでしばしば語ってきている、ケーキ作りやパン作りも、やはり食べてくれるひと・・それは妻であったり、客人であったりするわけだが・・・がいるから、これだけ熱中して作ってきたわけであり・・・それは妻も同じ感覚なんだろう。

 この前の日曜日、ひさびさに私が作った夕食。

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 妻が疲れていそうだったので・・・妻が食べたいと言ったラーメンを作ってあげた次第。なんか、なんつっ亭というところのつけ麺が美味しそうだったので、それを買ってきてね。あとは、ちょっと二郎風に、野菜の炒め物を作ってちょっとボリューム感を出してみたり。まぁ、野菜は妻が切ってくれたから、全部が私というわけでもないが。

 独身時代・・独り身の頃は、やはり作るモチベーションが上がらなかったものだ。まぁ、買ってきてすませてしまおうという気分が強かった。それでも、それなりに自炊していたのは・・独り身のもてない生活が長かったせいで、もてないならもてないなりに食生活くらいは充実させてやろうじゃないか、となればお金がなければ自炊でリッチにと思ったからだろう。

 料理はひとのために作るもの・・・その方がやる気が出ることは事実だ。しかし、自分のために作ることも決して否定するものでもない。私のもてない時代の自炊歴はこうやって妻が疲れた時にご飯を作ってあげるくらいのことには役に立つ。

 だから、どちらにしろ料理はやってみようよって言ってみたいわけで。

2007年06月04日

現代の仕事生活は監獄生活に近いものではないだろうか

 監獄に収監することが刑罰として成り立つのは、人がその意に反して自由に行動できないようにすることが人にとって苦痛だからということは言わずもがなであろう。

 以前、北海道に住んでいた時などに、博物館 網走監獄に行った際など、なるほど、それは大変苦痛だろうなぁと感じたものだ。

 さて、現代の私たちの就労生活はどうだろうか?

 私は、社会人になって初めて就いた仕事は、夜はエンドレスに近いものであった。平日に夜は夜9時に帰れればうれしいといった感じ。苦しいものだった。後は帰って寝るだけ。その眠りもわずかながら、また、仕事だ。土日は本当にその自由を満喫すべく、疲れているのに、いろいろ動いたものだ。山登りをしてしまったりね。今は転職し、幸いにも人心地を持てる仕事に就けているが・・・。

 妻も、就労中は、夜は遅かったらしい。実際私と暮らし始めた頃も、その時はまだ就労していたからその遅さは実感として分かる。そして、繁忙期など土日もなかったらしい。

 実際、現在の仕事生活・・・特に正規雇用者には多いことだと思うが、夜遅くまで仕事で、仕事による拘束時間が非常に長いことが多いのではなかろうか。平日は仕事と寝ることという感じの人も多いのではないだろうか。

 非正規雇用者は時間はあるかもしれないが、賃金が生活を支えることができないほど低く、生活を支えるために職を重ねればやはり時間はなくなり自由がなくなるだろう。正規雇用者にしても、平日は仕事と寝ることに終始する仕事による拘束時間のことも多くあろう。

 言ってみれば、今の人たちの仕事生活は、その意に反して自由に行動できないという点で、かなり監獄生活的とも言えるのではないかな。少なくとも平日は。

 

2007年05月31日

ダイジョウブと大丈夫と東北・仙台の想い出

 2007/5/26一語り「妻と初めてのカラオケ」とかでも語ったように、最近、NHK朝ドラ「どんど晴れ」の主題歌になっている、小田和正「ダイジョウブ」という歌にはまっていることはここで語った。

 なんかいろいろな意味で安らぐなぁと感じていたのだが・・・思い起こせば私は、東北は宮城県の仙台にて学生時代を過ごした。

 東京生まれの東京育ちだが、なんか、東京のせわしなさっていうのはあまり肌には合わなかった。なんか追い立てられているようでね。まぁ、追い立てられるようにその都会のペースのまま受験競争にも巻き込まれて必至に走っていたんだが、それに倦んだことが私を仙台に向かわせたのかもしれない。仙台で、そう、比較的落ち着いて流れる時間に身を任せ、青春を謳歌できたという想い出の東北の地である。

 思えば、どんど晴れは東北は岩手県は盛岡が舞台・・・そこに小田和正の「ダイジョウブ」・・・小田和正さんは、やはり東北は仙台で学生時代を過ごしたわけで、私と共通するところがある。その中に安らぎを感じてしまうのは、必然に近いことなのかもしれない。特に小田和正さんは私と同じ関東出身で、東北に学生時代足を踏み入れたという部分で共通部分が多いわけだ。

 なんで、そんなことを今語るかというと・・・ふと思い出した歌い手さんがもう一人いたから。

 当時、地元のテレビ局の番組の折々に流れていたんだ・・・この曲が。

 JIGGER'S SON 「大丈夫」

 JIGGER'S SONって覚えている人いるかなぁ・・・この曲で大ヒットしたんだけれども、もう解散してしまっている。坂本サトルさんというミュージシャンがボーカルでね。当時、地元FM番組なんかでもいろいろ出ていたわけで。この方はかなり全国区で売れたと思うしいるし、今でも活動中だから知っている方も多いかもしれない。

 まぁ、このJIGGER'S SON 「大丈夫」を聴いているとね・・・仙台にいた頃を思い出すんだよね。曲と共に条件付けられた想い出が。

 仙台には妻と早春の頃に一緒に行った。2007/2/12一語り「青葉城に登る ~妻と一緒に想い出の落ち穂拾い、仙台旅~」などで語ったところだが。まぁ、実はいいことばっかじゃなかったよね。初めての独り暮らし・・・この東北の街に一人放り出された時の寂しさは妻もやはり一緒に行ってみて共感していたようだ。「ここに一人来てしまったらそれはそれでねぇ」といった風に。確かに寂しかったんだよね。独り暮らしという自由さとの引き替えのロンリネスというわけだ。

 でも、そこからいろいろ動いて生きていく中で知己も得た。考えてみれば、私の結婚式に呼んだ友人たちの多くが、実は仙台がらみの人たちでもあった。一人飛び込んだ世界で、一から始めた世界で、だからこそ、思い出深く、そして深い意味での知己を得られたんだろう。

 そんな時に流れていたのがこの「大丈夫」なんだよね。なんかテレビをかけていれば流れていたような想い出があるからね。

 このJIGGER'S SONのボーカルの坂本サトルさんもね・・・学生時代に仙台で独り暮らしをした人なんだよね。そのときに、JIGGER'S SONを結成したわけで。小田和正さんもしかり・・・そして、私もしかり。

 なんだか、「ダイジョウブ」に「大丈夫」・・・どっちも、おなじ読みというのが奇遇。そこに仙台という要素も合致しているのがまた奇遇。

 この二つの曲を聴きながら、やっぱ、仙台ってよかったよなぁと思い返す。私には非常に合っていたんだろう。温かい感じだったんだよなぁ。

 単なる懐古調ではなく、東北ってやっぱり気候が厳しい分、人は温かいと思うよ。そして、この仙台ゆかりのミュージシャンの二つの曲を聴くに思うんだ。

 大丈夫!!明日もがんばろう。

 

2007年05月28日

食と生への執着と平和について

 私ももう30歳代中盤の年頃で、年相応に食が細くなってきていて、昔ほど食べることができないにもかかわらず、大盛り・デカ盛りネタには飛びついてしまう。

 かの人気番組TVチャンピオンでのデカ盛り王選手権の番組にも釘付けになってしまうし、さっきまでデカ盛りの店検索をしては「萌え~」な感覚を持ってしまっていたわけだが。

 そんな風に、ご飯は大盛り、お代わり自由だと目を輝かす私を見て、以前友人が「あなたは本当に一生懸命生きているって感じだよね」という表現で私を評していたことを思い出す。

 その友人が言うには、食べるということは生の基本であり、それにそんなに一生懸命になっている私は、本当に一生懸命生きているんだと感じたということだ。

 なるほど・・・と思った。

 確かに、私は生へ執着していると思う。それは悪いことでは決してないと思う。一生懸命生きる・・なんとか生きる。そのためだけに今までやってきたようなものだ。生きてきた結果、妻とも出会えたわけだ。

 そして、私の生への執着は、同時に私の平和概念の基盤をなすものだと思う。

 実際、生への意識ゆえ、国のために死ぬのだという戦前の意識にはまるっきり賛同できないわけである。

 反対に現憲法への共感は深い。現憲法は、戦前の集団主義国家体制が国民を死地に追いやった反省ゆえに、個人の幸福追求という人権上当たり前のことを国家権力の侵害から守ることを宣言しているわけだから。

 しかし、最近はその憲法を変えようという国民投票法案を通過させてしまったし、また、特攻隊を美化してしまっている映画も上映され始めたようだ。

 ちょっと、どうなのかな・・・。

 現憲法が国民・市民の人権を踏みにじって死地に追いやった全体主義国家体制の戦前への反省に立っているものということを認識しているのだろうか。認識していれば、そうそう、変えようという発想が出てこようはずもないのではないだろうか。特攻隊で飛び立った若者たちは、戦前の全体主義国家体制によって死地に追いやられた犠牲者にほかならず、あたかも自ら死を選んだかのように思わせる映画の題名はどうなのだろうか。

 夕方、テレビを見ていた。ニュース番組の一環でデカ盛りの店を特集するようだ。その前後に、いろいろな局のニュースにて農林水産大臣が自殺したとの報も併せて放映されていた。生と死、対照的であった。

 デカ盛りの特集を見ながら私は生きていこうと思ったのだ。あそこにも行きたい、ここにもいつか行ってみよう。今日はちょっと風邪気味ではあったけれども、デカ盛りはそういう気力を沸き立たせてくれる。生きていなくては美味しいお店に食べに行くこともできないのだ。

 生きていくためには、平和でなくてはならない。平和を求めるのに現憲法以上のものがあろうか。戦後に、国民・市民を死地に追いやった全体主義国家体制の反省を一番よく感じていた戦後直後に作られた現憲法以上のものが。それを変えんとするのは、どうしても、生への志向とは思えない。

 食と生と平和・・・これらを守るために手に取るのは銃ではないと思うよ。

2007年05月25日

厳しすぎる世の中だから、「おしん」的ドラマが流行るのか

 今朝は、録っておいたドラマ「バンビ~ノ!」を見てから、仕事へ。

 そもそも、仕事前の朝は憂鬱になることが多いことも事実。元気になれるドラマを見てでも行こうかという気持ちは

 まぁ、このドラマを見ながら、いやいや、僕の仕事はこんなに厳しくもないさ、がんばらねばと思えたりするから、結構好きだ。

 しかしね・・・最近、この手のドラマが多い気がする。「バンビ~ノ!」は名門イタリアンレストランを舞台に、主人公が非常にしごかれるドラマだ。

 私がよく見ているところで、NHKの朝ドラ「どんど晴れ」だって、非常に「おしん」的プロットであるということは一語り「NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」は結構いいかな」で語ったとおりだ。

 まぁ、ちょっと見ていたドラマ「生徒諸君!」にしても、主人公の女性教師が非常にいじめられるストーリーであることに変わりはない。

 また、前の前のNHK朝ドラ「純情きらり」にしても、あれほど主人公がこれでもかこれでもかと悲劇に落とし込まれるドラマはないのではないだろうかというくらい主人公いじめだった。

 そう、今あげた、最近のドラマの傾向として、主人公がいじめられるストーリーが多いのだ。そのオリジンはかの「おしん」にあるような気がしているから「おしん」的ストーリーと私はカテゴライズしている分野のドラマなのだが。

 そのようなドラマはどうして流行るか・・・それは、ドラマ上の主人公たちがいじめられているのを見て「それよりはましだ」「どの世界も厳しいんだ」とかある種のカタルシス、俗っぽく言えば憂さ晴らしができるから何だろうと思う。

 今の世の中・・・格差社会も進み、弱肉強食が進んできている厳しい世の中である。ごく少数の者は大きな成功を収めようが、落伍するとはい上がるのは容易なことではない。ほどほどということが許されないほどかけずり回されながらもそれでもようやっと生きていけるかどうかという感じさえする。たとえば、ホワイトカラーエグゼンプション法案などの普通の勤労者を絞り上げる法案が案として出てくることや、ホームレスやネットカフェ難民など、非正規雇用者の増加、フリーター・ニート問題にしてもその例になろう。落伍しないためには走り続けなければならない、そんな厳しすぎる世の中で、どうして、トレンディードラマのような衣食足りて楽しむ恋愛話なんかが楽しめるであろうか。どうしても、「おしん」的ストーリーにカタルシス・慰めを求めてしまうのではないだろうか。

 そんな厳しすぎる世相を反映しているのが、昨今の、「おしん」的ドラマの興隆に現れているんじゃないかな。そんな風に思えてならないわけで。

2007年04月16日

弱さを出すことの意義

 まぁ、私はあまり弱さを隠さない部分がある。隠せないと言った方が正しいかもしれない。

 参っている時は、参っている・・・そんな感じに語ってしまう。

 先日、非常に参った時もそれをここで語った。かなりアクセスが多かったように思える。暖かいコメントも頂けた。

 弱さを出してあまりいいことはない。

 つけこまれることもあろう、弱いやつだと軽蔑されることもあろう。

 ただ、私は「性質」(たち)として弱さを出してしまう部分があるわけであるが、悪いことばかりではない。

 弱さを受け止めてくれるということが結婚相手に求める第一条件だったわけだが、妻はそれを受け止めてくれる人であったため、絶対に離してはいけないとがんばったわけだが。

 ここで、フラれた嘆きを吐露する語りを語ったのを見た友人夫妻が、ならばと妻を紹介してくれたのがその始まりだったのだから。

 弱さを隠して、気丈に振る舞うこともすばらしいことである・・・これは衆目認める所であろう・・・私だってそういう感じにできればどんなにいいかと思わないでもない。

 でも、「性質」(たち)ゆえ、できない時も多いわけだから、そういう時は、弱さを吐露したっていいんじゃないかな。

 そこに人間性も出るし、親しみやすさも出るだろう。100%弱さを見せない人、隙のない文章なんてビジネスで見るだけで十分であるから。そして、100%弱さを見せない人間なんてある種の欺瞞を感じるくらいだから。だから、僕は弱さは見せていこうと思っている。

 このブログの魅力も、弱さの吐露というところにひとつあるんじゃないだろうか・・・

 私のもうひとつのホームページ「もてない男のその後の語り」も、まぁ、弱さの吐露そのままのタイトルというか・・・。

 貧乏だなぁとか、悲しいなぁとか、素直に弱さを出している所に、さほど、毎日面白いことを書き続けているわけでもないのに一定数の読者が来てくれている吸引力があるんじゃないかと踏んでいるのだが。

2007年04月09日

今日は、エアロビ。運動はしないとだめだねぇ。

 今日はスポーツクラブのエアロビ教室に行く。

 なんだか疲れていたし(これは主に気疲れかもしれないが・・・)・・・どうしようかなぁという感じであったが、思い切って行ってよかったかと思う。

 やはり、さっぱりするわけで。

 勇気を振り絞り、体重・体脂肪測定をすると、2ヶ月前より増えているということもなかったわけで・・・よかった。

 まぁ、少々無理しても、運動はしなきゃなぁと思った次第。

 生きていく上でのストレス・・・運動で発散できるのは確かだから。

2007年03月29日

うまくいかないんならば、桜の花を愛でてみようというスローライフ術

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 今日はとても晴れ渡ったので、桜を観に妻とお出かけ。こんないい感じの桜が観られて大満足。

 今年は桜前線はどこまでだ?と気にしながら最近を過ごしていたし、何回か近くの花が咲いているところを下見していたりもした。

 満を持してお出かけした今日、こんな素敵な桜が観られたのでよかったのだ。

 昨年はというと・・・2005/4/11一語り「私の花見の変遷」に語ったとおりだ。それを見る限り、ここ数年・・・だんだんと桜という季節の変わり目を象徴する自然の移り変わりに目を向けているのが分かる。

 桜の開花はまだかなぁと心待ちにし、咲いたら咲いたで観に行く。かなり暇な動作である。

 暇という言い方で語弊があるならば、最近はやりのスローライフな動きである。ちょっと若さを感じない部分もある。

 若い頃、ばりばりやっていた頃・・・たとえば受験でもいい、就職でもいいのだが、そういう時は、気ぜわしすぎて、花などに目を向ける暇はなかった気がする。外資系投資銀行等でのディーラー出身の幸田真音さんの小説に、そういえばこんな風に昼間道を歩いて自然を見るのなんて何年かぶりだろうか?と自問する若者の証券トレーダーの主人公が出てきたのを記憶しているが、今をときめくマネーゲームにいそしむ人たちには、想像もつかないスローな動きなんだと思う・・・桜がいつ咲くかなぁ、咲いたら観に行ってしまうような動きは。

 ちょっと風は強かったけれども、今日みたいに晴れた日に、桜を愛でられたのは、やはり素直にうれしかったし・・・このスローさはかなりのぜいたくなんじゃないかな。

 今年がすごく花を見たかったのは、ここ数日来語ってきている感情の揺れ、悲しみに関係ないことではないだろうし、また、加齢という要因もたぶんに入っていることではあるだろう。そして、なにかにそんなにあくせくしても、うまくいく時といかない時があるということで。そういう時はゆっくり花を愛でているのもいいものじゃないだろうか。

 また、最近貧乏話が多いが、実際お金に余裕はないので、桜を愛でるというのは、そこに行く交通費くらいでそんな出費にならないのでいいわけだ。

 タイミングが合わなければうまくいかないこともあるだろうし、うまくいかなくても・・・いいじゃないかというわけで。

 うまくいかないんならばスローライフというのに流れてもそれはそれでいいものだな・・・そんな風に感じたわけで。

 そういう充電を通じてまたがんばれるんじゃないかな。

2007年03月28日

悲しみを乗り越えるために二郎を食べる

 悲しみにひたっていることはここ数日来語ってきているが・・・

 もちろん、妻にも大いに聞いてもらっているし、友達にも聞いてもらっている。

 いろいろな方面からいろいろな励ましや意見を聞くと大いにカタルシス(浄化作用とでも訳すべきだろう)になってとても助かっている。ありがとう(^-^)

 ただ、私の場合、悲しみを感じるとそれが容易に怒りに転化してしまう部分がある。

 悲しみ転じてふつふつと怒りが・・・まぁ、分かっていただける方も多い心境かもしれない。

 そんな時、私は私で解決策を知っている。そう、食べることなのだ。

 しかも、普段は健康を意識してあまり食べないようなジャンクな感じのものがよいわけで、その方がカタルシス効果が高いようである。

 そのへんは妻もわかってくれているようである。

 そんなわけで、この前は怒りを持続しているくらいだったら、何か食べに行こう、そうだ、焼き肉がいい、行きたいと言っていた店があるじゃないか、それとも、食べ放題か・・・などと考えているうちに、やけ食いするにしても、焼き肉は高いし、食べ放題だとあまりおいしくないし・・・などと意識を食べ物に逸らすと、結構怒りも静まってきたりもする。

 ふと、妻が、たまにはおいしいラーメンが食べたいなぁとのことだったので・・・そこにインスピレーションがわいたのが・・・

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 ラーメン二郎のラーメンである。背脂たっぷりのスープはジャンク感満点だし、そのボリュームに、悲しみや怒りを忘れて食に専念せざるを得ないのが、また、悲しみを乗り越えるためには好ましい。

 妻も久々の外食のラーメンに舌鼓を打っていたようだから、まぁ、よかった。

 悲しんだり怒ったりするくらいなら、まぁ、食っとけ・・・それはそれで私なりの生きるすべである。とりあえず食わせておけばいいという部分で私をいなすときに妻もよく使う手である。

 まぁ、そんな自分を自分ではさほど嫌いじゃない。だから、今回も自分を治めるために外食に行くぞと妻を連れ出したのは私の方だし、それは妻も理解してくれているようであるから。

2007年03月27日

どうしようもない悲しみの時に、妻が持ち出してきたもの

 昨日、中原中也の「汚れつちまつた悲しみに・・・」の詩を思い出したことを語ったが・・・そんなすさんだ気持ちの時に、妻がいることは非常に慰められる。

 かの中原中也の詩を知っているか?と妻に問うと、ひとつの本を取り出してきた。中原中也詩集の文庫本。

 ちょっとびっくり。知っているかどうかもどうかなぁと思ったのに、本まで持っていたとは。なんか、すごい。

 もちろん、かの有名な詩も出ている。

 この詩は、むかーし、教科書かなんかで読んで、そのまま忘れていたが・・・どうしようもない悲しみのきっかけに記憶の糸がたぐられてしまったらしい。記憶のフラッシュバック。

 最初の一遍を引用したい。

「汚れつちまつた悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れつちまつた悲しみに

今日も風さへ吹きすぎる」

(『汚れつちまつた悲しみに』・・・・・・ 中原中也詩集 集英社文庫 p44より)

 心にひゅーるりーという風が吹くような気持ち・・・たぶん中也もそのような気持ちをこの詩に乗せたんじゃないかな。

 

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2007年03月26日

どうしようもない悲しみに

 いやんなってみました。

汚れっちまった悲しみに・・・中原中也の詩を思い出した。

とりあえず明日は休みを取った。

2007年03月19日

貧乏であってもなんであっても、生きているのが大事なんだ ~ドラマ「華麗なる一族」の最終回に思う~

 最近貧乏論を語ることが多いが、意外に性に合っているのかもしれない。語っていて気持ちいいというのは性に合っている証拠だろう。

 以前はかなり「もてない」論に凝っていたし、今は「貧乏」論かぁ・・・まったくなんだかネガティブイメージに吸い付く習性があるのかなぁ。

 ところで、昨日、ドラマ「華麗なる一族」の最終回を見た。迫力あるドラマだけに、最終回もさぞ・・・そんな風に思ったものだが・・・ちょっと期待はずれ。

 主人公の鉄平が、自死に至ってしまったのだが・・・死ぬ必要があったのだろうか。親であっても、華麗なる閨閥であっても、金であっても、すべてをかなぐり捨てて「生きる」選択肢があったんじゃないか?そんな思いばかりが先に立ったし、死に至る必然性がドラマの中のロジックでは理解しきれず。だから、期待はずれ。

 原作だとどうなんだろう。実は上巻は妻の親類の家にあったので借りてきているので、読んでみたりしているので、そちらのロジックで満足行ければいいのだが・・・山崎豊子さん原作だが、その昔、「白い巨塔」シリーズにはまって、読み込んだ時くらいのはまりこみ方になるかどうか・・・ドラマで見る限り、ちょっと説明不足な気もするし、「白い巨塔」ほどの説得力はない気もして。

 要は、主人公は、金もなくなって、格好良くそれこそ華麗に「死ぬ」方向を選んだように見えたのだが・・・それって格好良くないと思うんだ。

 貧乏になったって、親との縁が切れたっていい・・・格好悪くったって、生きる方がすばらしいんだと思う。華麗なる閨閥に生まれたからって、どうなのかな・・・あの終わり方は・・・そんな疑問が大きくあって。

 僕だって、今は貧乏だけどね・・・なんとか生きている・・・それでいいと思っている。

 「何で死ぬかなぁ・・」とつぶやきまくってしまっていたし、これには妻も共感してくれていた。

 そう、貧乏生活共同体の私たちには、なんだか、その華麗なるストーリーには共感し得なかったわけだ。

 2006/11/13一語り「結婚式挙げてきました(入場BGM)」で語ったように、「約束します。君を残して、僕は死にません。」というBGMにこだわるほど、生への執着を持ってつながった僕たち。妻の入院から始まった結婚生活を乗り越えて、だからこそ貧乏になっている僕たち。あんな風に華麗に散るストーリーは決して容認しがたかったのだ。

 なんであっても、生きているってすばらしいと思うんだ。髪振り乱して、必死になって、格好悪くったって、なんとか生きているのってすばらしいんだから。

2007年03月18日

家事の外部化を超えて、外部サービスを内部化することに、貧乏暮らしの技がある

 「家事の外部化」という概念がある。

 そう、平成15年版 国民生活白書にも、家事の外部化が進んだ結果、結婚しなくても不自由を感じなくなり、結婚へのインセンティブが低下しているという分析がなされている。ここで、家事の外部化の例として、外食をしたりすでに調理された食料品を買ったり、クリーニングに出すことが挙げられている(平成15年度版国民生活白書 第3章 デフレ下で変わる若年の家庭生活 未婚化、晩婚化の要因)。

 そう、料理するという家事、洗濯するという家事、それらを金を出すことによって業者にやってもらうということである・・・これを家事の外部化と言うわけだ。

 ただ、まぁ、我が家はお金に余裕がない。となると、家事の外部化を委託するお金がもったいないわけである。だから、妻は一生懸命、家事をやってくれている。

 そして、私も・・・

 今日は日曜日、私が早起きをして朝食を作った。

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 これである。 

 私の手作りのソーセージ入りロールパンに、エスプレッソコーヒーを淹れたカプチーノ。コンソメスープは昨日夕食に妻が作ってくれたものを使ったが。

 これだけのものは、言ってみれば、外で食べればいっぱしのカフェメシだろう。カプチーノだって、スタバで飲めば300円程度しよう。手作りパンを3個食べたら、どうだろう、300円くらいしちゃうんじゃないかな。スープも付いてのセットとなるとカフェで食べるといくらだろう・・・。

 ホームベーカリーはせいぜい5,000円で買ったものを使い込んでいるし、エスプレッソメーカーは少し高くて3万円くらいしたけれども、それは、独身時代に買ったものだから。

 私は、まぁ、ここでも、ステーキを焼いたり、手作りパンを作ったり、ケーキを焼いたり・・・要は、レストランなりパン屋さんなりケーキ屋さんなりがサービス業として行っていることを内部化しているととらえることができるんだよね。

 これって、結構痛快なんだよね。本当はサービス料を払って・・それは、自分で作るより割高なケーキの価格なりパンの価格なり、レストランの食事代なりで現れてくるわけだけど・・・享受しなければならない楽しみを、家で格安にできてしまう。

 外部サービスの内部化・・・これこそ貧乏暮らしの技ではないだろうか。

 もともと、パソコン自作をしたあたりから、外部サービスの内部化に目覚めたわけだが・・・そのバリエーションを広げているわけで。

 ケーキ作るにしろ、パン作りにしろ、それなりに手間はかかるよ。でもね、そこに痛快さがあるから続けられるわけで。

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2007年03月13日

当分は賃貸でいい・・・小さな夢をたくさん持てば

 まぁ、ここでよくお金に余裕のない話、端的には貧乏話を語り始めている最近だが・・・

 先週末、妻の親類の家に、無線LAN装置の設置に行ったんだよね。新居を建てたわけで・・・一軒家。その新居はすでに拝見していたわけだが、インターネット接続ができていないとのこと。新居は広いし、階が違ったりしてLANケーブルの配線に苦慮するということから、パソコンに詳しいと認知していただいている私に相談が来たわけで・・となれば、無線LANがよろしかろうとアドバイスし、機器を手配し、設置作業に妻と一緒に出向いた次第。

 PLC、電力線通信(コンセントを使って作るLAN)を試してみたかったが、電波障害等も否定できない部分もあるようだし、まだ新しい出始めの(枯れていない)技術で不安もあったので、きっちり枯れていい感じに円熟している無線LANがよろしかろうと思ったわけで。

 ただ、無線LAN・・・やっぱ一筋縄では行かないもので、なんだかんだと若干のすったもんだがあったが、無事に開通。電波が届かなかったらどうしよう・・・という杞憂は杞憂に終わったのでなにより。

 まぁ、単なるオタク的趣味でやってきた部分もあるIT・パソコン趣味。こうやって人のお役に立って喜んでもらえるのはなによりってことで。

 そんなことをしながら、やっぱり一軒家っていいよなぁとか感じたんだよね。

 ただね、持ち家を持とうにも、自分たちが結構大きなローンを組むほどの余裕はないなぁと思ったわけで・・・最近の貧乏意識へつながる。

 ただ、現在発売中の雑誌「プレジデント 2007 4.2号」を買って読んでいたんだけれども、それは「男の家計簿入門」という大見出しで、わが家の一大事を「経営のソロバン」で解く! との副題で、賃貸か持ち家か・・・そんな小見出しもついてきていて思わず買った次第。

 p.80~81にマネックス・ユニバーシティ社長の内藤忍氏の見解として「賃貸ならすべてのリスクを回避できる」というものが出ていた。「家を持つことは(1)流動性リスク、(2)ローン返済リスク、(3)実物資産への投資リスク」があるとして、賃貸の方がそれらを回避できるので良いのだという論。私も非常に賛同できた。無意識的・本能的に感じてきた持ち家ローンへの抵抗感は、この3点のリスク回避のためということだったんだろう。

 そんなわけで、一時は燃え上がった持ち家願望だが、当分賃貸でいいかと思ってみたりしてみた。まぁ、将来ビジョンを考えることは悪いことじゃないだろう。

 まぁ、話は戻って、妻の親類の家に行った後に立ち寄った妻の実家で頂いた夕食。

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 豚しゃぶである(^-^)我が家にはコンロもないので、こういうのは非常にごちそうに感じられる(^-^)とてもありがたいことである(^-^)ごちそうさまでした!!

