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2010年03月10日

夜中、起きる数を数える不幸せと幸せ

 妻によく寝れた?とか聞くと、何回起きたとか返ってくる。今朝もそうだ。

 私も夜中に、何回か起きる。これはとても不快なものだ。

 もっと若かりし頃、かなりの激務についていて、寝られない日が続いた時もあった。そんなときは中途断眠など起こりようもなかったのだが、今は結構ある。

 老いたと言えばそうなのだ。私も休日であっても、ずーっとなんて寝ておられず、7時前に、それこそ平日よりも早く起きてしまって、なんだか充足した睡眠感が得られず、不満足さが残り悲しいことがしばしばだ。

 まぁ、老いたのは否めないが、ある意味中途断民の数を妻と言い合えているのは幸せなことだ。そこまでの激務に就いていないということだから。人間的に寝られているということだから。

 それを幸せと思いたい。

2010年02月23日

最近、本読んでいますか?

 最近本を読んでいますか?という問いにどう答えるだろう。

 もちろん。という方も多いかもしれない。

 そりゃ、仕事の関係とか自分の研究のための本を読む人は多いだろう。それは実学の本である。

 それ以外の、小説なり教養本なりの直接的には役に立たない、端的に言えばノイズ的な読書はしているか?と問われれば、最近はあまり・・・という方も少なくないだろう。

 かく言う私もそうだ。

 昨日ね、妻に「本読んでる?」と聞かれてはっとしたのだ。

 以前はとってもそういうノイジーな本をがんがん読んでいた。ここでも重松清さんの小説などをよく読んでいたことを語っていると思う。

 今はね、まだ頭の元気なうちに世の中の仕組みを知っておかねばという思いがあり、年中間断なく資格試験のチャレンジを繰り返している。まさしく実学の本はよく読んでいることになるのだが、正直働きながら、資格試験のチャレンジなどの実学の本を読み込んでいると、ほかにノイジーな本を読む気力が残っていないのも事実だが・・・

 ちょっと反省した。

 私も妻もどちらかといえばノイジーな学問というのかな・・・それで食っていくって感じの学問を修めたわけじゃないし、どちらもノイジーな興味があって、そのへんでお互いに興味深くつきあえてきたという部分がある。

 妻は西洋の歴史が好きみたいで、例えば、中世のヨーロッパの街場では、上から尿が降ってくることもあったそうだ・・・だから、西洋人は帽子をかぶる習慣ができ、かかとの高い靴を履いたりするのだとかいうことを教えてくれたりして、いたく興味深かったのだが、そんな風なノイジーな本をよく読んでいるし、私もノイジーな本をよく読んできたので、そのへんでお互い・・・ね。

 それが最近私が実学本ばかり読んでいるから、妻は心配になったようだ。

 だから、ノイジーな本も読んでいこうかな・・・そう「本」を読んでいこうかなって思った次第。

 近年は、大学はそこそこに予備校に行って食える資格・・・司法試験なりの難関資格を狙ったりするダブルスクールも流行らしい。不景気の世知辛き世の中では合理的な生き方とも言えようが・・・その合理性の中にノイジーなものが入る余地は少ないような気がして、それって面白みが欠けるんじゃないか?って思うんだがね、正直。

 ま、言ってみれば私なんかはノイジーなことばかり若かりしころやってきた部分があって、面白いっちゃーそうだけど、どうにも世渡り的には回り道多しって感じなのかな。ま、それもよしってことかなぁ。

2010年02月16日

大いなるあこがれ

 いやー、朝活ってやってみたいよね。

 僕の理解では、早朝早起きして、勉強なり自己啓発なり趣味なりに精を出すことを朝活って言うんだと思うんだけどね。

 でも、朝が弱い僕にとっては全然夢のまた夢。

 一時期、朝早起きして、映画を見るとかやって優雅気分を持ったものだが、結婚してしまったらだめだよね。要はひとりのほうが時間があったからそういうことができた。

 資格の勉強とか、この年になっても色々勉強しなければならないこと多いわけだが、早朝にやる方が効率がいいことが生理学上も分かっていることなので、朝活がどれだけいいかって・・・言われなくったって分かっている。

 わかっちゃいるけど、できないって、それが人間じゃん、人間らしさじゃん・・・人間たる所以だよって・・・まったく勝ち組じゃない私なんかは思うわけなんだけどね。

2010年02月13日

On と Off の対称性

 日経おとなのOFF という雑誌を背伸びして買ったことが独身時代何度かあった。

 この雑誌の性質を端的に私が要約すると、要はお金のかかる遊び=おとなの遊び という位置付けにおいて特集なりを組んでいく、おとな=金銭的余裕 というくくりでまとめられた雑誌だったような気がするが、まぁ、独身時代でお金に多少の余裕があったのでそんな雑誌も買ってみたが、30代のいっぱしの大人になったつもりだが、ぜんぜんそのターゲットに目されているような「おとな」にはなり得ず、また、結婚もしてお金に余裕もなくなり、ま、今ではほとんど読んでいない。

 さて、それはともあれ、今回は「OFF」という言葉に着目したい。この雑誌でも当然のように「OFF」というのは、仕事のある日を「ON」、そうでない休日を「OFF」と定義付けているわけだが、ONとOFFという英語の語感からは明らかに対称的な意味合いも含まれる。

 あくまでONが主役で、とてもポジティブな語感であるのに比し、OFFはその裏役的に、ONを充実させるためのOFFというネガティブイメージがあるわけである。

 確かに金銭的な意味では、OFFは何も生み出さないのに比して、ONは給料なりの経済的価値を生み出す点では、ONがポジティブイメージであることには異論はない。

 でもね、みなさん。

 心理的にはいかがですか?

 ONの時って楽しいですか?仕事楽しいですか?日曜日の午後は明日からの仕事を思ってウキウキですか?

 そう考えると、ONの時間はつらかったり、ストレスたまったり、ポジティブとばかりは言えず、どちらかと言えばその語感とは反対にネガティブな感覚になっていたりしませんか?

 だから、私なんかも、仕事に行く時は結構決まりきった服で、別におしゃれなんかしないんだけど、休日になるとちょっとお洒落をしてみようかなんてなってしまうんだよね。

 そんなわけで、ONとOFFって、経済的視点から見るのと、心理的視点から見るのとまったく対称的なものだよなぁとか感じてみた今日。

2010年02月05日

新しいものへの不安

 その昔、私は新しいものへの適応は早そうだねということを言われたことがある。まぁ、パソコンなりへの順応がよかったことがそういう反応になったのだろうが・・・

 最近、そのパソコンなどのITでもいろいろな新しきことへの対応に挑戦している。

 まぁ、VISTA搭載のパソコンを買ったので、長らくXPであった私もVISTAの慣れない部分にチャレンジしたり、スマートフォンも新しくしたので、その使い方に習熟したり。

 三十路も半ばを大幅に過ぎてくるとエネルギーのなさを感じる。昔は、面白がって新規事項にチャレンジして、それが私のパソコンの習熟に大いに寄与したのだが、その好きなパソコンネタでもちょっと疲れを感じる。

 新しいものへのチャレンジは得意としてきたはずの私も寄る年波か。

 大好きなITだってこれからどんどんインターフェイスが変わっていくだろう。新しいことを、次々に追わねばならないだろう。

 その時にエネルギーがあるか・・・なんとなく新しいものへの不安もあったりするわけだよね、長い人生。

 ま、なんとかやっていこうと思っているが。

2010年01月25日

働けば自由になるって・・・ないよね・・・

 さて、今日も自由の希求について語ってみたい。

 昨日は、脱サララーメン店主のテレビを見ながら、その無限のリスクと引き替えの自由に飛び立てないなぁということを語ったわけだが・・・勤め人にとって自営って永遠の夢かもしれない。

 でも、組織の論理に逆らってまでやりたいほど好きなことがなかったり、仮にあったとしても、食っていけなくなるというリスクをおかす勇気が出なかったりして、組織に居続けるということが往々にしてあるんじゃないかな。

 私だってそうかもしれない。

 さて、そこで出てくるのが働けば自由を得られるのかなぁ?労働は私たちに自由をもたらすか?という問いである。

 確かに、働けば、経済的には余裕が出る。それを元手に自営に行けば自由をもたらしてくれるだろう。しかし、現実・・・今まで語ってきたようにそれは難しい部分がある。失敗すれば一気に滑り台のように奈落に落ちるとなればそんな簡単に自由求めて羽ばたけない。

 だから、結局、組織に居続けることが多かったりするだろう。

 要は、今の時代も労働というのが与えてくれるのは制限付きの自由に過ぎないのじゃないかなぁということ。

 仕事にからめとられた人、それがすなわち勤め人じゃないかなぁと。

 それでも、仕事ではストレスがたまる。絡め取られた拘禁症状のようなものに近いのかもしれない。

 仕事にイヤになると休暇を取って旅行に出かけたりするわけだよね。

 僕も、休暇を取って、山形の奥の温泉に出かけたことがある。10年位前になろうか。独身だったから比較的お金もあったから、ぱっと山形新幹線で、思い立ってという感じで。

 最寄りの駅から車で1時間くらいだったわけだけど、宿の送迎を頼んだよね。僕だけのために来てくれた。

 1時間もあるわけだから、その宿の若旦那と語り合ったけれども・・・まぁ、勤め人より自営も自由でいいですよねぇと語りかけると、それはそうですが、休みが決まっている勤め人もいいですよ、雪が降れば雪かきが待ったなしでありますし・・・と言われて、納得せざるを得なかった思い出がある。

 そう、わざわざ僕のために1時間の道のりを迎えに来る。それは、僕の都合に振り回されているのであって、宿の若旦那には自由がない。

 自営をしたって、自由じゃない。だったら、働けば自由になる・・・なんかそれは追ってもつかめない青い鳥。幻想に思えてくるのである。

2010年01月24日

自由を求めたいが・・・

 飲食業を開業する様を追ったテレビ番組を見入ってしまったのだが、なかなかに面白かった。

  ラーメン屋さんとトンカツ屋さんだったかな。

  ラーメン屋さんのほうは、ぼちぼちの売り上げであったが、トンカツ屋さんの方はランチはともあれ夜がだめで居酒屋さん的なものへの変貌を迫られていた。  要はすごくうまく行っているというわけでもないという結果。

  ラーメン屋さんは脱サラだったと思うが、飲食自営というのはやはり自由を求めたということなんだと思う。

  組織の論理に縛られて働くよりも、自分の自由に働きたいとい、好きなものを作りたいという自由への希求。

 組織の中で好きを仕事にしてしまうほどの悲劇はないかもしれない。というのも、組織の論理で自分のしたいことができないことが往々にしてある中で、それが好きなことであったら悲しくて悔しいことこの上ないわけだ。

  その意味で、自営で自分の好きなように働くというのは限りなく魅力的であるが、同時に限りなくリスクを負うということで・・・自由の代償は高くつくかもしれないなぁとか・・・和むべきお茶の間のテレビ鑑賞で考え込んでしまったり。

  私が見ていたから一緒に見ていた妻が、パソコンのゲームをする方に熱中していたのは正解かもしれない。団らんテレビでちょっと暗くなっているのは損といえば損だから。

2010年01月13日

寒さと「水曜どうでしょう」と人生回顧

 今日はとても寒い。比較的温暖な関東地方にしても寒い。

 そして思う、北海道で過ごした日々を。

 水曜どうでしょうの企画 - Wikipedia を見ながら・・・そして、今や関東でも見られるようになったテレビ番組「水曜どうでしょう」の再放送を見ながら思いだすのだ、北海道での日々を。

 なんか、胸いっぱいになるのだ。

 まぁ、今は、なにかいろいろ満たされない思いで、でも、一種の諦観を持って生きている部分がある。なにか必死にあがいてはいるものの、どうにもうまくいかない部分が多い。

 で、北海道にいた若かりし頃はよかったかというと・・・別にそうでもない。いろいろ満たされぬ思いを抱えていたようには思う。それは今も昔も同じなんだろう。多分、ずーっと満たされることもないんだと思うよ。

 確かに、流れるように過ぎていくのが人生だろう。こっちに流れたかった、あっちに流れたかったという思いもあるのだが、思うにまかせず結果として流れたものが人生なわけだよね。

 寒さってなんか人生を考えさせるものがある。北海道にいた時はかなり考えたものだ。多分、寒さのあまりインドアにいることを余儀なくされる部分も多かったかもしれない。

 そんなわけで、なんかひたってしまった冬の寒い日であったわけで。

2010年01月12日

優雅なバスタイム・・・かも

 まぁ、一人暮らしを経ないで結婚する人っているよね。これって、あまり回り道をせずに結婚した人に多いんだろうけど・・・それはそれで安定した人生ルートと言うことは言わずもがなだが・・・

 私は学生時代から一人暮らしをしたりしていたわけだが・・・「もてない」なぁとか思いながら、「もてない男の心の語り(現 その後の語り)」というページとかを作っていた時代も長かったりすると、どうにもどうにも回り道をしている感じが否めなかったわけだが・・・

 そんな状態で一人暮らしをしていると、なんかそれでも優雅にしたいものだという負けん気みたいなものが生まれてくるわけで。

 そんな中でし始めたのが、風呂の中で雑誌なり新聞なりを読んでみるということ。これは思い立ってやり始めるといいのだよね。

 これが実家であれば、みんなの新聞をどうしたの?という迷惑がかかり実質的に不可能になりがちだし、結婚しても同じようなことで難しい。

 でも、一人であれば、そのうち捨てる雑誌に新聞なら、惜しげなく風呂の中でも読めるわけだし、ちょっと優雅な気分にひたれるわけだ。長い間回り道をした人ならではの、常識破りの技というわけだ。

 まぁ、今日は久々それを思い出して、風呂の中で新聞を読んでみた。実際、新聞をゆっくりよむという時間もないし、いつもそのまま捨てることになってしまう(妻は読んでいる)わけで、風呂の中でくらい読んでみようかと。妻はなにするのかな?と怪訝そうであったけれども。

 独身時代を思い出して、風呂の中で新聞を読んでみて、それはそれでよかったのだけれども、独身時代は気張って優雅な気分でいたが、まぁ、まんざらでもないかもしれない。どうせ読まないで捨ててしまうくらいなら、こうやって使っていくのもいいではないか。回り道で体得した技である。

2009年12月02日

宅建試験合格

 今日は宅建試験の合格発表日であった。宅地建物取引主任者の試験です。

 私は今年もいくつか人生を賭けたと言っても過言ではないチャレンジをしているわけで、既に挫折したものもあるわけでひっそりとがっくり来ている部分もあるわけですが、これもそれらのうちの一つであったわけです。

 この宅建試験は合格していました。本当にほっとしました。これで年が越せると。

 人生を賭けたチャレンジというのは、背水の陣を敷くわけですが、負ければ後ろにある水に落ちるしかないわけですよね。寒いですよね。イタイですよね。そんな思いをしたくないから、できれば人生を賭けたチャレンジなんかしない方がいい・・・傷つきたくない草食系の方ならそう思うかな。私もそんな時代も長かったのですが、ただ、老いていくのも悲しい・・・なにか足跡を残したいということで、ここ数年チャレンジを繰り返しているのですが、うまくいかない方が多くてそのたびに妻や周囲に心配をかけたりしてきましたが・・・。

 今回も合格すれすれのボーダーラインだったので、最後まで分からず。

 受かってほっとしたというのが実情。人生を賭けたチャレンジで今年既に挫折しているものもあるので、今年最後に救いがあった感じですね。

 支えてくれた妻に感謝です。

 今日は平日だけど、祝杯を挙げてしまいました。

2009年11月30日

中年の月曜日は結構元気

 まぁ、連休後の月曜日はマンデーブルーとか言うように、今日から仕事かぁという形で気分的には元気でないことも多いのだが・・・特に若者時代はそうだよね。土日めいっぱい遊んで、ますますブルーに拍車がかかったりするものだ。

 でも、中年にさしかかるとちょっと事情が異なってくる。土日は遊ぶと言うよりは、体を休めるという形に移行することも多いので、身体的に月曜日はまだ元気ということも多いわけで。

 だから、身体的にはまだ動くなぁと思いつつ、月曜日、なにやかにやしていたら、23時を過ぎる。

 寝なきゃ(^-^)

 このまま調子に乗ってがんがん飛ばすと、週終わりで痛い目を見る。

 これも中年になって気づいたことだ。

2009年11月26日

上がりゃぁいいてもんじゃない・・・

 いやいや、円高で円が急騰とか言っている今日この頃ではありますがね・・・

 いろいろ物欲を喚起しつつ、価格比較サイトとかで、値動きをじーっとにらんでいたりしたわけなんですよ。

 結婚してから、物欲は抑えてきたし、我ながら抑えきれているところで、枯れてきたなぁ、大人になったなぁとか思っていたわけですが、例えば、ノートPCなんかも6年以上も使っているので必要性もあって、人生少しは楽しもうとね。

 いろいろめげることもあってね・・・多少なりとも物を買って張りが出るんならいいんじゃないと妻も言ってくれているわけで・・・ありがたく・・・

 なんて言いつつ、最安値を探って、じーっと待っていたら、急激な値上がりをしたりしてめげる。

 なんかさ・・・株価のチャートみたいなんだよね、値動きが。ある時点で急激に上がったり。 

 だから、昨日買っておけばよかったぁとか後悔してみたりさ。買っていいよって言ってもらえているわけだから、買えば良かったのにぃとかね・・・。

 株価だったら上がればいいんだろうけど、これっぱかりは上がりゃぁいいてもんじゃないよねぇ(^-^;

2009年11月17日

思うようにはいかぬ

 どっか行こうと思ってもうまく手配できず、何か買おうと思ってもなぜ今になって値上がり?と・・・物事思うようにはいかぬ。

 思うようにはいかないのが世の常、その昔、マーフィーの法則なんていうのも流行ったが、自分の身に重ねて起こると、なんだかいやだねぇ。

 ま、疲れているんだな。寝ようっと。

2009年11月13日

団塊の期待が団塊ジュニアの心をつぶすという状況

 市橋容疑者:「医者になれなかった」 死体遺棄は黙秘 - 毎日jp(毎日新聞) を読んで心が痛んだ。

 テレビでは連日、この事件の容疑者逮捕のニュースで持ちきりであるし、2年以上にもわたって逃亡生活を送った容疑者の生い立ちが微に入り細に入り報道されている。

 その中で、私が興味を持たざるを得ないのはその生い立ちの部分でいろいろその生い立ちを追っていたのだが、リンクの記事を見てはっとしたのだ。容疑者の父は医師、母は歯科医師であり、職業について「(医者に)なれませんでした」と供述しているという部分。

 あぁ、これこそ団塊ジュニアの葛藤の現われだなぁという・・・思い。

 容疑者が容疑をかけられている死体遺棄容疑に関してはとうてい容認できるものではないし、その後の逃亡生活も容認できるものではない。

 しかしながら、容疑者が受けてきた団塊ジュニアとしての圧迫感は共感してあまりあるものがあるからだ。

 医者家系で、容疑者本人も高校までは優秀だったと聞く。でも、医学部というのは確かに入るのは難しい。受験戦争が最も厳しい世代である団塊ジュニア世代にとって、医学部に落ちてもなんら不思議ではないのだが、このような供述が出るということは容疑者にとってよほどトラウマであったに違いない。テレビで報道されている生い立ちを見ても、どうやら大学受験浪人をし、医学部に受かれず、私立大学の2部(夜間)に行くも中退、22歳で千葉大学園芸学部に入学という学歴らしい。

 私も団塊ジュニア世代ではあるのだが、この学歴遍歴はすごくよく分かるのである。

 団塊の方々は右肩上がりの経済成長期に社会人になってきたので、労働力が金の卵として尊重されてきた時代であったわけで、例えば、高卒でも管理職にもなれる場合も少なくなかったろうし、大卒であればもっとエリートコースに乗れた、大卒の中でもいい大学であればもっと上が狙えたというように、比較的学歴が自分のキャリアや収入に直結してきた世代である。その子らにはより高い学歴を求めさせる傾向にあるように思われる。少なくとも自分より上をいってほしいと明示的にも暗示的にも子に求めてくるのは自然なこととも言える。

 さて、そのような明示的・暗示的な期待を抱かれて育った団塊ジュニアたちは、素直にがんばる場合が多いのである。

 期待に応えられればいいのだろうが、今では高校卒業はかなり当然となっていて、大学に行くのもかなり一般的になっていて、ベビーブームも重なり受験戦争が激化している。その中で、団塊の親たちの期待はふくらむ一方で、よりいい大学を、よりいい学部をとエスカレートしてきてしまう。その期待に応えるにはものすごく大変なのである。特に医者家系ともなれば、医学部に入ることが期待されてしまうから大変である。

 私も、ものすごい受験戦争に巻き込まれた世代であるから分かるわけであるが、団塊の親たちの期待に応えるには本当に大変であるのは実感で分かる。

 その思いをここで・・・例えば、センター試験の受験生がんばれと語ったりしたこともあるが、その際に、「大津さんにとっていい思い出なんですね」というコメントをいただいたりしたことも覚えているが・・・決していい思い出ではないのである。それなりに世間的に評価される大学に入ったかもしれないが、それは、親の期待に応えるためであって、自分が望んだかと言われれば確たる確信はない。少なくともスポンサーである親の意向を尊重しなければ親の金で大学に行くことは許されないのではないか。また、単純に、親に愛されたいが為の行為であったかもしれない。どちらにしても、そうしなければ私は生きていけなかったであろうから、がんばったんだろうと思う。

 でもね、決して、気持ちのいいものじゃなかった。落ちたら自分の立ち位置がなくなるという切迫感のもと圧迫されながらとにかく受からんがために勉強するというのは。

 ただ、団塊の親世代は、「あなたのために」という大義名分を旗印に、いい大学にいくことを強いてくるものである。その圧迫感たるや大変なものである。

 それをクリアしたとて 今日の一語り: 団塊世代に複雑な思い で語ったように、団塊ジュニアたちは、今、決していい思いをしている人たちは多くはない。かなりの人がボーナスさえ下がるし、賃金をカットされているところだって多いわけだ。

 容疑者は千葉大学という国立大学に行ったからいいではないかという思いも世間的にはあるかもしれない。しかし、医学部を目指していた(医者家系であるから、暗示的にも目指させられていた可能性も大きいが)容疑者にとっては満足はいかなかったに違いない。自分にとっての満足という観点よりは、親の期待に応えられなかったという思いから。

 それが、冒頭の「(医者に)なれませんでした」という供述になるのは想像に難くないところに思えるのだ。

 上記のような考え方から、そう、団塊の期待が団塊ジュニアの心をつぶすという状況は大いにあると思うのである。

 もちろん、そのようなトラウマを負ったからとて犯罪をしていいということではない。決して犯してはいけない行為はある。

 ただ、団塊の期待に応えられず心をつぶしてしまう団塊ジュニアがいるということ。また、その団塊たちは、 今日の一語り: 団塊世代に複雑な思い で語ったように、高尾山を我が物顔で平日昼間からお散歩しているとなれば、なにか複雑な思いにとらわれるのである。

 また、団塊の期待に応えられたとして、調子のいいほんの一握り以外は、右肩下がりの世の中、団塊の方々が期待したようには学歴を活かせず世間並みの憂き目にあっているとなればなおさら複雑な思いを抱かざるを得ないわけだよね。

2009年11月11日

団塊世代に複雑な思い

 さて、昨日はミシュラン紹介で一気に有名になり混み合うようになった東京の手軽な山登りスポット、高尾山に行ったことを語った。

 平日でも混んでいるということを聞いていたが、東京生まれの東京育ちで高尾山はよく行っていた私にとって、にわかには信じがたかったが、なるほど、平日でも十分に混んでいた。

 外国人の方もいたが、多くは、団塊世代と思しき60代程度の男性、女性たち。

 うーん・・・

 私も妻も、ようよう休みを取って、疲れた身体を引きずって、それでも夕方に紅葉の一瞥をと高尾山に来たところで、団塊と思しき方々は元気いっぱい下山してきていて、大きな声で集合をかけて電車に乗ったりして、まぁ、高尾山を我が物顔で歩いていたように感じられた。

 さて、今年のボーナスは、ずいぶん下がる人も多いようだ。

 この出来事一つとっても、今の団塊ジュニアたちはあまりいい目をみていない。

 にもかかわらず、団塊たちは、高尾山のハイキングを、そこのけ状態で闊歩しているのは・・・ちょっと複雑な思いだ。

 JALも、企業年金の支払いが過重な負担になってつぶれかけているという。

 国民年金(1階部分)、厚生年金(2階部分)の上に立つ企業年金は・・・主に大企業に勤めていた人が特権的にもらえる3階部分の年金であるわけだから、そう、3階部分までもらえる人は少ない。多くの人たちは2階部分まで。自営業者の方などは、1階部分だけだったりする。

 いわば企業年金の受給者たる団塊の重みに耐えかね、天下のJALさえつぶれんとしているわけだが・・・

 そんなことを考えるに・・・その団塊の方々が、平日に山をハイキングして、混雑を醸し出してさえいる状況は・・・お疲れ様、余生をゆっくり過ごしてくださいねという余裕に至れるほど恵まれていない団塊ジュニア世代の私にとっては、複雑な思いにとらわれざるを得ない。

 私たち団塊ジュニアたちは、なにか追い立てられてきた。受験戦争に、いい大学には入れとかね。で、それをクリアしたところで、かなりの人がボーナスさえ下がるし、賃金をカットされているところだって多いだろう。

 うーむ・・・

2009年10月08日

マクドナルドから卒業できるのはいつの日か

Moblog Photo

 ゲームセンターには、例えばネットワーク麻雀などの一部例外をのぞいて中年以降の大人がいる姿はあまり見ない。

 まぁ、ゲームセンターたるもの、すなわち青少年から若者までの遊び場のように思える。 かくいうわたしもゲームセンターは大好きでゲームセンターが近くにないと生きていけないなぁという感じだった頃がある。 悩んだらゲーセン、悩みと全く関係ない機械への対話において、悩みは霧消していくことも多かった。おおかた時間が解決してくれることも多かったのだろう。

 そんな私も三十半ばくらいで、ぱたっとゲームセンターに行かなくなり、また、世代的にもこの遊び場は合わないなという思いを持つに至った。

 実際DDRなんて踊らせればまだまだ若いものにはそうそう負けないのだが、中年おやじが華麗なステップを踏んでいても少しキモいではないか。

 まぁ、一つの卒業だろう。

 今、マクドナルドにいる。

 マクドナルドもその低価格さゆえに中高生がたむろっていたりして、今は時期が時期だけにうがいをしていたりするとけたけた笑ってきたりする。何がおかしいのだろう・・インフルエンザの苦しみを知っている私は思う。こんな雰囲気が悪い低価格ゆえにモラルハザードが起こっているチェーン店は、ゲーセンのように卒業したいものだし、そりゃスタバに毎日行ければいいんだろうが・・・年だけはいい中年になったわりには収入は大人な収入になるでもなく、セレブとはほど遠く、経済的理由からマクドナルドは雰囲気の悪さを含めて考えても魅力的な選択肢であり続けている。

