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2003年12月31日

いい仕事をした

 今日は、大晦日。
 年内最後の日ということで・・・片付けにいそしむ。

 あふれるいまや使っていないパソコンデバイスの処理が問題であったが・・・今日は、いろいろ集めて売れそうなものをパソコン屋さんに売りにいく。

 もう半年以上もしようしようと思いつつできてこなかったこと・・・。

 こういう節目でででもなければ、また今度また今度と先延ばしにしてしまうことだ。特に売りにいくというのは、あちこちに散らばっている説明書やら付属品やらをそろえなければならないので面倒なのだ。

 この一事をもって、今日はとてもいい仕事をしたと満足できている。

 買取査定待ちの間に、コーヒーを飲んだが、うまかった。仕事の後のコーヒーはうまいっ!!

2003年12月30日

競艇を家にいながら見られるってすごいよね

 平和島競艇ホームページは開催日にはリアルタイムで競艇を中継してくれる。
 ページを開くといきなり音が出てくるのでびっくりではあるが・・・。

 今日も朝起き抜けに観てみた。

 これを見られるということ自体、休日だなぁと感じるのだ。だって、レースが行われる昼間は働いているわけで・・・。

 以前、平和島クアハウスによく通っていたことがあって、そのついでで、平和島の競艇は見る機会もあった私だが・・・家の中であの独特のアナウンスも聞けて、中継も見れて、なおかつ、ネット会員になれば投票までできてしまうというのはわざわざ出かけるまでもないのかもしれない。

 だがしかし、競艇場に入る主たる理由が、競艇のあのターンを見ることも一つあるのだが、もっとメインの目的として、そこで買い食いをすることであった私にとって、あのモツ煮メシが食べられないする自宅では物足りないのも事実だ。やはり、踊る大捜査線の青島刑事ではないが「現場」が大切だ(^-^)

世帯主としてひとりの年末

 今年の年末は一人でゆったりと過ごそうと心に決める。年末と言うと、実家に帰って家族との時間を大事にという義務感に近い思いにとらわれてきたものだが・・・いや、実際、それはそれで重要だと思うが・・・ヒマだなぁと思うほど2日も3日も実家にいる必要はないだろうと思い直しているのだ。

 今までだと、大晦日は家族で年越しというのが義務みたいに思ってきたけど、家族って言っても、親だったりするわけだ。自分が世帯主である家族(奥さんとか子どもとか)だったらそりゃ年越しをともにするのは当然だろうが、親と2日も3日も顔を突き合わせているとケンカとかも勃発しがちだ。

 まぁ、自分の部屋も一年間でいろいろ散らかっているし、パソコンデバイスも不調だったりするから色々調整しようとか考えると、年内はまずは我が家の整備からと思いつつ・・・年末休み4日目だ。

 1日目、後楽園ラクーア。2日目、月島もんじゃ。3日目、年賀状作成と来て、あまり部屋は片づいていない、4日目の今日・・・初めて大掃除のまねごとみたいなことをしてみた。パソコンの再インストールははかどっている。

 掃除は、あまり好きではないが(でもやるとなると完璧にやりたがる)、パソコンは愛している・・・その愛の差である。

 一人の年末もよいものである。明日は紅白を見るつもりだ(^-^)

2003年12月29日

働けってこと?

 昨日はどうも調子が悪かった。

 そもそも朝、寒くて起きてしまって、その時点で体調はよくない。かける毛布が足りなかったようで・・・。

 そして、パソコンもこのところ調子がよくなかったので、雑誌で特集されていたシステムチェックツールを起動して改善をはかったら、かえってダメになってしまって・・・再起動したとたん、ディスプレイになにも映らなくなる・・・。

 もっと状況悪化したじゃねーか・・・

 むむぅ。かくなる上は再インストールかと、何回か修正再インストールをかけるものの・・・いっこうに改善の余地なしで映らない・・・。

 ゆっくりすごそうと思う休日に限って、パソコンは調子が悪くなる。年末はゆっくりしようかなって思っているのにぃ・・・。

 これは働けってことか?とかなり頭に来ていたところで・・・起動時にF8ボタンを押して、「VGAモードの復帰」を押すことによってなんとか復帰できた。その時、午前2時30分。