 よし、今度はお金を貯めて、電磁コンロでも買おうか・・それも小さな夢。ちょっとやる気が出てきた。

2007年03月12日

探し求めた超強力粉を入手。明日の焼き上がりが楽しみだ

 2007年02月20日一語り「探し求めて高級なパン用小麦粉を入手、ささやかな楽しみが人生を生き抜くコツだろう」で語ったが・・・ここの読者が入れてくれたコメントで知ったパン用小麦粉であるゴールデンヨットを今日、とうとう入手した。そう、日清のパン専用小麦粉2kgを使い切ったので、いよいよ真打ちのゴールデンヨットを使ってみようと。

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 明日の焼き上がりが非常に楽しみである(^-^)

 非常に釜伸びがよいということなので、ふっくらできるんじゃないかな。

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2007年03月11日

終の棲家は見つからず、結局、最後はお金かな

 最近、お金に余裕のない話ばかりしているが、私たち夫婦が、諸処の波乱を乗り越えてきて今後はどうなるかはまだまだ不明なれど、ある種の安定期に入ったところで、今後どうなるかを考えていくのは理の必然とも言えるわけで。

 まぁ、お金の余裕がないならないなりに、家賃の安いところへ移るのがよいのかとか考えてきていて、いろいろ探してはいるのだ。

 今日もちょっと見てきたところがあったりするわけだが。なかなか、良い物件で、今のところより安くて、広くなる。いいことずくめだが、勤務地から遠くなる。

 そういう定性的・質的なものは数量化しにくいが、金銭のかかり具合などは数量化して、定量的に計算できるから、判断に迷うならそっちからしてみようということで・・・引っ越しには敷金だの引っ越し費用だのと一時的費用がかかるわけだから、その一時的費用を取り戻すのには何年かかるのかとか、損益分岐点の算出作業を妻と二人でしたりしていた。

 こういう細かい計算等は、妻の方が器用にぱっぱとやってしまうからすごい。

 まぁ、金銭的には引越しても、今のままでも、だいたい同じくらいかなという結果が出た。あとは、遠くて広いのがよいか、近くて狭いままの方がいいのか。

 どっちみち、今の経済状況とさほどの変わりはないので、広くなったとはいえ、蓄えが増加する方向にはプラスには働かないこともわかってきたので・・・まぁ、どうしようかなぁとか思っている。

 ともあれ、賃貸である限り、終の棲家と見なしていきたくはない思いもあるわけで・・・最終的に分譲マンションか一軒家か。そこに至るまでは賃貸での蓄えが増加する方向にプラスに働く安いところをということになるのだろう。

 なんだか、終の棲家への道のりは遠いなぁ・・・と表計算ソフトで未来予測の計算表を作りながら思ってみたりして。

 妻が、「やっぱりお金がないとねぇ」という嘆息もなんか真実味を帯びているわけで。

 しかも、その時に、横目に見ていたドラマが「華麗なる一族」・・・そんな華麗なセレブの様相を見ながら・・・庶民は庶民で、つらいのよなんて思ってみたわけで(^-^)

2007年03月09日

確定申告をした。いわば二人の生活を維持するために

 実は昨日の夜から一生懸命計算したり、資料をそろえたりしていた。
 最近は、お金に余裕がない・・・端的に言えば貧乏話とも言うべき話が多いが・・・そのへんをしのいでいくには大きな概念で二つしか方法がない。

 収入を増やすか、支出を減らすかだ。
 収入が増える当てがない以上、支出を減らす努力をすべきなわけである。

 確定申告もその一環。

 勤め人においても、結婚をすると、必要になってくる事柄だったりもする。二人で払いすぎた税金(主に医療費に関してだが)を取り戻す作業である。

 ということで、3月15日の締め切り前に出してしまおうと、先日から、計算をまとめたりしていたわけだ。
 それなりに面倒だし、それなりに税法上の解釈を調べたりもしなければならないので、最後の詰めの作業で、妻と議論したり、一緒に悩んだりしながらであったが・・・

  しかも、昨日は肝心なところで、紙切れを起こし・・・最近の確定申告書はパソコン打ち出しでできたりするのだが・・深夜にコンビニに買いに走ったりしながらであったわけで。

 ともあれ、今日出せてほっとしたし、まぁ、戻ってくる税額はさほど多くはないけど我が家の家計にとっては貴重である。そういう地道な作業が、二人で一緒にいるという生活を継続するためには必要なことなわけであろうね。

2007年03月06日

働いても、なかなかに楽にはならざる

 昨日の一語り「妻の友人が来るというのでケーキを焼く~金銭的には余裕なくとも、心豊かになるために~」でまぁ、お金の余裕がないんだよねと語ったところであるが・・・。

 まぁ、結婚してから妻と共同して家計簿を付けているのだが(妻はそれを通して、私から、表計算ソフトの使い方をレッスンされたりして・・・今では通り一遍使えるようになっているのである)、それを見ながらつらつら思ったわけで。

 体感的にも感じていたものの・・・思った以上に厳しい。実際余裕はないのである。まぁ、結婚すればそうだよという話もあろうが・・・。

 ところで、最近、不動産物件を見て回るのが楽しみになっていたりする。

 周りの知人・友人たちは結婚してから少し経つと、マンションや家を買ったりして終の棲家をゲットしている場合が多い。子どもが生まれて、大きな居住スペースが必要になったということもあるし、家賃として自分のものにならないものへの経費を毎月支出していくのがいやになったという意見もあったりする。

 その例によるというのだろうか・・・やっぱり、将来はこんな所に住みたいねとか言いながら不動産物件情報を見るのは夫婦の密かな楽しみになっている。また、この前なんかは公営系の住宅のパンフレットをもらってきて、敷金礼金もかからないからもうちょっと貯金を目指して転居してしまおうかとか。

 それで近くの物件だと散歩がてら見に行ったりして・・・こんなところだったらいいねぇとか、でも高すぎて買えないねぇとか。賃貸住宅も外観を見るだけでも楽しいと言えば楽しい。

 で、実際に今の家計簿を見直すと・・・

 私の毎月の収入は家賃・光熱費・食費等でほぼすべて消えている。わずかながら貯金が出来るかどうかといったところ。毎日お弁当を持参して、食費の節減を図っていてこれである。

 ボーナスがあるため、それが、例えば、私がこの一語りで語ったレンズに使ったり、この前の仙台旅行に使ったり・・・それであまった分を貯金に回しているのが現況。

 要は現実的に考えて、ローンを組むのはきついよねということであったりするのだ。

 そして、これで子どもでも生んでしまったら一発で赤字決算毎月で、ボーナスで補填という生活に落ちるわけで。

 だから、実は、最近ここでも語ってきたように妻とPhotoshop等でイラストを描いたりしているので、タブレットが欲しいなぁとか家電量販店で見てきたりもしているが、2万円以上するものであるから、この前仙台旅行に行ってきたこともあるから、買うのは控えるべしとか思ってしまっているのだ。

 まぁ、でも、いろいろ不動産物件を見て回っても、今住んでいる物件がとてもいいと実感されてきたし、家賃は少々お高くても、スポーツクラブに行くお金もなんとか計上できているわけだから。

はたらけど

 はたらけどなほわが生活くらし楽にならざり

   ぢっと手を見る

 石川啄木の有名な詩であるが・・・

 そこまで追い込まれていないし、まぁ、がんばっていこうというわけで。 

2007年02月27日

テレビを視ることは人生の時間の無駄遣いだろうが、希望を与えてくれるものでもある

 まぁ、ここではテレビネタを語ることも多いだろう。

 だって・・・今日だって妻は「あ、今日のロンハーは格付けだよ♪(ワクワク)」とか言っているし(妻は格付けが大好きらしい・・・もちろん私も結構好きで二人でげたげた)、片づけ終わったら録っておいた「水曜どうでしょう」を視ようとかうきうきしているし。

 その点は気が合う。私もテレビ大好きだからね。ドラマもね。

 だから、どうしても家での主たる娯楽がテレビ視聴となるわけで・・・ここでもそのネタが多くなるわけである。

 私はそもそも、高校生までは、実家であったし、テレビ視聴は厳しく制限されていた。勉強のじゃまになるということだろう。私に与えられた至上命題がいい大学に入ることであったから、仕方ないことであろう。テレビは勉強のじゃまになるのは私も分かっている。

 念願かなって浪人を経て大学に入学し、独り暮らしになったが、独り暮らしし始めはテレビはなかった。冷蔵庫、炊飯器は生活に必要であろうと買ってもらっていたが、テレビは必要なものではなかったのである。確かにそれはそうなのである。

 数ヶ月後にバイトを始めたりして、テレビを買ったわけだが。その間はラジオが娯楽だったわけで、結構寂しかったものだ。

 テレビが来たら、むさぼるようにテレビを視た。明日が土曜日だとか日曜日だとか言うと、夜を徹して視てしまったりもしたものである。

 だからといって、勉強・・・いや、大学以降は学問と言った方がよいか・・・学問なり研究なりをおろそかにしたわけではなかった。さすがに家ではテレビがあるから妨げになるという意識から、図書館に行ったり、大学の図書館が閉まっている日曜日は公共図書館に行ったりしながら、それなりに学生の本分も尽くしてきたつもりだ。

 ただ、そうやって勉強をするためにテレビをさけてきたと言うことは、試験に受かるとかの人生の上で万人が認める有意義さにとって、テレビという一方的な非生産的な場合が多い映像の受動的視聴というのはいかにもいかにも無駄だということがテレビ好きの私とて本能的に分かっていたということであろう。いかにテレビを擁護したくとも否めない事実だろう。

 実家にて、テレビ視聴を厳しく制限されていなかったら、決して私は大学に入れなかったことは認める。

 人生にとって有意義さの効率的追求の観点からはテレビ視聴の時間は無駄と言って過言ではないだろう。

 その意味で私たち夫婦は、人生の無駄を毎日楽しみにしているのかもしれない。今さっきも、明日は「相棒」だけど、録っておいた方がよいかななどと真剣にディスカッションしていた。夫婦が顔付き合わせて語り合うことはもっとほかにあるだろうというつっこみもあろうが。

 ただ、30代半ばを迎える私たちの年になってくると、人生は有意義さの効率的追求だけでは身が保たないということが分かっているのである。

 私たち二人は多分あまり運が良くない二人である。ここを読んで頂いていてもそれは分かって頂いている方もいるかもしれない。別に自慢する訳じゃないけど。

 だからこそ、人生の無駄と思えるテレビ視聴を楽しむ時間を楽しめるのである。まぁ、ここいらで一休み、いいじゃないかと(^-^)

 私もなにか有意義なことをを効率的に追求する、それで何かを成し遂げれば、それはそれで自分のプライドの維持につながるのだけれども、そんないたちごっこみたいなことには疲れてしまっている30代半ばでもあるのだ。

 それを私たち二人はよく分かっているから・・・とりあえず、好きなドラマやテレビ番組が見つかると幸せ。人生の時間の無駄遣いとは分かっていても、その無駄遣いが自分たちを休ませてくれることがよく分かっているから、その時間を大切にするのである。

 1年半ほど前、妻は入院した。さぁ、これから結婚式と、後は式を挙げるだけの直前の時に。

 そして、その式は流さざるを得なかったわけだが・・・2005/10/19一語り「結婚式中止」に語ったように、今は妻になっている妻が元気になってくれるのか、妻との明日(将来)を考えられるのか・・・泣いたり嘆いたり虚脱状態に陥ったり・・・

 そんな入院前、妻は大好きなドラマ「白線流し」のスペシャルがあるから録っておいてと僕に言づてて入院していったんだ。私も白線流しは大好きなドラマだったからそれには異論がなかったが、それにしても、明日を考えられるかどうかの入院前に語り合うネタとしては「白線流し録っておいてね」っていうのはやや間が抜けている感もあるが。

 どうにもいろいろまいっていた私だが、それでも録っておいたらしい。

 おおよそ2ヶ月くらいの入院の後、妻は退院できた。そして、今、こうやって一緒にいられるわけだが・・・

 一緒に録っておいた「白線流し」を視られた時・・・本当に嬉しかった。

 テレビ視聴は、多分、人生の中でもっとも無駄な時間のひとつだろう。しかしながら、その無駄を楽しむこと、その無駄を共有し合うことを夢見て私たちは苦境を乗り越えられたんだと思う。

 だからね・・・テレビ視聴は、テレビを楽しみにすることは、僕たちに希望を与えてくれたんだよね。

 ドラマ「華麗なる一族」視ながら・・・妻が「鉄工所を継いでいるから"鉄平"、銀行を継ぐから"銀平"ってねー♪」私が「あ、そうか・・・でもなんか安直、それにしても万俵ってよー」。こうやって文字化していてもなんだか人生の中での無駄時間的な色合いがにじみ出ているが、こんな会話をしていられることに希望なり幸せを感じていられるんだよね、僕たちは。

2007年02月22日

パン屋になりたいという夢を持っていたこともある

 最近、パン作りのことを語っていることが多いのですが・・・私のメインページである「もてない男のその後の語り」の方で1999年8月22日に次のような語りを書いています。

 パン屋になりたかった男

 まぁ、そんな夢を語っていたわけですが、近年、パンを捏ねたりすることから始めて、お客にも振る舞ったりしながら、ホームベーカリーも購入・・・ロールパン、食パン、メロンパンなどなどいろいろ独学で作っているので、妻から、この前、パン屋にでもなるつもりみたいに見えるわよといった旨のことを言われて・・・はっと思い出したりしてね・・・そういえば、パン屋になりたいなんて思っていたんだなぁと。しかも、それをホームページで語っていたんだなと。

 まぁ、パン屋になるための早起きは未だに得意じゃないので無理にしても、とりあえず趣味レベルでも、パン作り・・・なんか楽しいし、喜んでもらえる趣味で、実用的でもあるし、悪くはないなと思ってはいる。

2007年02月20日

探し求めて高級なパン用小麦粉を入手、ささやかな楽しみが人生を生き抜くコツだろう

 2007/2/2一語り「パンのミミが食べられる幸せ」にて"ゴールデンヨット(という小麦粉)を使ったらあまりにもすばらしすぎて他の粉は使えなくなりました"とのコメントを頂いて以来、一度その高級な小麦粉を使ってみたいと探していたところだったんだよね。

 もちろん、ネット上ではすぐに見つかったのだが、送料もかかるし取り寄せるのもちょっと手間。どうせなら近くで手にはいるところがないかと、探し回っていたわけだよね。

 そう、あまりに遠くては現実味がない・・・どうせ買うなら継続性を求めたいから、遠くにあっては意味がないので、通勤経路上とか家の近くとかを探し回っていたがなかなかになかったのだが・・・ようやっと今日、手に入れたのが・・・

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 これ。ゴールデンヨットではないが、日清の高級パン用小麦粉・・・専門店で使用する高級パン専用小麦粉ということで購入。2キログラムで700円ちょっと。普段の日清カメリアがおおよそ1キロ、250円だから、キロ単価で100円増しくらいだから・・・買ってみようかと(^-^)

 どんな風に焼きあがるかがとても楽しみ。早速、ホームベーカリー(パン焼き器)にセッとしたよ。明日の朝がマジで楽しみ。こういう毎日のちょっとした楽しみを持ち続けていくのが、人生飽きずにささやかに生きていくコツだろうと30余年生き抜いてきて身につけた小技ではある。人生にワクワクは欠かせない。せいぜい5千円のホームベーカリーというおもちゃを手に入れて、実用的なワクワクを手に入れたというわけだ。

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2007年02月05日

若さに当てられ、超ひさびさのエアロビへ・・・やっぱ踊るっていいよね

 昨日若い人たちのエネルギーに当てられたのか(昨日の一語り「お台場にて、若者の熱意に感動した一日」参照)・・・今日は目一杯運動してしまったのだ。

 いやね、年を取った取ったという論調が目立つようになってしまったが・・・実際そうなんだよね、30も半ばに至るとなると・・・社会人だって10年以上続けているとなると、なんというか、夢がなくなってきて現実的にこれは可能かどうかなんて縮こまった発想しかできなくなって、そして、先を読むことにだけ長けてきて、これはこうやった方が後々苦労しないなどという消極的先読みが長けてくるもので。

 消極的先読み・・・例えば、今日は月曜日、スポーツクラブに行く日なのだが、行って、水泳をする。200mも泳ぐと疲れてくる。となると、このへんで上がって、風呂にでも入って帰ろうか、妻も待っていることだし明日に疲れを残してはダメだものな・・・そんな消極的思考のもと、そこそこに切り上げてしまうところである。これが、大人な消極的先読みの例。

 今日もその例に乗りそうになっていたのだが・・・そう、なんか、疲れているんだよね・・だから水泳200mで切り上げて帰ろうかなというところで、スポーツクラブ内でアナウンスがあったのだ。エアロビのスタジオレッスンが始まりますと。

 よっしゃこれは参加してみようと思ってしまったのが、昨日の若い人たちのエネルギーに当たられたところかな。

 消極的に先読みなんてせずに、ちょっと目一杯運動してしまおうじゃないか、月曜だけどね・・・そもそも体脂肪が多いのが気になる。もともと好きだったエアロビをするのが一番いいだろうと。

 それで、昨年の8月末に入ったスポーツクラブのスタジオレッスンのエアロビに初めて参加してみたのだ。

 ほぼ一年近くの時をおいて、エアロビに復帰してみたのだ。

 40分間のベーシックなエアロビであり、それなりに振りも覚えていたので、さほどブランクを感じさせずに入れたが、汗びっしょりになる感覚に、あぁ、やっぱり僕はこれが好きだったんだなぁと実感。

 時間が短くて済む、マシン筋トレや、水泳もやってみたよ。でもね・・・なんか違うの・・要は僕はさほど運動が好きってほど好きじゃないみたい。

 音楽に合わせて体を動かすのが好きだったんだなぁと実感。

 水泳200mに加えて、40分間のエアロビをやったら・・・もうへとへとだけど、なんか身体が軽くなった感じではあるんだよね。

 家に帰ったらぐったりで使い物にならないわけだけど、そこは妻がご飯を用意してくれていたりして、結婚したメリットが大きく出るところ。独身時代はようようお弁当でも半額で買い込んで詰め込むというくらいだったからねぇ。

 やっぱり僕はエアロビが好きだったんだなぁと実感。

 若さに当てられがんばってしまったけどそんな初心を思い出させてくれたという点でも、昨日、コウサ展を見に行ったのはよかったのかもしれない。

 なかなか、はじめてのスタジオレッスンに飛び込んでいくという勇気も出ないものだ。その勇気を昨日もらったのかもしれない。

 数年前には毎日行くくらい好きになったエアロビ、週二回くらいは行こうかな。

2007年02月04日

お台場にて、若者の熱意に感動した一日 ~コウサ展2007を見てきた~

 今朝は比較的強い意志を持って早くに家を出て東京はお台場に向かった。

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 向かった先は・・・コウサ展2007を見るために、日本未来科学館というところ。

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 コウサ展とは、専修大学ネットワーク情報学部の学生による展示会。学内での発表だけでは飽き足らない・・そんな学生たちの展示会と聞けば、また、私自身大いに興味を持っているウェブ日記・ブログ論に冠する展示もあるとなれば、足を運びましょうぞという気概で足を運んだ次第。

 非常に面白く、そして、若さあふれる展示を見て・・・また、若い学生さんとのディスカッションを持ってみて、なんか新鮮な気持ちになれたわけで有意義な時間を持てた。無料の展示であったので、30分くらいで見終わってしまったら、あとは未来科学館でも見ようかなと思って(これはこれで大いに興味があるわけだが)いたが、いやいや、どうして、若い感性とのディスカッションをしているうちにあれよあれよと2時間近くもいてしまったのである。11時頃着いて、帰ったのが13時くらいだったわけで。未来科学館は見ないで帰って家で遅めの昼食でちょうど良かったくらい。

 もっとも興味があったのが、やはり、一ブロガー、一ウェブ日記書きとしてやってきている自負のある私としては、GPS携帯を用いた位置情報ブログの提案(Islands of Memories~場所と結びつく思い出~)であったが、4年生までの学部生たちが作ったものとしては、非常によい提案に思えた。現行のブログ自体が時間軸で整理される、せいぜい、カテゴリ分けしているくらい現状に対して、位置情報というもう一つの軸を入れてくるという視点を訴えているわけだが、これはグーグルマップなどのサービスで最近ブロガーの間でも注目されてきており、Web2.0ベース的感覚で流行に乗る視点だろうなと思えたからだ。また、auのGPS携帯との連携というのも、比較的普及しているデバイスを使っているだけに現実性に富んでいると思えたわけで。私自身、画像とGPSの連携のためにデバイスを買おうと思ったこともあるが、これはないことはないが、結構高い(多分1万円以上した)ものだから、それだけのために買うのもなぁという思いもあったからだ、auの携帯というのは比較的取っつきやすいデバイスに思えた。

 ただ、説明についてくれた学生とディスカッションをしている中で、それをSNS形式にしてしまうということには、現実性の点でどうなのかな?という思いはあった。家の位置情報をホームポイントに置くということから、セキュリティの面から、SNSにするという意図があったようだが、SNSのようにクローズドな空間にしても、現実安全性が担保されるわけでもないわけで、SNSの大手であるmixiにおいても実名で個人情報被害が出てしまうことからもわかるように、SNSにする意義がセキュリティという観点からだとしたら、それは意味をなすのかなという疑問があったからなわけだが。また、SNSにすることによって、敷居が高くなってしまって、実際SNSは参加者が多くならないと盛り上がらないわけだから、GPSと結びつけるためだけに登録までしてSNSに入ってくるのかどうか・・・その点も疑問であったからだ。

 だから、多分、GPS携帯の位置情報と、ブログを結びつけるだけのサービスで行った方が現実性があるなと思った次第。SNSにしてしまうと、かえって盛り上がらないのではないか・・・そんな思いがあったわけで。

 しかし、非常に興味深い提案であったことは事実であったし、実際、こういう研究が若い感性でなされていたんだなぁというのには感動。ぜひ、現実になってほしいものだと思ってみたりしているオジサン日記書き野私であった。

 そのほか、非常に興味深い展示が数多かった。ライブハウスとRSS配信による音楽文化の興隆を提言している展示の方々の熱いパッションにも触れられたし、小学生向けに大人の仕事の紹介をICタグを使ってわかりやすく理解してもらおうとしている展示もなかなか面白かった(いや、この展示にはね・・もっとどろどろした、残業続きで寝る暇なくてダメダメになっている大人の世界とか盛り込むと、また、ディープでよかねぇとか思っちゃったりして)。図書館からの地域情報(新聞記事)発信としてのRSS活用という話もなかなか現実感があってよかったし、VisualBasicとDirectXでフラクタル画像等を美しく描き込んでいる研究なんかは・・なんかほんと好きなんだなぁと感心してしまったり。

 私の大好きな分野の若者たちの熱心な展示を見て、なんだかうれしくなってしまった一日であったし、なんか、がんばっていこうよねと元気をもらえた一日だったような気がした。

 この専修大学ネットワーク情報学部・・・私の学生時代に、もし、こんな素敵な学部があったらなぁと思ったくらい。今だったら迷わずここに行っているんだろうな(^-^)

kousaten.jpg展示概要のCDをもらえた。結構便利であるし、うれしい。

 

2007年01月18日

プチヤケ

 プチヤケと表記すると、なんだか、ちっちゃい霜焼けかなぁという感じだが、別にそうではない。

 なんかヤケになりたい気分のことってあるよね。

 ヤケ=自棄 漢字で書くとこうなる。

 自分を棄てる感じが出てこそヤケなんだろう。

 贅沢してやろうと、一杯飲んで帰ろうかと思いつつも、コストが高いかぁと断念。そんな気遣いをするのが、もう、ヤケ度が低下している現れ。

 どうせなら、いいもの喰ってやろうと、買って帰ったのが、牛ステーキ・・ランプ肉。おぉーというところが、きちんと半額の値札が付いてるものを選んでしまった。牛肉は比較的足が速いので安くなりがちなのだ。って・・・半額の値札をねらっているのがすでにヤケなのかどうか疑わしい。自分を棄てている感覚はまったくない。将来のために蓄財を考える余裕さえあるようだ。

 一杯やってやれとホッピーを注ぐも、一杯でやめておいて、あとはマッコリを3杯くらい。なんか健康に気遣ってしまった。これもヤケ度が低い。全然自分を棄てていない(^-^)

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 しかも、牛ランプ肉のステーキは私自身が焼いて妻にも食してもらったりしている。こうなるとヤケ食い・飲みなのか普通の食事なんだかわからないくらい。

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 ま、そんなわけで、自分棄て度が少ないヤケ(自棄)・・・プチヤケ。

 年を取ると、ヤケになるのもエネルギーがなくなるというか・・・ねぇ(^-^)

2007年01月08日

3連休も終わりですね

 3連休も終わりですね。

 つらいです・・・(^-^;

 学生の頃、受験生の頃・・・連休終わりなり長期休み終わりなりの最終日は悲しかった。

 勉強がやっぱりいやだったんでしょうね。

 今も、連休終わりなり、日曜日なりのブルーは大いにあります。

 やっぱり、仕事はできればしないで済む方がうれしいんでしょうね。

 でも、勉強も逃げずにやってきた。仕事も逃げずにやっている。

 社会人になった時、あぁ、これでもう試験に追われずに済むんだ・・・そんな新鮮な気持ちになったものの、また、違った種類の苦しみがそこにあった。

 人生って、向かい風の中をえっちらおっちら進むようなものなんでしょうね。

2006年12月31日

今年もありがとうございました

 昨年に引き続き、今年を生き抜けたことをみなさんに感謝したいと思います。ありがとうございました。

 昨年末・・・昨年の今日には、みなさんの励ましのもと彼女ができたことをお話ししました(昨年の今日の一語り)。

 今年は、結婚し・・そして結婚式を挙げることができました。その道も決して平坦でなかったことはここで語り尽くしてきたとおりです。

 昨年も激動の一年と自ら評しましたが、今年もそれに勝るとも劣らずの激動でした。

 結婚式を川崎地下街アゼリアのイベントで挙げられることになったこと、結婚式を何とか挙げたこと、その後妻が麻しんで倒れたこと・・・などなど。

 その激動の折々にここにもらさせて頂いた感情のうねりがあります。それを読んで頂き、温かい言葉、励ましをいただいたことも多々あります。結婚式を祝ってくれる声・・・これもうれしかったものがあります。ありがとうございました。

 また、来年も激動なのでしょうか・・わかりません。でも、がんばっていきます。

 今年は激動であれど、結婚式を挙げられた、そして今日を生き抜けている・・・そう、すばらしい一年でした。

 今年も一年間本当にありがとうございました。

 みなさまにとって来年が良き年でありますように!!

