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2009年08月25日

よくやった日本文理高校

 さほど野球が好きなわけでもない私だが、高校野球だけは結構見ていることはここでもよく語ってきた。かつては甲子園球場に夏によく出かけていたこともある。

 かといって、スポーツをすごくよく見るというたちでもないので、比較的好きな高校野球にしても斜めに見ていることが多いわけだが、昨日は生中継で今年の高校野球の決勝戦を見る機会があったので、見ていた。

 高校野球をよく見ていると、あ、こっちの方が強いなって一目で分かるようになってくる。がたいが違うのだ。おおむねでっかい選手が多い方が強い。

 最近の高校生は発育がいいせいか、それこそ世界の松井選手級のがたいの選手がごろごろいたりするのが強豪校の証だ。

 大阪や兵庫の高校なんてそういう傾向にあるよね。明らかに強そう。

 振り返って、東北のチームとか公立校で運良く甲子園に出られたチームなんかは、そういう強豪校のがたいに比べると明らかに小さい感じがする。

 これは、甲子園で生で見ていても分かる感じでね。

 となると、弱いものびいきの私はとたんに、小さい方を応援する。

 今回の決勝戦は、愛知の中京大中京高校と新潟の日本文理高校。明らかに新潟の方が小さいのだ。

 だから、もちろん、新潟の日本文理高校を応援していたわけだが、案の定、大差をつけられてしまったところで、所用で出かけてしまった私。

 だって、6回終わった時点で6点差付けられているんだもの。

 ここは長年高校野球ウォッチを続けている私の思いとして、もうだめだなぁと思ったわけさ。なんか、日本文理の方にしたって、控え選手とかも出してきているようだったし、もうこれは思い出作りに走っているなぁとも見えたわけで。

 そしたらね、お出かけから帰ってくると、驚きだった。日本文理の負けは負けだったのだが、1点差まで迫っていたんだよね。最終回、9回ツーアウトから、日本文理の選手たちが猛攻、5点を取っていたんだよね。

 すばらしいよね。

 中京大中京は明らかに平均身長的に大きかったし、控え投手もたくさんいた。日本文理はエースが一人で投げ抜いていたんだから。

 そんな中、1点差まで迫るとは、しかも9回ツーアウトから1点差まで迫れればたいしたもの。そして、最後の打者の打球もライナーであった。惜しくも3塁手にとられてしまったのだけど。

 最後まであきらめない、その日本文理の選手たちにとても勇気づけられたわけで。

2008年08月18日

夏が終わったね・・・

 今年はここではあまり語ってきていないが、オリンピック中継花盛りの最近であっても、甲子園高校野球を結構注目して見ていた。

 夏が来た、暑いなぁと思い始めた頃、地方予選が始まった。TVK(テレビ神奈川)などで地方予選の模様を流しているのを結構飽きずに見ていた。あ、おれって結構高校野球好きなんだ・・・改めてそんな実感を持ったのも今年だ。本ブログでも、「高校野球」カテゴリーを設けているくらいなので、高校野球好きと思われているかもしれない・・・

 しかし、実際、私は野球がそこまで好きではないようだ。確かに阪神ファンであったりするわけだが、阪神戦はどうしてもビール片手にテレビの前におらんと落ち着かないというほどのオヤジではないし、プロ野球ニュース命でもない。日本の伝統的オヤジスタイルであれば、野球は必須の趣味と言えるのだが、そこまで野球好きではないのだ。

 しかして、甲子園はなぜか見てしまう。オリンピックよりも気になっていたりして、オリンピックを見るのに飽きると甲子園の中継を見ていた。

 そして、逐一結果を追っている自分に気づいた。それで、やっぱ、僕は甲子園が好きなんだと感じた。そう、以前は何度も甲子園のスタンドに足を運んだ。暑いさなかに大阪に行って何が楽しいの?そんな疑問も持たれたかもしれないが、なんか行ってしまっていた。

 そう、あの暑さが好きなんだよな。球児達の青春の燃やし尽くし。実際に、気温も高い。アルプス席に座った時なんかは本当に40℃くらいあったんじゃないか?と思われるくらいのは体感している。それ以上に、熱い球児達の青春を感じていたんじゃないかな。

 今は家で見ているけど、球児達の一部はプロの世界なり大学野球の世界なり社会人野球で野球につながるかもしれないが、ほとんどはごく普通に社会人になっていくんだろう。かれらの甲子園は今ここにしかないと思うと、本当に貴重に思える。そんな青春の瞬間と夏の暑さのシンクロは甲子園高校野球以外では見られないのではないだろうか。