 そして、ありったけの毛布を掛けて寝た。おかげで今日の10時半まで熟睡できた。

 あ、部屋の大掃除しなきゃ・・・結局、働けってことか(^-^)

2003年12月28日

今日は月島もんじゃ

monja.jpg

 今日は月島で「もんじゃ」を食べた。
 もんじゃ焼きというのは、関東の名物といえばそうであり・・・東京は下町の月島がもんじゃの町として有名であるので、そこで夕食。

 もんじゃはちょっと調理に手間がかる・・・ややもすると、もんじゃの汁をじゃーっと側溝に流してしまうことになる。

 僕はちょっと修行したことがある。

2003年12月27日

今日はラクーアに行く

 今日から年末年始の長期休みだ。
 その初っぱなの今日は、ラクーアに行く、

 友人が誘ってくれたのだが・・・そもそもラクーアとはなんぞやと思っていたくらいだが、東京ドームの近くにある、スパ型温泉である。

 けっこう高いと感じたのだが(休日だったので2600円税抜き、4時間)、最新型のスパだけに、色々施設も最新型でよかった。

 最新式の温泉ってこんな感じなんだ・・・って思えた次第だ。

2003年12月26日

悪いこともあればいいこともある

 ショックなこともあった今日であったが・・・いいこともあった。

 わが家のブロードバンド回線をスピードアップできたのだ。今日が工事日。
 各種機器の設定もうまくいって、それなりに体感できるほどのスピードアップが達成できた。

 いいこともある。ネット人間の私にとって、通信環境の改善は大いにうれしい。
 水道・電気・ガス・・・通常ライフラインと言われる線と同じかもしくはそれ以上な存在が通信線だからだ。

 禍福はあざなえる縄のごとし とはこのことだ。

牙は抜けたか?

 ある資格試験に落ちた。

 すごくショックである。なに、落ちるのは別に珍しいことではない。今まで多種多様の試験を受けてきた私としては、落ちることもあれば受かることもあった。

 でもね・・・一度落ちた試験で、今回は再起を目指した試験だったから・・かなりショックだ。2度目ので負けた記憶はほとんどないからね。

 いろいろな意味での周辺状況の雑音も気になったり、どうも、集中できていない気分であったのだ。また、以前よりも集中力が落ちた感じだ。それら点が不安ではあったが、前回の失敗をもとに、リベンジを目指して狙いをすませていたので、なんとかなろうという気分もあったのでショックだ。

 俺も牙が落ちたなという気分もある。年かな?・・・ほんと。

 かなりやられた気分だ・・・。

 でも、俺は今までの人生を振り返ってみても決してスマートな人間ではなかった・・・もともと、自分がこうと思った信念に向かっては突き進む方であったし、それが逆流的な立場であってもがんばる男ではある。こんな気分になりたくなければ、そんな試験を受けなければいいのに・・・という話題もある。でも受けている。

 でも、でもね・・・いやなことから逃げてしまうのは、泥にまみれながらも立ち上がってきた俺らしくないと思う。

 ひぃひぃ泣き言をいいながらも何度も失敗しながらも色々くぐり抜けてきた・・・それが俺なんだよね。じゃなきゃ、試験なんか受けない。

 一年に2~3回は資格試験を受けている。それは自分が牙が抜けていないか・・・まだまだがんばれるかどうか・・・そのための試金石だ。

 落ちるのがいやだから今の位置に落ち着いてしまって試験なんか受けない・・・そう、試験とか受けなくなってしまってそのための努力もしなくなってしまったら・・・それこそ牙が抜けたということだろう。

 今は地べたにはいつくばらされたわけだが・・・もう一回立ち上がろう。それが俺らしいと思う。涼しい顔なんてできないし、らしくもない・・・1度は落ちることになれているのなら2度落ちることだってあるさ。また進もうと思う。

2003年12月25日

大いなる迷い!?