 周りを見ても、私よりも全然年上の人がいつもそこで本を読んでいるし、やはり私より年上の女性が資格試験の勉強のために隅に陣取っている。私と同じくらいの私なんかよりもいけいけの感じのビジネスマンタイプの男性もパソコンを開いてかたかたやっている。

 そう、ゲーセンと違い、誰しもマクドナルドは卒業しにくいところのようだ。

2009年09月21日

青春に戻っちまったシルバーウィーク

 いやー、このシルバーウィークっていいよねぇ。カレンダー通りだと5連休。そう、5連休ともなると、余裕が出る。

 この夏は、千葉に行ったり栃木に行ったり、出不精がちな家好きの妻にしては珍しく出ることが好きな私と一緒にいろいろなところに行ったので、この連休中は妻のペースに合わせる意味もありつつ在宅中心で、散歩に出る程度でゆったり過ごしている。

 そうなると、家で本を読んでいたりすると、ついつい夜更かししてしまってね。生活リズムがどんどん後ろへ。

 そういえば、大学生時代、昼夜逆転的な生活をしていたなぁと、青春時代に戻った気分。

 いや、午前中授業に出なくて、昼から学校行っていたさとか大口叩きたいわけじゃない。

 大学1年の頃なんかは月曜日から金曜日まで、全時間入れていて皆勤だったから朝寝坊する暇もなかったし、その頃から今時の大学生なんてレジャーランドに行っているようなものだという揶揄があったけれど、私はその1年間で取った授業の単位はすべて取得したから、とてもレジャーランドに行っている感覚じゃなかった。

 それでも、土日が休みとなると、なんかうれしくてね、金曜日なんかは夜更かししてしまったもので、朝5時くらいまで起きていて空が白み始めたりしてからあわてて寝てたりしたこともあったわけでね。それでも、月曜日の1限に間に合わせてこれたのは、若さのなせるところだったんだろうね。

 今では、とても5時まで起きているなんてこわくてできないわけだけど・・・このようにぽっと来たシルバーウィークのような連休で出かける予定もなければ、必然、翌日の心配ないためついつい夜更かし。

 社会人になってから、ついぞなかったわけで。

 社会人が休める、長期休みというと、盆暮れ正月ということになろうが、夏休みの盆はせっかくだからと旅行に行くし、暮れには妻の実家なりに行くなど、なにかしら予定が入っていてそれらを考えるに明日のことを考えずに夜更かしなんてできないわけだ。

 ただ、今回はそれを考えずに家にいることだけに専心したら、青春に戻っちまったてなわけで。

 5連休という気安さから、土曜日は午前3時くらいまで起きていたり。その割には日曜日には午後8時半くらいに起きてしまったりしているものだから、昼間ちょっと散歩に行っただけで、夕方6時からちょっと一眠りのつもりが、夜11時まで寝てしまった。

 そしたら、昨日から今日にかけては朝5時まで起きてしまったんだよね(^-^)夜が明け始めてからあわてて寝る、まさに学生時代の青春時代を彷彿とすというところでね(^-^)

 青春に戻っちまったシルバーウィークで、まさに今日は敬老の日であるが、自分も青春を一瞬取り戻しちまったってな次第で。

2009年07月24日

「ふつう」になんて生きられるはずないじゃないか

 昨日の一語りにて「「ふつう」に生きるのは難しいのではないか」と問題提起したが、より進めて語ろう。

 今までの歴史として、確かに、高度成長期という名の下に、何十年も、若くして身を固め家を持ち子孫を残すという堅固にも思えるレールが敷かれてきたように思えた。

  だから、私は30代後半であるがその親世代(高度成長期世代とでも呼ぼうか)がそれを「ふつう」としてその子世代に期待してくるのも無理はないかもしれない。

  また、マスコミなども初婚年齢が上がっている状況、未婚率の増大状況などを取り上げるに、昔、そう、高度成長期を基準に比較するから、我々の世代はあたかも「ふつう」でないように見えてくる。高度成長期世代の親たちが私たちを、どうして「ふつう」に生きれないのかと言ってしまうのも理解できなくはない。

  ただね、たぶん我々世代は、高度成長期世代と同じかそれ以上は努力をしなければならない境遇に置かれてきた。ただでさえ子どもが多かったので、受験は苛烈をきわめた時代だ。大学なりを卒業してみれば就職だって厳しい時代である。努力をしなければ生き残れなかったとも言える。

  それだけ努力をしても、それくらいの努力をすれば、多くは家庭を持ってマイホームも夢ではなく、私たちを育て得た高度成長期世代に及びもしない現実が今ここにある。 好き好んで晩婚化しているわけではない。派遣労働をしていたら経済的にも家庭を持つのは無理が出てくるのは自明であったりするわけだ。男だからとて正社員でバリバリ家庭を支えるに至るほどの潤沢な年収を得ている人は多くはなく、女性も一緒に働くには保育制度の整備の遅れが目に付きすぎるくらいだ。その上、家を買えったって、そこまで将来への不安がある中で安心して買えようか。

  だからね、高度成長期世代の「ふつう」をもって、なぜ子がいない、なぜ家を持たないと迫られたとて、無理っちゅー感じなのである。  「ふつう」になんて生きられるはずないじゃないか・・と訴えたいところなのである。

  高度経済成長期世代は、いわゆる団塊の世代と称せられることが多い。団塊の世代の特徴として今の日本を作ってきたのは自分たちだという自負が強く、主張が強いことでも知られる。 それに反して、我々団塊ジュニア世代はどうにも主張が弱い。 どうして「ふつう」に生きられないのか!と迫られてシュンとしてしまうことも多かろう。

  しかし、堂々と主張していいと思うんだ、あなたたちの言う「ふつう」になんて生きられるはずないじゃないか!と。そしてその「ふつう」に縛られる必要もないと思う。

  われわれは我々なりの「ふつう」を決めて、それを達成できれば良しとしたらいいんじゃないか。

2009年07月23日

ふつうに生きるって難しいんじゃないかな

 今の世の中はだんだん厳しくなっているのは、ニート、派遣村、金融危機などの社会事象を大上段に振りかぶらなくても、身近に実感できるのではないだろうか。

 昔のようにね・・・結婚相手がすぐに見つかったか?家が買えるか?といった2、3例を引くだけで世相の厳しさがよく分かるのだが。

  私は今30代であるが、その親世代にはその厳しさが実感できない場合も多いのではないだろうか。

 自分たちが普通にやってきた、20代なりで結婚、子づくりしたら家を持ち、自分のリタイア前に成人させる・・・そういう人生が多数派を占めていた高度経済成長期における、それが「ふつう」だという見方が抜けきらず、どうして「ふつう」に生きられないのかと今の30代なりの親世代が言ってくる場合も多いのではないだろうか。

 でもね、今や、その親世代の基準で、「ふつう」に生きるってとても難しいんじゃないかなぁとかね・・・思ってしまうんだよなぁ。

 最近の厳しき世相を、振り返るにね。

2009年07月21日

旅の効用

 本格的な旅はゴールデンウィーク2ヶ月ぶりくらいであったが、非常に爽快感があったわけで。

 確かに、旅をするということは肉体的には疲れるわけだが、精神的には高揚感が残るし、また、なんか生きているなって感じでもある。その充足感が旅の効用の最たるものなんだろう。

 ということで、たまには旅に出ないとなぁとか感じつつ、旅行後の今日の出勤を迎えたわけだがね(^-^)

2009年07月04日

素の自分をさらけ出すのも爽快なものである

 NHK朝ドラ つばさ は、もう毎回欠かさず見ている。なんというか、1週間で1テーマというきっちりした区切りのテンポがとても好ましいからだ。

 今回は、ヒロインとその母と祖母が、言葉に出せないそれぞれの人生をかけた思いを芝居に出して行くという話。

 その設定がかなり私に響いてきた。

 そう、芝居なり演劇って自分をのめりこませていくことが可能で、それを自分自身が体験したことがあるから。

 僕は学生時代文化祭で「遺産相続ゲーム」というミヒャエル・エンデの脚本で、臆病な公証人の役を演じたことがあるわけで。

 臆病・・・だからねぇ。その公証人の役の大きなテーマは臆病。まぁ、この脚本はどの役もあまりいい役なんてなくてさ・・・遺産を巡る人間のドロドロさをえぐった台本だったと記憶しているから、必然的にそうなるわけだけどね。

 立候補して役についたわけでもないし、別にかっこいい役でもないしそんなに乗り気でなかったわけなんだkが・・・本番当日まで練習していくうちに、なんか演じるってのが面白くなってきたんだよね。

 そして、ある女の子の助言で、いっきに本番に、マジに臆病な演技ができたわけだった。別に難しいことじゃなかったんだよね、そもそも臆病な一面を持っている素顔の自分をそのまま出せばよかったわけで・・・その女の子にも「すごくよくなったね」と言ってくれた演技だったのだよね。

 そこで分かったんだよね、自分の素顔を役に投影できる演劇のすばらしさを。臆病者を見事に演じきったのだけど、何せ臆病者だから、決してかっこいいわけじゃない。でもね、不思議とすっきりした爽快感があったのが心に残った。無理のない素の自分をさらけ出すって実は気持ちよいことなんだなぁと実感したわけで。

 まぁ、文化祭だから素人演劇だったわけだけど、それなりに自分の人生を役に投影できるんだなぁと若き日に実感した次第。

 そして、今週の つばさ では自分の生き様を演劇に投影して訴えかけるという設定だったものだから、それはあるよなぁとストーリーのすばらしさとは別にまた感激した次第。あるよねぇ・・ってね。

2009年05月20日

川越のすてきな絵本カフェ

 さて、先日、川越を散歩したことは今まで語ったとおりだが・・・初めに蔵造りの通りの大混雑にもまれて疲れ切ってしまって・・・その後、喜多院に行って、川越駅まで歩いて帰ってきたんだけど、その道すがらとてもすてきなカフェを見つけた。

 なんか、その壁一面をつたう見事なバラの花に惹かれて見とれてしまった家がカフェであった。

 混雑で疲れ切ってどこかで一服したいなと思っていたところで、渡りに船というわけで、よさせてもらった。

 中にはいると、絵本がたくさんあるカフェであった。絵本カフェであるとのこと。

 今はいろいろなカフェスタイルがあるよね。猫カフェなんていうのもはやりのようだ。

 それにしても絵本カフェというのは珍しいと思いつつ、ホットコーヒーをいただく。

 ミルで豆からひいている音がしたので、本格派だなぁと思いつつ、しばし待ち、おいてある絵本を眺めたり。 

 川越駅からそれほど離れている場所ではないが、住宅街の真ん中であり、お客は私たちだけ。混雑で疲れた体にほっとさせていただきました。

 そのお店のホームページはこちら

 Ehon Cafe - English Bluebell -

 このページを見ると、図書館員を退職されて始められたカフェとのこと。

 とってもいい人生だなぁと思わせていただいた次第。

 

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2009年04月17日

新人たちにオブジェクション

 不況で内定取消という深刻な若者情勢がクローズアップされる最中であるが、街を歩くと初々しい真新しいスーツに身を包んだ新人さん、すなわち、社会人1年生たちににも多く出会う今日この頃でもある。

 新人さんたちを見ると、初々しくて、新年度だなぁという新鮮な思いももたらしてくれることもあるが、そんないい感じなことだけではない。

 どうしても若いっていうのはお気楽というのかね・・この不況の中でたまたま運良く会社組織に吊る下がれただけにも関わらず、いい気になって若さを謳歌している感じに見えてしまって、なんだかなぁという思いに至ることもしばしばだ。

 そんないい気になっている新人さんたちにこの前出会ってしまった。 

 マクドナルドに入った時ね、初々しいスーツの4人組がいてね、男性3人、女性1人。まぁありがちな光景だが新人さんなのは明らか。時間帯は働き盛りのリーマンであればたぶん残業もあったりして帰れていないような時間帯に4人で群れられるのは、新人が新人扱いで仕事も十分にできないから帰ることが許されているこの時期ならではの光景だ。

 でも、それだけならことさらここで語るまでもない。たとえば、4人がやっていたのが談笑とか新入社員ならではの会社のトークとかならわかるんだがね。
 4人でやっていたのが、PSPなんだよね。ポータブルゲーム機。ほら今のポータブルゲーム機はネットワーク通信で共同して戦っているようで「あのモンスター倒して」とかなんとか言った言葉であった。

 ここまでなら学生気分が抜けていないなというくらいで済むのだが、ひとりがこういう旨を言ったのが耳に入ったんだ。"このゲームをやっているとエンドレスだからこういうところで1~2時間に時間を区切るとリズムがとれていい、研究室にいたときにそう思った"という旨を。聞きかじりと記憶によるので多少の誤謬は許されたい。

 これを聞いたとたん、なにをいい気なことをと思ってしまったんだ。

 研究室という言葉が出てくるところを見ると、理系出身のエンジニアだろうか。それにしても、君たちが今の時間に帰れているのは、いまだ戦力にならないからであるわけで、マクドナルドで1時間も2時間もゲームをやっていられるのはそういうわけなのだから、そんなのを当たり前にしてはいけないと思ったものだ。そのうち、帰れなくなって大変な思いをするだろうしその真新しいスーツもくたびれてくるだろう。ゲームだってしたくったってできなくなるだろう。

 彼らからすれば私だってその時間にマクドナルドにいるではないかという意見があるかもしれない。しかしながら、私はそういう時間を持つために人生を変えたわけだから、その視点からするとどうしても彼らのそのいい気に思える生き方がどうしても気になってしまうわけだ。

 新人たちへの、くたびれた中年からのかすかなオブジェクションである。

 不況における内定取消や就職戦線の厳しさがある今日この頃、うまく、会社組織に入れた新人はもうちょっと身を正してもいいのではないかと思ってしまうのである。

2009年04月15日

外食は幸せか?

 新社会人の初々しい姿見られる今日この頃である。新人さんたちでランチなんていう光景も街場では見かけられるのではないだろうか。
 私なんかは学生時代から、独り暮らしだったので外食は珍しくもなかったし、実際、外食には飽きているくらいであったが・・・実家暮らしが新人さんが多いだろうから、外食にはわくわくする人も多いのはないかと思う。
 
 さて、外食について語ってみよう。
 
海鮮丼

 先日食べた外食の一つ。かなりおいしい海鮮丼であった。それはそれで幸せである。

 最近は妻も私も忙しいということで、充実した家食を作ることが難しくなってきた。

 とはいえ、今までオール自炊生活をしてきたわけで、充実とまではいかないものの通常モードの自炊は当然継続中である。8~9割は家で食べている。

 だから、ほぼ家で食べるわけだが、疲れているとき夕食が外食になったり、妻が弁当を妻が作り得なかったときに昼が外食になったりする。

 たまの外食は確かにおいしい。たまだからこそ、おいしいところをねらっていくわけだし。 ただ、たとえばこの海鮮丼にしても、これ単体では野菜・繊維分が不足なのは明らかだ。醤油をたっぷりかけるので、塩分方にもなろう。

 だから、外食というのは一口で幸せまで持っていってくれるパンチ力がある。しかし、継続して食べていればその幸せも薄れてくる感じである。

 外食が続くと・・・たとえば海外旅行に行ったときなんかはそうなるわけだが、家の食事が恋しくなる。

 だから、一時の幸せとしては外食は有効だが、いちばんの幸せは家の食事が充実することなんだろうな。

  外食は幸せだけど、次善の幸せということか。

2009年03月03日

疲れたらゲーセン

 肉体的な疲れであれば、寝るなりした方がいいわけだが、世の中生きていくと肉体的な疲ればかりではなく、いろいろ気晴らしをしたくなることがある。そんな時は必ずしも寝るというのがいいというばかりではない。気晴らし的になにかしたいということもある

 私の人生を振り返っても、なんだろうなぁ、学生時代、論文を書くのにつまったり、指導教官とのディスカッションとかって緊張感があるわけだけどね、そんな時に、その頃はゲームセンターが好きだったからねぇ、よく行ったものだ。私の論文はゲーセンと共にできあがったようなものかもしれない。もちろん、いい友達もたくさんできた学生時代だが、専攻分野も違うわけで、やはり論文などは自分との戦い。ゲームという機械的なものに向き合いながら、自分と向き合う時間みたいな感じだったのかな。

 今日は妻が気晴らししたい様子であったりしたので、私がそんな風に気張らし的にはまっていたゲーセンに誘って行ってみた。

 昔は本当に毎日のように行っていたゲーセンであるが、今じゃ全く行かない。所帯を持って貧乏人的になった私にとってはお金がもったいないという面もあるしね。

 妻は私と車のゲームなどに興じ、とても気晴らしになったようだ。

 ま、たいしてお金のかからない遊びとして、ゲームセンターはそこそこ利用できるツールかもしれないと再認識した次第で。

2009年02月04日

年齢による達成度なんてのは学生まででいいよね

 さて、2月1日に始まった中学受験シーズンと共に入試の話がマスコミをにぎわせてきている。中学の次は高校。また、国公立大の倍率なんかも出てきていた。

 まぁ、入試というのは、なかなかにきついもので、ある年齢で、ある達成度に行っていないといけないという強迫的な圧迫感があるので苦しいところだろう。

 中学受験、高校受験、大学受験、就職とある年齢を切って、ある達成度を達成することが求められる世の中なのは、今も昔も変わらずなわけであるが、高校まではだいたい横並びで入っていく現在の状況では、そこまではみんなと一緒に上がりたいという圧迫感はつきものだ。

 それで、みな、ある程度ある年齢において例えば、高校を卒業する、大学を卒業するなどの関門をくぐり抜けていくわけだが・・。

 まぁ、高校・大学を過ぎたあたりからは、生き方も多様化してきて、ある年齢になったらここまで達成していなければという目標めいたものが拡散するので、いろいろな生き方をする、もしくは、その生き方になってしまうという感じに拡散してくる。

 しかしながら、世間はそういう多様化した個人の生き方を簡単には認めてくれない。

 このくらいの年齢なら結婚してて当然だし、子どもがいてもいい、これくらいの年齢なら貸家じゃなくて家なりマンションを所有してなくちゃ・・・などと、あたかも、その年齢で達成しなければならないような生涯にわたる年齢を区切った目標、達成度が設定されているかのごときプレッシャーがかかる場合が多い。

 しかしね・・・親なりからご飯を食べさせてもらっている学生時代まではともあれ、そこから先は、目標が拡散していいと思うんだよね。人生は人それぞれ。そして、抱える事情もそれぞれで、ある年齢で達成していなければならない理由なんてあまりないと思うんだよね。

 だから、一生独身だってかまわないだろうし、家を所有しなければならないということもないと思う。

 当たり前なことなんだけど、なかなか、世間的な呪縛めいた、年齢による達成度という概念から離れられない場合も多いように感じるんだよね。

 そこから離れて、結婚などは自分がしたいからする、そういう動機付けになって初めて幸せな結婚となるんだと思う。

 今回の受験、結果がよくても悪くても、それが終わりじゃないんだよね。そして、そこから先は、自分で試行錯誤して、つかまえていく人生。その人生に年齢による区切りなんてなくていいと思うし、そういうプレッシャーは感じなくていいんだと、自戒を込めて思うわけで。

2009年01月25日

幸せは、ほら、そこにある

大きくて安い鯛焼き

 大きくて、その割に安い鯛焼きを購入。うまいよ。

 幸せって意外にそこにあるんだと思える瞬間。

 鯛焼きは以前は庶民派のおやつの代表であったが、最近は、チェーン店なども出てきて見かけはするが、けっこう高い。レトロおやつとしてのプレミアだろうか、決して安いとは言えない値段で売られていたりすると、それを買って、懐かしいねぇと食べていたのでは、そりゃ美味しいかもしれないけど幸せを感じるまでは至らないのではないだろうか。

 これも、値段的にはチェーンより大幅に安いというわけではないものの、少し安い上に、チェーン店のものより明らかにそれと見て分かるくらいでかいのだ。そこに抜群のコストパフォーマンスを感じて幸せなのは庶民の幸せだ。

 そういえば、以前、寿司屋で大トロのマグロ握りを食べて幸せってお金を出せば手に入るなぁとか感じたものだが、これはお金をたくさんださなくても、ほら幸せ感じちゃえるじゃない(^-^)そう、ほら幸せはそこにある。

 庶民は庶民なりの幸せの感じ方というのはあるものだ。

 要は心の持ち方でもあろうが。

2009年01月12日

成人式でも格差

 さて、この3連休は成人の日の休日がらみの3連休なわけで、各地で成人式が行われているようですね。

 特に、今朝のニュースでは必ず千葉県は浦安市の映像が流れまして、そう、浦安市は東京ディズニーランドで成人式をするとのことでテレビ的に画(え)になる光景ということでしょうか、テレビをかけているといやというほど目に入ってくる光景ですね。

 映っていた新成人へのインタビューでは浦安に生まれてよかったという声も散見しましたが、それはその通りでしょう。私なんかも何度かはディズニーランドに行ってはいますが、そこで遊ぶのも一人5千円単位のお金が必要になるわけで、1万円の半額なわけだし、そういえば、かのマイケル・ジャクソンが借り切ったというセレブな話があったのも東京ディズニーランドですな。

 それにしても、昨年の成人式では破綻した北海道の夕張市では市による成人式が財政的に行なえず、新成人たちの手作り成人式を新成人たちボランティア努力で行っていたことを鑑みるに、生まれた場所の違いだけで、かたや黙っていても招待される日本を代表する高級リゾートパークでの成人式、かたや手作りで自ら動かねばできない成人式。

 成人式にも格差が生まれてきているなぁと感じた次第で。成人式のようなものは、ひとつの世間一般的に広く認められているイベントにおいても、格差が出てきているのは、地方の衰退の象徴的出来事のような気もしてしまうところ。

 もちろん、例年多く報道されるような荒れた成人式で、成人式の存在自体に物議を醸すような状態もよいとは言えないし、それよりかは、みんなディズニーランドに入れてニコニコという方がいいのかもしれないけれども、格差が顕著になってきている昨今、目に見えて自治体ごとの力の差が如実に出るような、ディズニーランドでの成人式などは・・・うーん、いかがなもんでしょうかねぇと思わないでもない。

2008年12月31日

貧乏生活を締めてみた

 さて、今日は今年最後の日、大晦日である。まぁ、その日にもっともふさわしい作業と言おうか、今年のわが家会計を締めてみた。

 まぁ、今日にふさわしいと言えばそうなんだろうが、3ヶ月分位までもレシート等をため込んでしまったのはちょっとためすぎで今日の作業がかなり大変だった次第。

 来年に回してもよかったのだが、年も締まるというところでにわかにやる気を出して、なんだかにわか会計事務所みたいなもので、妻と私でパソコンににらめっこしてレシート打ち込み作業をしておおむね完成。

 わが家の財政状況がくっきり出るもので、それを指標に、ま、がんばろうと妻と語り合ったりしたのは大晦日の過ごし方としてはなかなか有意義とは言えまいか。

 どちらかと言えば決して裕福であるわけではないことを如実に白日の下に表わしてしまうのも数字の怖さであるが、それと面と向かって対峙していくのが生きていくってことなんだから。

2008年12月21日

私的忘年会は重要である

 さて、職場の忘年会なが公私の区別で言えば公的な忘年会とすると、私的な友人と年末に呑みつつ語り合うのは私的忘年会と言えよう。

 最近は私的忘年会の予定を入れること多く、ここでも語ってきているが、今日も私的忘年会にて友人と呑み語らう。

私的忘年会の時の飲み物

 山崎のハイボールとか呑みつつ。

 近況報告は私的な友人とはいつしてもいいし、年末にこだわる必要もないのだろうが、ひとつ年の瀬にその年の近況を語り合うことで自分的の気持ちも整理がつくということもあり、けっこう私的忘年会を開催することが多いわけで。

 私的忘年会は自分の中での年越し準備として重要なイベントとなりつつある近年。

 今日おつきあい頂きありがとう!!

