恋愛の技術論
「お前の気持ちは分かる・・・でもな、いくら心があっても技術がなきゃ伝わらないんだ!!」 2003年6月23日に放映された、NHK総合の朝の連続ドラマ「こころ」でのワンシーン(記憶によるので多少の語句的相違はご容赦あれ)。 ドラマの文脈ではこうだ。 煙火店(花火を作る店)の息子に向かって、父である親方が、花火で自分の気持ちを伝えたいのは分かるが花火の製造技術が身に付いていなければ人に心を伝える花火は打ち上げることができないと言うことを諭すシーンである(この煙火店の息子はヒロインに想いを伝えようとハート形の花火を打ち上げるものの、打ち上げた多くが失敗作に終わった)。 でも、僕はもっと一般的に「そうだよな、恋する想いはやっぱ技術が伴わないと伝わらないよな」って思ったんだ。 恋愛は技術だ、なんて言うとちょっと違った意味に感じられるかもしれないし、反発を感じられるかもしれない。恋愛っていうのは純粋に相手を思う気持ちの表れであって、決して技術なんかじゃないっていう感じに。恋愛は技術だなどというとなんか、すご腕ナンパ師の発言のようにも聞こえるしね・・・ それらはほかならずコミュニケーションスキルと言えるだろう。 スキルとは和訳すれば技術。だから、想いを伝えるのにも技術は必要だなと思った次第。 そう、そのドラマでは、技術とは花火技術だったわけだけど・・・それを想いを伝える技術としてもよくわかるよなと思ったんだ。 「いくら心があっても技術がなきゃ伝わらないんだ」 ってセリフはとても響いてくるなぁって思わない?(脚本家の意図とは全くずれたところで感動しているわけだけど(笑)) まぁ、そんなわけで、僕は恋愛にも技術は必要だと思うし、そのための理論っていろいろあっていいと思うんだけど、こういう話はなかなかタブー視されているようだ。 すくなくとも、恋愛におけるコミュニケーションスキルに関しての授業、たとえば、「デートの誘い方」といった大学の一般教養の授業があるところなんて聞いたことないし、「異性をデートの誘う際の効果的なアプローチ方法」というのを研究テーマに卒論を書いたという話もあまり聞かない。「異性との付き合い方」を学校で学んだことさえない(これまた大きなタブーである"性"に関しては学校で学ぶというのに)。 そして、そういう話はあまりまじめに本になっていたりはしない・・・わずかに、ファッション誌系の雑誌などに異性とのコミュニケーションスキルの話は出てくるものの、体系だった理論にはなっているわけではないようだ。 だから、このような恋愛の技術論の知識は口コミとか自分の試行錯誤によるところが多くなってきてしまうわけだ。 例えば、理系の男性とかに恋愛に苦手意識を持つ人も多いと聞く。それは当然だとも思う。だって、そもそも理系の場合は周りに女性がほとんどいない環境の場合も多い、よって、自分で試行錯誤する機会もなく、異性とのコミュニケーションスキルを育てる機会もなく20代中盤くらいまで簡単に来られてしまうのが理系なのだから。だが、一方、そういう理系の方々は、自分の専門分野の技術論では他の追随を許さない高度な技術を持っているわけである。自分の専門分野で高度な技術を持つに至ったのはなぜかといえば、それは・・・その専門分野の技術論を真剣に学んできたからにほかならない。 であれば、恋愛にも体系だった技術論があれば、それを学ぶことによって、恋愛に苦手意識を持つ理系の男性とかもそこまでの苦手意識を持たずに済むのではないのだろうか。 と言う僕自身も、恋愛におけるコミュニケーションスキルにはとんと疎い方だ。というか、どうやってデートに誘えばいいのかだってよくわかっていない。だって、なんの本にもあんまり書いていないんだもの(笑) そりゃ、デートの誘い方一つ取っても、ケースバイケースで、千差万別だとは思うよ、でも、例えば、株価の変動みたいなひとの思惑が複雑に絡み合う金融の世界にだって、今、数学的なアプローチで切り込んでいこうという金融工学とかが盛んになっているのだから、恋愛の世界にだって技術論があってもいいような気がする、というかあって欲しいと思うんだけどさ(笑)。 ひとが付き合うとか、結婚するとかいったことは、そりゃ、縁とか相性とかいったどうしようもないものにも支配されているわけだけれども、一方、第一印象とかの影響も大きいらしい。第一印象の形成みたいな所ではやはりコミュニケーションスキルといった技術が高い方がいいだろう。だからこそ、その技術の面でおくれを取ってしまうのはもったいないよね。 自分の想いを伝える技術・・・かぁ・・・ ま、とりあえずは必要ないのだけどね。(笑) (2003.8.3) |