 最近、努めて、新聞の読める喫茶店なり定食屋さんに行くようにしている。

 面白いんだよね・・・紙の新聞は。

 以前北海道に住んでいた時は、定期購読はしないまでも、たまにコンビニで紙の新聞を買ったりしていた。わざわざ北海道新聞などの地方紙を買ったりしていたものだ。

 そんなに紙の新聞が好きなら購読すればいいじゃないかという議論も出ると思うが・・・ネットで多くの情報は手に入れられるからね・・この前などは芸能ニュースなどのサイトもあるのかぁと驚いたりもした。

 でも、パソコンの画面とは本当に長い間は見つめ続けられるものではない・・・その意味では紙の新聞がすごくやすらぐのだ。

 紙の新聞を購読すると、ある一新聞社のものしかないので・・・それもバラエティがなくなる気もするし。そして、なんかゴミは増えそうだし。

 新聞を購読するかどうか・・・今迷っています。

 

2003年12月24日

映画『ブルース・オールマイティ』を見た

 よくもわるくも、まぁまぁといった感想だ。僕はひそかにジム・キャリーが大好きなので・・・期待して見に行った(そう、この日に(^-^))映画であった分、その大きな期待ほどではなかったという思いも強いかもしれない。

 ストーリー的にはどっかで見たことがあるような感じも受ける。
 主人公ブルースは神と同等の能力を授かるわけだが、その能力を持ってしても自分の愛する女性を振り向かせるのは能わないで悩むというこの映画のひとつのテーマは・・・そうだなぁ、例えば、人間の女性に恋して天使を辞めて人間になることを選ぶというシティ・オブ・エンジェルと通じるものがあると思う。
 また、だめ男であるブルースとそれを心配するよくできたヒロインという構図も使い古されたラブロマンスのロジックと言ってよいだろう。

 そんなわけで・・・なんか新味は感じられないものだったのだよ。
 
 そして、老優のモーガン・フリーマンがどうどうと神として現れちゃっているのも・・・キリスト教文化の西洋の映画で、これっていいのだろうか?と見ているこちらもとまどってしまう感じでもあったし。

 僕がジムキャリーを好きなのは・・・すごい笑わせる演技をすると思えば、泣かせる演技もできる幅の広さにあるのだが・・・今回の映画は笑えると言えば笑えるが、思いっきりというほどでもなく、かといってすごい泣けるというわけでもない。
 彼の映画で笑って泣けるのは『トゥルーマンショー』だし、その次に泣き笑いできるのは『マジェスティック』だろう。そういうのに比べると今回のはちょっと。

 とは言うものの、この映画で主張されていたこと・・・「自分のことをかえりみず相手を思いやる気持ち」、これは言ってみれば「無償の愛」ということだが、その大切さを説くこの映画・・利己主義的な動機付けが強いであろう西洋社会でこのような映画ができたというのはとても興味深い。
 西洋的個人主義の普及により、日本でも利己主義的な感覚が強くなってきている中、このような映画がその西洋から発信されたということに日本でこの映画を見る人々はどう感じるのだろうか。

 そして、「無償の愛」の大切さというのはこの映画を通じて印象深く感じられたよ。

2003年12月23日

ソウルより帰ってきました

 帰ってきました・・・ふぅ。やはり、海外旅行は疲れますね。

 やはり、いくら近いと言っても、ソウルは海外ですから、出国手続きやら空港までの遠さやらで・・・結局、ソウル市内から家までは9時間ほどかかる計算。

 確かに、飛行機が飛び立ってしまえば2時間ちょっとの行程ですが、その前後が長い。

 航空会社や旅行会社などは、ちょっとそこまで感覚でソウルへどうぞと売り出していますが、まだまだ、そうはいかないかなぁ・・・。

 羽田-金浦線(日本と韓国の国内用空港、どちらも都市部からさほど離れていない)が出来たのでそのへんはいくぶんかは解消されると思いますが・・・出国審査等の事情(ボディーチェックはかなり厳重で時間がかかります)で2時間前には空港に着かねばならないことを考えると・・・国内線は30分前でもだいたいなんとかなってしまう国内航空や、発車時刻までに間に合えば本当にいい鉄道旅行に比べると、まだまだ、ちょっとそこまで感覚ではいかないかなぁ・・・。

 ともあれ、無事に帰ってきました♪

2003年12月22日

ソウルで酒を飲む

 そうそう、今は韓国はソウルからこの日記を更新しているのだが・・・。
 前回、昨年の6月にソウルに来た時は、あまり満足に酒を飲めなかったんだ。そもそも見知らぬ街で酔っ払ってしまったら、やばいでしょ?
 その緊張感の元、あまり飲めなかったし、飲んでもカルビと一緒にビール一本くらい、あまり飲んだうちに入らない。

