昼飯くらいは貴族として

 

 前作「してあげたい」では独り暮らしを始めて、弁当さえ作っていることを得意げに書いたところである。

 そのことを、父母にも話したんだが・・・父は素直に感心してくれていて、現在もそうであると思う。しかし、母は・・そう、母は私が家にいた頃、しきりに家事をさせたがっていたから(たぶん大の男の私がゴロゴロしているのはたえられなかったのであろう、もっともなことだ)、このようにまめに家事をしていることをもっとも喜んでくれるかと思っていたのだが・・それで、僕は得意げに弁当も作っていることを話したのだが・・・なんだか、浮かない顔をしていた。

 この前実家に帰った時、母が「まだ弁当作っているの?」って聞くもんだから、最近はあまりやっていないというとちょっとほっとしていた。

 なぜか?

 そう、どうも昼飯というのは周りに見えること・他人に見られることである・・独身貴族なら貴族らしく見られている昼飯くらいは外で優雅にとりなさい・・・夕食なんていうのは他人に見られるわけでもないから納豆ご飯だっていいけど・・・ということらしい

 なるほど、と、その言葉は僕の心にピシッと収まった。近年、公私とも仕事含めてあそこまで説得力のある言葉を聞いたのは久しぶりな気がする・・さすが母は強しである。

 そう、もてない男なんて言いつつ長年過ごしてくると、他人の目を気にしなくなってしまうものだ・・・それはあまり良い癖ではないのであるが・・・そう、「もてない→他人の目を気にしなくなる→ますますもてない」なんていう悪循環にさえおちいりがちである。

 そして、自分で弁当を作っていくのもかなりむなしいし、その上、所帯ももっちゃいないのに、弁当箱を洗っている姿なんて、かなりいかしていない。

 そうはっと気づかされた僕は、いまでは弁当を作っていっていない。昼は外で優雅にと心がけている。そう、できれば、近頃値下げ著しい牛丼屋さんとか定食屋さんとかではなく、レストランっていうか洋食屋さんとか優雅にできるところを選ぶようにしてみている。できれば食後のコーヒーがつくところが好ましい。

 そう、僕は、確かにもてない男である。でも、同時に独身貴族でもある・・・もてないからこそ、この年になってまでも貴族を続けてられるんだ。そう考えたら、わざわざ昼食時まで貴族を放棄した所帯持ちの人達の真似をして弁当箱を洗う必要はないではないか・・・

 独り暮らしは出費がかさむ、できれば弁当の方が経済的には楽だ。

 でも、貴族は貴族らしくあるべきだよな・・・そう思ったのだ。少なくとも、弁当箱洗ってちゃあいかんよな・・・と。

 (2001.10.22)

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