2008年12月15日

ダウンジャケットは何か哀しい

 寒くなりましたよね。私の起居する関東地方でも朝晩の冷え込みきつく、窓際に置くついたてを買ったりしてしのいでいる今日この頃です。

 寒さと言えば私はいろいろ感慨があります。東京で生まれ育ち、冬は寒いは寒いけれど青春時代を過ごした東北地方に比べればよほど暖かいところではありましたので、寒いながらもダウンジャケットのようなものはなかった・・・というか買ってもらえなかったというのが庶民だったゆえです。

  ただ、東北で一冬か二冬越したところで、これはダウンジャケットを買いたいなと、正月初売りで買ったんですよ。一万五千円くらいのが一万円になるとかで、モコモコがすごく厚くて暖かそうでね。色が青かったのがちょっと派手かなとは思ったし、雪山に行かんばかりのモコモコはあまりおしゃれとはいえなかったけれども、これで寒さから解放されるとばかりに飛びついた。学生だったからお金もあまりないわけでそのころの私としては大枚をはたいたわけです。

 これで富裕層のように寒さからは解放されるんだ。ぬくぬくなんだと思った次第で。

  確かに寒さからは解放されたし、周りからはあまり好評ではなかった青色でいやというほどモコモコしたダウンジャケットは、その後北海道にも住むことになった時には大活躍ではあったのですが・・・決して富裕層のようになれたわけではなかった・・・  さて、今、周りを見てみてください。そう言ういわゆる思いっきりダウンなダウンジャケットは流行っていませんよね?おしゃれな薄目のダウンジャケットでファーが付いていたりするのは女性でも着こなしているのは見ますし、男性でも、ほらちょっと前のドラマになりますがHEROでキムタクが着ていたようなのも、ダウンの中でもちょっとおしゃれだったなと。  

 私の青モコは、はっきり言って誰からの評価も受けず、かつ、今の妻からも捨てたら勧告を受けるくらいで、しかしあそこまで思いっきり暖かい服もほかにないので未だ物置の奥に眠らせてもらっているわけで、今はエディーバウアーの福袋に入っていた薄手のダウンを常用しているわけですが・・・

  思いっきり暖かいのに、都会では評価されないモコモコダウン・・・何かかなしさを禁じ得ない。

  富裕層を目指して買ったモコモコは帰って自分の庶民性を浮き彫りにしてしまったかなしさもあるわけです。

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2008年12月11日

朝のレバレッジ

 レバレッジなどという言葉が流行っている。

 まぁ、もともとの原義は「テコ」であり、少額の投資で大きなリターンを目指す投資などの金融商品からメジャーになった言葉のようだが・・・まぁ、転じて、なんか効率よく生きようみたいなレバレッジ本みたいなものが出回ってきている。

 まぁ、あまり効率よく生きなくてもいいし、人生寄り道や無駄道、失敗あってこそ味が出てくるものだと思っている失敗の多い人生の私からすればあまり共感はしないものの、レバレッジが効く一場面を知っている。

 そう、朝5分早く出よう。すると、本当にレバレッジ的に物理的にもその数倍の時間の節約ができたりするものだ。精神的にはもっと余裕が出る。

 朝のレバレッジは大人の余裕として身につけていきたいものだ。

2008年11月26日

落ち着きどころのない社会

 3丁目の夕日に描かれるような昭和30年代のようには多くの人が衣食住が直接的に欠乏しなくなった今、働く意義が変化してきているように思う。
 昭和30年代は総じて食べるために働くという大義名分が無条件に成立したのに比して、今はそれは当たり前で、より自己実現という得体の知れないものに向かって上昇していかねばならないという強迫的なプレッシャーを感じるようになってきている。
 そんな中で、バリバリがんばる人が出てくるのは当然だが、自己実現を目指したってある程度以上は限界が出てくる。
 議員になる、開業医になる、地主になる、社長になる、俳優になる・・・これらは一代にして成り上がるのが難しく結局は親の力が必要になるわけで、食べるだけでは満足できなくなった現代人たちは行き場を失うことになる。
 となると自己実現はもういいから落ち着きたいと思う人が出てくるのもまた当然である。
 しかして、社会は企業を中心になかなか落ち着けるような感じにはしてくれないのも古来からである。
 ある一定の競争をあおっていかねば社会全体の生産性が活性化しないからだ。
 となると、上昇志向を捨て落ち着きたいと思い始めた現代人はやはり落ち着きどころがなくなる。

 落ち着きどころを探し始めた頃には、落ち着ける場所がないのが現代か。

2008年11月21日

貧乏を経て泣けるわけで

  つい先日、今日の一語り: すさんだ心に効く映画 で言及した「Always 続 三丁目の夕日」( - goo 映画 )が今日テレビ放映されていたのでまた見てしまった。

 おいおい、わざわざレンタルしてまで見たのに、2週間とおかずにテレビ放映されてしまうのは皮肉だが、泣けたよ。ホント。何度見ても泣ける。

 妻と話したのだが、1作目より、この2作目の方がよく感じるのはなぜかってこと。

 妻の分析では、ハッピーエンドだからだそう。

(以下ネタばれあり)

 

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2008年11月10日

すさんだ心に効く映画

 もう、ずいぶん前になるけどね、若かりし頃、とてもすさんだ気分になっていた時に、気晴らしにと映画館に入ったことがある。

 その時、ちょうどオンエアの時間だったので入った映画がかの過激な殺戮シーンが話題になった問題作「バトル・ロワイヤル」( - goo 映画)だったので、まぁ、すさんだ気分にはお似合いかなと思い、入ってみたものの、よけいすさんだ感じになってしまって難渋した思い出がある。

 まぁ、すさんだ時にすさんだストーリーをという逆療法的な荒療治の失敗と言ったところか。

 今日は、すさんだ気分ではあった感じなのだが「Always 続 三丁目の夕日」( - goo 映画 )を見たのだがこれは本当によかった。すさんだ気分にとても心地よい春風を通してくれたような温かさに包まれた。

 そう、泣けたよ。

 お金じゃない大事なことがあるんだと訴えるこのドラマ、ありだと思うよ。うん、そうでなくちゃ。

 この映画とってもいいと思う。

2008年11月09日

今日は充足感の一杯ということで!?

Moblog Photo

今日は充足感の一杯かな。あるインプットのもとに結果としてのアウトプットがあるのはことわりだが、若い頃はそのアウトプットが良いものであったときに祝杯をあげていたが、最近は加齢と共に思うようなアウトプットが出ず、必然インプットしただけでへとへとで、お疲れ一杯をしたくなる

 中年にもなるとそのへんは甘めにみていいのではないか。成功したアウトプットが伴わなくても、インプットする努力だけだって大儀なのだから。お疲れ一杯。

2008年11月07日

眠くて拒絶反応

 いい加減、眠い。なんかいろいろ疲れてきているのだが。

 寝てしまおうかな、こういう時は。

 金曜日はテレビドラマ「ぎらぎら」・・・中年ホストの物語だが、こういう悪質系の香りのするドラマは好きだったりするので、見たいなとか思っているのだが、今テレビに映っているのを見て・・・今の疲れた気分では見るに耐えられないなと拒絶反応。 

 悪質系のストーリー好きの私だが、今みたいなすさんだ心持ちの時にはそれが受け入れられないことを実感。

 重松清氏の小説みたいにおもーいのも今は勘弁という感じだしね。

 「水曜どうでしょう」みたいなばかばかしいテレビが見たく・・・それも、関東圏では23時からMXテレビで放映されるも、これまた眠くて拒絶ってしまうのだろう。

2008年11月06日

なんだかな

 年に何回か、なんだかなという気分になる日がある。

 そんな時には、ま、飲むかということになる。

 これは私にとっては異例なことである。

 私のポリシーは、飲むのは週末、そして週一回を自分に課しているからである。

 たまにそのポリシーが破られるのは、例えば職場のはずせない飲み会の時とかだけであるが、それ以外にこのようにやるせなき思いを酒で紛らす必要がある時というのが年に何回かというところか。

 外で飲むのはもったいないとか健康にもよくないと主張しがちな妻もそういう時は黙って付き合ってくれるもので、そういうのが年に何回かというのが多いのか少ないのかは人によりけりだが、私はいろいろ首を突っ込みがちであり多い方なんだろうかね。

 そば屋に行って一杯。ホッピーと、焼酎のそば湯割り。焼酎のそば湯割りはとてもうまい。普段はさほど好きではないが、その温かさがなんかいい。

 ホッピージョッキ一杯とそば湯割り一杯でいい加減に酔っぱらってみた次第。

2008年10月29日

寝不足とビデオの使い方

諸事情により寝不足気味。若い頃ならこれくらいの寝不足はなんのそのという部分もあったし、実際、学生の頃などは、日中もそれなりに寝る時間の確保もできたものだが・・・今はそうもいかない。朝はまた来る。そして通勤ラッシュに突っ込んで行かねばならない。

だから今夜は9時から大好きなテレビドラマ「相棒」があるがそこまでもたず、ビデオ予約したら寝入ってしまっていた。

昔はビデオは遊びに出かける時の見たいテレビ番組確保のためのツールの意味合いが強かったが、今は睡眠時間確保という意義あいが強くなりやや時の変遷を感じずにはいられない次第で。

2008年10月16日

失敗続きの二人が好むジブリ映画

 今日の一語り: 失敗から始めているから強いんだ で語ったように、私と妻はどうにもさえない失敗が多い二人という共通項がある。転じて失敗から始まっているから強いんだと語った。

 それ以外にも、なぜか二人とも違った観点からではあるがジブリアニメ好きという共通項がある。

 つきあい始めの頃にも、ジブリ美術館に足を運んだくらいだ。

 中でも、二人とも好きだったのが「耳をすませば」である。 

 この映画はくやしいほどポテンシャルにあふれた中学3年生の二人の物語。

(いかネタばれもあり)

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2008年10月11日

ノーベル賞受賞者の言葉を拝聴する際の構えについて

 最近、話題になっていることでポジティブなものとしては、日本人のノーベル賞受賞ラッシュだろう。物理学賞で3人受賞。化学賞で1人受賞。とても見事である。

 喜ばしいことには違いないし、すごいなぁと感じる。

 ノーベル賞の物理賞にしろ化学賞にしろ、医学生理学賞にしろ、サイエンス系のノーベル賞は、おおむね基礎科学の研究成果が評価されるところであろう。

 だから、基礎科学が重要だと言われる所以であるが・・・一方で基礎科学を専攻して行くに際しては、よほどの覚悟が必要なのである。要は、「食えない」から。

 大学に行った人はみなお分かりだろう。基礎科学を専攻して院まで行ってもなかなか就職に就けないことを。また、博士号を取ったとしても、それが飯の種にもなりにくいことを。

 Amazon.co.jp: 高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書): 水月 昭道: 本 を読んだが、そのへんが詳しく出ている。博士号は足の裏の米粒のようなもので、取っても食えないが、取らないと気持ち悪いというくらいものもだということが様々な例に従って伸べられている。

 また、足の裏の米粒-生理研を去るにあたって - 教授エッセイ - 大阪大学大学院 認知脳科学研究室:藤田研究室 の記事を読んでも、そのへんがよく分かる感じだ。

 要は、基礎科学の研究者としての成功はとても難しく、ごく一部の限られた、卓越した能力と運に恵まれた一部分の人が飯の種にできるということ。

 物理学賞を取った3人の先生の専門は素粒子論とのことだが・・・これは基礎科学のうちでも難解なものの代表で、とても才能がないとついていけない分野のようであり医学部に入るのと同じくらいの知識レベルのようだ。ただ、医学部はその後の医者としての社会的身分が保障されるのに比して、素粒子論ではなかなか食べていけない違いがあるらしい。

 そして、どうしても研究生活と就職という点で思い出してしまうのが、広島大学教授殺人事件(事件史探求)である。この事件の詳細はリンク先記事を参照頂きたいが、この犯人として逮捕された助手の専攻も素粒子論であったことがどうしても思い起こされる。

 大学の準教授(助教授)にまで登れれば、一定の成功であろうが、そこに至るまではよほどの才能と努力と、あと、運が必要なようである。そこまで登った上でよほどのすぐれた研究業績を残して初めてノーベル賞という高みに登れる。それはすごいと思う。

 ただ、かなりの才能があっても、食べることさえ難しい人も多いことを忘れてはならないと思う。成功者のポスト数が限られている現実において、才能があってもどれだけ努力して、運悪く思うようにいけない状況があるということを。

 ノーベル賞受賞者たちの言葉は成功者の極みとしての自信にあふれている。そして、それは多分に我々に勇気を与えてくれるものだが・・・

 ただ・・・

 今回ノーベル化学賞に輝いた下村氏の言葉が2008/10/9(木)朝日新聞夕刊の見出しを引用すると

 「子どもには興味あることをやらせなさい」

 とのこと。

 かなりの違和感を感じた。やりたいことをやらせて、それが研究でもいいわけだが、必ずしも成功するとは限らない中で、より食べれる方へ誘導したってそれはそれでいいのではないかと。

 例えば、子どもが素粒子論をやりたいと言っても、それよりも、就職につながる工学をしなさいと言う親だって多いだろう。

 食える学部は概して倍率が高い。文系なら法学部とか経済学部。理系なら工学部か。そう、食えるからこそ人気が高いのである。

 本当に子どもに興味のあることだけをやらせていたら、ほとんどの子どもはゲーム漬けか、ネット漬けとかになってしまわないだろうか。

 僕だって本当に興味のあることだけをやらせていたら、学生時代はガリ勉タイプだったのだが、そんなに勉強する人にはならなかっただろう。今は勉強なり研究の習慣がついているのはそれなりのしつけがあったゆえである。

 もし本当に子どもに興味のあることだけをやらせていたら、引きこもりな感じの成人が多く生まれるのだろう。

 惜しいほどの能力に恵まれた子どもには下村氏の言葉は重要かもしれない。その芽をつぶすようなことがあってはならないだろう。ただ、多くの平均的な子どもにはある程度生存の確率の高い方向への示唆はしてはいけないとは思わないのである。だから、子どもがいくら音楽で食っていきたいと言っていても、大学だけは出ておけとか、法学部を出ろとか言う親は多いだろうし、それがただちに否定されることでもないんだろう。

 ノーベル賞受賞者の言葉は、ピカイチの才能と運に恵まれた人の言葉であって、それが誰にでも通用する金科玉条ではないんだろうなと思うのだ。

 だから、そういう構えでノーベル賞受賞者たちの言葉を拝聴することが必要なのではないかと思うのである。

2008年09月22日

弱いからこそ、情けないからこそ、いとおしいという感情

 さて、昨日、一昨日と天王山と言われた優勝をかけた伝統の阪神-巨人戦で阪神が巨人に三連敗して、とうとう追いつかれてしまっていた。

 そう、私は実は阪神ファンなのである。今日の一語り: 阪神タイガース アーカイブにまとめられているように時折阪神タイガースへの愛情をここでも垣間見せているわけだが、本当に垣間見せる程度である。

 そう、あまりプロ野球は熱心に見る方ではないのだ。野球自身そこれほど観るのは好きでもない部分がある。昔、娯楽のない時代、それこそ夕食後のテレビが最高の娯楽という時はビール片手にプロ野球というスタイルがザ・オヤジスタイルとも言うべき中年男性の典型的娯楽だった頃はプロ野球の人気はもっとあったし、わたしもはまったんだろうが、幼い頃にくらべ娯楽が増え、インターネットなどで家にいながらにしていろいろ楽しめる時代になった今、プロ野球にかじりつく必要がなくなった部分もある。そう、野球観戦で2時間も3時間も費やす暇がなくなった面もあってね。勉強したりさ、本を読んだり、そして、このようにブログを書いたり。映画を見るのも好きだしね。となると、プロ野球は結果が分かればいいかと。

 ただ、昨日一昨日の土日は、試合中継に注目してみた。そう、首位を独走していた阪神が巨人に追いつかれそうで、連敗したら追いつかれてしまうという大一番だったため。

 まぁ、試合前からかじりつくことはなかったのだけど、夜に、あ、やっているなと見たらさ・・・土曜日なんてもう大差で負けていて、これでは逆転できないなというくらいの差で一編に見る気を失い案の定負け。昨日の日曜日は序盤2点勝っていたと思ったら、ちょっと目を離したすきに逆転されて大差をつけられてしまってね、こりゃ負けだと見る気が失せる。案の定負け。これで、阪神は巨人に追いつかれてしまったわけで。

 普通ならさ、ここまで弱いと愛想つかしたり、弱くなったチームだと嫌いになったりっていうことになるよね。ひいきのチームが勝ってこそ、すかっとするわけだし、それを求めてスポーツ観戦ってしたりするものだよね。

 でもね・・・意外に、私のような昔からの阪神ファンはそういうのには慣れている。というか、逆にそこまで情けないからこそいとおしささえ感じてしまう。

 だって、僕が阪神ファン全盛だった幼き頃、そう25年前とかなわけだけど、5位や6位を低迷していたわけだよね。もちろん、周りは巨人ファンだらけだよね。東京出身の僕だもの。何を好きこのんで阪神なの?という感じだよね。でも、それこそ小学校時代はずーっと阪神帽をかぶって過ごしたわけよ。巨人が何で人気があるかって?そりゃ強いからだよね。その昔、私が生まれる前だけど、子どもたちの好きなものの代表として、「巨人・大鵬・卵焼き」なんて言われてたわけだよね。卵焼きはいざ知らず、プロ野球の巨人とお相撲の大鵬はなぜ好かれたかって、そりゃ強いからだよね、これは明らか。だけど、僕はどうも巨人は好きではないし、阪神ファンはどうも巨人を好きになれない部分があるのは一般的だ。阪神ファン=アンチ巨人という構図は今でも健在だろう。ついでに私は卵焼きも大して好きではない、いや、今日の妻の作ってくれた弁当には入っていたけれど。そして、それは美味しく頂いたけれども、大好きというものではない。

 ちなみに、妻は野球はそんなに好きな方ではないが、応援するとすれば巨人ファンで、私が家で阪神戦を見るのが難しいのもそのへんの関係もなきにしもあらず。日曜日も、阪神が逆転されているのを見てがっかりしている私の横で妻は「やった」という感じにつぶやいていた(^-^;

 巨人は大企業バックでお金があるよね。一局テレビ局を独占して持っているから地方在住者はプロ野球と言えば巨人戦しか見られない、だから、地方の人たちはみな巨人ファンだったりする。また、選手の集め方も非常にお金がある集め方をしてきた。かの巨人の大投手、江川卓の事件は記憶に残っている人も多かろう。江川事件 - Wikipediaとしてまとめられているが・・・最後のドラフトでは阪神が指名を勝ち取ったにもかかわらず、巨人の強い要望で交換トレードにより巨人へ。江川本人たっての希望であったにしろ強引に巨人が大投手江川を持ち去った感があり、巨人と阪神の因縁がここにもある。

 まぁ、大阪に行って阪神電鉄に乗ってみるといい。なんかね・・・どうもお金がありそうな感じではないから。阪神電車はその名の通り、大阪と神戸を結んでいるわけであるが、海岸沿いを走るんだよね。

 首都圏でもそうだが、海岸沿いはやはり庶民的になってしまう。京浜工業地帯のあたりを走る海岸沿いの京浜急行も、一駅一駅なんかえもいわれぬ下町風情がある(私はそういうのがとても好きだが)。それが大阪の阪神電車沿線にあると思えばいい。ほら、同じ東京中心部と横浜を結ぶ線でも、東急東横線なんかは、屈指の高級住宅街たる田園調布を抱えて上品なイメージがあるのにくらべてということ。大阪だったら阪神電鉄に比して、内陸を走る阪急電鉄は大阪屈指の高級住宅街の芦屋を抱えていたりして上品な感がある。

 そんな阪神電鉄が母体の阪神タイガースと、テレビも新聞も持つ大メディアたる読売グループとを比すれば、イメージ的には勝敗明らかであるわけだが。

 だからね・・・そう、弱いからこそ、そして、こんな風に情けなく追いつかれてしまうからこそ、応援してあげたくなる心境が私にはあるんだ。

 人生、うまくばかりいかない。負けたって明日があるからと歯を食いしばってみたり、やけになりながらも、何となく言い訳してみたり。そんな人生を送ってきたからこそ、本当にいとおしく思える。そう、追いつかれてしまった阪神がね。

 いやね、阪神がものすごく好きだった幼少時はこんなに紆余曲折のある人生を送るとは思っていなかったよ。阪神が好きだったからこんな人生になってしまったのかもわからないけど。

 1985年、私が中学生だった頃、阪神は21年ぶりに優勝した。それからまた長い低迷期に入ったが、一瞬のスパーク。そして、最近はまた強い。それでも独走態勢から巨人に追いつかれるなんていう情けなさを発揮している今、なんかそれだからこそ、阪神がいとおしい。

 負けたっていい・・・がんばったよ、がんばっているよ、うんうん。

 今は本当にそう言えるだろう。あと10試合ちょっと。リーグ優勝できるかどうかは微妙だ。がんばって欲しいけど、これほどいとおしく阪神を感じたのは久々だ。そして、阪神の動きはほんとうに励ましを与えてくれるものだなとも思う。

2008年09月13日

失敗から始めているから強いんだ

 さて、今日は土曜日。NHK朝ドラは月~土の5話で一話を終える感じなので連続テレビ小説「瞳」第24週「家族とは・・・」が今日で締まるわけだ。だから土曜日はそれが楽しみだったりするわけだが、今日のストーリーは、飯島直子さん演じる瞳の母が、別れた勝村政信さん演じる瞳の父と会う場面があった。ばりばりイケイケのビジネスマンであった瞳の父に惚れた瞳の母という設定だったわけが、その瞳の父が借金をこさえてしまって、瞳の母の実家に金を無心したことが理由で別れることになったわけだが、今日は「どうして借金の存在を言ってくれなかったの?(実家に)金を無心するまで知らなかったのよ」という旨を瞳の母が聞く場面があったのだ。それに対して、瞳の父は「だって、君は成功した僕が好きだったんだろう?言えなかったよ、恥ずかしくて・・・」という旨の返答をするシーンに胸が詰まった。思うところ多々あったからだ。

 そう、確かに成功者同士のカップルというのは誰から見ても祝福できる。お互いが成功し続けている時はお互いいいわけだが、どちらかバランスを崩す・・・このドラマの場合は男の方がビジネスで失敗するというわけだが・・・と案外もろいものであることもあろう。プライドがじゃまをして相手に頼れない結果、信頼を損なってしまうこともある。

 私と妻は・・・どうやら失敗から始めている部分が多い。私自身「もてない男の心の語り」(現 もてない男のその後の語り)というページをしてきた感じから、どうしても成功者ではないわけで・・・32歳で妻と出会うものの、33歳という遅咲きの結婚においてもなお結婚式を間近に控えて妻が大病をしたため、結婚式をキャンセルせざるを得なかったという挫折から始まっている(ここでも語ったようにその後結婚式を挙げることができたが・・・)。そんな失敗から始まっている二人。だから強い部分がある。

 妻が私の弱いところをさらけ出して失敗続きをさらけ出して受け入れてくれる女性だったから結婚に踏み切った私。だからこそ、その後の紆余曲折を乗り切れたし、多分これからもうまくいかないことも多かろうし、それを妻に愚痴るだろう。そして、妻もそういったことを私に愚痴るだろう。不遇を嘆くだろう。

 それでも、失敗から始まっている二人はそれらを笑い飛ばせる。笑い飛ばせないまでも共感しあえる。だから、強い。雑草の強さにたとえてもいい。

 果たして成功者同士にその強さがあるだろうか。私は失敗から始めている者のみが持つ強さだと思う。

 今日の朝日新聞土曜版be on Saturday の e1面で阪神タイガースの藤川球児投手の入場テーマ曲がリンドバーグ「every little thing every precious thing」でありその逸話を特集している。これも失敗者の視点に関連して非常に共感できるのだ。

 藤川球児投手は今や阪神タイガースの押しも押されもせぬ守護神(抑えのエース)であるが、泣かず飛ばずの二軍の時代にこの曲を入場テーマ曲にしたとのこと。奥さんのカラオケでの愛唱歌であったことで、妻への感謝と彼女の思いを背にマウンドに立ちたかったのが、きっかけとのこと。

 ええ話やないか。そう、失敗から始まっている夫婦であるから、強いのであろう。その思いを背負って今の藤川投手の成功がある。ええ話や。

 ちなみに私は子どもの頃から阪神タイガースファンなのである。どうして阪神タイガースなのか。今期はマジックがもう点灯し、優勝候補一番手だが、私の幼少期。どうにも強くなかったのが阪神だったのだ。だいたい、5位とか6位(最下位)とかさ・・・その失敗している阪神がどうにもいとおしく今に至っても阪神ファンだ。近年はプロ野球はそれほど見ないのだが、やはり阪神が勝っているとうれしい。最近は阪神が強いのはうれしいし、失敗から始まっている阪神だからこそ、雑草のように強いのだろうと思っている。

 リンドバーグ「every little thing every precious thing」を聞いてみた。いい歌や。

 私も失敗ばかりしてきている。失敗してめげている人だっていよう。でもね、順調ばかりがいいわけじゃない。失敗しているからこそ強いんだ。そういうことだってある。そう思おう。

2008年09月08日

幸せは自分で作るもの

 さて、例えば朝に焼きたてのメロンパンが出てきたら幸せじゃないかな。そう、幸せなんてそういうところにある。

 お金で幸せは買えるのか?ある意味その答えはYesであろう。

 一昨日から昨日にかけて二夜連続で放映されたサスペンスドラマ、氷の華なんかでは、まぁ、米倉涼子さん演じる悪女は、莫大な遺産を引き継いだピアニストという令嬢役で、お手伝いさんがご飯は温めるだけになっていますので・・・なんちゅーことを言われていたりしたのだが、なるほど、お金があれば、朝に焼きたてのメロンパンをルームサービスでお願いするなんていうことも毎日のようにできるだろう・・・お手伝いさんに焼いてもらってもいい。

 そう、朝の焼きたてのメロンパンに幸せを感じていられるうちは、確かにお金で幸せは買えるのだろう。

 でも、そうなると往々にして朝の焼きたてのメロンパンくらいでは幸せを感じられなくなってきて・・・もっともっとと欲望を募らせていったりするわけで・・・そういうところにお金持ちが舞台のこういったサスペンスドラマが生まれる土壌があるのだろう。

 ともあれ、朝に焼きたてのメロンパンがあればうれしいよね?幸せだよね?そういう人は多いよね。

 だったら自分で作ろうよ・・・

 妻におねだりされて、土曜出勤だった先週の一日だけの休みの昨日にメロンパン作った次第。妻のためというのもあるが、自分自身も幸せになるため。

 ほら♪

焼きたてメロンパン

 これを幸せと言えないで何を言おう。これを冷凍しておけば、今週の朝はいつも朝はトースター2分で焼きたてメロンパンが楽しめるのだ。

 そんなの幸せと言えないという人はよほど恵まれている裕福なところの方なのだろう。

 そう力説するのは、これは非常に手間がかかるからだ。

メロンパン作成途中

 しかし、作れないわけではない。なんだかんだで半日がかりくらいではあるが、一週間分のメロンパンを作ることは素人でも可能だ。私でさえ作れているのだから。

 朝の焼きたてメロンパンに幸せを感じられる人は、一度作ってみるといいかもしれない。

 そこに幸せができあがるのだから。

2008年09月03日

思い出が次々となくなっていく

 さて、気候不順もあいかわらずですが、今日は関東地方は久々に日が出て暑くなったりしましたが、それでも夕方などはずいぶんしのぎやすくなったような気がします。

 こうやって夏が過ぎていき、夏の思い出も思い出になっていくのでしょうか。

 さて、昨日、私が好きだったテレビ番組「学校へ行こう」が11年間の長きに及んだ放映に幕がおり最終回を迎えてしまいました。

 そうかぁ・・・11年間かぁと懐かしく思いますし、実際、この番組を見たさに早く帰ろうとがんばっていたりしたこともあり、勤め人になってからかなり熱心に見ていた番組でした。

 最近はちょっと縁遠くなってしまっていましたが、さすがに、最終回となるとさびしい。いい番組だったなぁと思い出がひとつなくなった気がして寂しかった次第。

 そういえば、青春時代を過ごした仙台でよく行っていた食事所が今夏閉じられていくところがいくつか出ました。

 仙台での独り暮らし・・・独り暮らしと食事というのは密接につながっているものですし、そういうところで青春の一ページを思い出として持っていったものも事実なんです。

 友人と食事しながら語り合った場所だったりもするわけで。

 そういうところがなくなってしまうのは悲しいですね。

 思い出が次々となくなっていくのは寂しい。

 ただね、また、これからもも思い出を作っていこう、作っていっているさ、それでいいんだ。そう思った次第。

2008年08月05日

80年代から90年代にかけてのヒット曲

80年代から90年代にかけてのヒット曲を特集している番組を見ていた。とても面白く引き込まれて見ていた。
カラオケで歌った曲が多くあり、歌える曲も多かったからだ。
いい番組の狙いだなとも感じた。ベビーブーマーたる世代への訴えとして効果的だ。
しかしそれ以降歌える曲が増えていないことにも気づいた。
年をとったな・・・そんな気がした。青春は今や終わったよね・・・
昔あんなに好きだったゲーセンにも今やほとんど行かない。カラオケもほとんど行かなくなった。どちらも若者が好むものだ。
時の移ろいを感じる。

2008年07月20日

がんばれば夢が叶うというのは幻想

 昨日、「ハチワンダイバー -フジテレビ」にいたく感動していた私だ。まぁ、人生あきらめなければ未来があるさという明るい希望を挫折者の立場から描いた点が非常に気に入ったわけだが。

 まぁ、言ってみれば私も挫折の連続だからさ。

 ただ、このドラマもファンタジーとして架空のものとして見なければだめである。

 今日、反貧困―「すべり台社会」からの脱出 湯浅 誠 著 岩波新書 を読了した。要は、スタートラインの初めから差が付いてしまっている機会さえ不平等な現代における貧困の諸相の根深さを描いた論説で、非常に迫力があった。