 今回は、飲もうと心に決めていたわけで・・・今日飲みました。

 骨付カルビがおいしいというちょっと離れた店(地下鉄で乗り換えありで30分くらい)に行き、ジンロ(韓国の焼酎)を一本飲む。

 一人で行っているものだから・・・ハーフボトルサイズでももろに来るのだ。
 かなり、酔っ払った。

 お会計でもらったレシートを見ると・・・3000ウォン。まぁ、日本円で、300円。

 300円にノックアウトされたのか・・・とちょっと。

 ま、これで課題はクリアーしたわけだが。ついでに、ジンロは冷やして、小さいグラスで飲むものだということが分かった。

2003年12月21日

境界を見ずしてなんとする

北朝鮮と韓国の境界線を見て帰ってきた今。
結構スリルではありました。

昨年の韓国訪問の際の目玉も、板門店(はんもんてん(日本語読み))に行くことでした(2002/06/21(Fri) の一語り)。そこはまさに北朝鮮の兵士と韓国の兵士が目の前で対峙している場所。かなり緊迫感があります。

今回は、そこまで近くはないのですが、第3トンネルとトラ展望台を回るツアーに参加してきた次第。日本で言うところの38度線を展望台から見てきたわけですが・・・前みたいに、北朝鮮と韓国の兵士が目の前で対峙しているというわけではなかったので(展望台として上から北朝鮮を見るという感じ)、そこまでの緊迫感はなかったものの、やはりびびります。

日本にいる知人に、まぁ、北朝鮮と韓国の境界線を見てくるよと言うと、かなりびびられている感じで(なんでそんなこわいところへ・・・と、気をつけてねという感じで)・・・実際、僕も若干びびっているのですが、来てしまえば・・・国境好きの僕としては絶対にはずせないスポットと、何か絶対に行かねばという義務感さえ持ってしまう場所。

北朝鮮が南に侵攻するために掘ったと言われる第3トンネル(見つかったのが3番目のトンネルなので第3)にもぐって、DMZ(非武装地帯)の奥までいったのは、やはり緊迫感があります。

無事生還したと思えるわけです。ふー。

2003年12月20日

今日から韓国旅行

 実は今日から韓国に来ています。
 韓国、正式名称は大韓民国です。近くて遠い国とも言いましょうか・・・飛行機に乗れば沖縄に行くのとさほど変わりない時間で着くわけですが、なんにしろ出国ということが伴うため・・出国手続きやら入国手続きやらで時間がかかります。

 読者のみなさんは突然の韓国旅で驚かれているかもしれませんが、ま、びっくりさせようかなって思って、韓国に着いてからこの日記を更新しています。

 そうです・・・今私はソウルにいます。日々の仕事が忙しかったため、今日の午後の便にしたら・・・
ホテルに着いてちょっとゆっくりしたら、もうこんな時間です。

2003年12月19日

内向的でもいいと思う

 今日の、産経新聞のオピニオン欄に「誤解招く「内向的」の乱用に注意」という大学教授の投稿があった。
 何か事件等があると、おうおうにしてその事件の容疑者が「内向的」と評され、それはネクラとかすごく否定的な意味合いを持ってしまっていることを指摘して、それは間違っているという指摘であった。
 内向ー外向とはそもそも、ユングが使い始めた言葉で、元々の意味は、世の人々はおおむね内向、外向半々であり、内向的というのは「自分の中にしっかりとした内容や考えを持ち、それを基準に判断・行動する」という意味で、必ずしも悪い意味ではないとのことだった。

 考えてみればその通りだ。ユングの理論に触れたのはぜんぜん前のことだ既知のことであったことも事実だ。

 なるほど・・・目から鱗が落ちた。
 確かに、世間的な意味合いでは、内向的なのは忌むべきものとされてしまっている。
 でも、僕は、僕自身内向的と思ってきたので、一生懸命外向的な感じに努めたりしてきたが・・・それなりに疲れるし、仮面をかぶっている気分であったことも事実であったから・・・。

 この投稿を見て、内向的でもいいんだ・・・というか、それは僕そのものの性格描写としてはかっちりと来ると思った。

 だから、これからは世間の評を気にせず、内向的でもいいんだろうなぁと考えられた。

 でも、理屈はそうだと思っても・・・世間は多分冷たいことは変わらないだろう・・・内向的だから、彼女ができないのでは?結婚できないのでは?とか言われたりね。でも、それは気にすることでないのだろう。そう思える確固たる論拠を得た気分がした。

2003年12月18日

急募!!映画一緒に行きませんか?