 その点で、高校野球が好きだ。

 今日、決勝を生で見ていた。

 北大阪の大阪桐蔭と静岡の常葉菊川の戦い。決勝戦にもかかわらず17-0と17点差で零封と大阪桐蔭が圧勝した。どうやら、決勝戦で17点差は史上最多タイとのこと(というか、以前に例があったというのがかえって驚き)。生で見ていたのだが、最後に思ったのだ。一点でもいい、9回裏で常葉菊川が返して欲しいと願った。最後に一点取れれば、もちろんそれでも16点差という空前の大差だったんだろうけど、常葉菊川の選手達の青春が完全燃焼できるんじゃないかと思ったのだ。そういう思いで見ていたが、零封されてしまっていた。

 うーん。常葉菊川の選手達、どういう思いだろうか。それでも彼らなりに全力を出し切ったのだろう。最後のランナーのヘッドスライディングにそう思った。

 どちらもがんばったね。うん。

 まだまだ暑いが、そう、私の感覚的な区切りとして、夏が終わった。球児達の青春のスパークを見終わり、夏も終わっていく、そう思うし感じるのだ。

 

2005年08月20日

駒大苫小牧、優勝おめでとう!!

 去年は、初の白河越えの北海道・駒大苫小牧高校の夏の甲子園優勝にいたく感動したものだ。
 2004/8/22一語り参照。

 今年も、激戦を切り抜けて、駒大苫小牧が優勝だ(^-^)今さっきテレビで観たわけで。

 ディフェンディングチャンピオンたる南北海道代表!!

 もう、北は弱いなんてことは全然ないね♪

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2004年10月28日

早寝も得だ

昨日はバタッと寝たおかげで、深夜にちょっと起きてはしまったものの、最近にない朝の爽快感。

早起きはしなかったけど、早寝の効用だ。昨日はやや無理目にアクアビクスに行ったものの、体調も回復基調だ。

早起きはしていないから早起きは3文の得とは言わないだろうが、早寝も得だということだろう。早寝の効用を説く方が現代的に思える。

2004年08月26日

白河市長が苫小牧市長に手紙を出したそうだ

「白河越え」は死語に? 駒大苫小牧の優勝で地元心配 - asahi.com : 社会

「白河越え」は死語に? 駒大苫小牧の優勝で地元心配

 この一語りでも大々的に取り上げた・・・・駒大苫小牧高校の優勝。
 白河越えどころか津軽海峡越えもした喜ばしきことだが・・・そのことを白河市長が苫小牧市長に手紙を書いたそうだ。

 なるほどね・・・よい話だね。念願の白河越えを成し遂げてくれた市に、礼状を送るなんて粋じゃないですか。白河市と苫小牧市なんて正直普段は全く関係がない市だろうしね・・・。

 この記事では、白河越えの名が忘れられてしまうのではないかと危惧されていると評されているが・・・そんなこともないだろう。白河の関というのは歴史上決して消える名前ではないし、高校か中学で日本史をきちんと学んでいけば必ず出会う言葉だからだ。やっぱ、その記憶とともに残っては行くと思うよ。

 また、白河越えの言葉と、白河市の知名度がと気にするのであれば、これを機会に、相互に友好都市としての協定を結べばいいのではないだろうか。ぜひそういうことをしてもらいたい気がする。

 苫小牧(とまこまい)は・・・正直、本土の人間には読み方からして読みにくいよく分からない市だったかもしれない。地理でもやっている学生には北海道の工業都市だなぁという意識くらいしかないかもしれない。そして、フェリーの起点だなぁくらいの感じかもしれない(北海道の道央のフェリー起点は苫小牧)。

 こういうところから優勝校が出るって言うのは正直いいことだと思うよ。北海道は不況のあおりをもろに食らっている場所であるのだから・・・苫小牧だって例外じゃないだろう。これを機に盛り上がって欲しいものだ。

2004年08月22日

やったね、北海道・駒大苫小牧高校、夏の甲子園優勝!!~初の白河越え、津軽海峡越え~

この感動をどう表現したらいいだろう・・・

南北海道代表、駒大苫小牧高校が優勝した。第86回全国高校野球選手権大会(2004年夏の甲子園)。

本当に、本当にうれしいのだ。思わず涙ぐんでしまうほどに。

白河越え・・・この言葉をみなさんは知っているだろうか?東北地方出身者ならたいていは知っているかもしれない。

夏の甲子園高校野球の深紅の優勝旗が、白河の関以北には未だかつて行ったことがなかったという事実を指す言葉だ。

白河の関とは、これより先は陸奥(東北)であるという有名な関所である。そう、今日までは夏の甲子園の優勝旗がこの白河の関を越えたことがなかったのだ(栃木県・作新学院が最北)。

