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年収300万円時代の男の戦い方

 おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に・・・「桃太郎」の有名な冒頭であるがここからわかるのは古代の生活が推測される。男と女の役割的に観点で見れば、男は比較的遠くに生活の糧を得る仕事に行き、女は家を守るために比較的家の近くで動いているという生活形態が推測される。芝刈りがどれくらい生計を支えるのに役に立ったのかは、貨幣経済だったのか現物経済だったのかを問わず、芝刈りにどれほどの経済的意義があったかはちょっと疑問であるが、男が遠くに行き、女が家の近くにいるという生活スタイルはそうだったんだろうなとは思うのだ。

 近代に目を向けると・・・私はちょっと前、2006年にはNHKの大河ドラマ「功名が辻」をはまって見ていたものだが、その主人公は山内一豊という大名になる武士の話であったわけだが、その主人公がなにかというと、その妻に「手柄をたてて出世する」という旨をしつこいほど繰り返していたが、そこか、らは近代武家の、男は戦い、女は家を守るという生活スタイルがしつこいほど強調されている。「手柄を立てる」などと言えば聞こえはいいが、自らの君主というあるひとつのイデオロギーに対立する敵を殺すという非人間的行為の結果なわけであるわけで、平和論的には皮肉なことなわけだが、まさに男は外で戦い女は内を守るという生活形態だったんだろう。

 その後も、その基本構造が変わらず、武家政治が終わり明治時代になっても家父長制に象徴されるように男が外で戦い女が内を守る構造は変わらず、戦後も高度経済成長時代においては、経済的に稼ぐことが至上命題となり、男は企業戦士として朝から晩まで働いて、女は家で育児・家事というスタイルが定着してきたのは、私は今30代半ばであるが、私たちの親世代のことであるからよく分かるところになってくるわけだ。

 ここまで終始一貫して、男は遠くで戦い(ここでの戦いは殺戮のみならず、積極的に経済的なアドバンテージを取ろうとする立場も含む)、女は家や内を守る方向に動くという生活力学が見えてきている。

 しかし、高度経済成長時代が終わり、団塊ジュニア世代の私たちの時代は・・・様相は異なってきている。

 男が外で十分な戦いの成果が得にくくなってきている時代・・・そう、森永卓郎が名付けた年収300万円時代である。2006年の流行語大賞のトップテンにも入ったインパクトのあるワードであるから知っている方も多いだろう。

 男が外で十分な戦いの成果・・・そう、稼ぎが得られなければ、女が外で戦うという路線も出てきているし同時並行的に進展している男女同権意識の進展もそれを後押ししている、近年流行のワークライフバランスの識者が語るところでは昔は男一人働けば子どもを2人くらいは育て得たが、現在では子ども一人も育て得ないという主張もあることを聞いたことがある。

 確かに、今、男は稼ぎ得なくなっているのは事実だ。

 であれば、女性も戦いに参戦せざるを得ない・・・なるほど、それはそうだろう。

 ただ、それだけで満足していいのか・・・男は戦えないから戦わなくてもいいのか。

 否であろう。年収300万円時代の男の戦い方だってあるであろう。

 こんなことを力説するのは・・・今朝の私のある動きがあったからだ。

 そう、私は起きて新聞に入っていたスーパーのチラシ広告を見ると・・・いつもは行かない遠くのスーパーでスライスチーズが安売りされているのを知ったのだ。

 少し話はそれるが、最近本当に乳製品が高い。バターなんて、品切れを起こしているしねぇ。スライスチーズだって、デフォルト10枚入りで、安売りで150円くらいだったのが、今では、安売りで8枚入りで160円台・・・それでも、朝一番に走る価値はある。

 妻に、行ってくるわと、GW休日最終日にスーパーの開店時刻目指して自転車を走らせたのだ。

 まぁ、スーパーの安売りの朝一番に行くのは大変なのである。まず、開店前に行列ができていることがある。限定数の商品であれば手に入らないことだってある。手に入っても、レジに並ぶのがずいぶん待つし、また、荷物が重く・・・一種の洗浄である。妻に買い物行って来てねと頼むのは、気が引ける。

 そう、年収300万円時代の男の戦いの場はここにあったのだ。

 確かに、安売りに走っても割引額はわずかである。でも、ちりも積もればである。この年収300万円時代は、収入を増やすより支出を抑える方が重要なのである。収入を増やしにくいからこそ年収300万円時代なわけであるから。先の武将山内一豊的に「手柄をたてよう」とばかりではこれからの男は意義がない。それはそれでさりながら、今までは内・・・そう、おばあさんは川へ洗濯へ 的な内的仕事の中にも男が腕力を生かして動けるフィールドがある。

 無事に、安いチーズを買い、トマトパックも安かったので買い、そのほかパン、うどんなど安かったので買い、休日の遅い朝食前の一仕事を終えた私は思ったのだ。 年収300万円時代の男の戦いのフィールドは、今までの内的領域にこそあるんじゃないかって。

 そうして、この語りに至ったわけで。

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コメント

たしかに、、、。
私も大津さんと(恐らくほぼ)同級生ぐらいの年代で、社会人になって十余年ですが、給与的には当初思っていたよりも上がっていないのが現状ですね。年収300万円というのは少しショッキングなコピーとして我々の年代ではほとんどありえなことかもしれませんが、東京都の平均年収が600万円というのですから、やはり少ないのが現実ですね。東京は住宅費の家計の割合が高いからつらいですよね。実際、年収1,000万円ぐらいないとお金のシンパイせずに生活できないような気がします。いったい、いつになることやら・・・。(というか、本当にそんなときが来るのかどうか・・。)

INSPIRONさん、初めまして。
ご共感いただいてうれしいです。
ほんとですよね、首都圏は住宅費がかさみますよね。
数人家族で主たる稼ぎ手が自分だと仮定すると、確かに1000万円くらいはないと心配尽きないお気持ちは同感です。
いつになることやらという部分も同感です。

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