2006年12月12日

カツと残業と健康と

Moblog Photo

とても美味しかったカツ丼である。ネットで調べていった甲斐ありというところ。最近は妻が体調を崩しているため、お弁当が作れない。私も朝そこまで男手でやるほどは余裕がない。だから外食が多くなるわけだが、せっかくならいつも食べられない外食の美味しいものを食べたいな・・そんなわけで大好きなカツを先日食べたわけだが。

 ただ、カツ丼はいくら美味しくても、良質なタンパクをうたっても、脂質過多は否めないであろう。

 美味しいものは往々にして体にはよくない。作用反作用のようなものだ。

 美味しいものばかり食べていたら、かつてのローマ人のように痛風になってしまうだろう。

 なにをそこまでカツ一つ取って、健康問題を語り上げているかと思われる方もいるかもしれない。

 それは私が一番苦しい仕事をしていた頃・・・毎日毎日深夜とも言える時間までの残業。終わりが見えない作業の連続。そんな時にカツにはまっていたからだ。

一番美味しい究極のカツカレーを求めて食べ回っていたことを思い出す。残業時食べる夕食もカツが多かった気がする。カツ丼・カツカレー大盛り等々。

 そんな激務で心に余裕のない時は、常用は体に良くはないとは知りながらも食べたくなってしまうし、せめても食べなきゃやっていられないという気分でもあった。

 激務で疲れていて本当は身体をいたわらねばならないのに、健康に気遣う余裕もなく、カツを食べてしまう。悪循環である。こんなことがずーっと続いたら体は保たないだろう・・・そんな思いで私は人生を転換したわけだが・・・

 昨日の一語り「理想はきちんと謳ってほしい ~残業代ゼロ法制、日本版ホワイトカラーエグゼンプションに思う~」
に語った・・・これからますます労働時間が長くなりそうな現実・・・その向こう側には自分の健康さえ気遣えず、せめても目の前の美味しさを求めざるを得ない、それと引き替えに身を削っていく・・・そんなことが起ってくるのではないだろうか。

 私がカツにはまっていた頃は、まさしくホワイトカラー的職種であった。

 そういうことを身をもって感じていた私が思うに、やはり、労働時間法制を安直に残業容認方向に向かわせるのはいかがかとは思っているのだが。

2006年12月06日

二人で支え合って生きるということ

 帰宅途中電話を入れると、今日は夕食はどうやら妻が作ってくれたらしい。

 私がどうやら限界だと思って・・・とのこと。病院の帰りにそれなりに元気が余っていたので食料品の買い物も済ませたとのこと。

 なるほど、よく分かっているなぁ・・・1週間単位での連日の仕事に家事にとなると、やはりきつさが残ってきていたのも事実である。ちょっと疲れも溜まっていた。帰ってご飯があるとほっとする。

 代わりに私は、妻が運べないトイレットペーパーなどの大物日用品を買って帰る。そして、食後の洗い物。

 二人で支え合って生きるというのはできている気がする。

 結婚式での誓いをその舌の根も乾かぬうちに実践せざるを得ない状況になっているのが、私たちらしいと言えばらしいが・・・

 がんばっていこう(^-^)

2006年10月31日

幸せへの往復切符

 幸せになりたい・・・そう、切に願っていない人はいないだろう。

 でもね、みんなちょっと間違っていることがある。それは、幸せへの片道切符を求めているところだ。

 幸せに行き着いたら、ずーっと幸せ・・・そんな都合のいい終着駅は、銀河鉄道999の機械の体をただでもらえる終着駅・アンドロメダが幻想だったように、まぁ、あるはずがない青い鳥だ。

 でも、幸せになれる往復切符は意外に身近にあるのをみなさんは気づいていないだけかもしれない。永遠に幸せになれる桃源郷なんてどこにもないけど、その時幸せになれる場所や物事は結構ある。

 この画像だと、いくら丼が幸せなんだが・・・ほら、イクラがこれだけ載っていれば幸せでしょう?この幸せの片道切符を皆さんに差し上げよう。これは私の記憶が正しければ、横浜中央卸売市場の場内にある、秋葉屋食堂のいくら丼だ。土曜日の午後から日曜日の朝までだけが休みで、あとは24時間営業だ。要するに行けばほとんど開いている幸せの駅。

参考サイト http://www.ne.jp/asahi/jog-turingu/yasuaki/newpage2.htm

 そう、美味しいものを食べている時はみんな幸せ。でも、それは食べ終わってしまうまで。だから幸せの往復切符。幸せへたどりつけるけど、また戻ってこなくちゃならない往復切符。

 そういえば、美登利寿司で大トロを食べた時も・・幸せって案外身近で、お安くあるものだなぁと感じたものだ。

 だからさ、幸せへの往復切符は結構あるはずだ。たんと寝ることだっていい。でも、片道切符はないものだ。そんなものを求め始めたら、不老不死を本気で探したと言われる秦の始皇帝と同じだ。

 鼻水ズルズルの今日、シャワーを浴びたら鼻がすーっと通って、幸せだった。これも幸せの往復切符。

2006年10月27日

才覚と運がなけりゃ・・

「若者はなぜ3年で辞めるのか?」城繁幸 光文社新書
なかなか話題のようで、本屋で平積みになっていたから買ってみた。ちょっと立ち読みするだけでも、引き込まれたからね。

私が今まで感じてきたこととかなり合致する。なかなかいいロジックを持った本に思える(まだ読み途中だけどね・・・)。

こんないい論を書けるのはどんな人かと巻末作者プロフ見てみるに・・・

1973年生まれ・・・

むむ??年下じゃん・・・年下に説得される感じなのはちょっとくやしい。

まぁ、年功序列を離れましょうという、実体験を持った上での論だから説得力も満点だが、またまたプロフを見ると、東大法学部卒。

まぁ、エリートなんだね。それだけの才覚に自信があり、あと運があって(富士通の人事部に勤められたわけで・・)、いい境遇にたてたから作者はこのように断言できるんだろう。

 才覚もなけりゃ、コネもなけりゃという場合には、今いる組織に泣いても笑ってもかじりついていくしかないんじゃない?それは決して恥ずかしいことじゃないんだろうな。

 私たち団塊ジュニアの世代は、そう、僕くらいの年代は一番損をしている世代なのは明らかだけど、まぁ、なんとか生きていくしかないし、やけになってもしょうがないから、せいぜい贅沢をせずにいけば、まぁ・・・たまにはいいこともあるんじゃないかな。

2006年10月24日

生きる目的を再認識させてくれる弁当

Moblog Photo

今日の弁当を開くとこれ。

オレか?

息詰まり、追い込まれがちな仕事の緊張感の中、仕事の残滓を引きづりながらの昼休み、開けた弁当がこれだったから、自分がなんのために生きているのかはっと気付かされ、ほっとできた瞬間。

2006年09月24日

シャワーがなかった日々から思うと・・・

 私が生まれた頃・・・シャワーなんてものはなかった。お風呂でお湯をかぶるといえば、湯船からお湯をかけていたものだ。

 それから、シャワーが普及し始めたわけだが・・・

 最近は、お風呂を洗うのが面倒になって、今日はシャワーでいいかなとか気軽にシャワーを使っているけれども・・・今日、そうだったんだけどね。

 独り暮らしを始めてから、結構長い間シャワーがなかった。

 始めての独り暮らしの仙台、学生時代だったけれども、旧式の風呂焚き器でお風呂に水を張って沸かさねばならず、面倒になって入る間隔が開いたりもしたりした。北海道に単身で赴任した時にも、やはりシャワーはなかったので、風呂にはいるとなれば風呂焚きであったので、一生懸命お風呂を沸かしたものだ。北海道だと、どうしてもお風呂に入りたい・・寒いからね。お湯がごちそうという感じだったから焚く方も必死だったりした。

 今、気軽にシャワーを浴びているけれども・・・ぜいたくになったものだと。

 しかも、今は風呂を沸かすのもボタン一つで可能だというのに面倒がっている。まぁ、ぜいたくになったものだとつくづく思い返す。

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2006年09月20日

カラオケは好きだけど、歌えなくなったわけ

 今日、19時から日本テレビ系列で3時間ほど「2006秋みんなが選んだ今すぐ歌いたい最強のカラオケヒットソング全部ご本人の歌でお見せしますスペシャル!!」という番組があったので、結構夢中になってみてしまった。実は、昔から、こういう番組は大好きだった。というのも、実はカラオケって好きなんだから。これは私を知る人から見れば、意外と思う人もいれば、そうだよねという人もいるだろう。ここを読んで頂いている方々はどう思われるだろうか?まぁ、カラオケに行くかどうかはその時属している環境に大いに影響されるのは皆さんもおわかりだろう。そう、行きやすい環境の時は行っていたし、歌う曲もたくさんあるわけだったりするわけで・・・学生時代だったり、そういう職場だったりね。

 この前、友人とカラオケボックスに行ったが・・・歌う曲がなくて困ったわけで・・・ドリンクバー付きの個室に入ったと思えばいいじゃんなどと言いながら、ぼちぼち歌っていたわけだが、私が行きたいと言い始めた割には全然歌えず・・・うーんという感じ。

 ということで、今日はこの番組で勉強し直していたりねぇ。

 そうなんだよね・・・結局、私は失恋系ソングが一番の十八番だったわけで・・・「あずさ2号」とか「心の旅」とか「言えないよ」とかね・・・。

 片思いまっただ中の時に歌っていた郷ひろみの「言えないよ」を聞いた友人からは、何か鬼気迫るものを背負っていると評されていたりした気がする。今歌っても全然そんな迫力は出ないわけだけどね・・・その当時は・・・ねぇ。

 まぁ、今はそんなに歌えなくなったのは・・・そういう環境にいないということと、結婚して失恋状態から脱しているからというわけらしい。

 でも、気持ちよく歌えたのは例えば、槇原敬之さんの「遠く遠く」とか・・・感情移入できたんだよね。気持ちよかった。

 また、十八番にできる曲を見つけていく時期なんだろうな。

2006年09月15日

あるゲームと札幌の思い出

 今日はプロップサイクルというゲームをした。かなり古いアーケードゲーム。大型筐体の運動型ゲームである。よろずゲーム考(各論)-大型筐体モノ- HIJK's Homepageに詳しく出ているので参照されたい。

 もう、かれこれ、10年前ともなろうか・・・単身で仕事で札幌に赴任していた時、このゲームにはまりこんでいた。

 たまたま、見つけたので、懐かしくなってやってみた・・・なんか、昔取った杵柄、やたらうまくできていたので、妻は素直にすごいねぇと感心していたが(妻も少しやっておもしろがっていた)。学生同士のデートみたいなものだねと、二人でゲームセンターにたまたま立ち寄った状況を二人で話し合いながら帰ってきたが。

 家に帰ってから「寂しい単身赴任での慰めがこのゲームだったのね」・・・と妻が言っていたが、なるほど、それは否定できないかもしれない。そもそも、仕事から帰ってきて帰りにゲームセンターに

 なるほど、知り合いもおらず単身で赴任した札幌。寂しかったことには変わりないが・・・一人の時間を楽しむ術は、学生時代の独り暮らしで身に付いていたし・・・それ以上に、赴任以前の仕事が忙しすぎた。だから一人のプライベートタイムがほとんど持てず、最寄り駅でゲームセンターが開いている時間(まぁ、10時前くらいに閉まってしまうゲームセンターだったが・・・)に帰り着けたら感涙にむせぶ思いであったことから、札幌赴任時代に仕事帰りにゲーセンに寄るということは決して寂しいこととは思えず、楽しいことでさえあったのだ。無邪気にペダルをこいでいたわけだ。

 それに・・・その頃の職場を考えると、うん、寂しいということもなかったなぁと思い返せる。そりゃ、一人で行ったし、いろいろ初体験のことも多く、全部ぶっつけ本番で、大変だったことも事実だったし、いろいろいやなこともあったと思う。当時はね。

 でも、今・・・今の悩みと比べると、あの頃はすごく幸せだったよなと思う。若かったから甘やかしてもらえたということもあるし、人間的にも暖かい雰囲気が多かったと今では本当に実感できる。当時はその中にいたからそれを当たり前にしてしまって気づかないわけだけど。

 よかったなぁと思う。その頃に職場の先輩方とゲーセンでプリクラを取った。そのプリクラは、実は今眺めているディスプレイの枠の上に張ってある。もう、かなり薄くなってしまって、画像がよくわからなくなってきているが・・・大事な大事な思い出だ。

 幸せというのは後になって分かることなんだろうね。

2006年09月14日

人生は・・・

 食うか食われるか・・・それは事実なんじゃないかな・・・。

 そんな気がする。いつの世も多かれ少なかれそんなものだったんだろう。

 これだけ、厳しい世の中になってくると、食われる側より食う側に回ればなんでもよいという感覚にさえ陥りがちかもしれない。

 それが昨今の数ある金融事件につながっていると思うが・・・

 食わなくてもよい、でも、食われないように保っていくのだって実は大変なんだよね。

 親の庇護のもと、学生をやっていたりする人には分からない感覚。自分もそうだったけどね。

 みんな、なんとか生きている・・・そんなものじゃないかな。

2006年08月23日

そんなに休みが取れないからなぁ~サラリーマン百景~

ANAのエコ割というのがよくCM等で宣伝されている。

ANA Fan-CM

で、そのCMの数々が見られる。

 国際線エコノミークラスの割引プランのようで、海外に安く飛べるという売り。

 おおむね「行っちゃった方が早いんじゃない?」というテーマでまとめているものが多い。

 確かに、経済的には、今の一般的なサラリーマンが海外に行くには負担できない額ではなくなったと思う。ロサンゼルスに行くのに往復6万2千円、ロンドンに行くのに往復8万円・・・etc.。私の初任給一回分でも行けるだろう位の額。経済的には敷居はずいぶん下がった。

 なるほど、そこから見れば・・・「行っちゃった方が早いんじゃない?」は成立するのだが・・・ことはそんなに簡単じゃないのだ。

 そもそも休みが取れない。

 いや、制度的には取っていいことにはなっているだろう。労働基準法tけいにも採用後、6ヶ月間を8割以上の出勤率で勤務したものには年10日間の有給休暇を与えなければならないとなっているが・・・社会人の皆さんはよくおわかりだと思うが、なかなか取れるものじゃない。

 先日、新聞記事で・・・夏休みとして連続休暇を取って、その後に仕事がたまってしまうことを思えば、連続休暇は取らない方が気が楽だと思っている人が多くいるということが記事になっていた。

 東京都労働局の調査(夏には連続休暇「ほっとWEEK」を(-今年の夏休みは平均5.7日-) - 東京労働局)によっても、なかなかに海外に行くほどの休みは取れていないことがわかる。夏休み取得日数の平均は5.7日ではあるが、これは連続して取ることを仮定していないわけであるから・・・国外に行くにはきついだろう。

 前述の調査で、有給休暇を消滅させてしまう理由として40歳代までは「仕事量が変わらないので休むと後で苦しくなる」がトップになっているが、なるほどと思えることだ。

 また、日本の社会全体の風潮として、長期の休暇、それで海外旅行ということには風あたりがまだまだ強い気がする。

 今は亡き、宮本 政於氏がその著書「お役所の掟」(講談社)で分析したように、霞ヶ関の官僚の世界での海外旅行への妬みの意識の存在は、氏の後著で指摘しているように日本人の精神構造の問題でもあると普遍化して指摘しているが・・・やはり海外旅行という派手な行為と妬みという存在が長期休暇の取りにくさと相まって、非常に複雑な問題になって横たわっているんじゃないかと感じるわけだ。

 私も先日、佐渡・新潟の新婚旅行として、5日間に渡り、土日含めて計9日になる長期休暇を、今の職場領域に入って10年選手手前のところで取らせて頂いたが・・・本当に「清水の舞台から飛び降りる」覚悟を心理的には持った。

 ANAの「行っちゃった方が早いんじゃない?」という軽妙なキャッチコピーを聞いたり見たりするたびに、複雑な心境になってしまうのだ。そんなに簡単にはいかないんだよ・・・と。

 もちろん、ANAもそのへんはよくわかっていてあえて軽妙なキャッチコピーで、その複雑な問題をかる~くパスしようとしているのは分かるので、すごく頭のいいCMだなとは感じる。

 そんな感じで、人生詰めずに軽妙に渡っていきたいものであるが(^-^)・・・なかなかねぇ。

2006年07月18日

格差社会を肌で感じた瞬間

 ある高層マンション群のそばを通った。
 比較的新しくできたところらしく、周りの道もきれいに整備されていて・・・ほぉーと言いながら歩きつつ。
 敷地内には立ち入りできないようになっている。最近はそんな場所も多いかなぁ・・・などと思いながらも、やはり東京都の集合住宅でで幼少時を過ごした私にとっては・・・その排他性がなんか違和感も感じつつ、そう、私が生まれた頃の都市部の集合住宅ではみんな自由に出入りができて・・・子どもが遊んでいたものだ。
 見ると、その高層マンションの一階にはロビーがあって、豪華なソファも見えたり。そこには子供が遊んでいるのが見えたりして・・・うーん、最近の子はこのような閉鎖空間で遊ぶのかねぇと思いつつもややうらやましいなとも。

 歩いていくと、なんか非常におしゃれなカフェらしきものがある。すいていて、快適そうな空間だ。店員もしっかりした制服を着ていて・・・しかし、看板も出ずに目立たずに、はやりのシアトル系カフェではない。そもそも、スターバックスなどがありそうな便のいい場所じゃない住宅街の中だ・・・なんだろ?いいところだったら入ってみようか、と見てみると・・・。
 そのマンション群の居住者専用の喫茶スペースとのこと。それ以外の方は立ち入り禁止とのこと。

 なるほど、そういうことだったのか・・・

 妻と一緒に話しながら・・・やはり妻も違和感を感じていたようだ。
 二人で感じたのだ。そこまでするのかぁ・・・と。

 いわゆる格差社会というものを肌で実感した瞬間。
 正直、格差を感じるのは好きではない。

 自分で稼いだお金なのだから、それを使って何が悪い・・・その論理は資本主義的自由主義経済社会では前提となってしかるべきかもしれない。がんばれば、お金持ちになっていい暮らしができるかもしれない・・・この期待感こそが人々ががんばる動機付けになるのは確かだ。その意味での経済的な差はいたしかたないかもしれない。だから、実質的平等が、人々のモチベーションのために犠牲になるのはしょうがないのかなとは思う。なんか、感情的にはいやだけどね。
 実質的平等を目指した共産主義が、ソ連の崩壊に象徴されるように、人々のモチベーションを引き出せずに失敗したことは周知の事実だからだ。

 しかしね・・実質的平等は損なわれても、機会の平等はおおむね保証されているのが望ましい社会と思うんだけどね。スタートラインはおおむね一緒。あとはがんばり次第と言う感じにね。ここまで格差社会ということが言われる前までは、そう、私が集合住宅で生まれ育った頃は・・・それなりにおおむねスタートラインは一緒と感じていたんだ(まぁ、ジニ係数が1になったことがない日本社会、スタートラインがまったく一緒というわけにはいかなかったんだろうが・・・)。だから、それなりにがんばろうという気にもなたつしなんとか大学まで行けたと思うんだよね。

 でもさ・・・こういうプライベートカフェまで持つハイソサイアティとしての閉鎖空間を見てしまうと・・・なるほど、雑誌などでは東大生の親は7割方管理職の子弟子女という記事があったように思うが、そもそも、スタートラインが違うよなと。

 たとえば私に子ができたと言っても・・・決して、このようなハイソな方々の子弟子女と肩を張れるほどの教育投資はできないだろう・・・

 なんか、そんな感じで格差社会を身近に感じてしまった感じで・・・うーん、と。

 2006/1/25一語り「ヒルズに思う」で語った・・・六本木ヒルズに感じた違和感・・・それも格差社会を感じてしまったからなのかもしれない。

 まぁ、機会の平等の上である程度がんばってきた私としては、あまりこうはじめから差を見せつけられる感じの建物はどうなのかなぁと思ってしまった。もちろん防犯上必要と言われればその方がベターなのは自明だろうが。

 ま、格差社会実感記というわけで。

2006年06月06日

パン作りと人間性

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 朝の手作りパンのタネがなくなっていたので、一週間分また捏ねる。
 ここの読者さんが、ここでのパン作り語りを見てパン焼き機を買ったとのことを聞いた。とてもうれしいことである。私の生き様が共感を呼んだ証拠だから。
 さて、ここで、ケーキだ、パンだ、梅酒自作だと・・・男だてらのクッキング話に花を咲かせているわけだが・・・「あなたって料理がとっても好きだったんですね♪」と思われる方も多いかもしれない・・・元来クッキングパパ的趣味があったのだろうと思われるかもしれない。

 しかし、その答えは「No」である。フランス語で言えば「Non」、ドイツ語でなら「Nein」、ロシア語でなら「ニィエット」(綴りは忘れた・・・)。

 うん、料理なんて好きじゃなかった。
 大学に入って、一人暮らしを始めて、自炊は少しはたが、すぐに挫折したし、その代わりに近くのとても美味しい中華料理屋の焼き鳥丼にはまって食べまくっていて10キロ以上も太ったりしていたしね。基本的に学食を愛用していた。
 社会人になってからも一人暮らしを再会はしたが、やはり、時間もさほどあるわけでもなく、疲れるしね。少しはやったが・・・健康のことを考えて30を超してからだったかな、少し始めたのは。

 しかし、今は、既製品を買うのではなく、自作の食材作りにはまっている。

 なぜか?

 2006/5/22一語り「代ゼミの荻野講師の話に感動する」で、荻野講師の言うところの通信簿の左側(学力等)と右側(人間性等)の話に言及した。通信簿の右側を鍛えねばと訴えていた。
 私は、そう、自炊をおろそかにしてきた時期は通信簿の左側のみに力を傾注してきたんだと思う。勉強とか研究とか仕事とか。しかしね・・・それもだんだん頭打ちかなぁと。もちろんがんばるけどね・・・だから、遅ればせながら通信簿の右側の醸成に取り組み始めたわけだろうね。

 パン作りはその現われ。面倒だよ?だって、こうやって、イースト菌によって発酵するのを1時間なり待たねばならないんだしさ。しかし、そのパンを喜んでくれる妻の顔のためにはその苦労はなんでもない。
 少しでも身体によいものをと考えれば自作の方がいいに決まっているし。

 そう、そうやって喜んでくれる人への思いがなければ、面倒な自炊を続けられようはずがない。ひとのことを思いやることができるようになったかな・・・

 私の通信簿の右側のトレーニングみたいなもんなんだろうな。
 そんな風に思っている。

2006年05月22日

代ゼミの荻野講師の話に感動する

 なんかネットを漂っていたら、代ゼミの荻野暢也講師のことが話題になっているのが目にとまった。
 大手三大予備校の中では「講師の代ゼミ」と言われるくらいで、講師には定評があるわけが・・・
 私も大手予備校に一年間通った、つらい浪人生活を経験しているので、そのへんの事情は分からないではないが・・・
 この荻野講師は、どうやら個性的なしゃべり方やパフォーマンスや派手なスーツで話題になったとのこと。
 荻野暢也-Wikipedia-
 なるほど。数学の先生なのだが、接点が出ないことを「この点は出ねぇよぉ!!」と怒鳴ってしまうエキサイトぶりがネット上では話題になっていた。
 実は私も知らないわけではない・・・というか記憶に定かではないが噂には聞いていたようにも思う。

 それで、なんか昔を思い出しつつ、いろいろ調べていたんだが・・・

 この点は出ねぇよぉ!纏めサイト
 が一番詳しいようだ。特異なパフォーマンスを冷やかすFLASHものが多い中・・・このサイト内の「元ネタ音声」にある「荻野先生の話1~5」にとても感動した(とても重いファイルなので、ブロードバンド環境で効くことを強くオススメ)
 予備校講師の話って言うのはやっぱりかなり響いてくるものがある。私も、予備校時代、よくその話に感動していたものだが・・・
 荻野講師の話にもすごく感動した。
 通信簿の左だけで評価されてきた人生はここでおしまい、大学に入ったら右側を充実させよという訴え。
 通信簿の左側は学力、右側は人間性。
 数学とは一見難しいと思われているが、チャート式を一から解いていけばすぐに成績は上がる。でも、人間性の涵養はよほど難しい。だから、これからの大学生活を有意義に過ごせ!!と叫んでいる。
 左側で成功したからといってそれに固執しているとよくないぞということを訴えている。

 社会に出て、もう、10年近くになる私。左側に固執し続けて、やっぱり失敗したなと感じている今、荻野講師の言葉がすごく響いてくる。

 大学に入る前に荻野先生の話を聞きたかった・・

 聞いていてもやはり失敗しただろうけど・・・そう、人間なんてそんなもの、器用に渡ることなんてなかなかできるものじゃない。

2006年05月16日

人は必ずあるダイナミクスの中で生きざるを得ないのだろう

 なんか、いろいろ人生試行錯誤してきて・・・なにか安定した、はいこれでいいよ、はいこれでゴールこれ以上は努力しなくていいんだよ・・・そんな安定した境地に行きたくて試行錯誤してきた。
 親からの過剰な期待を背に、なんとかそれに応えようと、多分無理めな学校ばかり背伸びしてきた私にとって、多分本心から来る安定して落ち着きたいという切なる願いだったんだろう。
 社会人になれば、禄を食む身分になれば、あとは仕事のみに生きればいいのかなと考えていたが・・・そうでもなかったことを今になって実感している。
 そう、人間、どこまで行っても、押したり引いたり・・・あるダイナミクスの中で生きている。一見安定しているようでいても、押す力と引く力が一定であれば相対的には動かないという危なっかしい安定である。ひとたびバランスを崩せばすぐに激動に戻るわけだ。
 まぁ、ダイナミクスから逃れたいという願望は青い鳥を追うようなものなんだろうな・・・そんな風に思っている。

2006年03月09日

寅さんへの想い

 まぁ、ここ数日、柴又訪問の写真を掲載してきた。
 それくらい柴又が好きなのだが・・・それは映画「寅さん」が好きだからに他ならない。

 学生時代は、寅さんは正直好きじゃなかった。もっと面白い映画がたくさんあると思っていたし、実際、ハリウッド映画などにわくわくした若者であった。

 いつの頃からか・・・

 それは社会人になってから・・・そう、何年も経って、挫折ばかりをくり返し・・・思うに任せぬ人生に嘆き愚痴り、馬鹿ばかり、損すること、自滅ばかりくり返して・・・今に至りながら好きになってきたのだ。

 寅さんは「ごめんよ、さくら、いつかは偉い兄貴になって帰ってくるからな」と心に秘めつつ、いつも馬鹿ばかりやって、喧嘩して、故郷を飛び出す。そして、そう、決して偉い兄貴になれずに終わった。
 最後の最後はリリーさんと結婚できたろうに、逃げちゃって・・結婚さえせずに人生終わってしまった。

 寅さんを見ながら単純には笑えないんだけど、大好き。それは自分の人生の挫折を、寅さんが・・・いいんだよ、それで、大丈夫だから、だっておれだってさぁ・・・なんかそんな風なメッセージが届く気がするからだ。本当に寅さんが好きで、柴又を心の栄養にできるようになってきたのは、そう30歳超してからだ。

 妻をどうしてもつれていきたかったのもそのへんに所以がある。

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 寅さん記念館にて
 初めてなのでうれしかった♪

2006年02月26日

卒業論文を自分で理解し直す

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 ちょうど10年前、僕はこの卒業論文に苦闘していた。本当に書ききれないんじゃないか・・・すぐに自信を失い、それでもひいひい言いながらも、今思えばそんなに追いつめられなくてもよかったんじゃないかと思うが、当時は必死だった。数ヶ月、死ぬ気になって仕上げたものであるからそれへの思い入れも強いし、この論文を仕上げることにそこまで必死になったのは、自分の学生生活の集大成として恥じぬものを作りたいという自分の誇りからのプレッシャーだったように思う。

 それだけ打ち込んだ卒論であるが・・・まぁ、今では研究室の片隅で埋もれているのであろう・・・埋もれているのであればいいのだが、目につくところにはすでに置かれていなかったりもするだろう。さびしいことである。だって・・・僕が研究室にいた頃も、1~2年前の卒論は目についてもそれ以上前のものになると引っ張り出すのが大変で、大して探さなかったくらいだもの。

 まぁ、そんなわけで、自分で一冊持っている論文・・・ワープロ専用機で打ったものであるが・・・パソコンに移行しようと密かにここ何年か画策してきた。
 その方が、例えば、ウェブに公開するのもやりやすいし・・もうちょっと体裁のよい図表も作れようと思ったからだ。そしてアーカイブとしての保存も、今や存在しないワープロ専用機のフォーマットで取っておくよりもずっといいだろうというわけで。

 しかし、全然手についてこなかった。結局、自己満足にしかならないことであるから・・・。

 でもね・・・こうやって卒業して10年間なんだかんだと生きてきた。いろいろな仕事をした。でね・・・結局オレってなんなの?って思ったら・・・
 結局、「もてない男」としての側面がもっとも強く出てしまっているしね・・・ここの読者さんたちにとっての私認識としては「もてない男」としてが一番多いんじゃないかな。

 それって・・うーん。全然意図していないところだったんだけど・・・(^-^)それはそれでよしとしても、自分の足跡として、あんなにうなってまで仕上げた卒論、自分のいろいろなものを犠牲にして学問してきた集大成たる卒論を、保管してくれているのかいないのかよく分からないというのではねぇ。

 ということで、先週末くらいからちょっとずつ読んでみて、作業工程の段取りを考えたりしているんだけど、自分で書いたものながら、今になると理解できなかったりしてね。どうしてこういう計算結果が出てきているんだぁ、みたいな。
 だからね・・・今日も、どうしたらこういう結果が出るのかとかいろいろ考え直していたりしたのよ。
 実際、図書館の返却期限だったから、図書館で参考文献借りてきたりして。

 苦闘の結果・・どうやら、理解し直せました(^-^)先週から二週間かけて・・・。計算結果も・・・なるほど、もう一回計算し直せました。

soturon2.jpg
 本日の苦闘の結果。

 なんの迷いもなくアカデミックな知識の涵養に努めていられた学生時代は・・よかったね、と今は思う。その当時はすごくつらかったんだけど・・・。
 だから、せめても・・そう、そのうちまとまったら、この卒論、どっかウェブの片隅に置いておこうかな。自分の、足跡として。

 思い出に浸るのはこれでおしまい、さ、また、明日から、仕事や。

2006年02月24日

荒川選手、素晴らしいね

 なにがって・・・その根性が。

 トリノ冬季オリンピックフィギュアスケート女子部門で荒川静香選手が金メダルを獲得した。オリンピックフィギュア部門ではアジア選手初の金メダルとのこと。

 単身アメリカに渡り、その執念でもぎ取った金メダル。
 努力する人は報われる・・・そんな気持ちにさせてもらえた。
 もちろん、努力したってダメな場合だってあるだろう、いや、そっちの方が多いかもしれない。
 しかし、そういうことを考えていてはここまでの集中力を発揮できないだろう。
 「絶対にできる」・・・そのようななんら保証のない信念にまっすぐであり続けた美しさがそこにあったのだろう・・・そんな風に思えてならない。
 だからこそ、そう容姿や技術といったものを超えた美しさがそこにあった。

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2006年02月17日

仕事もできない男に

 関白宣言という歌がある。さだまさしさんの名曲だ。大好きな曲だ。
 山の音楽(MIDI)アルバム 内の、関白宣言を開くときっと思い出す人も多いだろう。

 忘れてくれるな~・・・♪

 のくだりが、今日僕の中でリフレインしている。まぁ、僕が関白宣言を好きになったのが・・・このくだりということにも一因はあるのだが・・・今日は気分的にこのフレーズを口ずさんでいた。

 いいの?と妻に聞いてみる。ま、大丈夫なんじゃない?と一笑に付してもらった。
 でも・・・いいのか??