 ぶっちゃけ映画の前売り券が余ってしまっている。

 バッドボーイズ2バッドファインディング・ニモである。

 一緒に行こうと思っていた友人のよんどころない事情で都合がつかなくなってしまったからなのだが、今調べてみたら、そろそろ上映が終わってしまいそうだ。12月20日からはちょっと上映時間が一日フルというわけではなさそうだ・・多分その後のお正月映画に圧迫されてくるのだろう。

 どの道、ひとりで行くことになるのはいつものことだが、券を余らせるのは非常にもったいないので、誰か一緒に行きませんか?上記の理由からかなり急募です。

     大津 和行 motenai@motenai.net

「北の国から」と縦断的研究

 テレビ番組表を見ながら、あ、今日はドラマ「白い巨塔」がないなぁ、残念だと思ってみた。あのドラマ・・原作も読み込んだし筋は知っているけど、とても面白いからね(そういうドラマがやはり名作なのだろう・・・昨日の「相棒2」の話を思い起こしつつそう思う。相棒も2時間単発ものだった時は、そんな感じだったし、だからこそ連続化されたのであろうが、連続化ではちょっと味が落ちたということだ)。

 で、「白い巨塔」がないのはなぜなんだ!!とちょっと怒りを含んで番組表を見ていたら、かの「北の国から」を5夜連続で放映する一環として番組が流れたと言うことが分かった。

 なるほど、それはそれで、納得である。

 「北の国から」は「白い巨塔」と負けず劣らずの壮大さを持っているからである。
 「北の国から」のどこがすごいかって・・・じゅん君をはじめとして、役者陣の人生に沿ってそのままシリーズ化して縦断的にドラマを構成しているからである。
 よく、心理学などでは縦断的研究・横断的研究ということが言われる。縦断的研究とは、例えば、赤ん坊の頃から青年に至るまで成長の様を観察するなど時間軸を縦に追っていく研究であり、横断的研究とは時間軸を横に切る、例えば、ある学校の数クラスに一斉にアンケートをとってその結果を分析するといった感じのことである。
 そして、学生としては1~2年で研究を仕上げなければならない制約上、どうしても横断的研究になりがちであり、縦断的研究はなかなかできない・・・もし縦断的研究をするとすれば、研究者になってその研究に一生を捧げるとか、もしくは、国家的なプロジェクトに参加していくとか(その昔、ソビエト連邦がスプートニクを宇宙に先に打ち上げたことにショックを受けたアメリカがヘッドスタートプロジェクトというプロジェクトを実施して、学齢期前のこどもを教育し、学齢期にはスタートラインが同じになるようにしようという教育実験とも言えるプロジェクトをしたとのことだが、それは壮大な国家的規模の縦断的研究とも言えよう)、そういう感じで、縦断的研究は大変だと言うことだ。

 だから、じゅん君の一生を少年時代から青年時代にかけて縦断的に描いた「北の国から」は偉大だなと感じられるのである。そしてドラマの場合、それだけ、人気を保って行かねばならないと言う至上命題もあるのだから、なおさらだ。

 ほかに、人生縦断的なドラマとしては、海外物ではあるが・・・「ビバリーヒルズ高校白書」(後「ビバリーヒルズ青春白書」)とかがあると思われる・・映画では寅さんシリーズも縦断的とは言えようが・・・縦断的ドラマは少ないなぁと感じる中で・・・「北の国から」・・偉大なドラマとして思い起こされるところではある。

2003年12月17日

相棒2がいまいち・・・

 水曜は大好きなドラマ「相棒2」(テレビ朝日系21:00~)である。
 毎回楽しみに見ているのだが・・・最近のはあまり面白いとは言えなくなってきているような気がする。