 そう、がんばれば希望が叶うというのはすなわち「機会の平等」の概念で、非常にアメリカ的な思想であるが、おうおうにしても現代ではうそっぱちである。

 例えば、東大生の親の多くは管理職である。そう、豊かでなければなかなか教育にお金がさけないからである。

 現代の議員においては二世・三世議員が非常に目立つ。どうしてか・・・それは、その親世代が築いた地盤がなければなかなか議員になれないという事情があるからなのは容易に想像できるところだ。

 また、さきの大分の教員採用試験の不祥事に至っては、親に力があるとかコネがあるとかでないと教員になれない感じであったりする。

 こうなると、がんばればなんとかなるというわけではない。そう、現代では機会の平等でさえ保たれておらずスタートラインが違う機会の不平等があからさまに目立つ。

 そんな現代において、がんばればなんとかなるのだという、かのドラマのような展開は甘く耳に響くが・・・そんなのを素直に信じてしまっていては、なんというか自分が苦しくなるだろう。いや、若いうちはいいかもしれない。今となってはそんなのを信じるほど子どもでいては生きてはいけない。

 それはそれで幻想として・・・それでもフィクションの上では幻想もまた楽しからずやという姿勢を持っていく必要があろうね。

 それが大人の幻想の楽しみ方ということであろう。

2008年07月12日

人生は平等ではないってことさ

 まったくついていないことには自信があるような私と妻が・・・異口同音に合致する人生訓は「人生は平等ではないってことさ」ということ。

 そう、戦後民主主義において、人は生まれながらに平等であるという幻想に近い理想が流布してきた。日本国憲法第14条第3項でも「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と高らかにうたわれている。

 しかしながら、まぁ、実際的には生まれながらにして平等ってことはありえないわけで・・・生まれながらの容姿であったり、親の経済力であったり、家柄だったり、コネなりで・・・得する人損する人が出てくるのが世の常で・・・その意味であまり得してきているとは決して実感できない二人の心の奥に積年わだかまってきたわだかまりから吹き出た思いが「人生は平等ではないってことさ」というわけだが。

 大分県の教員採用試験で、コネが横行していて刑事事件になったことが話題になっている。

 ある程度の人生の不平等さはやっぱりしょうがないということで世間には受け入れられてきたんだろう。社長の息子はやっぱり得だし、議員の息子は議員になりやすい・・・これを否定する人は少ないだろう。実際、東大生の多くは経済的に豊かな家庭から出ていることは統計的にも明らかだ。これらは甘受しうる不平等なのかもしれない。

 しかし、庶民の暮らしがひどく圧迫されてきている、ここまで世知辛い世の中になってきて、世間もあまりにもひどいコネ得は許せなくなってきたのが大分の教員採用における不平等が事件にまで発展するひとつの要因にになったんじゃないかな。

 まぁ、ある程度の不平等は人のやる気を引き出すための起爆剤になるものだが・・・あまりにひどいとうまくない。また、もうちょっと世の中に余裕がでないと不平等への寛容さは生まれてこないものなんだろうね。

 勝ち組な経済界の人たちが「ウィンウィンの関係」でなんて言うと非常に空々しく聞こえてしまうが、まぁ、お互いひがみあわないで済むくらいそれなりにみんな笑って暮らせる世の中になってはくれないかなぁ。

 そのためにはある程度社会が豊かにならなければならないのだろうが。

2008年07月08日

修正不能なエラー

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よくコンピューターでは「修正不能なエラー」という表示が出てきて、じゃぁどないせぇっちゅーねん!!とディスプレイに突っ込みを入れたくなるものだが。

私は牛肉をほぼ食べない。BSE問題が気になるからだ。それはポリシーとして貫いてきている。そしてどうしても食べるとしたらBSEリスクが少ないと言われるオーストラリア産だ。

ただ、牛タンに関しては別だ。以前仙台人であったこともある私が妻を仙台につれて行った時にもそのお店がオーストラリア産を使用していることを確認して食べた。仙台の名産の牛タンには郷愁があるからだ。

今日久々に牛タンのお店に入った。仙台風の本格的なランチを千円そこそこでいただけるところなので愛用していたのだ。しかし、諸事情から遠くなってしまったので行けていなかったので久しぶりに行ったのだが・・・

いつもはランチ時には混んでいたのに今日はがらがらだ。席に坐ってしまってから気づいた。牛タンのランチが今はない。牛タン1皿とご飯をつけると1800円を超える。とても庶民の私に手の届く金額ではない。なんだか、アメリカ産牛肉が生後20ヶ月以内のものしか入ってこなくなったことが原因だとしきりに言い訳を聞かされる。韓国では生後30ヶ月ものまでいいのでそっちの方ならいいのにという話をしていたが、韓国ではその制限さえなくそうとして大きなデモが巻き起こっていることを知っているし、生後20ヶ月以下であったとしてもいささか気になるのでアメリカ産牛肉を避けていたのだけど・・・だけど、ここはだからこそ値上げせざるを得なかったとのこと。

やむなくランチにあったリブロース定食をば。なぜに牛タン屋で普通の肉を食べねばいけないのかとむなしさにもかられつつ、千円もするのにということにも落胆しながら、聞いてみるとこの肉もアメリカ産とのこと。

 がくっときてしまった。

 あんなに気をつけてきたのにこんなことでアメリカ産の牛肉を食べることになるとは。

 炭焼きでのお肉は美味しかったけど・・・私のポリシーに修正不能なエラーが残ったのが心残りではある。

2008年07月07日

モスに入るというぜいたく

Moblog Photo

 最近は格差の語り部としての自覚を深めている私であるが、モスバーガーに入るというのは結構ぜいたくなんだと思っている。
 注文を受けてからつくるから時間はかかるし、おいしいけど何よりその分値段は高め。
 だから庶民な私には少し縁遠いわけだが、今日は落ち着いた雰囲気で待ち合わせをしたく、また、近くにもっと安いお茶どころもなくいを決して入った次第。
 アイスコーヒーSで200円は予想通りの高価さだが、確かに、高いだけに客層も落ち着きがあり、ここでも語ってきたようなマクドナルドなどでの女子高生たちの騒ぎ声もなければ子供の騒ぎ声もない。快適である。また、さすが炭焼をうたうだけにアイスコーヒーも美味しい。

 お金を払えば快適さを味わえる。そんなのは分かっている。ただ、庶民としてはそれでは満足できないのだ。

 アイスコーヒーSが100円で飲めるのはマクドナルドである。だがそこには環境がいいとは言えない場所も多いのだ。

 安いから仕方がない?

 否である。

 環境のいいマクドナルドを求めるのである。星の数ほどあるマクドナルドの中にはそういうところもあろう。

 それが庶民の格差との戦い方である。

 モスに入るという贅沢をしてしまった今日は妥協をしてしまったということになるのかもしれない。

2008年07月05日

ドラマ「ハチワンダイバー」は実はとてもよい

 一語り「土曜日の深夜の気になる番組」にて、よく見ていると語ったハチワンダイバー -フジテレビ という番組。

  実はマジに面白いことがわかってきた。

 前の語りでは「明らかにB級テイストのストーリー」と定義したが、いやいや、それどころではない、本格派の様相を呈してきているのがよい。

  要は夢をあきらめきれない人間の心情を、原則的には年齢という一点でタイムリミットが来る将棋の奨励会制度を舞台に、ドラスティックに描いたドラマなことが判明してきたのだ。

  あきらめきれない夢ってあると思うんだよね。でも、それをあきらめ、ごまかしながら生きていくのが人生。

 このドラマの主人公たちはそれをあきらめずに泥くさくも向かっていっているのが気持ちよい。  今日なんかは食い入るように見てしまったよ。それくらい迫力が出てきている。

 まぁ、悪役の親玉がかのダースベイダー的に出てきたりところどころ笑いをとろうとしている気配は感じられるが、笑うより以前にストーリーが悲哀に満ちているので、感動の方が先に来てしまうわけで。

  夢をあきらめ、日々を維持することに努めてしまうのが勤め人や社会人のさがなわけだが、週末の夜くらい、こういう夢をあきらめない泥くささを見るのは心地よいのだ。

2008年06月08日

にくにくしい日

牛タン

 そう、にくにくしい日だったわけである。肉々しい日。

 今日はよきにつけあしきにつけ私がお疲れ様だった日だったので、肉でも食いに行くべぇと妻といったお店で、これが一人前の牛タン塩だというから驚き。

 煙がもくもくであるお店であったが、もりもりと肉を食べてきた次第。

焼肉屋

 これだけ頼んで、もりもり食べたら、お腹いっぱいである。

 日頃貧乏をネタに語っているが、ビール大瓶一本付けて1人頭2500円行かなかったのはコストパフォーマンスあふれる証拠で、うれしい限り。

 たまにはいいのだ。貧乏人だってこれくらいの楽しみがなきゃぁ、やってられないからねぇ(^-^)今日は、なんにしろお疲れ様な日だったのだから。

 要は人生メリハリだよね・・・Hunger is the best sauce・・空腹こそ最大の調味料、という格言のごとく、こういう焼肉にしろ毎日食べていれば大して楽しみでもない、かえって痛風になってしまうのが落ちであろうが、日々貧乏しているからこそ、たまの焼肉が珠玉の味に思えてくる。貧乏するのもわるくないわい・・・かな、やせがまん?(^-^)

張ってメシが食えるのならいくらでも張るけどさ

 最近、春口裕子さんの小説にはまっている。「イジ女(め)」という小説本のネーミングが座布団3枚ものだなぁと思いながら読んだらはまった次第。

 女性のイジメ、見栄張りなど女性的陰湿ダークサイドの悪質系ストーリーが満載で、この作者、もともとは損保会社で勤めていたようで、そのへんの陰湿話がかなりえぐく描かれていて非常にインプレッシブなストーリーになっているから、はまりこんでいる。

 その後、「女優」「ホームシックシアター」などのこの作者の小説本をはしごしていっているのだが、その中でも「女優」はなかなかにすごくインプレッシブである。なんというか、女性はこんなにも見栄っ張りなのかと思わされる部分が特にえぐい。いや、普通のOLなんだけど、これでもかっていうほど見栄を張っている描写が出てきて、だからこそ、タイトルが「女優」なのだろうけど、すごい描写なのだ。

 私自身は見栄なんて張って得するものでもなければ、メシが食べられるものでもないから、あまり重視していない分野なわけだ。だからこそ、おしゃれとかかっこつけとか・・興味があまりないわけで。

 でも、そういえば、ゴミ捨ては私の仕事になっている。というのも妻がちょっとそこまでという時も、やはり、すっぴんでは出にくいからだそうだ。そう、女性は化粧なしで外に出るのはタブーなわけなんだろう。まぎれもなくそれは見栄だろう。

 もちろん、妻は化粧にお金をたくさんついやすでもなく、そのへんでは最低限の見栄張りであり、そういう質素なところが私の価値観にも合うのだが、それでも、見栄はある。

 見栄を張ってメシが食えるのならばいくらでも張るのだが、あまり、見栄に価値を置きたくない私にとって、この「女優」という小説本では見栄のむなしさを訴えているストーリーであり、非常に私の価値観に合致する。

 見栄って、ほどほどでいいと思うんだよなぁ。

2008年06月07日

またまたクモ襲来

今日の一語り: 新居でもクモにインベイドされる などで語ってきたように、大きなクモが家に入ってきてびびることが過去には結構あった。しばらくなかったわけだが・・・。

妻が、どうしようという声をあげていたから、どうしたのかと聞くと、大きなクモがいるとのこと。

慣れてはいないが、何かで捕獲しなければ・・・ということで、思案しながら見つけたのが、DVDケースの蓋。

大きなクモ捕獲

無事に捕獲し、外に二がしてやった次第。

これだけの大きさだとやっぱりびびるが、大騒ぎしたわけではなかったりもする。慣れと言えば慣れなのだ。結構落ち着いてツールを探せたような気がする。

人生は経験だよね(^-^)ふぅ。

2008年05月08日

連休明けの「やられ」に感じる、労働の義務性

 昨日は完全にノックアウト状態でした。4連休明けのの仕事・・・疲れます。昨日の一語り: よろよろ・・・で明らかなように。

 この思い、多分私だけではないんでしょうね。
 その思いは勤め人の皆さんは共感いただけるところと思います。
 要するに、仕事というのは一つの義務であり、義務は心地よいものではないでしょう・・・拘束されているようなものですから。
 ただ社会にとって仕事というのは必要な活動なわけで個人にとって心地よいかどうかは問題ではなく、人々にはしてもらわなければならない活動なわけで。
 憲法において納税、教育と並んで国民の三大義務として課している理由が体で実感されるのが、そう、連休明けですよね。

 そう、明文で規定しなければ誰もしたくないもの・・・それが、義務なわけで・・・その中に仕事もあるわけだから。 

 まぁ、こういうことを言っていると、仕事は楽しくやるべきものだとか、仕事はクリエイトしていくべきだという主張も出てくるかもしれない。

 ただ、そういう主張には

 創造的労働者の悲哀 (内田樹の研究室)

 を論を引きたい。

 「働きたいのになかなか仕事に就けない若者は「自分に向いた仕事、自分の適性や能力を発揮できる、クリエイティブで、見栄えがよくて、できれば賃金の高い仕事で」働きたいという条件に呪縛されているからである。」

 とそこには語られており・・・

 「しかし、残念ながら、労働は自己表現でもないし、芸術的創造でもない。   とりあえず労働は義務である」

 としている。

 よって、東大生などのような高学歴エリートは、その呪縛により、創造的労働を求めてさまよってしまうというというテーマの論であるが、大いに賛同したいところです。

 そう、労働は義務である・・・だからこそ、連休明けは「やられる」のですよ。創造的な仕事で楽しくて楽しくてたまらず休み明けが待ち遠しい・・・って人はいるのかなぁ・・・現実の世界で。

2008年05月06日

年収300万円時代の男の戦い方

 おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に・・・「桃太郎」の有名な冒頭であるがここからわかるのは古代の生活が推測される。男と女の役割的に観点で見れば、男は比較的遠くに生活の糧を得る仕事に行き、女は家を守るために比較的家の近くで動いているという生活形態が推測される。芝刈りがどれくらい生計を支えるのに役に立ったのかは、貨幣経済だったのか現物経済だったのかを問わず、芝刈りにどれほどの経済的意義があったかはちょっと疑問であるが、男が遠くに行き、女が家の近くにいるという生活スタイルはそうだったんだろうなとは思うのだ。

 近代に目を向けると・・・私はちょっと前、2006年にはNHKの大河ドラマ「功名が辻」をはまって見ていたものだが、その主人公は山内一豊という大名になる武士の話であったわけだが、その主人公がなにかというと、その妻に「手柄をたてて出世する」という旨をしつこいほど繰り返していたが、そこか、らは近代武家の、男は戦い、女は家を守るという生活スタイルがしつこいほど強調されている。「手柄を立てる」などと言えば聞こえはいいが、自らの君主というあるひとつのイデオロギーに対立する敵を殺すという非人間的行為の結果なわけであるわけで、平和論的には皮肉なことなわけだが、まさに男は外で戦い女は内を守るという生活形態だったんだろう。

 その後も、その基本構造が変わらず、武家政治が終わり明治時代になっても家父長制に象徴されるように男が外で戦い女が内を守る構造は変わらず、戦後も高度経済成長時代においては、経済的に稼ぐことが至上命題となり、男は企業戦士として朝から晩まで働いて、女は家で育児・家事というスタイルが定着してきたのは、私は今30代半ばであるが、私たちの親世代のことであるからよく分かるところになってくるわけだ。

 ここまで終始一貫して、男は遠くで戦い(ここでの戦いは殺戮のみならず、積極的に経済的なアドバンテージを取ろうとする立場も含む)、女は家や内を守る方向に動くという生活力学が見えてきている。

 しかし、高度経済成長時代が終わり、団塊ジュニア世代の私たちの時代は・・・様相は異なってきている。

 男が外で十分な戦いの成果が得にくくなってきている時代・・・そう、森永卓郎が名付けた年収300万円時代である。2006年の流行語大賞のトップテンにも入ったインパクトのあるワードであるから知っている方も多いだろう。

 男が外で十分な戦いの成果・・・そう、稼ぎが得られなければ、女が外で戦うという路線も出てきているし同時並行的に進展している男女同権意識の進展もそれを後押ししている、近年流行のワークライフバランスの識者が語るところでは昔は男一人働けば子どもを2人くらいは育て得たが、現在では子ども一人も育て得ないという主張もあることを聞いたことがある。

 確かに、今、男は稼ぎ得なくなっているのは事実だ。

 であれば、女性も戦いに参戦せざるを得ない・・・なるほど、それはそうだろう。

 ただ、それだけで満足していいのか・・・男は戦えないから戦わなくてもいいのか。

 否であろう。年収300万円時代の男の戦い方だってあるであろう。

 こんなことを力説するのは・・・今朝の私のある動きがあったからだ。

 そう、私は起きて新聞に入っていたスーパーのチラシ広告を見ると・・・いつもは行かない遠くのスーパーでスライスチーズが安売りされているのを知ったのだ。

 少し話はそれるが、最近本当に乳製品が高い。バターなんて、品切れを起こしているしねぇ。スライスチーズだって、デフォルト10枚入りで、安売りで150円くらいだったのが、今では、安売りで8枚入りで160円台・・・それでも、朝一番に走る価値はある。

 妻に、行ってくるわと、GW休日最終日にスーパーの開店時刻目指して自転車を走らせたのだ。

 まぁ、スーパーの安売りの朝一番に行くのは大変なのである。まず、開店前に行列ができていることがある。限定数の商品であれば手に入らないことだってある。手に入っても、レジに並ぶのがずいぶん待つし、また、荷物が重く・・・一種の洗浄である。妻に買い物行って来てねと頼むのは、気が引ける。

 そう、年収300万円時代の男の戦いの場はここにあったのだ。

 確かに、安売りに走っても割引額はわずかである。でも、ちりも積もればである。この年収300万円時代は、収入を増やすより支出を抑える方が重要なのである。収入を増やしにくいからこそ年収300万円時代なわけであるから。先の武将山内一豊的に「手柄をたてよう」とばかりではこれからの男は意義がない。それはそれでさりながら、今までは内・・・そう、おばあさんは川へ洗濯へ 的な内的仕事の中にも男が腕力を生かして動けるフィールドがある。

 無事に、安いチーズを買い、トマトパックも安かったので買い、そのほかパン、うどんなど安かったので買い、休日の遅い朝食前の一仕事を終えた私は思ったのだ。 年収300万円時代の男の戦いのフィールドは、今までの内的領域にこそあるんじゃないかって。

 そうして、この語りに至ったわけで。

2008年04月17日

職場で感情的交流を持てる相手に出会うということ

職場飲みの日であった。
3月4月という年度変わり目はなんやかんやと飲み会は多くなりがちであるが・・・
その後に、後輩と差しで飲んだのだ。
この後輩君とは今日が最後で離れ離れになってしまうので、それこそ名残惜しく、二人で焼き鳥をつまみながら、ゆっくり飲んでいた。
学生の頃は、勉学とともに感情的交流を持てる相手、すなわち友を探すことがひとつ課せられた課題であるわけだが、社会人になると、職場というフィールドでは表面的交流にとどめて深入りしない付き合いばかりひろがっていくきらいがある。それはそれで、社会人の処世術として必要なわけだが・・・たまには職場においても感情的交流を持てる相手ができることがある。
 今日飲んだ後輩はそういう相手であったわけで、別れに際してもう少し飲みたいねということになったわけで。
 仕事という「公」の場で出会った相手とは「私」の部分の話はあまりしない暗黙のルールがあることが職場で感情的交流を持てる相手が少ない所以であろうが、この後輩とはその辺も話せるわけで心地よい飲みになった。
 お互いの人生論も語りつつ、今後ともがんばっていこうねと。
 うん、がんばっていってほしい。
 今日はありがとうねと伝えたい。

2008年03月30日

3月から4月にかけてのあごニキビ

 3月から4月にかけて、みなさんにとってどんな時期だろうか?

 桜の季節・・・確かにそれはそうであろう。この週末はとっても桜がきれい。ここ関東地方ではほぼ満開で絶好の花見日和だった。

 また、4月からいわゆる新生活に突入する人も多いだろう。

 4月とはそんな時期だ・・そう、日本においては。4月から社会人になる人、大学に入る人、高校に上がる人、中学に入る人、また、社会人においても、新しい部署に移る人、転職して新しい会社に入る人、それぞれだろう。

 まぁ、日本では12月から1月にかけての「年」の変わり目が、実家で年越しをする、年末年始の長期休暇にて海外で年越しをするなどのいわゆる「私」(プライベート)の部分での年の変わり目の意義あいが強いのに対し、この3月から4月にかけての年度の変わり目は、前述のような「公」(パブリック)の部分での年の変わり目の意義あいが強くなる。学校を卒業する、入学する、職場が変わる、同僚が変化する等々である。

 最近は、ガソリン税の暫定措置の期限が、今月いっぱいということで非常に政治的に緊迫していることが報じられているが、これも「公」的な年の変わり目が3月から4月にかけて設定されているという象徴的な出来事だろう。

 ともあれ、「私」の部分での年の変わり目が、まぁ、一般的に楽しいことが多いのに比して、この4月の「公」の部分での年の変わり目は必ずしも楽しいとばかりは言っておられないことが多い。新環境でやっていけるかどうかの不安があったりして、わくわく半分はあろうとも、不安半分はきっちりあるという複雑な心境で落ち着かなかったりするものではないだろうか。

 まぁ、そんなわけで、私自身も3月から4月にかけての年度変わりは落ち着かず、また、その気苦労からストレスもたまるのであるし、確かに、この時期、気疲れはあったりするわけで。

 私などは社会人生活も長いし、まぁ、いろいろ思うに任せぬことが多い人生を歩んできてしまっているため、まぁ、慣れたところかなぁと思っていたが・・・

 最近、どうも「あご」にニキビができてしまう。なかなかに治らないなぁと難渋していたので、。ちょっと調べてみたんだよね、「あご ニキビ 原因」というワードで検索をしてね。たいした結果は期待していなかったのだが、意外にもぴったりの理由が出てきた。

 あごのニキビはおとなニキビと言われるものらしい、そう、大人になってストレスなども原因となりできるものであるとのこと。

 なるほど、それならわかった。年度変わり、慣れていると思っていたことであったこの時期の気疲れがストレスとなって、あごニキビとして出てきたのか得心がいった次第。

 まぁ、なるべくゆっくりと・・・やっていこうかな。そんな風にニキビ薬を塗りながら思った次第で。

2008年03月26日

独学で簿記3級

 今日、平成19年度 第118回簿記検定試験(平成20年2月24日)の結果が出まして、3級に合格していました♪

 率直にうれしいです。

 2級も同時に受けていたのですが、こちらはだめでした。まぁ、年明けから簿記の勉強を始めたので、これはしかたなし。

 3級は大丈夫かなという思いもあったのですが、やはり、模試を経ないでぶっつけ本番でしたので、本番では、落ち着いてやれば問題ない大問に時間の焦りを感じてあわててしまい、どうにも、受かった気がしなかったため、受かってよかったぁと、よろこびひとしお。

 まぁ、ふと思い立って始めた簿記。年明けからの1ヶ月ちょっとの勉強でしたが、何とか間に合ったというところでしょうか。

 電卓も新調したりして、実際、電卓を早く打てるかどうかも合否に大きく関わってくるところでしょうか。

 ともあれよかったですわ。

 次は2級を目指してみようかな。

2008年03月10日

東大への道を歩く

 昨日の日曜日の散歩の続きを語ろう。

 麹町の東京グリーンパレスでたらふく食べた後、その後はいわゆる東大への道とでも言うべき道を歩いてみた。

 東大への道なんてものがあるのか?そういう道がかつてあったのだ。

 そういえば、雑誌「AERA」最新号(3/17号)で「東大卒「人生格差」」という見出しがあるようなのだが・・・

 世の方々は東大に入ればすべて安泰という考えをお持ちなんだろうか?多分そうなんだろう。
 であるからこそ、そう、東大信奉とでも言うべき社会通念を頑迷にお持ちだからこそ、こんな見出しが成り立つわけだ。

 なるほど、東大に入れば世間一般で言うところのエリートコースの世界には入りやすいだろう。しかし、エリートコースに入ればそれで左うちわで生きていけると思われているのがおかしいところで、そういう道に入ったら入ったで例えば眠れない日々が待っているというわけで。それを乗り越えるのは自分自身なわけで決して東大が力を貸してくれるわけではないからね。

 だから、私から見れば東大信奉などは若干現実性に薄いと思うのだが・・・

 ということを語るするのも、麹町で食事を力一杯しながら思い浮かんだフレーズが「番町・麹町・日比谷・東大」というフレーズだったから、その道を歩いてみようかと第一の散歩ルートを定めたため。

 そう「番町・麹町・日比谷・東大」というのはいにしえの東大信仰を表す言葉であり、まぁ、番町小学校、麹町中学校、都立日比谷高校を経て東京大学に合格するというのが、今で言う受験キッズやお受験ママの夢のコースだったから。そのために越境入学をさせることが流行ったなんて聞くんだけどね。高校の偏差値と受験: かつてのエスカレーターコースは今?という記事は実際にそのコースを目指してこのコースに乗ったひとの体験談である。
まぁ、都立日比谷高校が東京府立一中だった頃の威光が残っていた頃の話だから、もう何十年も前の話になるんだが。調べてみると1950~60年代での東京大学合格の全国一位が都立日比谷高校だったらしい。その後、あまり評判のよくない学校群制度を取り入れた都立高校が進学成績において凋落の一途をたどって、日比谷高校も学区のトップ校ではあるものの東大合格者が激減してからはそういう話もなくなったようだが、まぁ東大信奉というと先の「番町・麹町・日比谷・東大」という言葉が思い出され、せっかく近くまで来たんだから行ってみようかと歩き始めた次第で。

 番町小学校にまず行ってみる。千代田区立である。千代田区といえば私が小学校で習ったときからもそうだったように昼間人口に比して夜間人口が極めて少ない土地柄。校庭を眺めてもそこに土はない。狭く囲われた固いグラウンドの空間である。セキュリティ面では優れているのだろうがここまで囲われていては、ちょっと刑務所内の運動場のようにさえ連想させてしまうが、このへんの地価を考えれば仕方ないことはわかる。その分、校舎は非常に新しい感じで外に掲示されているし、掲示されていた校内活動報告も立派で、やはり周りの富裕層が通っているのがよくわかる感じに感じられた。調べてみると、麹町ウぉーカーNo100(番町小学校)に詳しいが、とても歴史のある名門校らしい。なるほど。また、このへんの地名が二番町とか四番町など、~番町という地名で・・・なるほど、そこから番町という地名になったのかなという推測がついた。

