後世に遺す
「歴史の教科書に名前をちっちゃくでものこるようになりたい」・・・私が若かりし頃・・・そう、小学生だか中学生だかの時に思ってたことでしたね・・・現にそんなことを親なんかには言ったりしたこともありましたけどね。
まあ、今風にナウく言えば、「ビッグになってやるぜ」ってとこだったんでしょうかね(^-^)
でも、27才になった今は、まあ、普通に仕事をし、ごく普通に生きている一社会人なわけで、言ってみればビッグとは程遠い平凡な男なわけです。いや、平凡が一概に悪いというわけではないですよ・・・平凡に生きることこそ本当は難しいんだとも感じることもありますが・・・。
ま、概して平凡な生活でしょうね・・・今。
ゲーセンでノリノリでDDRで踊っているときなんかは、異人(異なる雰囲気をかもし出している人)になっているかもしれませんが、決して、歴史の教科書に残るような偉人ではないんでしょうね(^-^)。
でも、まあ・・・もてない男でネットの世界に売りだして・・・それはそれでなんとなくさえないんだけど(^-^)・・・まあ、そのことにおいて、今回のタイトルにした「後世に遺る」ことを考えてみたいかなと(^-^)。まあ、自分の語りが後世に遺るかどうかかな(^-^)
そうそう、以前ボーっとテレビ見ていた時・・・なんか絵やらなんやらの美術品をデジタル化して保存することに関してのパネルディスカッションが流れててね・・・ええ、司会がデジタルに強いノンフィクション作家の山根一眞氏でね、各国の美術館関係のえらい人やら日本の国立の美術館長やらが集まって話しているの。
聞いていて面白いなあっておもったのがさ、一概に美術品をデジタル化して保存っていうのも何百年という単位で考えると大変なんだなあってこと。
素人から考えるとさ・・・ま、普段したりするパソコンのファイルのバックアップなんかを思い出しながら、ま、美術品の画像ファイルかなんかをフロッピーなり、いやフロッピーは小さいかあ、じゃあ、MOなりCD−Rなりに保存すればいいじゃんってね。
でも、それではだめなんだそうだね・・・フロッピーやらMOなんかも何百年単位での保存ということを考えると永久ではないそうなんだよね・・・だから、ある一定期間経過したデータを、新しいディスクなりに焼きなおすって作業も必要なんだそうだ。
ま、そんなことを聞いていると、このホームページ「もてない男の心の語り」もやはり後世に遺るかどうか・・・長期的視点に立てばあやういよね(^-^)というかのこらんわな(^-^)
今はプロバイダーのサーバーのディスクに入っているから・・・全世界から僕の語りは見ることができるわけなんだけど・・・これもプロバイダーとの契約が続く限りなわけだから・・・まあ、私の死後はのこるわけないのは自明だよね。まあ、自分のパソコンのハードディスクなりローカルな環境ではのこるかもしれないけど、それでは後世に遺るって言えないような気がするんだよね・・・だって、後世に遺るってやっぱ本でのこる場合もそうだけど世の中の人達がアクセス可能でなくちゃだめだよね(^-^)ローカルじゃアクセス不可能だし、そのローカルな環境だって、いつかは、そのパソコンごとデータの入ったハードディスクは捨てられる・・・。
それにさ・・美術品の保存という観点での前述のディスカッションを聞いていると本なんていう紙メディアは言うに及ばず、MOだってその限界が指摘されているんだから、何に保存したって・・・結局物質面での限界は見えてきちゃうよね(^-^)そう後世に遺すなんてなかなかできるもんじゃない・・そう物質的な面ではね(^-^)
でもね、精神的にというか人々の記憶に遺すって観点はどうだろうか。
結構のこってくれないかななんて期待してるんですよ(^-^)・・・そう、今は、へーって言って読んでいて通りすぎて忘れ去るけれども・・ある時、「そういや「もてない男」なんて自称していたやつがいたよ」なんてフラッシュバックされたりして・・・(^-^)
もし、そんな風にフラッシュバックしてくれたり思い出してくれたりしたら、本当にうれしいな(^-^)。
長野冬季五輪スキーのジャンプでさで結局は個人3位であったけれど、前回リレハンメルでの失速ジャンプを乗り越えて大ジャンプを見せ、記録より記憶に残る選手といわれたけど・・・そんな風に私の語りが読者の記憶の片隅に残ってくれればなあなんていつもホント高望みしながら語り書いてたりしています(^-^)。
あなたの頭の記憶容量、20キロバイト(語り5話程度)くらい占拠させて・・・お・ね・が・い・・・いいじゃん、フロッピーだって1.44メガバイトだしそれより、ぜんぜん少ないしさ、なんてね(^-^)。サブリミナルな場所でもいいから(^-^)、ってそっちの方はこわいかなあ、潜在記憶なんてね(^-^)