 相棒シリーズはストーリーが秀逸と思っていたのだが・・・最近どうも・・・。

 水谷豊、寺脇康文の両名の演技は際だっているしキャラクターとしていい味を出しているのには変わりないのだが・・・。

 僕がその展開になれてしまったから興味が減じたのか、ストーリー自体がネタ切れ気味で展開に迫力がなくなったのか・・・どちらかは定かではないが・・・

 うーむ、どちらにしても、ちょっと残念だったりはするのだ。

2003年12月16日

すっきりしなくてさ

 なんだか、最近忙しい感じ。

 この前の14日の日曜日・・・かかりきりだった、パソコンも復活したかと思いきや、また、調子が悪い。どうも奥歯に物が挟まったようで気分がよくないが・・・またやっきになってとりくんでもすぐには治らない感じだし。

 もともと真面目なたちなので、年末に向けてすっきりしていこうと思いつつ、別に普通に生きてきてすっきりしないことは、年末になったからといって突然すっきりするということはないわけで(^-^)すっきりどころか、ますます混乱に陥ってしまっているわけだが。

 師走の12月・・・師も走る年末である。忙しいのはそうかもしれない・・・でも、なるべくペースを崩さないよう努めよう。

2003年12月15日

好きです

imo.jpg

 好きです。めっちゃ好きです。

2003年12月14日

丸一日パソコンにかかりきり

 今日は丸一日パソコンにかかりきりだった。

 昨日はお疲れ休みとのことで・・・ぼーっとしていて、今日もぼーっとしていようかと思いつつ・・・そんなときに限ってパソコンがネットにつながらなくなって・・・。

 IPがどうだとか、いろいろわずかな知識を駆使してなんとかなったものの・・・朝から始めて、中断はあったものの夜中までかかるというのは、なんともはや。
 でも、なんとかなるのは、自分も成長している証拠か。昔、パソコンビギナーだった頃は何とかならないで何日も持ち越したものだから。

 これだけ、尽くしているのに・・・「ちびまる子」録っておいてねとお願いしても録ってくれなかったパソコンちゃん・・・むむぅ。

2003年12月13日

今日は疲れ取り

 昨日まで、ウィークデイはなんかバタバタ動いたから、今日は疲れ取りのお休みだった。

 夕方までぼーっとしている感じで・・・。といっても、クリーニング出しに行ったり、カルボナーラスパゲティを作ったりしていたのだが・・・。

 なんかもったいない感じ。

 ビデオに録っておいた「流転の王妃・最後の皇弟」テレビ朝日開局45周年記念ドラマスペシャルを前編2時間半、後編3時間の計5時間半見終わってしまう。
 感動した。こんな波瀾万丈な人生を送られた方がいたのかと・・。映画「ラスト・エンペラー」もとても波瀾万丈で感動したが、このドラマはそのラストエンペラーの弟に焦点を当てている。

 このドラマを見てもつくづく感じられるのが戦争の虚しさ。戦争がなければ愛しあう二人は一時的であれ引き裂かれなかったし、流転もなかったのだから。

 数日前にイラク派兵について語ったが・・・やはりこんな虚しさしか生じさせない「戦争」というものに参加してしまうのは、納得できない思いになるわけだ。

2003年12月12日

ひとりだっていいじゃん

 最近、情報はネットで得れるからと新聞を読んでいないと、どうも社会情勢にうとくなる。ネットでも見ないからで、まぁ、新聞を読むようにネットも見ようかと、アサヒ・コムを読んでいたら、とてもとても僕の日頃からの思いとマッチする、有名なファッション評論家であるピーコさんの言葉に出会った。
 仲間はずれにされてキレそうになる悩みを持つ高校生の少年の相談への回答への一部だ。

BOOKアサヒコム | ティーンズメール

このごろの子は「仲間はずれにされちゃう」と言うけど、いいじゃん、って私は思うの。ひとりで生きていけなくて、なにが人間だ。群れをつくることばかりに気が回るから、自分がなくなっちゃう。いい機会だから「接し方が違う」と言っていないで、自分のほうから「もういらない」。群れるより、本を読むとか、ほかの人に会うとか。

 「ひとりだっていいじゃん」と題して書かれた回答。とてもとてもうなずける。一人で生きていくことの重要性を語っているからだ。

 日本というのは、生まれてこの方そこで暮らして来て、和をもって尊しとするムラ社会であることはひしひしと感じるのだが、その点で「仲間はずれ」ということが成り立つのだろう。西洋的個人主義がもっと広まっていれば「仲間はずれ」というものの効果自体があまりなくなるわけで、成立しなくなってしまうのではないだろうか。