 次に麹町中学に行ってみる。こちらは番町小学校よりも広い感じ。周りにはホテルなどが多く、私が行った日曜日は就職活動帰りなのかなぁという感じのスーツ姿が目立ったりした。校舎は古い感じである。番長小学校から麹町中学に行く途中の麹町界隈には参院議員宿舎があったり、どうにも、政治色が強く感じられる。こういうところで小中学校時代を過ごせば、どうしてもゆくゆくは政治家を目指してしまうかもしれない。そのためには政治家を実際的に補佐する行政官僚を目指すのが近道であることは今も昔も異ならない、となると東大に入ろうという志向に直結するのは疑いないのかもしれない。


 お次はかつてはその東大への直結校的意味合いのあった都立日比谷高校である。府立一中という府立高校ナンバースクールの正当的流れをくむ日比谷高校は、今で言う開成高校や灘高校などに比肩するような圧倒的な東大合格率を誇っていたわけで、そのような威光は、例えば、井上ひさし氏の小説「青葉繁れる」などを読むとよくわかる。番町小学校ここにいたると場所的にはもう国会議事堂のすぐ裏ともいうべきところにあった。自民党本部なんかも見えちゃいそうだし、ぐるっと回っていくと料亭なんかが並んでいる道に出ちゃったりして、そして私は国会議事堂前の地下鉄駅に着いてしまったりしていた。こうなると、前述のような政治志向もあいまって、いやがおうでも日比谷高生は東大を目指してしまってしまったのではないだろうか。最近は学校群制度も廃止されてきており、日比谷の復活の線も出てきているようである。

 まぁ、こんな感じで実際に東大への道を歩いてしまったわけだが、なかなかに興味深いものがあった。実際に歩いていみると、なるほど、そんなものかなぁと肌で感じられるようなところもあったりもした。昔の受験生たちの息吹を肌で感じられるような気もしてね。 その道を歩ききった者が幸せになったかどうかは定かではないが、多くの者がこの道を歩きたがったということも事実であろう。

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2008年03月07日

銀座で旧友たちと会う

 今日は銀座で大学時代の旧友および後輩たちと会合。

 後輩の一人が結婚したのでそのお祝い兼ねて集おうということで。

 銀座などというしゃれた場所に行くのは本当に久しぶり。妻同伴での銀座。妻と銀座に行くなどということは本当に久しぶりだ。

 予約してもらっていたお店が、ぐるなび - 串焼き・豆冨料理 つくね十番 銀座店である。

 コース料理で予約してもらっていたが、さすがに銀座のお店、サービスがソフィスティケイテッドされており丁寧、料理も非常に美味しいものばかり。

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  お酒も、飲み放題コースだったので遠慮なくいただけたし・・・

 焼酎のそろいがよかったので、さつま美人のお湯割り、黒伊佐錦をロックで一杯という感じで、あとはビールを。

 そして、やはり、久々に会う、旧友および後輩たちとの語らいはとても楽しかった。

 結婚した後輩夫婦は本当におめでとうと思う。

 それぞれにみんないろいろ抱えながら生きている。それらがこういう瞬間にクロスして、共感するなりなんなりして、また日々の生活に戻る。それでいいんだと思う。

 明日からもがんばろうと思えるわけだ。

2008年02月26日

栄養ドリンクに感じる悲しみ

 今日は国立大の2次試験前期2日目だったりしますね。受験生の皆さんお疲れ様です。

 中学生の頃、高校受験を控えて、高い栄養ドリンク・・・ほら高いと何千円もするのもあるくらいで・・・をげん担ぎもあるんでしょうが、飲んで試験に挑むなんて話をよく聞いたりして。

 まぁ・・・私はあまりそういうのを信じてはいないし、実際、栄養ドリンク自体にそこまでの期待をする人ではないのでそういうのは無縁で来たりしていましたが。もちろん受験の時も栄養ドリンクなどは飲んできませんでしたが。

 私が思うに栄養ドリンクっていうのはカフェインの摂取による元気になった気がするという感覚的なものがの効用なのではないかと思う。その意味では、コーヒーを飲むのと有意な差が出るのか?という疑問がついてまわっていたので。

 この前までのややがんばらねばならないことで、やや寝不足もあったりして、栄養ドリンクでも買ってみようかと・・・まぁ、老いたということかな(^-^)

 ということで・・・

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 買ってみました(^-^)でもね・・・でも、すべて100円ショップ系で100円程度で買いそろえたところが、まぁ、あまり栄養ドリンクに重きを置いていない証左のようなもので。

 赤まむしとかスッポンとか、微妙に効きそうな気がしてね(^-^)でも、私の体感としては効果のほどははなはだ疑問。少なくとも元気もりもりというわけではなく。

 私としてはせいぜい疲れたらコーヒーを飲むくらいでがんばりたいかなぁというのが本音。ま、疲れたら寝ることですな、それが一番の良薬と実感。

 今日、テレビ東京系の「ガイアの夜明け」という番組で「揺れる仕事の現場」ということで、残業を減らす工夫、仕事と家庭等について特集されていた。やはり、日本の勤め人は仕事に没頭しすぎなきらいがあるようだ。栄養ドリンクを飲んでもがんばってしまうのならばそれは悲しい。栄養ドリンクを飲んでまでがんばらなければならないのであればもっと悲しい。

 栄養ドリンク業界は右肩上がりなのだろうか?もし、そうなら、そこの社員は栄養ドリンクのお世話にならずに済んでいるのだろうか・・・それとも・・・

 受験生が栄養ドリンクを飲む時、それはまだポテンシャルがあって喜ばしいが、無理してがんばるために飲む栄養ドリンクには悲しさを禁じ得ない。

 複雑な気持ちのもと、この3本は美味しく頂いたことはいただいたわけですがね。

2008年02月06日

映画「父親たちの星条旗」を見た、とってもいい映画である

 映画「父親たちの星条旗」(父親たちの星条旗 - goo 映画父親たちの星条旗 | 硫黄島からの手紙

 非常にいい映画だった。昨日見ていた映画はこれだったのだ。

 クリント・イーストウッド監督による日米双方から描いた硫黄島2部作ということであるが、今日の一語り: 映画「硫黄島からの手紙」を見たで語ったように、一つは見たのだ。

 そこで痛感したのが、やはり、戦争のむなしさである。「硫黄島からの手紙」の方は日本からの視点であるが、戦争というものがこれほど矛盾に満ちたものなのかということをまざまざ座と実感させられた。

 さて、今度はアメリカの視点からの硫黄島の戦いを描いた、本作「父親たちの星条旗」・・・これもまた、同様の感を抱かせるものであった。

 そう、勝者アメリカにしても、硫黄島の戦いは多くの傷を残したものであり、そしてこの映画で非常に特筆すべきは、勝者の中で英雄(HERO)として祭り上げられた3人の兵士も、また、必ずしも幸せになれなかったという実話に基づくプロットである。そう、戦争という殺し合いは、勝者にとっても何も生まないどころか傷を残すものなのだということ。そこが新鮮なプロット立てだ。

 いつものことながら、戦争あるまじき、そのような思いが実感される映画だ。

 まぁ、戦争によるHEROのむなしさというロジックとしては、スピルバーグ監督の「プライベートライアン」に通じるところがある。まぁ、「プライベートライアン」の方が迫力としてはあったろう。

 しかしながら、この映画も同じロジックながらも、違った状況であるのが新鮮である。

 平和を考える上でも、ひとつオススメの映画と言えるのではないだろうか。

2008年02月01日

旧友と飲みシンパシーを覚えつつ

 昨日は仙台から来た旧友と呑んだのだ。この旧友が関東に来る用事があったとのことでコンタクトを頂いたからだ。

  私が仙台に行った時にはこの旧友とお茶を飲んだ(今日の一語り: すごくうれしかった旧友との再会参照)。その際非常にシンパシーを感じ合えたものだが、今回は、夜での会合ということで、呑みながら語り合いは、アルコールも手伝い、大いにお互いシンパシーを覚え、あっという間に時間は過ぎ、楽しい時間を過ごさせてもらった。

 普段は互いに違う人生を歩んでいる。そこでいろいろな人生の事象に出会い苦心したりしながら生きてきている。そういう二人がこのような機会にクロスすると不思議な共感が生まれたりして、とても会話が盛り上がるものである。そこに得られる共感というのはかなり深いものである。

 お酒もすすんでしまったかもしれない(^-^)でも、悪酔いしないものだ。

 遠くから来てくれた友人には本当に感謝したい。ぎりぎりまで会えるかどうかの返事を保留してしまったが、快く来て頂いて、本当にうれしかった。本当にありがとう。

2007年11月30日

夜更かしペースに昔を思い出しつつ、でも空回り

 そういえば、その昔、北海道で単身暮らしていた時・・・やはり、このように深夜まで起きていたことが多かったと思う。

 まぁ、パソコンに向かったりしていて夜更かしということも多くあったのだが・・・氷の世界(北海道は雪の世界と思われがちだろうが、実は氷の世界と思って頂いた方が近いだろう)での単身生活の憂さ晴らしや寂しさ紛らわしに、パソコンはもってこいのツールで、インターネットに目覚めたりしていたのだ。いろいろ学ぶべき技術が多くあって楽しかった気がする。いくらやっても飽きなかった。

 となると、帰ってくるとひとまず眠くなって寝てこれくらいの時間に起き出して、パソコンをやっていたりしたものだ。そのころは、自分で言うのもなんだが、パソコンの腕やインターネット技術の習得具合は目を見張らんばかりであったのは周りからよく言われたことだ。まぁ、氷の世界での単身生活で、もちろんそれなりに楽しかったものだし、いろいろ旅行にも出かけたので、引きこもりというわけでは決してなかったが、若さもあり、それだけの時間もありというところか。

 最近もその夜更かしペースになってしまっているのだ。

 でも、なんか空回りの感が強い。

 ぼーっとパソコンをしたりしながら、夜更かしになってしまうことが多かったりする、その分、夕食後寝てしまったりしているのは昔同様。

 ただ、北海道時代みたいにエンドユーザーレベルで学ぶことがたくさんあるわけではない。エンドユーザーレベルでやれることはかなりやってしまったし、それ以上を目指しても・・・なんだかなぁと・・・なんだか空回りなのだ。

 事実、この一語りも続けてはいるものの、続けているだけというところ。読者も減少傾向にある。昔はもてない男としてならしたものだが(^-^)ま・・・。

 まぁ、ぼーっとやっていこうかと思うが、夜更かしペースは是正したいところ。昔を思い出すのもいいけど、これからが問題だから。

2007年09月29日

いわゆる大団円的なるストーリーは必要であるが、それは虚構であることも分かっておこう

 今日の一語り: NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」は結構いいかな で語ったが、実はここ数ヶ月、NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」を見続けている。今日がその最終回。

 今日の一語り: NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」は結構いいかな で語ったとおり、本当に大団円的なる終わり方。みんなが幸せになっておしまいという感じでね。

 妻と一緒に見続けていたわけだけど、まぁ、二人とも感じたのが、どうもご都合主義的なハッピーエンドへ向けてのやや強引とも言える流れを作り上げていたなぁと感じたことは確か。

 まぁ、大団円とはかくあるべしと言えるドラマで・・・この厳しい世の中、こういうドラマがあってもいいなと思った次第。

 ほら、最近のドラマは、あまりいい終わり方をしないことが多い・・・シニカルな終わり方というかね・・・厳しい世相を反映してあまり大団円的なる終わり方であると、あまりに空々しすぎるからだろうか。しかし、今の若い人たちが、いわゆる大団円的な結末を知らな過ぎると、ハッピーな未来を思い浮かべることができないじゃない?だから、こういうドラマも必要。そんな風に思う。

 救いの少ないこの世に、虚構の世界だけもハッピーを。それは間違っていない。ただ、見る方も、それは虚構なのだときちんと分かっておく必要があるわけでね。そして、虚構は虚構として明日からの厳しい毎日を耐え抜いて行かねばならないわけだよね。

2007年09月20日

そしてゲームをやらなくなったわけで

 東京ゲームショウが千葉幕張メッセで始まったというニュースが今日大々的に報道されているようである。

 要は、過去最高の参加社数ということもあるようだし、任天堂Wiiのひとり勝ち市場をソニーPS3、マイクロソフトのXbox360らが追っているということらしいが・・・。

 若い頃、そう、学生の頃や、社会人になってから10年近くは、本当にゲーム好きだったんだよね、私。

 家庭用ゲームは、買ってもらえる家庭ではなかったから、独り暮らしを初めてからお金を貯めて買ったりもしたものだが・・・やはり、ゲームセンターが好きでねぇ。それは、学生時代の私を知る人であれば納得いただけるところだろう。

 あとは、ダンスダンスレボリューションにはまっていたのも、あったわけで・・・ゲーセンで踊りまくっていた頃もあった。

 この一語りのカテゴリーにもなっている、クイズマジックアカデミーというゲームにはまっていた頃もあった。もう3年以上前になるのかな。

 それから、なんかぱたっと終わってしまったのだよね。私のゲーム熱が。そう、3年以上にになるかな。

 たまーに、ごくまれーに、妻と気晴らしにゲームセンターに行ったりするも、気晴らし程度でしかない。

 以前の、ゲーセンがなければ生きていけないくらいのパッションは今はない。

 そして、家庭用ゲーム機も今は家に全くない。

 妻とつきあい始めたあたりからかなぁ、ゲーム熱がさめたのは。

 妻という存在ができたからか、人生が忙しくなったからか、はたまた、このようにインターネット上での表現で充足されているからか(といっても、インターネット上の表現はゲーム熱と併存していた時期もあるわけが)・・・

 ま、そんなもんなんだろう。ゲーム・・・その仮想世界は逃避には良いが、現実と向き合うトレーニングにはならない・・・そんなことに気づいたからかもしれない。

2007年09月07日

自然の力を実感

 今回の台風を通じて、自然の力のすごさというものを実感した。

 昨日の一語り「台風雑感」にて、自然の猛威に比しての人工物の弱さを感じると語ったが、一夜明けての報道で、酒匂川に架かる橋がおれてしまっていたり、道が削り取られているのを見るに、なるほど、昨日感じた直感はその通りだったんだなとさえ感じる。

 自然の猛威というものは実は幼き頃の原体験として強烈に感じた瞬間がある。

 私が・・・小学生の頃ね、習い事のために出かけた先からの帰り道、強い雨の降る中、暗いバス停でバスを待っていたんだけれども・・・バスの終着点で、ほかに待っている客もなく、私ひとりだったんだよね。その時、突然、どっかーんという、それこそ飛び上がるような音と共に、目の前が瞬時にストロボをたいたように明るくなったんだよね。その時目の前に見えたんだよね、火の玉みたいなものが道を転がるのを。

 そう、後で考えてみると、雷が目の前に落ちたんだよね。ほんの数メートル前に。

 私は、雷は避雷針のような高いところの金属に落ちるものと、素直に思っていたから、周りに高い建物がたくさんあったしアンテナも立っていたから、そういうところに落ちるものだろうと思ってたんだけど、そうではなかったようなのだ。

 あと数メートルずれていたら私に直撃していたんだろう。そして、私はいまここで語っていなかったかもしれない。ある種の運であろう。

 自然の力の前に人間のできることは限られているのかな・・・そんな思いを原体験として持った気がする。

 だからこそ、今回の台風という事態でも、必要以上に緊張もしなかったのかもしれない。

 自然の猛威を避けるべく努力はしても、それでもなお避け得ない自然の猛威にさらされたら、あとは運でしかないのかなという思いもあるから。

 そんな、自然の力を実感させられた今回の台風。

2007年08月26日

ゆっくりと過ごした日曜日にオヤジになったことを感じるわけで

 昨日は本当に夫婦共々具合を悪くした感じのことを語ったわけであるが、どうやら、昨日よく眠ったおかげで今日はかなり快復したようである。

 二人ともそれなりに朝から元気。元気に昨日焼いた自家製パンを食べたりしていた(本当は昨日食べきる予定だったのだが、妻もなかなか食欲がでずにおかゆに走ってしまったわけで・・・余っていた)。

 妻は、ひさびさに友人達と会う約束があるということで、昼前には出かけていったわけで、疲れは未だ残っているようではあったが前々からの約束にて出かけていくのをちょっと心配しながらも見送ると、ひとりになった日曜日。

 ひとりの日曜日なんて、久方ぶりなわけだが・・・まぁ、私自身も元気もりもり全開というわけでもないから、テレビを見たり読書をしたりとゆっくり過ごす。

 昼も自炊してもよかったが、やっぱそれも疲れるので、近所の中華料理屋へ外食に行くというゆっくりペースで。そこに置いてあった雑誌AERAを熟読したりしながらゆっくり食事をしたわけで。そういう雑誌って自分で買うほど読みたくもないけど、そういうところにあるのを読むのはなかなかいい感じ。2007年8月27日号であるが。

 なかなかに面白い記事もたくさん。特に興味を持ったのが・・・「確執 妻の実家は超理不尽 もう「ムコ殿」ではいられない」という記事とか・・・なんだか大変に理不尽な話がわんさか出ていて、大変なところは大変なのかと感じてみたり。まぁ、極端な事例を挙げるのがこういう雑誌の手なわけで、その点はまぁ、ワイドショーを見る感じで見ていればいいわけであるが。

 あとは、「社会 写真ルポ「富と幸福」2007年 格差の夏を歩く 三浦展が語り下ろす格差新局面」とかも面白かった。格差論は非常に興味のある分野だし、この記事を書いている三浦展さんは2006/10/8一語り「新書「下流社会」が面白い」で語った新書の作者だったりすることから。写真でミリオネアと底辺の方々との格差をドラスティックに描き出すとこれほどまでか・・・と極端な事例を挙げるのが手とはいえ、やや悲しくなってみたりもしたり。

 昼食の私のひとり外食は、貧乏な我が家にとってちょっと痛かったけど、こうやって雑誌拝読料という考え方をすれば、高くはないのかもしれない。

 中華料理屋を出てからは、家に帰ってまたクーラーをつけるのも電気代がかかるかぁとファーストフードのお店まで散歩。読書を続ける。最近のファーストフードハンバーガーチェーンは100円で楽しめるから、貧乏人としては助かる。しかも、クーラーはがんがんに効いている。まぁ、ファミリーやキッズが駆け回っているのを我慢できれば、それはそれで憩える場所だ。少なくとも、自宅にこもっているよりは気分転換になる。

 読書が終わって家に帰る。うたたねなどしていたら、妻が帰ってくるとのこと。迎えに行ったりしながら、買い物をして帰る。

 妻も、友人達と楽しいひとときをすごして体調が完調に戻ったようで、よかったよかったと。私も、ゆっくりしたおかげで完調に戻っている様子。

 独身の頃は、ひとりで家でゆっくりという週末はほとんどなかったと思う。なんかしなければもったいないという意識と、独り身をかこいながら家に引きこもってしまっていたら、なんだかだめかもという意識のもと、例えばプールに行くとかスポーツセンターに行くとかしていた。

 でも、今は・・・そう、こんな風にゆっくり過ごしてしまった。

 まぁ、実際に体調を崩していた昨日があったので、今日は本当にゆっくり過ごしてしまったわけだけれども、まぁ、オヤジになったなぁと感じてみたりする。そのうち、ファーストフード店での一服が蕎麦屋で焼酎を一杯とかなってしまったらまじでオヤジだね(^-^)

2007年08月02日

妻がお葬式に行った日

 今日は妻を送り出すために朝5時半起き。一語り「新婚旅行に出かける」で語ったように、妻の田舎が新潟にあるのだが、妻の祖父がお亡くなりになったとのことで、妻がお葬式に参加するためである。

 昨年夏の新婚旅行で、私たちを招いてくださり、歓待してくれた祖父母。その祖父がお亡くなりになったとのことで、私としても衝撃は禁じ得ず、その死が悼まれてならない。

 ということで、昨日から妻らの切符を手配したり、送り出したりということでばたばたしていたわけで、昨日の一語りのような状態になった次第。

 今朝は妻を送り出して、また、日帰りの遠路の旅を経て疲れて帰ってくる妻を迎えるために、久々の自炊。ただ、やはり夜遅くなるので、やや時間があったので、このいとまを逃さず少しは鍛えようと、スポーツクラブのプールに行き125mほど泳いだりして帰ってきて、夕食を作ってみたりしていたら・・・妻が帰ってきてしまった。

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 ピザはホームベーカリーで生地を作ったりしながら、ぶりの照り焼きに挑戦したり、カツオのたたきは簡単だけど。まぁ、自炊して夕食に。

 妻が働いていた頃は、帰りがよほど遅かったから、私が運動した後に、こうやって食事を作っていたことを思い出したり。

 今日はそんな日であった・・・早起きもしたしね。

 妻の祖父、安らかにと願っている。

2007年06月25日

水曜どうでしょう2006新作を見られた♪そして、振り返るものものもある

 北海道ローカルのバラエティ番組「水曜どうでしょう」・・・ここでも何度か語ってきたし、私が10年以上前に北海道に住んでいた頃はまってしまって忘れ得ずにいたローカル番組である。最近は再放送を地方UHF局が放映しているので、関東圏でもテレビ神奈川などで見ることができるのであるが・・・。

 どうやら2006年の新作が作られたらしい。しかし、関東圏ではなかなか見られなかったのが・・・

 昨日から今日の、深夜・早朝時間帯において関東圏で初めて、テレビ朝日で放映されたのだ。ヨーロッパを回っているこの最新作が。

 うれしいのである。ばっちり録画してある。妻も「どうでしょう」フリークになってしまっているので、もちろん心待ちにしながらである。

 中身はなかなか面白い。まだ全部は見終わってはいないけれども。

 なんだか、ミスターは口数が少なくなってしまった。大泉と藤村Dの掛け合い漫才的様相を呈している。

 それを見ながら・・・なんか、年の流れを感じてしまうものがある。みんな年を取ったんだなぁと。

 私も北海道に行った頃はひとりで結構寂しかったものだ。もちろん楽しいこともいっぱいあったし、知人・友人だっていた。でも、寒い北海道での本土からわたってきての独り暮らしは別にいいことばかりじゃない。ホームページ作成というものを始めたのもそのころだ。そんなとき、水曜日の夜・・というか深夜だけれども、珍妙な音楽と友に始まるのがこの番組だった。そのころは私も若かったなぁと。そんな時からホームページ作成に心血を注いで今ここにある。

 まぁ、「どうでしょう」とともに私は歩いてきたようなものかなとさえ思えてしまうわけだ。

 たまには過去を懐かしむのも悪くない。

2007年06月21日

その道一筋ってすばらしいと思うな

 昨日放映された「バンビ~ノ!」を録っておいたので、今日見た。

 とうとう、主人公がパスタを作れた回。パスタを作るために、1年以上も修行をしてきた末であったため、そのうれしさが伝わってきてなんか感動的であった。

 ただ、その回の展開として、そんなに料理一筋でいいのか?という思いが主人公をとまどわせるのだが・・・

 やっぱすごいと思うんだよね。料理一筋なんてなかなかできないわけでさ。そこまで一筋になれるんであればほかに趣味がなくったっていいじゃないかと思うのだ。

 私は、そこまで熱中できることがあるのかと振り返るに・・・そうだなぁと迷ってしまう。

 仕事はいろいろまじめにやってきたつもりだけど、その道一筋ってほどの専門性はないんだろうなって思ってしまうと、この主人公のすごさがわかる。そこまで好きになれるのはうらやましよね。

 まぁ、私にとって一筋って言えば・・・ホームページ作成かな・・

 その一環としてのブログ作成に至っているわけだけど・・・要は、このページが私の一筋ってことかな(^-^;

2007年06月12日

うーん、世の中結局は金なんだけど

 最近、なにかにつけてとみに思うのが、世の中結局は「金」だなぁということ。

 なにをいまさらという意見もあろうが・・・やはりねぇ。

 今日見ていたテレビ番組「ビューティーコロシアム」でも、結局、コストが高いであろう美容術を施せば美しくなれるという典型だと思われたしね、昨日NHKのクローズアップ現代で特集された「セカンドライフ」というウェブ上の仮想世界がクローズアップされるのも結局そこで流通するリンデンドルという仮想通貨が現実の通貨に換金できることからビジネスチャンス・・・すなわち金儲けのチャンスがあるからこそ注目されフィーバーしているわけだし、ライブドア事件・村上ファンド事件は金を追い求めた結果の事件だったし、最近話題のコムスンの介護事業の話題にしても介護というもっともヒューマンな分野で金儲けをしようとしたことへの反発ということが起因しているだろう。

 そうなんだよね・・・単に生きるのも厳しい世の中になってきたところでね・・・金を儲けたものがすべて勝ちというような、直線的な単純な弱肉強食論理が復活してきているように感じるのだ。

 少し前までは・・・まぁ、お金お金言っていると拝金主義として、そう、拝金主義という言葉にやや軽蔑の念が感じられるように・・・あまり好ましく思われていなかったものだが。

 まぁ、私も、そもそも、あまり裕福な生まれではないから、お金にはかなりうるさい。どっちかといえばケチである。そして今、結婚しても、やはり贅沢はできないし、させてもあげられない。

 まぁ、金を得ることそんなに執着がないからだろうか。拝金主義というのがあまり好ましく思えていなかったからね。だから、学生時代学問として学んだものもあまり金にならない分野であるし、職も金儲け主義では選んでいない。そして、結婚も、妻の収入とかなにかとか全然考慮したわけじゃなかったんだよね。

 でもね・・・まぁ、世の中がこんなに金金という感じになってくると、ちょっと複雑な気分だ。要は、私の考え方が甘かったのか・・・と。

 僕はそうは思いたくはないんだよなぁ、実はね。

 妻と映画「ティファニーで朝食を」を見た。金のために金持ち男性を追っかける女性をオードリー・ヘップバーンが演じているが、最後には、金のない貧乏作家であるジョージ・ペパード演じる男に恋に落ちるというハッピーエンドである。この映画には拝金主義の否定がある。

 何十年も前の映画でそういう結論があるではないか。

 経済学という学問は結構興味があるし、人間を分析するツールとして金の面に着目する点はとても面白いのだが、人間は自分にとっての効用関数を極大化する存在だと無条件に仮定してしまっているのが、うーんとうなるところだ。要するに、端的に言えば人間は自分の金儲けに一番有利な道を目指すと仮定してしまっていることだからね。

 人間、そんなに経済的に合理的じゃないと思うんだよなぁ・・・もっと不合理な存在だからこそ、「ティファニーで朝食を」のような映画ができるんじゃないかなぁ。

 そう願いたいものだ。そう、不合理な部分が人間らしいところだと。

 まぁ、貧乏人のはかない願いなのかもしれないが。

2007年06月06日

料理はひとのために作るもの・・かな

 妻は、本当に料理とか家事とかよくやってくれているわけで・・・ほんと、最近では、家に帰ればご飯があるというのを当たり前にさえしてしまっている部分があるが・・・全く当たり前ではないのである。妻には感謝しているのである。

 独り身の独り暮らしの時代が長かった私はそのことはよく分かっているはずだ。

 妻が今日、料理は食べてくれるひとがいるから作る動機付けができるのだ、作る気になるのだ・・・と語っていた。

 なるほど・・・と思ったりした。当たり前のことなんだけどね。

 私も、ここでしばしば語ってきている、ケーキ作りやパン作りも、やはり食べてくれるひと・・それは妻であったり、客人であったりするわけだが・・・がいるから、これだけ熱中して作ってきたわけであり・・・それは妻も同じ感覚なんだろう。

 この前の日曜日、ひさびさに私が作った夕食。

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 妻が疲れていそうだったので・・・妻が食べたいと言ったラーメンを作ってあげた次第。なんか、なんつっ亭というところのつけ麺が美味しそうだったので、それを買ってきてね。あとは、ちょっと二郎風に、野菜の炒め物を作ってちょっとボリューム感を出してみたり。まぁ、野菜は妻が切ってくれたから、全部が私というわけでもないが。

 独身時代・・独り身の頃は、やはり作るモチベーションが上がらなかったものだ。まぁ、買ってきてすませてしまおうという気分が強かった。それでも、それなりに自炊していたのは・・独り身のもてない生活が長かったせいで、もてないならもてないなりに食生活くらいは充実させてやろうじゃないか、となればお金がなければ自炊でリッチにと思ったからだろう。

 料理はひとのために作るもの・・・その方がやる気が出ることは事実だ。しかし、自分のために作ることも決して否定するものでもない。私のもてない時代の自炊歴はこうやって妻が疲れた時にご飯を作ってあげるくらいのことには役に立つ。

 だから、どちらにしろ料理はやってみようよって言ってみたいわけで。

2007年06月04日

現代の仕事生活は監獄生活に近いものではないだろうか

 監獄に収監することが刑罰として成り立つのは、人がその意に反して自由に行動できないようにすることが人にとって苦痛だからということは言わずもがなであろう。

 以前、北海道に住んでいた時などに、博物館 網走監獄に行った際など、なるほど、それは大変苦痛だろうなぁと感じたものだ。

 さて、現代の私たちの就労生活はどうだろうか?

