共依存で何が悪い

 

 恋愛をしたいなあ、生涯の伴侶を得たいなあという風な事を真剣に考えていた時・・・すなわちこのページを作り始めていた時と言えるが、もっと自分がしっかりしなきゃなぁという事を常々思っていた。そんな思いから、もてない男の心の語りというこのHPを開いたとも考えられる。

 しかし、結果恋愛をして生涯の伴侶を得て8年を経過した今となって考えてみると、自分がしっかりして自分が支える形で俺があなたを守るといったようなかっこいいセリフの前で結婚したということでは決してないことに気づく。

 それは理想かもしれないが、結局私は当時やっていた仕事が本当に辛く、いかに支えてもらわなければやってけないなと言うような思いに至り、そうなると、必死になってやはり相手のことを思い、かつ、自分のこと理解してもらうということに真摯に努力した結果結婚でき得たということになる。

 そこにおいて分かるのは、妻は私よりも突破力に欠ける部分があるものの奥ゆかしく気遣いができる。そして私を理解し、共感してくれることによって支えてくれるし、家事も自分の役割としてやってくれる。それゆえ私は、やめずに働き続けることができたし、妻のできない突破力を持って、人生を決めていっている。その人生がいいものになっているかどうかは、分からない所であるが、とりあえず、転覆はしていないと思う。

 夫婦生活は、自分がしっかりして相手を支えるという形ではなくていけないのではないだろうか。いやそうではない。これは8年の間で確信したこと。

心理学などでは共依存というのはよくない現象として描かれる。

 しかし、恋愛なり結婚生活なりというところで共依存でないものは長続きしないのではないかなぁと思う。あれは危ういバランスにももとづくものかもしれないが、これで結婚9年目ということになるが、そのバランスが崩れていない。いや、やや崩れかける時もある。しかし、お互い修正がきくものである。できなければ離婚なのだから。

 そうやって支え合って生きていくというのは美徳とされ結婚生活も支え合うのが美徳とされるが、それは言わば共依存そのものではないだろうか。

だからして、これから恋愛をしたい結婚したいという人にとっては、共依存は恐れたらいけないんじゃないかなと実は思うところである。

 共依存だからってなにが悪いという思いはある。ただ、質として悪い感じの共依存はまた個別に問題になろうが、共依存そのものを否定してしまっては、恋愛も結婚も成り立たないんじゃないかな。

(2014年4月21日) 

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