 小さい頃を思い出してほしい。新しい学校に入ってまずがんばったのは友達作りじゃないだろうか?「友達出来た?」とか親とかに聞かれなかっただろうか?日本のムラ社会で生きていくためには群れることが重要になるからだ。

 でも、どうも僕はその考え方には違和感があった・・・人付き合いがあまり得意な方ではないということもあったが、なにより、群れるよりもその場所の本来の目的・・・学校なら勉強が第一義的にあると思ったから。それは、群れてやることではなく、あくまで一人でやることだろうと思っていたから。一人ってなんかうとまれるけど一人って何が悪いの?

 そういう思いを持ってきて、今、一人で色々やれるようになっていると思う。
 一人旅にもよく行くし、実際、一人で旅によく行くとなると、一種珍しがられるところもあるのだが(そこが日本社会がムラ的だと感じる一面であるが)・・・誰かとじゃなきゃどっか行けないとなると自分の世界が狭くなるしね。

 だから、ピーコさんの「ひとりだっていいじゃん」という主張はすごく共感できるのだ。まぁ、でも、僕も大いに共感するその主張はまだまだ日本では少数派となるだろうから、そうやって生きていくのにはすごくエネルギーがいることだとは思うよ。そして、和をもってうまくやっていける人ならそれはそれで否定はしない。

 「ひとりで生きていけなくて、なにが人間だ。」っていうピーコさんの言葉、とっても力強いよね。その気概は見習いたいものだと私は思う。

2003年12月11日

想い出にひたる

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 生まれも育ちも東京だが・・・一度住んだ北海道はその寒さとともに忘れがたい想い出がある。
 
 最近、やたら寒い。ここまで寒いと思い出すのだ、北海道での日々を。

 このスナックを見つけて思わず買ってしまった。これを食べながら北海道を思い出すのもよいだろう・・・裏を見たら、札幌市西区の会社が販売しているものだった・・・ナイス!!

2003年12月10日

イラク派兵

 イラク派兵が閣議決定されたとのことだ。

 かなりショックである。それは、学生時代、憲法9条に表される戦争放棄・平和主義の概念にとても感銘を受けたこと、そして、ここ数年のできごとではあるが広島を訪れた時(リアルタイム旅行記 「広島に行くんじゃけえ」参照)も長崎を訪れた時(リアルタイム旅行記 「江戸のかたきを長崎で・・・討たれたくはないけどね」参照)
も、被爆地にて平和の大切さ、そして戦争のむなしさをすごく感じさせられたからである。

 戦争は何も生み出さない。それは分かり切っていることではないだろうか。

 そのことを考えた時、なぜ派兵をするのか・・・色々なテクニカルな議論を超えて・・・それは全然納得できるものではないのではなかろうか。

2003年12月09日

歓楽街ナイト

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 日本を代表する歓楽街・・・「歌舞伎町・・・今日はここにいたりした。
 関東圏に住み、行こうと思えばいつでも行けるが、来たのは本当に久しぶりだ。

2003年12月08日

独り暮らしの食事

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 今日の夕食だ。昨日作った鍋の残り(鍋と言っても、一回作ると鍋いっぱい作るので、その後数日鍋だ)。いくら好きでも、まぐろ汁だけでは飽きてくるので(ちなみに朝もこの鍋汁にごはんをいれてかっこんでいる)、今、マクドナルドでチキンナゲットを買ってきているのも独り暮らしのわびしさをかもし出すアイテムである。

 鍋とご飯が主・・・残り物気分ありありで、情けないと思われる方も多いだろうか?30男が食べる食事と言えるのか、もっと自覚を持てと叱咤激励される方もいるだろうか?自分の親が見たら、どう言うかな?とは僕だっていささか心配に思うが・・・。

 でもこんなもんだよね・・・30男独り暮らしの食事。
 鍋と米があれば・・・とりあえずオッケーでしょ・・・鍋には野菜も結構入っているしね、トマトで彩りを付けてもいる。
 コンビニの弁当よりは温かいし、なんといっても、こういった湯気の出る熱々の汁物は自炊ならではないだろうか?

 まぁ、僕としては合格点を出している夕食である。カロリーの摂取も控えめであろうと思うしね。なんにしろ熱々なのはいい・・・。

 読者のみなさまから見て、どうだろうか?