2006年02月14日

結婚しました

mariage1.jpg

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2006年01月25日

ヒルズに思う

hills.jpg昼のヒルズ

hills2.jpg hills3.jpg

 私は高いところが好きだ。立派な近未来建築も大好きだ。だからこそ、お台場もできた当初から何度も行って、お台場の海浜公園の近くの近未来的な住宅が公団か何かで賃貸で10万円ちょっとくらいで入れることを聞いたりしたら、結構興味引かれていたものだ。
 その旨を彼女とのお台場デート(結構付き合い始めやね)で話したら・・・スーパーもあまりないし、通勤も遠いし現実的でないと一蹴されていたのだが・・・まぁ、それはもっともな話である。今はとても庶民的なところに住んでいてそれが身の丈にあった快適なものだということはよく分かる。

 まぁ、でも、近未来住宅・都市という近未来建築へのあこがれはあこがれとしてあったわけで・・・六本木ヒルズ・・・すごいなぁと思っていた。だから、このように何度も被写体にしてカメラを向けているのだ。

 昼のヒルズは、東京タワーから望遠で撮ったもの。彼女とのデート中である(^-^)あの頃、私と彼女はいろいろ高いところに上っては景色を見て語り合いながら数時間過ごしたものだ。だから、同じ時に撮ったのが下段の左の写真だが、夜景になっているわけで。
 下段右は六本木に行った時に近景で撮ったもの。

 しかし、一度、友人と麻布十番の寄席に行った帰りにヒルズに寄った以外は、ほとんどヒルズには行っていない・・・
 なにか・・・なんだかなぁという感覚があったからだ。
 それは、金がすべてという感覚。

 ヒルズの49階には会員制ライブラリーがある。
 
  アカデミーヒルズ六本木ライブラリー
  http://www.academyhills.com/library/

 利用メンバーになるためには入会金に1万500円、月に6,300円ほどの会費が必要なようだが・・・

 私の感覚では、図書館というのは・・・人がみな持ち合わせている好奇心・知識欲を満たすための、最低限のナショナルミニマムと言おうか・・・情報へのアクセス権を担保するために作られてしかるべき無料のサービスという感覚が強い。
 しかし、ここでは読書をするためにお金が要るわけである。

 お金があれば快適に過ごせる・・そういう場所のようだと感じたわけで・・・それが違和感。

 確かに、この不況で・・・お金の持てる者、持てない者の格差が広がってきていることは感じる。なんか、そのリッチサイドの権化のように見えて、どうも・・・あこがれはするけど、なんだか・・そんな違和感があって、遠景で撮影するにとどまってしまった部分がある。

 そこに来て、今回のライブドアの事件である。

 ヒルズにはかのライブドアが本社を置いている。最近の新聞各紙にもヒルズの写真がよく出てくる。

 私が撮った写真はみなさんにはどう思われるだろうか?ヒルズへのやっかみみたいなものがにじみ出てしまっているだろうか?

 まぁ、私自信は・・・堀江社長・・・ああいう風にリスクを背負えるのなら大きなリターンもあるんだろうなと思っていた。その尊大さ加減にはあまり好感は持たなかったものの・・・まぁ、一代であれだけの富を築くのであればそれくらいの自信はないといけないのかもしれないなと思っていた。それは今でもそう思っている。

 まぁ、やりすぎてしまったのかもしれないけど・・・

 かの平家物語の「おごれる者は久しからず・・」の文言が思い出される。

 確かに、お金は重要だ。あればそれにこしたことはない。しかし、それだけが価値尺度だとはいかにもその方が貧しいのではないだろうか・・・

 ヒルズが近未来の姿なのか、おごりの象徴たるバベルの塔なのか・・・微妙なところだなぁと思っている。どのみち私はヒルズとは無縁につつましく生きていくしかないのだから第三者的に眺められるのだが・・・。

 今度、ヒルズに登ってみたいと思うが、麻布十番の帰りに寄った時、登るだけで1,000円くらい取られることに、ちょっと高くない?と思ってやめた私は全然庶民であるのだけれど(^-^)

2006年01月24日

ふぅー

 メインのデスクトップPCの再インストールに引き続き、最近は、ノートパソコンの再インストールをば。
 どうも、重くなってきて実用に耐えなくなってきたのでね(^-^)

 無線LANの設定で一苦労。きちんと、メモっておけばよいのだろうが、なかなか・・・。
 思い出しながらだから、いろいろと試行錯誤をもう一回。僕の場合はいつもそうだ。興味が先行して、どんどん機能を拡張していくものの、その時は覚えていても、設定が終わって使っていくうちに設定方法を忘れてしまう。

 だから、もう一回試行錯誤をする。

 こういう風に試行錯誤した分、パソコン上手になっていく。それは知っている。自分が上手になったのもそれゆえだ。記憶が固まっていくんだね。

 まぁ、人生も同じかな・・・同じ間違いを繰り返して、どうやら覚えていく。もっと要領のいい人はいるのかもしれないが・・・僕は要領はよかぁない・・・苦しいけど、それが僕の歩む道なんだろう。

2006年01月20日

雪と受験と

 なんだか寒いね。明日は関東地方でさえ雪が降るらしい。
 報道では、明日の雪が大学入試センター試験を直撃することを心配した報道を繰り返している。

 受験なんて遠い日の花火のようだ・・・なんて、気楽に思っていられるのも、試験というものから離れてもう大分経つからであって、やっぱり、受験の日に雪なんてつらいものだ。

 そう、私の場合などは、大学入試センター試験は、晴れていたって大していい点を取れた試しがない。2回受けて二度とも全然ダメだった・・・というか、2度目の方が点数が悪いってどういうことよという感じであったので・・・そんな私にとってはいい思い出のないセンター試験に雪という悪条件のもと挑まねばならない受験生諸氏(特に雪と縁のない関東地方などでよりによって試験当日に雪に見舞われるという受験生諸氏)にはエールを送りたい。

 しかし、大学入試センター試験は言ってみれば一次試験・・・私は二次試験で北の地方の大学を受けたため、受験の日に雪というのは・・・当たり前といえば当たり前であった経験もある。

 いや、それでも関東育ちの私にとっては、そもそも、受験の日に雪なんて・・・結構つらかった。

 だから、わかるんだよね、明日からのセンター試験・・・雪に見舞われるかもしれない受験生のつらさを。

 ちなみに・・・私は、センター試験ではからきしだったが、二次試験で挽回してなんとか大学には入れた。
 明日のセンター試験を受ける諸氏・・もしこの一語りを見ているならば・・・というか、今のこの時間に見ていてはいけないような気もするが(^-^)・・・がんばってほしい。そして、センター試験がだめでも・・まぁ私のように挽回もきくよと気を強く持ってほしい。

 がんばれ♪

2006年01月04日

勝負は9区から

 今年の箱根駅伝・・・亜細亜大学優勝・・・いいじゃない、いいじゃない♪

 僕は・・・実は、箱根駅伝は大好きである。いつだったかは、実際に見に行ったこともあるくらいだ。
 今回は見に行かなかったのだが・・・。

 今回僕は二日目復路の7区くらいまではテレビで見ていたのだけど、彼女が初詣に行きたいということから、出てしまったんだよね。まぁ、4連覇中の駒大がトップを取っていたし・・・こりゃ王者 駒沢大が勝ちやなと・・・。

 帰ってきてみたら、亜細亜大が勝ったというではないか!!

 すばらしい。
 亜細亜大はずーっと後ろを走っていたはずなのに・・・

 今日の新聞を読むと、どうやら往路6位からの逆転優勝とのこと。
 よくよく読むと、9区で一位にたち最終10区を逃げ切ったとのこと。

 いいじゃないか・・・そうだよ、今の時代・・勝ち組・負け組と早くから勝ち負け確定したがるけどさ・・・9区からの逆転だって可能ってこさ。

 あり得ないかもしれないけど、ないことでもないという、とっても勇気を与えてくれる亜細亜大の勝利だった。

 ネバーギブアップやね(^-^)

2005年12月27日

やたら眠い年末

 さぁ、明日までで今年の仕事納めだぁというところで・・・今日はやたら眠い。
 昨日夜更かしをしてしまったことに起因するだが、まぁ、日常の流れで終わること終わらないことがあるわけで・・・年末となると一年の終わりということで考えることも多いのでこうなってしまうこともある。

 日常の流れの中で終わることと終わらないことがあるわけで・・・それなりに終わらせたいのは人情だが、そもそも思うに任せぬ人生の流れで、12月31日に都合よく色々終わってくれるわけではないのは自明のことであることを思えば、まぁ、明日までにできることできないことあるわけだろう。

 眠いので寝るという感じで・・・でも、なかなか落ち着いて寝付かれない夜が続く年末。

2005年11月18日

泣き系

 基本的に僕は「泣き系」の人間なんだろうなぁと近頃とみに思う。
 「泣き」を入れることの方が、何かを強要するよりは多分性に合っている感じだ。例えば聴く音楽にもその趣向は反映されていて、要するに失恋系ソングが大好きなようなところにそれが現れている部分もある。

 まぁ、僕破変に意固地だったり変に正義感が強かったりもするから、まぁ、一概にそうだとは言えないのだが、まぁ、「泣いて」いる方が性に合うのが基礎にあったりする。

 情けないと思う人もいるだろう・・・いじめられそうと思う人もいるだろう。しかし、人の痛みを分かってあげられる・・自分が泣けるから人がなぜ悲しいのか分かる部分だってある。

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2005年10月02日

入院前の食事は美味しくね

 先日の一語り~愛しの彼女が入院することに・・・大ショック~にて、彼女が入院することになったことを語った。
 週明けの明日から入院である。
 入院前に自宅で彼女と過ごせる週末・・・であった。
 入院に当たっての準備、買い出しに追われた週末であった。昨日は、彼女が用事があり出かけ、そして、僕が買い出しにしている間にプールに行けたわけだが・・こういうひとときは重要に思えた。
 近親者が入院となると、周りもバタバタしてバランスを崩す場合も多い。自分もそれを肌で感じたが、ちょっとの間でも、プールに行くなど気分転換をする時間を持たないと、ずーっと緊張状態が続くと保たないことはよくわかった。

 だから、今日もゆっくり・・・彼女と入院準備をしながらも、とにかくゆっくりと過ごした。買い物は僕が出て、夕方からちょっと散歩。眠くなったら横になるという感じ。
 不安と戦いながら、それでも準備をしつつというかなりの緊張状態の中で、平日のような勢いで動いていては保たないだろうことはよく分かっていたから。

 ということで、この週末はとにかく美味しいものを食べて入院してもらわなくてはと・・・3食僕が腕をふるった。
 しかし、美味しいものというのはとかく体に悪いものが多い。脂したたるステーキは確かに美味いけれども、身体によいとは言えないだろう。大トロも確かに美味いけれども、脂質が高いのではないだろうか。

 ということで、美味しく、ゴージャスに見え、なおかつヘルシーな料理・・乏しい料理スキルの中でどう彼女に満足してもらえるか・・頭をひねった次第。

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2005年09月29日

愛しの彼女が入院することに・・・大ショック

 愛しの彼女が入院することに・・・

 すごくショックである。

 先日の一語り~共倒れの危機か・・・~ に書いたように、お互いにがんばりすぎて疲れてきていることは自覚していたから・・・でもこんなに早く、こういう岐路に立たされるとは・・・ちょっと早すぎたかなと・・・

 まぁ、我々が一緒になったから入院するような事態になったかというと・・・直接的はそういう事ではないということになるのだろう・・・その疾患の直接的な原因はほかにある。

 しかしながら、僕だってやはり新しい環境でやっていくことにすごくストレスを感じていたのと同様に、彼女がストレスを感じていなかったわけがないだろう。それが、無関係であったとも思えないのだ。

 実はここに至るまで、医療機関にすぐに受診するように、病院を見つけたりしながら動いていたのだが・・・その心配が杞憂であればいいと願いながらも・・それが杞憂にとどまらなかったわけで・・・むぅ~これも一つの試練だなぁと。

 かくなる上は共倒れとか言う前にがんばらねばならないわけで・・・ね(^-^)よっしゃと、闘志が湧いてきたのも事実だ。

 入院には当然付き添うし、要するに、治すべき事が早めに分かったことは大いに歓迎すべき事なのだ。

 ショックを受けて気弱になった。ちょっと実家にも帰った、話も聞いてもらった。

 で、明日からすべきことは彼女のために動くことだ。出逢って1ヶ月で付き合い始め、それから半年でプロポーズ、それから半年で結婚式という、なかなかのスピードでステージを進めている我々、まぁ、こういう負のイベントもそのスピードにあわせてやってきたというわけだろう。ま、それでもいいじゃないか・・・

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2005年09月28日

共倒れの危機か・・・

 愛する彼女と一緒に暮らしている今はもちろんとても幸せの最頂期なのだが、ちょっと苦しい。
 というのも、時間差があるからだ。僕の方がまっとうな時間に終わる、世間並みの勤務時間。それに比して彼女は夜遅くまでの仕事。この時間差を埋めるために一緒に暮らすことを強く指向したのだが・・・

 家に帰り、ご飯をつくって洗濯物を取り込んで畳んで、テレビを見ていてもまだ帰ってこない・・・これが毎日。
 だから、僕の方も・・・忙しいとは言え、無為に待っているのももったいない気もして、運動などしてみる・・・それが昨日走ったりしたことにつながったり、水泳を続けていられる所以なのだ。

 そして、ようやっと帰ってきた彼女と、一緒に食事をすることもあるが、それではやはり消化に悪い・・・ということで、僕だけ先に食べて彼女に食べてもらっている間は水でも飲んでという流れだったりもする。それが、22時台くらいであったりもする。
 一緒に話すこともあったりすると、就寝時刻はその日を超えることもままある。
 そうなると、寝不足であったりもするのだ。

 このへんは「たま」であれば、なんとかなるのだが、それが「常時」「日常」であると・・・なかなかに苦しくなってくる。
 彼女と本格的に暮らし初めて2ヶ月足らず・・・やはり・・・ボディーブローのように効いてきた。
 そして、彼女は彼女で、まっとうな時間で出勤する僕のために眠い目をこすりながら起きてくる。夜遅い分出勤もやや遅めなのだ。

 そのへんを常時やっていっていると・・・むぅ。これはなかなかに単に二人の努力だけでは難しいものである。身体がついていかないのである。

 では主たる生計者はと言えば、僕ということになるのである・・・まぁ、まっとうな時間で勤めてそれなりのサラリーをいただけるのだから、僕の方は意外についている仕事なんだろう。

 全く違う環境の二人が一緒になる時・・・1+1=2のように簡単な和にはならないんだろう。どっちかが捨てるものが出てくるかもしれないし、どうしても1+1=2にしようとしたら、捨てるものは健康なのかもしれない・・・

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2005年08月25日

人生ルーザーだけど、ぶっちゃけどうでもいい

 昨日は、それなりに多く睡眠時間を取ったため、今日はだいぶん気分的にまし。
 仕事もそれなりに淡々と進められた気がする。
 色々あるけど、寝不足で気合いが不足しているとうまくないことが多い。
 昔、母に、「寝が足っていないからよ」とよく言われ、全てを睡眠に原因帰属するのは単純だなぁと思ったものだが、案外、それは真理だったのかもしれないと思いつつ・・・
 でも、さすがに台風の中外出したりもした仕事の疲れも会ってか・・・僕自身が勝負してきたある尺度で僕はかなりのところまで登り詰めたが・・・やはり、やっていけなかったわけで・・・その意味では僕は全然ルーザー(敗者)だなというネガティブ思考にもとらわれつつ・・・

 ご飯を用意して彼女の帰りを待つ。

 数日来で久しぶりに彼女にあった途端、なんか、ルーザーだとかどうだとかはどうでもよくなった、一気に。それでいい。尺度のベクトルを変えればルーザーではなくなる。

 彼女といて、会えて、一緒にご飯食べて楽しい・・それが一番なのだから。

2005年07月27日

グッバイ、わが家

wagaya.jpg

 グッバイわが家。

 関東で一人暮らしを再開して以来、長らく住んできた部屋だし、この一語りも、このようなブログ形式になってからは多くはここで生み出されてきた(時にモバイルにてどっか旅行先とか、喫茶店とかではあった)し、また、例えば、過去の一語り いとしのわが部屋 とかでも、その思い入れを語ってきたほど、思い入れは深いわけで・・・

 忙しさに取り紛れて・・・このわが家への郷愁にひたる時間もあまり無かったが、そういえば、こことお別れってとてもさびしいことだよなと思ってしまったわけで。

 仙台を去る時・・その時にもすごく寂しさを感じつつ街を歩いた。札幌を去る時、やはり、あわただしく去ったものだが、その後何度か札幌に出向いて郷愁にひたった。今回はそれほどは距離的な移動がないので郷愁度は比較的少ないのかもしれないが、やはり・・・

 また、来るだろう・・・ここに。僕にとっての第4の故郷。

2005年07月01日

今日は飲み会

 今日は職場での飲み会。暑気払いとして。暑気払いと言いつつ、2日前まではやたら熱くてそれっぽい感じだったのに、今日はやたら涼しい・・・むぅ。
 でも、その飲み会、なかなか楽しかったわけで・・・韓国料理をたらふく食べて、辛いのは大好きな私で大喜びなのだが、でもそれがやや痔に直撃しているのを感じてしまったりね(^-^)

 一つとてもありがたかったことが・・・

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2005年06月17日

やっぱり、アリが勝つと思います。

 アリとキリギリスの話では、真面目な働き者のアリさんが最後は幸せになる。
 真面目に生きていればいいことがあるさという教訓がそこにある。
 僕は素直にそれを信じてきたし・・・うん、世の中バランスが取れていて、禍福はあざなえる縄のごとし、いいこともあれば悪いこともあるけど、大局的には実直に生きたものが勝つという昔ながらの信念を持っている。

 さて、私が毎週読んでいる雑誌は「週刊アスキー」であるが、最近、連載されている「最新ベンチャー起業術」というコーナーがある。IT長者に、神足裕司さんがインタビューしてまとめている連載。
 いつも苦々しく思いながらも読んでいる。というのも、ここでのIT長者は、すべてキリギリス的生き方でそのおごりが感じられて前記の信念を持って真面目に実直に多分それ故に損ばかりしてきている私にとっては快く読めないのだ。

 なかでも、今回特集されていた尾関茂雄さんの記事は今まででもっとも快くなかった。女性タレントの山口もえさんと交際しているというIT業界のカリスマ社長、2回起業して会社を売って今は大学院ビジネススクールに通いつつMBA取得を目指し、プールサイドで哲学本を開き、気が向けば海外旅行という、半リタイア生活に30歳にして入りつつ、またひとつ軌道には乗っていないものの会社を興しているいるという高等遊民的な方とのこと。

 僕より年下ではないか・・・

 いかにもいかにもキリギリスだなぁ感じつつ読んでしまいつつ・・・苦虫を噛み潰したような思いに至る。

 まぁ、ひがみと言われても仕方あるまい・・・

 しかし、ここに、大好きな週刊アスキー(300円)も古本屋の店頭に上がり半額で買えるまで買わずに(並ばなければ買わない)、昼休み寝不足の解消のためうつらうつら横になりながら読んでいる男が読む記事にしてはなんだかなぁ感が強すぎるものである。

 今の若者は、アリとキリギリスの寓話を知っているだろうか?知っていてもそれを実感しているだろうか?そして、実践しているだろうか?なんか世知辛い今の世の中キリギリス的生き方をしようと、うまくうまくいこうとしているように見えてしまうのだが・・・だからこそ、IT長者がもてはやされるような気もしつつ。

 今、NHK大河ドラマでは「義経」がやっているが、そう、あの平家物語の一節が思い出される・・・「おごれるものは久しからず・・・」

 僕はやっぱりアリが勝つと思います。そして、僕はアリでありたい。

2005年06月11日

1年ぶりの帰郷 ~彼女さんを連れて~

 今日は1年以上ぶりに実家へ帰った。
 2005/4/11の一語り「両親へ手紙を書く」で語ったように、ゆえあって1年以上実家に帰っていなかったのだ。

 彼女さんを紹介するために二人でそろって実家へ。彼女さんも緊張していたのはもちろんだが、私も一年ぶりの帰郷に少し緊張。
 両親はとても喜んでくれ、そして、歓待してくれた。彼女さんも和めたようで、ほっと安堵。
 彼女さんも真っ向勝負であいさつをすれば、きちんと真っ向から受ける両親。とても、すがすがしいし、好ましいと思った。

 一年ぶりに久々に帰郷した不肖の息子を受け入れ、その彼女にも丁重に遇してくれた両親には感謝が尽きない。

 ありがとう!!

 大好きな歌手、槇原敬之さんが「No.1」という曲で歌っていたテーマ・・・故郷に君を連れていく・・・といのを実践できたわけでとてもうれしかった。
 そう、あの曲に出てきたような雰囲気で、僕の通った小学校・中学校に彼女さんを連れていったり、昔の写真を見せたり・・・なんかうれしかった。そう、ぱーっとうれしいというよりは、じわじわとうれしいという感じで。

 ひとつ、有意義な一日であった。

2005年05月31日

むぅ、たるんでいたか・・・

 今日はエアロビ。
 まぁ、最前列でいつものように踊っていたが、どうも疲れがたまっているのか、動けない。楽しいことは楽しいのだけどね。
 最後の方になると、ぐったりしながらになってしまったのだが、インストラクターにスクワットの時に、猫背になっていることを指摘される。
 レッスン後、とてもとても猫背であり大変なものであるから気をつけなさいと痛烈に言われる。ただでさえエアロビは前屈みの動作が多くなるので猫背になりがちであるのだから気をつけるようにとのこと。それはもう大変な猫背だそうだということを明確に指摘されたわけで。

 むむぅ・・・身長が高く、まぁ、座高も高い方なので、猫背になりがちであることは、気づいており、日常生活では折に触れ気をつけてはいたつもりだけにえぐられるとつらいものがある。まぁ、たまにイスにかける時とかは猫背になる部分は否めないし、今日は疲れから運動中、もそうなっていたんだろう。正直、大ショックであった。

 しかし、継続してエアロビに行っていることへの甘えがあったことも事実。最近を振り返ってみると、エアロビに限らず仕事・生活全般において慣れや継続を過信するあまりやや気のゆるみを感じていたのも事実。

 これを機に身を正せということだろう。諸方面に甘さが出ていたので、きちんと身をただしていこう。そのためのカンフル剤として今日の指摘は目が覚める思いであった。

 がんばろっと。

2005年05月18日

ダメダメ気分

 今日は全然ダメダメな気分。
 僕の場合は・・・こういう気分に陥ってしまう時が時々に来る。なんだかなぁ・・・がんばりすぎて、どこかで燃え尽きているのかもしれないし、単純に寝不足で疲れているのかもしれないが・・・要するにかなりいやな気分である。こういう時は仕事で失敗したりして怒られたりするとかなり感受性が強くなっていて、ダメージが大きいもので、なんだかなぁという気分。

 今日はアクアビクスだったので思いっきり泳いだ。

 彼女さんに、ダメダメなんだよと愚痴ってしまう。
 「思いっきり泳いで、ぐっすり寝てね♪」とのアドバイスをもらえる。シンプルだけどその通り、どうにもならないことを思い悩むより、そうやって体力の回復とストレスのカタルシスを図ることが賢明なのだ。
 
 彼女さんのありがたみをひしひしと感じた。もう僕はひとりじゃない・・それだけでもかなりの救いだ(^-^)

2005年05月13日

けっこう久々にゲーセン

 昔はよく通っていたゲームセンター。ある時パタッと行かなくなった。その昔は、ゲーセンがなければ生きていけないなぁとさえ感じていたものだが(その意味では No music,No lifeならぬNo game,No life(^-^))・・・変われば変わるもので・・・まぁ、それが大人になったということだろうか。もう行かなくなって一年以上経つだろうか。
 今週は疲れたし、なんか、発散したくて、久々に行ってみた。
 行くと・・・以前行っていた時に見かけた人がまだいた・・・そうか、この人たちはずーっと通い続けていたんだな・・・と思ってみたり(^-^)

 で、ここ2回くらい久々に行っておもしろがってやっているのがKONAMIの業務用ガンゲームのセイギノヒーロー。以前はガンゲームはとても好きだったのだが・・・このゲームは特によい。なぜいいかというと、海上保安官にもなって戦えるというところがである(ほか、警察官や自衛官になっても戦えるのだが)。私は海上保安官に対して、警察官や自衛官に比べて地味ではあるが、地道に国際法上のただ中でがんばっている治安担当職員ということで、なんか好感を持っているのは、過去の語り(ここここここ)で語ってきたが、まぁ、そういうわけでこのゲームはなかなか地味なところにもよく目を行き届かせているなと感心してしまったのだ。

 そもそも学生の頃などはなぜゲーセンに行っていたのだろうかと振り返るに・・悩んだらゲーセンに行き、ゲームに没頭することによってなんとなく紛らしていたということが多かったように思う。学生時代の悩み・・・論文作成が進まないとか、レポート期限が迫っているものを3本抱えているとか、将来が決まらなくて何となく不安だとか・・・また、一人暮らしが寂しいとか・・・社会人になって食うか食われるかの世界に身を置いている今となってはさほどでもない悩みではあるものの当時としては大問題を抱えつつ、悩める時・・ゲーセンに行っていた。行っても根本的にはなにも解決しないことはわかってはいた。論文が進まなければそのための作業に時間を割いた方が直接的解決になるし、将来が決まらなくて不安なら、ゲームと対話しているよりは、誰かに相談するとか誰かの自伝を読むとかの方がより直接的だ。一人暮らしが寂しかったら、友達を増やす努力をした方が直接的だったかもしれない。

 ゲーセンに行って悩みを紛らすというのはいかにも消極的だなぁと思っていたのだが・・・今は消極的だとばかりは思っていない・・・
 社会人になってから10年近く経つが・・・悩みの根本原因と直接的に対峙することはとても重要だし、基本的にはそれにいそしむべきではあるものの・・・すべての悩みとがっぷりよつで組み合っていっては身体が何個あってもたりないということもまた事実だと分かってきた。例えば、仕事が忙しすぎて恋をする暇もないという状況の時はどちらかをあきらめるしかないわけだ。仕事を取るか、恋を取るか。どっちもなんとかしようとすると苦しいわけだ。
 だからね・・・悩みって紛らしていくうちにどうだっていいかなって思えるようなったりすることもあるし、どっちを真っ向から取り組むか覚悟が決まってくるものだと感じている。それは適応的状態といってもよい。

 まぁ、だから、ゲーセンで時間つぶしみたいな感じでゲームに没頭する・・その時間的経過で悩みがなんとなく消極的であれ解決を見るかもしれない。少なくともゲームに没頭することによって悩みへの意識の集中を一時的であれ離れさせることができるわけだ。

 だから、悩める時にゲーセンに行くというのはあながち間違った方略でなかったようにも感じるし・・・まぁ、最近ゲーセンに行ったのはいろいろ悩みも鬱積してきたからにほかならないわけだがね(^-^) 

2005年04月20日

今さら五月病か?

