恋愛に関しては、好きな相手と両想いになるということは一つのゴールであり、かつ、また一つのスタートでありますね。最も基本的なことでありながら、また、なかなか得がたいと感じさせるようなものでもあると思われます。
こう書くと、なんか、矛盾したような感じを一見受けますが、そうではないんですね。両想いにならないと恋愛はスタートしませんし、でも両想いになったところでひとつステディな異性の友達がいない状態が終わるわけで、その点ではゴールですね。また、両想いにならないと恋愛はスタートしないことから、そう、最も基本的でありながら、簡単に両想いになれるのであれば誰も悩まないわけで・・・。
そんなわけで、なんにしても、恋愛に関して両想いになるということは永遠のテーマなんでしょうね。
そんな私も、「もてない男」状態を抜け出すということはとりもなおさず好きな女性と両想いになるということですからね、「両想い」いろいろ考えてしまうのですが・・・。
両想いになれる確率、ちょっと考えてみました。
まあ、学生時代を想定しまして。男子、女子半々の40人クラスで考えてみます。
クラスの人達がみんな、想う人を同じクラスの中から一人選ぶものとして、自分の好きな異性に自分を選んでもらえる確率は20分の1、その異性が自分の想う人である確率はやはり20分の1、両想いになるにはその二つが同時に起こらねばならないから 両方をかけて、400分の1。
400分の1、高いか低いかはそれをどう見るかですが・・・。やっぱり、一目見た瞬間、低いなあって感じてしまいますよね。400回やって1回起こるってことですもん。かのドラマ「101回目のプロポーズ」じゃないけど、101回でも追いついてないですもんね。
しかもね、重要なことがもう一点。この確率はその好きな異性が必ずクラス内から好きな人を一人選んでいるってことを前提として計算されたものであるということ。ということは、自分の想う異性がクラスという集合以外のところに憧れの対象を置いていたとしたら(例えば、部活の先輩とか違う学校の人を好きだったとか想定される状況は結構ありますよね)、その時点でこの400分の1というわずかな確率さえなくなってしまうわけですよ。
悲観的なことを書いてしまいましたが、まあ、この計算で仮定されているのは、まあ、言ってみれば目をつぶって並んでいる異性の中から一人を指差して「この人が好き」と選ぶような状態なわけで、あまり現実とは合致しないでしょうね。
現実には親しい異性の中とかそういった中からステディな相手を見つけたりするものですしね、抽選みたいなものではないのですから。だから、そこに積極的に話しかけようとかね、そういった努力する意義が生まれてくるわけです。
だから、この400分の1、そんなに気にする必要はないんです。でもね、まったく無視しちゃうのはもったいない。
そう、自分から動かずに誰かいい人が好きになってくれないかなあと待っているだけの状態では、両想いになれる確率は400分の1くらいだということ、すなわちほとんどあることではないということ!!(待っている状態は抽選状態に近いですよね)。
「両想いになるためには、まず、動くっぺさ。」
400分の1。なんか、この限りなく無機質で冷たく思える数字は実はそんなことを雄弁に語っているのかもしれません。