 こんなんじゃだめよ、私が手本に作ってあげる!!という貴女がいればそれはウェルカムではありますが(^-^)

2003年12月07日

今日は寒くなった

 今日はすごく寒さを感じた・・・

 冬の始まり・・・そんな気がした関東地方。

 夕食は牡蠣鍋にしようかと思いつつ・・・結局、まぐろのぶつ切りになってしまったコスト上の都合。

2003年12月06日

尾道ラーメンを食べる

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 以前から気になっていた尾道ラーメンを食す。
 醤油ベースで、豚の背脂が浮いているものの、あまりくどくない・・・細麺ラーメンということか。
 これが尾道かぁと旅情に浸ってみる。

 尾道は通ったことがあるけど、降りたことはない。広島なのか岡山なのかもちょっと定かじゃなかったが、調べてみると広島県とのこと。なるほど・・・。

2003年12月05日

映画『オーロラの彼方に』を見ながら

 寝てしまう。酒も入っていたからね。

 初めのうち、見ながら、CMの間に寝入ってしまう。起きたらエンディング・・・たまにあるパターンだ。
 そもそも金曜日というのはウィークデイの疲れが溜まっているものなのだ。

 この映画・・・最初に見た時はちょっとおめでたすぎて好きになれなかったし、知人にもそのような感想を漏らしているが、今見ると、それなりに落ち着くしいいなと見直してしまっていることが分かる。

 デニス・クエイドが出ているんだよね、お父さん役で。オールド・ルーキーでもいいお父さん役を演じていた。父さん役としてはなかなかいい味を出している。

 この映画ではアマチュア無線がいい味を出している。僕は無線が好きだから、その意味でもこの映画は来るものがある。

2003年12月04日

映画『マトリックス・レボリューションズ』を見た

9月7日の一語りに次のようなことを書いている。

2003年12月03日

喫茶店では主にパソコンを打っています

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 僕にとっては喫茶店とは、パソコンを打つか、勉強するか、書き物をするかという所と思っていたので、これはなかなか・・・厳しい警告である。でも、お客の回転を上げたい店側としては当然といえば当然の思いだろう。

 勉強の中にパソコンも入るのか?という気もするが、パソコンを開き始めると長いということだろう。

 それは、よくわかる。

2003年12月02日

新聞って面白いよね?

 新聞を取らなくなって久しい。理由は二つ。ゴミになることと情報はネットで知れるからだ。

 しかし、たまに、外食しながらお茶をしながら、新聞の置いてあるところがあると熟読したりするととても面白い。

 ネットだと目指す情報にダイレクトに行き着ける代わりに、それ以外の情報は手に入らない。
 しかし、新聞だと、目を通していくということで、いろいろな情報に触れることができる。それが面白いのだ。

 自分の関心以外でも、おっ?と目を引いて、熟読玩味したりすると・・・もうこうなるとそんじょそこらの読み物より断然面白いことが分かる。

 だから、最近は、新聞が置いてある喫茶店とか定食屋とかは自分のデータベースに入れておいたりしているのだ。

2003年12月01日

コドキスト

 自分は独り暮らしがなかなか長くなった。

 独り暮らしで何を得たかというと・・・なるほど、自由とか自分の時間とか世間的に言われているメリットもあるのだが・・・それより大きいものがあると思うのだ。

 「本当の孤独」

 そう、独り暮らしをすると、本当の孤独というものを感じてしまうのだ。北国で独り暮らしをしていたこともあるが・・・帰ってきて、本当に冷え切った部屋をうんせうんせと暖めていながら・・・これはなかなかの孤独感であった。

 そして、その「本当の孤独」を体験することによって、ひとつ成長があったと思う。孤独への耐性ができるのもそうだが、反面、ひとのありがたさを知ることになる。そして、よりよい関係を気づけるようになる。
 孤独っていやなものではあるしが、そのことによって甘えん坊だった僕は磨かれた気がする。

 そう、孤独な人・・コドキストとしては僕はなかなかのレベルにいるのかもしれない。それは、僕自身は悪いとは思っていない。旅だって一人旅が主だ。

 これからは、僕はコドキストですからと名乗ってみようかな(^-^)流行るだろうか?