朝から、とてもダメダメな気分であった。

時期が時期だけに五月病かな?仕事もまた少し新しいものになったしな。

でも疲れ気味の最近睡眠時間の確保にはつとめていたのに、働き始めてもう何年にもなるのになぁと思いつつ。

午前も時間が経ってくると大分調子も上がってきた。

よかった、一過性のものかな(^-^)/

2005年04月18日

そうか、それで悪くはなかったのか・・・

 かつて、数年に及んで忠実に精根尽くして従事していた仕事があった。多分、自分に結構合っていた仕事だったろうし、そして、今思えばその仕事を愛していたと言うこともできる感じの仕事。だから、かなり精通したとも言えよう。

 いくら愛しても部署が変われば仕事も変わるのが勤め人の常である。だから、僕はその仕事を離れたわけだ。近くの部署に移ったため、その後任者・・・そして後任者の後任者からもアドバイスを求められれば協力していたりしたので、たまにその仕事に触れられたのだが、今はまったく遠く離れた部署に移ったため、その仕事に触れる機会はほとんどない。
 今や、あの仕事もまったく他人のものなんだなと思うと、一抹のさびしさは否めない時もある。もちろん、希望もあって部署を変遷してきているのだから文句は言えないのだが。

 「大津さんっ!!」・・・昼休みの後・・さて午後も仕事かぁと机に向かっていると後ろから声がかかった。振り向くと・・・むむ??・・・そう、その仕事の後任の後任者として僕も何度か協力したかつての年若の同僚であった。

 その同僚も異動で、どちらかと言えば今私がいる部署に関連したところに来たため、あいさつにきてくれたとのこと。

 「大津さんにはお世話になりましたから・・・」

 お世辞かもしれない。でも協力したのはまる2年前くらい、ここ1年間はほとんど音信もなかったわけであるから・・・覚えていて訪ねてきてくれるっていうのは意想外に感激だった。だからこそ、知らせに来てくれたのは感激だったし、とても、びっくりだったんだ。

 今もそういう傾向はあるが、昔の私は「おれはこれだけやっているんだ」という自己効力感を誇示したいところがあった。それを見ていた先輩から「仕事ってのはな・・自分が評価するものじゃなくて他人が評価するもんだからな」と諫められたことがある。

 愛した仕事を伝えた相手に、ひとつ義理を立ててもらった・・・その点で・・・そっか僕もあながち間違っていなかったかと思えてね。

 ありがとう、わざわざ来てくれて・・・と思えたんだ。

 2年も前の義理を覚えていてもらった・・・。愛するほど仕事に入れ込まなくったって給料はもらえるよね(実際「仕事は仕事」という言葉もあるよね・・・今時の若者にはそういう傾向が強いように思えていた)。愛してやってみて、でもお給金は同額だったしその仕事は今やひとの物。そんなものだよなぁという無常観もなきにしもあらずだったので・・・そっか・・仕事を愛してみたのも悪くなかったなと思い返せたんだ。

2005年04月11日

両親へ手紙を書く

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 話せば長くなるある一種の決意を持ってこの1年間音信を断ってきた両親に手紙をしたためた。
 ひとつのお願いと、近況報告を兼ねて。
 1年間に及ぶ、近況報告を便箋にして16枚にも及んでしまった。
 最近の僕の文章を書くスタイルはキーボードで打ち込むというスタイルなので、まずは、キーボードで書いたものを手書きするつもりであったが、あまりにも長くなってきてしまったため、ワープロソフトにてうまく調整し便箋にプリントアウトした。それでも16枚。手で書いたら文字が大きくなってしまうため30枚くらいになるかもしれない。
 正楷書体のフォントを使えばその方がさまになるし、読みやすいであろうということもある。
 それでも、最後の自分の名前の署名だけは自分の文字で書くというところだけはきちんとやるようにしている。

 手紙で自分の考えを書いて送るということはとてもいいことだと思う。互いを知り尽くしているようで、そこになれ合いも入りつつ、だからこそ話してしまうと感情的にヒートアップしてしまうことも多い親と子の会話であるが、手紙に書き起こせばそのようなヒートアップなしに冷静に書き込めるからだ。

 なんかとても緊張したし、便箋とか封筒とか新たに買ってきたりして気も遣ったが、一仕事終えたという気分にもなる。真剣勝負の手紙である。

2005年04月08日

仕事の「慣性」

 物理学で言うところの「慣性」という概念がある。まぁ、いろいろ表現はあるのだろうが・・・わかりやすく言えば「車は急には止まれない」ということだ。ある一定方向へ運動しているものは、制動をかけてもそちらに引っ張られる・・・そんな感じだ。電車に乗っていて急ブレーキがかかると進行方向に引っ張られて倒れがちになる・・あの感覚こそ「慣性」だ。

 まぁ、僕なんかも仕事をしているわけで月から金までは、その仕事にぐーっと力を入れざるを得ないわけである。仕事という方向に運動しているような状態だ。さて、金曜日で仕事が終わった(というか切り上げた)からといってさっと止まれるものではない。やり残した仕事が気になったりして・・・すぐにOffモードになれるものでもない。そう、これこそ仕事の「慣性」だ。

 金曜日・・皆が飲みたがり、赤ちょうちんがサラリーマンで一杯になるのは・・この仕事の「慣性」と無関係とは思われない・・・。アルコールの麻酔作用を借りてなんとかこの「慣性」を止めて、プライベートの楽しみモードに移りたいという感覚があるに違いないと思っている。

 今日は・・・なんだか僕にとっても仕事の「慣性」が強く感じられた金曜日。なかなか仕事モードを抜けられなかったのだ。喫茶店寄ったり、電器屋寄ったりしながら・・外食をしたりして・・・なんとか、抜けたかな(^-^)

 身体は疲れているのに・・・そんな意味で寄り道が必須だったような感じだ。

2005年03月28日

仲間と飲むということ

 ひさびさに集まった、以前の職場で一緒だった人たちと3人で呑む約束があったわけで・・・。
 そう、月曜日からである(^-^)すごく楽しみにしていた日。

 職場でのつながりというのはその時限りの場合が多い。実際、一緒に仕事をしていれば、そこに共通する不満や辛さなどがつまみとなって、まぁ、一杯飲むネタにはなるのだが・・・さて、異動になってその部署を離れてみると・・・意外にそういうつながりは薄かったのだと気づかされることも多い。

 しかし、今日集まった3人は仲間と言えるのではないだろうか。実際、上記のような・・・まぁ、離れてしまえば冷えるものだよという醒めた見方をしていた私に「大津さんは友達ですから、寂しいこと言わないで」と諫めてくれた後輩が今回の飲み会をまとめてくれたわけで。

 そして、この3人は今は散り散りであるわけだから。それでも、集まれているという事実がある。

 そこに、本当に偶然なのだが、当時の上司が入ってきてくれた。たまたま、コンタクトをとってきたのが今日であったのだ。いっつも呑みたいなぁと思ってお誘いはしていたが、なかなか、機会がなかったのだが・・・。まさに偶然にも今日。とても奇遇だった。

 そして4人で呑む。そう、みんな部署は違う。だから、「離れてしまえば冷めてしまうよ」理論に従えばあればつながりようがない4人だが、そんな4人が集まって、そして、すごく目で語り合えるというのか言わずもがなと言うのか・・・心で通じ合える感覚を共有していた。そんな時間を持てたわけで。

 お銚子はどんどん空いていって、それなりに呑んだが・・・こんな楽しい夜はないと思えるくらい。

 離れていても通じ合える人たち・・・こうなると、やはり、仲間と言って差し支えないのではないかと思う。元上司であっても、今は上下関係はない・・・だから、やはりどう定義するかと言えば「仲間」という枠組みしかないだろう。

 こういう飲み会はいい・・・とてもいい。ただ、この関係に依存してはだめなのだ。おのおのの場所でがんばる。そして、半年に一回でもいい。こうやって集まって、騒げればそれでいい。依存せず、つながっていける・・そういうのが理想だね。

 今日は今までになく気持ちよく酔えたんだ。ありがとう。

2005年03月14日

仕事っていうのは食えないものだ

 とっても幸せな気分で終わった週末。
 さて気分一新、ブルーマンデーも吹き飛ばせるかと思いきや、そうでもなかった・・・。

 朝起きるとなんか・・気分的に乗らない。というか全然ブルー。あまりにも楽しかった週末だったのでそこから一気に現実に戻る落差が大きすぎるからなのだろうか。

 元気づけるために、昨日の残りのテグタンスープでおじやを作って食べる。
 ojiya.jpg
 美味しい。
 少し元気になって出勤するも・・・

 どうしてこうも思い通りに行かないのだろうという事態が続出。まぁ、思い通りになることの方が少ない仕事と言えばそうなのだが・・・むむぅ。かなり、いらだってしまう。同僚のみなさんにはいろいろ迷惑をかけてしまったかもしれない・・・。

 こういう月曜日は定時にさっさとあがって、「東京フレンドパーク」でも見ながら、家でくつろぎたいのだが・・・繁忙期の今日、残業は確定的であったわけで・・・ある程度残業する。残業すればするほど、ストレスが溜まってくるのは分かる状態。ある程度で切り上げて帰ってくる・・・切りはついていない、でも、切りのつかない状態でずーっとやっていくと、もうイラつきMAXになってしまうことは目に見えていたから。

 そんな今日、仕事って何だろう?って考えてしまった。
 仕事に就いている人は、仕事ってあまりしたくないじゃん?仕事するより遊びたいよね?

 でもさ、歴史を振り返るに、ヒトラーが台頭したのは、ベルサイユ条約における過重な賠償金負担から来る不況で仕事がなかったのがひとつの原因であるんだよね。仕事がない先の見えない状況こそヒトラーの過激な主張が通った背景であるのはよく知られるところである。
 そして、世界大恐慌に直面してアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトはニューディール政策を打ち出し、例えば、ダムを造るような公共事業を多く打ち出して失業者に仕事を与えることに腐心したのである。

 そう、仕事はないならないで、とんでもない事態を引き起こすのである。しかし、仕事をしていても苦しいことも多いのも事実だ。例えば過労死なんて起こってしまうのはその極致だろう。

 あってもつらいし、なくてもつらい・・・なんとも食えないやつだね・・・ まったく、仕事ってやつぁ食えないやつだよと思ってみたりしたわけで(^-^)

2005年03月09日

人生はピンボールのようなもの

 最近、まぁ、仕事は忙しい、終わる気配がない・・・。そんな時に、家に帰ってゆっくりしたいなぁと切に思いつつそんな時は何をしたいかなあと考えるのである。
 なぜか最近は「ピンボール」がしたいと思うのである。妙なことだが、エスプレッソでも片手にピンボールをチョコチョコやりたいと切に思うのである。

 まぁ、実物ではなく、Windows付属のゲームのだけどね。
 
 「ピンボール」といっても最近は実物はあまり見かけない。私が幼かった頃はは温泉場のゲームセンターなどで見かけたり、デパートの上のゲームセンターにあったりしたものだが、最近は見かけない。しかし、Windowsの付属ゲームとしては健在。ソリティアやマインスウィーパーといった静的ゲームに比べてかなり動的である分、人気も高いのではないだろうか。とにかく僕は好きである。
 でも、別にずーっとやり続けていては飽きるもので、つい最近まで放っておいたのだが、つい最近からまた始めてみた。面白い。

 なんか、人生の無常みたいなものを感じるんだよね・・・ピンボールやっていると。

 ピンボールって、まぁ、ある程度狙って打つ。でも、打ってしまったあとは玉の転がる運任せな一面が強い。また落ちてきて返す時にある程度の操作可能性が生まれる。その繰り返し。
 ピンボールで高得点を狙うには、まぁ、ターゲットが決められるのでそこに向かって狙って打ち返すのだがなかなかうまくいくものではない。ほとんどは運と言ってもよいかもしれない。しかし、10%くらいはうまく行く。だから狙いを定めることをやめることはできない。
 まったく狙わずに打ち返すよりは少しでも確率を上げるべく狙っていく方が高得点につながる可能性は高まる。しかし、どんな名人でも、どんなに練習を繰り返しても、100%うまくターゲットを射止める技など身につけられない。それがピンボール。

 すごく人生の過程に似ていると思わない?

 人が人生を生きる時・・・まぁ勉強をするのでもいいし、練習に励むのでもいい、ある目的に向かってがんばる。でも、うまく行く時もあるが、たいていうまく行かない。だから挫折するか妥協するかである。でも、ある程度うまく行く可能性も保留されているのである。だから、目的に向かって狙いを付けてがんばるしかないのである。それが資格を目指すことでもいいし、学校を出ることでもいいし、劇団でアクター目指してがんばるのでもいいし、スポーツの分野でがんばるのだっていい。みんな人生において目的を定めて狙っていっている。でも、たいていはうまくいかない・・・。

 まさにピンボールは人生の過程そのものと見えてこないだろうか。

 もし、この語りを読んでいるみなさんのPCがWindowsであるならば、ピンボールを開いてやってみるといい。なんかそんな風に思えてくるんじゃないかな(^-^)

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2005年03月04日

雪と思い出

今日は雪だ。職場の窓からしきりに降りしきる雪を眺めながら・・北海道に過ごしていた日々を思い返す。

「よかったなぁ・・あの頃は」と思い返してしまう。

そうなのだ・・本土から慣れない北海道に渡り、高熱を発したこともあったし、寒さにめげていたりもしたけれど・・・でも、好きなことを一生懸命やって、一番安定していた時期であった。まぁ、実際立場的に気楽だった面もあったのだが。

過去を振り返るのは、この年になると禁忌であるのでこのへんでやめておくが。

首都圏で雪が降ると大騒ぎしているし、実際、今日は電車も若干遅れたが、北海道ではこれくらいは全然普通だったし、日常的光景だったんだ。

こちらの雪はべたついて水分が多く、かさが必要だが、あちらのはいらない・・・さらさらなのだ。

まぁ、過去を振り返るのはもうちょっと後でも良かろう(^-^)

さ、仕事だ。

2005年03月03日

おごれるものは久しからず

 今ちまたでは、西武鉄道株問題で堤義明・コクド前会長が逮捕されたことが持ちきりだ。
 堤帝国とさえ言われる一人独裁体制をしいてきた大物逮捕ゆえにもっともなことなのかもしれない。
 
 私はその昔、平安時代から鎌倉時代への過渡期の平家と源氏の戦いを興味深く学んだことがあった。国語の一貫として古文としての「平家物語」も読んだし、歴史の勉強としての平家・源氏の戦いも学んだ。
 今回の西武騒動を見るに・・・いかにもいかにも共通項があるなぁと思うのである。平家物語の有名な一節「おごれるものは久しからず」・・・今回も堤氏がおごってしまったことに原因はあるのだろう。

 当然、堤氏もこの文句は知っていたであろうが・・・権力を持つとそれでもなおかつ引き込まれるようにおごってしまうのだろうか・・・権力というのはその意味ではとても魔物なのかもしれない。しかし、人を引きつけてやまないものがある。

 私自身振り返ってみても、欲しくないと言えばうそになる。

 人生を生き抜くために、権力とどう付き合うのか・・・これは問題であるのだろうなと感じてみたりしているのだが・・・。権力なんていらないよと構えてしまえばよほど楽になるだろう。しかし、例えば、職場で同期が全員出世していく中で一人ヒラのままでいるというのはどうなのだろうか?

 「おごれるものは久しからず」・・・みなさんはどう受け取るだろうか?

2005年02月21日

現代の若者の生き方について

 まぁ、僕もそんなに年というわけでもないのだろうが、それでも現代の若者は・・・と思うことは多々ある。

 僕は現代の若者を「享楽的」と思っているのだが・・・とにかく今を楽しめればそれで良く、自分が楽しむことのみに貪欲だとつくづく感じてきた。私自身がそういう傾向がないというわけではない。多分私の親世代から見れば私はよほど個人主義で享楽主義的とも見えているのだろうが、私がもっと若い世代を見るに・・・ううーむ「享楽的」だと感じてしまうものだ。

 そんなことを常々感じてきた僕にとって2005年2月20日朝日新聞(生活面・33面)に小椋佳さんが「未来を生きる君へ 脱・近視眼的な生き方」と題して語っていたのが印象に残った。

 若者に向けて次のようなことを語っていたのだ。私なりに要約してみた。

 人間は例外なく死が訪れる存在であるから、手元の楽しく面白いことを追いかける暮らしぶりを間違いとも言い切れない。だが、それにしても世代を下り若年層になるほど人類のことなんて関係ない、社会のことなんて視野から外しておこうという姿勢が鮮明になる感触がぬぐえない。それはきわめて近視眼的な姿勢である。しかし、人生は極短期であるわけでもなく、人間が社会的存在であることも不変であることも確かなので。やはり、近視眼的な人間が圧倒的だという偏りはやはりいびつなことであろうと感じる。だから、遠くのものへの視座と広い場所への視界を復権させることの重大性に気づいて欲しいものだ。

と。

 言葉は違えども、僕が感じていた違和感を見事に言語表現しているので、思わず、すごいなぁと嘆息してしまったほどだ。さすが小椋佳さん(^-^)

 小椋佳さんは非常に達観していて、まぁ、今の若者に分かってもらえないのであれば今幼年期にある次次世代に期待をかけようという締めであったけど、うーん、私はそこまで達観できないなぁ・・今の若い人たちにもわかってほしいものだ。

2005年02月09日

尊敬する人物のひとり、伊能忠敬

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 芝公園にある伊能忠敬測地遺功表前にて。

 伊能忠敬は僕が尊敬する人物の一人である。
 なんというか、人生五十年とさえ言われ、要するに今みたいに寿命が長くなかった頃に、50歳から測量に目覚め、死ぬまで測量を続け、正確な日本地図を作るという偉業を成し遂げた人物。

 僕が、尊敬する所以は、寿命の短かったその時代に50歳から測量学を学び初めたということ。
 測量学といえば、今でもそうだが、かなり高度な数学を用いる、理科系の学問である。江戸時代であればなおさらであろう。それを50歳から学んだということ。

 人間始めるのに遅すぎることはない・・・そんな勇気を与えてくれるから何だけどね。

2005年02月07日

ぎりぎり体質

 なんか、僕はいつも時間ぎりぎりだ。
 もう、いい大人なんだから余裕を持とうよという議論もあろうが、全然ダメだ。
 電車の時刻を調べるのは得意だし、人間駅スパートだが、それでもなんかぎりぎりの電車を選んでしまったり。
 三つ子の魂百まで。これはもう、アレルギーと同じような体質なんじゃないかとさえ思うのだ。

 しかも、最近もっと恐ろしいことに気づいた。ぎりぎり体質は日常的な数分数十分の単位のみならず人生全般的な長いスパンについても同じなんじゃないかと。

 確かに、いろいろな人生イベント、ぎりぎりでくぐり抜けてきているような・・・(^-^)

2005年01月22日

今日は多分勝負の日だったわけで・・・

 今日は、今思えば、きっと勝負の日だったんだろうな・・・

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2005年01月19日

今の自分はなぜそうなったのか

 あぁ、これでよかったのかなぁ・・ほかの道があったのではないか・・・・生きているとそんなことを思うことの連続だろう。これは個人差はあるが多かれ少なかれ誰しもそういう逡巡は絶えず抱えているはずだ。

 そして、ある時思う・・どうして、今の自分になったのだろう。そして、現状に満足している人ってそんなにいないだろうから、男性なら仕事帰りの居酒屋とかで、女性なら気の合う友人とのランチの場で「どうしてこんなになっちゃたんだろう」とつぶやいているかもしれない。

 現在の自分がどうしてこうなっているのかって、実は明快な答えがある。
 今までの人生の瞬間瞬間での自分の判断の積み重ねが今の自分の姿だ。
 受験でちょっと無理目だけどいい高校のA校を受けようか、安全圏のB校を受けようかという判断だってある。今日のお昼は太るかもしれないけどビックマックにしようか、それとも、健康を考えてサバみそ煮定食にしようかという判断だってある。
 そんなその瞬間瞬間の判断の積み重ねの結果が今の自分だ。それ以上でもそれ以下でもないのだ。失敗の判断もあったろう、成功の判断もあったろう、それを含めて総合した姿が現状の自分ということは自明とも言えないだろうか。直感的に分かって頂けよう。

 この考え方は、数学の微分積分の考え方にとてもフィットするので、数学の得意とするシンプルな記法で記述すると、次のような一式で表されよう。


sekibun1.png


 まぁ、1972年生まれの私の場合は、次のようになる。

sekibun2.png


 今の判断がよかったのかわるかったのか・・・それはその時は分からないかもしれない。でも、それは如実に結果として表れてくるものだ。そう、その瞬間瞬間の判断の積分として。それは容赦のないものだ。

 数学的な表現だけではなく、文学的な表現として、重松清さんの小説「流星ワゴン」の一節を引きたい。

「分かれ道は、たくさんあるんです。でも、そのときはなにも気づかない。みんな、そうですよね。気づかないまま、結果だけが、不意に目の前に突きつけられるんです」(流星ワゴン 講談社 重松清 p.100より登場人物の発言の引用)

 まさに、上記の数式と同じことをいっているのである。
 判断した瞬間は分からない・・・でも、積分としての結果は容赦なく訪れる。

 だから、私は思うのだ。今の判断が自分にとってよかったかどうかわからない・・・でも思い悩むことはない、結果を甘受する覚悟さえ決めておけば。

 先人はこの覚悟を決めるためにいい言葉を残している。
 覆水盆に返らず。
 こぼれたミルクに泣くな(It is no use crying over spilt milk.)
 治らないことはがまんするしかない(What cannot be cured , must be endured.)

 実は今職場の私のパソコンのスクリーンセーバーに流している言葉はこの3つだが、結局そうやって覚悟を決めていくことが必要なんじゃないかな・・・今の自分を嘆くのではなくね。そんな風に思っているんだ♪

2005年01月11日

親友にジュニア誕生

 親友に子どもが生誕したと一報を受けた。
 「そっか、よかったねぇ」って素直に思えた。
 その親友とは高校時代からの付き合い。途中、離れ離れになることはあってもどっちかがどっちかの場所に行って語り合ってきた仲だ。中でも、年末は必ず会っていたし、忘年会めいたこともしていた。その時、必ずお互いこんなことを言って別れたものだ。

 「来年こそはいい年にしようね」

 何をもって「いい」とするか・・・それは決して宝くじに当たることではなかった。ステディな伴侶を見つけようねと言い合っていたわけだ。そう言いつつも、またその翌年同じセリフで別れる。それが繰り返されるとお互い苦笑していたものだが、ある意味安心感もあったものだ・・・お互い同じだという。

 それがいつしか、彼は結婚し、僕は友人代表で祝福のスピーチをした。

 「来年こそは・・・」そう言い合ってきた仲だからこそ素直に祝福できることはある。今回のジュニア誕生もそのひとつだ。

 男の子だったそうだ。

 「よかったね、大きくなったら一緒に飲めるね♪」力を抜いてそのように返信した。家父長制など過去の遺物、長男がどうたらなんていう世間的なしがらみはどうでもよいではないか。

 息子と一緒に酌み交わす・・・実は僕自身もしてみたいことなんだがね(^-^)

 おめでとう!!

2004年12月28日

今日は仕事納め

 今日は仕事納めの日だ。
 あわただしい師走の最後の日・・・やはり仕事は忙しかったし来年への継続案件としての仕事はわんさとあるんだけど、まぁ、終わる・・・というか区切りだから終わらせる。

 仕事納めの後の、納め飲み会にも参加。結構よく飲んだ。やはり、一年の仕事が終わった充足感からだろう。

  なんにしろ今年の一年間はよく働いた。僕の職業人生の中でも有数であることは事実だろう。そんな自分を一応褒めてあげようと思う。

2004年12月26日

ここに住んでいていいの?

 今日は日曜日ということで・・・また、なんか昨日まで結構がたがたと動き回っていたこともあって徹底的に寝て回復に努めようとしていた。努めるなんて言うと格好良いが、要は、寝床から出ないようにしていただけ・・・。

 そしたら、ピンポーンと呼び鈴が鳴る。めったに来客がない我が家だから、どのみち何かの売り込みかな?誰だろうと、インターフォンで出てみると、下に住んでいる住人であった。女性であるが、私との年齢差を考えると「女の子」と言ってよいくらい若い子である。

 なんだろう・・・と思って、パジャマ姿に上っ張りを着たやや情けないとも言える姿で出てみると
 「今日で引っ越すことになりまして」
 とわざわざ挨拶に来てくれたらしい。

 そういえば、今日はずーっと寝ようと朝寝坊をがんばっていた朝方、階下がなんだか普段になくガタガタ物音を出していたので、なんだなんだ?と思っていたので合点はいったのだが、それでも突然の話だったのでびっくりであった。

 都会の中のアパート、私はまだ古いタイプの30代人間だから引っ越しで入ってきた際にはちょっとしたものを持って両隣と下には挨拶に行くことは欠かさないが、最近の若い人はそういうことはあまりしないよね。ましてや、引っ越しで外に出て行く時は私だってさほど挨拶はしない。

 で、なぜ、別れの挨拶にまで来てくれたのか・・・それにはちょっとしたご近所付き合いがあったからだ。

 まぁ、私がこのアパートに来た数年前、その子はもう既に入っていた住人で入居の挨拶には伺ったりしたのだが・・・その後、別に交流もなかった。ところが、ある土曜日・・・洗濯物を干していた僕に下から声をかけられた。要は、「植木の剪定をしないか?」と。その子のベランダ、私のベランダ、どちらにも干渉するように植木が茂っていて、特に下のその子のベランダの方が日が当たらなかったわけだ。それで、隣家から剪定道具を借りたその子が一緒に植木の剪定をやらないかというわけだ。まぁ、見ようによっては、植木の剪定はかなりの肉体労働であるから、男手が欲しかったと言うことが本音のところだろう。僕もその植木が邪魔には感じていたものの、一人ではやる気も起こらなかったので渡りの船であったし、その子が器具を調達してくれたのだから渡りに船というわけで、剪定は僕で、落ち枝を拾うのがその子の役目。初回の時は、土日二日にわたって2人でがんばったりしてみたのだ。その後、半年に一度くらい、こちらから誘ったりしたこともあるが植木の剪定をしたりするご近所付き合い・・そして、まだそこでの地理が不案内であった僕は歯が痛くなった時にその子が歯医者に通っていると話していたことを思い出して、その歯医者を教えてもらって行ったりしたこともあった。
 ご近所付き合いという概念が廃れきってしまった都会の片隅の独身者用のアパートで偶発的にも起こった近所付き合いであった。私もいろいろなところで借家住まいをしてきたが、こういうご近所付き合いは初めてだった。

 まぁ、相手はうら若き女性であるし、こちらも独身というわけで、ここでロマンスでも芽生えれば小説にでもなりそうなことなのだが、別にそんなこともなかったのは色気がない話なわけだが。以来数年、この前の一緒に剪定をした時は、いつもお世話になってと、ちょっとした食品をお裾分けしてくれたりしていた。なんかうれしかったんだけどね。最近の若い子にしては気が利くなぁって思っていたんだ。だって、ほかにも若い子が僕の後に入居してきたりもしたけど入居の挨拶とかもないんだからそういうのに比べると全然いいじゃないですか。

 その子が、「引っ越します」と突然の挨拶だったから、やっぱりびっくりだったんだよね。

 「あ、そうなんですか・・・」
 その子も、まぁ、やはり慣れないことだったからか
 「引っ越します、それだけ言いに来たんですねけどね」・・・といった感じのことを
 「それだけ」というのはちょっと不要な気もしたけど、今の若い子らしい素直な言い回しと言えばそうかもしれない。実際、引っ越しの挨拶以上でも以下でもないのだよね。

 ちょっとびっくりだった僕も
 「あ、そうなんですかぁ・・・
 ・・・
 お疲れ様でした」
 全然とんちんかんな答えをしていた・・・何がお疲れなんだろうか・・・。パジャマ姿であったこともちょっときまりが悪かった。

 「お世話になりました・・・」

 若いご近所からそんな挨拶を受けたのは初めてだ。お互いお辞儀をして僕は戸を閉めた。

 戸を閉めてから、なんだか、数少ないご近所さんとの別れに際してとんちんかんな受け答えをしてしまった自分がちょっと恥ずかしかったし、一抹のさびしさを感じたことも事実だ。

 「どちらに行かれるんですか?」とか「もっと広い家に行くんですね?」とかもうちょっと気の利いたやりとりはいくらでもあったろうに。

 まぁ、若い子だったけれども、結婚してどこかに出ていくのだったかもしれないし、もしくは、職場の近くに居を移すのかもしれない。それは今となっては藪の中だが、その子なりの人生のワンステップを登ったことには違いないのだろう。

 その子は去っていき、まぁ、単身者向けのアパートだからまた若い子が入ってくるのだろうね・・・多分。そして、今時の若い子なら、多分入居の挨拶にも来てくれないだろう。
 冬の寒さの盛りの今日・・・なんか外の寒風に負けないくらい冷たいの一抹の寒風が心の中を通り過ぎた気がした。