 私は、社会人になって初めて就いた仕事は、夜はエンドレスに近いものであった。平日に夜は夜9時に帰れればうれしいといった感じ。苦しいものだった。後は帰って寝るだけ。その眠りもわずかながら、また、仕事だ。土日は本当にその自由を満喫すべく、疲れているのに、いろいろ動いたものだ。山登りをしてしまったりね。今は転職し、幸いにも人心地を持てる仕事に就けているが・・・。

 妻も、就労中は、夜は遅かったらしい。実際私と暮らし始めた頃も、その時はまだ就労していたからその遅さは実感として分かる。そして、繁忙期など土日もなかったらしい。

 実際、現在の仕事生活・・・特に正規雇用者には多いことだと思うが、夜遅くまで仕事で、仕事による拘束時間が非常に長いことが多いのではなかろうか。平日は仕事と寝ることという感じの人も多いのではないだろうか。

 非正規雇用者は時間はあるかもしれないが、賃金が生活を支えることができないほど低く、生活を支えるために職を重ねればやはり時間はなくなり自由がなくなるだろう。正規雇用者にしても、平日は仕事と寝ることに終始する仕事による拘束時間のことも多くあろう。

 言ってみれば、今の人たちの仕事生活は、その意に反して自由に行動できないという点で、かなり監獄生活的とも言えるのではないかな。少なくとも平日は。

 

2007年05月31日

ダイジョウブと大丈夫と東北・仙台の想い出

 2007/5/26一語り「妻と初めてのカラオケ」とかでも語ったように、最近、NHK朝ドラ「どんど晴れ」の主題歌になっている、小田和正「ダイジョウブ」という歌にはまっていることはここで語った。

 なんかいろいろな意味で安らぐなぁと感じていたのだが・・・思い起こせば私は、東北は宮城県の仙台にて学生時代を過ごした。

 東京生まれの東京育ちだが、なんか、東京のせわしなさっていうのはあまり肌には合わなかった。なんか追い立てられているようでね。まぁ、追い立てられるようにその都会のペースのまま受験競争にも巻き込まれて必至に走っていたんだが、それに倦んだことが私を仙台に向かわせたのかもしれない。仙台で、そう、比較的落ち着いて流れる時間に身を任せ、青春を謳歌できたという想い出の東北の地である。

 思えば、どんど晴れは東北は岩手県は盛岡が舞台・・・そこに小田和正の「ダイジョウブ」・・・小田和正さんは、やはり東北は仙台で学生時代を過ごしたわけで、私と共通するところがある。その中に安らぎを感じてしまうのは、必然に近いことなのかもしれない。特に小田和正さんは私と同じ関東出身で、東北に学生時代足を踏み入れたという部分で共通部分が多いわけだ。

 なんで、そんなことを今語るかというと・・・ふと思い出した歌い手さんがもう一人いたから。

 当時、地元のテレビ局の番組の折々に流れていたんだ・・・この曲が。

 JIGGER'S SON 「大丈夫」

 JIGGER'S SONって覚えている人いるかなぁ・・・この曲で大ヒットしたんだけれども、もう解散してしまっている。坂本サトルさんというミュージシャンがボーカルでね。当時、地元FM番組なんかでもいろいろ出ていたわけで。この方はかなり全国区で売れたと思うしいるし、今でも活動中だから知っている方も多いかもしれない。

 まぁ、このJIGGER'S SON 「大丈夫」を聴いているとね・・・仙台にいた頃を思い出すんだよね。曲と共に条件付けられた想い出が。

 仙台には妻と早春の頃に一緒に行った。2007/2/12一語り「青葉城に登る ~妻と一緒に想い出の落ち穂拾い、仙台旅~」などで語ったところだが。まぁ、実はいいことばっかじゃなかったよね。初めての独り暮らし・・・この東北の街に一人放り出された時の寂しさは妻もやはり一緒に行ってみて共感していたようだ。「ここに一人来てしまったらそれはそれでねぇ」といった風に。確かに寂しかったんだよね。独り暮らしという自由さとの引き替えのロンリネスというわけだ。

 でも、そこからいろいろ動いて生きていく中で知己も得た。考えてみれば、私の結婚式に呼んだ友人たちの多くが、実は仙台がらみの人たちでもあった。一人飛び込んだ世界で、一から始めた世界で、だからこそ、思い出深く、そして深い意味での知己を得られたんだろう。

 そんな時に流れていたのがこの「大丈夫」なんだよね。なんかテレビをかけていれば流れていたような想い出があるからね。

 このJIGGER'S SONのボーカルの坂本サトルさんもね・・・学生時代に仙台で独り暮らしをした人なんだよね。そのときに、JIGGER'S SONを結成したわけで。小田和正さんもしかり・・・そして、私もしかり。

 なんだか、「ダイジョウブ」に「大丈夫」・・・どっちも、おなじ読みというのが奇遇。そこに仙台という要素も合致しているのがまた奇遇。

 この二つの曲を聴きながら、やっぱ、仙台ってよかったよなぁと思い返す。私には非常に合っていたんだろう。温かい感じだったんだよなぁ。

 単なる懐古調ではなく、東北ってやっぱり気候が厳しい分、人は温かいと思うよ。そして、この仙台ゆかりのミュージシャンの二つの曲を聴くに思うんだ。

 大丈夫!!明日もがんばろう。

 

2007年05月28日

食と生への執着と平和について

 私ももう30歳代中盤の年頃で、年相応に食が細くなってきていて、昔ほど食べることができないにもかかわらず、大盛り・デカ盛りネタには飛びついてしまう。

 かの人気番組TVチャンピオンでのデカ盛り王選手権の番組にも釘付けになってしまうし、さっきまでデカ盛りの店検索をしては「萌え~」な感覚を持ってしまっていたわけだが。

 そんな風に、ご飯は大盛り、お代わり自由だと目を輝かす私を見て、以前友人が「あなたは本当に一生懸命生きているって感じだよね」という表現で私を評していたことを思い出す。

 その友人が言うには、食べるということは生の基本であり、それにそんなに一生懸命になっている私は、本当に一生懸命生きているんだと感じたということだ。

 なるほど・・・と思った。

 確かに、私は生へ執着していると思う。それは悪いことでは決してないと思う。一生懸命生きる・・なんとか生きる。そのためだけに今までやってきたようなものだ。生きてきた結果、妻とも出会えたわけだ。

 そして、私の生への執着は、同時に私の平和概念の基盤をなすものだと思う。

 実際、生への意識ゆえ、国のために死ぬのだという戦前の意識にはまるっきり賛同できないわけである。

 反対に現憲法への共感は深い。現憲法は、戦前の集団主義国家体制が国民を死地に追いやった反省ゆえに、個人の幸福追求という人権上当たり前のことを国家権力の侵害から守ることを宣言しているわけだから。

 しかし、最近はその憲法を変えようという国民投票法案を通過させてしまったし、また、特攻隊を美化してしまっている映画も上映され始めたようだ。

 ちょっと、どうなのかな・・・。

 現憲法が国民・市民の人権を踏みにじって死地に追いやった全体主義国家体制の戦前への反省に立っているものということを認識しているのだろうか。認識していれば、そうそう、変えようという発想が出てこようはずもないのではないだろうか。特攻隊で飛び立った若者たちは、戦前の全体主義国家体制によって死地に追いやられた犠牲者にほかならず、あたかも自ら死を選んだかのように思わせる映画の題名はどうなのだろうか。

 夕方、テレビを見ていた。ニュース番組の一環でデカ盛りの店を特集するようだ。その前後に、いろいろな局のニュースにて農林水産大臣が自殺したとの報も併せて放映されていた。生と死、対照的であった。

 デカ盛りの特集を見ながら私は生きていこうと思ったのだ。あそこにも行きたい、ここにもいつか行ってみよう。今日はちょっと風邪気味ではあったけれども、デカ盛りはそういう気力を沸き立たせてくれる。生きていなくては美味しいお店に食べに行くこともできないのだ。

 生きていくためには、平和でなくてはならない。平和を求めるのに現憲法以上のものがあろうか。戦後に、国民・市民を死地に追いやった全体主義国家体制の反省を一番よく感じていた戦後直後に作られた現憲法以上のものが。それを変えんとするのは、どうしても、生への志向とは思えない。

 食と生と平和・・・これらを守るために手に取るのは銃ではないと思うよ。

2007年05月25日

厳しすぎる世の中だから、「おしん」的ドラマが流行るのか

 今朝は、録っておいたドラマ「バンビ~ノ!」を見てから、仕事へ。

 そもそも、仕事前の朝は憂鬱になることが多いことも事実。元気になれるドラマを見てでも行こうかという気持ちは

 まぁ、このドラマを見ながら、いやいや、僕の仕事はこんなに厳しくもないさ、がんばらねばと思えたりするから、結構好きだ。

 しかしね・・・最近、この手のドラマが多い気がする。「バンビ~ノ!」は名門イタリアンレストランを舞台に、主人公が非常にしごかれるドラマだ。

 私がよく見ているところで、NHKの朝ドラ「どんど晴れ」だって、非常に「おしん」的プロットであるということは一語り「NHK連続テレビ小説「どんど晴れ」は結構いいかな」で語ったとおりだ。

 まぁ、ちょっと見ていたドラマ「生徒諸君!」にしても、主人公の女性教師が非常にいじめられるストーリーであることに変わりはない。

 また、前の前のNHK朝ドラ「純情きらり」にしても、あれほど主人公がこれでもかこれでもかと悲劇に落とし込まれるドラマはないのではないだろうかというくらい主人公いじめだった。

 そう、今あげた、最近のドラマの傾向として、主人公がいじめられるストーリーが多いのだ。そのオリジンはかの「おしん」にあるような気がしているから「おしん」的ストーリーと私はカテゴライズしている分野のドラマなのだが。

 そのようなドラマはどうして流行るか・・・それは、ドラマ上の主人公たちがいじめられているのを見て「それよりはましだ」「どの世界も厳しいんだ」とかある種のカタルシス、俗っぽく言えば憂さ晴らしができるから何だろうと思う。

 今の世の中・・・格差社会も進み、弱肉強食が進んできている厳しい世の中である。ごく少数の者は大きな成功を収めようが、落伍するとはい上がるのは容易なことではない。ほどほどということが許されないほどかけずり回されながらもそれでもようやっと生きていけるかどうかという感じさえする。たとえば、ホワイトカラーエグゼンプション法案などの普通の勤労者を絞り上げる法案が案として出てくることや、ホームレスやネットカフェ難民など、非正規雇用者の増加、フリーター・ニート問題にしてもその例になろう。落伍しないためには走り続けなければならない、そんな厳しすぎる世の中で、どうして、トレンディードラマのような衣食足りて楽しむ恋愛話なんかが楽しめるであろうか。どうしても、「おしん」的ストーリーにカタルシス・慰めを求めてしまうのではないだろうか。

 そんな厳しすぎる世相を反映しているのが、昨今の、「おしん」的ドラマの興隆に現れているんじゃないかな。そんな風に思えてならないわけで。

2007年04月16日

弱さを出すことの意義

 まぁ、私はあまり弱さを隠さない部分がある。隠せないと言った方が正しいかもしれない。

 参っている時は、参っている・・・そんな感じに語ってしまう。

 先日、非常に参った時もそれをここで語った。かなりアクセスが多かったように思える。暖かいコメントも頂けた。

 弱さを出してあまりいいことはない。

 つけこまれることもあろう、弱いやつだと軽蔑されることもあろう。

 ただ、私は「性質」(たち)として弱さを出してしまう部分があるわけであるが、悪いことばかりではない。

 弱さを受け止めてくれるということが結婚相手に求める第一条件だったわけだが、妻はそれを受け止めてくれる人であったため、絶対に離してはいけないとがんばったわけだが。

 ここで、フラれた嘆きを吐露する語りを語ったのを見た友人夫妻が、ならばと妻を紹介してくれたのがその始まりだったのだから。

 弱さを隠して、気丈に振る舞うこともすばらしいことである・・・これは衆目認める所であろう・・・私だってそういう感じにできればどんなにいいかと思わないでもない。

 でも、「性質」(たち)ゆえ、できない時も多いわけだから、そういう時は、弱さを吐露したっていいんじゃないかな。

 そこに人間性も出るし、親しみやすさも出るだろう。100%弱さを見せない人、隙のない文章なんてビジネスで見るだけで十分であるから。そして、100%弱さを見せない人間なんてある種の欺瞞を感じるくらいだから。だから、僕は弱さは見せていこうと思っている。

 このブログの魅力も、弱さの吐露というところにひとつあるんじゃないだろうか・・・

 私のもうひとつのホームページ「もてない男のその後の語り」も、まぁ、弱さの吐露そのままのタイトルというか・・・。

 貧乏だなぁとか、悲しいなぁとか、素直に弱さを出している所に、さほど、毎日面白いことを書き続けているわけでもないのに一定数の読者が来てくれている吸引力があるんじゃないかと踏んでいるのだが。

2007年04月09日

今日は、エアロビ。運動はしないとだめだねぇ。

 今日はスポーツクラブのエアロビ教室に行く。

 なんだか疲れていたし(これは主に気疲れかもしれないが・・・)・・・どうしようかなぁという感じであったが、思い切って行ってよかったかと思う。

 やはり、さっぱりするわけで。

 勇気を振り絞り、体重・体脂肪測定をすると、2ヶ月前より増えているということもなかったわけで・・・よかった。

 まぁ、少々無理しても、運動はしなきゃなぁと思った次第。

 生きていく上でのストレス・・・運動で発散できるのは確かだから。

2007年03月29日

うまくいかないんならば、桜の花を愛でてみようというスローライフ術

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 今日はとても晴れ渡ったので、桜を観に妻とお出かけ。こんないい感じの桜が観られて大満足。

 今年は桜前線はどこまでだ?と気にしながら最近を過ごしていたし、何回か近くの花が咲いているところを下見していたりもした。

 満を持してお出かけした今日、こんな素敵な桜が観られたのでよかったのだ。

 昨年はというと・・・2005/4/11一語り「私の花見の変遷」に語ったとおりだ。それを見る限り、ここ数年・・・だんだんと桜という季節の変わり目を象徴する自然の移り変わりに目を向けているのが分かる。

 桜の開花はまだかなぁと心待ちにし、咲いたら咲いたで観に行く。かなり暇な動作である。

 暇という言い方で語弊があるならば、最近はやりのスローライフな動きである。ちょっと若さを感じない部分もある。

 若い頃、ばりばりやっていた頃・・・たとえば受験でもいい、就職でもいいのだが、そういう時は、気ぜわしすぎて、花などに目を向ける暇はなかった気がする。外資系投資銀行等でのディーラー出身の幸田真音さんの小説に、そういえばこんな風に昼間道を歩いて自然を見るのなんて何年かぶりだろうか?と自問する若者の証券トレーダーの主人公が出てきたのを記憶しているが、今をときめくマネーゲームにいそしむ人たちには、想像もつかないスローな動きなんだと思う・・・桜がいつ咲くかなぁ、咲いたら観に行ってしまうような動きは。

 ちょっと風は強かったけれども、今日みたいに晴れた日に、桜を愛でられたのは、やはり素直にうれしかったし・・・このスローさはかなりのぜいたくなんじゃないかな。

 今年がすごく花を見たかったのは、ここ数日来語ってきている感情の揺れ、悲しみに関係ないことではないだろうし、また、加齢という要因もたぶんに入っていることではあるだろう。そして、なにかにそんなにあくせくしても、うまくいく時といかない時があるということで。そういう時はゆっくり花を愛でているのもいいものじゃないだろうか。

 また、最近貧乏話が多いが、実際お金に余裕はないので、桜を愛でるというのは、そこに行く交通費くらいでそんな出費にならないのでいいわけだ。

 タイミングが合わなければうまくいかないこともあるだろうし、うまくいかなくても・・・いいじゃないかというわけで。

 うまくいかないんならばスローライフというのに流れてもそれはそれでいいものだな・・・そんな風に感じたわけで。

 そういう充電を通じてまたがんばれるんじゃないかな。

2007年03月28日

悲しみを乗り越えるために二郎を食べる

 悲しみにひたっていることはここ数日来語ってきているが・・・

 もちろん、妻にも大いに聞いてもらっているし、友達にも聞いてもらっている。

 いろいろな方面からいろいろな励ましや意見を聞くと大いにカタルシス(浄化作用とでも訳すべきだろう)になってとても助かっている。ありがとう(^-^)

 ただ、私の場合、悲しみを感じるとそれが容易に怒りに転化してしまう部分がある。

 悲しみ転じてふつふつと怒りが・・・まぁ、分かっていただける方も多い心境かもしれない。

 そんな時、私は私で解決策を知っている。そう、食べることなのだ。

 しかも、普段は健康を意識してあまり食べないようなジャンクな感じのものがよいわけで、その方がカタルシス効果が高いようである。

 そのへんは妻もわかってくれているようである。

 そんなわけで、この前は怒りを持続しているくらいだったら、何か食べに行こう、そうだ、焼き肉がいい、行きたいと言っていた店があるじゃないか、それとも、食べ放題か・・・などと考えているうちに、やけ食いするにしても、焼き肉は高いし、食べ放題だとあまりおいしくないし・・・などと意識を食べ物に逸らすと、結構怒りも静まってきたりもする。

 ふと、妻が、たまにはおいしいラーメンが食べたいなぁとのことだったので・・・そこにインスピレーションがわいたのが・・・

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 ラーメン二郎のラーメンである。背脂たっぷりのスープはジャンク感満点だし、そのボリュームに、悲しみや怒りを忘れて食に専念せざるを得ないのが、また、悲しみを乗り越えるためには好ましい。

 妻も久々の外食のラーメンに舌鼓を打っていたようだから、まぁ、よかった。

 悲しんだり怒ったりするくらいなら、まぁ、食っとけ・・・それはそれで私なりの生きるすべである。とりあえず食わせておけばいいという部分で私をいなすときに妻もよく使う手である。

 まぁ、そんな自分を自分ではさほど嫌いじゃない。だから、今回も自分を治めるために外食に行くぞと妻を連れ出したのは私の方だし、それは妻も理解してくれているようであるから。

2007年03月27日

どうしようもない悲しみの時に、妻が持ち出してきたもの

 昨日、中原中也の「汚れつちまつた悲しみに・・・」の詩を思い出したことを語ったが・・・そんなすさんだ気持ちの時に、妻がいることは非常に慰められる。

 かの中原中也の詩を知っているか?と妻に問うと、ひとつの本を取り出してきた。中原中也詩集の文庫本。

 ちょっとびっくり。知っているかどうかもどうかなぁと思ったのに、本まで持っていたとは。なんか、すごい。

 もちろん、かの有名な詩も出ている。

 この詩は、むかーし、教科書かなんかで読んで、そのまま忘れていたが・・・どうしようもない悲しみのきっかけに記憶の糸がたぐられてしまったらしい。記憶のフラッシュバック。

 最初の一遍を引用したい。

「汚れつちまつた悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れつちまつた悲しみに

今日も風さへ吹きすぎる」

(『汚れつちまつた悲しみに』・・・・・・ 中原中也詩集 集英社文庫 p44より)

 心にひゅーるりーという風が吹くような気持ち・・・たぶん中也もそのような気持ちをこの詩に乗せたんじゃないかな。

 

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2007年03月26日

どうしようもない悲しみに

 いやんなってみました。

汚れっちまった悲しみに・・・中原中也の詩を思い出した。

とりあえず明日は休みを取った。

2007年03月19日

貧乏であってもなんであっても、生きているのが大事なんだ ~ドラマ「華麗なる一族」の最終回に思う~

 最近貧乏論を語ることが多いが、意外に性に合っているのかもしれない。語っていて気持ちいいというのは性に合っている証拠だろう。

 以前はかなり「もてない」論に凝っていたし、今は「貧乏」論かぁ・・・まったくなんだかネガティブイメージに吸い付く習性があるのかなぁ。

 ところで、昨日、ドラマ「華麗なる一族」の最終回を見た。迫力あるドラマだけに、最終回もさぞ・・・そんな風に思ったものだが・・・ちょっと期待はずれ。

 主人公の鉄平が、自死に至ってしまったのだが・・・死ぬ必要があったのだろうか。親であっても、華麗なる閨閥であっても、金であっても、すべてをかなぐり捨てて「生きる」選択肢があったんじゃないか?そんな思いばかりが先に立ったし、死に至る必然性がドラマの中のロジックでは理解しきれず。だから、期待はずれ。

 原作だとどうなんだろう。実は上巻は妻の親類の家にあったので借りてきているので、読んでみたりしているので、そちらのロジックで満足行ければいいのだが・・・山崎豊子さん原作だが、その昔、「白い巨塔」シリーズにはまって、読み込んだ時くらいのはまりこみ方になるかどうか・・・ドラマで見る限り、ちょっと説明不足な気もするし、「白い巨塔」ほどの説得力はない気もして。

 要は、主人公は、金もなくなって、格好良くそれこそ華麗に「死ぬ」方向を選んだように見えたのだが・・・それって格好良くないと思うんだ。

 貧乏になったって、親との縁が切れたっていい・・・格好悪くったって、生きる方がすばらしいんだと思う。華麗なる閨閥に生まれたからって、どうなのかな・・・あの終わり方は・・・そんな疑問が大きくあって。

 僕だって、今は貧乏だけどね・・・なんとか生きている・・・それでいいと思っている。

 「何で死ぬかなぁ・・」とつぶやきまくってしまっていたし、これには妻も共感してくれていた。

 そう、貧乏生活共同体の私たちには、なんだか、その華麗なるストーリーには共感し得なかったわけだ。

 2006/11/13一語り「結婚式挙げてきました(入場BGM)」で語ったように、「約束します。君を残して、僕は死にません。」というBGMにこだわるほど、生への執着を持ってつながった僕たち。妻の入院から始まった結婚生活を乗り越えて、だからこそ貧乏になっている僕たち。あんな風に華麗に散るストーリーは決して容認しがたかったのだ。

 なんであっても、生きているってすばらしいと思うんだ。髪振り乱して、必死になって、格好悪くったって、なんとか生きているのってすばらしいんだから。

2007年03月18日

家事の外部化を超えて、外部サービスを内部化することに、貧乏暮らしの技がある

 「家事の外部化」という概念がある。

 そう、平成15年版 国民生活白書にも、家事の外部化が進んだ結果、結婚しなくても不自由を感じなくなり、結婚へのインセンティブが低下しているという分析がなされている。ここで、家事の外部化の例として、外食をしたりすでに調理された食料品を買ったり、クリーニングに出すことが挙げられている(平成15年度版国民生活白書 第3章 デフレ下で変わる若年の家庭生活 未婚化、晩婚化の要因)。

 そう、料理するという家事、洗濯するという家事、それらを金を出すことによって業者にやってもらうということである・・・これを家事の外部化と言うわけだ。

 ただ、まぁ、我が家はお金に余裕がない。となると、家事の外部化を委託するお金がもったいないわけである。だから、妻は一生懸命、家事をやってくれている。

 そして、私も・・・

 今日は日曜日、私が早起きをして朝食を作った。

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 これである。 

 私の手作りのソーセージ入りロールパンに、エスプレッソコーヒーを淹れたカプチーノ。コンソメスープは昨日夕食に妻が作ってくれたものを使ったが。

 これだけのものは、言ってみれば、外で食べればいっぱしのカフェメシだろう。カプチーノだって、スタバで飲めば300円程度しよう。手作りパンを3個食べたら、どうだろう、300円くらいしちゃうんじゃないかな。スープも付いてのセットとなるとカフェで食べるといくらだろう・・・。

 ホームベーカリーはせいぜい5,000円で買ったものを使い込んでいるし、エスプレッソメーカーは少し高くて3万円くらいしたけれども、それは、独身時代に買ったものだから。

 私は、まぁ、ここでも、ステーキを焼いたり、手作りパンを作ったり、ケーキを焼いたり・・・要は、レストランなりパン屋さんなりケーキ屋さんなりがサービス業として行っていることを内部化しているととらえることができるんだよね。

 これって、結構痛快なんだよね。本当はサービス料を払って・・それは、自分で作るより割高なケーキの価格なりパンの価格なり、レストランの食事代なりで現れてくるわけだけど・・・享受しなければならない楽しみを、家で格安にできてしまう。

 外部サービスの内部化・・・これこそ貧乏暮らしの技ではないだろうか。

 もともと、パソコン自作をしたあたりから、外部サービスの内部化に目覚めたわけだが・・・そのバリエーションを広げているわけで。

 ケーキ作るにしろ、パン作りにしろ、それなりに手間はかかるよ。でもね、そこに痛快さがあるから続けられるわけで。

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2007年03月13日

当分は賃貸でいい・・・小さな夢をたくさん持てば

 まぁ、ここでよくお金に余裕のない話、端的には貧乏話を語り始めている最近だが・・・

 先週末、妻の親類の家に、無線LAN装置の設置に行ったんだよね。新居を建てたわけで・・・一軒家。その新居はすでに拝見していたわけだが、インターネット接続ができていないとのこと。新居は広いし、階が違ったりしてLANケーブルの配線に苦慮するということから、パソコンに詳しいと認知していただいている私に相談が来たわけで・・となれば、無線LANがよろしかろうとアドバイスし、機器を手配し、設置作業に妻と一緒に出向いた次第。

 PLC、電力線通信(コンセントを使って作るLAN)を試してみたかったが、電波障害等も否定できない部分もあるようだし、まだ新しい出始めの(枯れていない)技術で不安もあったので、きっちり枯れていい感じに円熟している無線LANがよろしかろうと思ったわけで。

 ただ、無線LAN・・・やっぱ一筋縄では行かないもので、なんだかんだと若干のすったもんだがあったが、無事に開通。電波が届かなかったらどうしよう・・・という杞憂は杞憂に終わったのでなにより。

 まぁ、単なるオタク的趣味でやってきた部分もあるIT・パソコン趣味。こうやって人のお役に立って喜んでもらえるのはなによりってことで。

 そんなことをしながら、やっぱり一軒家っていいよなぁとか感じたんだよね。

 ただね、持ち家を持とうにも、自分たちが結構大きなローンを組むほどの余裕はないなぁと思ったわけで・・・最近の貧乏意識へつながる。

 ただ、現在発売中の雑誌「プレジデント 2007 4.2号」を買って読んでいたんだけれども、それは「男の家計簿入門」という大見出しで、わが家の一大事を「経営のソロバン」で解く! との副題で、賃貸か持ち家か・・・そんな小見出しもついてきていて思わず買った次第。

 p.80~81にマネックス・ユニバーシティ社長の内藤忍氏の見解として「賃貸ならすべてのリスクを回避できる」というものが出ていた。「家を持つことは(1)流動性リスク、(2)ローン返済リスク、(3)実物資産への投資リスク」があるとして、賃貸の方がそれらを回避できるので良いのだという論。私も非常に賛同できた。無意識的・本能的に感じてきた持ち家ローンへの抵抗感は、この3点のリスク回避のためということだったんだろう。

 そんなわけで、一時は燃え上がった持ち家願望だが、当分賃貸でいいかと思ってみたりしてみた。まぁ、将来ビジョンを考えることは悪いことじゃないだろう。

 まぁ、話は戻って、妻の親類の家に行った後に立ち寄った妻の実家で頂いた夕食。

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 豚しゃぶである(^-^)我が家にはコンロもないので、こういうのは非常にごちそうに感じられる(^-^)とてもありがたいことである(^-^)ごちそうさまでした!!

