人生のどこかにあった分岐点



今までの人生

こんな分岐点があったように思えてならない・・・



こんなことを三十路前半の最近よく思う。

ちょっと老けたのかな、今までの人生を振り返ってしまう。すると・・・こんな分岐点が・・・僕の場合は高校時代であったように感じられてくるのだ。

今じゃ、まったく泣かず飛ばず、女性には疎んじられこそすれ好かれていると感じることはほとんどなく、女性と相対することにさえあんまり自信がない私だが、高校時代は好かれた記憶はある。その機会を捉えて、人並みに恋をして、そして、失恋したり青春の試行錯誤をしていれば、今のようにはなっていなかっただろうなぁって思うのだ。

じゃあ、その高校時代、私は何をしていたかって?

勉強していたのである。勉強こそ学生の本分とばかりに・・・。

若者は多かれ少なかれ自信過剰なものであり、若者らしい傲慢さを持っているものであるし、私もご多分に漏れず高い自尊心の持ち主であった。

自分の高すぎるとも言える自尊心を満たすには、運動がそんなにできるわけでもない、人気者であったわけでもない、それらに比べれば得意種目であった学業に特化してそれなりのパフォーマンスを残そうじゃないかというところだったと思われる。

その割には高校3年生の後は、浪人生活に入ったわけで、それは自尊心がまったく踏みつけにされる時期であり塗炭の苦しみを味わったわけであるが、とにかく、私は学業一本に専念していた高校時代であったわけだ。

だから、恋をしたり失恋したりという青春の試行錯誤をするべき時期を逸してしまった。今思うと、それが私の「もてない」ロードの始まりだったんだなぁって感じる。

するべき時に青春の試行錯誤をしてこなかった者が、大学に入って、さぁ、しようとしてもなかなかできるものではない。結局、大学時代も学生の本分は学ぶこととばかりに、研究などに打ち込んだ感じだ。

20歳代も後半くらいになって、彼女を持ったこともあるし、大きな失恋もしてみた。高校時代のような若さあふれる時ならそんなにイタさも残らないのかもしれないが、大人のハシカ・風疹みたいな感じで、20歳代後半になってからの失恋というのはこたえるし立ち治るのに時間がかかるものである。

そして、今に至る・・・

やはり、青春の試行錯誤はしておくべき機会のある時にしておかないと、ずーっと、「もてない」という氷の道を歩くことになってしまうんじゃないだろうか。そんな風に思ってしまうのである。そんな思いをビジュアルにしてみたのが冒頭のものだ。

もしも、高校時代に戻れるなら、やりなおしてみたい・・・左の道に行くようにしてみたい。僕の予想通り桜咲く道であるだろうか・・・。

(2004.5.31)

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