 いつまでもここに住んでいてはいけない気もした。いい年なのだからもうワンステップ上がらないとなぁと。

 もう昼下がりだったがそれからすぐにシャワーを浴びてしゃきっとした服装にはなってみた。

2004年12月18日

ついていない年の終わりに神様がくれたクリスマスプレゼント

 なんだか今年は例年に比しても特についていない・運がないと感じさせられてきていた。
 
 まぁ、そもそも僕は持って生まれてしまったのか、後天的なものであるかは定かではないものの、結構頑固なペシミスト(悲観主義者)であることから、ついていないということは強く感じられれど、ついていることはあまり感じないという傾向があるから、あらゆることに関してついていないなぁと感じることは今に始まったことではない。浪人生活の苦労を経て念願の大学に入れた時でさえうれしさはもちろんあったものの、そこから始まる未知なる一人暮らしへの不安が僕の心で支配的であったくらいであるのだから。

 でも、今年は、「特に」ついていないとは感じてしまっていた。
 
 今携わっている仕事に関しては11月24日の一語りで語った仕事で、慣れないこともあって4月から苦闘したし、11月21日の一語りで語ったように数年ぶりにかなりイタイ失恋もしてみたりした。
 まぁ、だから「特に」ついていねーなって感じてみたりはしていた。
 
 そんな年も終わりに近くなり、昨日は残業帰り、職場で最後になってしまった私が電気を消して外の寒風の下に歩いていくと、物理的な気温以上に寒風が寒く感じられた。

 そんな思いが強まってきていた今日、僕はPHSを落とした。買ったばかりのPHSを。
 
 とても気に入って、欲しくて欲しくて、今まで数年間使っていたPHS事業者を解約して、新たなPHS事業者と契約してまで手に入れたお気に入りのPHS端末を1ヶ月も使わないうちに落としてしまったのだ。

 落とした自分をバカだなぁと自責の念に身を焦がす一方で、「ついてない」・・その思いがより増幅されて去来した。

 気づいたのは15時頃。電話をしてもコールは鳴るもののでてくれる人がいない。悪用をされないために一時停止の申し込みをした後に、エアロビ教室の帰りに落としたようなので、乗ったバスの営業所から立ち寄ったスーパーやパン屋に聞き込み、帰ってきた道を目を皿にしてもう一度歩くも見つからない。万策尽きた感じだ。

 新規契約間もないものであるので、解約するとなると、多額の違約金が発生してしまうらしい。それだけお気に入りの端末だけに解約するつもりなど毛頭なかっただけに、そして意図していなかったものであるだけに、くやしい。新規契約1ヶ月も経たないうちの機種変更なども多額の費用がかかるとのこと。

 「ついてない」・・・ついていない年の終わりにふさわしいエンディングではないか・・とペシミスティックな思考が自分を支配してきてしまうのはペシミストならずともそうではないだろうか。

 そのPHSは使い始めて間もなかったのでまだほんの3人のアドレスしか入れていなかったのだが、こんなダメダメな気分になってしまった私は、その中の一人の友人に電話をせざるを得なかった。その友人は、まぁ、忘年会でもしようやと言ってくれていたこともあるし。
 「買ったばかりのPHSを落としちまったよぉ、マジ今年はダメダメな年だったよぉ」とこぼすと「まぁ、ダメダメ記念に今度飲もうや」って言ってくれて、まぁ、そうだよなと苦笑する余裕が生まれてきた。

 そして、電話を切って数刻後、まだ放心状態であった私にその友人から電話が入った。
 
 「PHS見つかったよ!!」
 
 「???」

 わけがわからなかったが・・・事情は次のような顛末だったらしい。
 拾ってくれた人がいて、PHSのアドレス帳に入っていたその友人の実家に電話を入れてくれたとのことだった。さっきの愚痴話を聞いていて事情を知っていたその友人が事情を説明してくれて、私の名前を伝えてくれて拾ってくれた人の連絡先も聞いておいてくれたという次第。

 なんかとてもうれしかったが、とるもとりあえず、拾ってくれた人に電話をし今から取りに行かせてもらうという旨を伝え、コンビニに直行し菓子折を買って、その方のお宅を訪問。

 拾ってくれた方から事情を話してくれたところによると、バス停に落ちていたとのこと。その方は中年女性のお母さんであったが、買い物に行く途中そのバス停の周りで人だかりができていて私のPHSが落ちていたのは気づいたもののこのご時世だけにあまり関わるのもなぁという思いで買い物を急いで、帰り道同じところを通るもやはり人だかりが私のPHSを見ているだけだったとのこと。そのまま家に帰り、息子さんにその話をすると、「それは拾ってあげておいた方が親切だよ、悪用されちゃうし、僕が見てあげるから」と息子さんが言ったので拾いに行ってくれて確保していてくれたとのこと。息子さんがかけてみようとしても使用不能にしてあることが分かり、アドレス帳を見て数少ないアドレスのなかから前述の友人の自宅あて電話をしてくれたらしい。しかし、わけもわかならない人からの電話に友人の親御さんも警戒した対応をされたらしく、その息子さんも「警戒されてしまったよ」と苦笑していたらしい。ともあれ、僕が愚痴った連絡をしたその友人が気づいてくれて、私に連絡をくれたおかげで私のPHSは無事に私に戻ってきた。

 わざわざ拾いに行ってくれて保管して、持ち主探しまでしてくれて、また、警戒された対応をされて不快にも思ったであろう、その息子さん・お母さん・・・とてもご苦労をかけてしまった。「ご時世がご時世だけに、そういう対応もやむなしですよね」と笑って見過ごしてくれたお母さん・息子さんには感激を禁じ得ない。
 また愚痴まで聞いてくれた上に連絡の労をとってくれたその友人やその親御さんにも大変ありがたく思わざるを得ない。

 本当にありがとうございました!!
 
 今年もまんざらついていないばかりではなかったではないか。
 最後の最後に、せちがらいこのご時世には珍しい、こんないい人達の好意に包まれて、僕のお気に入りのPHSは戻ってきたではないか!!この一事で僕はハッピーになれた

 ハッピーな気分になれた。これはきっと神様が僕にくれたクリスマスプレゼントだ。
 ついていない年の終わりに神様がくれたクリスマスプレゼント。

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2004年12月15日

人的交流なしで人は生きていけるのか?

 例えば、「独りでもやっていけるぜー」とわめいて家出をした若者も、たいてい実家に帰ってくるし、実家の援助なしにはなかなか生きていけないだろう。
 経済的な面からもそう言えるのだが、経済的には自立できても心理的にやはり依存するものが必要なのであるから、なにかの人的交流に包まれていなければやっていけないものだ。実家に帰らずとも何かのコミュニティに属しているものだろう。例えば、今女子校生などの間で流行っているプチ家出をして大都会の片隅にいる少女達も、報道で見る限り何人かのグループになって生きているように見えるし、また、過去に長瀬智也が主演し話題になったドラマ「池袋ウエストゲートパーク」などは家庭をドロップアウトしたいわゆるチーマー的な若者を描いたドラマだがやはりその中でコミュニティを築いているからこそそれがドラマになっている。

 しかし、人的交流には軋轢がつきものだ。違った価値観を持つ者同士の交わりなのだから当然と言えば当然だ。我が強すぎる人の場合、その軋轢は増幅する。
 しかし、その我を捨てて協調路線に至ると、その人らしさがなくなるのだろう。
 その兼ね合いが難しいのだろう。
 本当に我が強すぎる人は孤独に、よく言えば、孤高に生きていかねばならないのだろう。

 しかし、まったくの人的交流なしで人は生きていけるものなのだろうか?
 やはり、ドラマ「ひとつ屋根の下」の中の有名なせりふに「うさぎって寂しいと死んじゃうんだよ・・・」というのがあるが、人間ではどうなのだろうか?

 寒くなってきて、クリスマスや正月など人的交流が恋しい季節になり、考えてしまうことでもある。

2004年12月02日

北海道の先輩

 昨日の一語りでは、水道の水が冷たくなったことで、北国の生活を懐かしんでみた。

 実際、もう、水道の水で洗い物をすることはなく、必ずお湯にして洗い物をしている。最近はぜいたくになったものだ・・・ボタンひとつでお湯が沸く。今住んでいる安アパートにしてだ。

 北海道に住み働いていた頃は、湯沸かし器があったがガス式であったので沸かすのに手間がかかった,。しかし、あちらの水はとても冷たい。とても素手で触れようもなく、手間がかかっても沸かしていた。

 仙台に住んでいた頃は湯沸かしさえなくて・・・洗い物をするのがとてもおっくうでためてしまっていた。

 なんて北国の思い出に浸っていたら、北海道にいた頃一緒に働いていたある先輩を思い出してしまった。
 「大津ーっ!!」「大津お前なー」とやや怒鳴り気味にも聞こえるハイテンションに呼びかける人で、私が25で、その先輩が確か31~2といったところ。ちょっとそんないっつも怒鳴らなくてもと思っていたことも事実だし、なんかちょっといじめられていたという感じにも思っていたが・・・。
 ただ、その先輩がびしびし鍛えてくれたおかげで当時の業務を一通りマスターもできたし(といっても今の仕事に直接的には役に立つものでもないが)、ある意味人生を生き抜く力がついたとも言えよう。そして、それからもう何年も生きてきて、いろいろな職場を経験してきて、今思えばあの時の先輩の怒鳴り声くらいは全然いじめとも言えないくらいだと思ってはいるところだし、鍛えてくれたことに感謝の念を持っているのだが。

 そんな感じで印象的な先輩だったが・・・「大津お前もな、携帯くらい持てよ、かかってくるかもしれないじゃないか」と言われたことをふと思い出した。
 要するに携帯でも持って彼女でも作れよという意味だったらしいのだが、その後まもなくPHSは買ったのだが、それはデータ通信のためだったという色気のないものであったり・・・。
 そしてその先輩には当時すでに綺麗な奥さんがいた。

 なぜ、その話を思い出したかというと、最近、またやはりPHSであるが、買い換えようとしているからだ

 でも、先輩、僕は相変わらず彼女がいません(あなたと別れた後にいた時期もありましたけど・・)・・・そして、先輩と同じくらいの年になってしまいました・・・。

 その先輩は、もう遠く離れてしまったにもかかわらず、年賀状だけは毎年くれる。子どもの写真入りで。
 年賀状記載のメールアドレスに2年前メールを打った。

 返事には「また一人暮らし始めたんなら結婚しろよ」といったことが書かれていた。

 すみません・・・再び一人暮らしになって3度目の正月を迎えようとしています。まだ、彼女はいません・・・

2004年11月27日

ホテル住まいと独身と~淀川長治さんの生涯に思う~

 先ほど書いた一語りでも言及した映画評論家だった今はなき淀川長治さんは、生涯最後の11年間をホテルで暮らしたとのことだ。

 昼間をぐったりとごろ寝しながら過ごしたので、エネルギーが溜まってきた夕方から横浜に出張って、お買い物をしたり。似合わないカフェ飯などを喰らいに行って入ったカフェにおいてあった雑誌「PEN 」(3/15号)の記事に載っていたのだ。
 「究極のダンディズム ホテルに暮らす」という企画ものの記事。

 最近の一語りを読んでいただいても分かると思うが、映画が3度の食事と同じくらい大好きな私にとっては淀川長治さんはすごく親しみを持てる人であるとともに尊敬する人でもある。
 そして、この記事で新たに分かったことがふたつある。ひとつは、最後の11年間を東京全日空ホテルで暮らしたということ、もうひとつは生涯独身を通したということ。

 その記事中、淀川長治さんの姪御さんに当たる淀川美代子さんが次のようなことを語っていた「訪ねていくとホテル暮らしを本当に楽しんでいるのが伝わってきました~(中略)~しかし、その裏には埋めようのない孤独もあったと思います」・・・なるほど、そうだろう・・・
 淀川長治さんがホテル暮らしを始めたのは78歳の頃・・・病院からの退院後一時的に逗留したこのホテルで暮らし始めたというのが始めらしいのだ。

 家に帰ったら本当に孤独だが、ホテルであればラウンジもあればボーイもいる。人の影に囲まれることはできる。そのことが78歳の老人であった淀川長治さんをホテル暮らしに誘ったということは容易に想像できるところだ。

 淀川長治さんは生涯現役で映画評論・解説家を通したとのことだ。だからこそ、ホテル住まいを続けられた。とてもかっこいい。

 僕も正直言うと、もう生涯独身かなと感じてきている。映画も大好きだし、でき得れば、淀川長治さんのように最後はホテル住まいというダンディズムを持ちたいものだ。そのためには、生涯現役の仕事か技を持って行かねばならないし、多少の稼ぎじゃなダメだろうが・・・だから夢なのかもしれないが

 振られてばかりで女の子と一緒になるのが至難に思えてきた今、これまた至難であるがかっこよく独身を全うする道も考えねばならない。
 そのベクトルにおいては淀川長治さんのホテル住まいの生涯は、一番理想と言える最高峰なのは確かだ。

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2004年11月25日

私の仕事

 私の今携わっている仕事は、誰が見たって明らかに世のため人のためになる意義深い仕事ながら3K仕事で希望する人はほとんどなく出世コースとは無縁と思われている仕事なんだ。誰もやりたがらないけれども誰かがやらなければならない仕事・・・そういう仕事は世の中にはある。

 もちろん、普段はその意義を胸に、がんばっている。あっちこっち飛び回ってね。

 でも、ふと気弱になることもある。疲れる汚れ仕事ながら、認められることは少ない・・・。

 そのような時、思い出す映画のワンシーンがある。
 「突入せよ!「あさま山荘」事件」で、役所広司扮する主役が叫ぶシーンがある。大体次のような感じである(記憶に基づくので多少の誤謬はご容赦を)
 浅間山荘事件で犯人達の銃口にさらされながら戦う機動隊員達の中で叫ぶ主役
 「おれたち機動隊の危険手当はいくらだか知っているか?1○0円だ。農林水産省技官の牛の種付け時の危険手当は210円だ。おれらの危険さは牛に蹴られるよりも低いって思われているんだ!!」

 なんか機動隊もとても切ない仕事だなぁと思ったのだが、今の私の仕事もこの叫びに共通する感覚はある。
 
 意義としてはすごく誇れる仕事でありながら、そしてそれを自覚してがんばりながらも、なんだかなぁ感覚を捨てきれない。そんな迷いがいまだに私の胸にあるのが正直なところだ。
 
 ということを同じ仕事の同僚に話したら「何言っているんだ、これより自慢できる仕事が他にあるか?」と叱咤されてしまった。

 なるほど、その通りだろう・・・周囲の思惑なんてどうでもいい。自他共に誇れる仕事には違いないのだから。すぐには捨て切れないかもしれないが、迷いは消し去っていこう。

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2004年11月18日

リクルートスタッフィングの広告を見て感じたこと

 リクルートスタッフィングの電車内広告がなかなか印象的だ。なかなか言い広告のように思える。
 その中でも印象的だったのは、以前は札幌でデザイナーをしていた頃は寝る間もなかったくらいだけど、派遣を始めた今は平日は忙しいけれど土日はしっかりあるから踊りを始めた・・・みたいな体験談を語っている女性のもの。
 日本の厳しい労働環境を如実に、そして、正直に表しているとは言え、土日がしっかりあることが珍しいみたいな描写がまかり通っているところに、日本人の労働環境の余裕のなさを感じるなぁとちょっと悲しくなってみた。

2004年11月13日

世間一般での「負け」をどう受け止めていくか

 重松清さんの小説「口笛を吹いて」の中に、自分の実力とは別次元の人間の政治的な力学でレギュラーになり損ねることが予想される少年野球チームでがんばる我が子に「まっすぐな悔しさだけですむ、ねじれたりにごったりしない負け方」を教えることができるのだろうかと悩む30数歳の男性主人公がラスト近くになって描かれている。

 なんかよく分かるし、切なすぎてやりきれない気分になった。
 
 というのも私自身が、誰がどう見たって多分、人生「負け」ているからだ。
 流行言葉で言えば「負け組」だ。
 
 私がどう「負け」ているのかは大して面白くもない話なのでここではつまびらかにしないが、エッセイストの酒井順子さんは、「30代・未婚・独身」女性はいくら仕事ができたって負け犬なんだと言い切ってベストセラーを出したが、その概念を男性まで拡張すれば、32歳で未婚で独身で、でも、結婚はしたくても相手がいなくてできないという時点で私はかなり負けていると言うことができよう。

 いやね・・・世間的に「負け」ても本人の気の持ちようで「負け」を「勝ち」に変えるという考え方もありますよね。
 それが、今流行の「癒し」みたいな概念に繋がるんでしょうが・・・それってごまかしのような気もする。
 私は、大学受験浪人をしたんだが、現実的な負けをもう一度勝負して勝ちにしてきたような負けず嫌いなところもあるので・・・世間的な「勝ち」への執着を捨てきってしまったら、自分はなにによって立っているのかわからなくなる(アイデンティティの拡散と言おうか)。
 いつかは勝ってやるぞみたいな執着って・・・未だ持ち続けているのがいいのか悪いのか分からないんだが、持っちゃっている。

 人生大いに負けている私だが、冒頭の重松清の作品の言葉を借りれば、こういう語りを書いてしまっている時点で、私の負け方は「ねじれたり、にごっちゃったり」はしているなぁ。

 明日は早起きして山梨に行って来ます。友人の結婚式なんです。せっかく山梨まで行くので、月曜日はお休みをとって、向こうで温泉でもゆっくりひたってくるつもりです。

2004年11月12日

結婚式の準備

といっても自分のではない。

nosi.jpg

 自分あてにもらうことは、もうないんじゃないかなと思いつつ包む32歳独身。

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2004年11月11日

富める者はますます富むんだね

 アイクのCMに出てきた女の子がかわいいなと思ったので、誰だろうと調べてみた。
 東原亜希さんというキャンペーンガールらしい。

 キャンギャルの東原亜希さん「鮮度抜群でサイコー」(サンスポ.com)

 どっかで聞いたなと思ったら、かのかつては柔道の金メダリストで今回のアテネでは予選落ちであった井上康生と交際しているというニュースで報じられていた彼女だ。

 東原亜希 康生との交際「良好」 [ 11月09日 06時12分 ](エキサイトニュース:スポニチアネックス)

 わかっちゃいるけど・・・要するに、富める者はますます富めるんだなと思ってしまった。

 こういう特殊なパワーエリートの世界の人たちはその中でくっついていく。

 まぁ、現実そんなものである・・・力のある者には金も女も寄ってくる、だから力がある者はますます富んで、そうでないものはますます貧しくなっていく。経済学や社会学でもそのダイナミズムは如実に描写されてきたことだ。

 私自身は当然ロウアーサイドの人間だが、どこかで一発逆転してやろうと思っているんだが、だから、こういう記事にはあまりいい感じは受けない・・・どっかで花咲かしてやるぜという思いを新たにする発奮材料にはなるとしてもだ。

2004年11月03日

30代独身男がレッドゾーンギリギリまでプライベートの充実にいそしむ理由

 昨日の一語りで語ったことだが、どうして30代独身男の私がレッドゾーンギリギリまでプライベートの充実にいそしむのかってことを言うとだね・・・

 「おれさー、最近腹出てきちゃって・・・」って言っていいのが30代男性と思われている節もあるが、それは普通に結婚して1児か2児か設けていて初めて許される言葉だ。

 子育てに忙しい→スポーツなど自分の身体をケアしている時間がない→太っちゃった

 このような流れが成立して初めて中年太りは許されるし、「最近太っちゃってさー」と言っている本人達もひそかに自分たちがそのような状況になっていることで幸せで充足していることの裏返しとして太ってしまっているということを示したいわけだろうから、「最近太っちゃってさー」と言う人は独身男性というよりは既婚男性に多いように見受けられる。

 だから、30代独身の負け犬的人生をまっすぐにひた走っている私は、決して「太っちゃってさー」とは言いたくないのだ。変なこだわりかもしれないが・・・実は「太っちゃってさー」という言葉にまんざらでもない満足が含まれているものなのだという論旨は誰が書いたものかは忘れたが以前読んだ随筆の中に出てきたロジックなのだから、まんざら僕のひがみだけとは限らない。

 だから、体も鍛えれば、ここ数ヶ月で6キロ以上の減量も成し遂げてみた。それくらいやるには、生ぬるい幸せと共有していてはできないわけで、まぁ、ひがみ半分負け犬の遠吠え半分でレッドゾーンギリギリまで運動なりで絞っていってできたことである。

 世間的なフツーな幸せが手に入っていないからこそ、それを代替するためにプライベートを充実させたい、ぎりぎりまでがんばりたいと思う、やせ我慢がそこにあるわけだ。

2004年10月20日

台風と人生逆流系

typhoon.jpg

なんだかすごい台風だ。今年は台風がよく上陸する。
台風だとみんな外に出たがらない。

 でも、僕は別に台風だから、雨だからってあまり思わないようで、台風でも行きたいところがあれば濡れるだけで済むのなら行ってしまう人だったりする(さすがに交通機関が止まっているとか命の危険があるとかならちょっと考える)。
 濡れるから、寒いから・・・そういうのには耐性があるみたいだ。

 以前の職場の机に「わかっちゃいるけど、ただ今、人生逆流中」という立て札を100円ショップで買ってきて立てかけていたことがある。こんな立て札を売っている100円ショップもショップだが、買ってしまう僕も僕だ。
 しかも、周囲からは別に否定的な反応は見られず、そうだよねって感じに受け取られていたみたいでね・・・自他共に認める人生逆流系の人間だ。

 で、今日は毎週行っているアクアビクスの日だ。残業もせずに、台風で遅れる電車の混雑に揺られ、傘を差しても振り込んでくる雨にずぶぬれになりながらもプールに行ってみると・・・

 一人でした。アクアビクス教室の参加者がオンリーワン、私だけでした。
 インストラクターの先生から・・・「お一人ではなんですから・・・振り替えられては?」とのオファーに素直に従った私。さすがに一人で踊るほどはいかなかった・・・。

 それにしても、いくら台風だからって私以外に一人くらい逆流系の人がいたっていいだろうに・・普段は10~20名の人が集まる教室だよ(^-^)

2004年10月19日

学歴社会ほど、人に優しい社会はない

偏差値70からの大学受験・あとがき

ここに、タイトルの文言が書かれていた。激しく同意。
私も受験戦争は戦い抜いてきたが、その果てにそれは思った。

だって、女性の歓心を得ることに比べれば、よほど学歴社会の方で合格をゲットする方が僕にとっては楽だったから・・・。

2004年10月08日

ジャンパーを忘れる

 今日は職場の飲み会だったのだが・・・一次会の会場に上着の薄手のジャンパーをひっかけておいたのを忘れてきてしまった。一枚羽織らないとちょっと寒いくらいのこの季節・・・上ものは忘れがちだねぇ。飲んでいい気分になってちょっとホットだったから忘れてしまった。

 2次会の時に気付いて、1時間後くらいに戻ったが、もうなかった。お店の人に聞いてみると、職場の誰かが持って帰ってくれたらしい。多分、次に職場に行った時に聞いてみようと思うが、持って帰ってくれた人にお手数をかけてしまった。すみませんでした。

 いい年なんだからこういうケアレスミスはよくよく注意したいと思った今日。

2004年10月04日

一人力

 先日の一語り ロンリーでもよいと思う で、それくらいじゃぁ一人でやることの自慢にはならないよという感覚の反応を各方面からいただいた。

 なるほど、そうかもしれない・・・

 では、私は・・・旅は一人旅だが、この前のマレーシアも一人旅だし、一番初めに海外に出たのは、ロシアのサハリンだ。ロシアはビザの必要性からツアーには乗ったが、一人参加で、街についてフリータイムは当然一人で街を歩き回るわけだ。言葉も分からず文字も読めない国での単独行。
 韓国に2回行ったのも単独行で、北朝鮮との国境まで行ってきた。現地ツアーも自力で手配してだ。

 海外単独行はけっこう一人力として、評価はそれなりにいただいたりすることもあるのだが・・まぁ。

(参考ページ : もてない男の心の語り 番外編

2004年10月01日

ロンリーでもよいと思う

 まぁ、昨日の一語り「ロンリーだなぁ」で、自嘲気味にロンリーという寂しさを連想させる言葉で、一人な自分を語ったのだが、それで、もしかしたら「かわいそう」とか「この人は友達欲しいのにいないミゼラブルな人なんだ」とか思われている節もあるかもしれない。

 でも、それは、実は心外なのである。

 ということで、過去の一語りから「一人・ひとり・孤独」に関して語ってきたものをここに集めてみた。


ひとりだっていいじゃん
 「ひとりで生きていけなくて、なにが人間だ。」っていうピーコさんの言葉

一人で生きる力
 なんでもひとりでやるということは・・・

一人で生きる力2
 一人暮らしで倒れると・・・

コドキスト 本当の孤独とは・・・

今日は帰りたくない
 なにかを孤独に怒っていたようです・・・

初めてバーに独りで入る
 「マスター、いつもの」までは行きませんが・・・

恋人達はもっとほかに楽しいところがあるのではないだろうか
 いちゃいちゃカップルに独り者の視点からAngry

世帯主としてひとりの年末
 一人で年末を暮らすということ

(などなど)

 以上、チラチラ読んで頂いても、別に僕がひとりを忌み嫌っているわけではなく、実は、一人である状態も悪くないと思っているし、一人状態をきちんと一人で生きてける力が合ってこそいっちょ前という信念を持っている。下手になれ合ってでないと生きていけないよりは一人でいれる方がすごいと思っている。

 だから、端的に言ったら、ロンリーで何が悪いという思いもあるのだ。慣れれば意外に悪くないもんだよ、ロンリー。

 知人に「大津さんって一人が好きそうですよね」って言われたこともある。
 なるほど、一人旅とかにもガンガン行ってバーに一人で行ってしまう私を見れば、そうは見えるかもしれない。

 ただ、僕の「一人」観をもっともよく言い表しているのは僕の元カノさんの言葉だと思う。

 「あんたって、一人が大好きってわけじゃないけど、嫌いじゃないってくらいじゃない」

 そんな旨のことを言われたと記憶しているのだが、その通りだと思う。

2004年09月26日

「かしましい」が「あさましい」になる時

今日は東京は駒沢までエアロビ教室に行って来た。帰り途中のハイソな街、自由が丘で昼飯を食べていたんだ、外食でね。

したら、後ろの席にやたら大きな声でおしゃべりする女性2人組が来た。
年の頃は大体私と同じくらいだろう、30代前半といったところだ。

まぁ、別に女性同士のおしゃべりがうるさかったからどうこう言うつもりはない。女性が複数集まれば「かしましい」のは必然とも言えるし、それに目くじらを立てようとは思わない。

しかしね・・・聞き耳を立てていなくったって聞こえてくるその話の内容が問題だった。

「今の仕事 オイシイんだよね」そんな旨の発言から始まった。
そもそも「オイシイ」と一般事象を評価する表現自体、好きじゃない。かなり世の中なめている感じは否めないからだ。してやったりとほくそ笑む感覚があっての「オイシイ」だからだ。
生真面目体質でバカを見てきたことも少なくない私の中では決して自分では使わない嫌いな表現だから、やたら耳についた。

耳についたついでに、否応なく聞こえてくる話をまとめると・・・その話している方の女性がやっているバイトが朝は遅くて夕方5時には上がっていい仕事でかかってくる電話は一本だけでこちらからかける電話はないし、同僚もいないから人間関係に悩む必要もない、あとは年寄りの社長のオヤジギャグjに受け答えができればオッケーな、オイシ過ぎるバイトだから他言無用だけど、やめることになったらあなたに紹介するわねといったような旨のおしゃべりであった。

僕は先日の語り「自由への逃走」で、生真面目生一本で窮屈に生きてきたけれど、海外に出れる一時は自由なんだ、それを噛みしめていると書いたくらい、いろいろ不自由さに耐えて、でも、がんばっているつもりの人間だ。だから、今のあまりにも、仕事をなめきった、そして人生をなめたようなおしゃべりに不愉快さを禁じ得なかったのだ。

ここは自由が丘であり、なるほど、ハイソだし上流階級が集う街だ。その話から推測するに、多分主婦かなんかか、親元にパラサイトしているのか・・・少なくともそのオイシ過ぎるバイトだけで生計を立ているのではあるまい。自由が丘には「おっかいもの~♪」に来たのかもしれない。身なりもきれいだし、うん、化粧していてきれいな女性達だった。

しかして、そのおしゃべりは・・・。

冗談じゃない、こちとら明日から仕事だけど、多分、うんうんうなっていうるだろうし、正直休みが終わるのがつらいのは日曜日では常のことだ。仕事なんてそういうものだと思っているし、好きでもないことだからお金をもらえている、そう、生きるために働くんだ。だからあまりにも調子がよく、なめているような話はちょっとな。

