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連休明けの「やられ」に感じる、労働の義務性

 昨日は完全にノックアウト状態でした。4連休明けのの仕事・・・疲れます。昨日の一語り: よろよろ・・・で明らかなように。

 この思い、多分私だけではないんでしょうね。
 その思いは勤め人の皆さんは共感いただけるところと思います。
 要するに、仕事というのは一つの義務であり、義務は心地よいものではないでしょう・・・拘束されているようなものですから。
 ただ社会にとって仕事というのは必要な活動なわけで個人にとって心地よいかどうかは問題ではなく、人々にはしてもらわなければならない活動なわけで。
 憲法において納税、教育と並んで国民の三大義務として課している理由が体で実感されるのが、そう、連休明けですよね。

 そう、明文で規定しなければ誰もしたくないもの・・・それが、義務なわけで・・・その中に仕事もあるわけだから。 

 まぁ、こういうことを言っていると、仕事は楽しくやるべきものだとか、仕事はクリエイトしていくべきだという主張も出てくるかもしれない。

 ただ、そういう主張には

 創造的労働者の悲哀 (内田樹の研究室)

 を論を引きたい。

 「働きたいのになかなか仕事に就けない若者は「自分に向いた仕事、自分の適性や能力を発揮できる、クリエイティブで、見栄えがよくて、できれば賃金の高い仕事で」働きたいという条件に呪縛されているからである。」

 とそこには語られており・・・

 「しかし、残念ながら、労働は自己表現でもないし、芸術的創造でもない。   とりあえず労働は義務である」

 としている。

 よって、東大生などのような高学歴エリートは、その呪縛により、創造的労働を求めてさまよってしまうというというテーマの論であるが、大いに賛同したいところです。

 そう、労働は義務である・・・だからこそ、連休明けは「やられる」のですよ。創造的な仕事で楽しくて楽しくてたまらず休み明けが待ち遠しい・・・って人はいるのかなぁ・・・現実の世界で。

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