占いは認めない
今日はなんか朝の占いがよくなかったんだよね。でもさ・・私は、まぁ、今の生業はどうあれ、自分自身を科学者的思考を持った男と自認しているし、少なくとも、そうありたいと日々目指している。
そう統計的有意さが認められない差は気にしない、もしくは、気にしたくないと日々思っているし、その意味では占いというのは愚の骨頂という気分さえしていて歯牙にもかけていないという面はあった。
しかして・・・今日は運が悪かった。仕事は全くうまく進まないわ、疲れているところで早く帰りたかったのになかなか帰れないわ、夕食を食べていてマグロの照り焼きを滑らせて白いズボンこぼれ落ちさせて汚してまうわ、帰りの電車は遅れているわ、台風の影響で雨が降り始めたけれども傘がない。
ここまで運が悪いと朝の占いが頭をよぎる。
しかし、やはり、それはたまたま疲れ気味で弱気であったから、運の悪さへの感受性が高まって占いが当たったように感じただけだと思う。そう、普段であればこれくらいの逆境はさほどには感じないのかもしれないから。
すべての現象は確率論的分布に沿っているんだと思うんだよね。しかし、人間はその物理的確率をそのまま受け入れるわけではなく主観的確率、もしくは感情というレンズを通して見るからそれはたまに大きく見えたり小さく見えたりするわけで。その心の機微をうまく突いているのが占いと思う。
だから、まぁ、占いは信じないし、信じたくもないわけだ。
まぁ、今日はうまくない日だったがね(^-^)