もてないことへの自覚はあながち悪いものじゃない

 

 ここで、もてない男として語り続けて、もう何年にもなる。1998年5月からである。

 「よくやるなぁ」「そこまでカミングアウトして大丈夫か?」

 まずはそのような感想を初めに持たれる方も多いようだ。

 なるほど・・・自分で自分を「もてない」と言ってしまっているところで、ありがちな自虐系のネタサイトではないかという思われ方があるのかもしれない。

 まぁ、実際のところでそういう狙いが全くなかったといえば嘘になろう。まぁ、確かに、ホームページ・・・やはり書くからにはよんでもらえてこそだろうという思いはご多分に漏れずあったし、キャッチーなタイトルで読者を引き寄せたいという思いはあったことが事実だ。

 しかし、自虐系サイトというだけではここまでは継続して語り続けられなかっただろう。

 このサイトを皮切りに「もてない」論を語るサイトは次々に出現してきたし、事実、非モテ系という一ジャンルを築いているようなのだが・・・おおよそ自虐的にもてないことを嘆いているサイトは長続きしていないようだ。

 それはそれで当然であろう・・・愚痴や嘆きは言っているうちはそれなりに発散できる、そう、カタルシス作用を持つものだが、四六時中愚痴・嘆きを言っていることはできないものだ。自虐系の「もてない」論はもてないことをひとしきり嘆いたら、飽きてしまうのは自然の流れとも言えよう。

 このサイトでは「もてない」ことを語りながら、極力愚痴・嘆きにならないようにしてきたつもりだ。ある時は強引さもただよう理詰めで、ある時はコミカルに笑っていただける話で・・・そんな風にある種のごまかしを入れながらも「もてない」状況を語ってきた。だから、「もてない」という自虐的なテーマながらも、ここまで書けたのだと思う。

 さて、「もてない」論の語り部には「もてない」ことへの自覚が大前提であることは自明だ。

 ステディな異性がいない人でも、自分はもてないわけではない、環境・運が悪いのだと考えている人は「もてない」ことへの自覚がないのであるから、当然「もてない」論を語ろうということにはならないのは自明だ。

 自分を「もてない」者として自覚するのはかなりつらいものだ。できれば、自分は「もてない」なんて認めたくない。自然の心情である。しかも・・・それを人に言うなんて・・・。「もてない」ことの自覚というのは一種タブーのようなものでもある。

 だから、自らをもてない男と言ってしまっているこのサイトを見て、冒頭の「よくやるなぁ」「そこまでカミングアウトして大丈夫か?」という感想が出るのだろう。

 しかし、私はここで、「もてない」語り部として「もてない」ことの自覚はあながち悪い者じゃないと主張したい。

 人間関係がうまく築けない・・・そう、小学校に入ると必ず聞かれるであろう、「友達できた?」・・・そう、今の社会で非常に尊ばれる特性たる人間関係をうまく築くことを否定する「もてない」・・・それを自覚することは非常につらいことだ。

 しかし、つらいからと言って、それから逃げていては成長がないのもまた自明だ。

 「もてない」ことを自覚したところから、それを克服するための努力は始められる。

 また、「もてない」ということは非常に劣等感を生み出す。だから、そんなことに目を向けたくないのも人情だ。しかし、あえてその劣等感と正面切って向かい合うことで、それを克服しようとする心理が働くものである。

 専門的には心理学で言うところの"心理機制"という概念で説明される。アドラーという学者によって提唱された「補償」という機制があるのだが、これは、自分の弱点をカバーするために他の望ましい特性を強調することで劣等感に起因するストレスを解消しようとする心理的傾向である。

 だから、「もてない」ことを自覚していくと・・・なにか、ほかの自分の得意分野でカバーしよう。そういうことになってくる。

 「もてない」という自覚を持った人は、例えば、それでは・・・と勉強に力を入れ、学業優秀だけど「もてない」、オタク的趣味に入れあげてその世界では随一の知識量を誇る人、などなど、「補償」の心理機制のもと、能力を身につけていっている状況は想像に難くないであろう。

 私も「もてない」という自覚を常々持ってきたわけで・・・それはそれですごく苦しかったわけだが、それを「補償」しようとさまざまな部分でがんばってこれたのも事実だ。

 だから、「もてない」という自覚はあながち悪いものじゃない。そんな風に感じている。

 今まで長年「もてない」ことを語りあげてきた経験からしてもそんな風に思う。

 しかし、この「もてない」ことの自覚の劣等感は取り扱いに注意が必要だ。

 私も「もてない」語り部として立ったのは、すなわち、このサイトを始めたのは26歳の時だ。そこまである程度成熟した上でないと、この劣等感を表に出して語れなかったのだ。そう、劣等感をうまくハンドリングできないと・・・前述したような、愚痴・嘆きのみに終始し短命に終わる自虐系非モテサイトになってしまう可能性が高い。

 だから、「もてない」ことを自覚すべきだとは言わない。その劣等感を扱いきれずに振り回されてしまうのであれば、その自覚を避けていた方がよいと思う。世の中にはいろいろ楽しいことがあるのだから、辛気くさく「もてない」ことを考え込む必要もない。

 しかし、「もてない」ことを自覚するのもあながち悪いことばかりじゃない・・・前述の「補償」の心理機制のもと大化けできる可能性もあるからだ。「もてない」語り部を続けてきてそんな風に思うのだ。


(2006年3月30日)

戻る