しょうがない

 しょうがない

 これはカードゲームにおいてのオールマイティーカード、そう、ジョーカーのようなものだ。

 ひとはその人生を生きていくにあたって、このカードを何枚も何十枚も、もしかしたら何百枚も切る。

 ああなりたいな、こんな風になれたらな・・

 でも、そのほとんどは叶わない夢だ。だから、このカードを切る。


 思うのだ。このカードを切るのは悪いことではない、というより、このカードをうまく切れる、さらっと切れる人ほど、器用に生きているんだろうな、と。

 では、自分は?と振り返ると、器用にはこのカードを切れない。

 このようなオールマイティーカードを切るのをいさぎよしとしない妙な意地がある。手持ちの札で最大限、もしくは新しいカードを手に入れてでも一歩でも理想に近づこうとしてきた。

 そう、「武士は食わねど高楊枝(ようじ)」・・・そんな意地に近い。

 そして、その意地も別に悪いこととは思ってはいない。なるほど、本人としては結構つらいものだ。どこまで行っても満足できないし、人一倍の努力も必要だから疲れる。

 でも、そのおかげでそれなりの成長もあったと思うし、実際、本来は面倒くさがりな僕のことだから、ぼーっとしてたら進まなかった所にまで歩みを進められたのも事実だろう。

 猪突猛進・・・そんな「ちからわざ」でつっぱってきた感じだ。

 僕のいいところ・・・実は、この意地っ張りなところであるのかなぁと思う。僕をここまで引っ張ってきてくれたこの意地を、今では、いとしいくらいかわいく思える。

 そんなことから、変にクールに構えてかっこはよくても努力しないひと・・・よりはね、髪振り乱して、かっこわるくても不器用なまでにがんばるひとが好きだ。


 そんな僕が「しょうがない」カードを切らねばならない時・・それは身を切られる思いだ。断腸の思いと言ってもよい。


 でもね・・・

 でもね・・・・・切らねばならない時があるわけだ・・・このカードを。

 こと恋愛マターに関してはそうなのだよね。「しょうがない」・・・そう思うしかないのだ・・・

 このカードをうまく切れれば痛手は少なくて済む。そしてすぐに切り替えもきく。

 最近とみに思う・・・「しょうがない」カードをもうちょっと器用に使えるようになるべきかもしれない、それが大人ってもんだ。

 ドン・キホーテとしての生き方はそろそろ卒業か・・・





 迷っているのも事実だ・・・ドン・キホーテでなくなったら、僕が僕でなくなってしまう気もするから。

 

 (2002.11.13)

 

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