 よし、今度はお金を貯めて、電磁コンロでも買おうか・・それも小さな夢。ちょっとやる気が出てきた。

2007年03月12日

探し求めた超強力粉を入手。明日の焼き上がりが楽しみだ

 2007年02月20日一語り「探し求めて高級なパン用小麦粉を入手、ささやかな楽しみが人生を生き抜くコツだろう」で語ったが・・・ここの読者が入れてくれたコメントで知ったパン用小麦粉であるゴールデンヨットを今日、とうとう入手した。そう、日清のパン専用小麦粉2kgを使い切ったので、いよいよ真打ちのゴールデンヨットを使ってみようと。

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 明日の焼き上がりが非常に楽しみである(^-^)

 非常に釜伸びがよいということなので、ふっくらできるんじゃないかな。

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2007年03月11日

終の棲家は見つからず、結局、最後はお金かな

 最近、お金に余裕のない話ばかりしているが、私たち夫婦が、諸処の波乱を乗り越えてきて今後はどうなるかはまだまだ不明なれど、ある種の安定期に入ったところで、今後どうなるかを考えていくのは理の必然とも言えるわけで。

 まぁ、お金の余裕がないならないなりに、家賃の安いところへ移るのがよいのかとか考えてきていて、いろいろ探してはいるのだ。

 今日もちょっと見てきたところがあったりするわけだが。なかなか、良い物件で、今のところより安くて、広くなる。いいことずくめだが、勤務地から遠くなる。

 そういう定性的・質的なものは数量化しにくいが、金銭のかかり具合などは数量化して、定量的に計算できるから、判断に迷うならそっちからしてみようということで・・・引っ越しには敷金だの引っ越し費用だのと一時的費用がかかるわけだから、その一時的費用を取り戻すのには何年かかるのかとか、損益分岐点の算出作業を妻と二人でしたりしていた。

 こういう細かい計算等は、妻の方が器用にぱっぱとやってしまうからすごい。

 まぁ、金銭的には引越しても、今のままでも、だいたい同じくらいかなという結果が出た。あとは、遠くて広いのがよいか、近くて狭いままの方がいいのか。

 どっちみち、今の経済状況とさほどの変わりはないので、広くなったとはいえ、蓄えが増加する方向にはプラスには働かないこともわかってきたので・・・まぁ、どうしようかなぁとか思っている。

 ともあれ、賃貸である限り、終の棲家と見なしていきたくはない思いもあるわけで・・・最終的に分譲マンションか一軒家か。そこに至るまでは賃貸での蓄えが増加する方向にプラスに働く安いところをということになるのだろう。

 なんだか、終の棲家への道のりは遠いなぁ・・・と表計算ソフトで未来予測の計算表を作りながら思ってみたりして。

 妻が、「やっぱりお金がないとねぇ」という嘆息もなんか真実味を帯びているわけで。

 しかも、その時に、横目に見ていたドラマが「華麗なる一族」・・・そんな華麗なセレブの様相を見ながら・・・庶民は庶民で、つらいのよなんて思ってみたわけで(^-^)

2007年03月09日

確定申告をした。いわば二人の生活を維持するために

 実は昨日の夜から一生懸命計算したり、資料をそろえたりしていた。
 最近は、お金に余裕がない・・・端的に言えば貧乏話とも言うべき話が多いが・・・そのへんをしのいでいくには大きな概念で二つしか方法がない。

 収入を増やすか、支出を減らすかだ。
 収入が増える当てがない以上、支出を減らす努力をすべきなわけである。

 確定申告もその一環。

 勤め人においても、結婚をすると、必要になってくる事柄だったりもする。二人で払いすぎた税金(主に医療費に関してだが)を取り戻す作業である。

 ということで、3月15日の締め切り前に出してしまおうと、先日から、計算をまとめたりしていたわけだ。
 それなりに面倒だし、それなりに税法上の解釈を調べたりもしなければならないので、最後の詰めの作業で、妻と議論したり、一緒に悩んだりしながらであったが・・・

  しかも、昨日は肝心なところで、紙切れを起こし・・・最近の確定申告書はパソコン打ち出しでできたりするのだが・・深夜にコンビニに買いに走ったりしながらであったわけで。

 ともあれ、今日出せてほっとしたし、まぁ、戻ってくる税額はさほど多くはないけど我が家の家計にとっては貴重である。そういう地道な作業が、二人で一緒にいるという生活を継続するためには必要なことなわけであろうね。

2007年03月06日

働いても、なかなかに楽にはならざる

 昨日の一語り「妻の友人が来るというのでケーキを焼く~金銭的には余裕なくとも、心豊かになるために~」でまぁ、お金の余裕がないんだよねと語ったところであるが・・・。

 まぁ、結婚してから妻と共同して家計簿を付けているのだが(妻はそれを通して、私から、表計算ソフトの使い方をレッスンされたりして・・・今では通り一遍使えるようになっているのである)、それを見ながらつらつら思ったわけで。

 体感的にも感じていたものの・・・思った以上に厳しい。実際余裕はないのである。まぁ、結婚すればそうだよという話もあろうが・・・。

 ところで、最近、不動産物件を見て回るのが楽しみになっていたりする。

 周りの知人・友人たちは結婚してから少し経つと、マンションや家を買ったりして終の棲家をゲットしている場合が多い。子どもが生まれて、大きな居住スペースが必要になったということもあるし、家賃として自分のものにならないものへの経費を毎月支出していくのがいやになったという意見もあったりする。

 その例によるというのだろうか・・・やっぱり、将来はこんな所に住みたいねとか言いながら不動産物件情報を見るのは夫婦の密かな楽しみになっている。また、この前なんかは公営系の住宅のパンフレットをもらってきて、敷金礼金もかからないからもうちょっと貯金を目指して転居してしまおうかとか。

 それで近くの物件だと散歩がてら見に行ったりして・・・こんなところだったらいいねぇとか、でも高すぎて買えないねぇとか。賃貸住宅も外観を見るだけでも楽しいと言えば楽しい。

 で、実際に今の家計簿を見直すと・・・

 私の毎月の収入は家賃・光熱費・食費等でほぼすべて消えている。わずかながら貯金が出来るかどうかといったところ。毎日お弁当を持参して、食費の節減を図っていてこれである。

 ボーナスがあるため、それが、例えば、私がこの一語りで語ったレンズに使ったり、この前の仙台旅行に使ったり・・・それであまった分を貯金に回しているのが現況。

 要は現実的に考えて、ローンを組むのはきついよねということであったりするのだ。

 そして、これで子どもでも生んでしまったら一発で赤字決算毎月で、ボーナスで補填という生活に落ちるわけで。

 だから、実は、最近ここでも語ってきたように妻とPhotoshop等でイラストを描いたりしているので、タブレットが欲しいなぁとか家電量販店で見てきたりもしているが、2万円以上するものであるから、この前仙台旅行に行ってきたこともあるから、買うのは控えるべしとか思ってしまっているのだ。

 まぁ、でも、いろいろ不動産物件を見て回っても、今住んでいる物件がとてもいいと実感されてきたし、家賃は少々お高くても、スポーツクラブに行くお金もなんとか計上できているわけだから。

はたらけど

 はたらけどなほわが生活くらし楽にならざり

   ぢっと手を見る

 石川啄木の有名な詩であるが・・・

 そこまで追い込まれていないし、まぁ、がんばっていこうというわけで。 

2007年02月27日

テレビを視ることは人生の時間の無駄遣いだろうが、希望を与えてくれるものでもある

 まぁ、ここではテレビネタを語ることも多いだろう。

 だって・・・今日だって妻は「あ、今日のロンハーは格付けだよ♪(ワクワク)」とか言っているし(妻は格付けが大好きらしい・・・もちろん私も結構好きで二人でげたげた)、片づけ終わったら録っておいた「水曜どうでしょう」を視ようとかうきうきしているし。

 その点は気が合う。私もテレビ大好きだからね。ドラマもね。

 だから、どうしても家での主たる娯楽がテレビ視聴となるわけで・・・ここでもそのネタが多くなるわけである。

 私はそもそも、高校生までは、実家であったし、テレビ視聴は厳しく制限されていた。勉強のじゃまになるということだろう。私に与えられた至上命題がいい大学に入ることであったから、仕方ないことであろう。テレビは勉強のじゃまになるのは私も分かっている。

 念願かなって浪人を経て大学に入学し、独り暮らしになったが、独り暮らしし始めはテレビはなかった。冷蔵庫、炊飯器は生活に必要であろうと買ってもらっていたが、テレビは必要なものではなかったのである。確かにそれはそうなのである。

 数ヶ月後にバイトを始めたりして、テレビを買ったわけだが。その間はラジオが娯楽だったわけで、結構寂しかったものだ。

 テレビが来たら、むさぼるようにテレビを視た。明日が土曜日だとか日曜日だとか言うと、夜を徹して視てしまったりもしたものである。

 だからといって、勉強・・・いや、大学以降は学問と言った方がよいか・・・学問なり研究なりをおろそかにしたわけではなかった。さすがに家ではテレビがあるから妨げになるという意識から、図書館に行ったり、大学の図書館が閉まっている日曜日は公共図書館に行ったりしながら、それなりに学生の本分も尽くしてきたつもりだ。

 ただ、そうやって勉強をするためにテレビをさけてきたと言うことは、試験に受かるとかの人生の上で万人が認める有意義さにとって、テレビという一方的な非生産的な場合が多い映像の受動的視聴というのはいかにもいかにも無駄だということがテレビ好きの私とて本能的に分かっていたということであろう。いかにテレビを擁護したくとも否めない事実だろう。

 実家にて、テレビ視聴を厳しく制限されていなかったら、決して私は大学に入れなかったことは認める。

 人生にとって有意義さの効率的追求の観点からはテレビ視聴の時間は無駄と言って過言ではないだろう。

 その意味で私たち夫婦は、人生の無駄を毎日楽しみにしているのかもしれない。今さっきも、明日は「相棒」だけど、録っておいた方がよいかななどと真剣にディスカッションしていた。夫婦が顔付き合わせて語り合うことはもっとほかにあるだろうというつっこみもあろうが。

 ただ、30代半ばを迎える私たちの年になってくると、人生は有意義さの効率的追求だけでは身が保たないということが分かっているのである。

 私たち二人は多分あまり運が良くない二人である。ここを読んで頂いていてもそれは分かって頂いている方もいるかもしれない。別に自慢する訳じゃないけど。

 だからこそ、人生の無駄と思えるテレビ視聴を楽しむ時間を楽しめるのである。まぁ、ここいらで一休み、いいじゃないかと(^-^)

 私もなにか有意義なことをを効率的に追求する、それで何かを成し遂げれば、それはそれで自分のプライドの維持につながるのだけれども、そんないたちごっこみたいなことには疲れてしまっている30代半ばでもあるのだ。

 それを私たち二人はよく分かっているから・・・とりあえず、好きなドラマやテレビ番組が見つかると幸せ。人生の時間の無駄遣いとは分かっていても、その無駄遣いが自分たちを休ませてくれることがよく分かっているから、その時間を大切にするのである。

 1年半ほど前、妻は入院した。さぁ、これから結婚式と、後は式を挙げるだけの直前の時に。

 そして、その式は流さざるを得なかったわけだが・・・2005/10/19一語り「結婚式中止」に語ったように、今は妻になっている妻が元気になってくれるのか、妻との明日(将来)を考えられるのか・・・泣いたり嘆いたり虚脱状態に陥ったり・・・

 そんな入院前、妻は大好きなドラマ「白線流し」のスペシャルがあるから録っておいてと僕に言づてて入院していったんだ。私も白線流しは大好きなドラマだったからそれには異論がなかったが、それにしても、明日を考えられるかどうかの入院前に語り合うネタとしては「白線流し録っておいてね」っていうのはやや間が抜けている感もあるが。

 どうにもいろいろまいっていた私だが、それでも録っておいたらしい。

 おおよそ2ヶ月くらいの入院の後、妻は退院できた。そして、今、こうやって一緒にいられるわけだが・・・

 一緒に録っておいた「白線流し」を視られた時・・・本当に嬉しかった。

 テレビ視聴は、多分、人生の中でもっとも無駄な時間のひとつだろう。しかしながら、その無駄を楽しむこと、その無駄を共有し合うことを夢見て私たちは苦境を乗り越えられたんだと思う。

 だからね・・・テレビ視聴は、テレビを楽しみにすることは、僕たちに希望を与えてくれたんだよね。

 ドラマ「華麗なる一族」視ながら・・・妻が「鉄工所を継いでいるから"鉄平"、銀行を継ぐから"銀平"ってねー♪」私が「あ、そうか・・・でもなんか安直、それにしても万俵ってよー」。こうやって文字化していてもなんだか人生の中での無駄時間的な色合いがにじみ出ているが、こんな会話をしていられることに希望なり幸せを感じていられるんだよね、僕たちは。

2007年02月22日

パン屋になりたいという夢を持っていたこともある

 最近、パン作りのことを語っていることが多いのですが・・・私のメインページである「もてない男のその後の語り」の方で1999年8月22日に次のような語りを書いています。

 パン屋になりたかった男

 まぁ、そんな夢を語っていたわけですが、近年、パンを捏ねたりすることから始めて、お客にも振る舞ったりしながら、ホームベーカリーも購入・・・ロールパン、食パン、メロンパンなどなどいろいろ独学で作っているので、妻から、この前、パン屋にでもなるつもりみたいに見えるわよといった旨のことを言われて・・・はっと思い出したりしてね・・・そういえば、パン屋になりたいなんて思っていたんだなぁと。しかも、それをホームページで語っていたんだなと。

 まぁ、パン屋になるための早起きは未だに得意じゃないので無理にしても、とりあえず趣味レベルでも、パン作り・・・なんか楽しいし、喜んでもらえる趣味で、実用的でもあるし、悪くはないなと思ってはいる。

2007年02月20日

探し求めて高級なパン用小麦粉を入手、ささやかな楽しみが人生を生き抜くコツだろう

 2007/2/2一語り「パンのミミが食べられる幸せ」にて"ゴールデンヨット(という小麦粉)を使ったらあまりにもすばらしすぎて他の粉は使えなくなりました"とのコメントを頂いて以来、一度その高級な小麦粉を使ってみたいと探していたところだったんだよね。

 もちろん、ネット上ではすぐに見つかったのだが、送料もかかるし取り寄せるのもちょっと手間。どうせなら近くで手にはいるところがないかと、探し回っていたわけだよね。

 そう、あまりに遠くては現実味がない・・・どうせ買うなら継続性を求めたいから、遠くにあっては意味がないので、通勤経路上とか家の近くとかを探し回っていたがなかなかになかったのだが・・・ようやっと今日、手に入れたのが・・・

komugiko.jpg

 これ。ゴールデンヨットではないが、日清の高級パン用小麦粉・・・専門店で使用する高級パン専用小麦粉ということで購入。2キログラムで700円ちょっと。普段の日清カメリアがおおよそ1キロ、250円だから、キロ単価で100円増しくらいだから・・・買ってみようかと(^-^)

 どんな風に焼きあがるかがとても楽しみ。早速、ホームベーカリー(パン焼き器)にセッとしたよ。明日の朝がマジで楽しみ。こういう毎日のちょっとした楽しみを持ち続けていくのが、人生飽きずにささやかに生きていくコツだろうと30余年生き抜いてきて身につけた小技ではある。人生にワクワクは欠かせない。せいぜい5千円のホームベーカリーというおもちゃを手に入れて、実用的なワクワクを手に入れたというわけだ。

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2007年02月05日

若さに当てられ、超ひさびさのエアロビへ・・・やっぱ踊るっていいよね

 昨日若い人たちのエネルギーに当てられたのか(昨日の一語り「お台場にて、若者の熱意に感動した一日」参照)・・・今日は目一杯運動してしまったのだ。

 いやね、年を取った取ったという論調が目立つようになってしまったが・・・実際そうなんだよね、30も半ばに至るとなると・・・社会人だって10年以上続けているとなると、なんというか、夢がなくなってきて現実的にこれは可能かどうかなんて縮こまった発想しかできなくなって、そして、先を読むことにだけ長けてきて、これはこうやった方が後々苦労しないなどという消極的先読みが長けてくるもので。

 消極的先読み・・・例えば、今日は月曜日、スポーツクラブに行く日なのだが、行って、水泳をする。200mも泳ぐと疲れてくる。となると、このへんで上がって、風呂にでも入って帰ろうか、妻も待っていることだし明日に疲れを残してはダメだものな・・・そんな消極的思考のもと、そこそこに切り上げてしまうところである。これが、大人な消極的先読みの例。

 今日もその例に乗りそうになっていたのだが・・・そう、なんか、疲れているんだよね・・だから水泳200mで切り上げて帰ろうかなというところで、スポーツクラブ内でアナウンスがあったのだ。エアロビのスタジオレッスンが始まりますと。

 よっしゃこれは参加してみようと思ってしまったのが、昨日の若い人たちのエネルギーに当たられたところかな。

 消極的に先読みなんてせずに、ちょっと目一杯運動してしまおうじゃないか、月曜だけどね・・・そもそも体脂肪が多いのが気になる。もともと好きだったエアロビをするのが一番いいだろうと。

 それで、昨年の8月末に入ったスポーツクラブのスタジオレッスンのエアロビに初めて参加してみたのだ。

 ほぼ一年近くの時をおいて、エアロビに復帰してみたのだ。

 40分間のベーシックなエアロビであり、それなりに振りも覚えていたので、さほどブランクを感じさせずに入れたが、汗びっしょりになる感覚に、あぁ、やっぱり僕はこれが好きだったんだなぁと実感。

 時間が短くて済む、マシン筋トレや、水泳もやってみたよ。でもね・・・なんか違うの・・要は僕はさほど運動が好きってほど好きじゃないみたい。

 音楽に合わせて体を動かすのが好きだったんだなぁと実感。

 水泳200mに加えて、40分間のエアロビをやったら・・・もうへとへとだけど、なんか身体が軽くなった感じではあるんだよね。

 家に帰ったらぐったりで使い物にならないわけだけど、そこは妻がご飯を用意してくれていたりして、結婚したメリットが大きく出るところ。独身時代はようようお弁当でも半額で買い込んで詰め込むというくらいだったからねぇ。

 やっぱり僕はエアロビが好きだったんだなぁと実感。

 若さに当てられがんばってしまったけどそんな初心を思い出させてくれたという点でも、昨日、コウサ展を見に行ったのはよかったのかもしれない。

 なかなか、はじめてのスタジオレッスンに飛び込んでいくという勇気も出ないものだ。その勇気を昨日もらったのかもしれない。

 数年前には毎日行くくらい好きになったエアロビ、週二回くらいは行こうかな。

2007年02月04日

お台場にて、若者の熱意に感動した一日 ~コウサ展2007を見てきた~

 今朝は比較的強い意志を持って早くに家を出て東京はお台場に向かった。

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 向かった先は・・・コウサ展2007を見るために、日本未来科学館というところ。

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 コウサ展とは、専修大学ネットワーク情報学部の学生による展示会。学内での発表だけでは飽き足らない・・そんな学生たちの展示会と聞けば、また、私自身大いに興味を持っているウェブ日記・ブログ論に冠する展示もあるとなれば、足を運びましょうぞという気概で足を運んだ次第。

 非常に面白く、そして、若さあふれる展示を見て・・・また、若い学生さんとのディスカッションを持ってみて、なんか新鮮な気持ちになれたわけで有意義な時間を持てた。無料の展示であったので、30分くらいで見終わってしまったら、あとは未来科学館でも見ようかなと思って(これはこれで大いに興味があるわけだが)いたが、いやいや、どうして、若い感性とのディスカッションをしているうちにあれよあれよと2時間近くもいてしまったのである。11時頃着いて、帰ったのが13時くらいだったわけで。未来科学館は見ないで帰って家で遅めの昼食でちょうど良かったくらい。

 もっとも興味があったのが、やはり、一ブロガー、一ウェブ日記書きとしてやってきている自負のある私としては、GPS携帯を用いた位置情報ブログの提案(Islands of Memories~場所と結びつく思い出~)であったが、4年生までの学部生たちが作ったものとしては、非常によい提案に思えた。現行のブログ自体が時間軸で整理される、せいぜい、カテゴリ分けしているくらい現状に対して、位置情報というもう一つの軸を入れてくるという視点を訴えているわけだが、これはグーグルマップなどのサービスで最近ブロガーの間でも注目されてきており、Web2.0ベース的感覚で流行に乗る視点だろうなと思えたからだ。また、auのGPS携帯との連携というのも、比較的普及しているデバイスを使っているだけに現実性に富んでいると思えたわけで。私自身、画像とGPSの連携のためにデバイスを買おうと思ったこともあるが、これはないことはないが、結構高い(多分1万円以上した)ものだから、それだけのために買うのもなぁという思いもあったからだ、auの携帯というのは比較的取っつきやすいデバイスに思えた。

 ただ、説明についてくれた学生とディスカッションをしている中で、それをSNS形式にしてしまうということには、現実性の点でどうなのかな?という思いはあった。家の位置情報をホームポイントに置くということから、セキュリティの面から、SNSにするという意図があったようだが、SNSのようにクローズドな空間にしても、現実安全性が担保されるわけでもないわけで、SNSの大手であるmixiにおいても実名で個人情報被害が出てしまうことからもわかるように、SNSにする意義がセキュリティという観点からだとしたら、それは意味をなすのかなという疑問があったからなわけだが。また、SNSにすることによって、敷居が高くなってしまって、実際SNSは参加者が多くならないと盛り上がらないわけだから、GPSと結びつけるためだけに登録までしてSNSに入ってくるのかどうか・・・その点も疑問であったからだ。

 だから、多分、GPS携帯の位置情報と、ブログを結びつけるだけのサービスで行った方が現実性があるなと思った次第。SNSにしてしまうと、かえって盛り上がらないのではないか・・・そんな思いがあったわけで。

 しかし、非常に興味深い提案であったことは事実であったし、実際、こういう研究が若い感性でなされていたんだなぁというのには感動。ぜひ、現実になってほしいものだと思ってみたりしているオジサン日記書き野私であった。

 そのほか、非常に興味深い展示が数多かった。ライブハウスとRSS配信による音楽文化の興隆を提言している展示の方々の熱いパッションにも触れられたし、小学生向けに大人の仕事の紹介をICタグを使ってわかりやすく理解してもらおうとしている展示もなかなか面白かった(いや、この展示にはね・・もっとどろどろした、残業続きで寝る暇なくてダメダメになっている大人の世界とか盛り込むと、また、ディープでよかねぇとか思っちゃったりして)。図書館からの地域情報(新聞記事)発信としてのRSS活用という話もなかなか現実感があってよかったし、VisualBasicとDirectXでフラクタル画像等を美しく描き込んでいる研究なんかは・・なんかほんと好きなんだなぁと感心してしまったり。

 私の大好きな分野の若者たちの熱心な展示を見て、なんだかうれしくなってしまった一日であったし、なんか、がんばっていこうよねと元気をもらえた一日だったような気がした。

 この専修大学ネットワーク情報学部・・・私の学生時代に、もし、こんな素敵な学部があったらなぁと思ったくらい。今だったら迷わずここに行っているんだろうな(^-^)

kousaten.jpg展示概要のCDをもらえた。結構便利であるし、うれしい。

 

2007年01月18日

プチヤケ

 プチヤケと表記すると、なんだか、ちっちゃい霜焼けかなぁという感じだが、別にそうではない。

 なんかヤケになりたい気分のことってあるよね。

 ヤケ=自棄 漢字で書くとこうなる。

 自分を棄てる感じが出てこそヤケなんだろう。

 贅沢してやろうと、一杯飲んで帰ろうかと思いつつも、コストが高いかぁと断念。そんな気遣いをするのが、もう、ヤケ度が低下している現れ。

 どうせなら、いいもの喰ってやろうと、買って帰ったのが、牛ステーキ・・ランプ肉。おぉーというところが、きちんと半額の値札が付いてるものを選んでしまった。牛肉は比較的足が速いので安くなりがちなのだ。って・・・半額の値札をねらっているのがすでにヤケなのかどうか疑わしい。自分を棄てている感覚はまったくない。将来のために蓄財を考える余裕さえあるようだ。

 一杯やってやれとホッピーを注ぐも、一杯でやめておいて、あとはマッコリを3杯くらい。なんか健康に気遣ってしまった。これもヤケ度が低い。全然自分を棄てていない(^-^)

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 しかも、牛ランプ肉のステーキは私自身が焼いて妻にも食してもらったりしている。こうなるとヤケ食い・飲みなのか普通の食事なんだかわからないくらい。

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 ま、そんなわけで、自分棄て度が少ないヤケ(自棄)・・・プチヤケ。

 年を取ると、ヤケになるのもエネルギーがなくなるというか・・・ねぇ(^-^)

2007年01月08日

3連休も終わりですね

 3連休も終わりですね。

 つらいです・・・(^-^;

 学生の頃、受験生の頃・・・連休終わりなり長期休み終わりなりの最終日は悲しかった。

 勉強がやっぱりいやだったんでしょうね。

 今も、連休終わりなり、日曜日なりのブルーは大いにあります。

 やっぱり、仕事はできればしないで済む方がうれしいんでしょうね。

 でも、勉強も逃げずにやってきた。仕事も逃げずにやっている。

 社会人になった時、あぁ、これでもう試験に追われずに済むんだ・・・そんな新鮮な気持ちになったものの、また、違った種類の苦しみがそこにあった。

 人生って、向かい風の中をえっちらおっちら進むようなものなんでしょうね。

2006年12月31日

今年もありがとうございました

 昨年に引き続き、今年を生き抜けたことをみなさんに感謝したいと思います。ありがとうございました。

 昨年末・・・昨年の今日には、みなさんの励ましのもと彼女ができたことをお話ししました(昨年の今日の一語り)。

 今年は、結婚し・・そして結婚式を挙げることができました。その道も決して平坦でなかったことはここで語り尽くしてきたとおりです。

 昨年も激動の一年と自ら評しましたが、今年もそれに勝るとも劣らずの激動でした。

 結婚式を川崎地下街アゼリアのイベントで挙げられることになったこと、結婚式を何とか挙げたこと、その後妻が麻しんで倒れたこと・・・などなど。

 その激動の折々にここにもらさせて頂いた感情のうねりがあります。それを読んで頂き、温かい言葉、励ましをいただいたことも多々あります。結婚式を祝ってくれる声・・・これもうれしかったものがあります。ありがとうございました。

 また、来年も激動なのでしょうか・・わかりません。でも、がんばっていきます。

 今年は激動であれど、結婚式を挙げられた、そして今日を生き抜けている・・・そう、すばらしい一年でした。

 今年も一年間本当にありがとうございました。

 みなさまにとって来年が良き年でありますように!!

