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外でネットをするコストのあり方について

 今ね、あるカフェにいる。まぁ、私にしちゃ珍しく待ち合わせなどというものなのだが、ちょっと待ちそうなので、カフェに来ている次第。

 通常であれば、マクドナルドなど安価で済むところで時間をつぶしたりするわけだが、今日は、そういえば・・・とパソコン席があるカフェに来てみたんだ。

 私らしい・・・そう思う人も私を知る人たちには多いかもしれない。そう、パソコン・・というかネットがあればいくらでも楽しめるというネット人間であることは確かだ。
 先日まで、隔離形式で水際作戦が取られていた新型インフルエンザに仮に引っかかったとして、ホテルに10日間なりの缶詰を余儀なくされたとしても、パソコンとネット環境があれば大丈夫だなぁと自負はしているけれどもね。その間にパソコンを用いて素晴らしきプログラムを作ってしまうということもないだろうが(^-^)とりあえず、この一語りの更新頻度がとてつもなく上がっていることは間違いなかろう。

 そんな私がちょっと長い間待たねばならないとなったら、パソコンのあるカフェに行くのは当然というもの。

 それでこのカフェに来てみたんだ。基本的には高級系カフェ・・・そこに少しPC席があるというところ。 
 でも、このカフェ、高いんだよね。アイスコーヒー一杯で500円近くする。カフェという名にふさわしく、調度は高級だし椅子のすわり心地も快適。BGMも流れていて、マクドナルドとは一線も二線も画す感じではあるから高いのは分かるわけだけどね。

 快適にネットを楽しませていただいているわけだが、やや違和感は禁じえない部分がある。

 この違和感は、私が10年来のネットユーザーであり、インターネットというのがすべからく無料もしくは低価格で個人に供されるべきというインターネットの伝統的な概念が身にしみこんでいるからだと思うんだよね。

 そもそも、インターネットは軍事的な意義から開発されたネットワークシステムであるが、それが民間に開放された後は、大学間のネットワークなどで発達してきたもの。ネットワークの共有システムなわけだが、そのネットワークの維持費用などは当然おのおのの組織が負担していくわけで、個人に請求が行くことはないというシステム。そして、最後の接続部分だけの費用・・・これが電話会社・プロバイダなどに払う部分であるが、その部分だけを個人が負担するという個人には負担が極力行かないように、そう、共有地としてのネット空間が作られてきたわけで、その意味で、前記の概念が出てくるわけだよね。

 だから、個人としてはせいぜいパソコンを買うことくらいで、電話会社やプロバイダなりにそれなりの接続料を払うだけで、広大なネットの共有地を歩けるというのが実現されてきたわけだよね。

 しかし、このような高級系カフェのPC席は、コーヒー代で一回500円近くの負担があったりするわけで、そのへんがちょっとなぁと思ってしまう部分である。

 もっと安価なコーヒー店でPC席があるところが必要なんじゃないかなぁと思うわけでね。

 あ、そういえば、そろそろ待ち人が来たのでこの語りは終えるね(^-^)、そう、妻が来たので。

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