かしましいのは微笑ましい、別に悪くはない、でも、この場合「かしましい」より「あさましい」に思える。

早々にレジに立った。

2004年09月14日

愚直

 4月23日の一語りに書いた親子ゲンカの末の、気まずさは未だ継続中であり・・・実家にはほとんど帰っていない(野球のスパイクを取りに帰ったくらい)。

 でも、表面的に愛想よくしている家族よりもそれが「らしい」と言えばそんな気もするし、親離れ子離れの過程が不完全だった私たちにとっては必要な過程と思っている。

 そんな親父は、僕のことを「愚直」と表現する。
 そういう言葉にかなり頭に来るのだけど、それは、図星だからだって分かっている。

 自分の信念にバカみたいにまっすぐで、生き方下手で損ばかりしている息子を見て、父親は心配なのだろう。自分もそうだったから。

 もうちょっとうまく生きろよ・・・そういうメッセージはひしひしとわかっているんだ。

 でも、僕は父親に育てられて感化されたんだ。過剰な正義心もお人好しも生真面目さもあなたから受け継いだものだ。

 治したくったって治らない三つ子の魂なんだ。

 これからも愚直に生きていくしかない・・・こう愚直でなければ、多分もう実家にちょくちょく帰ってうまいメシでも食べさせてもらっているさ。

 息子は今も苦しんでいますが・・・そこは言い訳せずに対峙していくよ。その時に、僕を苦しめている愚直さは支えにだってなるんだ。

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2004年09月12日

ヒエラルキーを感じる

 駒沢公園へは、自由が丘からバスに乗っていくのだが・・・
 そう、僕は色々なところのエアロビ教室に顔を出しているが、やはり、なんだか、駒沢のエアロビ教室は一番品が良いというか、セレブな方々が集まっているような感じだ。

 そして、帰りに通る自由が丘の街もなんだかセレブ。

 自由が丘は、ほら、かのスウィーツ・フォレストがある、おしゃれな街で伝統的に有名な場所。

 なんだか、僕なんかはこういう場所だと尻が落ち着かない。やっぱ、僕は庶民だなぁと実感。

 このへんはアッパークラスのいる場所なんだなって思った。いつか、アッパークラスにも臆さない自分になりたいと思った。

2004年08月30日

充足感

最近忙しかったのだが・・・今日はちょっと大きな仕事が2件一気に片付いたので、かなり気が楽なった。

先週の金曜日はその日の一語りに書いたように、日課のプールにさえ残業後駆け込むようなあわただしさで、余裕もへったくれもなく、その分、週末にどっと疲れが出てしまったくらいであるが・・・

今日は、定時過ぎてまもなくゆるゆると帰ってきている。最近、僕と同じ感じで疲れを見せてしまって、ちょっとゆがんでしまっているメガネも、眼鏡屋さんにふらっと寄ってメンテナンスしてもらったり・・・余裕があるのっていいね。そして、眼鏡屋さんってのも、メガネのメンテナンスはどこでも無料で快くやってくれるのが助かるね♪

そして、今はネットカフェでボーっとこの一語りなどを語っているものの、まだ、プールの時間までは余裕がある。余裕って重要だね・・・このゆとり感はいいものだ。

エネルギーを費やしたものが終わったときの充足感というのは本当にこたえられない快感だよね。

大学生時代の試験とかもかなりプレッシャーがかかったし、物凄いエネルギーを費やした。それこそ1ヶ月くらいは勉強詰めだったものだ。それが年2回なりあるわけだからかなり辛かった思い出がある。おかげで、自分で言うのもなんだが、いい成績をそろえられたし、もしまぐれで結婚できるとして司会者に新郎は○○大学を優秀な成績で卒業されとお決まりの文句で紹介されたとしても別に首をすくめることなく堂々としていられるとは思うけど・・・それだけのエネルギーを費やした後は、ジュースの一杯であってもとても美味く感じられるものだ。

試験が終わった後、図書館のラウンジ飲む一杯のカップジュース(巨峰のジュースだったけど(^-^)ぶどう好きなんだよね・・・ここ参照)が、アルコールも入っていないのに

充足感を味わうには、その目標に向かってどれだけのエネルギーを費やしたかということになるんだよな。エネルギーを出し惜しみしてちゃ、こういう至福は味わえないということだ。

最近は楽して、うまくうまく生きようというという風潮が強いように、特に若い人たちには感じるんだけど、そう、器用に生きるのがベストみたいなね・・・それじゃ充足感は味わえないよな。

どんどん、エネルギーをつぎ込んでいこうじゃないか・・それが的外れかもしれなかろうが、思った結果にならなかろうが・・・エネルギーをつぎ込まなきゃ充足感もないのだから。

少なくとも、僕は疲れようが苦労しようが、エネルギーを惜しまないつもりだ。

2004年08月29日

あの頃僕は若かった?~最近、逆流できなくなりました~

 私は、変に意固地なところがある.

「つまらないことに意地を張り通すこと。えこじ」(三省堂 『ハイブリッド新辞林』より)

これは、私を知る人たちには周知のことと思われるし、実際、「おれって意固地なところがあるからさぁ」とひとりごちても、肯定的な反応は何度かあれど否定的な返答が帰ってきたことはさほど覚えにないから、実際、そうなんだろう。

私と飲む機会のある人は聞くかもしれない・・・普段はあまり面白くもない話なので話さない私の半生を反省混じりに語るそれを聞いたら・・・やっぱりちょっと意固地に過ぎるような意地を張り続けてきた半生に、やっぱり、私が意固地な人間で、そのつまらないとも言える意地で損をしてきている私に憐憫の情さえ覚えるかもしれないし、もっと大人になれよとアドバイスをしたくなるかもしれない。

そんな意固地な自分は・・・それでも、私本人は人生逆流をしている自分をいとおしんできた面もあった。実際、是を是とし、非を非とすという姿勢を貫いて、利害としては自分に損であってもそれはそれでいいと思ってきた。

職場の自分の机にに・・・「わかっちゃいるけど、ただいま、人生逆流中」という百円均一ショップで買ってきた看板をぶらさげていたこともあった(その証拠がこの一語りの過去ログに残っている→2001/12/22(Sat)の一語り)。

意固地であり続けて来れたのは、逆流できるエネルギーとそれに逆流に対する抵抗感がなかったからだと思われる。

大学時代・・・台風かなにかで雨続きの3連休、後輩が「ずーっと雨が降りっぱなしでこの3連休どこにも出られませんでしたよ」と言っていたのを聞いて、なぜだろう?と思ったのが抵抗感のなさの省庁である。傘を差せば外には出れるし・・・確かに、雨の日は外に出るのは濡れたりもするけど・・・出たけりゃ出ればいいじゃないか・・・雨だからと言って3連休を家の中だけでというのはちょととなぁ・・・そんな思いを持った。

そう、私はb33.gifでレインコートかなんかで、その時は外に出たような気がする。もしくは少なくとも傘は差してガンガン外出はした。

でも、でもね・・・こんなことを長々と語っているのはね・・・今、日本には台風が接近中で・・・関東地方でもしっかり雨が降っている。そして、僕は今日は行こうと思っていたエアロビに行けなかったからだ。

雨だからって外に出たくない・・・人生逆流している意固地な私にしてはだめじゃん・・・ちょっと自己嫌悪。

そろそろ、人生逆流するのにも疲れてきたか・・・。身を固めるなり、世間の平均的な時流に乗るべきか・・・でも、身を固めるったって相手がいないよ・・・。

男、三十路に入り・・・エネルギーもなくなってきたし、逆流への抵抗感も強くなってきたなぁ・・これはよいことかどうか・・・ちょっと悩んだ、日曜日。

2004年08月23日

今まで生きてきた中で・・・

 最近は、アテネ・オリンピックの話題で持ちきりであるし・・・それなりに面白いので、さほど、興味を持っていなかった私も、情報くらいは押さえてみたりしているが・・・

 オリンピックで思い出す記憶がある。

 1992年バルセロナオリンピック競泳女子平泳ぎ200mで当時14才であった岩崎 恭子が「今まで生きてきた中で一番幸せで す」と言っていた。当時、とうに14才を超えていた私は、おいおい、14才で「今まで生きてきた中出ってさぁ」と思ったし・・・世間も結構そんな目で見ていたような記憶がある。

 ただ、今32才になった僕は、今日思った。
 「今まで生きてきた中で一番・・・」・・・そんな経験を今日したのだ。

 今日はそんな日。

2004年08月09日

目で語り合える仲

 僕は、多分、自他共に認めるいわゆる難しい人である。気むずかしいと言ってもよいし、取り扱い注意の人間と言ってもよいと思う。

 これと決めたら猪突猛進で何かやる割には、これはだめだと思ったら、あくまでも戦う・・・周りにそんなのがいたら疲れそうでしょ?そんな人です。

 でも、前の職場では、目で語り合える同僚がいた。かなり気を遣わせていたと思うし、でも、それなりにお返しもしていたと思う。そうやって培われた友情とも仲間意識とも言えない連帯感がその人と僕の間にはあった。というか、あったと信じたい・・・。
 そして一緒にいた頃は、「じゃ行きましょうか・・」その一言で、いや、声にださなくったって飲みに行けた仲間。

 その人とはこの4月に別れてしまった。僕が違う部署へ異動したからだ。

 離れてしまうと疎遠になる。携帯メールは交換してもお互い忙しい、飲みに行きたいですねと紋切り型の文をメールでやりとりするだけで、実現することなく、今、8月になってしまっていた。

 帰り道、たまたま、その人と会った、道ばたで。

 「この後予定は?」「いや、ないですよ♪」

 「じゃ、行きましょうか」

 その一言で、焼鳥屋に行けた。あ、まだ一言で飲みに行けた・・・。

 とってもうれしかったし、その人もうれしそうだった。

 まだ、目で語り合える仲だったんだ・・・

 今日は仕事始めの週初め月曜日だというのに、何杯も杯を重ねてしまったが、とっても楽しかったのだ。

 「大津さんとはもうちょっと仕事したかったですよ」・・・4月の異動時にも言ってくれた言葉、今回も言ってくれた。気遣いもあると思うがそれだけじゃないと信じたい。

 もっと大きくなって、もっと安定して、余裕を持った人間になって、その人とはまた

 「じゃ、行きましょうか」

 と行きたいと切に思った。

2004年07月27日

母は強し・・・か?

お局OLも結構大変なんですよ というブログの 母親という生き物  と題する日記にすごく共感。

いや、母親って大変だと思うよ、実際。僕より年下の母親ってとても多く見かけるし、その意味ではまだ子どもも持たずにプラプラしている自分に後ろめたさがないわけではない。

でも、最近の母親はあまりにちょっと雑な面も目につく。このブログでは、子どものことより、自分のことを優先してしまう母親像をまざまざと描写ししてるのだが・・・

いや、僕より全然若い母親なんだからしょうがないと言えばそうかもしれないが・・・

子どもが暴れていたり騒いでいてもほっておく母親、このブログで描かれているようなベビーカーを電車に投げ込む母親・・・見ため、そういうのだって、押しの強さという点では強さかもしれないが、母親の強さってそういうことじゃない気がする。

昔の母親達は、自分の子でなくても悪いことは悪いと叱れる。それが母の強さだと思う。

それに関連して、この前とてもいいものを見た。ベビーカーを担いで階段を上がっている若い母親を見た、母娘連れの母親の方が見かねてベビーカーを担ぐのを娘に手伝わせた(ご自分はその若い母親の荷物を持ってあげたり)。

若い母親にお礼を言われていたそのお母さんは「うちも3人なんですよ」とにっこり笑って母娘で去っていった。

おぉ、これこそ母の強さだと思った。心配そうにその若い母親を見ながらも手伝えなかった自分がかえって情けなかったのさ。

2004年05月11日

やがて悲しきサラリーマン

 ずいぶん以前になるが、学生の頃、仙台に住んでいた頃の想い出。
 あの頃は、ずいぶんゲームセンター(ゲーセン)にはまっていてねぇ。なにかに思い悩んだらゲーセン、なにもなくてもゲーセン、学校終わったらゲーセン、もしかしたら昼休みもゲーセンにバイクを飛ばすみたいにね・・・なにかっちゅーとゲーセンだったんだ。
 ある朝、所用があって朝早くに街場に出たんだよね、8時半頃。所用は9時半くらいだったから、ゲーセンにでも行こうかと行ってみると、朝8時半だからがら空きだと思っていたら、意外や意外、にぎわっているんだよね。僕みたいな学生みたいな感じじゃなくて、スーツを着たサラリーマン風の人々が多くてね。カジュアルルックだった僕がちょっと浮いていたくらい。そして、9時になると水を引くようにさーっとみんないなくなってさ・・・そう、出勤前にひとゲームという人々だったんだよね。あ、僕に劣らず社会人もゲーセン好きなんじゃん・・・なんかそんなことがとても印象に残っているし、今でも覚えているわけなんだけどね・・・10年以上前の想い出。

 さて、さっき、僕はレンタルビデオ屋に行ってきたんだ。今日はレンタル料が半額になる日なんだよね。家に帰ってちょっとぼーっとしてから、甚平着て、雪駄をつっかけて行ったからずいぶんリラックスした格好だったんだけど・・・すると、ビデオ屋混んでいるんだよね・・・夜の11時台に混み混み。そして、みんなスーツとか仕事帰りの感じなんだよね。甚平雪駄姿の僕は浮いていた感じでね、サラリーマンでいっぱい。特に、アダルトビデオコーナー。
 そして、僕がいろいろと迷いながら探していると、11時半を過ぎた頃にはさーっとみんな引けているんだよね。アダルトビデオコーナーにも人がほとんどいなくなっている。さっきはあんなに混んでいたのに。

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 なんかね・・・出勤前のわずかな時間にゲームに興じたいというサラリーマンあり、その日のうちにアダルトビデオを見ようとさっと借りていくサラリーマンあり。サラリーマンの悲哀をどちらも感じてしまった。
 まぁ、僕もお給料もらっている身分には違いないが、今日は、定時過ぎて早々に帰り、エアロビ教室に行った後、レンタルビデオ屋に行っているんだから、優雅といえば優雅なわけだが・・・いつもそんな風にできるわけでもないのだが。

 やがて悲しきサラリーマン・・・10年以上前の仙台と現在の神奈川県を結んでつながる、サラリーマン哀愁である。

2004年04月23日

親子ガチンコバトル

 今日は、実家に帰って・・・親子げんかをしてしまった。

 日常において、けっこう親子げんかはしがちであるし・・・その意味から私が実家を離れて暮らしている一因がある。

 わが子を思うあまり人生のアドバイスをしようとする親、人生を自分なりに模索中の息子はそれを過干渉と感じるところの軋轢といったところ。なんだかんだ言っても期待を大きくかけられてきた息子であったわけだから・・・。

 しかし、お互い親子だと思っているから・・・なんで分かってくれないのかと激しがちなわけで・・・僕も器用じゃないので・・・なんかこじれがち。

 親子げんかは疲れるし・・・中途半端に実家に帰ったりしては行けないのだろうなと思ったし・・・正直かなり心理的にげんなりしてしまった。

 まっすぐなところが、僕のいいところであるが、そういう生き方もこういう時はつらいものだな。

2004年04月18日

酒席で決まることもあるんだね

 例えば、僕がホームページを作っている、ウェブサイトを運営しているということはある意味有名である。前の職場の周りの人たちは結構知っていたし、現にここの語りだって私を知る人がたくさん見ているに違いない。

 いつだったか「だって、大津さんのページって名前で出てくるんだもん」とややあきれ顔とも受け取れる顔で元同僚に言われたことが印象的に残っている。

 でも、なかなかメールはもらえない・・・。例えば、酒の席とかで僕がホームページを作っていることが話題になったり、僕のページを見たということが話題になって・・・「今度メールするよ」と言ってもらえても、その言葉は実行の伴わない社交辞令の場合が多い(時にはもらえるので、すべてがすべて社交辞令というわけではないが)。

 ここではそのことが感じが悪いということを主張したいのではなく、飲み約束は往々にしてそういう実行を伴わない空手形になりがちだという減少の例示としてこの話をしたのだ。


 さて、最近、数年ぶりに再会して以来、たまに飲む幼なじみがいるのだが、飲んでいるうちにバイクが欲しいと話し始めたので、実家に野ざらしになっているバイクを格安で譲ろうか?という話をしたらその幼なじみはとても乗り気であった。

 でも、僕は懐疑的であり、飲みながらの約束というのはさっき語ったように、酔いが覚めるとともに気分が冷めるものだろうという思いもあったので大して期待もしていなかったのだが、今日その約束が実行されて譲り渡しが完了した。

 酒席での約束が実行に移されることもあるのかぁ・・・と新鮮な思いであった。

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2004年04月04日

カラオケで分かる親友

親友とはなんぞやということはなかなか定義しづらい。

さて、昨日は古くからの友人とひさびさに会い近況を報告し合った。あと、その友人と会うと2人とも歌うのが好きなのでよくカラオケに行くわけだが、3時間超にわたって2人でカラオケで歌いまくったわけだ(けっこう長いね(^-^))。

まぁ、あまり知らない仲でのカラオケ(例えば職場の飲み会の延長上のカラオケなど)だと、自分の得意な持ち歌で勝負しがちだが、いっつも歌っている歌は声を大きく出せることはあるものの新鮮味がないので歌っている方も聞いている方も微妙にスカッとしない部分もある。だから、自分的に新しく入荷した挑戦歌、すなわち、さびは知っているけどマジで練習もしていないからとちるかもしれないな歌を歌いたいよね。

そういう挑戦歌を昨日はたくさん歌い合ってきたが、挑戦歌を歌い合えるというのは、これは友人としての付き合いが長くそしてお互いの気心が知り合えていないとなかなかできないことである。

カラオケで挑戦歌を歌い合える仲になれれば親友と言えるのかもしれないなって思ったのだ。

2004年03月19日

苦手なことへ挑戦してしまう私・・・これはきっとホメオスタシス

 まぁ、今日は、ダンス教室の日だったのだ。
 最近は使わないようなのだが、「花金」の夜は必ずダンスをしている私。ヒップホップダンスを。

 全10回のクラスで、今日は9回目。よく続いているよと思う。
 だって、毎年受けていてもどうしてもうまくならないんだから。

 DanceCanceRevolution にはまってしまって以来、はまったストリート系やヒップホップ系のダンス。

 好きなんだけど、文字通り、下手の横好き・・・好きなだけで苦手。

 でも、なんで続いているのか・・・それはきっとホメオスタシスのなせる業。

 人間を含む動物の身体には内部環境を一定に保とうとする生理学的なメカニズムがそなわっているということだ・・・例えば、体温が上がれば発汗して下げようとするし・・・そんな感じのメカニズムをホメオスタシスと言うわけだが。

 結局、私は、パソコンをいじっていたり、そういう文化系のことが得意なわけだろうが、そんなことばかりをしていたら自分の内部環境が偏ってしまう。
 だからこそ、それと対極にあるダンスとかに興味がいって、それを実際にしてみることで、内部環境のバランスを保とうとしているのではないだろうか。

 よく続くなぁ・・・そんな思いと共にふと思い浮かんだ、「ホメオスタシス」というメカニズム。

 そのダンス教室も来週は最終回である・・・となるとけっこうさびしいものだよね。

2004年03月05日

ゲーム離れはオトナへの第一歩

 電車に乗っていて座っていた。
 あ、あの人きれいだなっ ていう女性が向かいに座ったので、見るともなしに視界には入っていたのは男性のさがというものだ。年の頃は私と同じくらいだと思えたから30代初めか20代後半かというところ。
 家電量販店の袋をがさごそ開けていたから・・・デジモノオタクの私は、あれ?何が出てくるのかなって思って注目していたら、出てきたのはゲームボーイ。一心にやり始めたのだが・・・。

 むむぅと思ってしまった。ちょっと幼いのではないかと・・・。私の胸の高鳴りが一気にさめた感じでもある。
 
 いや、私もゲームにはまっていた時代もあった。今も、この一語りでもよく語っているクイズゲームにははまっているものの、家庭用ゲーム機やゲームボーイといったものからはとんと手を引いてしまっている。

 幼少時はファミコンも買ってもらえなかったので、大学時代はちょっとスーパーファミコンとかに没頭して、離れがたいものだという意識を持っていたものだが・・・・。今は離れてしまっている。

 加齢のなせる技か。年を取ったら不思議とゲームは好きじゃなくなっていた。
 やはり、ゲームの生産性のなさが僕をそこに持っていったのだと思う。ゲームをやったって何ら生産的ではない。あえて言うなら指の動きがよくなるくらいだろうか。でも、やりすぎて腱鞘炎になってしまうのではこれはかえってマイナスだ(これは冗談ではなく、本当にはまりこんでやる場合は起こりがちである)。

 それに気づいて、ゲームがむなしくなってきたのだ。今はまっているクイズゲームは、一応断片的な知識の増加という生産性があるからこそはまっているのかもしれない。あと、例えば、パソコン上のネットワークゲームなど人間関係が醸成されるという生産性を感じられるものに関しては今後もはまる可能性はあるかもしれないが。

 現ゲーマーの方のご不興を買うことをおそれずに、元ゲーマーとしての立場からあえて言うなら僕の中では、ゲームからの卒業というのはひとつオトナへの階段の一歩であると思っている。社会人になると学生の時みたいには無尽蔵に時間はない。時間も貴重だ。その中で生産性というものに目覚めていくのだから。

2004年02月22日

今日はマラソン大会

 今日はマラソン大会であった。
 前回は11月16日に10キロ走っていたく感動したのだが(11月16日の一語り参照)・・・今日も10キロなんとか完走した。

 51分21秒・・・前回の記録を上回ることができてよかった・・・。

 やたら疲れたし・・・なんでこんなことしているんだろうという疑念にも駆られることもままあるが・・・人生を変える一石を投じていることには変わりないだろう。

2004年02月19日

なにごとかを・・・

 なにごとかをなさんと 常に思ひつつ 日々の雑事もままならず

 色々やっていると時間がなくなってくる。働いていれば、自分の時間もなくなってくる。
 方向も定まらず、いろいろチャレンジしているものの、なにができているのかもわからない。

 そんな思いのまま、夜更かしをしてしまい、朝、ゴミを出し忘れて・・・日々の雑事もできていないまま何かできるってことはあるのか?という思いを持った。

 僕は何をしたいのかな・・・。

2004年01月20日

熟成の味

 まぁ、ぼくももう30歳代である。

 こうなってくると、誕生日を迎えて年を取るのもどうもいやだという人も出てくるみたいだ。

 僕もそりゃ、若い方がいいし・・・20台の若い人を見ると、いいなっては思うよ。

 でも、今の自分はけっこういい感じに熟成してきているとは思うよ・・・例えば、25才くらいの自分を振り返ると、どうも理論先行型の頭でっかちさんだったと思うから。今はそれなりに経験の裏付けがある。

 ちなみに僕はウイスキーが好きなんだが、ウイスキーも12年もの以上が美味しい。

 年を取るのも熟成だと思う。若いうちはいい味が出ていないということもある。

2004年01月12日

まだ大丈夫か、遊園地

Yahoo!ニュース - エンターテインメント - スポーツニッポン

幸四郎 CMで“初体験”

 歌舞伎俳優の松本幸四郎(61)が、主演するドラマ「それからの日々」(テレビ朝日、1月31日、後9・00)のPRスポットCMで異色の“初体験”をした。61歳にして初めて体験したのは、なんと遊園地のメリーゴーラウンドだ。

 とのことだ。

 なるほど。
 January 08, 2004の一語りで、人生の中でもう一回ジェットコースターに乗りたいと語ったが・・・まだまだ大丈夫ということか(^-^)

2004年01月08日

人生において、もう一度

 私はこの前韓国に行って来たわけだが、昨年の6月も行っている。
 韓国に行ったとなれば・・・焼肉食べに行くとか買い物しに行くという目的が一般的であろう。
 しかし、私は今回は北朝鮮が韓国に向かって掘ったと推定される第3トンネルに潜りに行ったのがメインの目的であり、前回は日韓共同開催のワールドカップが開かれていた期間中であるもののサッカーを見に行ったのではなく、北朝鮮と韓国の境界が接している板門店に行くのがメイン目的であった。

 よくここを読んで頂いている方からは、とてもチャレンジャーだと言われることもあるし、なるほど、そうかもしれない。

 ただ、そういうチャレンジングな場所に行きたいと思うのは、別に奇をてらってホームページで公表したいからではない。行きたいから行くのだ。
 やっぱ、行くからにはドッキドキ・ワクワクな場所に行きたいじゃないかというまっすぐの思いからである。
 
 トンネルにしても板門店にしても不安さえ伴った新鮮なワクワク感は大いにあった。
 
 そんなチャレンジャーな私は実は、ジェットコースターが実はとても乗りたいのだ。好きなんだ。あの落ちる前のドキドキ感は何とも言えない。この前、後楽園ラクーアに行った時、建物の中をくぐってごーっと走るジェットコースターを見かけてとても胸がときめいた。
 でも、僕の記憶が正しければ、一回転以上あるジェットコースターに乗ったのは、小学生の頃、今はなき神奈川県のドリームランドで父と一緒に乗ったきりである。
 あんまりもてない私は、遊園地とは無縁な人なのだ。乗りたくても乗れない・・・一人で乗ることは不可能ではないのだろうが、気分的にも世間一般の観衆からは不可能だ。
 以前いた元カノ(元の彼女)さんはジェットコースターが苦手な人だった。だから回るようなやつは乗れなかった・・・。
 
 だから、今や30歳代にして、私はジェットコースターかフリーフォールに乗りたい。チャレンジャーとしてのスピリットがうずくのだ。誰か一緒に乗ってくれる人はいないかしら・・・(できれば女性がいいのだが・・・)。

 ドリームランドで・・・私の父は、実は私よりもジェットコースターに乗りたがった。私はその頃は今ほどジェットコースターに執着していなかったのだ。そして、息子の私も大きくなってしまって、その後父がジェットコースターに乗ってはいないだろう。父も最後のジェットコースターと思っていたのかもしれない。実はチャレンジングスピリットを秘めている人なのかもしれない。そして私は彼の息子だ。親譲りのスピリットか。

 ちょっと情けなく聞こえるかもしれないが、ジェットコースターに乗りたい・・・こわいやつ・・・これはかなり切実な思いだ。横浜のみなとみらい地区とか、東京の後楽園のラクーアとか、そして、仙台に住んでいた時は八木山ベニーランドとか、普通の道路を歩いていてもジェットコースターが見える。「きゃー」とかいう叫びとともにジェットコースターが通り過ぎるのが見えてしまうのだ。

 そのたびに「いいな・・」と思わざるを得ないのだ。お金もあるし、時間もあるのに手に入らない経験・・・それがジェットコースター。人生においてもう一度乗りたいと思うのはそんなに贅沢だろうか?

2004年01月02日

一年の計

 今日は結構飲んだ。

 でも、英語でも日本語でもそうだが「飲む」とか「drink」 というと共通して、アルコールを飲むということを指すことが主なのはなぜだろうか?水を飲むんだっていいのにね。

 さて、元旦の翌日というのは一年の計を立てる時なのかもしれない・・・
 今日、いいキーワードを聞いた。
 「先手必勝」
 僕の今までの人生は、「深謀」「熟慮」「慎重」というキーワードに象徴されるかもしれない・・・だからこそ恋愛面であっても語り「石橋を叩いて渡る」に語ったように「石橋をたたき割って渡らない」という慎重姿勢であった。

 ま、今年は別に拙速な行動をしようとは思わないが、「先手必勝」というキーワードについては考えていこうとは思う。

2003年12月26日

牙は抜けたか?

