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愛用の時計に恋愛のなんたるかを分かったよう気がした今日

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 昨日から修理に出していた、オリエント社製の自動巻時計を受け取ってきた。
 この重量感が左腕から消えると・・・なんとも、何かを忘れているような気がして・・・日付を確かめたくて左腕を眺め、あ、今日はないんだなと、落ち着かぬ一日・・・帰りにこの時計を受け取ってなんか長年の恋女房が一時的に実家に帰ってまた戻ってきたかのような落ち着きを取り戻したわけで。

 なんのことはないが・・・実は、この時計の金属ベルトの中芯がなくなってしまって、閉まらなくなってしまって・・・・長年使っているとそういうこともある。ちょっとしたピンが一本なくなっただけで使えなくなってしまうし、修理に1,050円はかかるし手がかかる恋女房である(^-^)機械式時計でなければ、ぽいして新たな時計へ移るのだろうが・・・そうもいかない・・・なんといっても、この時計を使い始めて、はや6年は経過しようとしている中、オーバーホールに一回2万円程度、二回しているから、4万円をつぎ込んでいることになるし、なにより愛着が深い。

 長年の恋女房の「実家に帰らせて頂きます」事件を経験したかのような落ち着きのなさを感じた一日を通して・・・なんとなく恋愛のなんたるかが分かったような気がする。

 僕がこの時計に出逢ったのは・・・そう、今の仕事に転職して1年くらい経った25歳くらいか・・・さすがに、デジタル時計もなかろうと買ったのがこの時計だ。自動巻時計のなんたるかさえ知らなかったくらいだから・・・まぁ、腕時計ファンにさえなれていなかったんだ。たまたま、近くのデパートの年末の売り出しで、限定商品で一日5本限り5千円みたいな感じ。
 朝の開店に合わせてお出かけして・・・そう、普段の売価は2万5千円程度のものを5千円で手に入れたから悪くない買い物だったわけだけどね(もちろん、型落ち寸前であったのも事実なわけだけどね・・・このオリエント・キングマスターのこの形はね)。

 本当にたまたま出逢ったわけ。限定した合理性のもとでね。一生懸命時計を探したわけではない。もちろんその時からネットはやっていたから、比較しようと思えば、いろいろなサイトや価格サイトでいろいろな機種を比較検討も出来たし、それこそ全世界レベルで。
 しかし、そこまでの合理性を発揮しなかったわけ・・・。近所のデパートで、限定品として安く売っていたからこれでいいやと、軽く決めてしまったところで・・・今は愛着が湧いているくらいである。

 そう、恋愛のうちの「恋」というものは、同じように「限定した合理性のもと」で生まれることが多いもものだと感じるんだ。
 よくある話が・・・たまたま、出逢った・・・そう、隣の席だった、同じ合コンに出席した、同僚だったとかね、そういう感じだと思うんだけど・・・。きわめて限られた合理性で恋は芽生えることが多い。
 その合理性を打破しようと、ネット上で出会い系が氾濫しているけど・・そんなにうまくいっているようではないようだ。だまされたとか、サクラの横行とか聞いているとね。
 結局たまたまで始まった、限定された合理性のもとでの「恋」というのが圧倒的に多数だろうと思うんだ。僕だってそうだ。

 でね・・・僕は、今はその時計に愛情さえいだいている・・・たまたま出逢った時計に愛情をね・・・そう「愛」を。

 「恋」が「愛」に変わるのに必要なのが「継続性」だと思うんだ。
 たまたまでもいい、限定された合理性のもとで出逢った恋でもいい・・・恋をはじめてしまってそれで長年一緒にいれば・・・それは「愛」に変わるんだよね。

 僕のこの時計への愛着・・・自動巻だから、ゼンマイだよね、平たくいえば。よく狂うし、月が30日か31日かで月に一回は日付合わせが必要だ。オーバーホールに、売価の4倍のお金がかかる、3年に一度くらいね。そんなことを全く知らずに買ってしまって、お付き合いを始めて・・・でも、6年も付き合ってくると、そう、今日感じたような・・・離れて分かる愛さえ感じるようになっている。

 まぁ、そんなわけで、恋愛のうちの「恋」は限定された合理性のもとでひょんと飛び出るもので、「愛」は継続性のもとに生まれるんだろうなと感じている。

 今の彼女との付き合いでもそれは感じてる。継続して一緒にいること・・それこそ重要だろうと。そしてそれを実践しつつ、愛が深まるのが感じられている。

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