この白河越えのことを知ったのは、僕が小学生の頃だった・・・新聞を読んで知ったのだが・・・それ以来、夏になると必ず東北・北海道勢を応援してきた。そう、20年以上にわたって。

そして、くしくも僕はその後、学生時代を宮城県・仙台で過ごすことになった。いや、くしくもというよりは、もしかしたら白河越えを応援し続けてきた想いが影響していたかもしれない。

白河越えへの悲願は、東北を第2の故郷としたことで自分の血となり肉となったのである。それからはますます、東北勢を応援してきた。特に宮城県勢は強かった・・・仙台育英高校、東北高校などなど・・・でも、今一歩届かない。

そして、これは本当にくしくもであったが、その後北海道は札幌に住んだりもしたのだ。札幌が第3の故郷になった。だから、東北・北海道勢を応援することは・・・もうこれは冗談じゃなく自分の悲願ともなってきていたのだ。

その証拠として、2003年8月23日の一語りでは、東北高校が惜しくも準優勝に終わったのを嘆いている。
2000~2003年の4年間にわたっては、夏の高校野球を甲子園まで応援しに行っているわけだが、うち3年間の2000年、2001年、2002年においては、東北勢の試合を必ず見ている。そのレポートはこちら(2000年分2001年分2002年分)。2000年と2001年は青森・光星学院をライブで応援しているし、2002年は宮城・仙台西高を応援している。このレポートにも白河越えへのこだわりをいろいろ書いているのでよろしければ見てほしい。

こういう感じに、僕は、冗談じゃなく白河越えを四半世紀近くも切望してきたのだ。

だからこそ・・今回は、白河越えどころか津軽海峡越えまで成し遂げてしまった、北海道・駒大苫小牧の偉業は、本当に涙が出たんだ。

よかった・・本当に良かった。東北も北海道も両方住んでみた実感から分かるが、どちらも寒い・・・冬は練習しかねる場面も多いのだ。雪が振っちゃうからね。

なかでも、北海道の方はより苦しいものを感じた。雪がすごいのだ・・・これじゃハンデとしてはきつすぎるなという思いは住んでみて実感できたのだ。
北海道に住んでみた・いる人なら分かると思う、あの雪のすごさを、そして、雪が吹雪になった時の顔に刺さる雪の痛さを。

今は神奈川に住む身でありながらも、夏の甲子園では北海道・東北勢を必ず応援してきた。

そんな北海道から夏の甲子園優勝校が出た。真紅の優勝旗が津軽海峡を越えた。

これは本当にうれしい。おめでとう、駒大苫小牧高校!!

真紅の優勝旗を持って帰るのは、本当に辛苦の積み重ねだったことに違いないことは分かっているよ。おめでとう!!

2004年03月18日

センバツ高校野球の季節だ

Mainichi INTERACTIVE 第76回センバツ高校野球大会

[社告]第76回センバツ高校野球 入場券、5日から発売


 第76回選抜高等学校野球大会(毎日新聞社、日本高等学校野球連盟主催)の前売り入場券を5日から発売します。大会は阪神甲子園球場で32校が出場し、23日から12日間(雨天順延)にわたって行われます。


 春の高校野球が始まるね。センバツ高校野球。毎日新聞社主催。
 夏の甲子園には必ず行く私、春には行ったことがないんだよね。今年は・・・どうしようか・・・。

2003年08月23日

残念、東北高校

 雨による延期でのびのびになっていた、第85回全国高校野球選手権大会の決勝戦が今日であった。

 宮城の東北高校 対 茨城の常総学院
 
 僕が応援するのは当然、東北高校。以前、宮城県民で仙台市民であったことから仙台にある東北高校を応援するわけだ。仙台には今だって郷土愛を感じているしね。

 あとは、栃木県作新学院以北は優勝校が出たことがない(俗に、白河の関を越えていない言われる)ということから、今年こそは白河越えを果たして欲しいという思いは大きい。

 しかし、東北高校は負けてしまった。以前、やはり仙台の仙台育英高校が決勝まで行ったことがあるもののやはり決勝で負けてしまったことを彷彿とさせるものだ。

 うーん、今年も白河越えならず・・・残念。

 でも、常総学院の木内監督は今年引退を決意し表明し、その上での優勝。茨城も決して強豪県ではないが、その茨城の高校野球レベルを上げた名監督だ。19年前に取手二高を率いて優勝したのもこの木内監督だ。しかも、取手二高は公立高だ。
 なんか、いい話である。その意味では、東北高校は残念であったものの、まぁよかという気分にもなれるものだ。

2003年08月10日

さぁ、今日は雪谷高校や

 さぁ、今日は都立雪谷高校がPLと対戦する日だ・・・ここまで来るのに長かった(^-^)

 がんばれや、負けはするとは思うのだけど、がんばれよぉ。