 ある資格試験に落ちた。

 すごくショックである。なに、落ちるのは別に珍しいことではない。今まで多種多様の試験を受けてきた私としては、落ちることもあれば受かることもあった。

 でもね・・・一度落ちた試験で、今回は再起を目指した試験だったから・・かなりショックだ。2度目ので負けた記憶はほとんどないからね。

 いろいろな意味での周辺状況の雑音も気になったり、どうも、集中できていない気分であったのだ。また、以前よりも集中力が落ちた感じだ。それら点が不安ではあったが、前回の失敗をもとに、リベンジを目指して狙いをすませていたので、なんとかなろうという気分もあったのでショックだ。

 俺も牙が落ちたなという気分もある。年かな?・・・ほんと。

 かなりやられた気分だ・・・。

 でも、俺は今までの人生を振り返ってみても決してスマートな人間ではなかった・・・もともと、自分がこうと思った信念に向かっては突き進む方であったし、それが逆流的な立場であってもがんばる男ではある。こんな気分になりたくなければ、そんな試験を受けなければいいのに・・・という話題もある。でも受けている。

 でも、でもね・・・いやなことから逃げてしまうのは、泥にまみれながらも立ち上がってきた俺らしくないと思う。

 ひぃひぃ泣き言をいいながらも何度も失敗しながらも色々くぐり抜けてきた・・・それが俺なんだよね。じゃなきゃ、試験なんか受けない。

 一年に2~3回は資格試験を受けている。それは自分が牙が抜けていないか・・・まだまだがんばれるかどうか・・・そのための試金石だ。

 落ちるのがいやだから今の位置に落ち着いてしまって試験なんか受けない・・・そう、試験とか受けなくなってしまってそのための努力もしなくなってしまったら・・・それこそ牙が抜けたということだろう。

 今は地べたにはいつくばらされたわけだが・・・もう一回立ち上がろう。それが俺らしいと思う。涼しい顔なんてできないし、らしくもない・・・1度は落ちることになれているのなら2度落ちることだってあるさ。また進もうと思う。

2003年12月19日

内向的でもいいと思う

 今日の、産経新聞のオピニオン欄に「誤解招く「内向的」の乱用に注意」という大学教授の投稿があった。
 何か事件等があると、おうおうにしてその事件の容疑者が「内向的」と評され、それはネクラとかすごく否定的な意味合いを持ってしまっていることを指摘して、それは間違っているという指摘であった。
 内向ー外向とはそもそも、ユングが使い始めた言葉で、元々の意味は、世の人々はおおむね内向、外向半々であり、内向的というのは「自分の中にしっかりとした内容や考えを持ち、それを基準に判断・行動する」という意味で、必ずしも悪い意味ではないとのことだった。

 考えてみればその通りだ。ユングの理論に触れたのはぜんぜん前のことだ既知のことであったことも事実だ。

 なるほど・・・目から鱗が落ちた。
 確かに、世間的な意味合いでは、内向的なのは忌むべきものとされてしまっている。
 でも、僕は、僕自身内向的と思ってきたので、一生懸命外向的な感じに努めたりしてきたが・・・それなりに疲れるし、仮面をかぶっている気分であったことも事実であったから・・・。

 この投稿を見て、内向的でもいいんだ・・・というか、それは僕そのものの性格描写としてはかっちりと来ると思った。

 だから、これからは世間の評を気にせず、内向的でもいいんだろうなぁと考えられた。

 でも、理屈はそうだと思っても・・・世間は多分冷たいことは変わらないだろう・・・内向的だから、彼女ができないのでは?結婚できないのでは?とか言われたりね。でも、それは気にすることでないのだろう。そう思える確固たる論拠を得た気分がした。

2003年12月12日

ひとりだっていいじゃん

 最近、情報はネットで得れるからと新聞を読んでいないと、どうも社会情勢にうとくなる。ネットでも見ないからで、まぁ、新聞を読むようにネットも見ようかと、アサヒ・コムを読んでいたら、とてもとても僕の日頃からの思いとマッチする、有名なファッション評論家であるピーコさんの言葉に出会った。
 仲間はずれにされてキレそうになる悩みを持つ高校生の少年の相談への回答への一部だ。

BOOKアサヒコム | ティーンズメール

このごろの子は「仲間はずれにされちゃう」と言うけど、いいじゃん、って私は思うの。ひとりで生きていけなくて、なにが人間だ。群れをつくることばかりに気が回るから、自分がなくなっちゃう。いい機会だから「接し方が違う」と言っていないで、自分のほうから「もういらない」。群れるより、本を読むとか、ほかの人に会うとか。

 「ひとりだっていいじゃん」と題して書かれた回答。とてもとてもうなずける。一人で生きていくことの重要性を語っているからだ。

 日本というのは、生まれてこの方そこで暮らして来て、和をもって尊しとするムラ社会であることはひしひしと感じるのだが、その点で「仲間はずれ」ということが成り立つのだろう。西洋的個人主義がもっと広まっていれば「仲間はずれ」というものの効果自体があまりなくなるわけで、成立しなくなってしまうのではないだろうか。

 小さい頃を思い出してほしい。新しい学校に入ってまずがんばったのは友達作りじゃないだろうか?「友達出来た?」とか親とかに聞かれなかっただろうか?日本のムラ社会で生きていくためには群れることが重要になるからだ。

 でも、どうも僕はその考え方には違和感があった・・・人付き合いがあまり得意な方ではないということもあったが、なにより、群れるよりもその場所の本来の目的・・・学校なら勉強が第一義的にあると思ったから。それは、群れてやることではなく、あくまで一人でやることだろうと思っていたから。一人ってなんかうとまれるけど一人って何が悪いの?

 そういう思いを持ってきて、今、一人で色々やれるようになっていると思う。
 一人旅にもよく行くし、実際、一人で旅によく行くとなると、一種珍しがられるところもあるのだが(そこが日本社会がムラ的だと感じる一面であるが)・・・誰かとじゃなきゃどっか行けないとなると自分の世界が狭くなるしね。

 だから、ピーコさんの「ひとりだっていいじゃん」という主張はすごく共感できるのだ。まぁ、でも、僕も大いに共感するその主張はまだまだ日本では少数派となるだろうから、そうやって生きていくのにはすごくエネルギーがいることだとは思うよ。そして、和をもってうまくやっていける人ならそれはそれで否定はしない。

 「ひとりで生きていけなくて、なにが人間だ。」っていうピーコさんの言葉、とっても力強いよね。その気概は見習いたいものだと私は思う。

2003年12月01日

コドキスト

 自分は独り暮らしがなかなか長くなった。

 独り暮らしで何を得たかというと・・・なるほど、自由とか自分の時間とか世間的に言われているメリットもあるのだが・・・それより大きいものがあると思うのだ。

 「本当の孤独」

 そう、独り暮らしをすると、本当の孤独というものを感じてしまうのだ。北国で独り暮らしをしていたこともあるが・・・帰ってきて、本当に冷え切った部屋をうんせうんせと暖めていながら・・・これはなかなかの孤独感であった。

 そして、その「本当の孤独」を体験することによって、ひとつ成長があったと思う。孤独への耐性ができるのもそうだが、反面、ひとのありがたさを知ることになる。そして、よりよい関係を気づけるようになる。
 孤独っていやなものではあるしが、そのことによって甘えん坊だった僕は磨かれた気がする。

 そう、孤独な人・・コドキストとしては僕はなかなかのレベルにいるのかもしれない。それは、僕自身は悪いとは思っていない。旅だって一人旅が主だ。

 これからは、僕はコドキストですからと名乗ってみようかな(^-^)流行るだろうか?

2003年11月27日

あきらめない

 ひとつなにものかになろう。そのような思いのもと色々研鑽を積んできた。興味が多いせいか、いろいろな事に幅広くチャレンジしてきたが、今ひとつ焦点が絞りきれず、いろいろなことは知っているものの、何か一つの専門家になってはいないというのが今の自分だ。

 そんな感じで、可能性は秘めたまま、そして可能性を発現しないで、あきらめねばならないのかなぁと思いつつ過ごす三十路の私だが、今日、電車の中で、おっ?という思いにとらわれた。


 「私はあきらめない―世界一の女性CEO、カーリー・フィオリ ーナの挑戦」を読んでいた人がいたことだ。
 別に、それが若い人や壮年の人なら、なるほど、この人はまだまだやる気なんだなと思って特段に不思議には思わなかったであろう。

 しかし、その読んでいた人が相当に高齢に見えたことが私の注目を惹いたのだ。
 その方がどのような動機でその本を読んでいたかは知らない。
 
 しかし、その高齢に見える方が、まだまだやる気なのだろうということが感じられたのが新鮮だったのだ。

 三十路くらいで、人生あきらめねばならないのかなと思いつつ生きている自分が恥ずかしくなったのだ。

 そういえば、今年優勝した阪神タイガースの闘将・星野監督も口癖のように言っていた「Never  surrender」(絶対降伏しない=あきらめない)という思いに通じることだろう。
 
 あきらめないでいきたい。

2003年11月19日

今日は幼なじみと飲む

 今日は幼なじみと飲んだんだ。

 6年ぶりくらいの再会で、とても懐かしかった。

 彼は夢に向かって一歩一歩進んでいて・・・すごいなって思ったよ。その夢が昔っから変わっていないことも。

 すごくインスパイアされた一日だった。

 そんな彼を見ていて、自分自身を振り返ると、ちょっと情けなくも思ったりした。

 僕もいろいろがんばってきた。ポテンシャルをふくらませてきたのだろう。ただ、なかなか目指すものが見つからない。

 熱中できるライフワークとして見つかったものは・・・ホームページ作成・・・かな。。

2003年11月17日

本気で温泉行こうと思った

 昨日、10キロ走ったわけだから、ある程度の筋肉痛は覚悟していた。

 でも、予想以上にひどかった。
 今朝起きたら、どうもうまく歩けない。モモの裏側が痛いんだよ、特に右足。
onestone2.gif
 人生に一石を投じた波紋は早くも現れる(笑)

 あまりうれしくない・・・というか、「なんだよ」って感じ?

 足を引きづりながら仕事へ向かう。
 今日みたいな日は、温泉にでも行くと気持ちよかろうなと昨日の段階ではその程度の気分だったが、絶対行くみたいな感じになってきて、タオルを荷物に詰め込んでいく。

 仕事帰りに温泉銭湯に行ったのだ。

 ちょっとした湯治だ♪

2003年11月16日

完走しました

 完走したよ、

 うれしかったぁ。

 折り返し地点(5キロ地点付近)で同じく出場していた知人に目撃されていたそうだが、どうやら、やたら苦しそうな顔をして走っていたらしく、10キロもつかどうか懸念されたとのことであったから、やはり苦戦だったことには違いない。

 実際、予想外に晴れ渡り、暑かったし、その割に、一昨日までの雨の影響か走路は所々ぬかるんでいて走りにくい、向かい風が強いなどの悪条件もあったが、なんとかね。

 記録は、53分9秒で83位(35歳以下男子150名中)とのことだった。

 高校時代の青春をもう一度という意味では、高1で44分、高2で47分だったことを思うと、40分台を出したかったところだが、もう、30歳台という年齢と、悪条件を考えると、まぁ、妥当としなければなかろう。

 これで私は自分の人生に一石を投じたのだ。どんな変化が生まれるか分からないが・・・現状に甘んじているより私の性分に合っている。いいことがあるとよいな♪

p.s. marathon.jpg       onestone.gif
去年、ワールドカップの時に行った韓国で買った応援Tシャツ。韓国のあの快進撃にあやかろうと今日着用してみた。ちょっと赤は目立ったかなぁ。

僕は10キロ走りに行く

 今日、僕はマラソン大会で10キロ走りに行く(2003多摩川ハーフマラソン in 川崎

 最近、ランニングをしていることはここでも何度か語ってきたが、今日はその一つの目標の10キロだ。

 僕が今までの人生で最も長く走ったのは・・・そう10キロなのだ。高校時代の学校でのマラソン大会でだ。
 そのころは1年の頃は44分、2年の頃は47分で走り抜いたが・・・その後、とんとご無沙汰して以来、30過ぎての一念発起だ。

 ここで10キロ走れたらなにかが変わる気がする・・・。
 
 そういえば、高校時代はもう少し女性にも好かれた気がする(今ではまるっきりもてない男だが)・・

 そう、今日の10キロは自分の人生に投げかける一石である・・・がんばって完走する。

2003年11月10日

幼なじみの一言

 昨日、本当に久々に、もう何年ぶりかで、幼なじみからの電話があった。
 信じられずに、驚いたが・・・。

 今独り暮らししていることを話したら

 「相変わらずとっちらかったところに住んでいるんだろう?」

 なんで分かるの?ってこれもびっくり。確かにそうだ。分かるんだなぁ。

 同時に恥ずかしくなった・・・こんなにとっちらかっていてはだめだ、本当に恥ずかしくなった。

 がんばろう。掃除しよう。

2003年10月28日

デートにアキバ

 おとといの日記で語ったように、アキバって電脳街はとても僕にマッチしたプレイスなのは間違いない。

 別にそんな、オタクってほどではないのだが、ちょっとデートにという時に「ヨドバシカメラ」に行けたりする女性が僕には合うのだろうとは思っている。

 そういう女性がきっといると思うと言うと、冗談にしか受け取られないかもしれないが、半分本気で思っている。

まだまだ大丈夫

 まぁ、僕は好奇心が強いので、いろいろなことにはまっていく

 最近は、ライブカメラ・・・まぁ、ここにもあるけど・・・。もうちょっと凝ったライブカメラを作ってみようかと研究中だが・・・技術的なことはともかく、テーマが重要だと思う。
 今みたいに単純に私の顔が見えていても、さほど面白くないかなって思っているし、なんかひらめきたいと思っているが・・・そこは難しい・・・創造力がないなぁと自分の限界を感じる瞬間。

 いまさらではあるが、外国語の上達を目指したく、本を借りてきたりしてる。高校・大学時代はかなり語学をがんばったし、英語はそれなり、ドイツ語はたしなむ程度って感じだが・・・。やはり、ネットを見ていくと新鮮な情報は英語で記述されたサイトに行き着き、読むのが疲れるから、日本語で書かれたサイトを探してもやはり情報量が少なく、原文を読むことになったり・・・。去年は韓国を旅したのだが、英語が話せればいいやと思って行って、たしかになんとかなったのだが、やはりハングル語でもちょっと話せた方がいいかとか思ってみたりもする。
 そういうことで、ちょっと語学をもう一回手を伸ばそうかと思っている今日この頃。

 最近のはまりは、ライブカメラと外国語ということなのだが、僕の場合は好奇心ばかり先に立ち、何で大成するということがないのが、うーんというところだが、ま、何かを目指して、進んでいくというのは悪くないし、無駄なあがきかもしれないが、そんな風になんであれ動こうとしてる自分を見ると、まだまだ大丈夫、そんな風に思えるんだ。

2003年09月20日

結構リッチだな、僕は・・・

 ぼけーっとしながら、ネットサーフィンをしていたらこんなサイトを見つけた。

Global Rich List

 自分の年収を入力すると、自分が世界で何番目に金持ちか分かるサイト。

 自分の年収をドル換算して(だいたい今は $1=115円 位かな)入力すると、自分がかなり金持ちであることがわかった。全世界レベルで見ると、上位1%に入ってしまうのかぁとビックリ。

 足ることを知るというのが適応的生活を送るためには必要であるが、こういう客観的なデータで全世界的な視点で眺め直すと、日頃の愚痴も吹っ飛んじゃうかもね。十分恵まれているよ(^-^)

2003年09月09日

もはや取り戻せない日々

 残業が終わり、どうにも疲れ切ってとぼとぼ帰ってくる時・・・どうして俺はこういうことをしているのかなということを思ったりすることがある。

 そういえばむかしは・・・そうだ、仙台に住んでいた頃とかは楽しかったなぁ、ほんとぼけーっとしてとか思い出したりする。いや、今思えばぼけーっとと言うがその時はその時なりに悩んでもいたしいろいろ動いたりもした。

 仙台、今でも懐かしい、懐かしさのあまりたまにわざわざ出かけたりすることもある。仙台のテレビ局、TBCのライブカメラを見ることもある。

 多分失われた日々を懐かしんでいるのだろう。行けばそれなりに癒される。なるほど、もはや取り戻せない日々を思うのはむなしいかも知れない。しかし、そんなときもやはり必要だろうなとも思う。振り返って懐かしみ癒される時。
 そして再び今に立ち向かうためにこそ。

2003年07月31日

人に左右されない自信

 自信というのはどこから来るのだろう・・・

 人にほめられるから?

 でも、人の評価というものは非常に不安定である。たとえば、よくやっていても、それがいつものことだと、当たり前になってきたりもするものだ。

 しかし、人間生きていくには、自信が必要なのである・・・その自信を人の評価によって得る人もいよう。しかし、人の評価に左右されない自信というのもあるのだろう。

 人に左右されない自信というものを身につけた人が、歴史に名を残しているようにも思われる。人がなんと言おうとやり遂げる・・・そういう自信家たちがいなかったら、飛行機は飛んでいないだろうし、電球だってなかっただろう。

 人に左右されない自信・・・これはどうやったら身につくか・・・自分の信念に従ってやりぬく・・・そういうことだろう。僕の場合は、少なくともこのホームページを運営し続ける、これが、人に左右されない自信だ。・・・多分。

2003年07月29日

窓際貴族

 まぁ、僕は独身貴族である。

  なるほど、もうすでに30代になっている僕なんかは、子持ちであってもおかしくはないし、そうなると、保育園でなんぼかかるとか、出産費用でなんぼかかるとかお金の算段で苦労しててもおかしくはないが、幸か不幸か、独身である。それはそれでまた、引け目に感じないことはないが・・・確かに育児費用とかに収入を割かねばならないということはないので、可処分所得はかなり多いのだろう。育児にお金を割かなくていいので、けっこう好きなものも買えるし、旅行にだって行ける。それが貴族のゆえんだ。

 そうそう、僕は窓際が好きだ。特にスターバックスなどのおしゃれな喫茶店とかだとことさら窓際に窓の外に向かって席を設けたりしているものだが、そういうところに座るのが大好きだ。窓際で外をぼーっと見ているのは、実はすごく幸せな瞬間なのだ。今日はスターバックスで窓際に座れてやはり幸せをかみしめてみた。

 俗に「窓際族」などと言うと、会社組織における閑職を指したりするわけだが・・・窓際は僕は好きだなぁ。窓際もずーっと座っていると飽きるのかもしれないが。

 窓際に座っている時、下を歩く人々を見ながらちょっと王様気分であるし、なるほど、窓際にいる僕は確かに貴族だなと思う。

 窓際貴族
 
 窓際だけど貴族。 

2003年07月19日

並んでみた~映画を観に行く~

 だいたいが、僕はせっかちだから並ぶのが大嫌いだ。並んでまで食事をしたいと思わないし、並んでまで映画のチケットを買うくらいなら、日を改めて空いている平日に映画を観ようと思うくらいだ。

 しかし、今日は並んでみたのだ。
 
 休日の映画鑑賞は絶対、朝一番の上映に限っているのだが、じゃないと首都圏の場合は並んじゃうことが多いからね。そのポリシーを曲げてみたのだ。

 昨日ちょっと飲み会があったので、酔い覚めの朝、ぼーっとしながら遅起きの朝、11時頃テレビを眺めていたら、バトルロワイヤル2のメイキング話が放映されていて、がぜん観に行きたくなったのだ。

 しかし、昼過ぎに行くと、もう長蛇の列。混んでいるのは、予想がついた。最近新装オープンした、川崎のラチッタデッラに行ったのだから。でも、これほどまでとは正直、予想以上だ。長蛇の列といのが本当に過言でないほどの列なのだ。通路をぐねぐねといつまでも続く列で最後がちょっとやそっとじゃ見えてこないのだから。
  
 で、前述したような並び嫌いな僕のことだから、今日はいいやとあきらめつつ、ゲーセンとかに行っていたのだが、やっぱり街場まで出てきたのだからと思ったわけで。そして、そう、せっかちなのも若々しくていいが、やはり、もう三十路男として、泣かぬなら泣くまでまとうホトトギス的落ち着きもほしいだろうということで、並んでみたのだが・・・1時間くらい待つことを覚悟した列であったが、意外に進みが早く20分くらいでチケットを購入できた。

 待つことも重要と感じた一瞬であった。

2003年07月05日

欲張りすぎるのかな、週末に

 どうも最近の週末は欲求不満だ。なんかやり足りないことが多すぎる気がするのだ。

 学生の頃なんかは・・・ほんと、週末と言っても日長一日ぼーっとしていたり・・・。それでもぜんぜんもったいないなんておもわなかったし、そう言えば、土曜というか日曜日の午前4時くらいに Gメン75の再放送が放映されていたりして、それを見てから寝たりしていた・・・まったくもったいない時間の使い方だ。

 最近の週末はそれに比べればよほど動き回っている。今日だって掃除洗濯はいっちょ前にしたし、映画だって3本も見てしまった。学生時代に比べればよほど効率的な時間の使い方だ。

 にもかかわらず、なんだかやり足りない気がする。

 欲張りすぎているのかな?

 みなさん、どんな週末をお過ごしですか?

2003年06月21日

お金で手に入る幸せ~回らない寿司食べ放題~

私は寿司が大好きであると同時に刺身が好きである。
たまに実家に帰ると、結構な頻度で、寿司とか刺身を食事に出してくれたりする。とてもありがたいことである。

そんな私にとって、外で握り寿司を食べるというのはとってもぜいたくな気分になれるひとときである。
そもそも、寿司というのはコストパフォーマンスは良い方ではない。例えば、同じ600円を使ってラーメンを食べるのと、回転寿司の5皿程度を食べるのを思い浮かべて欲しい・・・明らかに、おなかへのたまり具合の差は分かるであろう。

だからこそ、寿司はぜいたくであり、寿司にはエネルギーを求めるよりおいしさを求めるということになると僕は思っているのである。

そんな僕の憧れは、普段は値段が気になって頼みたいものも頼めない"回っていない寿司屋"で力一杯食べることである。今まで、回っていない寿司食べ放題に行ったのは、2回ほどあるが、ここ最近はご無沙汰だ。

意を決して、今日行ってみた。しかもホテルの上♪デートなんかにもあんまり縁のない私は、あまり手を取ることのないウォーカー系の雑誌をわざわざ手に取り見つけておいたとっておきの店。

友人と、午前11時に待ち合わせ・・・11時半の開店と同時にダッシュで入るつもりで、当然朝食は食べていない・・・。

入ってみたら、もう先客がいたのにはおどろいたが・・・

もう、おいしいのなんのって・・・トロとかウニとか食べ放題だもの・・・しかもカウンターで握ってくれるの♪うれしい・・・ほんとにうれしい・・・

もうおなか一杯という位に食べてみた。大食らいの僕がおなか一杯というのはすごいことだ・・しかも握り寿司。

志賀直哉の小説「小僧の神様」の主人公の小僧さんが聞いたらとてもうらやましがりそうな話だが、握り寿司への愛着は僕も負けてはいない。

トロはおいしかったわぁ・・・これも食べ放題。

幸せ♪

彼女もいないし、どうにもさえないし、いろいろ悩みもあるし、幸せって何?っていう感じだった私・・・数千円出せばこんな幸せが手にはいるもんだということにも気付いた。

2003年06月20日

男の枯れ方 ~バー~

実はホームバーを作ろうと思ったこともある。ちょっとかっこいいじゃん?
それで僕の家にはこんな感じで酒がある。
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僕は日本酒はあまり好まないので、洋酒系がすきなので、居酒屋というよりバーがすきなのだ。

バー、あまり行くことはないけど、映画とか見ているとなんかなじみのバーとかで飲んでいる主人公がやたらかっこいいのが目につく。

例えば、今日観た映画『ランダムハーツ』でも、ハリソンフォードがやたらかっこよくバーで飲んでいた。バーのマスターにメシはどうする?とか聞かれていたりして・・・ああいうのいい。

僕は自炊派だ、健康のためにもそれがいいと思う。外食ばかりだとどうしても野菜分が少なくなるし栄養も偏る。通いつけのバーで夕食を毎日なんていうのはやはりまずいだろう。

そんな禁断の香りがするからこそ、バーというのに憧れがあるのだろう。

僕もいい年だ、"枯れ方"というのを考えてきている。囲碁を始めたり、クラシックを聴いたり。

通いつけのバーというのを見つけてもよい頃ではないだろうか?と思っている。


国境のバー 2003/05/14(Wed)一語りより

2003年06月19日

クラッシックとお見合い

それなりの年になってしまった私・・・年相応の熟成したまたは"枯れた"趣味として囲碁を始めたことを書いた。

まぁ、そして、音楽なども今まではJ-POP中心に失恋ソングを主に聞いてきて、ダンスダンスレボリューションで踊り始めて以来ダンスミュージックなどの洋楽系も聞いたりするが、最近は音楽鑑賞も年相応に"枯れて"いこうかと思い、クラッシックを聴こうとしてみる。

確かに、夜中に、日記を書こうとキーボードに向かっている時に、ノリノリのカイリーミノーグとかかけていてはあまり落ち着かない・・クラッシックとかが良かろう、アルファ波も出そうだしとか思ったところで、じぶんちにあるクラッシックのCDとかがモーツァルトのレクイエム(ケッヘル626)を始め、数枚しかないのはどゆこと?という感じ。多分、モーツァルトのレクイエムがあるのは映画「アマデウス」を観て感激したからだろうけど・・・。
 レクイエム=葬送曲 とはちょっと落ち着きすぎではないだろうか・・・ほかのクラッシックもムソルグスキーの「はげ山の一夜」なんておどろおどろしい感覚のものが出てきたりする・・・

 むむぅ。

 これではいかにもかたよりすぎだろうと、この前、実家に行った時に、チャイコフスキーの「悲愴」を聴かせてもらう。「悲愴」は子どもの頃実家でよくかかっていたのを聴いていたからだ。どんなものかを覚えたかったからね。

 実家の母親が急にクラッシックを聴かせてくれとか言い出した自分を見てどうしたのかとたずねてきたので
いや、お見合いとかでも、クラッシックの曲一つ知らないのはまずいべ
とか冗談めかして答えていたら
お見合いなんかあるの?
と問い返してきた、そんなことあなたに言われても・・・(汗)

2003年06月18日

囲碁は人生である

なるほど、囲碁は人生のようなものだと思ってみる。

囲碁って欲張りすぎると勝てないし、守りすぎてもやはり負ける。

攻めにばかり気を取られると、守りが手薄になり地を失い、守ってばかりでは地がとれない。

要は、バランス・・・人生においてもそれは重要だ。

その点、僕はあまり囲碁は上達しないかもしれないな

2003年06月13日

俺って"枯れてね?"

実は、最近、囲碁をやっている。
将棋もオセロも、そうチェスも幼い頃に覚えてきたが・・・囲碁だけはやってこなかった。
なんだか、"枯れた"趣味に思えていたからだ。
碁盤を前にパチンなんて・・・どうも定年退職後とか隠居とかのイメージが先行するからだ。
でも、最近、思い直してきた。
いいじゃないか、ここまで来てしまった三十路のさえない男が何を見栄を張っているのだ。"枯れ"るなら枯れるでいいじゃないかと・・・
囲碁をやってみると、これはとても抽象性の高いゲームで面白い。責めてばかりでもダメだが守っていても勝てない、高度なバランス感覚が必要な高度なゲームに思える。そう、数学の問題を考えているような感覚なのだ。それは、エキサイティングに違いない。
趣味は囲碁です・・・終わっていると思われるかもしれない・・・若さがないと思われるかもしれない、でもいいさ。
俺って"枯れてね?" 、いいじゃないか・・・実は、俺って"渋くね?"と自分的には思える今は。

2003年06月12日

かなり尊敬できる人物・・・伊能忠敬

 今日、クイズ「ミリオネア」を見ていたら、ケンブリッジ大学を卒業し、東京大学大学院を出て、日本の大学で助教授をしているイギリス出身の男性が出てきた。

 さすが、それだけの学歴の持ち主、問題なく100万円くらいまでは正解を続けていったが、伊能忠敬に関する問題が出て、ライフラインを使っていた。

 やはり、イギリス出身と言うことがあるのかなぁ・・・伊能忠敬と言えば、日本史の授業で必ず習う、日本地図を初めてきちんと測量したことで有名な人だけれども、その名の読み方も知らなかった感じ。

 伊能忠敬・・・実はすごい人だなぁと以前から思っていた。だって、あの江戸時代において50歳過ぎから本格的に勉強を始めて(天文学とか数学とかだからすごい)、55歳から17年間測量をしてほぼ日本全土を測ってしまったのだから。

 江戸時代の50歳といったら平均余命とのつりあいから、感覚的には現代の60歳から70歳という感覚ではなかっただろうか。

 あきらめないことのすばらしさ・・それを教えてくれる人物だし、尊敬できるな、ほんと。

(参考サイト)
http://www.sawara.com/tadataka/

2003年06月04日

終わった??

 どうも、昨日観た映画『アバウト・シュミット』は終わってしまった映画だ。

 "終わってしまった"男の物語と言ってよい。
 
 僕は今30代の男だ。青年とは言い難い、しかし、中年ではない。そんな僕が振り返るに、僕は終わってしまっているだろうか?

 僕が高校生とかの時、大学生のひとはすごく大人に見えた。ドラマなどで描かれる大学生の姿も高校生の視点からはすごくアダルトな魅力を持ったお兄さんお姉さんだったりする。

 しかし、今、僕から見て、大学生はどうも子どもっぽく見える。
 
 逆に彼らから僕はどう見えているのか?
 
 成熟した魅力的な姿か、それとも終わってしまった姿か。
 
 
 
 どーも、映画『アバウト・シュミット』を見てから、僕は"終わってしまっている"感が強い。

 どーも、「俺ってだめくね?」て自問自答してしまう・・・そんなネガティブエモーションを引き起こすところにこの映画の名作たるゆえんがあるのかもしれないが、気持ちよくはないな。