2006年12月12日

カツと残業と健康と

Moblog Photo

とても美味しかったカツ丼である。ネットで調べていった甲斐ありというところ。最近は妻が体調を崩しているため、お弁当が作れない。私も朝そこまで男手でやるほどは余裕がない。だから外食が多くなるわけだが、せっかくならいつも食べられない外食の美味しいものを食べたいな・・そんなわけで大好きなカツを先日食べたわけだが。

 ただ、カツ丼はいくら美味しくても、良質なタンパクをうたっても、脂質過多は否めないであろう。

 美味しいものは往々にして体にはよくない。作用反作用のようなものだ。

 美味しいものばかり食べていたら、かつてのローマ人のように痛風になってしまうだろう。

 なにをそこまでカツ一つ取って、健康問題を語り上げているかと思われる方もいるかもしれない。

 それは私が一番苦しい仕事をしていた頃・・・毎日毎日深夜とも言える時間までの残業。終わりが見えない作業の連続。そんな時にカツにはまっていたからだ。

一番美味しい究極のカツカレーを求めて食べ回っていたことを思い出す。残業時食べる夕食もカツが多かった気がする。カツ丼・カツカレー大盛り等々。

 そんな激務で心に余裕のない時は、常用は体に良くはないとは知りながらも食べたくなってしまうし、せめても食べなきゃやっていられないという気分でもあった。

 激務で疲れていて本当は身体をいたわらねばならないのに、健康に気遣う余裕もなく、カツを食べてしまう。悪循環である。こんなことがずーっと続いたら体は保たないだろう・・・そんな思いで私は人生を転換したわけだが・・・

 昨日の一語り「理想はきちんと謳ってほしい ~残業代ゼロ法制、日本版ホワイトカラーエグゼンプションに思う~」
に語った・・・これからますます労働時間が長くなりそうな現実・・・その向こう側には自分の健康さえ気遣えず、せめても目の前の美味しさを求めざるを得ない、それと引き替えに身を削っていく・・・そんなことが起ってくるのではないだろうか。

 私がカツにはまっていた頃は、まさしくホワイトカラー的職種であった。

 そういうことを身をもって感じていた私が思うに、やはり、労働時間法制を安直に残業容認方向に向かわせるのはいかがかとは思っているのだが。

2006年12月06日

二人で支え合って生きるということ

 帰宅途中電話を入れると、今日は夕食はどうやら妻が作ってくれたらしい。

 私がどうやら限界だと思って・・・とのこと。病院の帰りにそれなりに元気が余っていたので食料品の買い物も済ませたとのこと。

 なるほど、よく分かっているなぁ・・・1週間単位での連日の仕事に家事にとなると、やはりきつさが残ってきていたのも事実である。ちょっと疲れも溜まっていた。帰ってご飯があるとほっとする。

 代わりに私は、妻が運べないトイレットペーパーなどの大物日用品を買って帰る。そして、食後の洗い物。

 二人で支え合って生きるというのはできている気がする。

 結婚式での誓いをその舌の根も乾かぬうちに実践せざるを得ない状況になっているのが、私たちらしいと言えばらしいが・・・

 がんばっていこう(^-^)

2006年10月31日

幸せへの往復切符

 幸せになりたい・・・そう、切に願っていない人はいないだろう。

 でもね、みんなちょっと間違っていることがある。それは、幸せへの片道切符を求めているところだ。

 幸せに行き着いたら、ずーっと幸せ・・・そんな都合のいい終着駅は、銀河鉄道999の機械の体をただでもらえる終着駅・アンドロメダが幻想だったように、まぁ、あるはずがない青い鳥だ。

 でも、幸せになれる往復切符は意外に身近にあるのをみなさんは気づいていないだけかもしれない。永遠に幸せになれる桃源郷なんてどこにもないけど、その時幸せになれる場所や物事は結構ある。

 この画像だと、いくら丼が幸せなんだが・・・ほら、イクラがこれだけ載っていれば幸せでしょう?この幸せの片道切符を皆さんに差し上げよう。これは私の記憶が正しければ、横浜中央卸売市場の場内にある、秋葉屋食堂のいくら丼だ。土曜日の午後から日曜日の朝までだけが休みで、あとは24時間営業だ。要するに行けばほとんど開いている幸せの駅。

参考サイト http://www.ne.jp/asahi/jog-turingu/yasuaki/newpage2.htm

 そう、美味しいものを食べている時はみんな幸せ。でも、それは食べ終わってしまうまで。だから幸せの往復切符。幸せへたどりつけるけど、また戻ってこなくちゃならない往復切符。

 そういえば、美登利寿司で大トロを食べた時も・・幸せって案外身近で、お安くあるものだなぁと感じたものだ。

 だからさ、幸せへの往復切符は結構あるはずだ。たんと寝ることだっていい。でも、片道切符はないものだ。そんなものを求め始めたら、不老不死を本気で探したと言われる秦の始皇帝と同じだ。

 鼻水ズルズルの今日、シャワーを浴びたら鼻がすーっと通って、幸せだった。これも幸せの往復切符。

2006年10月27日

才覚と運がなけりゃ・・

「若者はなぜ3年で辞めるのか?」城繁幸 光文社新書
なかなか話題のようで、本屋で平積みになっていたから買ってみた。ちょっと立ち読みするだけでも、引き込まれたからね。

私が今まで感じてきたこととかなり合致する。なかなかいいロジックを持った本に思える(まだ読み途中だけどね・・・)。

こんないい論を書けるのはどんな人かと巻末作者プロフ見てみるに・・・

1973年生まれ・・・

むむ??年下じゃん・・・年下に説得される感じなのはちょっとくやしい。

まぁ、年功序列を離れましょうという、実体験を持った上での論だから説得力も満点だが、またまたプロフを見ると、東大法学部卒。

まぁ、エリートなんだね。それだけの才覚に自信があり、あと運があって(富士通の人事部に勤められたわけで・・)、いい境遇にたてたから作者はこのように断言できるんだろう。

 才覚もなけりゃ、コネもなけりゃという場合には、今いる組織に泣いても笑ってもかじりついていくしかないんじゃない?それは決して恥ずかしいことじゃないんだろうな。

 私たち団塊ジュニアの世代は、そう、僕くらいの年代は一番損をしている世代なのは明らかだけど、まぁ、なんとか生きていくしかないし、やけになってもしょうがないから、せいぜい贅沢をせずにいけば、まぁ・・・たまにはいいこともあるんじゃないかな。

2006年10月24日

生きる目的を再認識させてくれる弁当

Moblog Photo

今日の弁当を開くとこれ。

オレか?

息詰まり、追い込まれがちな仕事の緊張感の中、仕事の残滓を引きづりながらの昼休み、開けた弁当がこれだったから、自分がなんのために生きているのかはっと気付かされ、ほっとできた瞬間。

2006年09月24日

シャワーがなかった日々から思うと・・・

 私が生まれた頃・・・シャワーなんてものはなかった。お風呂でお湯をかぶるといえば、湯船からお湯をかけていたものだ。

 それから、シャワーが普及し始めたわけだが・・・

 最近は、お風呂を洗うのが面倒になって、今日はシャワーでいいかなとか気軽にシャワーを使っているけれども・・・今日、そうだったんだけどね。

 独り暮らしを始めてから、結構長い間シャワーがなかった。

 始めての独り暮らしの仙台、学生時代だったけれども、旧式の風呂焚き器でお風呂に水を張って沸かさねばならず、面倒になって入る間隔が開いたりもしたりした。北海道に単身で赴任した時にも、やはりシャワーはなかったので、風呂にはいるとなれば風呂焚きであったので、一生懸命お風呂を沸かしたものだ。北海道だと、どうしてもお風呂に入りたい・・寒いからね。お湯がごちそうという感じだったから焚く方も必死だったりした。

 今、気軽にシャワーを浴びているけれども・・・ぜいたくになったものだと。

 しかも、今は風呂を沸かすのもボタン一つで可能だというのに面倒がっている。まぁ、ぜいたくになったものだとつくづく思い返す。

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2006年09月20日

カラオケは好きだけど、歌えなくなったわけ

 今日、19時から日本テレビ系列で3時間ほど「2006秋みんなが選んだ今すぐ歌いたい最強のカラオケヒットソング全部ご本人の歌でお見せしますスペシャル!!」という番組があったので、結構夢中になってみてしまった。実は、昔から、こういう番組は大好きだった。というのも、実はカラオケって好きなんだから。これは私を知る人から見れば、意外と思う人もいれば、そうだよねという人もいるだろう。ここを読んで頂いている方々はどう思われるだろうか?まぁ、カラオケに行くかどうかはその時属している環境に大いに影響されるのは皆さんもおわかりだろう。そう、行きやすい環境の時は行っていたし、歌う曲もたくさんあるわけだったりするわけで・・・学生時代だったり、そういう職場だったりね。

 この前、友人とカラオケボックスに行ったが・・・歌う曲がなくて困ったわけで・・・ドリンクバー付きの個室に入ったと思えばいいじゃんなどと言いながら、ぼちぼち歌っていたわけだが、私が行きたいと言い始めた割には全然歌えず・・・うーんという感じ。

 ということで、今日はこの番組で勉強し直していたりねぇ。

 そうなんだよね・・・結局、私は失恋系ソングが一番の十八番だったわけで・・・「あずさ2号」とか「心の旅」とか「言えないよ」とかね・・・。

 片思いまっただ中の時に歌っていた郷ひろみの「言えないよ」を聞いた友人からは、何か鬼気迫るものを背負っていると評されていたりした気がする。今歌っても全然そんな迫力は出ないわけだけどね・・・その当時は・・・ねぇ。

 まぁ、今はそんなに歌えなくなったのは・・・そういう環境にいないということと、結婚して失恋状態から脱しているからというわけらしい。

 でも、気持ちよく歌えたのは例えば、槇原敬之さんの「遠く遠く」とか・・・感情移入できたんだよね。気持ちよかった。

 また、十八番にできる曲を見つけていく時期なんだろうな。

2006年09月15日

あるゲームと札幌の思い出

 今日はプロップサイクルというゲームをした。かなり古いアーケードゲーム。大型筐体の運動型ゲームである。よろずゲーム考(各論)-大型筐体モノ- HIJK's Homepageに詳しく出ているので参照されたい。

 もう、かれこれ、10年前ともなろうか・・・単身で仕事で札幌に赴任していた時、このゲームにはまりこんでいた。

 たまたま、見つけたので、懐かしくなってやってみた・・・なんか、昔取った杵柄、やたらうまくできていたので、妻は素直にすごいねぇと感心していたが(妻も少しやっておもしろがっていた)。学生同士のデートみたいなものだねと、二人でゲームセンターにたまたま立ち寄った状況を二人で話し合いながら帰ってきたが。

 家に帰ってから「寂しい単身赴任での慰めがこのゲームだったのね」・・・と妻が言っていたが、なるほど、それは否定できないかもしれない。そもそも、仕事から帰ってきて帰りにゲームセンターに

 なるほど、知り合いもおらず単身で赴任した札幌。寂しかったことには変わりないが・・・一人の時間を楽しむ術は、学生時代の独り暮らしで身に付いていたし・・・それ以上に、赴任以前の仕事が忙しすぎた。だから一人のプライベートタイムがほとんど持てず、最寄り駅でゲームセンターが開いている時間(まぁ、10時前くらいに閉まってしまうゲームセンターだったが・・・)に帰り着けたら感涙にむせぶ思いであったことから、札幌赴任時代に仕事帰りにゲーセンに寄るということは決して寂しいこととは思えず、楽しいことでさえあったのだ。無邪気にペダルをこいでいたわけだ。

 それに・・・その頃の職場を考えると、うん、寂しいということもなかったなぁと思い返せる。そりゃ、一人で行ったし、いろいろ初体験のことも多く、全部ぶっつけ本番で、大変だったことも事実だったし、いろいろいやなこともあったと思う。当時はね。

 でも、今・・・今の悩みと比べると、あの頃はすごく幸せだったよなと思う。若かったから甘やかしてもらえたということもあるし、人間的にも暖かい雰囲気が多かったと今では本当に実感できる。当時はその中にいたからそれを当たり前にしてしまって気づかないわけだけど。

 よかったなぁと思う。その頃に職場の先輩方とゲーセンでプリクラを取った。そのプリクラは、実は今眺めているディスプレイの枠の上に張ってある。もう、かなり薄くなってしまって、画像がよくわからなくなってきているが・・・大事な大事な思い出だ。

 幸せというのは後になって分かることなんだろうね。

2006年09月14日

人生は・・・

 食うか食われるか・・・それは事実なんじゃないかな・・・。

 そんな気がする。いつの世も多かれ少なかれそんなものだったんだろう。

 これだけ、厳しい世の中になってくると、食われる側より食う側に回ればなんでもよいという感覚にさえ陥りがちかもしれない。

 それが昨今の数ある金融事件につながっていると思うが・・・

 食わなくてもよい、でも、食われないように保っていくのだって実は大変なんだよね。

 親の庇護のもと、学生をやっていたりする人には分からない感覚。自分もそうだったけどね。

 みんな、なんとか生きている・・・そんなものじゃないかな。

2006年08月23日

そんなに休みが取れないからなぁ~サラリーマン百景~

ANAのエコ割というのがよくCM等で宣伝されている。

ANA Fan-CM

で、そのCMの数々が見られる。

 国際線エコノミークラスの割引プランのようで、海外に安く飛べるという売り。

 おおむね「行っちゃった方が早いんじゃない?」というテーマでまとめているものが多い。

 確かに、経済的には、今の一般的なサラリーマンが海外に行くには負担できない額ではなくなったと思う。ロサンゼルスに行くのに往復6万2千円、ロンドンに行くのに往復8万円・・・etc.。私の初任給一回分でも行けるだろう位の額。経済的には敷居はずいぶん下がった。

 なるほど、そこから見れば・・・「行っちゃった方が早いんじゃない?」は成立するのだが・・・ことはそんなに簡単じゃないのだ。

 そもそも休みが取れない。

 いや、制度的には取っていいことにはなっているだろう。労働基準法tけいにも採用後、6ヶ月間を8割以上の出勤率で勤務したものには年10日間の有給休暇を与えなければならないとなっているが・・・社会人の皆さんはよくおわかりだと思うが、なかなか取れるものじゃない。

 先日、新聞記事で・・・夏休みとして連続休暇を取って、その後に仕事がたまってしまうことを思えば、連続休暇は取らない方が気が楽だと思っている人が多くいるということが記事になっていた。

 東京都労働局の調査(夏には連続休暇「ほっとWEEK」を(-今年の夏休みは平均5.7日-) - 東京労働局)によっても、なかなかに海外に行くほどの休みは取れていないことがわかる。夏休み取得日数の平均は5.7日ではあるが、これは連続して取ることを仮定していないわけであるから・・・国外に行くにはきついだろう。

 前述の調査で、有給休暇を消滅させてしまう理由として40歳代までは「仕事量が変わらないので休むと後で苦しくなる」がトップになっているが、なるほどと思えることだ。

 また、日本の社会全体の風潮として、長期の休暇、それで海外旅行ということには風あたりがまだまだ強い気がする。

 今は亡き、宮本 政於氏がその著書「お役所の掟」(講談社)で分析したように、霞ヶ関の官僚の世界での海外旅行への妬みの意識の存在は、氏の後著で指摘しているように日本人の精神構造の問題でもあると普遍化して指摘しているが・・・やはり海外旅行という派手な行為と妬みという存在が長期休暇の取りにくさと相まって、非常に複雑な問題になって横たわっているんじゃないかと感じるわけだ。

 私も先日、佐渡・新潟の新婚旅行として、5日間に渡り、土日含めて計9日になる長期休暇を、今の職場領域に入って10年選手手前のところで取らせて頂いたが・・・本当に「清水の舞台から飛び降りる」覚悟を心理的には持った。

 ANAの「行っちゃった方が早いんじゃない?」という軽妙なキャッチコピーを聞いたり見たりするたびに、複雑な心境になってしまうのだ。そんなに簡単にはいかないんだよ・・・と。

 もちろん、ANAもそのへんはよくわかっていてあえて軽妙なキャッチコピーで、その複雑な問題をかる~くパスしようとしているのは分かるので、すごく頭のいいCMだなとは感じる。

 そんな感じで、人生詰めずに軽妙に渡っていきたいものであるが(^-^)・・・なかなかねぇ。

2006年07月18日

格差社会を肌で感じた瞬間

 ある高層マンション群のそばを通った。
 比較的新しくできたところらしく、周りの道もきれいに整備されていて・・・ほぉーと言いながら歩きつつ。
 敷地内には立ち入りできないようになっている。最近はそんな場所も多いかなぁ・・・などと思いながらも、やはり東京都の集合住宅でで幼少時を過ごした私にとっては・・・その排他性がなんか違和感も感じつつ、そう、私が生まれた頃の都市部の集合住宅ではみんな自由に出入りができて・・・子どもが遊んでいたものだ。
 見ると、その高層マンションの一階にはロビーがあって、豪華なソファも見えたり。そこには子供が遊んでいるのが見えたりして・・・うーん、最近の子はこのような閉鎖空間で遊ぶのかねぇと思いつつもややうらやましいなとも。

 歩いていくと、なんか非常におしゃれなカフェらしきものがある。すいていて、快適そうな空間だ。店員もしっかりした制服を着ていて・・・しかし、看板も出ずに目立たずに、はやりのシアトル系カフェではない。そもそも、スターバックスなどがありそうな便のいい場所じゃない住宅街の中だ・・・なんだろ?いいところだったら入ってみようか、と見てみると・・・。
 そのマンション群の居住者専用の喫茶スペースとのこと。それ以外の方は立ち入り禁止とのこと。

 なるほど、そういうことだったのか・・・

 妻と一緒に話しながら・・・やはり妻も違和感を感じていたようだ。
 二人で感じたのだ。そこまでするのかぁ・・・と。

 いわゆる格差社会というものを肌で実感した瞬間。
 正直、格差を感じるのは好きではない。

 自分で稼いだお金なのだから、それを使って何が悪い・・・その論理は資本主義的自由主義経済社会では前提となってしかるべきかもしれない。がんばれば、お金持ちになっていい暮らしができるかもしれない・・・この期待感こそが人々ががんばる動機付けになるのは確かだ。その意味での経済的な差はいたしかたないかもしれない。だから、実質的平等が、人々のモチベーションのために犠牲になるのはしょうがないのかなとは思う。なんか、感情的にはいやだけどね。
 実質的平等を目指した共産主義が、ソ連の崩壊に象徴されるように、人々のモチベーションを引き出せずに失敗したことは周知の事実だからだ。

 しかしね・・実質的平等は損なわれても、機会の平等はおおむね保証されているのが望ましい社会と思うんだけどね。スタートラインはおおむね一緒。あとはがんばり次第と言う感じにね。ここまで格差社会ということが言われる前までは、そう、私が集合住宅で生まれ育った頃は・・・それなりにおおむねスタートラインは一緒と感じていたんだ(まぁ、ジニ係数が1になったことがない日本社会、スタートラインがまったく一緒というわけにはいかなかったんだろうが・・・)。だから、それなりにがんばろうという気にもなたつしなんとか大学まで行けたと思うんだよね。

 でもさ・・・こういうプライベートカフェまで持つハイソサイアティとしての閉鎖空間を見てしまうと・・・なるほど、雑誌などでは東大生の親は7割方管理職の子弟子女という記事があったように思うが、そもそも、スタートラインが違うよなと。

 たとえば私に子ができたと言っても・・・決して、このようなハイソな方々の子弟子女と肩を張れるほどの教育投資はできないだろう・・・

 なんか、そんな感じで格差社会を身近に感じてしまった感じで・・・うーん、と。

 2006/1/25一語り「ヒルズに思う」で語った・・・六本木ヒルズに感じた違和感・・・それも格差社会を感じてしまったからなのかもしれない。

 まぁ、機会の平等の上である程度がんばってきた私としては、あまりこうはじめから差を見せつけられる感じの建物はどうなのかなぁと思ってしまった。もちろん防犯上必要と言われればその方がベターなのは自明だろうが。

 ま、格差社会実感記というわけで。

2006年06月06日

パン作りと人間性

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 朝の手作りパンのタネがなくなっていたので、一週間分また捏ねる。
 ここの読者さんが、ここでのパン作り語りを見てパン焼き機を買ったとのことを聞いた。とてもうれしいことである。私の生き様が共感を呼んだ証拠だから。
 さて、ここで、ケーキだ、パンだ、梅酒自作だと・・・男だてらのクッキング話に花を咲かせているわけだが・・・「あなたって料理がとっても好きだったんですね♪」と思われる方も多いかもしれない・・・元来クッキングパパ的趣味があったのだろうと思われるかもしれない。

 しかし、その答えは「No」である。フランス語で言えば「Non」、ドイツ語でなら「Nein」、ロシア語でなら「ニィエット」(綴りは忘れた・・・)。

 うん、料理なんて好きじゃなかった。
 大学に入って、一人暮らしを始めて、自炊は少しはたが、すぐに挫折したし、その代わりに近くのとても美味しい中華料理屋の焼き鳥丼にはまって食べまくっていて10キロ以上も太ったりしていたしね。基本的に学食を愛用していた。
 社会人になってからも一人暮らしを再会はしたが、やはり、時間もさほどあるわけでもなく、疲れるしね。少しはやったが・・・健康のことを考えて30を超してからだったかな、少し始めたのは。

 しかし、今は、既製品を買うのではなく、自作の食材作りにはまっている。

 なぜか?

 2006/5/22一語り「代ゼミの荻野講師の話に感動する」で、荻野講師の言うところの通信簿の左側(学力等)と右側(人間性等)の話に言及した。通信簿の右側を鍛えねばと訴えていた。
 私は、そう、自炊をおろそかにしてきた時期は通信簿の左側のみに力を傾注してきたんだと思う。勉強とか研究とか仕事とか。しかしね・・・それもだんだん頭打ちかなぁと。もちろんがんばるけどね・・・だから、遅ればせながら通信簿の右側の醸成に取り組み始めたわけだろうね。

 パン作りはその現われ。面倒だよ?だって、こうやって、イースト菌によって発酵するのを1時間なり待たねばならないんだしさ。しかし、そのパンを喜んでくれる妻の顔のためにはその苦労はなんでもない。
 少しでも身体によいものをと考えれば自作の方がいいに決まっているし。

 そう、そうやって喜んでくれる人への思いがなければ、面倒な自炊を続けられようはずがない。ひとのことを思いやることができるようになったかな・・・

 私の通信簿の右側のトレーニングみたいなもんなんだろうな。
 そんな風に思っている。

2006年05月22日

代ゼミの荻野講師の話に感動する

 なんかネットを漂っていたら、代ゼミの荻野暢也講師のことが話題になっているのが目にとまった。
 大手三大予備校の中では「講師の代ゼミ」と言われるくらいで、講師には定評があるわけが・・・
 私も大手予備校に一年間通った、つらい浪人生活を経験しているので、そのへんの事情は分からないではないが・・・
 この荻野講師は、どうやら個性的なしゃべり方やパフォーマンスや派手なスーツで話題になったとのこと。
 荻野暢也-Wikipedia-
 なるほど。数学の先生なのだが、接点が出ないことを「この点は出ねぇよぉ!!」と怒鳴ってしまうエキサイトぶりがネット上では話題になっていた。
 実は私も知らないわけではない・・・というか記憶に定かではないが噂には聞いていたようにも思う。

 それで、なんか昔を思い出しつつ、いろいろ調べていたんだが・・・

 この点は出ねぇよぉ!纏めサイト
 が一番詳しいようだ。特異なパフォーマンスを冷やかすFLASHものが多い中・・・このサイト内の「元ネタ音声」にある「荻野先生の話1~5」にとても感動した(とても重いファイルなので、ブロードバンド環境で効くことを強くオススメ)
 予備校講師の話って言うのはやっぱりかなり響いてくるものがある。私も、予備校時代、よくその話に感動していたものだが・・・
 荻野講師の話にもすごく感動した。
 通信簿の左だけで評価されてきた人生はここでおしまい、大学に入ったら右側を充実させよという訴え。
 通信簿の左側は学力、右側は人間性。
 数学とは一見難しいと思われているが、チャート式を一から解いていけばすぐに成績は上がる。でも、人間性の涵養はよほど難しい。だから、これからの大学生活を有意義に過ごせ!!と叫んでいる。
 左側で成功したからといってそれに固執しているとよくないぞということを訴えている。

 社会に出て、もう、10年近くになる私。左側に固執し続けて、やっぱり失敗したなと感じている今、荻野講師の言葉がすごく響いてくる。

 大学に入る前に荻野先生の話を聞きたかった・・

 聞いていてもやはり失敗しただろうけど・・・そう、人間なんてそんなもの、器用に渡ることなんてなかなかできるものじゃない。